トラッキングエラー・アプローチによる 最適資産配分戦略 研究ノート

2003.8
研究ノート
トラッキングエラー・アプローチによる
最適資産配分戦略
年金研究センター 主任研究員 藤林 宏
1.
はじめに
ることにします。
アセット・アロケーションは一般に、平均・分散
(mean-variance: MV)アプローチで最適化(リスク・
2.
通常の最適化手法
コントロール)が図られます。ところが、投資家の観
以下では、アセット・アロケーションの意思決定
点からは分散で測定される絶対リスクよりはむしろ
プロセスに最も広く利用されている通常の平均・分
ベンチマークとの対比という側面が重視される結
散アプローチに基づく最適化法と比較しながら、ト
果、相対リスクであるトラッキング・エラー(TE)が大
ラッキング・エラーに基づく最適化法の理論を整理
きなリスク・コントロール要素となってくる場合があ
します。便宜的に、平均分散アプローチに基づく
ります。
前者を「MV最適化法」、トラッキング・エラーに着
たとえば、ベンチマーク・ポートフォリオとして基
目する後者の方法を「TE最適化法」とします。
本アセット・ミックスが定められており、そこからの
MV最適化法の場合、所与の期待収益率のもと
乖離リスクを一定に抑えつつアクティブなアセット・
でポートフォリオのリスク(分散)を最小化すること
アロケーションの判断を行うような状況が考えられ
により最適解が導出されます。たとえば、n個のア
ますが、そのような場合、通常の平均・分散アプロ
セット・クラスからなるポートフォリオ・ウェイトのベク
ーチのフレームワークではこの問題は解決できな
トルをqpとすると、
くなります。
また、タクティカルなアセット・アロケーションを
行うツールとして、期待リターンとポートフォリオの
標準偏差(ないし分散)をリスクとして最適化を行う
MV法が利用されることがありますが、その場合、
基本アセット・ミックスからの乖離リスク(トラッキン
グ・エラー)の程度が反映されず、乖離リスクを考
慮しつつ、アクティブな超過収益率を最大化する
という運営方法に適合しないという問題が起こって
きます。
そこで、本稿では、ポートフォリオの分散に代え
てトラッキング・エラーをリスク測度とした最適化手
法(TE法)を検討するとともに、併せてTE法と伝統
的なMV法を併用した解の導出についても議論す
 q p1 
 
 q p2 
qp   

 
 q pn 
となりますが、すべての資産の投資比率の合計は
常に100%になりますから、
qp 1  1
T
が成立します。なお、右肩のTは行列の転置を示
します。また、ポートフォリオの期待収益率と分散
は、それぞれ
E ( R)  q p R
 2  q P T Vq P
T
となるので、最適化問題は、ポートフォリオ・ウェイ
トのベクトルqpについて、
1
T
x T Vx
T
T
制約条件 x 1  0 、 x R  G
最小化
最小化 q P Vq P
制約条件 q p 1  1 、 q p R  E ( RT )
T
T
と表現できます。ただし、
R:期待リターンのベクトル
V:共分散行列
E(RT):目標となる所与の期待収益率
をそれぞれ意味します。この式の意味は、それぞ
と表現されます。この問題もMV最適化手法と同じ
く二次計画法の問題ですので、MV型最適化法と
同様の解法が適用可能となります。
4.
MV 型最適化と TE 型最適化の比較分析
れのポートフォリオの期待リターンの水準につい
この節では、MVアプローチに基づく最適化
て、そのリスク(分散)が最小になるような投資比率
(MV最適化)とTEアプローチに基づく(TE型最適
を求めるという問題に帰着できるということです。
化)について比較分析を行うことにより、相互の関
連を明らかにします。Rollの論証の結果、前節で
3.
トラッキング・エラーによる最適化手法
得られたベンチマークからの相対的なアクティブ・
Rollは上記のMV型最適化をもとに、これをトラッ
ウェイトである最適解xは、ベンチマークの構成比
キング・エラーのリスクに置き換え、「TE最適化」の
率とは全く独立に決まることが明らかとなっていま
フレームワークを以下のように定式化しています1。 す。言い換えれば、投資対象ユニバースと投資家
まず、アクティブなアセット・アロケーションともいえ
の期待が同一であるならば、どのようなベンチマ
るTAA(戦術的資産配分)の付加価値である超過
ークを選択するかにかかわらず、同一の最適解x
期待リターンをGとしますと、
が得られるということです。無論、実際のアクティブ
G  (q P  q B ) T R  x T R
と表現されます。ここで、qBはベンチマークのポ
ートフォリオ・ウェイトを示すベクトル、また、xはア
な資産配分であるポートフォリオ(qp)はベンチマ
個々の投資比率は異なった値になるわけですが、
クティブ・ウェイトのベクトルを示します。この関係
対ベンチマークの相対的な組入比率を示すアク
を数式で表現すると、
ティブ部分x自体はベンチマークの構成とは独立
x  qP  qB
xT 1  0
ークの構成(qB)にxを上乗せしたものになるため、
に決定されるということです。
しかし、トラッキング・エラーの分散と期待収益
となりますが、最後の式は、各資産のオーバーウ
率の間にはトレードオフ関係が成立するので、通
ェイト幅、アンダーウェイト幅の合計は常にゼロに
常のMV最適化と同様に、平均-分散平面上にこの
なるということを意味しています。
関係を図示することが可能です(図1)。図中にお
このとき、ポートフォリオのアクティブ・リスクであ
るトラッキング・エラーは
(q P  q B ) T V (q P  q B )  x T Vx
となりますので、所与の超過期待収益率のもとでト
けるベンチマーク(B点)は一般には効率的ポート
フォリオであるとは限らないので、MVフロンティア
の内側に位置しています。この場合、TE最適化の
結果得られた「TE型最適解」も期待超過収益率の
ラッキング・エラーを最小化するTE最適化問題は、 水準Gにかかわらず、(ベンチマークがMV効率的
でない限り)MVフロンティアの内側(たとえば図中
アクティブ・ウェイトのベクトルxについて、
のP点)に位置することになります。つまり、TE最適
1
Richard Roll, “Mean/Variance Analysis of Tracking Error,”
Journal of Portfolio Management, vol. 18, no.4 (Summer
1992).
化から得られたポートフォリオは一般にMV効率的
ではなく、そのため、P点と同一水準の期待収益率
2
図1 MVフロンティアとTEフロンティア
期待収益率:E(R)
P*
B*
P
B
MV フロンティア
TE フロンティア
分散:σ2
(出所:Roll [1992])
を持ちながらP点より分散(絶対リスク)の小さいポ
乖離リスクを最小化しようというアプローチですが、
ートフォリオ(P*点)が存在することになります。
その場合、上記で示されたように伝統的な平均・
また、Rollは通常のMVフロンティアの内側に描
分散アプローチに基づく観点からはどの程度の効
かれるTEフロンティアは、どの期待収益率の水準
率的なポートフォリオが得られるのかが必ずしも保
においても、MVフロンティアから一定の距離であ
証されないという問題が生じます。
ることを証明しています。つまり、TEフロンティアは
このような関係を解決するために、双方の解を
MVフロンティアを右側に平行移動したものになる
個別に導出し、両者の比較・検討を通じて最終的
ということです。そして、その移動距離は、ベンチ
な解を決定する方法が考えられます。そこで、簡
マーク(B点)と同一期待収益率を持つ最小分散ポ
単な数値例を用いて、TE型最適化モデルによる
ートフォリオ(B*点)とベンチマークの分散の差と
分析の特性を検討します。
なります。このように、TE型最適化の結果得られた
まず、株式、債券、短期金融資産の3種類から
アクティブ・ポートフォリオは、通常の効率的フロン
なるアセット・アロケーションを考え、各資産の期待
ティア上にはないという意味において、MV効率性
収益率、標準偏差、相関係数の前提条件につい
が保証されないことになりますが、その程度はベ
て図2のような数値を想定します。
ンチマーク・ポートフォリオの効率性に依存するこ
とになります。
このような前提を踏まえて、通常の最適化(MV
型最適化)プロセスに基づいて、効率的フロンティ
アを導出したのが図3です。なお、ベンチマーク・
5.
数値例に基づく分析例
図2 計算の前提条件
伝統的なMV型最適化アプローチでは、リスクを
絶対的な標準偏差のレベルでしか捕らえられない
ために、ベンチマークからの乖離リスクを意思決
期待リターン 標準偏差
株式
債券
短期資産
6.0%
2.0%
0.5%
20.0%
10.0%
0.5%
債券
短期資産
株式
債券
短期資産
株式
0.0
0.3
0.0
1.0
0.1
1.0
定のパラメータとして取り扱えないという問題があ
りました。一方、TE型最適化の基本的な考えは、
ベンチマークからの超過リターンを志向する際、ト
ラッキング・エラーの分散を最小化することにより、
3
図3 MVフロンティア
7%
6%
期待収益率
5%
4%
3%
2%
MVフロンティア
ベンチマーク・ポートフォリオ
1%
0%
0%
5%
10%
15%
20%
25%
標準偏差
ポートフォリオとしては、株式:60%、債券:30%、
この場合、縦軸が期待超過収益率、横軸がトラッキ
短期資産:10%の基本アセット・ミックスを想定しま
ング・エラーとなっていることから明らかなように、
す。この場合、図に示されるように、ベンチマーク
アクティブなリスクとしてトラッキング・エラー(ベン
は、ほぼ効率的フロンティア(MVフロンティア)上
チマーク・ポートフォリオからの乖離)を負担するこ
にあることが確認されます。その意味で、基本アセ
とによってベンチマークに対する超過収益率を狙
ット・ミックスはほぼMV効率的であるといえます。
うことになります。
次に、上記のベンチマークに対して、最大で
以上の分析から得られたMVフロンティアとTEフ
1.5%の超過リターンを狙うアクティブなポートフォ
ロンティアの関係を見るために、両者を同一のグラ
リオを導くためにTE型最適化プロセスを行った結
フ上に表示したのが図5になります。(なお、図5に
果として得られたのが図4のTEフロンティアです。
おけるTEフロンティアは図4と同じものですが、図
図4 TEフロンティア
1.6%
1.4%
期待超過収益率
1.2%
1.0%
0.8%
0.6%
0.4%
TEフロンティア
ベンチマーク・ポートフォリオ
0.2%
0.0%
0%
1%
2%
3%
4%
5%
6%
7%
トラッキング・エラー
4
図5 MVフロンティアとTEフロンティア
7%
6%
期待収益率
5%
4%
3%
MVフロンティア
2%
TEフロンティア
ベンチマーク・ポートフォリオ
1%
0%
0%
5%
10%
15%
20%
25%
標準偏差
5におけるグラフ軸が期待収益率と標準偏差であ
るため、図4のTEフロンティアの値を変換したもの
制約条件の影響
6.
以上の数値例では、ベンチマークがほぼMVフ
になっています。)
図5より明らかなように、この場合、ベンチマーク
ロンティア上にあったために、MV型最適化とTE型
がほぼMVフロンティア上にあるため、ベンチマー
最適化の双方をほぼ満たす解を得ることが可能と
クからのアクティブな乖離を伴ったポートフォリオ
なっていましたが、先に検討したように、ベンチマ
群であるTEフロンティアもほぼMVフロンティアと
ーク・ポートフォリオが常にMV効率的であるとは限
近い位置を占めることがわかります。したがって、
りません。
MV効率性を考慮した上でベンチマークの設定を
たとえば、図6では、より多数のアセット・クラスの
行えば、MV型最適化とTE型最適化の双方をにら
実績データを利用して最適化を行った場合のシミ
んだアセット・アロケーションの決定を行うことがで
ュレーション結果を示したものですが、ベンチマ
きると考えられます。
ークはMVフロンティア(制約条件なし)の内側に位
図6 MVフロンティアとTEフロンティア:制約条件の有無
12%
11%
期待収益率
10%
9%
X
8%
MVフロンティア(制約条件なし)
MVフロンティア(制約条件あり)
7%
TEフロンティア
6%
ベンチマーク・ポートフォリオ
5%
0%
2%
4%
6%
8%
10%
12%
14%
16%
標準偏差
5
置しています。したがって、この場合、ベンチマー
ンチマークが必ずしも明確化されてこなかったこと
クからの乖離度に応じて導かれるTEフロンティア
もあって、対ベンチマークを基準とした相対的な
はMVフロンティアよりも内側に位置することになり
最適化手法については明示的な議論があまりなさ
ます。
れてきませんでした。しかし、超過期待リターンに
ところが、実際のアセット・アロケーション判断で
対するトラッキング・エラーを最小化するという最適
は、絶対的な投資比率について、何らかの制約条
化フレームワークを用いることにより、アクティブな
件が課される場合が少なくありません。たとえば、
アセット・アロケーションにおける最適化手法を提
株式や外国証券といったリスクの高い資産の組入
供することが可能です。このような考え方は、平
れ比率に上限値を設ける場合があります。そのよう
均・分散アプローチに基づく従来のアセット・アロ
な場合、MVフロンティアは制約のない場合に比
ケーション手法を拡張するという側面を有していま
べて右下方にシフトしますので、図6における「MV
す。
フロンティア(制約条件あり)」に示されるようにTE
組み入れ比率に対する制約条件を設けない場
フロンティアが制約条件付きのMVフロンティアと
合、一般にTE最適化によるアセット・ミックスは全
交叉する可能性が生じます。つまり、絶対的な投
てMV効率的フロンティアの内側になってしまいま
資比率に制約が加えられた結果、MVフロンティア
すが、ベンチマーク・ポートフォリオがほぼMV効
のみが内側にシフトしてしまったわけです。
率的である場合(ベンチマーク・ポートフォリオが
このとき、交叉点Xにおいては、制約条件を考
MVフロンティアの近傍にある場合)、TE最適化に
慮に入れたTE最適解であると同時にMV的な意味
よって求められたアクティブなポートフォリオも、
でも最適化されていることになります。このような状
MVフロンティアから大きくは乖離しないため、MV
況は、アクティブ・ウェイトの結果実現するアクティ
型最適化とTE型最適化の双方の条件を満たすア
ブ・アロケーション(qp)が本来のMV条件下での制
セット・ミックスを得ることが比較的容易であると考
約条件を満たさない解を生み出すために発生す
えられます。
るものです。すなわち、TEフロンティアにおいて、
また、絶対的な投資比率について制約条件が
交叉点Xより右上方の部分は、MVフロンティアの
ある場合は、MVフロンティアに制約が加わって形
外側にありますので、MVフロンティア導出の際に
状が変化するため、一定のアクティブ・ウェイトに
与えられた絶対組み入れ比率の制約条件を満た
基づいたTE最適解をMVフロンティア上に得ること
さない解の集合ということになります。一方、交叉
が可能になります。実務的な観点からいえば、一
点Xより左下方の部分は、MVフロンティアの内側
般のアセット・ミックスは株式や外国証券といった
にありますので、MV最適化がなされていないアセ
高リスクの資産については、事実上、組入れ比率
ット・ミックスの集合を示すことになります。
の制約条件(上限値)が設定されることが少なくあ
りませんので、上記のような手法に基づいたTE最
7.
まとめ
アセット・アロケーションの意思決定プロセスに
適解を利用する余地は比較的大きいと考えられま
す。
■
おいては、株式のポートフォリオ構築に比べてベ
6