川はよみがえる~南限のオショロコマ(『ノースアングラーズ』2000年夏号)

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ノースアングラーズ・アイ
オショロコマの生息域の
南限として知られる真狩川。
クレソンが茂り、バイカモが揺らめくこの川で、
大規模な河川改修工事が行なわれたことは、
ご存じの方も多いだろう。
あれから5年。
のである。
開発局の河川改修計画が持ち上がった
ある。﹃多自然型工法﹄を採用した北海道
南限のオショロコマは、今も健在なのだろうか⋮⋮
みがえ
コマを守った
市民の声
湧水の清流を
排水路とみなす行政
書つかり
この計画を知った﹃北海道の森と川を
真狩村市街地の下流からニセコ町の
った。
尻別川合流点付近までの真狩川では、
﹁融雪出水などによる河岸決壊を毎年の
ように受け具洪水時には︶流下能力も小
さく、地元から改修に対する陳情もあ
る﹂︵河川管理者の道建設部︶との理由で、
1960年代終わり頃から次々に河道
してⅥ年代に入り、オショロコマの生息
の拡幅工事などが行なわれてきた。そ
密度が高く、繁殖地にもなっている真狩
事の手がのびるようになった。
村の中心部から源流部に至る区間に、工
この区間内での工事はふたつある。市
街地に村が造成した親水公園に併せ、自
に道が施工した区間だ。﹃多自然型﹂とい
然石の床固工や護岸をしたのは、Ⅵ年度
う言葉が聞かれ始めた頃の工事なので、
人工的な公園という感は否めない。今
では水際の植生が回復しつつあるが、〃
もうひとつは、Ⅵ年度から恥年度にか
不自然な〃印象を受ける。
けて、この公園のすぐ上流で小樽開発建
設部倶知安農業事務所が行なった改修
た区間である。
工事で、﹃語る会﹄から中止要請が出され
この工事は、前出の公園の上流から同
村泉地区の源流部までの約3畑を、農業
働きかけで、事業者側は工事を全面的に
﹃語る会﹄が行動を起こした時には、すで
0万円の事業費が見込まれた・例年秋に
用の排水路に利用する計画。Ⅲ億500
おして水温、水量とも安定している清ら
見直すことを約束し、最悪の事態は避け
語る会寅代表Ⅱ小野有五・北大教授︶の
かな流れである。この川に棲むオショロ
農家は仙戸。クレソンが茂り、バィヵモ
事業の正式名称は﹃泉排水路﹄で、受益
かっていた。
に2畑の工事が終わった段階にさしか
ることができた。市民の声の高まりに行
河川改修のあり方に一石を投じた﹃真
政が応えて、よりよい川づくりに向けて
狩川の試み﹄は、次のような経過をたど
コマは、世界分布のなかではアジアの南
5年ほど前、この川の源流部のオショ
限付近にあたり、学術的にも貴重な種と
ロコマが絶滅の危機にひんしたことが
踏みだしたのである。
羊疏騨鞭鵬礁籠釧
文◎滝川康治
いわれている。
(ルポライター・下川町在住)
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改修工事が行なわれた直後、
湧水の清流は単調な水路と化していた。
このような工事を行なう感性には、疑問を抱かざるをえない
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釣り人だから見えてくる北海道の今
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川や海、森や湖に触れる擾会の多い釣り人は、動植物たちの次に、
環境の変化に敏感でいられる存在なのかもしれない。だからこそできること、
やらなければならないことがある.…・・
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計画だ 。
感じられない、いかにも土木屋的発想の
て位置づける、川に対する慈しみが全く
が揺らめく湧水の清流を〃排水路〃とし
腹が赤い希少種で、学術的な価値が高い
真狩川のオショロコマは魚体が小さく、
独自の進化をとげたらしい。そのため、
周辺には生き残った・数万年にわたって
め、農作物に多大な浸水被害などを与
者側も知ってはいた。そこで、﹁人と自然
オショロコマが生息することは事業
とされている。
え、営農上の大きな支障になっている﹂
にやさしい工法﹄をうたい文句に、自然
﹁︵真狩川の︶断面が狭小で河床が高いた
というのが、当時、小樽開建が挙げた工
石を利用した護岸や段差の低い落差工
い地形と土地利用がなされている﹂と、
から水があふれたとしても、被害は出な
る・その谷底に集落はなく、たとえ河道
わりの火山灰地を切り込んで流れてい
は、稚魚の生息に欠かせない流速の遅い
場が独自に調査し、改修済みの区間で
の影響について、道立水産孵化場真狩支
︵鴨年︶には、工事によるオショロコマヘ
底に産卵床本来の砂利を敷き直すなど、
示し、改善案を提示。隔年5月には、﹁川
浅かった﹂と認め、工事を見直す意向を
工事をしてきたつもりだったが、理解が
を取り入れ川筋をゆるやかに蛇行させ、
工事の必要性そのものに疑問を投げか
となどが判明していた・これらの問題点
ところや、クレソンなどの茂みがないこ
工事の手直しをする﹂、﹁源流部で予定し
ロコマの産卵場所や稚魚の生息環境の
ショロコマが激減する事態は避けるこ
川は自らよみがえる
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事理由だった。
.これに対して﹃語る会﹄は、
﹁流域は水はけのよい火山灰の斜面地域
であり、源流部の流量の変動はほかの河
川に比べればずっと小さいはずで、多大
けた。W年に発足した﹃語る会﹄は、﹁川
について、同支場は倶知安農業事務所に
ていた工事を行なわず、今後の改修は最
な被害があるとは思えない・真狩川はま
には森がなければならない﹂を合言葉
指摘していた。しかし、事業者側は聞き
小限にとどめる﹂の2点を﹃語る会﹄に
取り組みを打ち出した小樽開建の対応
現地視察の時には、﹁自然に配慮した
に、北海道の川をどのようにしていった
おくだけで、市民から声が上がるまで、
対応した。
らよいのか、みんなで考えるための集ま
W年n月、﹃語る会﹄は小樽開建に対し、
復一兀工事を行なうよう求める文書を出
た区間では、﹃魚の棲みやすい川﹄に戻す
とができた。そして、すでに工事を終え
こうして源流部の産卵床は守られ、オ
は、高く評価できると思う。
した。また、道小樽土木現業所や真狩村
するとともに、すでに破壊されたオショ
翌年以降の源流部での改修工事を中止
しかし、実際のやり方は、川底に敷き
河畔林もいくらかは残すなどの工夫を
つめた石が大きすぎ、オショロコマの産
には、源流部を公園化する計画を見合わ
が絶滅するかどうかの瀬戸際に立たさ
卵が不可能な﹁魚が繁殖できない工法﹂
せることなどを要望。現地視察も行なっ
試みが始まった。
だった。﹁魚の生態を学んで工事のやり
た・新聞やテレビでも報道され、真狩川
こうした動きに、小樽開建はいち早く
方を考える﹂という基本がまったく分か
実は、﹃語る会﹄が運動を始める前年
に対する関心が高まった。
れていたからだ。
川だけはその禁を破った。オショロコマ
い﹂というのが会の主旨だったが、真狩
約束した・市民の声に耳を傾け、迅速な
禁漁という措置を検討してもよ
いのかもしれない
りである。﹁原則として反対運動はしな
釣りを控えるよう訴えた看板。
私たち釣り人は今後、種沢や
産卵場所付近ではサオをださ
ない勇気が必要になってくる
だろう。真狩川にいたっては、
無謀な工事を続けた。
・真狩川を訪れだ皆さんへ
っていなかったのである。
試みたという。
源流部の工事を
中止させた市民の声
羊蹄山の冷たい湧水のおかげで、真狩川
コマは絶滅したとされている。しかし、、
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いた自然石を動かすなどの手を加えた。
観察する手を休め、妹尾さんが当時を振
クレソンやミゾソバ、エゾノカワジシ
り返った。
してしまったため、瀬と淵があった一兀の
最初の工事では、河床全体を平らな瀬に
ャなどが生える水辺を上っていくと、大
上流部には1四則後の砂利を置いて
状態に近づけるように試みた。
った。きっと、ほかの川でも同じことが
行政も改善策を真剣に考えるようにな
合言葉に市民団体が声を上げたことで、
真狩川では、﹁オショロコマを救おう﹂を
的に指摘していくことの大切さである。
は、その中身について説明を求め、具体
う改修工事を耳にしたり、目撃した時に
それは、魚の生息に影響を与えてしま
﹃真州剥潔痴纈篭が学べ
今後の川づくりにどう活かすか
つよみがえろうとしている。
改善策を施したことで、真狩川は少しず
し、川をよく知る助言者の知恵を借りて
市民の問題提起に行政が柔軟に対応
さんが、満足そうな表情を見せた。
3年ぶりに真狩川を歩くという妹尾
てもないかもしれませんね﹂
で川づくりをしたところは、全道的に見
展開になっていますよ・水の力でここま
ころも生まれていた。予想したとおりの
洲ができ、その下流には産卵に適したと
﹁川の中に置いた石が土砂で埋まって中
状態に戻ろうとしていた。
感じられるものの、川は自らの力で一兀の
きつけた牧草や、石の護岸の不自然さは
のは3m近くに成長している・両岸に蒔
見えた。挿し木したヤナギは、大きいも
る・岸辺の草むら近くでは、稚魚の姿も
瀬の部分を産卵場所に選ぶことが多い
という。そこで、下流に流された砂利に
よって、産卵に適した場所がつくられる
ように手助けする手法を取った。
﹁私がやったのは、両岸の護岸を撤去で
きないなかで、水が自由に動けるきっか
けをつくることでした・事業の範囲内
で、ぎりぎりのタイミングでやれた・以
前なら考えもできなかったことで、こう
した川づくりをやれたのは、担当者の理
解があったからですよ﹂
箱メガネでオショロコマやヤマメを
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きな石の下流がほどよい淵になってい
すこうした工夫が求められる
みた・オショロコマは比較的流心寄りの
川が自由に動けるように手直しをした結果、
流れに変化が生まれた。土砂が堆積した
場所には植物が根づき始めている。河川
改修には、自然の復元力を最大限に活か
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オショロコマを守った
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できるはずだ。
していくと、真剣に受け止めてくれま
なったら、そこにはヒトの姿も見えな
﹁川は一番身近な自然です。魚がいなく
す﹂
問を持ったら、自ら勉強し、魚が減少す
と訴えるだけでは説得力に欠ける・疑
ければいけません﹂
くなる。みんながそのことを理解しな
その時、﹁魚が釣れなくなるから困る﹂
だろう・釣り人なら、そのための基礎知
る具体的な理由を提示してみてはどう
工事をすると川がどう変わり、魚の
無数に見られた。産卵は無事に行なわ
には、2∼3mのオショロコマの稚魚が
材時、回復し始めた川岸の植生の周囲
工事の見直しから5年後の今回の取
生息や産卵にどんな影響を与えるの
れたようである。
識をある程度は持っているはずだ。
か・別の工事の方法はないのか⋮⋮・魚
自体が本当に必要だったのかという疑
真狩川の改修工事は、そもそも工事
の生態に詳しい人の話を聞くなどし
きるだろう。
て、釣り人なりに学んでいくこともで
うに提言してくれた。
ダにすることなく、今後の川づくりに
になったことは確かだ。この事例をム
え、川づくりについて考えるきっかけ
問は残る。しかし、市民の声に行政が応
﹁釣り人は、魚を釣るだけでなく、川の
釣り歴妬年の妹尾さんが、こんなふ
ことを知るべきです。自分は釣りのな
だろうか。
道内では未だに、コンクリートで固
活かしていくことが重要なのではない
めて〃魚の棲めない川〃にしてしまう、
かから川を考え始め、そこには複雑な
な気持ちで川を見つめると、魚も植物
無配慮な河川改修が行なわれている。
世界があると分かってきた・おおらか
て︶何年か後に川の形状がどうなるか
例を思い出してほしい。⑳
そんな工事を見つけた時、真狩川の事
もいろんな反応を示す。︵工事によっ
川づくりの方法を見つけ、行政に提案
を読みとっていく・そこから具体的な
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る妹尾さんが制作L
首の川に棲む魚たも
環境について話し合
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「大地と川の外科医」を自認する。本業は、環境コンサ
ルタント業務などを行なう「(株)エコテック」の社長
角
で20年間にわたって河川計画や
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環境調査などに携わる。「生態系
由、d・
れ。4歳から釣りを始め、川や魚を
友として育つ。小学校時代のヤ
マメ釣りで妹尾さんにかなう者は
いなかった。'70年に倶知安農業
高校を卒業後、札幌の民間会社
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妹尾優二(せおゆうじ)
1951年、後志管内赤井川村生ま
一︲一・F,手
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蚕I】ノー1ゴ【】(
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を重視した川の環境調査をしたい」と考え、91年に独立。
江別市内の自宅においた流域生態研究所の代表として、
全道の小中学校などで川をつうじた環境教育を実践中。
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環境教育に:
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