旧村名の由来 - 白岡市

白岡町の沿革
岡 泉 村
実ヶ谷村
千駄野村
明治28年
合併
小久喜村
日勝村
下野田村
上野田村
爪田ヶ谷村
太田新井村
昭和29年
9月1日合併
彦兵衛村
白岡町
篠 津 村
明治22年
合併
篠津村
野 牛 村
白 岡 村
寺 塚 村
高 岩 村
明治22年
合併
大山村
柴 山 村
荒井新田村
下大崎村
上大崎村
昭和29年9月1日
菖蒲町へ編入
旧村名の由来
し ら お か ま ち
し
白 岡 町
現在の町名「白岡町」は昭和29年9月1日に日勝
村、篠津村と大山村の一部が合併し
たときに誕生しました。この命名は
「白岡」の名が白岡八幡宮とともに
由緒があり、また白岡駅を中心に町
の発展を期するとのことからです。
ひ
か
ち
む
ら
の
づ
む
ら
篠 津 村
白岡八幡宮
日 勝 村
明治28年2月28日に〇印(5ページ)の9つの村
が合併して誕生しました。日勝村の名前の由来は、
明治28年の日清戦争での日本の戦勝を記念して「日
本勝つを深く永く銘記するために」、当時の県知事
千家尊福によって命名されたものです。
明治22年に△印(5ページ)の5村が合併して誕
生しました。5村の中で篠津は町並みを形成し、地
区が大きかったので篠津村となりました。
お お や ま む ら
大 山 村
明治22年に□印(5ページ)の3村が合併して成
立しました。大崎村の「大」と柴山村の「山」を重
ねて命名され、小学校を中央部の荒井新田に置きま
した。
せ
い
が
( 菁 莪 )
四書五経の「詩経」の書き出しの言葉の中の「菁莪」
に現れる言葉からとったもので、優秀な人材の輩出
する所という意味があります。明治22年に当時の南
埼玉郡間中郡長の命名によるものです。
ま な か ぐ ん ち ょ う
4
大字名の由来
おか
いずみ
たか
いわ
○岡
泉
△高
岩
オカとは台地を意味し、泉とは地下水が地表に湧き
出る土地のことです。かつて岡泉地内には丑沼、大日
沼などがあり、付近の台地の絞り水が泉のように湧き
出ていました。
う し ぬ ま
さ
な
が
や
○実 ヶ 谷
せ
ん
だ
3ページ参照
の
○千 駄 野
こ
う
そ
か や
千駄野は地味が悪く、江戸時代の貢租は茅が千駄に
過ぎなかったと言われています。また、野とは草木の
生えた広い平らな土地を意味しています。
こ
ぐ
き
○小 久 喜
ま き
コグキのクキとは小高い所で燃料となる薪、柴を採
集する土地という意味があります。地内の寿楽院は高
台に位置し、山号を「大高山」といいます。
か
み
の
だ
し
も
の
だ
○上 野 田と下 野 田
ノダとは湿地を意味し、開発すれば水田になる土地
という意味があります。この野田が上野田と下野田に
分村したのは江戸時代の享保年間と考えられます。
つ
め
た
が
や
○爪田ヶ谷
も ん ま り ょ う
お お た し ょ う
え
○彦 兵 衛
しの
や
3ページ参照
づ
△篠
津
ぎ
ゅ
3ページ参照
う
△野 牛
野牛は、古くは「柳生」という文字も用いられてい
ました。これは、野牛が利根川の旧河道である「日川」
の自然堤防上に位置し、柳の生い茂る土地だったこと
を表しています。
「野牛」の文字を使用した経緯につ
いては、よく分かっていません。
に っ か わ
5
寺塚地内には、廃寺となった東照寺という寺院があ
りました。この付近が小高い塚であったことから、寺
塚という地名が起こったと思われます。
しら
おか
△白
岡
しば
やま
□柴
山
3ページ参照
シバとは草木の小さな植物の生えた土地を表し、ヤ
マとは燃料としての雑木を採る林を意味していると考
えられます。
□荒井新田
荒井新田はもともと大崎村の一部でありましたが、
慶長13年(1608)に新田が開発され、新たな耕地とな
りました。
□下 大 崎
太田新井は寛永5年(1628)以前は上新井と呼ばれ
ていました。この太田とは、中世の太田庄(現在の北
川辺町から岩槻市に及ぶ範囲)の意味で、この地で新
しく開発された地ということが考えられます。
べ
つか
塚
し も お お さ き
お お た あ ら い
○太田新井
こ
てら
△寺
あ ら い し ん で ん
ツメタガヤのツメとは、ツマという言葉のなまった
ものと考えられ、ツマとは隅という意味があります。
この地が百間領の隅に位置していたことからの命名と
考えられます。
ひ
日川の低地(現在の
新白岡地区付近)から、
高岩本村の天満神社付
近の土地(台地)を見
ると、かつては約2メ
ートルの高低差があっ
たと言われています。
この地形から高岩の地
名が付けられたものと
考えられます。
もともとは大崎村でしたが、元禄のころに上大崎と
下大崎に分かれました。大崎のサキとは地形のとんが
り、先端の意味を表しています。
にし
西
昭和44年から52年にかけ、8か年の歳月と19億円の
経費をかけて行われた「白岡・篠津土地区画整理事業」
で100ヘクタールほどの土地が整備されました。
白岡、篠津の西に位置するということで、この地名
になりました。
し ん し ら お か
新 白 岡
高岩の中央部を民間で開発したニュータウンです。