1283KB - 地質研究所

5 万分の 1 地質図幅
説明書
中湧別
(網走ー第 16 号)
北海道開発庁
昭和 37 年 3 月
5 万分の 1 地質図幅
説明書
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湧
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第
16 号
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北
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道
開
発
庁
昭
和
37
年 3 月
この調査は,北海道総合開発の一環である,
地下資源開発のための基本調査として,北海
道に調査を委託し,道立地下資源調査所にお
いて,実施したものである。
昭和 37 年 3 月
北海道開発庁
目{';た
は
1
位置および交通
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地
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地
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形
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1
7
ユ万分の V 貫図 E
中
湧
別(網走ー第 16 号)
北海道立地下資掠調査所
北海道技師長尾拾ー
はしがき
この図 i隔説明書は,昭和 33 年から 34 年にわたって行なった野外調査の結果を整理
して,まとめたものである。
この地域内の主要な構成岩層は,北海道において , i古代未詳中生層として取り扱わ
れているもので,湧別層群または佐日間層苦手といわれる砂岩, tf岩,砂岩瓦岩の互層
である。
この湧別層群は,遠軽,生田原方面にかなり広く分布しているもので,この地域に
は,わずかにその北西部が分布しているにすぎなし九これらは,北海道 20 万分の 1 地
質国においては,いちおう,下部蝦夷層群(富良野層)として取り扱ってある。
しかし筆者は以前から.これらを空全11 層群の一部に対比されるものと考えていた
ので,この[司幅調査においても,その角平明に主力をおいた ο
しかし湧別層群の大部
分の分布は,この図 l隔の南の遠軽および生田原方面にあるので,湧別層群の大きな堆
積機構や,正確な時代決定に役立つ資料は,充分に集めることができなかった c
した
がって,この説明書では,湧別層群の岩層,層序,および他の地域との関連性から推
定できることがらについて,記載するにとどめた。他日,周辺地域の湧別層群の調査
の完了をまって,決論をだしたいと思う次第である。
また,この地域は,白望系の油徴地とされたこともあり,それを目的として,深度
1000m の試錐が行なわれたことがある。その油徴とガス出〔が,はたして,白望紀層に
起因するものであるかどうか,という点については,多くの疑問があり現在までのと
ころ,否定的な事実が多い。
-1-
I 位置および交通
この地域は,網走支庁管内,紋男Ij市および,紋別部に属する。国鉄名寄本線が,地
域の中央部をほぼ東丙方向に走り , i勇嗣線が,中湧別駅よりわかれて南西方に延びて
いる。また,中 j勇別,湧別町間にも国鉄支線が敷かれている。
この地域の北東側は,オホーツク海に面し,十ロマ湖,シブノツナイ湖およびコム
ケ沼などの低地湖沼が,海岸線と平行して並んでいる ο 南西方の丘陵性山地の各沢は,
ほとんどその上流まで真家があり,交通は比較的便利である。
形
地
この地域の北部は,コムケ沼,シブノツナイ湖,ポン沼およびサロマ湖などの湖沼
が,海岸線にそってならぶ低地帯と,湧別川の沖積原によってしめられていて同地の
面積は,全地域のが)6 分の l にすぎない c この高地は最高 230m で,大部分は 100-
第 1 図サロマ湖
200m のよく解析された丘陵住山地で,各れの j頁点は,ほとんど山の段線近くまで到
達している。
これらの丘陵性山地は,北方オホーツク海に次第に低下し,低地借との間に海岸線
に平行した海岸段丘がみられる c この j毎年段丘は,不明時ではあるが,いちおう 2 段の
-2-
i支丘によって構成され, 1O~60m の高距を示し, I高(立段丘は東方へ次第に薄くなり,
サロマ抑!の西岸および ifJ W1K域は,低位段丘によってしめられるつ湧別川の河岸段丘
は,上流地域ではみられるが,
下流地域であるこの図 IIJ面内では,みられない。
海岸線と平行して存在するコムケ沼,シフ、ノツナイ {f~j ,ボン沼およびサロマ湖は,
いずれも,海岸とはせまい{沙 )i[ でへだてられているつこのうち,シブノツナイ湖とサ
ロマ湖は,白山に海水と交流できるような rl が開いているヮ水深は,いずれも浅く,
コムケ沼は 4m 内外,シフノツナイ湖は 6m 内外,サロマ ifl~J は最深の所で、も 19m 内
外である 3 サロマ湖は周囲 90km ,面積 150 km 2 で,昭和 6 年 4 月,現在の if明日を人
士山りに聞いて'守融け水による{:~l] lm の上昇を調節したっそれ以来淵本の出;分が増加l L.
湖中の生物相が,大きな変化をきたしたことで知られているう
III
I
II
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地質
地
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はさんでいるつ上司i J) 砂計は!舌 j亨 700m 以上で ,J}く緑色のやや凝灰質の砂宥である
が,下部のものは国厚 600m 内外し、ちじるしく硬い , F'i 糞状の砂岩である。その下位
のポンサル層は,主として硬'I'tの陥青色 f( 右で,ときに似く色硬貨砂岩や石灰宕の小レ
ンズをはさんでいるつ J~r字は 800m 内外で,ひじ工うにもめたゾーンが多い。最下部
の芭露!習は,硬貨の砂!tf ,丘干?の見事な互!時で,主夕張)曽の 'tJ によくみられる互層部
と,ひじようににているつ基良市の古;iii がないので,全国)享は不明であるが,少なく
とも 800m 以上と推定される。
新第三紀に属すると忠われる共;生日は,この凶悩の l可坊に,わずかに露出し,湧別
-3-
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粗
面
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る
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る
。
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海
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は
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れ
も
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,
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位
の
も
の
は
海
抜
60--20
m
位まで,低位のものは 20.-10 m 位までに,分布している。
しかし両者の境界は明瞭でない。
沖積層は海岸低地,湧別川の現 i可床などにみられる。砂,陳,土よりなり,薄い泥
炭をはさんでいる。
-4-
湧別川の {rlT 口近くに,試制された深度 1 , COO ill の試 Jfj によれば,上部の 37~75.2
とに金イる
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くるがの分
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お忠は山目。
いもすの、不さ
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な在ろるびに
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第 2 図芭露層砂岩・頁岩互層
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湧層ど灰る下ら店主小部部主立は'主こお百&、
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部じび東一一計重層居砂明日んむじ五タるは分部色でとむな加
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下草ののには''はて互'帝国砂粒ずーもれ大口
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以白もそ端
そ下同よ北各自別イ芭の立一砂感の主いし部岩思疎ら合
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久な層のていの棟'円川を色で
てに層右の笠下の、不J硬りる佐う路統にな一質'はのえの県民
み市進面類也域ンリてなすのよ神知く'灰に瞭ト冷もは珪
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れ互縞蝦古夷は部緑きるがび~にるで
とよを層し昨部'加はまるヤ川よ瓦る
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H
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さのれな石粗
羽ここり英
-5-
るのる上ナ れ
m までに,軟かい白色凝灰岩をはさむ, Httitt 色の角1与22 居に逢着していると岩ノ胃の軟
あるいは小塊に,破砕する性質がある 3 この凶|隔の西の七者滑図 :11肩では,この層準に
結品質石灰岩の薄層をはさんでくることがあるが,化石は倹 III されていない。この凶
幅の西南端,中の沢の上流に露出するものは,走向 N 20.-40W ,傾斜東に 40.-60 ,
J
上流にいくと走向 N 10 E ,傾斜 SW65.-80~ となり,ボンサル層下部の暗灰色、ンルト
J
岩と整合する。最上部より 130m 内外下位に,まえにのべた操、質砂岩層が存在する。
この地層は,さらに,東方湧別川を隔てて,その東山地に露出する。この地層は,図
幅内においては,わずかに,北端部に砂岩の小露出があるにすぎず,その構造を推定
することが困難であるつしかしその市方延長,遠軽図幅にはいれば,本間沢,芭露
川支流に良好な露出がある 3 その構造はほぼ市北の走向をもって,背科,向!r~t を反覆
し,傾斜は 40.-70 つである。したがって,凶幅内のこの地層も,そのままの構造をも
ちこんでいるものと推定される。
湧別川の川口に近い試錐では, 75.2m より 1 , 000 m までは,すべてこの地層の砂
岩,頁岩互居で,層厚は 800m 以上と推定される。試錐による柱状は次のとおりであ
る。
1m
1
.
- 37m
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3
7
.
-7
5
.
2m
表土
沖積層
暗緑灰色角球岩,白色凝灰岩をはさむ
以上第三紀および第四紀層
7
5
.
2
.
1
3
8
.
5m
暗灰色砂岩
1
3
8
.
5
.
1
5
4
.
0m
黒灰色砂岩
1
5
4
.
0
.
1
7
8
.
6m
暗灰色砂岩,頁岩互層
1
7
8
.
6
.
1
9
6
.
0m
暗灰色砂質頁岩
1
9
6
.
0
.
2
1
1.
4m
暗灰色砂岩
2
1
1
.
4
3
1
5
.
2m
暗灰色砂岩,頁岩互層
3
1
5
.
2
.
3
7
4
.
1m
暗灰色砂質頁岩
3
7
4
.
1
4
1
1
.
3m
陪褐色硬質砂岩,暗灰色頁岩互層
4
1
1
.
3
4
3
3
.
1m
J1(白色塊状砂岩(やや凝灰質)
4
3
3
.
1
6
0
3
.
0m
暗褐色硬質砂岩と暗灰色頁岩の互層
6
0
3
.
0
.
6
1
9
.
0m
硬質砂岩と頁岩の互層,含灰色凝灰岩
6
1
9
.
0
.
6
4
1
.
0m
硬質砂岩,含灰白色凝灰岩
6
4
1
.
0
.
6
9
1
.
0m
灰緑色砂岩
6
91
.0
7
1
9
.
5m
灰黒色硬質砂岩,合灰白色凝灰岩
-6-
719.5-760.0i
l
l
灰
色
砂
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,
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灰
白
色
凝
灰
岩
760.0-772.0i
l
l
灰
緑
青
色
頁
岩
〈
凝
比
質
)
772.0-830.0i
l
l
灰
青
色
硬
質
砂
岩
と
凝
灰
質
砂
岩
互
胃
830.0-890.0i
l
l
灰
青
色
硬
質
頁
岩
,
硬
質
砂
岩
互
層
下
部
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凝
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互
層
954.9-1 , 000 i
l
l
青
灰
色
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凝
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,
頁
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互
層
こ
の
柱
状
に
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,
上
部
の
7
5
.
2
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以
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の
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も
,
基
盤
む
が
の
び
て
き
て
い
る
こ
と
が
わ
か
る
傾
斜
は
2
7
2
8
80ilfJlj
σ な
お
,
こ
の
試
錐
の
岩
菰
で
は
,
二
で
,
背
後
後
の
牧
民
1疑
炭
II 地
の
1t{7i
4
0
7
0
さ
に
比
較
し
て
緩
い
の
こ
の
試
却
に
お
し
、
て
,
少
白
か
ら
,
小
さ
な
生
物
遺
体
の
破
片
が
琵
見
さ
れ
た
が
,
種
属
の
鑑
定
が
不
能
で
あ
っ
た
。
I
I
I
.2
.1
.2
ポンサル層
芭 F五回上に整合する塊状厚層の H白 l反
色,ないしは黒灰色工(右肩で,ときに砂
岩・ 1 右の互層部や硬貨砂干f ,砂質シ
ノレト岩などをはさんでいる c 方解石 1]1長
が多数貫入している所もあれば,部分
的に石灰岩の小レンズをはさむ所もあ
る c 断層が顕著に発注し地層の優乱
が各所におし、てみられる c 主部をなす
巨岩層は暗緑灰色,ないしは,黒色,J:鬼
状,無;層理で,やや珪質であるが,下位
の芭露層の頁岩部よりは軟かい。まれ
に挟有される石灰岩レンズは,どれも,
完全に結品質で,化石は発見されてい
ない。この地層は, r J ドノ沢」に全層が
c
露出しているが,走向は N 20-40 W ,
傾斜は NE40-60 こである c 下位は芭
露層と整合的で,上位はポン十ル層の
第 3 図
-7-
ポンサル層佐賀頁岩
深
度
砂岩部と整合する。全層厚は 800m 門
外と算定されるつ
I
I
I
.2
.1
.3
オンネナイ層
この地域に分布する湧別層群の最上
部層であって,顕著な砂岩層で特徴づ
けられる。中央部にはさまれる砂岩,
頁岩互層,あるいは砂質岩の 2---10
m
の地層で,上下にわけられる。
オンネナイ下部層
下位のポンサル層とは整合する。 硬
質:灰紘色. I わ粒ないし組粒の厚い砂
岩層で,方解石脈のために,烏糞状を
呈する部分が諸所にみられる。比 i肢的
下位に,粘板岩の畑片を無数に含む)脅
準があるっこの細片を合む砂岩と,ま
ったく同じような岩相の部分が,西!JU
九〕
部層やーの橋喋岩層の中にも存在す
第 4 図ポ γ サル層頁岩
る。しかし,このような岩相が,層準的な志味をもつものとして,一方的な対比を行
なうことはできないにしても,きわめて特異なこの吉相のつながりはもう少し追跡し
てみる必要があろう。
この地層の烏糞状砂岩は,金山間近の空知統の中の烏糞砂岩と,ほとんどかわらな
し、。
この地層は「中の沢」入口. I東の沢 J. および湧別川の西岩山茂地什;;に!ムa く露出し,
南北から北東に振った円弧状の向斜!袖の東西両側に分布するつ岩 1 目的には比較的特徴
があり,周辺地帯の調査にも,鍵層として役立つであろう。
全層厚は, 600m 内外と推定される σ
オンネナイ中部層
層厚 2---10 m の,きわめて薄い地層であるが,オンネナイ砂右のほぼ中央部に,か
なり連続して追跡することができる。主として,砂岩・頁岩の互層,あるいは砂質頁岩
層である σ 砂岩は硬貨,灰緑色ないしは灰色,頁岩は黒色または陥灰色で,ときには灰
- 8 --
黄色のものも存在する。前記の向糾袖の両側に,断層で,所々転位しながらも,その
構造を明瞭に京わしているつ
オンネナイ上部層
中部!曽上に整合する,厚層の塊状砂岩層で,下部の砂岩とは,一見して区別できる。
灰緑色,凝灰質で,比較的に軟かい。
一・般に畑粒質で,下部の砂岩のような,烏糞状の部分を含まない。中湧別市街の西
方山地に, I句斜構製の Ip 核部を構成して露出する。層厚は, 700m 以上と推定される 3
III.2.2
新第三系
この地層は, l叫|隔西端シブノツナイ JII 下流の東側山稜の西側にわずかに分布するに
すぎない 3 なお, I ド湧別!I I 日で行なわれたぷ錐の杭状凶をみると,上部より 37--75.2
m の間の岩層は,おそらく新しい第三紀周と思われるが,この岩誌から推定された第
三紀層と,上ぷシブノツナイ川のものが,どんな関係にあるのかは,不明である。しか
しいずれにしても,この低i也市に湧別居群をおおって,新第三紀!昔が分布することは,
この丘陵山地と海)訂正地との問に,海岸線と子行した断層の存在を,陥示している。
III.2.2.1
共進層
シブノヅナイ川の下流に,石英粗両岩質凝ば岩および湧別群居をおおって,陪緑褐色
の軟かい凝灰質の砂岩層が分布するっこの砂右層は,ときに喋岩質あるいは角喋岩質
になって,シブノツサイ川の川底に露出する。喋は径 2--5cm 大のものが多く,粘板
右,硬砂岩,チャートなどに混って , 1- i 英組面岩の円傑が発見される。この燥が存在
することから,この地層は,石~粗面岩煩を不整合におおっていることが推定される。
露出地点は,緩やかな裾地で露出が悲し湧別層群との直掠関係もみられない。層厚
はほぼ 100m 内外と推定される。
III.2.3
第四系
この凶 i幅内には,湧別層群および新第三紀)醤をおおって,海岸i交正を構成している
供積層と,海岸低地および湧別川の(民地を構成している沖積層が存在する。
III.2.3.1
洪積層
湧別!曽群,あるいは共進!昔で構成されている丘陵山地のオーツク海に面した斜面に
は,海岸線と平行して海岸段丘がみられる。
分布高度は 60m 以下である。この段丘は,ほぼ 2 伐の l面がみとめられ'/首位のもの
は 6{)~20m ,低位のものは 20--10 m 位である。しかし両者の境は明瞭でない。大
-9-
部分の所では,一連のようにみえる。いずれも砂,喋,粘土)脅からなる。中湧別市街
東方約 2∞ m の煉瓦工場では,低位段丘中の灰黄色粘土を採掘して使用している。粘
土居の厚さは 1--2m で,風化すると白色となる。
I
II
.2
.3
.2
沖
積
層
海
岸
低
地
や
湧
別
川
の
氾
j監
原
に
は
,
砂
,
~
.
業
,
粘
土
よ
り
な
る
沖
積
層
が
広
く
分
布
し
て
い
る
。
こ
の
中
に
は
,
泥
炭
を
は
さ
む
所
が
あ
る
の
こ
の
沖
積
層
を
流
れ
る
地
下
水
に
は
,
メ
タ
ン
ガ
ス
を
合
む
も
の
が
あ
り
,
一
時
は
,
下
位
の
湧
別
居
間
二
か
ら
の
誘
導
ガ
ス
で
な
い
か
と
,
疑
わ
れ
た
こ
と
も
あ
る
の
I
II
.3
地
質
構
造
基
盤
を
構
成
し
て
い
る
湧
別
層
群
は
,
ほ
ぼ
中
央
部
に
お
い
て
,
南
北
性
の
軸
を
も
っ
た
一
つ
の
向
斜
構
造
が
み
と
め
ら
れ
る
。
東
西
両
側
に
は
,
最
下
位
層
で
あ
る
芭
露
層
が
高
出
し
,
そ
の
両
翼
の
も
の
は
,
ほ
ぼ
TH 北
に
近
い
走
向
で
東
に
念
、
科
す
る
が
,
東
翼
の
も
の
は
,
こ
の
凶
軽
閃
幅
で
,
4
0
-6
0
°
l隔
の
南
の
遠
の
小
向
斜
,
小
背
斜
の
反
覆
が
み
と
め
ら
れ
る
c 湧
別
川
に
そ
っ
た
N
5
0
E
方
向
の
推
定
断
層
に
よ
っ
て
,
こ
の
東
買
の
芭
露
層
は
切
断
さ
れ
,
オ
ン
ネ
ナ
イ
下
部
の
砂
岩
層
と
直
接
す
る
も
の
と
推
定
さ
れ
る
岩
蕊
の
傾
σ 湧
別
川
口
の
試
錐
は
,
こ
の
東
翼
の
摺
lH は 2
7
-2
8
°
fi
B
部
を
つ
い
た
も
の
で
,
で
,
湧
別
川
西
側
の
地
層
の
傾
斜
よ
り
は
,
は
る
か
に
緩
い
。
断
層
の
一
般
方
向
は
,
同
じ
く
市
北
性
で
あ
る
が
,
こ
れ
と
斜
交
す
る
も
の
が
発
達
し
て
い
る
。
ま
れ
に
街
i二
断
屑
型
の
も
の
が
,
ポ
ン
サ
ノ
レ
層
の
中
に
み
と
め
ら
れ
る
が
,
局
部
的
現
象
と
考
え
ら
れ
る
。
こ
の
地
域
は
,
;
u
:
東
北
部
に
発
達
す
る
湧
別
層
群
の
一
部
の
露
IU 地
で
あ
る
。
し
た
が
っ
て
,
湧
別
層
群
全
体
と
し
て
の
大
き
な
構
造
は
,
今
後
隣
長
岡
市
高
の
調
査
が
進
行
す
る
に
つ
れ
て
,
明
ら
か
に
な
る
で
あ
ろ
う
。
I
I
I
.
4
湧
別
層
鮮
に
つ
い
て
の
地
質
学
的
な
諸
問
題
湧
別
屑
昨
は
北
海
道
の
東
部
海
岸
,
湧
別
,
佐
呂
間
地
域
か
ら
遠
軽
,
生
田
原
に
か
け
て
,
広
く
分
布
す
る
も
の
で
,
生
田
原
附
近
で
は
,
輝
緑
凝
灰
岩
層
を
と
も
な
う
。
20 万
分
の
1,
北
海
道
地
質
問
に
は
下
部
蝦
夷
同
昨
(
富
良
野
田
)
と
し
て
取
扱
つ
で
あ
る
。
こ
の
地
の
主
要
分
布
|
正
域
は
,
紋
別
郡
湧
別
町
を
巾
心
と
し
た
東
西
約
本
20km
, TH 北
約
中
の
沢
入
口
の
ポ
ン
サ
ノ
レ
府
の
中
に
あ
り
,
街
上
面
は
30km
に
お
よ
ぶ
広
大
な
地
域
で
あ
る
。
同
\VE!
の m,
色
頁
岩
で
あ
る
。
-10-
;.J, 30°
で
上
下
共
に
ポ
ン
サ
/
レ
層
十*な岩 j首は,さらに ~t)j, ル留川流域, t葉県 J1; 川流域に,また東方は,
flU ,!己主要露出
部と H 高層群といわれる硬砂 ZJ ,粘恨む, 1':占品質石氏!よーなどよりなる珂変成店長i をへ
だてて,サロマ i,~J の市計に分布する(この部分が,
(.主円間層群と祢せられるものであ
る)。湧別同群の基底部は,現在までのところ明らかでない。しかし,ド位と甘される
日高層昨といわれる半j 変成宥煩との関係は,一部附rh~\ ,一部は関係不 JYJ の移り }j で接
している 3 湧別層群の下部憎である芭伝情は,そのド位と M.!、われる日 I'';'~I昔前:の必変成
オムザル
岩 ;$i とは,変質の度合で|疋別することができるつしかし忠沙出原野の左沢 F付近で,断
層 J 'lくでもめている巴露関の正岡市は,その IYJ に分イIi する\1 1 ',玉県!昔 1;千といわれる必変
成互層部とはむ質的に,ほとんど,区別のつかないものもある。また,
ツ川の合 lfJU\v こ, 10 万分の 1 , j:也氏 i斗州部凶 111M でみると,
<K H'l"J 11 とウソ
UI~';j 以肘 in の叫変成~{~.と 111
/七!首(辛苦の湧別府 1咋)の問に,断)討がわかれであるが, ,)J出この川を J ヒからけj にさ
かのぼってみると,同じような,砂IJ ,丸山の手足立川が,川の )jl むと I"j じノじ l らj で注
なり,
llbj)同の主 i刊の fL;' !I~1 は,変質の度合で IxJ) 1jできるが, ~変り日が混然としてわから
ないっ
また,佐日間層群といわれるものは,サロマ i,~J の Id*L;~ に分布し, J主任 )j Uti の同庁 /J
j同昨とは,赤色チャート,締結凝灰む,ホルンフェルス, :tii 恨む,示,'I , ';il 1"i イ'j/)(8' , J
l
Eな
ど
よ
り
な
る
日
高
九
千
併
の
変
成
右
煩
よ
り
な
る
地
層
を
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,
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の
点
に
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要
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相
は
,
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,
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目
砂
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心1 の互)出肘 f
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,
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れ
る
っ
た
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,
し
い
て
い
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,
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の
砂
引
の
Ij 1 0) 砂
右
の
風
化
ii
i
)
は
,
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白
色
と
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,
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は
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も
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i山JNH とも,
i勇 JJ Ij) 国
併
の
こ
の
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周
I白
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色
で
,
内
部
は
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ル
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互
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凝
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よ
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,
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部
は
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て
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,
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,
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と
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と
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る
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下
部
胤
と
推
定
さ
れ
る
仁
倉
方
面
-11-
iの
地
)
国
か
ら,橋本豆が 1960 年山部層に対比される化石をだしている。これらのことから,この
層群の地質時代を,上記のように推定しても,大過ないであろう。
この層群ときわめて密接な関係にあるものと,推定されるものに,西興部層がある。
西興部層は, 1938 年竹内嘉助によって, 11 生層として記載された。その後 1956 年遠
藤隆次・橋本亘がその礁岩層 Ip の石灰岩礁から
Nankine
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など・の二丹紀の化石を発見し,この際岩層を含む一連の地層に対して,西興部層と命
名したっこの地層は,顕著な確岩層で知られ,竹内はこれを思沙留地:r;i
の湧別府1f n の主主底部としたの筆者は,この地域の地質概要を
礁岩層は,
X の中生層(筆者
1960 年に発表し,この
)主底部ではなく,むしろ上部に近い層準で、あることを明らかにした。宵興
部屑の下部は,用厚
200m 内外の附緑色ないしは,暗灰色のグレワッケ砂岩で,烏糞
状を呈すること,砂右中にお 5 1'&辛?の小角)fーを多数合むことなどで,岩栢的には,オン
ネナイ層下部の砂岩とよくにている
c その上位は約 100m の陪緑色砂岩で,含石灰岩
礁の喋右層は,さらに,その上位に重なるものである。この西興部層は,日高層群と
いわれる羽変成岩類、と断層で持し,層準としては,おそらく,湧別層群の上部に対比
されるものと推定される。
VI
応用地質
この閃幅内においては,いままでに,利用された鉱産資源は存在しなかった。かつ
て,白雪;紀層の沿 i 徴あるいはカ、ス徴として取上げられたものがあったが,筆者が
1958
年にそうでないことを明らかにしておいた。
この地域で石油の徴伎とされたものは,芭露小学校校宅の井戸で,塩辛い水がでる
といわれたのが根拠になっている。この背後地を構成している湧別層群の中では,何
所にも討 i 徴や力、ス徴がみられない。この井戸の地点も,古サロマ湖の領域内に含まれ
るようであるので,おそらしその残留塩水の一部であろうと推察される
可燃性天然ガスとしては,
O
m の上中学校の北方,信太牧場で,かつて,飲料水をと
る目的で井戸を掘ったところが,井戸掘人夫がガスのために死亡したことがある。ま
~
12-
た,この附近で井戸を掘っている最 Ip に,エンジンから引火して,爆発を起こしたと
いわれてし、るっさらに,この間,;if の農家の井戸が,から"らりをしたり,々、ス突出で井
戸がこわれたとかいわれている。
沼の上地区のガス)習に対して,
官者らは昭和 32 年
(1957年),次のような liII,)査を行なったっ信太牧場におけ
臼 Mil土
る井ゾ掘の情況などから判断すると,ガスは,おそらく水
を伴なわない空ガスで,深度手は 40尺 tjif 後と推定された。
初 WL
この推定に基づいて,沼の k 中学校の市東方的 300m
の地点に,深度 25m のぷ錐を試みた。その結束は,予想
したとおり 14
m5
0em~15
m5
0em
の
所
で
ガ
ス
が
噴
出
付 1'] 文リ 'RL
した。
し
か
し
こ
の
間
の
し
く
,
ガ
ス
RJ 同
は
浮
イ
LH 本
と
し
て
は
,
さ
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た
つ
ま
た
,
こ
の
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ス
JTT の
傑
慢
で
,
漏
水
が
は
げ
‘
IJ 主
力
、
ス
で
あ
る
こ
と
が
明
ら
か
に
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1
の
ド
に
は
,
厚
さ
\:~r-
30m
の
,
か
な
り
多
量
の
,
¥
古
列
な
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果は,浅い深度には少しも合ガスの徴候がなかった。また, j也出も特筆するほどのも
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湧日Ij,芭原地区の i長国カスに対する調査は,昭和 31 年実施した。(第 71Z1参照〉
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たがって,試験のための採水に便利が!tJ!;く,
しかも,ガスの噴出が不定期間歌的であ
るために, ~ff,jfl: 別問巾はガスが噴出せず,採ガスを行なうことができなかった。
この採水ブf ス井の水質分析は,次のとおりである。
第 1 表
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が,この白望紀層の riif を目的とした試錐は,鉱業権者の手によって行なわれた。試掘
開始は昭和 35 年 4 月 5 日で,掘止は 36 年 2 月であったが,その問,全然油肢もガス
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採取した岩蕊の分析結果は,次のとおりである。
第 2 表試錐岩蕊分析表
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昭和 37 年 3 月
10 日印刷
昭和 37 年 3 月
15
著作権所有
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札幌市北三条西一丁目
EXPLANATORYTEXT
OFTHE
GEOLOGICALMAp'OFJAPAN
SCALE 1:50 ,000
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JINSAITp, DIRECTOR
HOKKAIDODEVELOPMENTAGENCY
1962