陶磁史こぼれ話(16)(366kb) - 日本陶磁器産業振興協会

陶業史こぼれ話 ⑯
「 組 合 員 全 員 から感 謝 された伊 勢 湾 台 風 災 害 対 策 」
◎
日本陶磁器産業振興協会 参与 近藤 進
(元日本陶磁器輸出組合 専務理事)
陶磁器輸出組合の事業は輸出規制にしても、海外宣伝事業にしても、ほとんどが全会一致の決議で
実行されましたが、実際にはどんな事業についても不満に思う人がかなりいて、しばしば個人的に苦
情を言われ、議論を吹っ掛けられたりしたものです。それに対して、伊勢湾台風災害対策は誰からも
感謝され、関係した役所からも高く評価されました。対策が不十分であるといった苦情もなかったと記
憶しており、このように誰からも感謝された仕事は、後にも先にも経験することがなかったように思いま
す。
1. 史上最大の被害をもたらした伊勢湾台風
伊勢湾台風(1959 年)は、少なくとも明治以降において最も大きな災害をもたらした台風であります。
死者・行方不明者は 5,098 人、住家被害(全壊、半壊、床上浸水、床下浸水)は 833,965 棟であり、
台風規模の最も大きかった室戸台風(1934 年)よりも被害ははるかに大きく、死者・行方不明者は
室戸台風の約 1.7 倍、住家被害は約 9 倍でした。
この被害は、とくに愛知県、三重県に集中しており、愛知県の死者・行方不明者は 3,378 人、住家
被害は 239,968 棟、三重県の死者・行方不明者は 1,273 人、住家被害は 97,265 棟でした。ちな
みに、岐阜県は死者・行方不明者 104 人、住家被害 27,279 棟。被害地域は全国的にわたってお
り、人的被害に限っても奈良県 113 人、福井県 34 人、岩手県 29 人など、32 道府県に及んでおり
ます。
被害は高潮による堤防決壊から生じたものが大きく、これが愛知・三重の両県に大きな災害を引き
起こし、また、名古屋港・四日市港の機能をマヒさせて陶磁器輸出に甚大な損害をもたらしました。
伊勢湾台風に襲われたのは、1959(昭和 34)年 9 月 26 日(土)のことでした。18 時頃紀伊半島の
南端にある潮岬を通過、名古屋西方に達したのは 21 時頃であり、小生は大府市に住んでいたので
その前後に最も強い暴風雨にあいました。小生の家の前の道を隔てた崖上の大きな松の木が倒れ
隣家の一部を破壊するのを目の当たりに見て、肝を冷やしました。
輸出組合事務局の職員に人的被害はありませんでしたが、三重県長島町の M さんと愛知県東浦
町緒川の O さんの家は 2 階まで浸水し、大変でした。
翌 27 日(日)は、出勤しようにも交通は全く途絶え、家の後片付けに専念しましたが、28 日(月)に
は、名鉄バスを利用して有松で乗り継ぎ、更に市電に乗り換えて昼頃に事務所に出勤しました。
何時も利用していた東海道線は大高-熱田間で堤防崩壊や護岸流出が起こり 28 日まで不通でした
が、29 日からは応急復旧により、電車に替えて蒸気機関車がノロノロ運転で動くようになりました。
鳴海・笠寺あたりでは線路の近くまで水を被っており、まさに鎌倉時代の海岸線に戻ったといわれ
た状況を目の当たりに見ました。
13
JAPPI NL 2013.5
関西線では被害が少なかった四日市-桑名間までは 10 月 9 日に開通しましたが、蟹江あたりの浸
水はなかなか引かず名古屋まで全通したのは 11 月 25 日でした。 常滑線などの名鉄電車が全通
したのは 11 月 23 日とのことです。
2. 緊急対策立ち上げ
後日聞いたことですが、永井精一郎理事長は台風翌日の 9 月 27 日(日)に早くも臨港地帯の浸水
地域や名古屋市内・瀬戸地域の組合員の工場等を視察し、その被害の甚大さに驚いて対策を考
え始めたとのことでした。 28 日(月)に、小生が事務所に到着したころには、既に事務局における
対策協議が進んでおりました。永井理事長は、「小生が責任を取るから、対策費用の出費を惜しむ
な。当面、対策に全力を尽くせ」と号令をかけらました。
28 日(月)には、愛知、岐阜、三重 3 県下の組合員に、「拝啓 一昨日の台風は、猖獗を極め、御被
害も甚大ならずやと案じて居ります。貴社の御状況は如何でございましょうか、不取敢お見舞い旁
御伺い申上げます 敬具」と葉書で通知しました。
29 日(火)午後 3 時に、輸出組合役員及び仕向地別部会の部長/副部長による緊急会議を開き、協
議の結果「15 号台風災害対策特別委員会を」を設置し、①金融、保険(8 名); ②港湾、輸出手続
(6 名)の 2 分科会により分担して対処することにしました。
30 日(水)午後 2 時に、上記の特別委員会を開催し、「15 号台風災害非常対策要綱」を決定すると
ともに、2 分科会はそれぞれ対策活動を開始しました。「要項」の対策は①金融(日銀、市中銀行へ
の要望)、②保険(保険会社への損害調査促進要望)、③港湾問題並びに配船(名古屋港早期再
開、十分な配船要望、他港への転送便宜、北米運賃引き上げ延期等要望)④通関関係(関係書類
再発行に便宜要望)、⑤組合名の英文サーキュラーレター作成(輸入先への船積み遅延説明のた
め)その他多岐にわたっています。
30 日夕刻に、名古屋市内組合員宛に<緊急船積対策のため、
積み出しうるトン数を調べて 1 日 1 時責任者お越し乞う」陶磁器
輸出組合>との電報(右欄は起案書の写真)を送るとともに、名
古屋市外の組合員にも電報で滞貨状況の調査を要請しました。
10 月 1 日には組合員各社の船積責任者約 70 名が集まり、会
合を持つことができました。
同 30 日に、日本陶業連盟および岐阜県輸出陶磁器完成組合
(書簡は 10 月 1 日付)より、①荷代金の支払又は融資、②災害
貨物処理、③受注品について輸出組合及び傘下組合員の配
慮を要請する口頭の申し入れを受け、前記「要綱」に最善の努
力をしようとうたっています。
14
JAPPI NL 2013.5
日時は記憶していませんが、永井理事長のかばん持ちで関係官庁を回りました時、名古屋税関で
は本館(旧館)5 階の消毒のにおいのするところで、作業服の税関長にお会いしたことをよく覚えて
います。 愛知県庁も作業服の職員が、忙しく動き回っており、戦時中のような雰囲気でした。
なお、組合員にはほとんど毎日、状況を通知するとともに、10 月 9 日には臨時総会を開いて詳細に
報告しています。組合員への連絡は電話も通じないところが多く、また郵便も遅れが甚だしいため、
当初は電報で行っていました。 例えば名古屋港の配船の状況も「○月○日、北米大西洋岸向○
○丸○ギャング(積込荷役グループの単位)」といった内容の電報を組合員全員に送っていました。
3. 主な対策活動
10 月 2 日より、前記の 2 つの分科会の委員は手分けして、関係官庁へ実情の説明および支援要
請をおこないました。陳情先は、以下の各項で言及している官庁等のほか、愛知県、名古屋市、名
古屋商工会議所、船会社、政府系金融機関等にもわたっています。
なお、組合員 125 社の回答を集計したところ、10 月 3 日正午現在において、船積み可能な貨物は
艀上に 775 トン、上屋保管のもの 24,013 トンであることが判明し、この数字等をもとに説明してまわ
りました。
1907(明治 40)年の名古屋港開港以来、1966(昭和 41)年まで陶磁器類の船積トン数は第 1 位で
した。この 1959 年も陶磁器類は 64.7 万トンで 47%を占めており、第 2 位の車両 17.3 万トン(13%)
を大幅に上回りました。このような状況の中、陳情先の官庁や港湾関係者は本当に誠意を以って対
応してくれました。
(1) 金融関係
・10 月 2 日午前 10 時、永井理事長、金融・保険分科会委員、道家専務理事等が日本銀行名古屋
支店長を訪問し、日本銀行総裁あての陳情書を提出して対策を要請しました。陳情書の内容は
次の通りです。
「15 号台風による災害救済のため非常措置懇請
拝啓 今次未曾有の台風により輸出陶磁器産業の蒙りました災害は、該産業の殆んどが愛知、岐
阜、三重の 3 県下に存在し、全国陶磁器輸出額の約 93%が名古屋港より輸出される関係上、生産
設備の損壊はもちろんでありますが、毎年 9 月はクリスマス向き陶磁器の積出し最終期のピーク時
に加え月末集中期のため、名古屋港一帯の上屋倉庫に積出し船積み直前の在貨は約 450 万ドル
[注:16.2 億円]を超えるものと推定され、これ等が潮濡れ、損傷等のため集荷不能となる額は莫大
なものがあります。
これがため輸出業者は生産者より引き渡しを受けたる貨物代金の支払(保険に付したる場合と雖も
これが保険金の支払いを受くるため相当の期間を要す)のみならず生産者より復興資金の援助を
要請される等、当面必要とする資金は莫大なる額を要するも、市中銀行の現在の融資基準並びに
貸付限度を以てしては到底これを賄うことを得ず困却を極めて居ります。[中略]
これがため、例えば
(一) 輸出手形による貸し付け条件の緩和
15
JAPPI NL 2013.5
(イ) 再割適格手形の融資限度が FOB 価格の 85%であるのを 95%に引き上げ、担保適格手形
についても同様な取り扱いをすること。
(ロ)~(ニ)省略
(二) 更に又輸出手形によらざる市中銀行の貸出については前述の如く陶磁器産業に中小企業的
性格と輸出産業としての重要性(昨年輸出額 7,200 万ドルにして外貨手取率殆んど 100%)を勘
案 せられ、簡易迅速に行われるよう市中銀行に特別の貸出枠を認められるよう御指図ねがうこ
と。 [後略]
・次いで、市中銀行11行の名古屋支店長を訪問し最大限の融資により輸出の回復に協力せら
れたい旨要望しました。
・なお、日本陶業連盟が 10 月 8 日に集計した東海 3 県の製造業者の被害状況は次の通りでし
た。
被害工場数届出
2,314 社
建物・設備被害
製品・原材料被害
18.1 憶円
18.3 憶円
被害合計
36.4 億円
(被害合計内訳: 愛知県 24.0 億円、 岐阜県 10.3 億円、 三重県 2.1 憶円)
(2) 保険
10 月 1 日、日本損害保険協会並びに同協会東海地方委員長(同和火災保険㈱名古屋支
店)に対し、①損害調査を簡易迅速に行うこと、②損害調査について必要あれば当組合は協力
することを申し入れました。同日夜開催された保険会社業者会において、輸出組合よりの申し入
れを全社に伝えていただきました。
(3) 港湾並びに配船関係
・10 月 1 日、港運協会並びに乙仲業者代表と名古屋港早期再開について協議しました。
・10 月 2 日、四日市港湾関係業者と四日市港利用について懇談しました。
・10 月 3 日、港運業者、乙仲代表者並びに船会社と協議したところ、10 月 8 日より1日 1,500
~2,000 トン程度の船積みが可能であることが判明、更なる配船増加への努力等を要請しまし
た。また、船会社より船積み可能見込みを毎日通知してもらうこととしました。(その配船見込み
を、10 月 26 日頃まで全組合員に毎日通知しております。)
・中川運河地帯の倉庫よりの艀による貨物輸送のため、名古屋市当局に 8 日までに中川閘門を
開くよう要請しましたが検討の結果否決され、トラック輸送に切り替えるようにしました。
・10 月 2 日午後、関係委員及び事務局員が名古屋鉄道管理局(当時は国鉄)を訪問し鉄道に
よる他港への転送に便宜を図ってほしいと要請しました。次いで名古屋通商産業局(現中部
経済産業局)に事情説明、同局の通商課長とともに中部陸運局(現中部運輸局)を訪問し、ト
ラック輸送について協力を要請しました。 なお、他港への転送の所要日数、運賃、荷役料等
の情報を入手して、全組合員には連絡しています。
・10 月 1 日に、北米運賃同盟の引き上げが予定されていたところ、実施延期について船会社と
交渉し、とりあえず 10 月 15 日まで延期されましたが、その後更に交渉を重ねました。
16
JAPPI NL 2013.5
(4) 輸出手続関係
輸出組合において輸出承認申請書、領事査証用インボイスの事前チェックや原産地証明発行
等の手続きを行っていましたのでその態勢を強化するとともに、関係当局に輸出手続の簡易迅
速化を要望した結果、次の便宜措置が取られました。
① 通産局の輸出承認書の再発行、訂正を容易にするため便宜措置が実施されました。
② E/D の再発行についても便宜措置が取られました。
③ 政府当局を通じて各国領事館に査証手続の簡易化を要請し、輸出組合が仲介の労を取
ることもありました。
④ 他行での通関における、出帆 48 時間前通関制の適用が緩和されました。
(5) 英文サーキュラーレター
台風被害のため出荷が遅延することを輸入商に理解させ、L/C の期間延長を認めさせ或いはキ
ャンセル、クレーム等の発生することを防止するため、被害状況を説明するバイヤー宛英文サー
キュラーレターを作成しました。この措置は非常に好評で、関西や、東京の組合員を含め予想以
上に数多くの枚数を配布しました。
4. あとがき
台風対策活動による混乱は何日頃平常化したか、はっきりと思いだすことはできませんが、12 月 3
日に船会社・港湾関係業者 14 社に対し、礼状を送り「港湾並びに船舶御関係者の真に不眠不休
の御活躍により名古屋港の復旧も意外に早く進捗し、御蔭を以て所期の荷渡を終えましたことは洵
に感謝にたえぬ所であります。・・・」と述べ、12 月 14 日(月)の「葵荘藤久」(名古屋市東区葵:現在
トヨタ自動車葵クラブの所)における輸出組合対策委員等との懇親会に招待し、快く応じていただき
ました。 その頃、対策活動が一段落したものと推察されます。
海外のバイヤーからは、英文サーキュラーレターが配られたこともあって、かなりの数の見舞状が届
きました。Associated Ceramic Importers of America, Inc.(米国陶磁器輸入商組合)からは 11
月 9 日付の見舞状と共に 500 ドルの小切手が送られてきました。この 500 ドル(円に替えて約 18
万円)は中日社会事業団に寄託しました。同輸入商組合等主なところには、後日、「伊勢湾台風の
全容」(中日新聞社 1959 年 11 月 30 日発刊)を送りました。
伊勢湾台風が史上最大の災害を起こしたことを先に述べましたが、地震を含めた自然災害全体とし
ても、昭和以降では東日本大震災、阪神・淡路大震災に次ぐ大きな被害をもたらしています。また、
前ページで東海 3 県の陶磁器生産者の被害額は 36.4 億円とお伝えしましたが、これを消費者物
価指数により現在価格に換算しますと、5.42 倍の約 197 億円になります。昨年の陶磁器食器・ノベ
ルティの全国生産額が 338 億円であったことを考えると、非常に大きな被害であったことがわかりま
す。陶磁器業界としてはワースト 10 にランクされるつらい経験であったと思います。
ただし、個人的には、このように誰からも感謝される仕事は、あまり経験できるものではなく、最も張り
合いのある仕事だったと、折にふれ思い出しています。
(了)
17
JAPPI NL 2013.5