創刊記念号 - 勁草学舎

創刊記念号
発行:日本適応指導教育研究所
次代への伝道
親子マンボウ第 90 号に予告しましたように、今月から勁草学舎の「虹」と「親子マンボウの会」
の会報誌「親子マンボウ」を一本化して、
「次代への伝道」というタイトルで発刊することになり
ました。発行元は勁草学舎内にある「日本適応指導教育研究所」になります。
そこで、まずこの日本適応指導教育研究所の説明をさせていただきます。設立は平成 13 年 4
月 1 日で、今年で既に開設 6 年目を迎えています。設立目的は、内外の教育全般における今日的
な課題、適応指導(教育相談、教科指導、教材開発等)についての基礎的、総合的な調査・研究
を行い、公教育、公的機関との連携を推進し、わが国の教育の振興、発展に寄与することと定め
ました。そして開設 6 年目の現在、この研究所は、ご支援くださった方々の後押しもあり、また、
これまでの活動実績も評価されて、全国教育研究所連盟、関東地区教育研究所連盟、民間教育研
究所連盟という公的機関に認可された公的機構ともなっています。例えば、あのベネッセ教育研
究所などもこの機構に分類されます。
この研究所の事業内容は、
①
わが国の子ども達の自立支援に向けた望ましい教科指導や適応指導、進路指導のあり方に
ついての調査・研究
②
わが国の子ども達の自立支援のための教育相談員の養成と育成カリキュラムの研究・開発
③
実践報告会、基礎研究会、各種研究会の開催
④
適応指導教室への協力、連携ならびに民間適応指導教室の運営
⑤
教科指導カリキュラム及び評価方法の研究・開発
⑥
研究成果・実践報告等、刊行物の発刊
⑦
インターネットを活用した内外教育情報の収集と提供
⑧
その他、上記の目的を達成するために必要な事業
の 8 項目となっております。
これまで、理事長苅草国光、副理事長井澤真知子、事務局長篠崎諭子の 3 人で研究所を運営し
てきました。組織・機構として決して大きいわけではありませんが、蓄積してきた実績について
は自負できるものがあります。
ちなみに現在日本国内には、学業や子どもの自立を支援するサポート校、公的なカウンセリン
グ室などが多数ありますが、本当に子どもの側に立って運営されているとはいえないものが多数
だと思われます。なぜそんなことを言うかと言えば、どうしても組織運営上の都合で、大人の思
惑が常に優先されているように思えてならないからです。
「悩める子ども達」を対象としていなが
ら、指導者達は彼らの目線で考えようとしていないのです。だから、
「悩める子ども達」はいつま
でも「悩める子ども達」のままになってしまい、彼らの自立は遠のくばかりです。
このような現状に対して、私達はこう考えています。どんな理由からにせよ、現実に心が傷つ
いたり、大人や親に対して不信の眼を向けたりしている子ども達が確かにいる。そんな子ども達
に対して、生きる意志と喜びを与え、彼らが自らの脚で人生を歩んでいけるようにすることが、
私達大人の責任ではないかと。
そのためには、勁草学舎自身もこれまでより一層充実しなければなりませんし、事業内容の②
にも今後は力を傾注していきたいと思っています。そうすることで、子ども達の真の自立のため
に、いつでも親身になって相談に応じられる体制にしたいと思っているのです。
教育という仕事の本質は、相手の生命に火を点じて、これを目覚めさせる点にあり、それは、
言い換えれば、相手の中に、真に主体的な自己を確立させることだと思うのです。そのためには、
何よりも先ず、教師たる私達自身が自らの生命に火を点じなくてはなりません。主体的な生き方
のできない人間には、相手の生命に火を点じることなどできませんし、まして、相手の「良いも
の」を引き出していくようなことはできないからです。そのような私達自身の自覚があれば、そ
れは生徒達にも伝わるはずで、彼らも物事を自主的に考え、主体的に判断を下し、しかも他の人
と協調できる人間になれると確信しております。
このような考えから、今月号から勁草学舎と親子マンボウが一体となって行動し伝道すること
にした次第です。これからも今まで以上のご支援、ご協力をお願いいたします。
二度とない人生だから
板村真民
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
日本適応指導教育研究所理事長・勁草学舎理事長
苅草国光
「子どもを育てる」とは
手元に Benesse 教育研究開発センターが調査した「第 3 回幼児の生活アンケート報告書」とい
う冊子がある。
『調査は 5 年ごとに行われ、今回が 3 回目であり、首都圏の乳幼児をもつ親から回
答を得ている。調査の特徴としては、10 年間にわたる 3 回の調査から時代的な変化をつかめるこ
とである。1990 年代半ばのバブルが崩壊した後の不景気に入る頃と、2000 年という不景気のた
だ中といわれた時代、さらに 2005 年という回復過程に入ってきた時と明らかに時代背景は大き
く異なり、親の世代も当然ながら違いがある。乳幼児の親は 20 歳代が多いが、子ども時代にテレ
ビゲームが初めからあった現代の親の世代と、大人になってから接した世代では意味が異なるだ
ろう。景気の良い時代に若者であったかどうかも意味があるのかもしれない。その時々に強調さ
れ、受け止められる時代的な価値もまた異なることは考えられる』とあり、調査項目は、①幼児
の生活時間をめぐって。
化。
②習い事の動向。
③教育費の動き。
⑤テレビゲームの利用や子どもの遊びの変化。
子育て観について。
⑧母親の育児不安の変化。
④メディアとのかかわりの変
⑥幼児の発達状況と就園との関連。
⑦
となっている。
そして総括的考察として、前回の調査時よりは子育て環境を整える努力がなされてきている。
直接的な受験とか知的早期教育というより、もっと広く、長い視野での教育環境を整えようとし
ているなど、子どもにとっては好ましいものとなっている、と結んである。
しかし一方で、小学校で授業が成り立たない、高校生なのに分数が理解できない、漫画しか読
まない、読み書きが困難、人間関係を切り結べない、衝動性をコントロールできないなどなど、
従来の常識枠では理解できない子どもたちに出会うようになったのも事実である。最近マスコミ
では“教育の二極化現象”が進んでいるとの報道が多くなった。
人を社会的存在へと導いていく「教育(広い意味での)」への取り組みや意識に何か大きな変化
が生じてきているのではないのか、という言い知れぬ不安や焦りを私は感じるようになった。社
会的存在として生きられていない若者の増加も根底は同じなのではないか。このことはつまり「子
どもを育てる」ことについて、私たち大人がもしかしたら方向性を間違っていたのかもしれない、
と考える時ではないかと思うのである。
そういう時に森田伸子氏(日本女子大学人間社会学部教授)の「文字の経験」という本を手にした。
「読み書き困難」の子どもが増えていることがとても気になり、
「文盲」についての自伝を探した
のがきっかけだったが、この本の第 1 部「読み書きができるということ」の中に、リテラシー(読
み書きの能力)問題について記されていた。
ハーシュ(80 年代アメリカ)は、『リテラシーなくして、人は子どもから大人への変貌を遂げる
ことができない。リテラシーなくして、人は意味ある生を生きることも、希望につながれた意味
ある死を死ぬこともできない』
(「教養が国をつくる」)と述べており、アメリカでは同時期「リテラ
シーの危機」という言葉がひろく聞かれるようになった。そして 80 年代半ばには、リテラシーの
六段階の基準ができ、今日もリテラシーを測る基準の一つとして用いられているとのことである。
ところがこのレベルは、第三レベルのところで大きな断絶を示しており、
「第四学年の危機」と
呼ばれ、多くの子どもたちはこの段階で挫折し次の第四レベルに達することができない。文字の
一つ一つは正しく流暢に読めて、一つ一つの単語の意味を知っていても、文章全体を説明し描き
出すことができない。
同様の問題はフランスでも議論が見られ、テストが行われ七段階のリテラシーレベルに分類さ
れた。若者を対象とした調査では、文字の解読、単語の理解、さらに文章の文字通りの理解、と
いったレベルと、それ以上の論理的理解、あるいは内在的な理解との間に識字困難と識字との境
界を設定している。
アメリカでもフランスでも、識字調査で重視されているのは、何よりも読解力であり、単に一
つ一つの文字や単語や、あるいは文章を正確に再現する力ではなく、テキストが全体として意味
するものを、テキストの意向に沿って正しく「理解する」能力である。アメリカの「第四学年の
壁」、フランスにおける識字困難の壁は、この能力をはさんでそびえる壁なのである。
また読み書きの不平等はすでに学校に来る前から始まっているとし、テレビ幼児番組「セサミ・
ストリート」が、学校教育の準備のために幼児に対する早期リテラシー教育として生まれた。こ
れは「恵まれない環境にある就学前の幼児に対して、知的文化的発達の促進を補償する」という
目的を掲げてアメリカで出発した番組であり、基本的リテラシ―のスキルに関して高い成果が見
られたとある。
日本におけるリテラシー問題も深刻なのではないかと思った。現在発達障害の子どもが二割と
も言われているのである。読み書き困難一割、怒り・抑うつ・不安の抑制困難一割、ということ
らしい。こういう子どもたちには健常児以上にきめ細かな教育プログラムが必要であるはずなの
に、現段階ではまだ極端に貧弱である。彼らとて将来大人になり自立して生きていかねばならな
いのだから、社会的存在へと教育されなければならないはずである。子育てがこれほど難しい時
代がかつてあっただろうか。
アメリカやフランスにおける恵まれない環境にある子どもとは、大方貧困家庭をさしているが、
今日の日本ではどうであろう。幼児の時から指で簡単に操作できるテレビやゲーム、マンガなど
が周辺に溢れ、文字に触れなくても、手をそれほど使わなくても、退屈することなく遊ぶことが
できる。そして画像や絵でストーリーを追えるので、イメージ力も、仲間との関係も、言葉での
やりとりも必要ない。こういう環境が子どもの心を豊かに育てることなどないし、発達障害の子
どもが増えるのは当然だと言える。発達障害とは「コミュニケーション能力」「イメージ力」
「社
会性」の障害を言う。――障害とは「みだれ」
「不調」「異常」という意味――
またゲームなどの影響だけではなく、現代の子どもたちの生活経験は質も量も極端に少なくな
った。危険が多すぎて戸外で心おきなく子どもだけの集団で遊ぶことが不可能になったことも大
きいだろう。貧困家庭ではないのに、子どもの精神的日常は貧困極まりない状態である。子ども
は、両親が読書する姿を見たり、絵本を与えられたり、本を読んでもらったりして、文字や書物
というものが何であるのか、書き言葉には普段の話し言葉とどんな風に違った調子があるのか、
といったことを、身体に染み込ませながら自然に体得していくものである。このこととリテラシ
ーとは決して無関係ではないと私は思う。
ハーシュが言うように、子どもが将来大人として「意味ある生を生きる」ために、リテラシー
「第四学年の壁」で挫折することなく、第四レベルに達することができるよう、私たちは子ども
一人一人にとにかく精一杯の念いを語りかけ、私たちが知っている全てを伝達し続けよう。そう
することが、子どもの精神世界を少しでも豊かなものにしていくのだと信じて。
今後も活動をご支援ください。
勁草学舎主任カウンセラー・親子マンボウの会代表
井澤真智子
親子マンボウの会のページ
発達心理学なんて大嫌い
私は、大勢の生徒同士が争う偏差値教育の真っ只中に、中学生・高校生時代をおくった。
○○大学に入って△△先生の講義を受けたい、師事したい、という崇高な気持ちなんて全くなか
った。大学は、レジャーランド化の真っ最中で、○○大学は、こうこうこれこれの教育方針であ
る、そしてこういう授業があるというような現在のシラバスにあたるものなんてなかった。とい
って、自分で調べてみようという気持ちもなく、大学を出てから、どういう職業に就くのかとい
うことも考えたこともなかった。ただただ、今現在の自分の成績で、偏差値が少しでも高いとこ
ろに入りたい、という愚かな気持ちで、大学受験勉強をしていた。だから、家の経済事情もわか
ろうとせず、とりあえず苦手な理数系の勉強を省くということで、私立大学を受ける、と決めて
かかっていた。
それは、ある意味、区で定められた公立中学校がとんでもない不良の溜まり場で、小学校を卒
業して気づいたら、友達は、皆私立か越境して他の公立中学校に行くことになっていたというあ
のなんとも言えない気持ちへの復讐だったのかもしれない。復讐?
誰への?
「うちにはお金
がない」と越境で他の区立中学校への路も考えてくれなかった母へ。中学校に入ってすぐに毎日
「あと○日で、この学校を卒業できる」と心の中で祈り、毎日毎日朝から暴力事件が起こる、今
なら絶対に刑事事件になるであろう生徒のとんでもない行為を叱ることもできない先生と呼ばれ
る大人への復讐だった。12 歳から 15 歳の貴重な時期は、とにかく早く過ぎ去って欲しいと願う
ばかりのボロボロの時間だった。
復讐へのエネルギーで、某有名私立大学に入学したものの、私をかわいがってくれた父が亡く
なり、勉強する意欲が失せた。偏差値は高かろうが、マンモス校の大学は、何百人という学生を
収容する教室で(しかも聴講する学生を収容できない教室で、試験になると立ち見になる)
、私語
が飛び交う中、淡々と進む授業は、全くつまらなかった。授業をとるにも抽選ばかりで、取りた
い授業も取れず、単位の計算もよくわからない私にとって(しかも父の死後は母の店を手伝って
いたのでなかなか学校には行けなかった)、いつ留年するか、辞めてしまうかわからない、まるで
コンクリートの塀の上をそろりそろりと歩くような日々を過ごしていた。
低空飛行ながらなんとか大学を卒業し、小さな会社に入ったものの、仕事に慣れるより前に会
社の人間関係でぺたんこになった私に、姉と今は亡き義兄が、
「もう一度勉強したら」と、大学へ
誘ってくれた。今度こそ「勉強したい」という気持ちで、ある大学の大学院の研究生となり、授
業を受けることとなった。私は、母とのいろいろな葛藤もあって、「心理学」を学ぼうと思った。
心理学というと、どうも、犯罪心理とか、臨床心理とか、ある分野だけが、クローズアップさ
れてしまうが、その範囲は、ものすごく広い。動物実験もやるし、統計学も学ばねばならない。
理数系の勉強を今までちゃんとやってこなかった自分を恥じた。
私が特に大嫌いだったのは、「発達心理学」だった。発達心理学を学ぶと、いろいろな事例で、
「不可逆性」という言葉を学ぶ。つまり、幼いころに学習したことは、後で、修正することがで
きない、ということである。20 歳をとっくに超えた私に、
「修正できない」と言われるようなも
ので、学べば学ぶほど絶望を感じた。
アメリカのハーローという著名な学者の有名な実験に「アタッチメント(愛着)」の実験がある。
赤毛サルを使ったものである。一匹のサルに二人の代理母が与えられる。片方は、哺乳瓶がつい
ているが、針金がまきつけられた母。もう一方は、哺乳瓶がついていないが、毛布がまきつけら
れている母。赤毛サルが、どちらを母として、慕うか、という実験である。結果は、針金母のと
ころには、お腹がすいたときだけ、行き、後は、毛布の母にだきついていた。そして、何か、新
奇な場所に連れていかれても、毛布の母がいれば、その母を安全基地として、少しずつ行動する
ことができたが、針金母では、そのようなことは、できなかった。これも、不可逆性があり、こ
のような母たちに育てられたサルは、大きくなっても、サルの社会に溶け込めなかった。
(このよ
うな、サルをどのようにして、社会性のあるサルに変えていくか、なんて、研究の視野には、入
っていなかったのだろう)
でも、こんなことを、今更、学んでどうなるのだろう?
どもは、もうどうしようもない、ということか?
針金サルのような母に育てられた子
私は、母からこれまで本当に一度もほめられ
たことがない。母はとにかく「怖い」存在で、そんな母に毛布のような暖かさを感じたことは一
度もない。そんな私というひとりの人間に、
「あなたは、もうだめよ」と言われたようで、それか
らどうしていいのか、悩みばかりが増えていくだけだった。
こんな勉強から、私の勉強しなおしは、始まった。
(M.M)
メンタル・ボランティア研修講座を終えて(10 回)
たまたま
「リビングマロニエ」という新聞を読んで、この講座のことを知り、申し込んでみ
る気になりました。もっと早くこの会のことを知っていたら、息子との関わり方も少しは違った
ものになったのではないかと悔やまれます。
この講座を受けて、私自身の生き方や子育てに対する反省が生まれました。
息子を自立させるための準備や親としての覚悟を持ち合わせず、ただ自分勝手な枠組みにあて
はめていました。一人の人間として息子を受け入れるのではなく、自分の傲慢さを押し通すもの
だったのです。そのため過保護・過干渉な子育てになっていました。それは息子にとってありが
た迷惑であったでしょう。
井澤先生がおっしゃっている「自分と照らし合わせて聴いていますか。知・情・意をよく見て、
情の部分が動いていますか。」との常々の問いに、ただ混乱し、戸惑うばかりでした。知識、内容
をキャッチする思考力、判断力、洞察力がまるでなかったので、自分の問題として消化しきれま
せんでした。これでは、息子の中で起こっている事実を受け止め、息子に寄り添って原因を探る
作業などできるはずがありません。問題だったのは息子ではなく、私自身だったのです。
そのためにも意識力を高め、行動へとつなげる知・情・意・を豊かにし、自分自身の人間性を
深め、自立し、自信を持ちたいと思います。そのための「学ぶ」ことの大切さを知りました。今、
私に何ができるかと考えると、積極的に講座を受けるしか何も始まらないと強く思いました。
そして、講座が進むにつれて、どうしても大学生の息子と向き合わないと新たな一歩が踏み出
せないと強く思い、講座の十回目終了後(八回目終了後も試みました)、「本当にごめんなさい。
お母さん、傲慢だったね。自分が正しいと押しつけてばかりだったよね。その時々、自分の思い
を叫びたかったでしょう。」と申し訳なさで涙が溢れていました。そんな私に,息子は鋭い目つき
で私を凝視し、一言も発せず、ただ沈黙だけでした。この沈黙は「何を今さら」と言っているよ
うに感じましたが、なぜか私の気持ちは軽くなっていました。
その後息子はいつもと変わらない様子ですが、そんな息子に対して、あれほど気になっていた
マイナス面が気にならなくなり、息子自身をまるごと受け入れられるようになりました。嬉しか
ったです。
井澤先生がおっしゃる「今私が死んでしまっても、息子も娘も困らないでしょう。」という言葉
は私にとって衝撃的でした。
「どう生きてみせるか」を実践されていらっしゃったからです。私も
そうなりたいと心から思いました。この言葉を息子に伝えました。「うん。すごい。」と、じっと
考え込んでいる姿を見て、今のスタートに立ったと実感しています。
学生の時から何十年ぶりでしょうか、表現力、思考力がないと知りながらも、次に進めないよ
うな気がしたので引き受け、とても苦しかったのですが、しかし、この文を書き終えて自分を見
つめる、きっかけとなり、よかったです。
「親子マンボウ」の会に出会えて感謝しています。
(T.S)
中学生との毎週金曜日 6 ヶ月間の宿泊を振り返って想うこと
私の長男は、現在 22 歳で千葉の外房で、酒屋のアルバイトをして自活している。その長男や今
年大学生になった次男が中学生だった頃を思い返しながら、この半年間の宿泊をとおして、その
当時の私はどうだったのかと、自分自身と対話を繰り返していた。
特に、長男が中学生だった頃の私は、仕事のプレッシャーに押し潰され、4 年間抗うつ剤と睡
眠導入剤を服用し、子どもたちや妻のことを考えられない状態であった。あの頃の私に対して、
現在の私は、
「S、何やってんだ。お前がそんな状態で、息子たちが、精神的にも伸び伸びと成長
出来ると思うのか。お前は、それでも父親か。本当に今がシンドイと言うのなら、井澤先生との
カウンセリングを、もっと真剣に、もっと積極的に、繰り返し繰り返し、決して諦めずに取り組
め」と叱咤激励する。
私は、この 6 ヶ月間一緒に宿泊した中学生たちと、仲良く遊ぶというよりも、
「深夜 2 時を過ぎ
て、いつまでもゲームなどせずに早く寝よう」
「宿題をやろう」「携帯電話で友だちとメールして
寝不足にならないでね」と、いつも現実の子どもたちの想いとは、逆のことを言い続けてきた。
このことは、その子に今必要なことだと、私は確信している。ただしかし、子ども自身が自覚す
るチャンスを奪っているのではとの自問もある。
修学旅行気分の、週に一度の宿泊では、昼夜逆転の子どもたちの生活習慣を改善することなど、
到底不可能なのではないかと、少々気落ちするほどだ。最近の私と中学生たちは、深夜の小型ゲ
ーム機器との戦いで、なかなか眠ることが出来なかった。
「寝不足では、明日の勉強が捗らないよ」
「勁草に泊まって寝不足では、勁草に泊まる意味がないよ」と、まさに「砂漠に水を撒く」よう
な、
「暖簾に腕押し、糠に釘」状態であった。まるで小学校 3 年生か 4 年生を相手にしている感覚
に囚われてしまう。
「勉強よりも遊びが優先」
「やりたくないことは取り組まなくてもよい」
「面倒
くさいからやらない」との考え方は、明らかに本人の責任と言うよりか、本人が幼い頃からの、
周囲の大人の責任が遥かに重大である。そして、今現在の親御さんをはじめ、私たち大人の責任
である。
一日も早く、これらの生活習慣を改善しないと、後々子ども自身が苦労することとなる。だか
らこそ、会報読者の皆さまのご協力をお願いします。皆さまの力が今必要です。この子たちの昼
夜逆転を中心とした生活習慣を改善するためには、一週間に一度の宿泊では効果が到底望めませ
ん。連続一週間以上の宿泊指導が是非とも必要です。
そこで、親子マンボウの会の大人たちが力を出し合い、手分けして連続の宿泊指導を実現した
いのです。何卒、皆さまのご協力をお願い申し上げます。
(おやじの会
Y. S)
..
真のリラクセーションのススメ
勁草学舎主任スタッフ
伊藤嘉樹
リラクセーションブーム
世の中は、かつてないほどにリラクセーションのブームを迎えていると言ってよいだろう。整体や
マッサージ、鍼灸という古典的なものから、アロマテラピーや足ツボを刺激するリフレクソロジー、
また、ヨガを現代的にアレンジしたピラテス、最近ではロハス(LOHAS:Lifestyles Of Health And
Sustainability)と言うライフスタイルまで含むようなものまで出ている。こうも多種多様にあると、
いったい何から始めればいいのだろうと疑問に思うのも当然である。中には新興宗教の勧誘窓口とな
っているものまである。リラックスしようと思っていたのに、知らない間に宗教活動をしていた、な
んて笑えない話もありうるのだ。
現代のリラクセーションの限界
―対症療法の繰り返し―
さて、このように百花繚乱の風情のリラクセーションだが、私は一つ疑問に思う事がある。単刀直
入に言うと、ほとんどのリラクセーションが他律的であるという事だ。他律的という意味は、他者の
誰かにサポートしてもらうという事だ。別の言い方をすれば、自分から主体的に、能動的に問題を解
決していこうという姿勢ではなく、受動的(受け身的)なのだ。もちろん、どうしようないせっぱつ
まった状況であれば、最初のうちは誰かに何とかしてもらわなければどうにもならない場合もある。
しかし、延々と受動的に続けていく事は、その人にとってどういう意味を持つのだろうか。苦しくな
ったら、いつまででもリラクセーションの専門家にお世話になるのか?
今の苦しい状況を少しでも楽にするためにリラクセーションを、という気持ち自体は分かる。今の
苦しさから逃れるという即時性においては、とても有効だからだ。しかし、それはあくまでも対症療
法である事を忘れないで欲しい。対症療法とは、その病気の根本原因には触れずに、病気によって生
じてくる症状の発生を抑える治療を言う。したがって、対症療法をすれば症状が出なくなるので、一
見、病気が治ったのではないかという錯角すら覚える事もある。例えば、熱が出たときに、熱の発生
原因である細菌に攻撃を加えるのではなく、熱を抑える「熱さまし」を服用するのは、対症療法の典
型例だ。熱さましで熱が下がれば楽になるが、大元の原因である細菌には手付かずの状態だ。
これと同じ事が、一般的なリラクセーションでも起きているのだ。例えば、肩や首のコリがひどい
ので、マッサージをしてほぐしてもらうとしよう。コリは筋肉の固さなので、ほぐしさえすれば楽に
なりやすい。楽になれば心身ともに動けるようになるので頑張れるが、いずれまた固くなり苦しくな
ってしまうというサイクルを繰り返す。実は、この根底には大きな問題が隠れている。それは、その
人特有の意識の仕方や、からだの使い方にこそ問題があるのだ。そこに根本原因があるので、同じ症
状が繰り返し表れる。根本が解決されない限り、症状は消えない。能動的に、主体的に自分の問題点
にメスをいれない限りは、永遠に繰り返すしかないのだ。
対症療法から原因療法へ
勁草学舎では、上記のような問題意識から、一時的(一次的)な対症療法にとどまる事なく、その
先を見据えた原因療法としてのリラクセーションを目指している。その人個人の無意識の領域にまで
踏み込んだ、根本的な治療だ。リラクセーションは、それまでの「自分のゆがんだ考え方、生き方、
姿勢をとらえなおし、本来の自分を取り戻し、よりよく生きるための方策を導き出す方法」
(成瀬悟作 著
「リラクセーション」講談社ブルーバックス)なのだ。
ただし、多くの場合、従来の意識や姿勢の方がなじんでいるので、変える事に対してとても強いブ
レーキ(抑制や抵抗、反発)がかかるケースが多い。あるいは、懐疑心が強すぎて信じる事ができず、
行動に移れない人もいる。大人になればなるほどこれらの傾向は強く、心身の解放は遠いものになる。
悪しき習慣に慣れ親しんだ時間が長ければ長いほど、本来の自分の能力を発揮しにくくなってしまう
のだ。
何はなくとも早期発見・早期治療!
早い段階での治療・介入が可能な場合は、ここまで面倒ではない。単純に一時的(一次的)にから
だをほぐし、楽になった感覚を意識させ、常にその状態を保てるように日常的なリラクセーションの
技法を教えて実施していけば、かなりの割合においてその後の経過は良好である。
最近、幼児あるいは小学校低学年の子ども達に対して、たまたま連続して2~3のケースに関わっ
た。いずれも効果が早く出た上に、その後も良好だ。もちろん、まだ小さいので、親御さんの協力が
得られやすいという事も影響しているだろう。何と言っても、悪しき習慣が完全に身につく前に修正
し、継続できるという本人達の柔軟性が大きいように思う。
子ども達のためにも、大人自身のためにも、現代のストレス社会を生きるためには、リラクセーシ
ョンはますます重要になってくると思われます。少しでも早い「気づき」と「よい行動の習慣化」の
ために、リラクセーションを体験してみて欲しい。
自律訓練法のご紹介
勁草学舎で最も力を入れて指導しているのが、自律訓練法。これは腹式呼吸を中心としたリラクセ
ーション法/自己コントロール法であり、いつでもどこでも実施できるという優れモノだ。ただし、
その極意を体感できるためには、多くの場合かなりの努力と時間が必要になるので、多くの方が途中
であきらめてしまうところが弱点。だから、気長にテキトーにあまり気合を入れないで、効果を期待
しないでやる事がミソである。
きちんと行うと、集中力が増したり、アガリを解消したり、ストレスの発散や自己コントロール力
の増大に効果があるので、受験勉強などには覿面である。
【準備】
① ベルトやメガネなど、からだをしめつけるようなものは取りのぞきます。
② いすに腰かけ、脱力します。からだのどこにも無駄な力が入らないような座り方です。
③ 軽く目を閉じ、何も考えないようにします。
①にプラス!
腹式呼吸になるように、おなかを膨ら
【さぁ、本番!】
① 鼻からゆっくり息を吸います。肺の深くまで入れましょう。
② 息を深く吸ったら 1~2 秒ほど止めて、その後口からゆっくりと
はきます。吸う時の 2~3 倍の時間をかけられると理想的です。
④こんなイメージです
③ 息をはく時に、頭→首→肩→腕→全身の
ませて息を吸うと、より効果的です。
③にプラス!
気になっている事やイライラしている事
などを、息と一緒にはき出します。
順に脱力します。
④ 何も考えないで、好きな絵や風景などを思い浮かべ、
「落ち着いている」と唱
えつづけます。
⑤ 上記の一連の動作を 5 分程度つづけたら、手を握って力を入れる・ゆるめる
という動作をゆっくり 5~6 回繰り返し、リラックスした状態から覚醒します。
寝る前や、なかなか集中できない時に行うと、意識がすっきりして、課題に対して前向きに取り組
めるようになります。すぐに効果は体感できないかもしれませんが、毎日継続してください
編集後記
●この会報は勁草学舎のホームページに掲載しておりますので、文章等投稿していただく際、ご希望
があればお名前をイニシャルで記入させていただきます。お申し出ください。
●発送を郵便からメール便に切り替えたため、転居、部屋番号不明などで返送されるケースが出てき
ました。未着、お引越しの際にはご一報いただけると助かります。
●新冊子を発行するに当たって、基本的にはこれまでの「親子マンボウ」、
「虹」の内容と大きくは変
えておりませんが、今後ますます役に立つ誌面作りを目指していきたいと思いますので、内容に関
するご意見やご要望がありましたらどしどし編集担当までお寄せください。
●創刊号の表紙は T.Y さんです。T.M さんの長女です。今春美術大学に合格されました。大変な頑張
り屋さんで、お父さんも、お母さんも、このお嬢さんに鍛えられたのだろうと勝手に思っています。
娘とはありがたい存在で、親を本物の親に育ててくれると井澤も捉えています。どうぞ皆さんもお
嬢さんと闘ってください。(編集)
「
昴
」
発行人:苅草
創刊号
国光
2006 年 4 月 25 日発行
発行:日本適応指導教育研究所
〒110-0015 東京都台東区東上野 3-9-5 勁草学舎内
電話:03-3834-5596
FAX:03-3834-5063
この冊子は日本適応指導教育研究所の活動に賛同していただける方、
また子どもの問題で悩んでおられる方々に無料でお届けしています。
ご希望の方は上記にご連絡ください。
勁草学舎
〒110-0015
東京都台東区東上野 3-9-5
電話:03-3834-5576
FAX:03-3834-5063
URL:http://www.keisou.jp/
メールアドレス:[email protected]
親子マンボウの会
〒110-0015 東京都台東区東上野 3-9-5 勁草学舎内
電話:03-3834-5633
親子マンボウの会
FAX:03-3834-5063
代表
井澤真智子
※親子マンボウの会は 2008 年 11 月に活動を終了しました。
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