2005.2新春号 - J:com

三
三鷹
鷹
物
語
物語
三鷹市建築家の会:三鷹市に在住・在勤の建築関係者で構成
我々は環境にこだわる COMMUNITY ARCHITECTS
2005.2
第 28 号
新春号
国分寺散策 「万葉植物園の紫草 と 国分寺のハケ」
翠
晴
親
昨年11月14日(日)、国分寺周辺のまち歩きに参加しました。この散策は、市民グループである「みたか紫草
復活プロジェクト」<注 1>が開催したもので、「三鷹市建築家の会」の 11 月例会を兼ねて参加しました。両会に所
属し、この散策を思いたったのは、万葉集に詠まれた歌に在る植物が集められた武蔵国分寺の万葉植物園に
「紫草」があるということと、貴重な自然が残された日立製作所中央研究所の庭園開放日が年に2日だけというこ
とで、三鷹の自然とはきっても切れない、紫草と野川の源流の湧水探訪を兼ねたものでした。当日は、天気も心
配されましたが、「みたか紫草復活プロジェクト」、「三鷹市建築家の会」の両会総勢17名でJR国分寺駅を出発
しました。
まずは、日立製作所中央研究所へ。春と秋の2日のみ開放の中央研究所は、緑が残る武蔵野にあるとはいえ、
一歩正門の中に入ると、そこは全くの森の中。渓谷を思わせる川のかなり上に架かる橋<写真
1>を渡り、研究所
棟を右に見て大池へ。研究棟のたたずまいは、昔、学生の頃に見た建築史の本の一部を飾っていた写真を思
い出させました。(たぶん、建物がそう思わせたのではなく、ゆったりとしたアプローチと周辺の自然がそう感じさ
せたのでしょうが)。起伏のある所内は、グルッと見渡しても、外の喧噪は感じられません。大池<写真
がら,湧水の源へ<写真
2>を巡りな
3、4、注 2>。今年は台風等、雨が多かったこともあり、水量は豊富ということでしたが、かな
りの量がわき出ていたことには驚きました。井の頭公園の湧水が枯れてしまったのに比べ、自然が残っているこ
とを実感しました。御衣黄桜(ギョイコウサクラ)<注 3>はスッ飛ばしてしまいましたが、年に2回咲く十月桜(ジュウガツザ
クラ)の小さな花を見ることができました。
←写真1
写真2
(田中撮影)
写真3→
写真4
国分寺の崖線を思わせる起伏のある道を南行き、西行きし、真姿の池へ<注
4>。以前に車で崖線の下、南側
からアプローチして訪れた時とは、また違った風景を見ることができました。人工的に造られた急な階段ではあっ
たものの、上からおりてアプローチするのと、単に下から見上げるのとでは、大きく印象が異なりました。北からの
平坦路を歩いて、森の中の急に落ち込む崖をおりての道程は、よりハケ(崖線)を印象づけるものでした<写真 5>。
このハケ下の湧水も、人の生活の場としての関係持つように、お鷹の道<写真
6、注 5>となり、中央研究所の湧水
と合流し野川となっていきます。
最終目的地の万葉植物園へ<写真7、注
6>。万葉の植物にそれぞれ案内札がついて、歌が書き込まれています。
紫草は、本堂右手の小径の脇に鉢植えで、すぐに見つかりました<写真 8>。背丈 80cmぐらいで、時期的には枯
れるちょっと前で、緑の葉が少し残っていました。和種か洋種かで議論にもなりそうですが、生憎、私にはそれを
判別できる眼力がなく、出生は福知山からのものという話もありますが、まだ解明していません。本堂左手奥、小
山の中にも万葉の植物があり、入り口前に、これから先は蚊に注意の看板。一つ一つの歌と植物を確認していく
には、一日時間をかけても無理かもしれません。この後、お鷹の道を散策し、中央研究所からの流れとの合流点
<写真 9>を経由して、この散策を終了しました。流れの合流点は、車だと、一瞬にして気づかず通過、歩くと多く
の発見があることを再認識。
1
以下の<注 2>以降は日立製作所中央研究所HP、国分寺市 HP からの抜粋
<注1>
<注2>
<注3>
<注4>
<注5>
<注6>
三鷹の「地域ブランドの会」が母体となって、昔は自生していたという、三鷹にゆかりのある「紫草」
(ムラサキと読む)
を復活させようという市民の会。
「三鷹市建築家の会」の大森、翠が参加している。紫草の根は紫色の染色材料で、井の
頭公園の湧水で染めた「江戸むらさき」が江戸時代には人気を集めた。井の頭弁財天参道(大盛寺横)には、当時の薬問
屋等から寄進された紫燈籠が現存する。
構内には古多摩川の侵食によってできた国分寺崖線(通称:ハケ)があります。ハケから涌き出る湧水は、国分寺から世
田谷区内まで流れ込む野川(全長 20 ㎞、一級河川)の源流の一つとして有名です。湧水量は、冬から春にかけて減少し、
夏から秋にかけて増加します。降水量も影響しますが、冬から春の芽咲き時には、まわりの木々が沢山の水を吸い上げる
からだとも言われています。構内でも多い時には一日に約3万 t もの水が涌き出るそうです。
「御衣黄(ぎょいこう)」は、開花期は4月中旬、サトザクラ系に属し、珍しい黄緑色の八重の花を咲かせます。一説に
よると、江戸時代初期に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとのことです。花弁に葉緑体や気孔がある、大変個性豊か
な桜です。
嘉祥(かしょう)元年(848)、絶世の美人といわれた玉造小町(たまつくりこまち)が難病で苦しみ、治療の効なく「仏
さまのご慈悲にすがっても」という深刻な心情で武蔵国分寺を訪れました。 薬師(現国分寺本尊)の宝前にぬかずき、
精魂かたむけて祈りつづけること21日目、ひとりの童子が突然あらわれ、小町をとある池のほとりに誘い「この池水に
て からだを洗うべし」といって姿を消してしまいました。この仏さまのご慈愛によって小町の難病はなおり、元の美し
い姿になりました。このことから、この池を真姿の池といい、弁財天(べんざいてん)が祭られています。
江戸時代寛延元年(1748)より国分寺市内の村々は、尾張徳川家(おわりとくがわけ)の御鷹場に指定され、慶応3年
(1867)に廃止されるまで、村人の生活に多くの影響を与えていました。崖線下の湧水を集めて野川にそそぐ清流沿いの
小径を地元ではいつの頃からか「お鷹(たか)の道」と呼ぶようになり、現在は遊歩道として整備され、真姿の池などと
ともに市民に親しまれています。
史跡武蔵国分寺跡(国指定)を訪れる人々に、この寺が栄えていたころに編さんされた「万葉集」より、当時の歌人達
が好んで歌の題材とした植物を集め、国分寺創建のころの生活や文化、思想を知る一助にと、元国分寺住職・星野亮勝氏
が昭和25年に計画し昭和38年まで、13年かかって採集したものです。 現在約160種の植物が集められています
が、これらは当地で栽植可能な限りの万葉植物を集めてあります。 又、万葉植物には異説が多いので、異説のある植物
はつとめて同じ場所に植えてあります。
写真 5
写真 6
書評−11:
東京遺産
写真 7
写真 8
写真 9
耕田久朗
新潮社)することはわれわれに想像力をかりたて、そ
森まゆみ 著
の構想力に魅入ってしまう。保存運動にも、理屈がな
(岩波新書)
く日頃の活動=著作活動に通じるものがある。運動
ヘ リ テ ー ジ ( Heritage ) と オ ー セ ン テ ィ シ テ ィ
の仕方とは、1)保存したい有志で集まり、2)よびかけ
(Authenticity)という言葉が、保存に値するかどうかの
る人(発起人)を募る、3)運動の趣旨、保存物件の大
判断基準である。ヘリテージとは「民衆の美意識を形
切さを資料、パンフレットをきちんとつくり、普及するこ
成し、磨きあげるもの、壊しては二度とつくりえないも
と等々である。
の」と著者はいい、都市の風格の有無の基準といっ
鈴木博之は前提書で「保存は活用計画なしに成
てもいい。その基準から見ると「守るべき一線の判断
立しない」、「保存あっての活用」と述べており、稲垣
基準」がオーセンティシティ(「現代の建築保存論」鈴
栄三は「文化遺産をどう受け継ぐか」(三省堂)のなか
木博之。王国社)という。
で妻籠の例をあげ「優れた遺産はつねにまちづくりの
かつては著者の住む谷中という地域は「役所の政
拠点としての力をもっており・・・・、保存にはきちんと
策に異議を唱えるものは反対分子にされてしまう」
位置づけをし、しっかりした方法論がないとダメ」と説
という古い土地柄だったが、雑誌「谷根千」の発行、
いている。
谷中学校の存在が「なぜ残すのか」についての一つ
建築物の保存、活用の相談の持ち込み先が行政
のヒントとなる。著者は主婦だと言いながら、これでも
(役所)の場合のむずかしさは「サトウハチロー記念
か、これでもかと資料を集め作品を発表(「鴎外の坂」
館」で失敗した一例として紹介され、持ち込まれた役
2
所が“残してやる”と感じさせるような“ふんいき”をもっ
書評−12:
ていたり、逆に政治性を少しでも感じさせるような要
都市再生のデザイン
耕田久朗
大西隆 編著
(有斐閣刊)
望や、経済的な思惑があったりしたら、行政から無視
本書は地方自治体が主体的に企画する政策のシ
される。
安田邸の保存について遺族が敷地内の一区画で
ナリオを意図に編集され、政策立案する際のヒントと
住み続けられるように、相続税のことや、民間に売却
基本的な視点が分野別に把握されることを目的とし
したら建物は壊されマンションが建つから、そうならな
ている。その分野とは
いために、日本トラストへの寄贈話など遺族の信頼が
Ⅰ 分権と自治のデザイン
あったればこそ、ここまでできるのであろう。大河直躬
Ⅱ 都市再生のデザイン
千葉大教授は建築史家の立場から積極的に助言、
Ⅲ 持続可能な地域社会のデザイン
応援したが、教授の話では文京区も、都も買い取る
Ⅳ 自立した地域経済のデザイン
資金がなく、断られたと聞いたことがある。
Ⅴ 創造的なコミュニティのデザイン
Ⅵ ユニバーサル・サービスのデザイン
保存、活用するための費用を考えると、再開発へと
である。本書は「新しい自治体の設計」全6巻のうち
単純に発想してしまう。
の第Ⅱ巻にあたる。
上野駅の建て替え計画はその例である。JR 東日
「再生」といっても保存か、保全か、復元かのいず
本は平成元年(1989 年)青写真を示した。地上 67 階、
地下 5 階、建物高さ 300 メートルというもので、直営の
れの意味でもなさそうである。「積極的に都市をつくり
ホテル、デパートあり、シアターと何でも揃っている。
変えよう」という意味に「先取り」されているようである。
著者は「こうしてある日突然計画が示され、そのときは
その先取りはどんな時代を想定しているのか。変化
何も意見や要望を述べる隙間がない」と指摘する。当
の方向は、どんな都市に向かうのかがはっきりしなけ
の建築家(設計者)はなんと発言したか。事業者の発
れば超高層ビルが立ち並ぶことだと「変化を単純化」
言であって、とても市民権を得られるような内容では
してしまうであろう。
先取りの時代の変化の一つの論拠として人口問題
なかったと記憶している。
大谷幸夫は中曽根内閣の国有地払い下げに関連
研究所は戦争の終了時 7500 万人から 2007 年 1 億
して「都市計画の身売り、冒涜だ」と発言したことに建
2780 万人へと 5280 万人増加し、このピークから 40
築学会や諸団体は一歩も動かなかった。
年後の 2050 年には 1 億 50 万人へと減少すると予測
フランスの哲学者フーコーは「市民にとって公共的
する。ところが 2025 年には一人暮しが現在の 2.2 倍
建築でさえ閉鎖的な病的状況をつくったために・・・・
の 680 万世帯、75 才以上では 3 倍の 422 万世帯へと
都市計画が不毛の都市を造りつづけ」、「市民の感情
「孤独な老後」(2003.10.17 朝日新聞)になるとすると、
表現を下劣なものとして蔑みすぎて・・・・」(「監獄の
今後の都市問題は「インフレ型都市政策」から「デフ
誕生―監視と処罰―」新潮社)と述べていることと連
レ型都市政策」へとその「転換期」にあり、「都市再生
なっている。
の意義」は都市の「自然・環境の再生」でなければな
らないと著者は指摘する。
経験豊富な著者をもってしても、これから「悩みつ
「都市再生特別措置法」による都市再生政策の行
づけていく」ことだろう。保存と活用はどのような事柄
方は転換期にさしかかった都市の理念(グランド・デ
なのかを具体的な建物を通して教えてくれる。
ザイン)を示すことができてないという意味で著者は
かつて会の仲間と谷中・根津・千駄木のまち歩きをしたこ
「都市再生法」は理念なき都市政策であり、法案審議
と(故河合さんの案内でした)や、建築学会などのメンバ
の場で意見を求められ「・・・・敢えて目をつぶった見
ーで谷中めぐりの後、森まゆみさんと居酒屋で保存問題
通しの暗いもの」と述べ、まさに「東京のしゃれた街並
に怪気炎をあげたことを思い出しました。
みづくり推進条例」(2003 年制定)のその「しゃれた」
(広報)
内容は何だったのか。東京都環境アセスメント制度
3
ルーテル学院大学(旧名:神学大学)については、
の緩和(建物の高さ 100m以上を 180mに、延べ床面
積 10 万平方米以上を 15 万平方米に)は超高層化を
三鷹物語 12 号で紹介していますので校舎の外観な
促進する偏ったものになっていると指摘する。
どはそちらをごらんください。
都市再生とはアメリカ、イギリスの実例をあげて地
今回は内部を見学でき、光の取り入れ方に感心し
方優先させ、それに見合う政策手段がとられるべきで
ました。廊下の突き当たりには必ず窓がある、トップラ
あり、J・ジェイコブスが指摘するように都心部のマイノ
イトの光をたくみに下へ落とす階段の工夫(ほとんど
リティのコミュニティを破壊し都市から追い出すための
宙に浮く感じ)、あるいは母の胎内の感覚の安らぎな
「アーバン・リニューアル」制度を批判し、廃止された
ど、村野魔術を堪能しました。
取り壊される木造の職員宿舎ですが、外国人教
経過などを詳細に紹介するのである。
「再生法」は市民参加によって「都市の再生」を図
師を想定しつつ、和風を残す工夫はすばらしいもの
るという条文はどこにもなく、つまりマスタープランに
です。玄関の上がりは最小限に抑え、天井も高から
基づいて定められている自治体の都市計画がマスタ
ず低からず、必ず2方向に窓をとる間取り、明るく落
ープランの変更(市民の合意が必要)なしに変わる可
ち着いた室内、もちろん武蔵野林に開かれた環境は
能性があるし、「再生法」の内容を、さらに関連法規
うらやましい限りです。ロフトもあり当時の材料節約の
(都市再開発法の改正、建築基準法の改正)とのか
構造的工夫(化粧屋根裏?)など、現在でも役立つ
かわり方、自治体の分権とのかかわり方、700 兆円と
ディテール満載です。中には和室を持った住居もあ
いう国公債を抱えているという現実面から、規制緩和
り、堀炬燵用にたたみに切り抜きのあるのもご愛嬌と
に「頼らざるを得ない」という結果は民間資金の導入
いうところでした。村野氏の住に対するこだわりを再
等々の施策となることを指摘する。著者は市民が「知
確認しました。玄関ポーチもすばらしいものでした。
恵による投票、手による投票、足による投票」に積極
また積層の階段を中心にしたスキップアクセスの
的に参加することをわかりやすく説き、また成長管理
棟(RC 造)はモントリオール万博の実験集合住宅を
政策に取り組む姿勢を自治体に働きかける方策も教
想起させるものでした。寄宿舎も窓の小さな城郭風外
えてくれる参考書であり、さらに環境、地方都市、市
観ですが、柔らかな外装で温かさを冬の日に感じま
民参加、災害、犯罪、バリアフリー、情報化社会を、
した。なお、会からの参加者は、高屋、大森、翠、吉
各章にわたってそれぞれ専門の立場から述べられて
留、足立、耕田、富松の7名でした。
いる。
トピックス
ルーテル学院大学見学記
富松太基
1 月 8 日(土)14:00 集合で「ルーテル学院大
礼拝堂内部・光の空間
学校舎・職員住宅見学会」に会で参加しました。
寄宿舎外観
主催は(有)連健夫建築研究室で、新築校舎を建
てるために木造職員住宅を解体する前に、設計
「2005 会展」の日程と開催場所が決まりました
者・村野藤吾の業績を確認しようというものです。
9月1日(木)∼4日(日)
三鷹市芸術文化センター
です。
なお、8/31も会場は押さえてあり準備をします。
今夏は忙しくなりそうです。
関係団体にも賛助の声をかけることを検討していま
階段中心スキップアクセス
す。準備詳細は次号で。
解体前の木造職員宿舎
4