清渓126号

東北大学山岳部・山の会ニュース
清溪 第 126 号
2012 年 12 月 28 日発行
東北大学山岳部 〒980-8576 仙台市青葉区川内 41
東北大学 教育・学生支援部 学生支援課 活動支援係 気付
東北大学山の会事務局〒980-8790 郵便事業(株)仙台支店私書箱 103 号 03 号
http://www.ocean.caos.tohoku.ac.jp/~taav/index.html
【CONTENTS】
◆現役活動報告(2012 年度前期、後期) ................................................................................. 1
夏合宿 剱立山/穂高岳~槍ヶ岳~燕岳 事前訓練から合宿まで/富士山/沢登り講習会/
南八ヶ岳縦走/二口山塊大行沢/月山/磐梯山/山寺/栗駒山/安達太良山 雪山準備/
屏風岳不忘山
◆寄稿 .................................................................................................................... 11
大学山岳部に入って
◆紀行 .................................................................................................................... 12
御嶽山縦走/左衛門小屋整備山行記
◆報告・お知らせ ........................................................................................................ 15
2012 年度ヒュッテ祭の報告/東京支部 秋のハイキング会報告/関西支部 秋のハイキング報告/
幹事会日誌/山の会会費についての連絡/永久会員資格を保留して会費を納入して下さっている
会員に関して/基金係より/東北大学山の会会報 16 号発行について/会員の個人山行抄
◆案内 .................................................................................................................... 22
2013 年度山の会総会予告/平成 25 年度志賀高原スキーの集い/OB 合宿のご案内
◆会員の異動 ............................................................................................................ 22
◆訃報 .................................................................................................................... 23
◆編集後記............................................................................................................... 23
◆巻末 「登山家葛西森夫の生涯②」 .................................. エラー! ブックマークが定義されていません。
◆現役活動報告(2012 年度前期、後期)
◇◇◇夏合宿 劔・立山◇◇
8 月 6 日―10 日
8 月 7 日(火)曇
7 時 45 分のバスで富山駅から室堂まで向かう。バスは、
50 人ほど乗れそうな大型バスだったが、乗客が自分たち
久米、今村、大山、加藤、鈴木
8 月 6 日(月)
のみというまさかの状況であった。バス内ががらがらだと
少し寂しい。
朝 8 時北仙台駅集合。この日は移動日。富山まで、仙
10 時に室堂バスターミナルから出発。雷鳥坂の上りで
山線、山形線、米坂線、羽越本線、信越本線、北陸本線
霧雨が降ったぐらいで、天候は問題なし。ただ、自分が
を乗り継いで、10 時間の鈍行の旅である。富山についた
バテた。自分の荷物が他の人よりも幾らか重かったので、
のは 18 時過ぎ。大した運動をしたわけではないが、なん
自分の装備とした食料の内いくつかをみんなに分配した。
だかんだかなり疲れる。
装備分担を考えた奴が他よりも軽い装備だとカッコ悪い
富山県庁前の公園でテントを張って野宿することにした。
なんて考え、無駄な意地を張ってしまったのが失敗だっ
晩御飯はますのすし。美味しい。県庁前で野宿をすると
たのか。いや、それ以上に自分を鍛えていればこんな無
いうことで、苦情を言われたりするかと思っていたが、生
様なことにはならなかったはずだ。そんなことを悶々と考
暖かい目で見られるだけで済んだ。
えながら、12:30 御前小屋に到着。
清溪 126 号(1)
時間は十二分にあるので 30 分ほどグダグダし、気力を
でうだうだしながら剱岳を眺める。13:30 別山を出発、14:
回復した上で、13 時出発し、13 時 30 分剣沢のテン場に
20 に剱沢のテン場に着く。汗でびしょびしょになったもの
到着。
を洗濯したり干したりした。晩御飯は野菜炒め。タンパク
晩御飯はカレー。久しぶりに芯の残った米と、シャバシ
質を取るためにサトー商会で見つけたパック詰めのツナ
ャバのカレーを食べた。炊飯スキルが必要だと切実に感
を投入した。かなり美味しい。
じた。
8 月 9 日(木)快晴
8 月 8 日(水)快晴
3 時起床。朝食は蒸し焼きそば。結構美味しい。5:10 テ
3 時起床。朝食は前日多めに炊いておいたお米で雑炊。
ン場を出発、まずは立山に向かう。稜線に上がると、程よ
雑炊にすれば芯のあるお米でも大丈夫。4:40 にテン場
く風が抜けて気持ちいい。7:45 分に大汝山に到着。30
を出発、劔山荘経由で稜線沿いに剱岳を目指す。この日
分ほど休憩しながら景色を堪能する。雄山を経て、一の
はいろいろなものをテン場に置いて軽装備だったので、
越まで下る際に、小学生の学校登山の集団 2 つとすれ違
スイスイ登れるかと思っていた。6:10 頃前剱に到着。ここ
う……のは困難なので、小学生の通過待ち大休止をし
の手前はがれた急登だった。7:20 に平蔵のコルで一休
た。
みしてすぐにカニのタテバイ。日大山岳部が設置されて
10:00 頃富山大の観測所前に到着。ここから、激しく上
いた鎖を使って確保を取りながら登っていた。安全登山
り下りする稜線歩きになる。11:45 に獅子岳を通り、12:30
なのは良いが、わざわざロープを出さなければならない
にザラ峠についた時には、昔痛めた膝が軽く疼いてきた
ほど危険ではないし(だからこそ鎖で確保を取っていたの
ので、少しゆっくり歩いてもらうことにする。
だろうが)、そこまで安全でもない所で渋滞を起こしてまで
やるべきことなのかとも思う。
13:20 五色ヶ原山荘に到着。テントを張って、翌日の大
行程に備えてうだうだ休んでいるときに、久米の眼鏡及び
8:20 に剱岳に到着。さすがに登山道はそれほど危なく
コンタクトレンズがないことに気づく。ガレた浮石の多い道
はなかったが、それなりに怖かったので少し気疲れした。
を裸眼で安全に 4、5 日歩ける自身がなかったので、黒部
30 分ほど頂上を堪能し、引き返す。下山道には、やや危
ダムの方へ翌日下山することにする。
なく感じる所もあったが、そこには鉄杭や鎖で安全に通
晩御飯は、スパゲッティ。ソースにツナパックを投入した
れるよう工作してあったので、問題なく下れる。しかし、前
高タンパク食。後日食べようと思っていた果物も食べた。
剱の先でガレた急勾配を下るときは、事故を起こしそうで
それなりに美味しかったらしいが、自分は味がわからなか
怖かった。前剱の周辺では何件か死亡事故が起きてい
った。
たようだが、おそらく下山時に劔の危険箇所を越えたと油
8 月 10 日(金)快晴
断する頃に現れるこの急勾配で事故を起こすのではない
か。
3 時半起床。朝食は棒ラーメン。茹で過ぎたのかまずい。
味覚が戻っていたのが悔やまれる。5:20 テント場を出る。
ただただ山を下り、7:30 平ノ小屋に到着。わんこがいる。
かわいい。ここから黒部湖沿いにひたすら水平道を歩く。
……と思っていたのだが、所々で急登降があり、また道が
崩れているところもあり、転げ落ちても黒部湖に落ちるだ
けではあったがそれなりにスリリングな道だった。荒天時
のエスケープルートにこの道を考えていたが、その場合
にはかなり危険だったかも知れない。
11:00 頃ロッジくろよんに到着。ここから黒部ダムを経由
で、トロリーバスの黒部駅について夏合宿の登山は終了。
アルペンルートを長野方面に抜け、薬師の湯という温泉
に寄って、解散。
剱岳山頂にて
11:00 に劔山荘につく。剱沢まで戻るにはには少し早
すぎるかと思い、御前小屋経由で別山まで行く事にする。
12:55 に別山に到着。時間は有り余っているので、頂上
まとめ
眼鏡の紛失という理由で途中下山することになってし
まい、本当に他のメンバーには申し訳なく思う。せめて、
清溪 126 号(2)
眼鏡とコンタクトを別の場所に入れておくとか、予備コンタ
ット、懸垂下降と登りを繰り返した。穂高に向けての初歩
クトを忍ばせておくとか、色々と取れる策はあったのに、
的な岩場訓練になったと思う。
それが出来なかったことが悔やまれる。また、今回は長期
山行のため、エスケープルートを考えてはあったが、それ
8 月 10 日(金)面白山 晴れ
らの道についての調査が甘かったかもしれない。エスケ
7:15 頃、面白山高原駅。カモシカコースから北面白山に
ープしたがゆえにより危険な目に遭うといったことがなか
向かう。9:30 頃北面白山山頂。天気はよく、山頂付近の
ったとは言い切れないので、次があればこの経験を活か
景色はきれいだった。その後、中面白山をまわり下山した。
していきたい。
11:15 頃面白山高原駅到着。
(久米記)
◇◇穂高岳~槍ヶ岳~燕岳 事前訓練から合
宿まで◇◇
夏山合宿・北アルプス縦走
8 月 1 日(月)面白山 晴れ
宇野、所、増澤
松澤、所、増澤
松澤、宇野、所、増澤
上高地~前・奥穂高岳~槍ヶ岳~燕岳
松澤、
夏合宿で穂高~槍に行く前の訓練ということでまずは面
8 月 18 日(土)
白山に行くことにした。
14:00 頃上高地に現地集合。天候は曇り時々小雨。小梨
7:15 頃、面白山高原駅。南面白山に向かう。8:50 到着。
平のテント場に泊った。ここはトイレ、水を自由に使えるの
偶然、クラスの留学生と出会い、一緒に登ることにした。
で快適。
南面白山からは大東岳に向かう。権現様峠からの山道は
8 月 19 日(日)
山と高原地図では破線のルートである。赤布は割と細か
2:45 頃起床。4:45 出発。外は薄暗く。ライトなしでも歩け
くついていたので大きくルートを外すことはなかったが、
た。7:00 岳沢小屋到着。ここから重太郎新道になる。次
あまりきれいには整備されておらず、歩きづらかったし、
第に傾斜がきつくなる。手を使い始め、ちょっとした岩登り
若干道も間違えた。その上、大東の表コースよりも急登で
っぽい感じだった。それがまた楽しい。10:00 頃前・奥穂
ある。大東岳山頂到着は 11:45。休憩後、表コースから下
の分岐、紀美子平に到着。荷物を置き、前穂山頂に向か
山することにした。所要時間はコースタイム通り 2 時間。
う。30 分程で到着。残念ながら周りは雲で景色は楽しめ
14:00 に秋保ビジターセンターに到着。そこからバスで愛
なかった。写真を撮り、下る。11:30 頃紀美子平を出発。
子駅まで行き、仙台に帰った。今回は約 6 時間半の山行
13:40 奥穂山頂に到着。ここで雨が降り始め、レインウエ
となり、いい予行練習になったと思う。低山らしい癖のある
アを着る。小雨の中歩き、15:00 頃穂高山荘に着いた。山
山行だった。
荘に着く頃には雨も上がり、涸沢ヒュッテがよく見えた。こ
の日は穂高山荘でテント泊。テント泊の人はトイレは何回
8 月 5 日(日) 鎌倉山 晴れ
松澤、宇野
も使用可能だった。夜は晴れて星がきれいだったが標高
7:30 頃、鎌倉山入山。自分が久しぶりということもあり上ま
が上がるとやはり肌寒い。
で歩いて登ることにした。
8 月 20 日(月)
宇野君も経験が浅いため、確保手順等を確認しながら行
3:00 頃起床。5:00 穂高岳山荘出発。涸沢岳山頂にて御
った。クライミングシューズ、登山靴、荷物の有無、トップと
来光を見る。きれいだ。富士山もよく見えた。この先は危
セカンド等条件を変えながら 1 番簡単なコースを 4 セット
険マークのコースになる。鎖場が連続する。登るのはいい
登った。
が下りは若干怖い。慎重に下りる。すれ違いはほとんどな
天気がよく、岩も熱くなったため 13:00 頃下山した。懸垂
かった。2 グループくらいとすれ違ったと思う。8:00 北穂高
下降では下りず、歩いておりた。ちょっとしたがれ場を落
岳山頂に到着。この先もまだ気が抜けない。長谷川ピー
石しないよう歩く訓練も必要である。
クあたりがⅠ番スリルがあったと思う。長谷川ピークから南
今回の訓練は 2 人だけだったのでスムーズに行えた。
岳に向かうが、なかなかの登りだった。12:00 頃南岳小屋
到着。ここまでで約 7 時間歩いたが、気を引き締めながら
8 月 9 日(木) 鎌倉山 晴れ
松澤、宇野、所、増澤
ということもあり、長かった。小休止をとり、槍ヶ岳に向かう。
8:30 頃、鎌倉山入山。今回は初歩的なクライミング技術、
この先はわりと歩きやすい。中岳、大喰岳を越えて 14:30
ビレイ、確保の習得、定着が目的だった。いつもの最も簡
槍ヶ岳到着。テント場は混んでおり残り 1 つしか空きがな
単なルートでトップを交代しながら 1 人 1 回ずつ。計 4 セ
かった。危うく殺生ヒュッテのテント場まで行くはめになる
清溪 126 号(3)
ところだった。この日は疲れもあり、わりとよく眠れた。
体的にはα米を中心に使い、生野菜は危険個所前にす
8 月 21 日(火)
べて消費、水も小屋で買えるとして必要ない分は持たな
4:00 くらいに起床した。準備をし、まずは槍ヶ岳山頂に向
かった。結果、穂高から槍までは随分軽い状態で歩くこと
かう。日の出には間に合わなかったが、天気はよく景色も
ができた。その他特に何もなく、無事に下山できた。自分
よかった。山頂は多少混んでいたが自分たちの後ろは人
たちが上高地にいたときに槍山頂で落雷死亡事故があ
がいなかったので少しゆっくりできた。自分は 2 年ぶりの
ったようだが、行程中天候には恵まれてよかった。いい山
槍ヶ岳山頂だった。1 年の夏で初めての合宿だったので
行だったと思う。
(松澤記)
よく覚えている。時間をおいて登ってみると見える風景も
感じ方も少し違ってくる。この感覚を楽しみにしていた。
◇◇富士山◇◇
山頂からは自分たちが歩いてきた山がよく見えた。自分
9 月 4 日(火)、5 日(水) 富士山 晴れ
の足で歩くとどれがどの山かよくわかる。十分満喫したら、
始めから楽な山行になるとは思っていなかった。しかし、
西岳に向かった。10:00、西岳到着。西岳山頂からは槍ヶ
いきなり出だしから躓いた。仙台駅 6:03 発の電車に乗る
岳がよく見えた。14:15、大天荘に到着。夕食の支度をし、
つもりだった。僕は間に合ったのだが永田君が来ない。
早めに寝た。夕食のカップヌードルはおいしかった。
前日に集合時間の確認メールを出したのに寝坊するとは
松澤、永田
なんて奴だ、と思いながら一応の為自分の送信履歴を見
る。「明日仙台駅 18:03 発の電車に間に合うよう集合」と書
いてある。開いた口が塞がらない。案の定、彼は朝早くに
起きているはずもなく電話してもつながらない。ようやく
8:00 くらいにつながったのだが、青春 18 切符で行くつも
りだったので 11:04 まで電車がない。それまでずっと仙台
駅で本を読むはめになった。10:30 頃合流し、電車に乗
る。電車の乗り換えは順調だった。福島、宇都宮、大宮、
大月を過ぎ、20:00 富士山駅到着。たしか標高 809m と書
いてあったかと思う。駅を出て、近くのラーメン屋によった。
槍ヶ岳山頂
一息ついて歩き始める。当然こんな時間にバスがあるわ
8 月 22 日(水)
けがなく、タクシーも使いたくないので登山道まで歩くこと
天候も悪くなかったし、暗い中ヘッドランプをつけて歩く
になるのだ。21:00、浅間神社到着。ここが、本当の富士
経験をしておくのも悪くないと思い、早めに行動すること
登山道吉田口の入口だ、と思う。神社なので手を叩いて
にした。1:30 頃起床。3:30、大天荘出発。まずは、大天井
頭を下げ、ヘッドランプを出してからまた歩き始める。ここ
岳山頂に行き星空を眺める。星空はきれいだった。町も
から中の茶屋を目指すのだが、ほぼ直線の車道を延々と
見える。ここからは燕岳に向かう。真夜中の表銀座コース
歩くことになる。22:00 茶屋到着。標識のコースタイムを見
を歩く。静かな夜で、風が心地良かった。虫も鳴いていな
ると明らかに日の出時刻に間に合わないため絶望的にな
い。木の葉が風でこすれる音がよく聞こえた。いい音だっ
った。山頂まで 600 分と書いてあったような気がする。この
た。燕岳に向かう途中日の出時刻となる。ちょうどよく稜線
先は車一台分の道幅になる。暗い。23:00 馬返し到着。
を歩いていたのできれいな日の出が見れた。次第に空の
やっとここからスタートだ。靴ひもを締め直し歩き始める。
色が変化していき、太陽が現れる様はやはり何とも言え
24:00、3 合目到着。一休みする。標高 1800m くらいだっ
ない。5:45、燕山山荘到着。燕岳山頂を往復し、6:30、中
たと思う。まだ森の中だ。暗くて静かだった。物音ひとつし
房温泉に向けて山荘を出た。8:45 中房温泉到着。温泉
ない。聞こえるのは自分の耳鳴りだけだった。普段音のあ
に入り、ジョッキカルピスで乾杯。4 泊 5 日の夏山合宿が
る生活をしているため、少し不思議な体験だった。1 合ご
終わった。
とに止まりはするが水を飲んで、先を急ぐ。1:00、5 合目
今回のルートは一般的には逆走らしい。ただ、穂高に
佐藤小屋に到着。やっと道が開けた。月明かりで明るい。
行きたかったのと中房を終着点にしたかったのでこの行
ここが一般的な人たちのスタート地点だ。ちょっと長めの
程にした。また、穂高から槍までの危険個所が多少心配
休憩をとりまた歩き出す。さすが富士山だけあってよく道
だったのでなるべく荷物を軽くするように意識をした。具
が整備されていた。浮き石もほとんどなく歩きやすい。
清溪 126 号(4)
7 合目くらいまではなんとか歩いたが、その先はバテ始め
初心者・初級者・中級者・上級者と分類される。米子沢は
た。それに寒い。ベンチごとに 2,3 分休憩しながら登った。
たしか 1 級上。初心者にはやや難易度が高いときいて、
それでも絶望的だった山頂での御来光に希望が見え始
気分が高揚した。
めたので先を急ぐ。5:10、山頂到着。渋滞で他の人に待
途中のコンビニで山行時の食料と晩酌用の酒を買い、
たされることもなく、ほとんど自分たちのペースで歩けたの
前夜泊をするバス停へ。かまぼこ型をした、農家にある小
で御来光に間に合った。山頂にいた人の多さにはびっく
型の倉庫みたいな、立派なバス停だった。ささやかな飲
りしたが、御来光の美しさに変わりはない。綺麗に見れた。
み会の後、就寝。宗像さん曰く、沢ヤは総じて酒好きなの
その後は、火口を見ながら一周し、剣ヶ峰まで行った。こ
だそうな。
れで日本一高い山に登ったことになる。下りは御殿場ル
翌日。確か 5 時起きだった。車で入渓地点へ向かう。巻
ートを下りることにした。6:30、下山開始。御殿場ルートは
機山は日本百名山のひとつで、沢の人気もあってか、登
途中から砂走りとなる。雪の上を歩く感じに似ていた。大
山口には立派な有料の駐車場があった。そこで朝食をと
股の早歩きで下ったため、8:40 に御殿場口駐車場到着。
り、ハーネス等の装備を身につけ、各自で準備体操をし、
普通ならここで終わりなのだが、あいにくこの時期バスが
いざ登山開始。空は見事に晴れていた。
週末しか通っていない。また車道を歩くことになる。9:00
砂利の林道を少し歩くと、ゴーロの広い沢に出る。そこ
に駐車場を出発。延々と曲がりくねった道を歩く。しかも
で沢靴に履き替え、遡行開始。はじめは水流が見えなか
歩道が狭く歩きづらい。途中シカに会った。自衛隊の演
ったが、沢が狭くなってくると見えてきた。先頭を行く宗像
習場があったため銃声がよく聞こえた。歩き続け 11:40、
さんの歩きは、ハイテンポでありつつ、大岩や倒木をどの
ようやく駅に向かうバスに乗れた。御殿場駅から青春 18
ように通過するか、という場面では、慎重すぎるくらいに
切符で帰った。途中、宇都宮で降りて餃子を食べ、23:30
注意深く判断する。講習会のあとで、ぼくが計画をし、部
頃仙台駅に着いた。仙台駅を出てから丸 1 日半、0 泊 2
員を連れて沢登りに行ったときにわかったことだが、ここ
日のなかなかハードな旅が終わった。徹夜で山を歩いた
で判断を間違うと、引き返して時間を食ったり、安易な高
のはなかなかおもしろい経験だった。
巻きで沢筋に復帰できなくなったりする。沢登りのみなら
(松澤記)
ず、普段の山行においても見習わなければならないと思
◇◇沢登り講習会◇◇
9 月 2 日、9 日
う。
永田
山の会の現役支援計画の一環として、部員の中に経験
沢登りというと、ざぶざぶと川の中に入っていくイメージ
だったが、なるべく乾いた水際を歩いて行く。暑い日には、
者のいなかった沢登り技術を教わるべく、講習費と交通
沢の水は冷たくて気持ち良いが、濡れないように歩く方
費をいただいて、宗像兵一さんが主催する「渓友塾」の講
がずっと安全だと、登っているうちにわかった気がした。
習会に、二度にわたり参加させていただきました。
他の参加者のお二人は、地形が変化するたびに遡行
第一回
図を描いていた。この沢登りでの記録のとり方は、この日
9 月 2 日 米子沢(巻機山の南西側・新潟県)
まで全く知らなかったことだった。普段の記録といえば、タ
前日の 9 月 1 日、友人同士での旅行から帰ってきた直
イムログくらいしか書かない。後日の自分で計画した山行
後、新調した沢靴を携え、新幹線に乗り込んだ。鈍行に
で真似をしようとしたが、全然描けなかった。今後身につ
乗り換え、集合場所の JR 東所沢駅(埼玉県所沢市)の
けなければならない技術だ。
改札を出ると、宗像さんと、40 代半ばから後半とお見受け
やや危険を伴う滝の登りでは、細めで短めの、いわゆる
する他の参加者二人が待っていてくださった。宗像さん
「お助けロープ」が登場する。これを、ダブルエイトノットと
の車に乗り、出発。当初の計画は、「尾瀬・笠科川タル沢
環つきカラビナでビレイループにつけ、先に登った宗像さ
ワル沢~笠科川本流下降(群馬県北部、笠ヶ岳・悪沢
んが腰がらみのビレイで引き上げる。沢特有の装備のひ
岳)」ということになっていたが、天候が悪そうだ、といこと
とつだ。靴のフェルト底のフリクションが、どの程度得られ
で、天気予報の良い日本海側の米子沢に変更になった。
るかがわからず、なるべく靴底を岩の隙間にねじ込んで
米子沢はとても人気のあり、初級者なら誰もがあこがれる
登った。
きれいな沢だ、という話だった。
上部の長い滑床に出たところで昼食をとり、最後の詰め
沢のグレードについて言及しておくと、1 級~6 級まであ
り、数字が大きくなるほどレベルが上がる。また遡行者は
に入る。冷たい水にどっぷり浸かることを期待し続けてい
たが、ここでやっと機会が来た。小さな滝の釜で、「入って
清溪 126 号(5)
みたら?」というお声がかかったので、嬉々として全身で
元にプルージックで結んだスリングを使う方法も教わった。
浸かる。背丈ほども無い滝なのに、深いところでは足が届
ロープのつなぎ方も、投げ下ろし方も、普段の岩登りで使
かなかった。防水バッグをインナーにしてパッキングした
っているものとは違ったものだったり、新発見があったりし
ザックの浮力で難なく浮いた。「若いね~」「二十歳だもん
た。岩登りの場合との、エイト環の使い方の違いも教わっ
ね~」という声がきこえる。ここで、「ラッコ泳ぎ」という、仰
た。
向けの状態で、手で漕いで背中方向に進む泳ぎ方を教
わった。
前回も含めて、宗像さんが「沢ヤ」と「岩ヤ」の感覚の違
いについてお話される場面はいくつかあった。クライミン
上部の草原は、ふさふさとして毛並みが良く、青空との
グと通ずる部分も多くあるように思ったが、岩登りの技術
対比があまりにきれいだった。やがて沢が細くなって消滅
があるからといって、それを沢に直結させてはならず、や
し、登山道に出て、避難小屋に着いた。ここで靴を履き替
り方や考え方をを変えなければならないという教訓になっ
えて、遡行は終了。しばし景色を堪能して、あとは下山す
た。
るのみ。宗像さんの下山のペースはおそろしく早くて、高
い集中力を保たなければならなかった。
山菜についても、いくつか教わった。ミズナという、スー
パーで売っているものとはちがう、根がねばねばする、沢
無事下山して、温泉に入り、上越新幹線、越後湯沢駅
前の蕎麦屋「中野屋」で、名物のへぎそばを食べ、東所
沢駅で解散した。
の脇に群生する植物は、泊まりでの沢登りでぜひ食べて
みたいと思った。
今回は、源頭までは登らずに、沢の上部を横切る作業
道跡に入り、目印を頼りに登山道へ合流するルートだっ
第二回
た。この道は、地形図に記載されているものの、かなり不
9 月 9 日 杉田川(安達太良山の南東側)
明瞭で、入り口を一度通り過ぎてしまった上、目印が途中
今回も前夜泊込みで、8 日の夜に JR 二本松駅集合だ
で完全に絶たれてしまった。宗像さんが藪を漕いで、時
った。近場なおかげで、交通費はかなり安く済んだ。駅に
間をかけて広範囲を探しまわり、やっと目印を見つけ、表
着くと、ぼくの他に 4 人の参加者がいた。一人は前回もい
登山道の仙女平にでた。ここで靴を履き替え、下山にか
らした方だった。今回も、年齢は 40 代半ばから 50 代半ば
かる。
という感じだった。
下山の途中、登山道をはずれ、駐車場へ直行した。若
前回同様に、コンビニで買出しの後、前夜泊地点へ。
干迷って、参加者の一人が持っていた GPS に力を借り
今回は、杉田川への車道の、末端付近の駐車場にテント
たりしつつ、最終的にはぴったりと駐車場に出て、下山完
を張った。お酒を飲みながら談義ののちに就寝。
了。最寄の安達太良温泉へ。
早朝に起きて、朝食をとって身支度を整え、駐車場から
温泉からあがったあと、宗像さんに、仙台から近い、初
歩き出し、杉田川に沿った遊歩道の末端部、遠藤ヶ滝か
級者向けの沢を教えていただいた。二口山塊の大行沢
ら入渓した。両脇から樹林の迫る、暗く湿った感じの沢を
がいいということで、部員を連れて目指す山は決まった。
登る。こういう沢は地形が見づらい。
渓友塾の机上講習テキストを無償でいただいた上、二
今回は、左右を楽に通過できるような滝でも、釜に入ら
本松駅まで送っていただいて、講習会は終わった。
せてもらい、ゴルジュ突破の方法をいくつか教わった。具
体的には、壁際に直立して浮き、壁に爪をかけて進んだ
り、水流の遅いところを狙って平泳ぎするなど。ショルダ
ーという、一人目を踏み台にして二人目が宗像さん曰く、
「上達するには、無理に難しい沢に挑むのではなく、簡単
な沢を難しく登るのが良い」とのことだった。他にも、滝を
よじ登るときに、あえて難しいラインを、「ここを登ってごら
ん」と登らせてくれたりもした。
終盤の高い滝で、懸垂下降の練習をした。クライミング
で使うには細い、30m くらいのロープ 2 本を、本結びでつ
ないで末端処理をし、立ち木にかける。他にも、支点の取
り方として、岩に挟まった流木を使ったり、束ねた笹の根
清溪 126 号(6)
杉田川
終わりに
一夜明けて 10 日、まだ星が出ていた 4 時 50 分頃、キレ
今回の講習会は、前述のように、山の会の基金から経
ット小屋を出発。前日の晩に霧が濃かったため天気を心
費を出資していただいたおかげで、参加することができま
配していたのですが、この日も気持ちのいい快晴でした。
した。ありがとうございました。今年は 1 度きりでしたが、来
雲海の中から太陽が出てくるにつれて、黒っぽかった辺
年も引き続き、沢登りの山行を通して、学んだことを部に
りの景色がどんどん色づいていくのが印象的でした。日
還元していきたいと思います。また、別の機会に、部員が
の出の写真を撮って満足し、6 時ちょうどに赤岳山頂
講習会等に参加する費用の出資をお願いすることもある
(2899m)に到着。北アルプスや浅間山がきれいに見えま
と思います。その際には、ご支援のほどをよろしくお願い
した。山頂は風が強かったこともあり、休憩もそこそこに歩
します。
き出します。8 時 10 分、硫黄岳山頂に到着。爆裂火口の
また、宗像さんには、親身に技術を教えていただいた
大きさと迫力に圧倒されました。そして 9 時 50 分に東天
上、大学生ということで、講習にかかる費用を安くしてい
狗岳山頂に到着。ここで一旦ザックをデポし、空身で西
ただいたり、机上講習のテキストを無償でいただいたり、
天狗岳まで往復しました。11 時過ぎ、黒百合ヒュッテに到
後日の大行沢の計画の相談までをもお願いしました。こ
着。よく整備された山小屋で、トイレがきれいかつ環境に
の場を借りて、厚く御礼申し上げます。ありがとうございま
配慮されていました。小屋の周辺では多くの登山者が休
した。 (永田記)
憩していました。私が 8 月の末に行ったばかりだった大雪
山の話をしている方々もいて、思わず聞き入ってしまいま
◇◇南八ヶ岳縦走◇◇
9 月 8 日~10 日
した。ヒュッテからはひたすら下りで、12 時半に渋の湯に
久米、佐井、大山
到着。これで今回の山行の全行程は無事終了。温泉に
私は高校の頃から登山をしていましたが、八ヶ岳を登っ
入って山行の疲れを癒しました。
たのは今回が初めてでした。こうして念願の八ヶ岳に行く
今回の山行は天気が良かったことと、3 人パーティーで
ことができたわけですが、全般に天候にも恵まれ、楽しい
人数が少なかったこともあり、全体に速めのペースで気持
山行となりました。
ち良く歩いて来ることができました。八ヶ岳山域は、南か
8 日は青春 18 きっぷで仙台駅から小淵沢駅まで鈍行列
ら北に行くに従い、岩だらけでガレた山から、穏やかな森
車でのんびりと移動し、観音平の駐車場で一泊しました。
のような山に変化していきました。今回はそのような変化
翌 9 日、5 時 30 分頃に観音平を出発し、まずは編笠山
も楽しめたかと感じています。次回は蓼科の方まで行っ
を目指しました。行動を開始したときは雲の多い天気でし
てみたいと思いました。 (大山記)
たが、前を行く先輩についていこうと必死で歩いているう
◇◇二口山塊大行沢◇◇
ちに、いつの間にか快晴となり、ふと振り返ってみると眼
下に雲海が一面に広がっていました。途中で小休止を挟
9 月 26 日
みつつ、いいペースで歩き、7 時 40 分、編笠山山頂
山行記を書かせていただきます、2 年の今村です。今回
(2524m)に到着。私たちも早朝に出発したにもかかわら
は大行沢にて沢登りをしてきました。去年の夏は沢登りを
ず、山頂には既にたくさんの人がいました。山頂からの展
実施しなかったこともあり、全員が沢登りを初体験すると
望は非常に良く、南アルプスはもちろん北アルプスの方
いう今回の山行(永田君は沢登りの講習会に行ってくれ
までずっと見渡すことができました。そして山頂を少し下
た)は山に対する新たな視点からの楽しみというものを見
ったところにある青年小屋に立ち寄り、長めの休憩を取っ
いだせたと思う。
た後、権現岳に向かいました。9 時 30 分、権現岳山頂
東北大学医学部 1 号館前を 5 時 45 分頃出発し、1 時間
(2176m)に到着。山頂にいた山ガールが、私たち三人の
ほどの運転で秋保ビジターセンターに到着。慣れない準
写真を撮ってくれました。そして、10 時 40 分頃、この日の
備を終え、7 時過ぎに入渓。
目的地であるキレット小屋のテント場に到着しました。もと
一昨日と前日に雨が降っていたので山行自体が危ぶま
もと余裕のある計画であったことに加え、私たちの歩くペ
れたが氾濫している様子ではなかったので沢登りを開始
ースが速かったため、午前中のみで行程を終えてしまい、
した。氾濫とまではいかないが、足が着かないくらい深く
私たち三人は就寝までの時間を持て余すこととなりました。
なっている場所も存在していたので、やはり多少増水して
トランプに興じたり、各々持参した本を読むなどしてのん
いたと思われる。いや、足が着かないくらいの深さは当た
びりとした午後を過ごしました。
り前なのかもしれないが。
清溪 126 号(7)
永田(L)、今村、所、鈴木
慣れない動作やルートファインディングの能力の乏しさか
た。天候に恵まれたおかげでこのような素晴らしい景色を
ら当初の予定(大東岳を登頂)を変更し、途中の避難小
楽しみながら登ることができたのだが、頂上はガスが出て
屋からそのまま下山した。
いたため、山頂からの景色を見ることはかなわず少し残
避難小屋には13 時 30 分くらいに着き、そこから沢足袋や
念である。雪が一部残っており、風にさらされていたせい
沢靴から登山靴に履き替え、2 時間かけて下山してきた。
か凍って面白い形になっていた。山頂から少し歩いた所
そこから秋保温泉郷で温泉に浸かり、19 時過ぎに医学部
に石壁に囲まれた小さな神社のようなものがあり、そこで
1 号館前に到着した。
お昼を食べた。風が強く気温も低かったのでそのあとは
すぐに下山した。初心者の人が多かったのだが、大きな
怪我もなく無事に登山を終えることができた。(橋本記)
◇◇磐梯山◇◇
11 月 3 日
松澤、宇野、久米、加藤、大山、
鈴木、所、増澤、Arthur、Pauline、Marion、Michal、
Markus
医学部1 号館前に 7:00 に集合して、猪苗代スキー場に
向かった。人数が多かったので先発隊(宇野、久米、大山、
鈴木、所)と後発隊(松澤、所、増澤、Arthur、Pauline、
Marion、Michal、Markus)に分かれた。自分は後発隊
大行沢
として出発したが、高速道路をおりる際にお金が足りなく
去年できなかった沢登りにある種の憧れがあったので今
なりそうになって非常に焦った。留学生に借りて事なきを
回の山行はものすごい楽しみにしていた。沢に沿ってど
得たが、出発前に確認すべきだったと反省。そんなことも
んどん進んでいくので普段の登山縦走とは違う景色を見
あってスキー場につくのが予定より 30 分近く遅れてしまっ
れたり、他のクライミングのような個人プレーでないところ
た。スキー場を登っている間は、振り向けば猪苗代湖を
にも新鮮味を感じたりしました。
見ることができたので留学生も楽しんでいるようだった。
沢登りってとっても楽しいですね!また来年、とも言わず
にまた今年中にやりたいと思えるほどでした。本当に良い
経験をしたと思います。
でも、やっぱりこの時期は寒すぎた・・・ (今村記)
◇◇月山◇◇
10 月 20 日
松澤、今村、久米、増澤、橋本(和)、所、
角田、鈴木、マークス、マイケル、アルワン、ダニエル、川
守田、只浦
9:55 月山登山口到着
10:50 施薬小屋着
磐梯山頂上
11:45 金婆着
登山道に入ると雲行きが怪しくなり始め、雹が降ってきた。
13:00 月山山頂
少し歩いて様子を見て天気が悪化しそうなら引き返そうと
15:50 下山
話したが、すぐに天気は回復したのでそのまま登ることに。
月山は山形県中央に位置し、出羽三山の一つに数えら
山頂に着く直前で先発隊とすれ違った。13:30 頃に山頂
れる有名な霊山である。そのため道が整備されており、歩
に着いたが強風で、写真だけ撮影してとっとと下山を開
きやすかった。初めはやや急な道が続き、息が上がった
始。途中にあった小屋で一休みさせてもらった後、先発
人もいるようだったが、しばらくすると比較的なだらかにな
隊と合流して下山した。下山中に沢山雪玉を投げられた。
り、景色を眺める余裕ができた。紅葉が進んでおり、赤と
投げ過ぎです(笑)。駐車場に戻るころにはもう夕方で、も
オレンジ、緑と黄色の色のコントラストがとても綺麗であっ
う少し時間に余裕を持った計画を立てるべきだったかなと
清溪 126 号(8)
思った。今回は初参加の留学生も多く、装備が不十分な
て 1 年)の計 7 人パーティーで栗駒山登山を実施いたし
ところもあった。反省すべき点の多い山行になったと思う。
ました。
(増澤記)
6 時 30 分ごろに星陵 1 号館前を出発し、表掛コースの登
山口に 8 時に到着。しかし、冬季通行止めの標識により
当初登る予定の表掛コースを変更し、いこいの村栗駒か
ら歩いていわかがみ平へ行き、中央コースを辿って栗駒
山をめざし、帰りは東栗駒コースで下山するというプラン
にしました。
いこいの村栗駒を 9 時に出発し、いわかがみ平には 10
時に到着、そこから中央コースを進み休憩を 1 回挟み、
11 時 40 分ごろに栗駒山山頂に到着しました。登り始めか
ら雪は結構積もっていて、稜線に出てからは氷の粒が混
じった強風に苦しめられました。栗駒山を 12 時前に発ち
磐梯山で
東栗駒山を目指して進んでいくにつれて、さらに風が強く
なり、東栗駒山周辺は風を遮る木々がなかったためか時
◇◇山寺◇◇
11 月 10 日
折吹く強力な風により少しずつしか進めなくなっていまし
佐井、永田、大山、加藤、鈴木、所、
た。
Michael、樋口(OB)
12 時 50 分に東栗駒山を踏み、風の凌げる場所で休憩を
今回は OB の樋口さんの指導を受けて山寺でクライミング
入れた後、ルートを探りながら歩いていき、沢を横断する
をしてきた。
ポイントまでたどり着きました。地図上のルートでは沢を渡
出発前、仙台は気持ちの良い晴天だったのだが、山寺
り(マークはありました)対岸を登っていくように書かれて
に近づくにつれて天候は怪しくなり雨も少し降っていた。
いたのですが、その先でルートを見つけることができず、
岩場は雨こそ降っていなかったものの気温は低く、ダウン
やむなく中央コースと東栗駒コースの分岐まで引き返し、
やフリースがとても役に立った。手始めに 5.10a の「逃げ
中央コースで下山することを決め、14 時頃に来た道を戻
まくってしまいました」を全員で登る。先輩がまずリードし、
り始めました。
ほかのメンバーはトップロープで登った。グレードは 5.10a
しかし、予想以上の風速と積雪により、腰の高さまで雪が
だったものの岩肌はとても冷たくみんな苦戦しながら登っ
積もっていたところもありました。さらに、ルートを見失って
ていた。佐井さんがチョークバックにホッカイロを入れてい
は地図とコンパスで何度も確認しながら戻っていったので
たのが羨ましかったのは僕だけではないはず。挑戦し終
予想以上の時間と労力を使ってしまい、分岐にたどり着
えた人から順に「セーフティ」や「奥の細道」に移動し挑戦
いたのは 15 時 45 分。この時点で下山予定時刻から 45
を続けた。完登できた人もそうでない人もいたが、みんな
分もオーバーしてしまいました。
楽しそうに登っていたのが印象的。16 時頃、日が暮れる
これほどの強風と雪を想定していなかったのでメンバー
前に切り上げて撤収、帰仙。
全員の装備は不十分でありまして、グローブでなく軍手
僕は 3 本のルート中「逃げまくってしました」はトップロー
のみ持ってきていたこと、ツェルトを共同装備として持っ
プではあるが完登することができた。他の 2 本はリードで
ていかなかったことなどが生じてしまったために全員(特
挑戦するも落ちてしまい悔しい思いをしたばかりかクラッ
に経験が浅い橋本君)が疲労困憊となり、また日が沈む
クで指を切ってしまい痛い思いまでしてしまった。もっと岩
までに下山できないのではといった焦りも感じておりまし
場に通って技術を上げたい!!
た。
(鈴木記)
何とか中央コースに戻ることができ、分岐からは一度も迷
◇◇栗駒山◇◇
11 月 18 日
うことなくいわかがみ平に下山することができました。その
今村(L)、鈴木、大山、増澤、加藤、所、橋
時の時刻は 16 時 40 分頃。そこから車道を歩くこと一時間、
本(すべて 1 年)
18 時頃にいこいの村栗駒(車を停めていた場所)に到着
今回、山行記を書かせていただきます、2 年今村です。
しました。 最終的に下山予定時刻から 3 時間の遅れを
他のメンバーは鈴木、大山、増澤、加藤、所、橋本(すべ
生んでしまいました。
清溪 126 号(9)
むことができた。12:05 に鉄山山頂に到着。ここはさらっと
今回の山行を受けて、計画が二転三転してしまったこと、
通過、12:15 に鉄山避難小屋に到着。アイゼンを脱ぎ小
想定外の気象、それに応じた装備の不十分さ、ルートフ
屋の中で小休止。扉が凍りついていてあかなかったので、
ァインディング技術の欠乏、緊急事態における迅速な判
窓から侵入。体が硬い人は大変であった。後で思ったこ
断など反省すべき点が多数見つかりました。自分がいか
とだが、安達太良山頂から避難小屋までは大した距離で
に未熟かを痛感いたしました。
はなかったので、ここで大休止するべきであった。軽く地
たとえ 11 月といえども万全の冬山装備を徹底させ、常に
図を確認した後、再びアイゼンをはき出発。13:00 ごろに
高い意識を持って取り組む必要があると実感しました。
分岐に到着。時間のこともあったので、すぐ箕輪山山頂
今回の失敗した点は二度と繰り返さないように、そして今
へ向かった。道中は植生が茂り雪が吹きだまっている所
回現れた自分の中の弱い部分、抜けていた知識をしっか
もあったがたいしたことはなかった。13:30 に箕輪山山頂
りと補い、次の山行に繋げていきます。(今村記)
付近の分岐に到着。地図で分かっていたのだが三角点
を探すのは困難であったためそこの分岐で小休止。10 分
◇◇安達太良山 雪山準備◇◇
11 月 24 日
ほどで出発。14:00 ごろに先ほどの分岐に戻ってきた。こ
永田、宇野、今村、久米、
こでアイゼンを外した。分岐にあった看板によれば、予定
大山、加藤、鈴木、所、増澤
のコースはわかりにくいとのこと。ルートファインディングの
今回の山行は、前回(11/17)に登った栗駒山の反省を
練習になるということで、そのまま進んだ。が、まったくそ
生かし、冬山に向けて十分に装備をそろえたうえで行っ
んなことはなく、雪が積もっていることでかえって道がはっ
た。7:25 に塩沢温泉スキー場を出発した。すでに雪がぱ
きりしていた。雪道の途中、クマらしき動物の足跡を発見
らついていたので、少し天気が不安であったが、しばらく
した。正直びくびくしていた。15:00 ごろに霧降滝に到着
して天気は回復の兆しを見せた。歩き始めに雪はほとん
しここで小休止。ここらで雪がなくなってきた。15 分後に
どなかったが、ぬかるみや落ち葉などでとてもすべりやす
出発。この後、急傾斜を下る。落ち葉がはびこっており、
かった。沢沿いを歩くこと約 1 時間、8:30 に小休止。沢沿
すべるすべる。細かい歩幅で慎重に進むといった少し技
いの景色にカメラを構える人も。15 分ほど休憩し、再び出
術のいる場面であった。15:50 に塩沢温泉スキー場に無
発。この後、二回ほどルートから逸れそうになるも、後続
事到着。振り返ってみると、全体的に天気も良くとても気
の指示により修正された。確かに分かりにくいところであ
持ちの良い山行であった。ただ、冬山合宿の練習となる
った。歩を進めてゆくと次第に積雪が見られるようになっ
ような場面に乏しかったのは不運なことであったのかもし
たが、歩きにくいようなことはなかった。ただ途中の鎖場
れない。 (所記)
で岩が凍っていたため少し怖かった。9:15 にくろがね小
◇◇屏風岳・不忘山◇◇
屋に到着し、小休止。温泉があったため、硫黄のにおい
がかなりしていた。この時点では晴れていた。9:35 にくろ
12 月 2 日
永田 久米 所 加藤
がね小屋を出発。雲の中へと歩みを進める。雪の積もっ
5:00 に星陵キャンパスを出発して、6:45 に白石蔵王ス
た岩稜帯をすすむ。9:55 に峰の辻に到着。ここで全員が
キー場に着いた。準備をして、7:15 に出発した。はじめ
アイゼンを装着。防寒対策も稜線に出る前のこのタイミン
の約 1.6km は平坦な車道歩きで、すいすいと進んだ。
グで整えた。準備ができ次第出発。10:40 に安達太良山
7:42 に水引入道登山口に到着し服を脱いだりした後、登
山頂に到着。
山道を歩き始めた。天気がとても良く朝焼けがきれいだっ
頂上は案の定風が強かった。空は厚い雲で覆われてい
た。8:30 に 1 回目の小休止、9:35 に 2 回目の小休止を
たが、雪は降っていなかった。全員で記念写真を撮った
して、10:00 に大日向の分岐に着いた。風が強くなってき
のち、昼ごはんもかねて、風よけに岩陰に入り大休止。
たので、ここで上着を着てから歩き始めた。10:15 に水引
11:20 に山頂出発。少し歩き船明神山との分岐で道を見
入道を通過したが、その後だんだんと雪が深くなってきた
失う。各々地図を取出しルートファインディング。いったん
のでワカンを装着した。装着直後は沈みが小さくなり少し
は船の方へ行こうとするが、何とか修正。山陰に雪が吹き
歩きやすかったが、進むにつれて徐々に沈みが大きくな
溜まり、道が消えていたことが原因であった。最終的に正
っていった。途中で先頭を交代しながら歩き、全員がラッ
解だったものの、少し時間がかかってしまったように思わ
セルを経験した。11:15 に分岐の手前で 3 回目の小休止
れる。迷ってしまったのはここだけで、この後は順調に進
をして、11:45 屏風岳の山頂に到着した。風は思ったより
清溪 126 号(10)
は強くなかった。そこで集合写真を撮った後、再び歩き始
大山綾音(医 1)
めた。南屏風岳までは雪の広がる尾根を進み、12:35 に
山岳部に所属しています、と言うと、よくこんな反応が返
南屏風岳山頂で 4 回目の小休止をした。その後不忘山を
ってくる。「どうして山が好きなの」「結局は下りて来ちゃう
目指し歩き始めたが、石が多くなってきたのでワカンを裏
のに何で登るの」などだ。ここで、堂々と「そこに山がある
返しに装着し直した。それで傾斜があるところを下ろうと
からさ!!」などと決め台詞を言えれば格好良いのだが、
すると滑りやすそうだったので、ワカンを外した。しばらく
私にそのようなことが言えるわけもなく、いつも答えに窮し
進むと、道がクラストしていたのでアイゼンを装着した。
て誤魔化してしまう。きれいな景色がみたいから。自然に
13:45 に不忘山山頂に到着し、5 回目の小休止をした。
囲まれていると気持ちがいいから。山頂に着いた時の達
展望がとても良かった。その後、下山を開始し、途中でア
成感が病みつきだから。どれも間違ってはいないけれど、
イゼンを外した。15:05 に駐車場に到着し、荷物を積んで
かといって十分な答えとも言えない。私は高校の頃から
車に乗り、17:30 頃に星陵キャンパスに到着し解散した。
登山をやっているが、この質問に一言で的確に答えるこ
今回の山行では、ツボ足、ワカン、アイゼンを使い、様々
とばは未だに見つからないままだ。
な状況での歩行の練習になった。急登での歩行が思っ
ここで、高校時代の山岳部の話をしようと思う。女子高
ていたより疲れたので、冬合宿までにトレーニングをして
だったこともあり、山岳部とは言っても全体にのほほんとし
もっと体力をつけていかなければならないと感じた。(加
た雰囲気であった。部員は多い時で 30 人以上おり、あれ
藤記)
これ騒がしくお喋りしながら長蛇の列で各地の山々を練り
歩いたものである。大半が男性で、人数も少ない現在の
東北大山岳部とは大きな違いである。
一番の違いは、大学山岳部では高校の頃のような大会
がないということだろうか。高校山岳部の大会とは、歩行
◆寄稿
や幕営、知識など様々な観点から、採点基準に基づいて
◇◇大学山岳部に入って◇◇
各学校のパーティーを採点し、点数を競うというものだ。
山岳部 1 年生の部員に山岳部に入っての感想や思い
を寄稿してもらいました。
高校時代の私を振り返ってみると、もちろん勝ちたいとい
う思う気持ちはあった。だが同時に、そもそも登山を競技
所 竜太郎(工 1)
として競うということ自体が何かおかしいのではないか、と
私は東北大学山岳部に入って、この部活の雰囲気は
も感じていたのを覚えている。それは、ただ点数稼ぎのた
自分に合っていると感じた。山岳部と聞くときついやら厳
めだけに登っているようなパーティーを見ていたからかも
しいといったマイナスのイメージを持つ人もいるだろうが、
しれない。せっかく山に来ているのに、全く楽しそうに見
実際登山自体にストイックなところはなくヘタレである自分
えないのだ。
でも十分に付いて行けるというところがとても入ってうれし
今思えば、大会で勝つというひとつの目標を目指すこと
かったことであった。また、先輩の方々の知識がとても豊
も楽しかったのだなとは感じている。だが、大学に入って
富で、山行を行う上で頼りになる存在であり、自分のスキ
いろいろな山に登って思ったのは、やはり山は勝ち負け
ルアップを図るには絶好の環境であると強く思った。とこ
ではなく、山を登っているその人が楽しめるのが一番だと
ろで、私がこの先、山岳部として山に登るときはもっと余
いうこと。他の誰かから点数化されて評価されるのでもな
裕を持った登山をしたいと思った。というのも、だらだらし
い、その人、そのパーティーそれぞれの楽しみ方があり
たとかペースがゆっくりとかそういうのではなくて、コースタ
個性がある。ストイックに登るもよし、「山ガール」としてお
イムも重要な要素の一つですが、そればかりを責めるの
しゃれを楽しんで登るもよし。お喋りを楽しむのもいいし、
ではなく、周りの景色の移り変わりを見て楽しむ時間がも
じっくり考え事をしてみるのもいい。本当にいろいろな登
っとあってもいいのではないかと思うのである。かくいう私
山の仕方がある。私も今後、たくさんの山に登り、さらに自
もペースが速いために何度か忠告を受けているのだが、
分なりの山の楽しみ方を追求していきたい。
これからは十分にペースには気を配りたいと思う。山登り
を、ただ頂上を目指すものだけにせず、山自体を楽しむ
ものにしていきたい。
鈴木優太(文 1)
高校の頃に山岳部のようなものに所属していたものの、
私は大学生になってまで山を続けるつもりはまったくなか
清溪 126 号(11)
った。ではなぜ今こうして山岳部に所属しているのかと言
スキーなど色々なことに挑戦したいと考え、山岳部に入
えば、特にほかにやりたい部活もサークルも見つからな
部した。大学山岳部は高校とは違って、OB の方々との
かったからだ。理由はそんなものだが、山岳部員として
結びつきが強いと思った。OB の方々から、技術指導や
日々の活動に参加していて感じるのはやはり山岳部に入
アドバイスをもらったり、総会などのときに貴重な話を聞い
ってよかったということだ。高校の頃も顧問の先生の意向
たりすることができるのは、とてもありがたいと感じた。
で縦走以外にも様々な体験をしてきたが、大学でも山岳
4 月から山岳部で活動してきて思ったことは、予想より
部に入ったことで世界は大きく広がった。アイゼンやピッ
も泊まりの山行が少ないということだ。確かに泊まりの山
ケルを使った歩行、夏の合宿、外岩でのクライミング、沢
行は、お金がかかるため頻繁に行くことは難しいが、合宿
登り。自分がどれだけ狭い世界で満足し、やめてしまおう
に向けた炊事やテント生活などの練習も必要だと考えら
としていたのかを思い知らされた。
れる。そのため、週末に 1 泊や 2 泊のテント泊山行をもう
冬を目前にしてやりたいことはまだまだたくさんある。ア
少し増やしていきたいと感じた。
イスクライミングをしてみたい。バックカントリーにも行きた
登山は、多くの体力を使う苦しいものであるが、自然の
い。雪山も歩きたい、スノボだけでなくスキーも滑れるよう
厳しさ、美しさなどを教えてくれる素晴らしいものだと思う。
になりたい。冬だけではない、来シーズンはもっと山に行
この東北大学山岳部での活動を通して、肉体的、精神的
って沢登りをし、岩にもたくさん登りたい。そして、それら
に成長することができれば幸いである。
に見合った技術を身に着けたい。これが言葉だけで終わ
らぬように意識しつつ、今後の活動にも積極的に参加し
ていこうと思う。
◆紀行
大学山岳部に入って思ったこと
◇◇御嶽山縦走◇◇
増澤(工 1)
自分は運動神経が悪い自分にも入れる運動部、という
佐藤行彦(入会会員)
ことでなんとなく山岳部に入りました。新歓登山で初めて
山名:御嶽山[3067m]
コース:仙台→東京→塩尻→木
泉ヶ岳に行ったときは思っていたよりもきつく、周りの余裕
曽福島→田ノ原→御嶽山頂上→五ノ池小屋→→濁河温
のある様子を見て悔しかったのを覚えています。入部して
泉→木曽福島→塩尻→東京→仙台
しばらくの間は、登山なんて疲れるだけで面白いものじゃ
参加者:佐藤行彦、佐藤文彦
ないなと感じていましたが、夏に槍ヶ岳に縦走に行ってか
2012 年 8 月 18 日~20 日
ら完全に意識が変わりました。そこで見た満天の星空や
5 年ほど前からどこかの夏山に大きなリュックを背負って
綺麗な朝焼け、山頂からの景色は、登っている間の疲れ
出かけている. 今年はどこへ行こうかと 7 月末頃から日本
が吹き飛んでしまうようなもので、またこんな景色が見た
百名山の登山案内書を見ながら考え、これまで行ったこ
い!と強く感じさせられました。
とのない山域ということで、中央アルプスの御嶽山を選ん
これからの季節は冬山になってきて、求められる知識や
だ. そして登山コースの時間予定を作る. 第 1 日は仙台
体力のレベルが上がると思いますが、余裕を持って楽し
から麓の登山口まで、次の日は頂上を経て尾根筋の小
めるくらいに体力をつけて、勉強して知識をつけて周りの
屋泊まり、3 日目は下山して仙台まで戻るという設定. そ
足を引っ張らないようにしたいです。
して山行中に雨がない日を連日 インターネットの週間天
まだどんな山があるのか分からず、今のところは先輩方
気予報で降雨確率が 30%以下の日ということで 20 日間ほ
の薦める山についていく形になりがちですが、これからは
ど待ち、結局 8 月 18 日(土)に早朝の東北新幹線と中央
山について自分でも調べてあちこち登りたいと思います。
線を塩尻で乗り継いで木曽福島駅へ. 更にバスで山麓
のスキー場最上部の登山口田ノ原山荘(標高 2100m)へ
東北大学山岳部に入部して
は大雨の中 4 時着. 6 時前に食堂にて夕食. 泊り客は
加藤祐介(工 1)
15 人ほど. 百畳敷きの大部屋で 6 時半には就寝.
私は高校の頃、登山部に所属しており、大学に入って
翌 19 日は 4 時に起き、宿で用意して指定場所に置いて
も登山を続けたいと考えていた。登山をしている部やサ
あった朝食・昼食用のおにぎ りを受け取る . 背の荷は
ークルは他にもいくつかあったが、冬山やクライミング、山
12kg ほど. 5 時10 分に霧の中、大鳥居をくぐって幅数 m
清溪 126 号(12)
もあるまっすぐな砂利道を進む. 8 合目の石室に入り朝
葉を交わす. このコースを上がるのは 3 度目とのこと. と
食. ここで急に霧が晴れてきて上方に頂上の白い小屋
ても元気そうだったが、自分では「やはり年なので以前の
が見えてきた. 暗いうちに登り始めた白装束の 40 人ほど
ようには登れない」とのこと. この下りは案内書のコースタ
の修験者たちが六魂清浄と唱えながら降りてきた. 歩き
イムでは 2 時間半となっていたが、我々は更に 1 時間多く
始めて 5 時間半、王滝頂上(2936m)へ 10 時 40 分着. す
かかった. コース最後の木道で 2 回滑って大きく転倒.
ると眼前に本山頂上が見えてきた.
右足をひねりひやっとしたが大事には至らずほっとした.
登山口の数軒ある濁河温泉の 1 つにて風呂に入る. そ
の後は 1 日 2 便の 10 人乗りのバスにて御嶽山の北側山
麓をぐるっと回って木曽福島駅へ 12 時に着く. 更に往路
と同じく塩尻経由で東京へ. 夕方の新幹線で仙台の自
宅へ. 夜 8 時着. 存分に山行を楽しめた。
◇◇左衛門小屋整備山行記◇◇
佐野英彦(S31 入部)
60 周年を迎えた今年の左衛門小屋の整備清掃行は、
何人かの会員にとっては一度では済まないものとなった。
その次第は ー。
稜線上から御嶽山頂上を振り返る
この最後の急な 130m を登り切り頂上へ. 雨を避けようと
私はかねて清渓誌上の報告で毎年小屋整備清掃行
した甲斐があってか麓の木曽谷や近くの山の眺望は素
が実施されているのは承知しており、誰が音頭をとりいつ
晴らしい. ここでおにぎりを食べ、仙台の兄宅へ携帯電
なされるのだろうか と思っていた。今年は古田会員が病
話で報告. 1 時間以上を頂上神社で過ごす. このあとは
をおして段取りをつけてあれこれの手配をしてくれ、多分
ほぼ下りのみ. 下方に見える一ノ池(涸れ池)、二ノ池 そ
これまでもそうだったからだろうと頭の下がる思いであっ
の後に摩利支天山とみえる. その先には今日の宿泊予
た。
定の五ノ池小屋がある. この頂上から下り始め、残雪の
9 月 1 日、私と東京支部 JR 利用の近藤・前田の 3 会員
ある二ノ池とそのほとりに建つ二ノ池小屋を通り、りんどう
は白石蔵王駅に田代会員の出迎えを受け、カナガラ仏
など高山植物のきれいな賽ノ河原と尾根筋のパラダイス
の集合地まで送って貰った。彼は急に復興関連のはず
を歩いて、下方に三ノ池をみつつ、五ノ池小屋へ. 朝 5
せない会合が夜に生じたにもかかわらず、ワザワザ我々
時に田ノ原山荘を出てここまで 11 時間の行動. 1 人 1 泊
を送るだけで車で来て小屋には行かずに帰宅する
7500 円. ごぼうとニンジンの野菜天となめこ汁などで夕
という何とも恐縮なことだった。
食. 宿泊者は 15 名ほど. ここは今年改築した新しい小
カナガラ駐車場には長駆千葉より車を運転して来られた
屋. 二層式の階上を希望して 6 時半に就寝. 8 時頃にト
長老の大村吉郎会員を初め全員が集結し、雲行きを案じ
イレに起きる. 空を見上げると南側にさそり座のあの赤い
ながら歩き始めた。案の定途中雨となり、強く降ったり一
アンターレスが目立って見え、真上には大熊座、そして
時止んだりと雨具着用のタイミングが難しく、小屋につい
北極星がくっきりと見えた. 夏の大三角形そして銀河のミ
た頃には随分濡れてしまった。早速ストーブに火を入れ
ルクも大きく鮮やかに横たわっていた. また夜中の 3 時
て、乾かしながら食事をとり休憩、雨の小止みを見計らっ
にも起きたが、今度はカシオペア座の W 字、また木星と
て整備にとりかかることになった。私は、かねて縄文炉と
金星が飛びぬけて明るく見えた.
はどんなものか興味津々であったので刈り払いは行わず、
最後の 3 日目は五ノ池小屋のある飛騨頂上(2800m)から
炉の作りを観察しながら雨除けのクラゲテントの設営を行
一気に 1200m 下るのみ. 5 時に起きる. 我々は小屋の
った。炉と言っても石を割れないように持参の針金(或い
朝食は無しとしたので、5 時 40 分に出発. 天気は良好.
は細い鋼帯かも知れない)で補強し、3 個を鍋底にバラン
途中ホエブスでお湯を沸かして朝食. 東方に甲斐駒・仙
ス良くする様に配置するだけの単純なものであった。雨
丈岳・北岳など南アルプスの山々が雲海の上に頭を出し
交じりの中を道の刈り払いに出かけた人は大奮闘で分岐
ていた. 更に下ったところで 70 歳代の男性と出あい、言
点まで刈り払った由である。ところが、小屋の板壁内に巣
清溪 126 号(13)
くっていたハチ(キイロスズメバチと思われる)がこの出入
屋根等の修復及びクレオソート塗りが課題として残された
りに興奮し戦闘モードとなり、前正副幹事長始め数名の
ものと思われる。
会員が刺されてしまった。小関会員持参の薬(キンカン?)
(写真撮影:菅原 敏会員)
を塗ったが、かなり後まで腫れと痛みが残った様子だった。
ハチと目と目が合ったという菅村和夫会員だったかの話
では、2 度目に刺されるとかなり危険度が増し 3 度目は重
篤になり得るとの事で、予定していたクレオソート塗りは中
止となった。
雨が断続する中クラゲテントは遺憾なく威力を発揮し、美
酒並びに斎藤 K シェフらによる佳肴で歓談。斎藤 D 会員
持参の携帯 CD プレーヤーでバッハのサキソホーン演奏
という珍しい BGM が流れ、やがて花火も飛び出して大い
に盛り上がった。
翌日は後かたづけののち、雨は止んだが濁川経由では
なく再びヒヨドリ越えからカナガラ駐車場へ。一部の会員
は、これも恒例になっているらしい遠刈田で入浴・鴨そば
を食べて散会となった。震災で仮設にいる岩佐会員を尋
9 月 1 日 左衛門整備行で見た「蜂の巣」の場所の拡大
ねて行くという石田会員の車に、東京支部の JR 利用組 3
名は便乗して白石蔵王駅まで送って頂いた。
参加者 大村吉郎・斎藤雅英・佐野英彦・(田代侃)・石
田頼平・菅原敏・森岡昭・小関梅・小山紀一・菅村和夫・
斎藤公夫・佐藤行彦・近藤孝・前田孝夫
このハチ騒動は過去にもあり、田代会員によると一度
目は 20 年ほど前の小屋ベランダ修理の時に彼及び同行
した大工が刺され、二度目は数年前の小屋修理行の時
に数名の会員が刺された との事である。二度目の時に
は殺虫ボンベを遠刈田まで買いに走り、夜になってから
壁中に注入して退治できた由。また、多分この二度目の
時と思われるが、刺された及川会員が今でもその後遺症
であろう病に悩んでいる様である。
「蜂の巣」の節穴位置
さて、このハチをそのままにはできないと 10 月 14 日の
ヒュッテ祭の帰路に塩澤厚・佐藤正樹・斎藤雅英・菅原
敏・近藤孝・田尻研治の各会員他一名はこれを退治せん
と「スーパーすずめばちジェット」を用意して左衛門小屋
に向かったのであったが、すでにクマ公が小屋壁を損壊
し巣ごと根こそぎ浚って行った後であった。
近づく冬に備えて破壊された所を応急にでも処置すべ
く、10 月 24 日に田代会員の指揮のもと斎藤雅英・菅原
敏・森岡昭・小山紀一・斎藤公夫の 6 会員はクマ公が破
損した板壁の補修を行った。写真で見たところでは 2m に
も及ぶ板材を担ぎ上げ、更に高ハシゴによる作業だった
様である。
以上が今年の補修概略であるが、見たところ屋根の稜
10 月 14 日 清渓ヒュッテ祭の帰路、被災状況
部分もかなり変形しており、来年度には壁の本格修理と
清溪 126 号(14)
10 月 24 日 仮復旧
被災の拡大
仮復旧完成
◆報告・お知らせ
◇◇2012 年度ヒュッテ祭の報告◇◇
松澤 智(理 3)
応急措置
今年のヒュッテ祭は 10 月 13、14 日に行いました。多く
の方にご参加いただきましてありがとうございました。今年
は例年通りの薪運び、水汲み場への道の整備に加え、
今年ご逝去されました三橋亮一 OB の散骨をご家族と共
に行いました。
夜は恒例の自己紹介を行いながら、食事とお酒を楽し
みました。今年は特に多くの方に参加いただいた為、い
ろいろな方の話が聞けました。OB の方のお話はおもしろ
く、勉強になり、現役部員は各人いろいろと思うところがあ
ったかと思います。天候にも恵まれ、小屋の外からはきれ
いな星空も見れました。楽しい一時となりました。
現役部員も多かった為に夜遅くまで騒がしかったり、食
「蜂の巣」の痕
事やその他の準備、配慮にいくらか不備があったかと思
清溪 126 号(15)
いますが、今年も無事ヒュッテ祭を行え、楽しめたことを
落ち着いた。古い宿で、部屋はいまいちであるが温泉は
大変嬉しく思います。また来年、多くの方の参加を楽しみ
がっしりした木造で立派なものである。
にお待ちしております。
ゆっくり温泉につかり、大広間で夕食をとりながら歓談を
参加者(敬称略)
行った。群馬県在住の浅田会員から差し入れの「谷川岳」
塩澤厚、海老沢裕、佐藤正樹、斎藤雅英、菅原敏、田代
という銘酒を楽しませていただいた。
侃、阿部郁夫、森岡昭、斎藤公夫、近藤孝、今井順一、
その後、一部屋に集まって岩田会員差し入れのウイスキ
田尻研治、石田要久(JAC,明治大 OB)
ーで歓談。例によって飲みっぱなしの夜となった。
翌 10 月 28 日(日)は更に雨がひどくなり、近くの山に登ろ
現役:松澤智、今村匡貴、久米恭司、佐井康真、永田哲
うという意欲は起こらず、朝食後すぐに帰る方々を上毛高
也、大山綾音、加藤祐介、鈴木優太、所竜太郎、増澤慶
原駅に送ったあと、数名で伊香保温泉へ行き、竹久夢二
汰、只浦寛子
記念館を見て、そばを食べて帰ってきた。
今回の参加者は、岩田、塩澤、作山、海老沢、大木、佐
藤、佐野、日出平、浅井、近藤、近藤夫人、前田、恩田、
須藤、中村久美子の 14 名であった。
天候に恵まれず、締まらないハイキング会となってしまっ
たので、報告も簡単に終える。
◇◇関西支部 秋のハイキング報告◇◇
日下 理(S44 入)
年月日:2012 年 11 月 24 日(土),参加者:日出平洋
太郎(S32 入部相当),白川公男(S33 入部),氏家治
(S38 入部),日下理(S44 入部),難波健(S44 入部),
今井順一(S45 入部),大平和宣(S47 入部),計 7 名,
ヒュッテ祭参加者一同、清渓前で
◇◇東京支部 秋のハイキング会報告◇◇
近藤 孝(S41 入)
平成 24 年秋のハイキング会を上越国境周辺で行いまし
たので報告いたします。
10 月 27 日(土)朝 8 時 30 分に上越新幹線の上毛高原
駅に全員集合。恩田会員の車とレンタカー2 台の計 3 台
で三国スキー場跡にむかった。苗場プリンスホテルの横
から南に入る道は舗装されていて簡単に三国スキー場跡
についた。もとスキー場の駐車場なので車は何台でも置
ける。天気は前日の晴天からうって変わった小雨もよいで
視界は良くない。寒いので雨具を着込み 9 時 55 分に歩き
始める。紅葉した林のなかの道をゆるやかに登ってゆく。
小雨は治まったが、天気は晴れず、やがて 12 時三坂峠
に到着。一部の人は昼食を取り、元気のある方々はその
まま稲包山に登り 13 時に頂上着。頂上で昼食を取ってそ
のまま、もと来た道を戻り三国スキー場跡に 15 時 30 分に
帰着。
この日の泊まりは、猿ヶ京温泉である。翌日からまたベト
ナムへ赴任する須藤会員を恩田会員が越後湯沢まで送
って行き、他のメンバーはレンタカーでホテル生京園に
場所:広島県西部・三段峡(さんだんきょう),特徴:広島
県の紅葉名勝地,標高: 750~341mm(標高差約
400m),行程:上流から下流へ約 5 時間 9:10 聖湖-
11:50 二段滝-12:35 雄滝-14:05 三段峡入口,宿:い
こいの村ひろしま,オプション:11 月 25 日(日)恐羅漢山
(おそらかんざん標高 1,346m)登山(参加者:日出平,
日下,難波,今井。白川はこの日の朝まで)
三段峡の概要:三段峡は,広島県の西部に位置する
紅葉・新緑の名勝地で,国の特別名勝に指定されてい
ます。広島県には他に,帝釈峡,深山峡,石ケ谷峡など
がありますが,県内では人気の最も高いハイキングコー
スの一つです。透明で豊富な水,峡谷特有の断崖絶壁,
奇岩,紅葉が,水色・褐色・黄色・赤色の絶妙なコントラ
ストとなり,印象に残る風景を作ります。今回は,この峡
谷の全長約 12 ㎞を上流から下流へ下りました。
ハイキングの様子:前日の 13:10 広島駅に集合し,今
井会員の車(4 名)と路線バス(3 名)で前泊宿の「いこい
の村ひろしま」に向かいました。夕食までは時間がありま
したので,入浴,かなりの量の食前酒,歓談,スライドを
楽しみました。氏家会員からは奥飛騨紀行のスライドの
紹介,今井会員からは東北紀行のスライドの紹介と
1976 年シンギカンリ初登頂の紹介などがありました。当
清溪 126 号(16)
日は,天気予報では曇りでありましたところ,朝は曇天,
現役支援計画
11:00 頃からは小雨となりました。雨には見舞われました
が,会員には「晴れ男」がいらっしゃいましたので,雨具
を使いますものの合羽ズボン無しで済みました。三段峡
の見所は,三段滝と二段滝です。三段滝は,水が三段
Hutte 祭
になって勇壮に流れ落ちるもので,周辺の紅葉と奇岩と
相俟って一幅の画状になるものです。二段滝は,秘滝と
も呼べるものです。急峻な懸崖の奥に滝がありますため
に,徒歩では近付くことができませんので,12 人乗りの
小舟で数分掛けてようやく滝壺近くに行くことができます。
密集林と懸崖のために,散策道からは二段滝の姿・音
を一切捉えることができませんが,小舟で間近に見ます
と,隔絶したところにある秘滝然に感動を覚えました。全
長約 12 ㎞,標高差 400m を 5 時間掛けて,しかも下り
ですので,ゆったりしたハイキングを楽しみました。翌日
のオプション参加者は「いこいの村ひろしま」に戻り,再
度のリラックスタイムです。この日の夕方は,サッカー日
本リーグ・最終の前節がありまして,サンフレッチェ広島
が 20 年目にして初優勝を飾りましたので,思い出の深
い広島ハイキングにもなりました。翌日のオプションハイ
キングは,広島県最高峰の恐羅漢山です。前日の小雨
の影響により山道はぬかるみましたが,好天に恵まれ,
順調に恐羅漢山と旧恐羅漢山を踏破しました。
反省:11 月の第 4 週のハイキングは,暖かい地域の
部類に入る広島でも,少し遅いようでした。
HP の引越し
新部長選出の進捗
11 月 9 日 幹事会(農学研究科・豊水研究室)
現役活動報告
Hutte 祭報告
清渓 126 号発行について
会報 16 号発刊準備について
新部長・会長の推薦について
新副部長の選出について
大江 OB カシミール報告
HP の引越し
会計・基金
◇◇山の会会費についての連絡◇◇
山の会通常会計担当 片山正文(S45 入)
平成 23 年度より山の会会費について幾つかの変更が
ありましたので、ここでまとめてご連絡します。
1.永久会員資格の年齢を変更しました。
平成 23 年度の山の会総会で永久会員になれる年齢
が満 70 歳から 80 歳に変更されました。平成 23 年度
以前に永久会員となっている会員はそのまま永久会
員として会費が免除されます。
2.会費納入が困難な会員には幹事会への申請により会
費が免除されるという制度も導入されました。会費納
入が困難な事情がございましたら事務局までご連絡
ください。
3.会費受領書送付を取り止めました。
経費節減および事務手続きの合理化のため平成 24
年度から郵便葉書による受領書の送付を取り止めま
した。受領書に関しましては会費払込時に郵便局か
左から今井,日出平,氏家,大平,白川,難波,日下
だきます。また、自動引落システムをご利用の場合は
◇◇幹事会日誌◇◇
幹事会
8 月 27 日 幹事会(農学研究科・豊水研究室)
現役活動報告
現役支援計画
清渓発行について
HP の引越し
10 月 1 日 幹事会(農学研究科・豊水研究室)
新会員の入会について
現役活動報告
ら渡されます「払込金受領書」をもってかえさせていた
通帳の記録をもってかえさせていただきます。
◇◇永久会員資格を保留して会費を納入して
下さっている会員に関して◇◇
山の会通常会計担当 片山正文(S45 入)
現在、東北大学山の会では 70 歳以上の会員が半数以
上となり、会費収入が減少していますが、その対策のひと
つとして、永久会員の資格を保留して会費を支払ってい
ただくことをお願いしてまいりました。現在 35 名の 70 歳以
上の会員が会費を納入し続けて下さっています。そのご
清溪 126 号(17)
厚意に深く感謝し、お名前を掲載させて頂きます。なお、
入部 近藤)
今回は平成 23、24 年度分をあわせてご報告いたします。
四川省の山旅(2010 年 9 月 20 日ー10 月 6 日)(S42
年入部 大江)
◆永久会員の資格を保留して、会費を納入してくださっ
扎巴蔵族探訪ザバ -チベット族の母系社会と 民居
ている会員(平成 24 年 12 月 1 日現在)
(S33 年入部 田代)
(五十音順、敬称略)
2011 年夏四川省未踏峰登山隊(S42 年入部 大江)
青山 豊、赤間啓介、浅井良弘、荒川 睦、石田頼平
氷壁に魅せられた 6 年間の記憶(H11 年入部 矢吹)
市川芳忠、浦林幸久、海老沢裕、大木安弘、太田潤七
スウェーデンの山(現役 2 年生 永田)
大久田和馬、大村吉郎、小田原恭一、加藤正信
欧州紀行(S26 年入部 塩澤)
川北武長、川俣俊一、小林浩一、齋藤雅英、作山宗久
左エ門小屋 60 年(S26 年入部 塩澤、他 2 名)
佐藤正樹、佐野英彦、澤 英武、塩澤 厚、白川公男
蔵王八方沢遭難騒ぎ(S39 年入部 菅村、他 1 名)
菅原 敏、住山一貞、高野公勇、千田嘉三、服部秀夫
乳頭山遭難に思う(S30 年入部 佐藤)
原 孜、日出平洋太郎、藤田博信、松田平一、門奈 泉、
蔵王の思い出(S24 年入部 井関)
山本紀一
忘れえぬ人々(S26 年入部 赤間)
※以上の方々は永久会員の資格はお持ちですので、ご
50 年史編纂裏話(S31 年入部 齋藤)
希望されれば永久会員として会費が免除されます。自動
史料館へ移管した資料について(S34 年入部 菅原敏)
引落のシステムをご使用されている会員で、永久会員と
蔵王 OB 合宿 2003 年から 2012 年まで (清渓のまとめ)
なることを希望される場合は次年度から引落を停止しま
志賀高原スキー合宿(S30 年入部 佐藤)
すので、同封の葉書でご連絡ください。
追悼 故古田惇二先生を偲んで(S33 年入部 田代、他
3 名)
◇◇基金係より◇◇
追悼 故三橋さんを偲んで(S26 年入部 塩澤)
山の会基金担当
山岳部活動報告(2003 年~2012 年)
三枝守維会員(昭和 13 年帝大卒)から山の会へご寄付
総括(嘉門洋介、村田直一、相原孝典、太田峰人、小塩
を頂きました。幹事会で相談の上、ありがたく頂戴すると
弘樹、中原真史、松澤智)
ともに、山の会基金に組み入れてさせて戴き、山岳部、
地域別記録集
山の会の活動に供させていただくことにいたしました。こ
北海道・北東北・蔵王・飯豊朝日・南東北・北アルプス・そ
こに紙面を借りて厚くお礼申し上げますとともに、ご報告
の他の地域
いたします。
会報 16 号発行にあたり、会員諸兄から、会報に関する
アイデア・原稿・写真等を広く募集しております。ご連絡を
◇◇東北大学山の会会報 16 号
発行について◇◇
お待ちしております。
連絡先:会報担当 今井 順一
会報 16 号担当 今井 順一(S45 入)
会報 16 号を、来年平成 25 年夏を目処として、発行の
◇◇会員の個人山行抄◇◇
準備を進めております。会報 16 号の目次案は以下の通
りです。(平成 24 年 12 月 1 日現在)
7/29 吾妻山塊の一切経山 1,948m。
原孜
巻頭言
同行は本院事務部長、看護部長、病棟主任の 3
カラー写真
名。病棟主任が顎の手術の為に足の骨からの移
チベット・四川省の山特集
植手術を受けて 10 カ月。その回復記念登山に、
雲南・チベット・青海の山岳ツアー(S41 年入部 近藤)
歩く時間が短くて、湖の綺麗な一切経を選んだ。
易貢蔵布(イゴンツァンポー)流域の山と谷 2008 年春
快晴。ジリジリという日差し。期待通りの五色沼の
(S45 年入部 今井)
美しさに一同感嘆。浄土平の P から登り 2 時間、
チベット布加崗日(ブージャカンリ峰)、偵察記録(S42
下り 50 分。宇都宮から P 迄は 3 時間だった。頂上
年入部 大江)
はトンボの大群。物の本によるとこのトンボはアキ
ブージャカンリ峰へのアプローチ(2009 年夏)(S41 年
アカネといい、普通は麓の田んぼに生息している
清溪 126 号(18)
が、暑さに弱いのでこの季節は避暑の為高地に移
動するとの事。頂上では担ぎあげたスイカ 1 個を 4
人で。好評なり。面目を保つ。移植骨を取った緋
骨は切り離しのままという肝心の主任は、登りは大
丈夫だが、下りに不安あり。しかし、両手のストック
を下方に同時に突き、両手で体重を受けるように
して下り、無事歩き切った。念の為、4 ㎜ロープで
婦長が後ろから確保しながら下り、すれ違う人達
の好奇の視線を浴びた。P の売店でかき氷を売っ
徳本峠小屋
ていなかったのは残念だった。麓では震災復興の
意気を感じる桃の売り出し中。
8/8 日光の金精山 2,244m。
9/9 徳島県、滝下の天狗塚からサガリハゲ山 今井順一
原孜
曇り時々小雨、日本山岳会四国支部 月例山行
金精峠の P より登り 2 時間、下り 1 時間 40 分。同
他 12 名
行は本院職員 3 名。霧深し。峠から上の風は涼し
四国支部の山小屋、菅生ロッジで前泊。落合東
い。北京から来た看護婦は今迄汗をかいた事がな
林道の終点から丸見谷経由で涸れ沢を詰めて稜
い(汗をかけない)との事だったが、本院に来て山
線に。滝下の天狗塚を往復。あまり人が入ってい
行数度、今回初めて大量の汗なるものをかいて体
ないので稜線は踏み跡程度でところどころで藪漕
調良好と感激。一同祝福。
ぎをしいられる。東面はブナの原生林で、霧の中、
8/9-10 蔵王 清渓小屋
川俣俊一
なかなか趣がある。サガリハゲ山からは、真西に
亡くなった同期生、洲嵜幸久君の遺族(夫人、子
樹林帯の中、地図を見ながら、林道を目指して尾
供 3 人、孫達 12 人)を引率して。塩澤さん、仙台か
根を下る。ふみ跡と目印の赤いテープを確認しな
ら斎藤雅英さんに応援して頂き大変お世話になり
がら、磁石で方向を定めて下っていく。16 時落合
ました。遺族の大震災被災地見学も案内いただき
林道。前日に止めておいた車に分乗し、下山。
ました、感謝。
8/18、21 高麗山、浅間山
9/2 日光の女峰山 2,483m。
9/16 伯耆大山 1,720m。
川俣俊一(単独、足慣らし)
原孜
原孜
行者谷から。7 時間かかりへばる。同行は例の 55、
65 歳の 2 名と案内役の後輩の米子の白川公男君。
南側の志津峠 P から。同行本院職員 7 名。登り 5
50 数年前に、今は故人となった大野俊夫君と剣
時間、下り 4 時間。夏の大雨で破壊された志津林
西面の剣尾根を登ったが、その時に白川君は一
道がやっと修復されたので出かけた。一日中完全
人で全装備を担いで池の谷の左股を登り、天幕を
に大雨。全く何も見えず。一同靴の中は水浸し。
三の窓に移動してくれた。彼は後年病院管理の仕
パンツ迄濡れる。こんな日でも登ってそれなりに楽
事をしていたので、その関係で何度か会ってはい
しみを感じる職員が少し増えた。後輩の田代君等
るが、一緒に山を登るのはあれ以来で、腰痛の為
によると、最近の衣類は進歩著しく、雨具も雨は通
脊椎の手術を受けた後にも関わらず 6 合目迄は
らず、行動中に汗もかかないとの事。自分の現実
一緒に登ってくれた。大きな台風が朝鮮半島方面
との差は何なのか?!衣類の重ね着の仕方が悪
に逸れる日で、天候不順であったが、日本海の眺
いのか?同行者の中には殆ど濡れなかった者も
めも良く、いろいろと思い出深い良い登山だった。
居るので、きっとそうなのだろう。腸の手術の為 2
同行の車椅子の家内も、白川君の予約してくれた
年ぶりの登山となった看護婦も強くて歩き切った。
皆生温泉華水亭のバリアフリーの家族風呂のお
9/2 上高地・徳本峠小屋行
塩澤 厚、川俣俊一、
他 JAC 会員 4 名。
陰で何十年振りに本物の温泉に肩迄どっぷりとつ
かる事が出来て、感激の至りだった。
上高地にある JAC の山岳研究所(1500m)から明
9/17-19 浅草隠山
川俣俊一
神 経 由 、 白 沢 、 黒 沢 沿 い の 道 を登 り 徳 本 峠
千葉高校山岳部 OB 有志山行。北軽井沢の別荘
(2135m)の徳本峠小屋まで往復(約 6 時間)。小屋
に 2 泊してゆったりと登山。
は数年前に改築されていた。(写真参照)
9/22-24 八ヶ岳合宿
清溪 126 号(19)
川俣俊一 日本ゼオン山の会
八ヶ岳合宿 倉敷からも参加メンバーが来てダッ
チオーブンで料理を作り楽しい 3 日間を過ごす。
10/8,9 富士山 お中道(御庭―大沢崩れ)
川俣俊一
千葉高校山岳部 OB 有志山行 「黄ヌメリ茸」を取
りながら歩く。大沢崩れの崩落はすごい。
10/13 三頭山 川俣俊一 日本ゼオン山の会月例行事
10/14 蔵王・左衛門小屋行
塩澤 厚、佐藤正樹、
斎藤雅英、菅原 敏、近藤 孝、田尻研治、石田
要久(明治大 OB)。
清渓小屋のヒュッテ祭の翌日、「ひよどり越え」経
森吉山・向岳(1454.2m)
由、左衛門小屋へ。小屋の壁の間に作られた蜂
巣への熊の襲撃跡があり、応急修理を施す。塩澤、
10/27-28 谷川岳、成蹊・虹芝寮行
塩澤 厚
近藤、石田の 3 名は丸山沢、濁川経由で峩々温
成蹊学園・虹芝寮(こうしりょう、清渓と同じ堀越三
泉に下った。旧館は近く改築予定で、外部からの
郎氏設計で 1922 年建立)の 80 周年記念寮祭に
入浴は中止していた。
三枝守維先輩(昭 13 卒、旧成蹊高卒)の代行とし
10/20-22 秋田・森吉山
塩澤 厚、川俣俊一
て参加。昨年、3 回目の大改修を終えた由。老幼
佐藤正樹、JAC 会員 21 名。
30 名と祝杯。鈴木重信会員(昭 30 入、成蹊高校
21 日、宿の森吉山荘からこめつが山荘(現在、避
卒)の同期生が 5 人参加していて、彼の高校時代
難小屋)経由、北側のこめつがコースを登り(約 3
の話を色々聞かされた。
時間半)、往路を戻った。紅葉は素晴らしかった。
22 日は森吉山東側の玉川上流に懸かる桃洞の滝
を見に行った。宿の送迎車で鳥獣保護センターに
行き、緩い渓流沿いの約 1 時間の登りで滝がある。
素晴らしい自然の造形美であった。(写真参照)
成蹊学園・虹芝寮
11/7 秋山二十六夜山
川俣俊一
千葉高校山岳部 OB 有志
11/10-11 愛媛県、西赤石岳から東赤石岳縦走。
今井順一、他 2 名(姉夫婦)。 晴れ後曇り
別子銅山は、江戸時代初期から昭和 48 年まで、
長年に亘り住友の中心事業であった。今回辿った、
別子山村の日浦登山口から銅山越の山道は、立
桃洞の滝
派な石垣が、ところどころに残っており、小学校や
病院や社宅の跡地が散在している。近年、観光地
として売り出そうとしているので、登山道も、丁寧の
整備されている。8 時半に出発して、3 ピッチで西
赤石岳。物住の頭を越えてから岩山の巻き道に入
る。13 時過ぎに赤石山荘到着。荷物を置いて、東
赤石岳を往復。頂上から、石鎚山、瓶ケ森、笹ケ
清溪 126 号(20)
峰、平家平、新居浜市街地等の眺望を楽しむ。15
(6) 5 合目付近の中腹を広く横断する土砂崩れ対
時前には山小屋に戻り、ここで宿泊。寝具のみ借
策工事用の広いトラック道路があり、下山時に多
りて、自炊。管理人さん、今日は留守。
少ルートを違ってもどこかでこの道路に出る。また、
11/11 雨
樹林地帯の夏道がすっかり雪で隠れない時期に
6 時 40 分発。東赤石の分岐の先まで、巻き道を辿
限定して登るので迷う心配が無い。
り、下山。最初の 1 ピッチは大きな岩がゴロゴロし
(7)万一とことん迷っても通過困難な滝やゴルジュ
ていて、滑りやすく、慎重に下って行く。沢を横切
を有する深い沢がない。
ったところから、植林帯の道となり、格段に歩きや
(8)ルートの中に下がスッパリ切れている雪面のトラ
すくなる。9 時 20 分。筏津着。私のみ、デポしてお
バースが無い。頂上直下の砂礫の部分は雪が凍
いた自転車で、日浦登山口に駐車した車の所ま
る可能性があるが上下の一直線なので、4 ㎜ザイ
で行く。
ルがあれば経験のある先頭の者が軽いテンション
12/3,4 房州伊予ヶ岳(房総のマッターホルン)川俣俊一
千葉高校山岳部 OB 会忘年山行
12/5 男体山 2,486m。
をかける確保で安全に後続者をリード出来る。また、
もし困難な状態ならばここから引き返せば良い。
原孜
こんな事を考えると、この山のこのルートは冬山未
同行本院検査主任男性と女性事務員。共に雪山
経験の数人を案内するのに最適である。同じ男体
は初経験。今回計画したのは日光の男体山登山。
山でも北面から登ると高度差は 700m しか無いが、
夏山しか知らないが冬山登山に魅力を感じている
途中にスッパリ切れ落ちる斜面があるので万一の
本院職員に、冬山登山の入り口として幾らか雪の
場合初心者は滑落死の危険があり、事実過去に
付いた山を味わってもらう為の山行。どんな天候
死亡事故もあるので引率者はザイルの太さも含め
になっても雪崩、滑落、迷い、凍死等で絶対に死
て本格的滑落防止の対策が必要となる。今回の
亡事故が起きないルートで、それなりの高度を持
ルートでも、もっと雪が降って本格的な冬になった
つ山。念の為に 6 本歯のアイゼンは持参するが、
場合はまた別物で、登る前にキチンとしたラッセル
夏靴でピッケルは無しで登れるという条件に限定
法、ピッケル、アイゼン、カンジキ、確保、等のトレ
の登山。という事で中禅寺湖側からの男体山を選
ーニングがいる。
んだ。同じ栃木県近在の山でも、那須連山、日光
この様な効能書のもとに計画し、いざ男体山の南
の女峰山や太郎山、群馬の奥白根山、谷川岳、
面の二荒神社の登山口迄辿りつくと、朝の 6 時半
上州武尊山、等はどこかでこの条件には合わない
にもかかわらず若い神主さんがいて、「この山は二
所がある。このルートの特色は以下の如し。
荒神社の私有地であり、先月の閉山式以降は登
(1)高度差が 1,200m あり、この時期では結構登り
山を認めない」、と宣告された。今迄は最後には
甲斐がある。もし晴れた日に頂上から周囲の雪景
「では今回だけは許可しましょう。気をつけて」とな
色を見たら冬山に登りたくなる事必定。
り登れたのだが、今回はありとあらゆるお願をした
(2)痩せ尾根が無く、雪で滑ってもどこかで木にひ
が「いかなる例外も認めない方針である」という。止
っかかり死亡する事は無い。
むを得ず、中禅寺湖畔から更に上方の戦場ヶ原
(3)岩場もあるが、短くて、転落しても死亡する事は
に車を進め、男体山の北面の志津峠から登る事
無い。念の為に 4 ㎜ザイルで経験者が上で軽くテ
にする。ここからは標高差が 700m 位になる。林道
ンションをかけるだけの確保をすれば大丈夫。
は凍結して、4WD で 4 輪共スタッドレスタイヤにも
(4)ルートの 3/4 は背の高い樹林帯なので、天候の
関わらずスリップする。何とか峠迄辿りつき、登り 5
急変で退却する時でも撤退のタイミングを間違わ
時間、下り 3 時間で登頂。富士まで見える素晴らし
なければ吹雪等に直接曝されて凍死する危険が
い眺望に恵まれ、同行者はすっかり冬山の虜にな
少ない。
ったようだ。心配した途中のスッパリ切れ落ちる斜
(5)南面なので、天気が良ければ登る時はキックス
面も、夏靴、6 本爪アイゼン、ストック、で登れた。
テップで登れた所が下山時にはコチコチになり滑
晴れ。峠から樹木は全面霧氷、雪は浅い所で踝、
落する、という危険が少ない。雪崩の危険は全く無
深い所で太股迄。最初の目的通りの条件で、同行
い。
者の喜びも大きく印象深い山行となった。
清溪 126 号(21)
12/9 香川県高松市石清尾山ハイキング。
今井順一
[日程] 2013 年 3 月 16(土)-18 日(月)の 2 泊 3 日
日本山岳会四国支部 月例山行 他 12 名
[場所] 清渓小屋
日本山岳会初代会長 小島烏水は高松生まれで、
[費用] 6.000 円(3.000 円/泊)
日本山岳会の設立発起人の一人です。ウェストン
[申し込み方法] 同封のはがきに記載の上、平成 25 年 2
と同じ佐藤久一朗が作製した小島烏水のレリーフ
月末日までにお送り下さい。または E-メールで幹事まで
を埋め込んだ顕彰碑を石清尾山に建立し、来年 4
返信ください。
月 13 日に小島烏水祭を行います。
[申込先] 大江隆夫
今回は、その建設地を視察し、石清尾山周辺の古
[幹事] 古田雅朗、斎藤公夫、大江隆夫
墳を巡り、竹清で美味しい讃岐うどんを食べ、花樹
海温泉で瀬戸内海の絶景を楽しみました。
◆会員の異動
◆案内
住所変更
西尾 文彦(S40 理)
◇◇2013 年度山の会総会予告◇◇
川本 明(S42 工)
2013 年度山の会総会を下記により開催いたします。詳細
高見 浩太郎(H8 理)
は次号の清渓にてご案内いたしますが、日程の確保、ま
高村 和宗(H8 工)
たお誘い合わせての出席方 よろしくお願いいたします。
長谷川 英明(H9 工)
日時: 2013 年 6 月 8 日(土) 午後 3 時受付
安中 信仁(H3 工)
場所: 東京 都内
会場検討中
◇◇平成 25 年度志賀高原スキーの集い◇◇
佐藤 正樹(S30 入)
自宅住所の訂正
松野 正紀(入会会員)
毎年行っております「志賀高原スキーの集い」を今シーズ
山口正人(入会会員)
ンも行います。
田尻 研治(S47 工)
多くの方の参加をお待ちしております。お申し込みは出
氏名と郵便番号の訂正
来るだけ早めに世話役佐藤 正樹までお願いします。締
涌澤 亮介(入会会員)
め切りは 1 月 18 日とします。
JR 東日本の「大人に休日倶楽部パス」は 1 月 17 日から
メールアドレス変更
1 月 29 日までの間の 4 日間有効です。尚、今回は 25 日
小塩 弘樹(H19 医)
朝から宿に入る方もいますのでご希望の方はご連絡くだ
中原 真史(H21 理)
さい。
日程
宿泊
電話番号の訂正
1 月 26 日(土)~29 日(火)までの 4 日間
宿泊は 26,27,28 日です。この間 1 泊でも 2 泊でも
菅村 洋治(入会会員)
ご都合に合わせて参加ください。
大久田 和馬(S33 工)
シャレードイン志賀(例年通り、
千田 雅之(入会会員)
昨年とは違います)。 所在地は丸池です。詳細
郵便番号の訂正
は参加者にご連絡します。
世話役 佐藤 正樹
吉木 岳哉(S62 理)
◇◇OB 合宿のご案内◇◇
転居先不明
恒例の OB 合宿を下記にて開催いたします。会員外の
友人、知人もお誘い合わせの上、奮ってご参加ください。
来年中に名簿を発行いたしますが、以下の方が転居先
不明です。
清溪 126 号(22)
ご存知の方は事務局まで一報願います。
永眠、老衰死と言えるのではないか」とのことでした。
立沢 喜正(S26 経)
清渓小屋をこよなく愛し、満 88 歳までスキーで入舎さ
打木 城太郎(S27 文)
れたグレートマーゲンのご冥福を心からお祈りします。塩
藤村 徹(S29 法)
澤会員が海外旅行から 12 月 10 日に帰られますので、一
比嘉 昭彦(S37 工)
緒に弔問に伺いたいと思っています。
野村 昌弘(S54 理)
2012 年 12 月 4 日
安田 浩(S54 薬)
佐藤 正樹
小林 幸夫(S57 理)
三浦 晋 会員(二高 S19 文 1 卒業)
井上 貴史(S63 農)
園田 寛治 会員(二高 S25 理 2 卒業)
浦川 嘉哉(H5 文)
大村 光晴 会員(二高 S8 理 3 卒業)
中村 和也(H5 工)
謹んでご冥福をお祈りいたします。
西村 陽彦(H9 工)
岩村 武(H10 理)
◆編集後記
矢野 寛(H11 工)

江面 道典(H18 医)
一年生部員に大学山岳部に入っての印象を寄稿し
志賀 啓次(H20 工)
てもらった。我ながら 40 数年前の若さにあふれ新鮮
山添 健次郎(H20 工)
で柔軟な肉体と精神の持ち主であった時代を感傷
加賀谷 祐太(H18 医)
とともに思い出す。新人部員の活躍と発展を祈るや
伊勢 孝太郎(H15 工)
切。

本田 美貴(H21 農)
あの大マーゲンさんが 100 歳で逝去された。20 年近
林 広幸(H21 工)
く前、清渓のスキー合宿中、澄川と岳樺沢の出合で
大野 俊雄(S31 工)
休憩中に背筋を真直に立て筋肉質の上半身を陽光
滝澤 三郎(S16 理)
に晒して戦争中の話を懐かしそうにされた姿が印象
深い。ご冥福を祈る次第です。
退会

土屋 範芳(入会会員)
この清渓が発行される頃は岩手山での冬合宿が終
わり一段とたくましくなった現役部員からどんな経験
談が聞けるか楽しみだ。

◆訃報
清渓編集に関するご意見、アドバイス等がありました
ら何でも結構です。下記までお寄せください。
大村 光晴会員逝去さる。
清渓編集担当 大江隆夫
12 月 4 日朝、大村会員のご子息から電話をいただきま
した。
大村さんは 11 月 29 日永眠、12 月 1 日通夜、12 月 2
日告別式を済まされたそうです。ご子息から東北大学山
の会の関係者の連絡先が見つからず連絡できませんで
した。たいへん申し訳ありませんでしたとお詫びの言葉を
頂きました。
「マーゲン」の通称で多くの人に敬愛された大村さんは
満 100 歳と 8 ヶ月余の人生を全うされたのです。
清渓 124 号に「大村光晴会員の現在」として電話で近
況をお聞きして皆様にもお伝えしましたが、ヒュッテ祭の
前にも電話で近況を伺ったときはまだとてもお元気の様
子でした。
ご子息は「十二指腸の潰瘍から出血・回復することなく
清溪 126 号(23)