?l怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造 - 椙山女学園大学

?l怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
山
根
一
郎
Phenomenolollica1PsychologyofFear2:duaトI:)r(xessoffear
lchiroYjxMANE
椙山女学園大学人間関係学部・大学院人間関係学研究科
人間関係学研究第12号(2013年度)別刷
人間関係学研究第12号2013105­117
?訓布の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
山
根
一
郎
*
Phenomenologica1PsychologyofFear2:dua1­pr(:)(2essoffear
lchiroYyxMANE
1。問題
筆者は「驚きの現象学」(山根,2005)以来,個々の感情について,既存の自明視された解
釈 の 見 直 し を 続 け て き た 。 本 来 な ら , さ ら に 新 た な 個 別 感 情 に 目 を 向 け る べ き な の だ が, そ の
間 , 恐 怖 に つ いて の み , 講 演 依 頼 な ど で 考 察 を 進 め る 機 会 を 得 , そ の 過 程 で 前 稿 の 「 恐 怖 の 現
象学的心理学」(山根,2007)に追加すべき問題が見えてきた。そこで本稿では前稿での考察
を 進 め , 恐 怖 症 で は な い 普 通 の 人 間 に と っ て の 恐 怖 感 情 の あ り 方 を 考 えて い き た い 。
1
。
1
.
前稿のまとめ
先 ず, 前 稿 で の 論 点 を ま と め る こ と で, 本 稿 へ の 導 入 と す る 。
恐怖を「危険に対する反応」とみなすのは,三人称的視点による機能主義的解釈であり,わ
が身の危険を推論できそうにないネズミや乳児における恐怖反応の心理学的説明にはならな
い。体験(=現象)を一人称的視点で記述する現象学的視点では,恐怖とは,他(非自己の存
在者)の異様な現れに対する根源的反応のひとつである。行動を動機づける心的状態すなわち
動因(drive)として感情を位置づけた場合,恐怖は逃避行動を動機づける感情=「逃げ出し
たい気持ち」ととらえられる。すなわち,恐怖の対象は解釈されだ危険 ではなく,目の前に
出現している異様な他であり,その対象から逃げ出すことを動機づける感情(動因)である。
もっとも,危険を回避する反応という恐怖感情の個体の意識を越えた生態学的機能を否定す
るものではない(むしろ本稿では積極的に肯定される)。ただ,少なくともわれわれ人間にとっ
ては,危険は生後に学習されるものであり,危険を回避する反応は,生得的な恐怖反応が経験
に よ る 状 況 の 認 知 お よ び 死 の 概 念 と 結 び つ いて は じ め て , ま っ と う に 機 能 す る も の で あ る 。 む
し ろ , 恐 怖 が 必 ず し も 危 険 と 結 び つ か な い こ と が, 恐 怖 と い う 感 情 の 真 の 理 解 を 深 め る 。 た と
えば,ホラー映画やお化け屋敷のように,好んで体験される恐怖(楽しまれるi11;怖)は,逃避
反 応 と は 正 反 対 の 行 動 ベク トル を 動 機 づ け て い る 。
以上のように前稿では,恐怖の通俗的解釈の矛盾を指摘し,その証拠となる楽しまれる恐怖
の存在を明らかにした。
1.2.本稿の課題
前 稿 で 見 落 と して い た 点 が あ る 。 恐 怖 が 駆 り 立 て る 行 動 を 逃 避 ̈ に 限 定 し , 別 の 行 動 で あ
*心理学科教授
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る すくみ (freeze)を見逃していた。本稿では,すくみという状態における心的状況を追
加することで,恐怖に対する理解を深めたい。
そ して 前 稿 で も 着 目 し た , 危 険 で な い こ と が 明 白 な 場 合 で も 体 験 す る 恐 怖 と , 本 来 的 な 生 存
の危険に遭遇した場合のitl布との心理学的な相違を明確にしたい。すなわち,危険との関係を
基準にすると,恐怖は二種類ある。この二種は発達初期段階を基準にすれば,「生得的恐怖」
と「習得的恐怖」に,充分成熟した段階を基準にすれば,「危険でない恐怖」と「危険な恐怖」
に相当する。さらに危険と恐怖との対応関係の一致・不一致から,以下の4つの組合せが可能
となる。
①危険有・;5怖有,②危険無・恐怖有,③危険有・恐怖無,④危険無・恐怖無
①は「危険な恐怖」,②は「危険でないi5怖」,③は「恐がれない危険」となる(④は背景的
な組なので除外)。
本 稿 で は , ① ② の 二 種 の 恐 怖 の 関 係 を 認 知 の 「 二 重 過 程 モ デル 」 を 援 用 して 理 解 して み る 。
ま た ② の よ り 積 極 的 な 「 楽 し ま れ る 恐 怖 」 の 考 察 も 深 め た い 。 そ して , ① と ③ と の 対 比 に よ っ
て,人類の前に立ち現れる新たな危険に対して,既存のヨ5怖メカニズムが充分に機能していな
い現状を問題にしたい。
2。二種類の恐怖
「危険でない1?1布」は,生得的恐怖反応に由来するもので,必ずしも現実の危険と結びつく
ものではない。それゆえ,危険と分離的できる̈安全な ;殴|布反応として,文明装置によって
娯 楽 化 さ れう る 。 一 方 「 危 険 な 恐 怖 」 は , 危 険 の 認 識 が 可 能 に な って は じ めて 習 得 さ れ る も の
で, 高 度 な 認 知 能 力 が 前 提 と な る ( 感 情 反 応 と して は 同 一 ) 。 人 類 に と って は 習 得 的 に 実 現 さ
れる本来的な機能の恐怖である。
この二種類の1111rl布は,昨今注目されている「二重過程 (:,uble­process)モデル」にあては
めることができる。これは,認知機能の情報処理プロセスが遺伝的な自動処理と知性を駆使し
た推論的処理と並行的に二種類あるというモデルで,「脳内にふたつの認知システムが存在し,
それぞれが他方とは分離しうる目的構造と,その目的構造を実行に移すための独自のメカニズ
ム型を持つ」(StEavich,2004)というもので,いわば心の二元論の一種である。心の二元論
は , 理 性 と 感 情 ( 精 神 の 能 動 と 受 動 ) , 意 識 と 無 意 識 な ど を 切 り 口 と して き た 伝 統 的 な 捉 え 方
で あ る 。 こ れ ら は いず れも 人 間 に 固 有 の 高 度 な 知 性 と 勁 物 的 ・ 本 能 的 な 非 知 性 と の 並 列 処 理 モ
デル で あ り , 最 新 の 二 重 過 程 モ デル も , 進 化 心 理 学 や 神 経 科 学 の 科 学 的 知 見 に 準 拠 し た そ の 認
知 版 と い え る 。 こ の 二 種 の 過 程 は 研 究 者 に よ っ てそ れ ぞ れ 別 個 の 名 称 が つ け ら れて い る が, 特
定の特徴に限定しない包括的な名称として,IE;t:11novich(1999)は「システム1」,「システム2」
と 表 現 して い る 。 二 重 過 程 の 各 過 程 を こ れ に 代 表 さ せる と , シス テム 1 の 特 徴 と して , 「 連 想
的,全体的,並列的,自動的,認知能力への負荷が少ない,比較的迅速,高度に文脈依存」と
な り , シス テム 2 の 特 徴 と して , 「 規 則 に 基 づ く , 分 析 的 , 直 列 的 , 制 御 的 , 認 知 能 力 へ の 負
担が大きい,比較的遅い,文脈から独立」としている侶t:anoヽ/ich2004)。
認知の二重過程においては,恐怖を含む原始的;Ciこ情勁は,一括してシステム1に配属される
が, そ れで は 現 代 人 の 二 重 化 し た 恐 怖 の あ り 方 を 説 明 で き な い 。 よ って 本 稿 で は , 原 始 的 な 情
動 に 由 来 す る 恐 怖 自 体 が, 文 明 化 さ れ た 人 間 に と って は 二 重 過 程 を も つ と い う 立 場 を とる 。 恐
怖が認知対象に対する反応であるなら,結果的にヨ5怖反応もその認知の二重性に巻込まれると
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いえるからである。たとえばDamasio(1994)は,情動をシステム1的な「一次の情動」と
シス テム 2 的 な 「 二 次 の 情 動 」 と に 分 け て い る 。 そ こ で , シス テム 1 の 恐 怖 を 「 恐 怖 1 」 , シ
ステム2の恐怖を「恐怖2」とすることで,ヨ5怖を二種に分離する。
i5怖1は,直感的・反射的な恐怖反応で, 危険の認知 を必要としない。すなわち皮質連
合 野 を 経 由 し な い , 進 化 的 に は 古 い 系 統 の 反 応 シス テム で あ る 。 恐 怖 の 中 枢 を
せると,刺激→感覚野→
桃体に代表さ
桃体→15怖反応の経路となる。心理現象としてのi5怖1は,直感的
で 瞬 間 的 な 緊 急 反 応 で あ り , 異 様 な 他 と い う 特 定 様 相 の 視 覚 刺 激 に 対 して 無 条 件 的 に 発 動
さ れ る 逃 げ 出 し た い 気 持 ぢ で あ る 。 状 況 の 危 険 度 や 自 己 の 生 存 へ の 知 的 理 解 は バ イパ ス さ
れるため,実際の危険の認知とは無関係に発動する場合があり。その場合は「危険でない恐怖」
となる。
恐怖2は,危険という判断結果にもとづく恐怖であり,思考・判断という認知的過程を要す
る。すなわち刺激→感覚野→連合野→
桃 体 → 恐 怖 反 応 と い う 経 路 で。 皮 質 連 合 野 に よる 危
険 との照合作業を要する付加的な経路である。恐怖2は,自己の 死̈が15怖の本質的対象
と な って い る 。 そ の た め , 恐 怖 の 対 象 と な る 条 件 は , 死 を も た らす 危 険 で あ り , 対 象 の 視 覚 的
異 様 さ で は な く な る 。 こ の 恐 怖 こそ 機 能 的 に 本 来 的 な 「 危 険 な 恐 怖 」 と な り う る 。 恐 怖 2 は ,
危険を正確に判定するという過程が追加されただけで,その反応自体は恐怖1と同じである。
ただ,認知過程が増大した分,感情反応としてのi5怖以前に,知的認識としての危機意識が 恐
れ る 事 の 主 要 部 分 と な る 。 行 動 と して は , 反 応 潜 時 が 長 く な る た め , 正 し い 反 応 で あ っ て も
危険回避が遅れる場合がある。
二 種 の 恐 怖 は 一 人 の 人 間 に 並 存 して い る が, 進 化 的 に も 発 達 的 に も , 恐 怖 1 が 先 に 発 動 す る 。
人 類 に お いて は , 成 長 後 , 恐 怖 1 は 危 険 と 無 関 係 で も 生 じ う る こ と が 理 解 さ れ る 。 た だ 異 様 な
他の現われに対する生得的反応性を消すことはできない。恐怖2は,学習体験および状況と自
己 の 運 命 の 認 知 能 力 が 一 定 以 上 に 成 熟 して 成 立 し , そ の 後 は 恐 怖 の 主 導 的 な 位 置 を 占 め る 。
j5怖1にも恐怖2にも。危険でないものを恐がる誤
い誤
(空振り)と,危険なものを恐がらな
( 見 逃 し ) が 潜 んで い る 。 わ れ わ れ に と っ て , 「 空 振 り 」 と 「 見 逃 し 」 を 滅 ら す 行 動 メ
カ ニ ズ ム を 学 習 的 に 育 成 す る こ と が, 恐 怖 と の 正 し い 付 き 合 い 方 に な る 。
3。恐怖1の対象
恐 怖 が 危 険 に 対 す る 反 応 で あ る と い う 規 定 は , 心 理 学 的 に は 誤 り で も 生 態 学 的 機 能 と して は
妥当である。生得的な恐怖1の対象は,初回の学習機会そのものが生存の危機になるため,遺
伝 的 に プ ロ グ ラ ミ ン グ で き た 個 体 が 生 き 残 って き た 。 そ の 主 たる 対 象 を 論 じ る 。
3。1.捕食者
捕 食 者 と な る 肉 食 勁 物 へ の j 恐 怖 1 は , 生 態 系 の 上 位 の 動 物 種 に お いて も そ の 幼 期 に は 備 わ っ
て い る 。 ま た , 捕 食 者 で は な い が 毒 性 の あ る 攻 撃 的 な 動 物 種 ( ヘ ピ や ク モ ) に 対 して も 恐 怖 1
が 存 在 ・ 残 存 して い る か も し れ な い 。 捕 食 者 に 対 す る 警 戒 は , 確 実 性 よ り 敏 感 性 が 優 先 す る た
め ( 見 逃 し は 致 命 的 だ が, 空 振 り は 損 失 が 少 な い ) , 恐 怖 1 の 作 勁 は 生 存 に と っ て 合 理 的 で あ
る
。
ヨ ー ロ ッ パ で も 狼 の 脅 威 が 民 話 に 残 って き た よ う に , 人 類 が 肉 食 獣 の 脅 威 か ら 解 放 さ れ た の
は そ う 遠 い 過 去 で は な い が 。 む し ろ そ れ 以 前 か ら , 人 類 に お いて 生 命 の 危 険 を も た ら す 他 は 同
種 た る 他 者 で あ る 。 も と よ り , 同 種 間 の 殺 戮 は , 霊 長 類 の ハ ヌ マ ン ・ ラ ン グー ル に お い て
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観 察 さ れ た の を は じ め と して , い くつ か の 種 で 確 認 さ れて い る 。 た と え ば ハ ヌ マ ン ・ ラ ン グー
ル で は , 他 の 群 を 乗 っ 取 っ た 雄 た ち は , 雌 が 抱 えて い る 子 ザル を 皆 殺 し に す る と い う 。 そ の 結
果,雌の養育行動が解除され,発情が促がされるという(杉山,1993)。また遺伝子を残したい
雄には他の群れの雄の遺伝子をもった幼体は邪魔でしかない。
人 類 に 乳 幼 児 の 殺 戮 と い う 習 慣 は 存 在 し な い が, 神 話 的 寓 話 と して 有 名 な の は , マタ イ 福 音
書 に あ る , ヘ ロ デ 王 に よる ベ ツ レ ヘ ム で の 2 歳 以 下 の 男 児 の 殺 戮 で あ る 。 幼 な 子 が 実 父 で な い
成 熟 し た 雄 に 殺 さ れ る と い う パ タ ーン は , 現 代 社 会 で も , 再 婚 し た 妻 の 連 れ 子 に 対 す る 夫 の 虐
待として続いている。殺す側の生物学的論理でいえば,幼い他個体という自分の子のライバルを,
圧倒的な力の差のある段階で,あらかじめ取り除くということである。殺す側にそのようなメカ
ニズムが存在するならば,殺される側もそれに対応するメカニズムが存在しておかしくない。
人 類 の 場 合 , 乳 児 が 示 す 「 人 見 知 り 」 が そ れ に 対 応 して い る と 思 わ れ る 。 人 見 知 り と して 乳
児が示すi5怖反応は,愛着対象(母)以外の親しみのない他者に対してだが,とりわけ成熟し
た 雄 の 風 貌 に 対 して 強 い 恐 怖 を 示 し が ち で あ る 。 す な わ ち , 親 密 度 と い う 関 係 性 だ け で な く ,
そ れ に 加 えて 視 覚 的 異 様 さ , し か も 成 熟 し た 雄 と しての 強 く ・ 野 性 的 と い う 性 質 の 異 様 さ , 端
的に言えば 鬼 のような容貌に対するi5怖が非学習的に発動される。実際,野生でない社会
生活を送る上では,猛獣に対する恐怖よりも見知らぬ男に対する恐怖の方が危険防止機能とし
て 有 効 で あ ろ う 。 そ して , 人 類 に お いて は , 鬼 的 容 貌 が ー 層 強 調 さ れ だ 化 け 物 が, 危 険 と
は無関係に恐れるべき他者として語り継がれていく。
3。2.断崖
動物の本来的危険は捕食者だけではない。生存を許さない自然環境,たとえば
熱,寒冷,
乾 燥 な ど の 大 気 状 態 や, 激 流 , 断 崖 な ど の 地 形 状 態 も 確 実 な 死 を も た ら す。 突 発 的 な 自 然 災 害
には防御する術がなくても,これらが捕食者と異なるのは,生体側から接近・回避を制御でき
る点にある。すなわち一定以上接近しない「すくみ」行動で対処できる。
そ の 中 で, 鳥 類 以 外 の 陸 上 生 活 す る 動 物 に と って は , 高 い 断 崖 は 捕 食 者 同 様 , 一 回 の 学 習 体
験 す ら 許 さ れ な い た め , 生 得 的 に 防 御 す る メ カ ニ ズ ム を 進 化 的 に か な り 古 い 段 階 か ら 獲 得 して
きた。転落が未経験の個体にとっての断崖のヨ5怖の対象は,地面の衝撃ではなく,断崖という
視覚刺激そのものである。それを明らかにしたのが,有名な視覚的断崖実験である(Gibson
&Wak1960)。
この研究の主眼は,恐怖ではなく,奥行き視覚の確認にある。これは視覚情報の綜合化によ
る 透 明 な 空 間 の 認 識 で あ り , そ れ に も と づ く ア フ ォ ー ダ ンス 的 な , す な わ ち 推 論 を 必 要 と し な
い 視 覚 情 報 処 理 に よる 直 感 的 な 行 動 判 断 で あ る 。 人 間 の 乳 児 を 含 め た さ ま ざ ま な 動 物 種 の 幼 体
が 示 し た 視 覚 的 断 崖 上 で の 前 進 行 勁 の 停 止 は , 通 常 の 動 物 実 験 に お ける 恐 怖 の 行 動 的 指 標 と さ
れ る 「 す く み 行 動 」 そ の も の で あ る こ と か ら , 視 覚 的 断 崖 の 直 上 に お いで 恐 怖 が 惹 起 さ れ
ているとみなすことに無理はない。
で は 視 覚 的 断 崖 か ら 受 ける 恐 さ と は どの よ う な 体 験 か 。 成 人 で も 本 物 の 断 崖 上 に 立 て ば 恐 怖
を 覚 える 。 実 際 , 観 光 地 で な い 山 岳 地 帯 で は , 安 全 を 確 保 す る 柵 な ど が ま っ た く な い 断 崖 上 に
立つことが可能である。筆者は,最近,山梨県大月市にある岩殿山(634m)近くの通称「稚
児 落 と し 」 と い う 断 崖 上 に 立 っ た ( 図 1 ) 。 立 ち 上 が って 絶 壁 を 見 下 ろ し た 途 端 に 両 下
に揮
れるような感覚が走ったにの感覚が強まれば膝は震えていただろう)。まるで筆者の身体がしゃ
が む こ とを 要 求 して い る か の よ う だ 。 こ の 感 覚 は 自 分 が 転 落 す る こ とを イメ ー ジ す る 前 に , す
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恐怖の現象学的心理学2:葱叩liの二重構造
なわぢI危険 Iを連想する前に,絶壁の
視覚経験だけで発現した。そして座るこ
と,すなわち尻が地に着き,視野から絶
壁の下部が消えることで,両下
の庫れ
たような感覚は消えた。
視 覚 的 断 崖 尖 験 に お け る 乳 児
は , 停 止 す る だ け で は な く , 退 く ・
い つ く ば る 行 動 を 示 す ( た と え ば
pochiwanw皿nakunaの視覚的断崖実験
のyoutube動山)。これは乳児に限らず。
成人でも柵のない断崖上に立った場合
に示すことがある。
図1「稚児落とし」の断崖と登山道(筆者撮影)
いつくばるとは,
地面にしがみつくことで,視点を含む身体と地面との距離を縮め,地面そのものと積極的に一
体になろうとする行勁である。この場合の地面は,人見知りの乳児がしがみつく母親に相当す
る。落下経験のないさまざまな動物種の幼体が示す視覚的断崖でのすくみ行動は,奥行き視覚
に よ って 可 能 と な り 。 「 進 も う と す る 地 面 が 眼 下 は る か 遠 方 に あ る 」 と い う 風 景 を 体 験 さ せる 。
そこでの眼下の断崖は,地而からの距離の異様さ,すなわち距離の一定限度を超えた変容態と
い う 点 で , 恐 怖 1 の 対 象 と な り う る 。 そ して , 眼 前 の 地 面 の 視 覚 的 欠 落 が, よ り 確 実 な 感 覚 で
あ る 触 覚 ( 自 己 と の 距 離 が O ) に よ って 地 面 を 求 め さ せる の で あ ろ う 。
3。3.暗闇
明 示 的 他 ( 者 ) で は な い 恐 怖 対 象 と して , 暗 闇 は 特 異 で あ る 。 幼 児 以 降 , 暗 闇 は 恐 怖 対 象 と
なりやすい。筆者自身も幼い眸家屋内の暗闇空間が恐怖の対象であった。ただし,空間とし
て の 暗 闇 そ の も の が 恐 い の で は な い 。 暗 開 に 何 か 悪 意 の あ る 化 け 物 が 潜 んで い る こ と を 想 像 し
て恐かった。すなわち異様な他の 不在 が確認できない暗闇は,それゆえに異様な他のj替
在 を容易に投影させる無限の奥行きのある空間なのである。夜の闇が家屋の周囲にあった近
世 以 前 は , 闇 に ひ そ む 化 け 物 は も っ と 身 近 で あ っ たろ う 。
実 は 成 人 して か ら も , 筆 者 は 暗 闇 に 恐 怖 と 感 じ た こ と が あ る 。 善 光 寺 ( 正 確 に は , 長 野 県 飯
田 市 の 元 善 光 寺 ) の 本 尊 下 の 暗 闇 空 間 に た ま た ま 1 人 で 入 り こ み , 自 分 を 取 り 巻 く 周 囲 すべ て
が 真 の 暗 黒 に 包 ま れ た 時 , は か らず も 背 筋 が 冷 える 恐 怖 を 感 じ た 。 た だ し , そ こ で 恐 れ た の は
もはや化け物の潜在ではなく,見えない足下と壁面の何かにぶつかるかもしれないという,む
しろ断崖(の潜在)への恐れに類するものであった。
以 上 の 個 人 的 体 験 か ら , 暗 闇 は , 一 次 的 恐 怖 対 象 ( イ ヒ け 物 や 断 崖 ) が 潜 在 して い る と い う 意
味 で の 二 次 的 恐 怖 対 象 と い え る 。 捕 食 者 や 化 け 物 に 対 して は 逃 避 す る が, 視 覚 的 手 が か り が な
いとすくみ行動を示す。
3 。 4 . 恐 怖 の ジ レン マ 性
「すくみ」という恐怖反応に注目すると,「恐怖=逃避」と単純化していた前稿では見逃して
い た 恐 怖 の 様 相 が 見 えて く る 。 恐 怖 反 応 を 説 明 す る 社 会 心 理 学 理 論 と して , L e w i n ( 1 9 5 1 ) の
場の理論がある。場の理論では,対象への感情は1ifespace内で対象に接近するほど強くなる。
恐怖が弱いと対象に接近可能である。そして接近するにつれて。負のベクトル(対象から遠ざ
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か る 方 向 ) を も つ 恐 怖 が 強 く な る 。 そ して 「 す く み 」 と しての 接 近 の 停 止 は , ( 接 近 を 動 機 づ
け て い た ) 正 の ベ ク トル と 負 の ベ ク トル と の 合 成 と して の 場 の 力 の 均 衡 点 を 意 味 す る 。 い わ ゆ
る接近一回避のジレンマ状態である。その:lt!!点は攻撃距離と逃走距離の境界点である「臨界距
離」(Hedig(,1・,1950)にも相当しよう。ただしi5怖対象側からの一方的過接近に対しては,「逃走」
と い う 距 離 づ け に よ って 均 衡 点 を 回 復 す る ( 均 衡 点 以 上 の 遠 さ に 逃 げ れ ば よ い ) 。 対 象 か ら 離
れると場の力は弱くなるので,iil回布は減少し,対象から充分離れれば,対象が恐くなくなるの
で,再び接近可能になる。
均 衡 点 で 示 す 「 す く み 」 と は , 逃 げ る こ と が 可 能 な 状 態 で あ り , 安 全 の 可 能 性 が 内 包 さ れて
いる。すなわち,すくみとして表現される ill;怖ぱ安全が脅かされた状態 , 安全と危険の
境界状態 で発動するものであって,危険に完全に没入した状態ではない。17世紀の哲学者
5E;1)inoza(1677)によれば,;iltぐ|布は,希望と同じく,対象の「不確かさ」(疑念)がある状態で,
不 確 か な ゆ え に 希 望 を 内 包 して い る と い う 。 そ れ ゆ え 「 恐 怖 な き 希 望 も 希 望 な き 恐 怖 も な い 」
と述べている。疑念がなくなった恐怖は「絶望」と化し,疑念がなくなった希望が「安
」に
な る と い う 。 す な わ ち , 断 崖 の 上 と い う 安 全 と 危 険 の 境 界 点 で は 恐 怖 に な る が, 落 下 し た ら 恐
怖は絶望に変わる。相反する感情ベクトルの均衡状態として,絶望に至っていない状態として,
ill:怖はジレンマ状態を意味する。実際,われわれは断崖の上で震えながら,断崖の下をあえて
覗 こう と す る 。 最 近 の 研 究 で は , も う 1 つ の 恐 怖 反 応 で あ る 「 人 見 知 り 」 も , 他 者 に 対 す る 接
近一回避のジレンマを意味しているという(Matsudaeta1,2013)。
4。恐怖の成熟
生得的な恐怖1から,いかに15怖2が分化するのか。その移行過程はいかなるものか。まず,
遺伝的な意味での 本来的 たる恐怖1における実際の危険との不一致,すなわち現実的意味
での非本来性が露呈される。その結果,恐怖は危険とは無関係の反応としても方向づけられる。
そ して 恐 怖 1 し か な か っ た 個 体 か ら , 精 神 的 な 成 熟 と 経 験 の 蓄 積 に よ って , 新 た な 認 知 シス テ
ムのもとに,真の危険に対応するために恐怖が再構成される。
4。1.恐怖1の克服
特定の視覚パターンを恐怖する段階では,生得的ll怖が自動的に発動する。乳幼児は親密で
ない他者に囲まれる経験にさらされる間,一時的にはヨ5怖過剰状態となる。視覚刺激の異様さ
に過敏になれば,恐怖対象の汎化が起きる。ただ,怖がったあげく何も:;F快な事態が起きなけ
れば,あるいはヨ殴|布対象が快の経験を与えてくれれば,恐怖は消去されうる。格別の異様さを
示 さ な い 他 者 に 対 して は , 接 触 頻 度 が 増 えて 視 覚 的 に 慣 れて く れ ば , 恐 怖 対 象 で な く な る 。 す
なわち野生でなく,治安も安定した社会では,捕食者に対するヨ5怖1は他者に対しては発動さ
れなくなっていく。
断崖へのj5怖の成熟については,現代社会では「すべり台」という遊具が一定の役割を果た
す。 すべ り 台 は , 断 崖 ほ ど で な い が 眼 下 の 地 面 が 急 角 度 で 遠 ざ か って い る や や 異 様 な 状 態 で あ
る 。 乳 幼 児 が すべ り 台 の 初 回 の 経 験 時 に , 視 覚 的 断 崖 と 同 様 の す く み を 示 す か ど う か 筆 者 に は
不 明 だ が, 少 な く と もすべ り 台 が 幼 児 用 の 遊 具 と して ひ ろ く 普 及 して い る こ と か ら , す く み が
あ って も 簡 単 に 克 服 さ れ る は ず で あ る 。 現 代 社 会 で は , 幼 児 は 自 宅 や 幼 稚 園 ・ 保 育 園 , さ ら に
は 近 所 の 公 園 で こ の すべ り 台 を 経 験 す る 。 そ こ で の 滑 り 降 り 体 験 , す な わ ち 地 面 に 身 体 が 着 い
た ま ま の ゆ っ く り と し た 安 全 な 降 下 は , 速 す ぎ な い ス ムース な 加 速 に よる 空 間 移 動 に よ って。
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恐怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
視 野 的 ・ 身 体 感 覚 的 な 快 の 体 験 す ら 与 え る 。 そ して 滑 降 の 距 離 と 角 度 が 増 す に っ れ , 恐 怖 と 快
感 が と も に 増 し , 衝 撃 の な い 適 度 な 加 速 体 験 が, 「 スリ ル 」 と い う 恐 怖 と 快 の 合 わ さ っ た , す
な わ ぢ l 爽 快 で 心 地 よ い 恐 怖 と い う 複 雑 な 感 情 ( ジ レン マ と は 異 な り 明 ら か に 快 ) を 喚 起 す
る 。 こ の 独 特 な 快 経 験 が 遊 園 地 の ウ ォ ー タ ースラ イダー や ジ ェ ッ ト コ ース タ ー ヘ , さ ら に は 自
身の二本足によるスキーの滑降へと導く。
も っ と も 。 すべ り 台 は 。 平 面 で な い 異 様 な 地 面 に 対 す る 恐 怖 は 克 服 さ せ て も , そ して 高 い 視
点 に 立 って 俯 瞰 す る こ と の 視 覚 的 爽 快 さ は 経 験 で き て も , 垂 直 な 断 崖 へ の 恐 怖 ま で も 解 除 す る
ものではない。
4。2.恐怖の端境期
幼児段階になって,視覚的断崖のからくりが理解可能となればノ
く な って い く と 思 わ れ る 。 そ して 実 際 の 転 落 事 故 が 発 生 す る 。 こ れ は , 下 に 開 い た 空 間 に 身 を
乗り出すことができる程度Cこは,断崖を恐れなくなり,その結果,身体の重心が空間上にはみ
でることによるためである(人は断崖の上で,恐;怖しながらも,下をのぞきたがる)。
人 見 知 り と 同 じ く , 一 旦 は 過 剰 に ま で 発 現 し た シス テム 1 の 生 得 的 恐 怖 機 構 が 弱 ま って い く
( 完 全 に 解 除 は さ れ な い ) 。 そ れ は , 恐 怖 が 本 来 的 な 危 険 の 認 識 に 準 拠 して い く ま で の 。 恐
怖1主導状態から恐怖2主導状態への端境期を意味する(事態はそれほど単純ではなく,恐怖
がある方向では般化され。べつの方向では解除されるという複雑な変化を示すであろう)。と
い う こ と は , こ の 発 達 段 階 は , 生 得 的 丿 唇 怖 反 応 が 弱 ま る ー 方 で, 行 動 能 力 上 , 実 際 の 危 険 に 無
防 備 の ま ま 接 近 して し ま う 危 険 期 と い え る 。 そ の 上 , 文 明 化 に よ っ て 生 活 圏 内 に 設 置 さ れ た 人
工 物 に よ る 断 崖 は , 新 た な 危 険 を 与 えて い る ( 乳 児 が 井 戸 に 落 ち る 危 険 は , 孟 子 の 時 代 か ら 存
在していた)。そのためこの時期の親は,「高い所に登ってはダメ」,「知らない人について行っ
て は ダメ 」 と あ えて しつ ける 必 要 が あ る 。
4。3.危険な恐怖へ
15怖1主導から恐怖2主導への移行という恐怖の再構成は,上述した恐怖1の変容につい
で,恐怖2の発達という過程を迎える。
まずは,苦痛(身体的ンド快)体験による新たなヨ5怖対象が学習される。幼児が予防注射に示
す1唇|布反応は,針を刺すという視覚的違和感だけでなく,痛覚の経験によるところが大きい。
すなわち,恐怖は苦痛という経験的根拠をもちはじめる。恐怖が学習可能となれば。学習され
た恐怖対象の出現の予兆だけでヨを|布を発動することが可能となる。これは対象の現前による恐
怖1とは異なる,表象(準現前)だけで発動される恐怖であり。これが恐怖2の発生を準備する。
さ ら に 。 人 間 で は 自 己 の 存 在 へ の 認 識 も 恐 怖 の 在 り 方 を 変 える 。 さ ま ざ ま な 他 者 ・ 他 生 物 の
死 を 知 る こ と で , 人 は 幼 い 時 期 か ら 自 己 の 存 在 の 危 う さ を ゆ っ く 1 川 時 問 を か け て 理 解 して い
く 。 や が て。 恐 怖 と は , 恐 い 対 象 の 現 わ れで は な く , む し ろ 自 己 の 死 の 恐 怖 を 意 味 す
るようになる。このjii
i対象の̈他 から̈自己 への転回こそが,恐怖2の発生契機である。
ヨ5怖の本来的機構が「危険に対する反応」であることの知的理解は,この恐怖2の体現者(成
熟した人間)にのみ可能である。恐怖2は実存的恐怖なのである。
4。4.不可視なものへの恐怖
恐怖が現前の視覚体験に限定されなくなることで,表象(準現前)だけでも恐怖が可能にな
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る。人見知りと視覚的断崖は,それぞれ他者の識別,奥行き空間という視覚認知能力の発達に
よ って い た が, 暗 闇 へ の 恐 怖 は む し ろ 不 可 視 な 対 象 を 恐 れ る 能 力 の 発 現 を 意 味 す る 。 不 可 視 な
対 象 を 恐 れ る こ と が 可 能 な の は , 恐 れ る 根 拠 が 異 様 な 他 で は な く , 自 己 の 危 険 だ か らで あ る 。
自 己 の 危 険 と 結 び つ ける 推 論 思 考 が あ れ ば , 恐 怖 の 対 象 は 妄 想 的 に 拡 散 し う る 。 こ れも 恐 怖 2
の特徴である。
そ の よ う な 不 可 視 の 恐 怖 2 の 対 象 と して 「 悪 霊 」 が あ る 。 悪 霊 は 不 可 視 で あ る た め , 異 様 な
現れを示さないにの点が化け物と異なる)。悪霊が恐れられるのは,異様さではなく,その
力 に よる わ が 身 の 危 険 の た めで あ る 。 悪 霊 の 概 念 は , 危 険 に 対 す る 因 果 推 論 の 想 像 力 が 拡 大 し
た結果である。不可視の悪霊へのi5怖が可能となることは,科学的知識に基づく細菌やウイル
ス , さ ら に は 放 射 線 や 有 害 物 質 な どの 肉 眼 で は 見 え な い 危 険 へ の 恐 怖 を も 可 能 に す る 。 た だ ,
そ れ ら は いず れも 見 え な い だ け に , 危 険 の 度 合 い も ま た 見 え な い 。 そ の た め , 恐 怖 の 程 度 が 危
険度に不釣り合いに高くなることもある。
4.5.恐いもの見たさ
二 重 過 程 モ デル に よ れ ば , 恐 怖 2 が 発 達 して も , 恐 怖 1 は 消 え な い 。 そ の 分 , 恐 怖 は 複 雑 化
する。恐怖の対象が本来的に自己の生存に関わるなら,何よりも恐怖対象である他の存在が
気 に な る は ず で あ る 。 そ して 視 覚 的 に も 異 様 な た め , 他 性 が 強 く 顕 現 して い る 。 目 を 背 け た
くなるのは,どちらかというと嫌悪対象であり,恐怖対象へは思わず目を見開く(Ekman&
I;`riesenJ975)。恐怖対象であるがゆえに見たがることは,場の力としては接近のベクトルと
なり,i?|布のジレンマ性のー方を構成する。
異 様 な 他 が 恐 怖 の 対 象 な ら , そ の 異 様 性 こそ が 注 視 対 象 と な る 。 し か も 恐 怖 対 象 が 危 険 で な
い と 判 明 して い る 場 合 は , 対 象 か ら 離 れ る 必 要 が な い た め , 注 視 お よ び 接 近 す る 勁 機 と しての
関 心 ̈ が 前 面 に 出 る 。 す な わ ち , ヨ 5 怖 の ジ レン マ 性 を 構 成 す る 隠 さ れ た 正 の ベク トル が 顕 在
化 してくる 。 恐 怖 1 の 反 応 は 調 整 で き な い も の の , こ れ が 恐 怖 の 娯 楽 化 へ の 道 を 拓 く 。 猛 獣 や
幽 霊 よ り も 恐 ろ し い 他 と して 想 像 さ れ た 最 大 級 に 異 様 で 巨 大 な 怪 獣 も , そ れ が 危 険 で
なければ,最高に格好いい憧れの対象にすらなってしまう。
5。恐怖の文明的変容
恐 怖 の 再 構 成 は , 個 人 内 の 変 容 に よる だ け で は な い 。 文 明 化 に よる 危 険 そ の も の の 変 容 の 力
も ま た 大 き い 。 ま ず 火 や 武 器 の 使 用 , そ してそ の 後 の 棲 み 分 け に よ って , 人 類 に と って , 他 の
動 物 の 危 険 は 克 服 さ れて い っ た 。 文 明 力 に よる ヨ 5 怖 対 象 の 制 御 が 可 能 と な り , そ の 過 程 で 真 の
危険を見極める恐怖2(危険な恐怖)が発達した。その結果,文明社会の中で危険と恐怖1の
不 一 致 が 発 生 し た 。 そ れで も , 恐 怖 1 の 発 動 は 生 得 的 機 構 な の で 制 御 で き な い 。 「 危 険 で な い
ヨ5怖」の誕生である。
5。1.恐怖の娯楽化
知 的 に 危 険 で な い と わ か って いて も , 恐 怖 1 の 発 動 を 制 御 で き な い と い う こ と は , シス テム
2 の 基 準 で 危 険 で な い が, シス テム 1 の 基 準 で は 恐 い と い う 対 象 が 存 在 す る こ とを 意 味 す る 。
その対象は,危険でない̈安全な恐怖 を可能にする。文明化された人間はその対象領域に注
目 し , 積 極 的 に 開 発 し た 。 お 化 け 屋 敷 や ジェ ッ ト コ ース タ ーで あ る 。 そ こ に 足 を 運 ぶ 客 は , 危
険 で な い と 正 し く 知 り つ つ 安 心 して 思 い 切 り 恐 怖 す る ( 逆 に ま っ た く 怖 く な い お 化 け 屋 敷 に 入
場料を払う人はいるだろうか)。
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恐怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
そ こ で 新 た な 疑 問 が 生 れ る 。 危 険 で な い と わ か って いて な ぜ 恐 怖 を 求 め る の か 。 逃 げ な い ・
立ちすくまないどころか,好んで接近することから,安全な恐怖体験1,ニは快の要素が存在する
はずである。
ま ず 恐 怖 の ジ レン マ 性 の 観 点 か ら 考 えて み る 。 危 険 で な い こ と は ジ レン マ を 弱 く す る 。 そ れ
に よ って 接 近 が 容 易 に な る 。 で は な ぜ 積 極 的 に 接 近 す る の か 。 恐 怖 ( を 構 成 す る 強 い 負 の ベク
トル ) に よ って 潜 在 化 さ れて い た 対 象 へ の 正 の ベク トル が 顕 現 す る と 考 え ら れ る 。 上 述 し た 怖
い も の 見 た さ に お ける , 異 様 で あ る が ゆ え の 関 心 で あ る 。
また,恐怖が喚起する興奮状態もそれ自体が快となることもあろう。たとえば,怖い対象が
現 出 す る ま で の ワ ク ワ ク 感 ( 期 待 感 ) , 異 様 な ほ ど の 強 烈 な 視 覚 対 象 と して の 魅 力 ( 醜 悪 さ に
備わる造形美)などがそれである。lil d布に伴うソクソク感は,感動に付随するチル反応と共通
しているかもしれない。少なくとも双方ともに
桃体を経由している(久垣,2007)。
恐怖が自己の生存にかかわるものでなく,安全圏からの鑑賞対象への感情となるとき,その
11怖は,感動に近いものとなる(山根,2010)。ホラー映画を観た後の「あ一怖かった」とい
う 感 想 は , 怖 さ に 感 動 し た と も い え る 表 現 で , 恐 怖 と い う 感 情 を 強 く 体 験 して い る も の の , 我
を 忘 れて 特 定 感 情 に 浸 っ た 満 足 感 を 示 して い る 。 恐 怖 に 限 ら ず, 強 い 感 情 反 応 と して の 感 動
は,自分のそれまでの気分を強制的に変える効果がある。それがその情動体験そのもの(7)快・
魅力となる。
そ の 魅 力 は よ り 深 い 存 在 論 的 次 元 に ま で 浸 透 して い る か も し れ な い 。 あ えて 恐 怖 を 求 め に 行
く場合の出発:it!1点は,i殴|布がない状態,捕食者も断崖もない,静かで平穏な状態,時間的存在
たる 現 存 在 ( 人 間 ) が, 勁 く ( 逃 げ る ) 必 要 の な い 状 態 で あ る 。 そ の 不 勁 ぱ す く み と い う
相 反 す る ベ ク トル の 合 成 に よ る の で は な く , 動 くべ き 方 向 ( ペ ク トル ) が な い た め で あ る 。 時
間の流れの中に勁かずにただ在り続けている気分,すなわち「退屈」である。退屈は,日常性
そ の も の で あ る た め , わ れ わ れ が そ こ か ら 逃 れ る こ と は 容 易 で は な い 。 む し ろ 出 会 う も の すべ
てが退屈に引き込まれる。20世紀を代表する哲学者HeMeggerに倣っていえば, 時 という
連続的生を生きるわれわれ現存在の, 将来 に対する根本気分は不安であり, 現在 におけ
る根本気分は退屈である。この退屈も,野生生活(日中は食糧を探しまわり,夜は外敵に怯え
る)から解放された文明人特有の気分である。この退屈を破る最適のものは,強い感情(動=
ペ ク トル ) を 引 き 起 す 対 象 と の 出 会 いで あ る 。 た だ し , そ こ に 存 在 様 態 の 変 容 ( そ の 極 端 な 場
合 が 死 ) を も た ら すよ う な 実 害 は い ら な い 。 退 屈 が 紛 れ れ ば よ い の で あ る 。 退 屈 に
んで い る
現 存 在 に と っ て , 接 近 と 回 避 の 双 方 の ベ ク トル を も つ 安 全 な 恐 怖 1 は , 存 在 論 的 危 機 と は 無 縁
で あ る こ と が 保 証 さ れ た ま ま , 自 動 的 に 発 動 してくれ る 。
5。2.恐怖1の付随効果
恐怖1は実害がないだけでなく,危険な恐怖では味わう余裕のない付随効果を堪能できる。
この効果がまた恐怖の娯楽化を促進させる。
a)涼感効果
lilM布に伴う「ソクソクする」。「身の毛がよだっ」という皮膚感覚は寒気反応と同じであり,「青
ざ め る 」 こ と で 表 皮 の 温 度 が 下 っ て 実 際 に 涼 感 を も た ら す。 恐 怖 だ け が, 興 奮 し な が ら も , 熱
くならずに涼感を体験できる貴重;な情動なのである。日本で夏(z)怪談が定着したのも,恐怖1
がもたらす身体反応による涼感効果のためである。恐怖の涼感効果を得るには,危険は必要な
い
。
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b)親密効果
娯 楽 化 さ れ た 恐 怖 は , 単 独 よ り も カ ップル や 仲 間 で 楽 し ま れ る 傾 向 が あ る 。 む し ろ 他 者 と 同
席してこそ,liit;怖は娯楽化されやすい。iS怖1は単純な刺激で誰もが無条件に発動できるため,
興奮状態を共有し,共感的状態になりやすい。反射的な強い興奮ぱ驚ぎでも可能だが,驚
きはー瞬で終わるため,興奮状態が持続しない。
情 勁 的 興 奮 と しての 恐 怖 1 は , 情 動 の 共 有 以 外 に も , 互 い の 接 近 ・ 接 触 が 反 射 的 行 動 と して
自 分 が 躊 躇 無 く , か つ 相 手 に 違 和 感 を 与 えず に で き る た め , さ ら に 親 密 に な れ る 。 他 の 感 情 と
同 様 , 他 者 と 一 緒 の 方 が, 感 情 が 互 い に 増 幅 さ れや す い 。 そ の 結 果 , 親 密 に な る 手 段 と して ,
ヨ?|布の共有体験が利用される(大勢で(7:)怪談話,肝試し)。このように,恐怖1は,他の目的
のための道具として利用される。
6。正しく怖がる
ジェ ッ ト コ ース タ ー に 乗 り , ホ ラ ー 映 画 を 楽 し む わ れ わ れ 文 明 人 は , 恐 怖 1 を 娯 楽 化 して 飼
い な らす こ と に か な り 成 功 し た ( た だ し , 恐 怖 症 と い う 制 御 不 能 な 恐 怖 1 の 病 態 が 存 在 して い
る よ う に , 一 部 は 成 功 して い な い ) 。 一 方 , 恐 怖 2 を 正 し く 作 動 さ せる こ と に は い ま だ 改 善 の
余地がある。恐怖と危険の不­致は,「危険でない恐怖」の他にもう1つの現象,「怖がれない
危険」も発生させるためである。
危険度と恐怖の不一致は,ヨ5怖対象の不可視化によって,過剰に恐怖される現象をもたらし
た 。 そ の 一 方 で, 目 の 前 に 現 れて い な い が た め に , 恐 怖 さ れ な い と い う 問 題 , す な わ ち 潜 在 的
危 険 に 対 す る 鈍 感 さ は 解 消 さ れて い な い 。 文 明 社 会 は 捕 食 者 を 克 服 で き て も , 依 然 と して 病 原
性 ウ イルス や 自 然 災 害 の 危 険 は 残 って い る 。 こ れ ら は 生 得 的 な 恐 怖 1 で は も と よ り 対 処 で き な
い も の で あ っ た 。 す な わ ち , わ れ わ れ は 恐 怖 1 と 恐 怖 2 を 適 切 に 使 い 分 ける に は 至 って は い な
い。明治時代の物理学者寺田寅彦はこうまとめている(文脈は防災に関して)。「もの;を怖がら
な過ぎたり,怖がりすぎたりするのはやさしいが,正当に怖がることはなかなか難しい」(寺田,
2011)。すなわち,危険に対する正しい反応としての恐怖を。我々自身で構築していくことが
課題となっている。
6。1.恐怖2の未熟性
人 類 の 知 性 の 進 化 と 危 険 の 文 明 的 変 容 に よ って , 恐 怖 の 本 来 的 機 能 は よ り 柔 軟 性 の あ る 恐 怖
2 が 担 当 す る 方 向 に な っ た 。 と こ ろ が, 恐 怖 2 は , 自 動 的 に は 発 動 せ ず, 負 荷 の 高 い 知 的 情 報
処 理 を 必 要 と す る 。 そ の 結 果 , 反 応 が 遅 延 して し ま う 。 こ の 恐 怖 2 の 欠 点 が, 災 害 場 面 で の 「 逃
げ 遅 れ 」 を 招 く 。 も ち ろ ん , 情 報 処 理 の 負 荷 が 反 応 を 遅 ら せ て い る の だ が, そ れ 以 前 に , 処 理
さ れ る 情 報 が 適 切 で な い こ と が 多 い 。 ま た , 認 知 的 な 「 正 常 性 バイ ア ス 」 が 認 知 処 理 自 体 を 歪
ま せる 。 日 常 性 と の 差 が 少 な い , ゆ っ く り と 変 化 す る 現 象 は , 異 様 さ が 少 な い 分 , 恐 怖 を 喚 起
しにくい(広瀬,2004)。この正常性バイアスは,「自己が存在している」という存在論的次元
まで浸透して,「自分だけは死なない」(山村,2005)という臆断すら形成する。
6。2.恐怖2の成熟
個 人 で は 対 応 で き な い 自 然 災 害 レ ベ ル の 危 機 対 応 と して , 恐 怖 2 の 正 確 さ と 恐 怖 1 の 迅 速 性
を 活 か し た 行 動 パ タ ーン を , 個 人 だ け で な く 社 会 シス テム と して 確 立 して い くべ き で あ る 。 そ
れには,恐怖2固有の認知過程の改善と,ヨ5怖2とヨ5怖1との連携を効率化する必要がある。
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恐怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
認知過程の改善とは,危険をより迅速に判断することである。15怖2の正確さという長所を
活かしたまま,遅延性という短所を改善するには,まずは危険に対する認知的処理の開始をよ
り 前 倒 し の 方 向 に 進 め る し か な い 。 現 前 して い な い 危 険 を 想 定 で き る と い う 恐 怖 2 の 特 徴 を 活
かし,客観的な観測情報を駆使することで危険の予測が可能となる。すなわち危険の兆候を恐
れる能力を育成する。そのためには,危険に対する客観的な評価が必要になる(残念ながら,
現 実 に は か な り 困 難 な 問 題 を 抱 えて い る 。 誰 し も が 危 険 と 認 め る 巨 大 地 震 を 事 前 に 予 測 す る こ
とは困難である。また,簡単に計測できる放射線や電磁波の危険度の評価は,一応の客観的基
準はあるものの,社会的合意には至っていない)。
次に,危険判断の迅速化が必要となる。危険判断における知的処理の速度に限界があるな
ら , む し ろ 情 報 を 恐 怖 1 の 過 程 で 処 理 さ せる と い う 方 法 が あ る 。 す な わ ち , 読 解 を 必 要 と す る
記 号 情 報 で は な く , 視 覚 的 異 様 さ を 表 現 す る イメ ー ジ 情 報 に す る 事 ( 可 視 化 ) で あ る 。 も ち ろ
ん , 配 信 の リ アル タ イム 化 は そ の 前 提 と な る 。 た と え ば , 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 の 直 後 , 自 衛
隊 航 空 機 に よ る 沖 か ら 接 近 して い る 津 波 の 映 像 が テ レ ビ 放 映 さ れ た ( す な わ ち 津 波 が 陸 地 を 襲
う以前の映像である)。この映像は,数値・言語的な「大津波警報」よりも,よほど危険を伝
え る イ ンパ ク ト が あ る 。 同 様 に 監 視 カ メ ラ に よ る 河 川 の 増 水 状 況 の 映 像 の 自 動 配 信 も 価 値 が あ
る(ただし,災害時の配信上のトラブルは避けられない)。
ち な み に , リス ク ・ コ ミ ュニケ ー シ ョ ン に お ける 態 度 形 成 に お いて も , 二 重 過 程 モ デル に 則 っ
た,システム1に相当する「周辺的ルート処理」と,システム2に相当する「中心的ルート処理」
の2種があるという(中谷内,2006)。それらを2つの恐怖と対応させれば,以下の関係になる。
周辺的ルート処理=視覚的・|弱情的情報→ Wざ|布1を発動
・=1=l心的ルート処理=計測的・論理|妁情報→ヨ5怖2を発勁
現代的な危険に反応できないのがj5怖1の弱点であり。危険に間に合わないのが恐怖2の弱
点 で あ る 。 そ して 敏 速 に 行 動 化 で き る の が 恐 怖 1 で あ り , 正 し く 危 険 を 認 識 で き る の が 恐 怖 2
で あ る 。 わ れ わ れ に は こ の 2 種 の 恐 怖 が 並 存 して い る の で あ る か ら , 互 い の 長 所 を 活 かすよ う
に 連 携 さ せ た い 。 も ち ろ ん , 恐 怖 1 に 先 立 つ 恐 怖 2 の 認 知 過 程 を 敏 感 に 作 動 さ せる こ と が 前 提
である。さらに感情のあり方として,15怖2→ヨ5怖1の流れに身をおく時,「怖がりすぎ」に
も 「 怖 が ら な さ す ぎ 」 に も 陥 ら な い 感 情 的 バ ラ ンス を 保 つ 心 構 え が 必 要 と な る 。
危険という判断がくだった後の行動こそ,ヨ?|布2とヨ?|布1のリアルな連携の場である。この
連 携 を ス ム ース に す る に は , 身 体 を 使 っ た 日 頃 の 訓 練 , た と え ば 避 難 訓 練 が 重 要 と な る 。 避 難
訓 練 は , 避 難 行 動 を 恐 怖 1 的 な 自 動 シス テム に 組 み 入 れ る 行 動 訓 練 , す な わ ち ス ポ ー ツ や 芸 能
の 訓 練 と 同 じ く 。 皮 質 の 複 雑 な 経 路 を バ イパ ス し て 反 射 的 に 身 体 動 作 化 す る 回 路 の 形 成 で あ
る 。 そ の た め に は 。 訓 練 の 繰 り 返 し に よ って 避 難 行 動 を 準 自 勁 化 す る 必 要 が あ る 。
そ して , 災 害 の 本 番 で は ひ た す ら 逃 げ る 。 関 東 大 震 災 に お いて , 燃 えや す い 家 財 道 具 を 大 ハ
車に乗せて避難場所に集合したことが。焼死者を大幅に増大することにつながった。東日本大
震 災 で は 。 未 熟 な シス テム 2 に よる 冗 長 な 処 理 や 判 断 の 迷 い が 本 震 後 3 0 分 も 経 過 しての 津 波 被
害を増大させてしまった。津ilむ;S゛襲地である三陸地方に伝わる避難方法「津波てんでんこ」は,
余 計 な こ とを 考 え な い 恐 怖 1 に ま か せ た 避 難 方 法 で あ る 。 こ の よ う に 恐 怖 1 を 適 切 に 使 う 事 も
可能なのである。
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7。終わりに
2007年に前稿を書き上げた後,東日本大震災を経験した。その直後から,筆者は関東地方に
お ける 放 射 線 量 を 測 定 し , そ の 結 果 を ブロ グ で 公 開 し , 放 射 線 に お びえる 各 地 の 読 者 か ら の さ
まざまな質問・相談に対応した。その際,本文中に示した寺田寅彦の名言を痛感し,現代人が
直面すべき正しい恐怖のあり方とは何かを考えさせられた。
2013年の夏,前稿にもとづく講演の依頼を受けた。講演を準備する過程で,前稿の不充分さ
を実感し,さらに;5怖の考察を深めるべく本稿にとりかかった。
「危険でないll怖」を二重過程モデルで理解することにより,恐怖の内部構造が整理できた
が,正しく怖がることの難しさは変わっていない。従来,心理学ではiil
iは恐怖症や不安障害
と い う 臨 床 の 文 脈 以 外 で は ほ と ん ど 問 題 に さ れ な か っ た 。 社 会 心 理 学 徒 の 筆 者 と して は , 「 自
分 だ け は 死 な な い 」 と 思 って 正 し く 怖 が れ な い 市 井 の 人 に と っての 恐 怖 と の つ き あ い 方 を 問 題
に して い き た い 。 本 稿 を 執 筆 す る き っ か け を 与 えてくれ た すべ ての 人 に 感 謝 の 意 を 表 す る 。
8 . 文 献
Domasio,A.R。1994 z)aca,76ZE`。,ぜ.lnkWe11Management(A.R.ダマシオ田中三彦(訳)2001「デ
カルトの誤り」筑摩書房)
li:kman.P&Friesen.W.V.。1975びzl,zlaた加が/le/7aαPre111:ice­Hall,lnc.,EnglewoodClias,NewJersey
( P . エク マ ン & W . V . フ リ ー セ ン エ 藤 力 ( 訳 編 ) 1 9 8 7 「 表 悄 分 析 入 門 : 表 情 に 隠 さ れ た 意 味 を さ ぐる 」
誠信書房)
(: son,E.J。&Walk,R.D.,1960Th(1゛゛,yisualcrifrツScientificAmerican,202,67­71.
Hediger,I・L1950Wildanimalsin(;aptivityLon(1()n:13utterworth,
広瀬広忠2004「人はなぜ逃げおくれるのか:災害の心理学」集英社
久垣辰博2007「成功する脳:「チル反応」を感じて脳をリフォームする」実業之日本社
Lewin.K.Cartwright.D.(ed)1951/゜7ε/d771印り・加&(jgz/(7iezlαHarper&BIotllers.(K.レヴィンカー
トライト,D.編猪股佐登留(訳)1962「社会科学における場の理論」誠信書房増補版)
Matsuda,Y.,0kanoya,K.,&Myowa­Yamakoshi,M。2013S;hynessinEarlylnfancy:Approach­Avoidance
Co❹lictsinTemperamentandHypers,2n,;itivitytoEyes(luringlnitialGazestoFaces,PLOSONE(電
子版)
中谷内一也2006「リスクのモノサシ:安全・安心生活はありうるかJNHK出版
杉山幸丸1993「子殺しの行動学」講談社(初出は1980年)
deSpinoza,B.,1677 ZE7z/liazjθ❹加どGeθ謂ε房a,Z)ε朋 心fMra (B.スビノザ畠中尚志訳1951「エチカ」
岩波轡店)
S;t;Elnovich.K.E.,1999WhoisRational?Studiesofln,:lividua1DifferencesinReasonning.Mahwah,N.J.:
LawrenceEI・1baumAs()siates.
IE;tE1110vich,K,E.。200ぐ77茫尺θ灰
C h i c a g o P r e s s . ( ス タノ ビッ チ, K , E . 椋 田 直 子 ( 訳 ) 2 0 0 8 「 心 は 遺 伝 子 の 論 理 で 決 ま る の か : 二 重
過程モデルでみるヒトの合理性」みすず書房)
寺田寅彦2011「天災と国防」講談社(初出は1934年)
山村武彦2005「人は皆「自分だけは死なない」と思っている」宝島社
山根一郎2005「「驚き」の現象学」椙山女学園大学研究論集・人文科学
(36),13­28.
山根一郎2007「恐怖の現象学的心理学」人間関係学研究(5),113­129
山根一郎2010「感動のクオリア」人間関係学研究(8),97­109
­ 1 1 6 ­
恐怖の現象学的心理学2:恐怖の二重構造
ネ ッ ト 動 画
pochiwanwannakunar視覚的断崖(社会的参照)」
(http://www.youtube.com/watch?v=LQZLpyISPWk)
­ 1 1 7 ­