5 万分の 1 地質図幅 説明書 中湧別 (網走ー第 16 号) 北海道開発庁 昭和 37 年 3 月 5 万分の 1 地質図幅 説明書 f l U 湧 中 ( 網 走 一 第 16 号 ) 北 海 道 立 地 下 資 源 調 査 所 北 海 道 技 f:l ! i 長 尾 捨 ー 北 海 道 開 発 庁 昭 和 37 年 3 月 この調査は,北海道総合開発の一環である, 地下資源開発のための基本調査として,北海 道に調査を委託し,道立地下資源調査所にお いて,実施したものである。 昭和 37 年 3 月 北海道開発庁 目{';た は 1 位置および交通 I I 地 I I I 地 …-……………………...・ H ・..…………...・ H ・..…………………・・ 2 形 ・ ・ … ・ ・ … … … … … … … . . . . . . . . . ・ H・ . . . … … ・ … 一 … … ・ … … ・ ・ … ・ ・ ・ ・ ・ … 質 ……-…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 3 I I I . 1 地 質 概 説 … ・ … ・ ・ ・ … ・ ・ ・ ・ ・ … … … … ・ … … ・ ・ ・ ・ ・ ・ … ・ ・ ・ ・ ・ … ・ ・ … … … … … … … ー ・ ・ 3 I I I . 2 地 質 各 説 ・……………・・・・・・…一…一..............….....…......…・・・・・・・…・… 5 I II .2 .1 下部自宝系 5 百 間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 I II .2 .1 .2 ポンサル居 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 I I I .2 .1 .3 オンネナイ用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 I II .2 .3 露 新 第 三 系 m.2.2.1 第 III.2.3.1 近日..、.................................................................. 四 系 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 9 地 質 祁j. I I I . 4 1虫 別 ! バ 昨 に つ い て の 地 質 学 的 な 諸 問 題 tw...... 21-- 9 洪積..................................................................... I I I . 3 応 用 地 9 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Jt I II .2 .3 .2 ; 1 ¥1 f ; 1 t IV ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ I I I .2 .1 .1 I I I . 2 . 2 丈 1 しがき-一一…・・・・…………………・……・・…..........……… υ ……一……一……・・・….. ,Iむ )司 ・・・・・・ ・・・・・・・・‘・ ・・・・・・・・ 1 0 ..................・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・‘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 ・・.......・…・・・一…・・・・・・・・・・・・…… …一…................………......一…………一'…・一……・……… …・・・・・・・…....…・一...一.....................................一一...一一 ·....·10 ....·12 ··············15 Resume. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ キ 1 7 ユ万分の V 貫図 E 中 湧 別(網走ー第 16 号) 北海道立地下資掠調査所 北海道技師長尾拾ー はしがき この図 i隔説明書は,昭和 33 年から 34 年にわたって行なった野外調査の結果を整理 して,まとめたものである。 この地域内の主要な構成岩層は,北海道において , i古代未詳中生層として取り扱わ れているもので,湧別層群または佐日間層苦手といわれる砂岩, tf岩,砂岩瓦岩の互層 である。 この湧別層群は,遠軽,生田原方面にかなり広く分布しているもので,この地域に は,わずかにその北西部が分布しているにすぎなし九これらは,北海道 20 万分の 1 地 質国においては,いちおう,下部蝦夷層群(富良野層)として取り扱ってある。 しかし筆者は以前から.これらを空全11 層群の一部に対比されるものと考えていた ので,この[司幅調査においても,その角平明に主力をおいた ο しかし湧別層群の大部 分の分布は,この図 l隔の南の遠軽および生田原方面にあるので,湧別層群の大きな堆 積機構や,正確な時代決定に役立つ資料は,充分に集めることができなかった c した がって,この説明書では,湧別層群の岩層,層序,および他の地域との関連性から推 定できることがらについて,記載するにとどめた。他日,周辺地域の湧別層群の調査 の完了をまって,決論をだしたいと思う次第である。 また,この地域は,白望系の油徴地とされたこともあり,それを目的として,深度 1000m の試錐が行なわれたことがある。その油徴とガス出〔が,はたして,白望紀層に 起因するものであるかどうか,という点については,多くの疑問があり現在までのと ころ,否定的な事実が多い。 -1- I 位置および交通 この地域は,網走支庁管内,紋男Ij市および,紋別部に属する。国鉄名寄本線が,地 域の中央部をほぼ東丙方向に走り , i勇嗣線が,中湧別駅よりわかれて南西方に延びて いる。また,中 j勇別,湧別町間にも国鉄支線が敷かれている。 この地域の北東側は,オホーツク海に面し,十ロマ湖,シブノツナイ湖およびコム ケ沼などの低地湖沼が,海岸線と平行して並んでいる ο 南西方の丘陵性山地の各沢は, ほとんどその上流まで真家があり,交通は比較的便利である。 形 地 この地域の北部は,コムケ沼,シブノツナイ湖,ポン沼およびサロマ湖などの湖沼 が,海岸線にそってならぶ低地帯と,湧別川の沖積原によってしめられていて同地の 面積は,全地域のが)6 分の l にすぎない c この高地は最高 230m で,大部分は 100- 第 1 図サロマ湖 200m のよく解析された丘陵住山地で,各れの j頁点は,ほとんど山の段線近くまで到 達している。 これらの丘陵性山地は,北方オホーツク海に次第に低下し,低地借との間に海岸線 に平行した海岸段丘がみられる c この j毎年段丘は,不明時ではあるが,いちおう 2 段の -2- i支丘によって構成され, 1O~60m の高距を示し, I高(立段丘は東方へ次第に薄くなり, サロマ抑!の西岸および ifJ W1K域は,低位段丘によってしめられるつ湧別川の河岸段丘 は,上流地域ではみられるが, 下流地域であるこの図 IIJ面内では,みられない。 海岸線と平行して存在するコムケ沼,シフ、ノツナイ {f~j ,ボン沼およびサロマ湖は, いずれも,海岸とはせまい{沙 )i[ でへだてられているつこのうち,シブノツナイ湖とサ ロマ湖は,白山に海水と交流できるような rl が開いているヮ水深は,いずれも浅く, コムケ沼は 4m 内外,シフノツナイ湖は 6m 内外,サロマ ifl~J は最深の所で、も 19m 内 外である 3 サロマ湖は周囲 90km ,面積 150 km 2 で,昭和 6 年 4 月,現在の if明日を人 士山りに聞いて'守融け水による{:~l] lm の上昇を調節したっそれ以来淵本の出;分が増加l L. 湖中の生物相が,大きな変化をきたしたことで知られているう III I II .1 地質 地 貰 概 説 こ の 地 域 を 構 成 し て い る 地 質 系 統 は , 松 式 l斗 に 示 し た と う り で あ る c 大 別 す れ ば , 下 部 内 望 系 , 新 第 三 系 , 第 四 系 お よ び 石 英 担 両 官 煩 か ら な っ て い る 1 ): 2 ): ; ) 下 部 自 主 系 に 属 す る も の は , 事 者 が 湧 日 I j 層 群 と よ ん で い る も の で , こ の 地 域 の 基 盤 を 構 成 L, 大 部 分 の 地 域 に 露 出 し て 分 布 す る つ 自 相 に よ り , 上 付 : か ら オ ン ネ ナ イ 層 , ポ ン サ ル ) 曽 お よ び 芭 露 層 に れ る も の で , こ の 地 域 の 3 分 さ れ る つ こ の ) 骨 群 は , 全 国 厚 が ri-I)j] 主 軒 凶 同 , 3 , 000 I:. 山 原 ! 司 l同 , 東 方 十 ロ マ 店 て い る 。 こ の 同 肝 は , 全 般 的 に 硬 質 の 砂 宥 お よ び 江 主 ; よ り な り , タ ト l 月 811 隔 に 広 く 分 布 し Ml は 空 知 層 群 上 部 の 主 夕 張 層 と , ょ く に て い る と む 相 に よ り と し て 砂 官 よ り な り , 中 部 に m 内 外 と 推 定 さ 3分 し た 上 部 は , オ ン ネ ナ イ 層 と い い , 主 fiji 1~i , ~r(fi互府あるいは,砂質五宥の 2-10m のものを はさんでいるつ上司i J) 砂計は!舌 j亨 700m 以上で ,J}く緑色のやや凝灰質の砂宥である が,下部のものは国厚 600m 内外し、ちじるしく硬い , F'i 糞状の砂岩である。その下位 のポンサル層は,主として硬'I'tの陥青色 f( 右で,ときに似く色硬貨砂岩や石灰宕の小レ ンズをはさんでいるつ J~r字は 800m 内外で,ひじ工うにもめたゾーンが多い。最下部 の芭露!習は,硬貨の砂!tf ,丘干?の見事な互!時で,主夕張)曽の 'tJ によくみられる互層部 と,ひじようににているつ基良市の古;iii がないので,全国)享は不明であるが,少なく とも 800m 以上と推定される。 新第三紀に属すると忠われる共;生日は,この凶悩の l可坊に,わずかに露出し,湧別 -3- 日、干 1\ ; ・ ; 山間中附 四 ;f~ 、 千員 ネ己 Nr~\ H3J \t: 1た 図 fl 苔1, ~t !~t 堆 積 物 自 i V : 段 r;- .t 在 的 物 ; m 北、 層 }トF1に?43Zet 人ミ 2て,ムヘ0ーケ 4士E子?←T司、3?1/ 、。~三 7了子、コ ミ、 上 fil; 1者 6繋 ・ キ 砂 ・ 6業 給 七 砂 ・ 6受 . そ の 他 I~ 一七 *占1- 凝 灰 質 砂 岩 1 0 オ 質 忠 砂 ・ E 語 側 出 聞 物 μ」 三 紀 i f - 層 }日oI lよ ; 巴 濫 寸 ー 目安 h · 角 機 岩 灰 緑 色 砂 岩 石貫英入 fl 面 岩 ,、 〆ノ ; 勇 下 ぺ、 f t 、':\; 7 0 0 ' It1 ;'出幌医 1 0 2 0 イ 'セ ¥ ) I J 層 │ ド 部 層 馬糞状砂岩 ‘‘ ん人ト ー . 、、" . " " 日 統 可~~ タ 手と主 f脅 ポンサル層 時f 、 600 .., 』三一一一一~一一-戸一一一-.一t 三 一一 一 一一 E三二 時灰色無層 f望頁岩 E言孟 一一一一ー一 で一 ?長 キ己 砂 ET 頁 岩 ・ 砂 岩 頁 岩 互 層 800 士 l i t tモ 子 で 巴 2- 層 砂 1 頁 'ti l ,l菩 十 8 0 0 - 地 質 総 括 表 層 群 お よ び こ れ を 貫 ぬ く 石 英 粗 面 岩 類 を , 不 整 合 に お お っ て 存 在 す る 。 全 体 的 に 陪 禄 褐 色 の 喋 岩 お よ び 喋 質 砂 岩 で あ る が , 分 布 が せ ま し し か も 露 出 が 悪 い の で , 詳 細 は 明 ら か で な い 。 し か し , 礁 の 中 に 石 英 粗 面 岩 が 含 ま れ て い る こ と か ら , 石 英 粗 面 岩 噴 出 後 の 堆 積 物 と 思 わ れ る 。 層 厚 は 100m 内 外 で あ る 。 2段 の 海 岸 段 丘 は , い ず れ も 海 岸 線 と 平 行 し て 分 布 し , 高 位 の も の は 海 抜 60--20 m 位まで,低位のものは 20.-10 m 位までに,分布している。 しかし両者の境界は明瞭でない。 沖積層は海岸低地,湧別川の現 i可床などにみられる。砂,陳,土よりなり,薄い泥 炭をはさんでいる。 -4- 湧別川の {rlT 口近くに,試制された深度 1 , COO ill の試 Jfj によれば,上部の 37~75.2 とに金イる 。足石さ くるがの分 られ料近 そわ資附に お忠は山目。 いもすの、不さ っす断。オ てる定沼ン分 くくとてお巾 な在ろるびに 異存こいよ下 た薄のし出土 つが在布 ル ま居現八刀 ム 紀'くンつ は三はげ と第とに 蕊'こ方士一回異 λγ 3 3 i て 一川よ あ色状 L 灰冊 むてう直る一両相 のつい山あ芭の 昨おと'で り 柏 田おかはのよむ m 第 2 図芭露層砂岩・頁岩互層 c あ しい 別をう店も位にのな山を蝦た田川陥とすとよな・ 湧層ど灰る下ら店主小部部主立は'主こお百&、 お 2 ソ日限 h 一てぶ岩 1 ο o あチ の紀か凝当'さ層五見'目下'の山行で什つ宕休 系併は露山石市しので回目長。巾もを粘'幻こいか 部じび東一一計重層居砂明日んむじ五タるは分部色でとむな加 t 下草ののには''はて互'帝国砂粒ずーもれ大口 l 以白もそ端 そ下同よ北各自別イ芭の立一砂感の主いし部岩思疎ら合 しり口五群たの空よ粒凝れ 地オ J ji H一 tハ o 粗岩 ら地 の 'とお 'el 部湧ナ打、 'c 久な層のていの棟'円川を色で てに層右の笠下の、不J硬りる佐う路統にな一質'はのえの県民 み市進面類也域ンリてなすのよ神知く'灰に瞭ト冷もは珪 2J こる主問状夷く円上と色に れ互縞蝦古夷は部緑きるがび~にるで とよを層し昨部'加はまるヤ川よ瓦る か低がい英面 Lm H cm さのれな石粗 羽ここり英 -5- るのる上ナ れ m までに,軟かい白色凝灰岩をはさむ, Httitt 色の角1与22 居に逢着していると岩ノ胃の軟 あるいは小塊に,破砕する性質がある 3 この凶|隔の西の七者滑図 :11肩では,この層準に 結品質石灰岩の薄層をはさんでくることがあるが,化石は倹 III されていない。この凶 幅の西南端,中の沢の上流に露出するものは,走向 N 20.-40W ,傾斜東に 40.-60 , J 上流にいくと走向 N 10 E ,傾斜 SW65.-80~ となり,ボンサル層下部の暗灰色、ンルト J 岩と整合する。最上部より 130m 内外下位に,まえにのべた操、質砂岩層が存在する。 この地層は,さらに,東方湧別川を隔てて,その東山地に露出する。この地層は,図 幅内においては,わずかに,北端部に砂岩の小露出があるにすぎず,その構造を推定 することが困難であるつしかしその市方延長,遠軽図幅にはいれば,本間沢,芭露 川支流に良好な露出がある 3 その構造はほぼ市北の走向をもって,背科,向!r~t を反覆 し,傾斜は 40.-70 つである。したがって,凶幅内のこの地層も,そのままの構造をも ちこんでいるものと推定される。 湧別川の川口に近い試錐では, 75.2m より 1 , 000 m までは,すべてこの地層の砂 岩,頁岩互居で,層厚は 800m 以上と推定される。試錐による柱状は次のとおりであ る。 1m 1 . - 37m 。~ 3 7 . -7 5 . 2m 表土 沖積層 暗緑灰色角球岩,白色凝灰岩をはさむ 以上第三紀および第四紀層 7 5 . 2 . 1 3 8 . 5m 暗灰色砂岩 1 3 8 . 5 . 1 5 4 . 0m 黒灰色砂岩 1 5 4 . 0 . 1 7 8 . 6m 暗灰色砂岩,頁岩互層 1 7 8 . 6 . 1 9 6 . 0m 暗灰色砂質頁岩 1 9 6 . 0 . 2 1 1. 4m 暗灰色砂岩 2 1 1 . 4 3 1 5 . 2m 暗灰色砂岩,頁岩互層 3 1 5 . 2 . 3 7 4 . 1m 暗灰色砂質頁岩 3 7 4 . 1 4 1 1 . 3m 陪褐色硬質砂岩,暗灰色頁岩互層 4 1 1 . 3 4 3 3 . 1m J1(白色塊状砂岩(やや凝灰質) 4 3 3 . 1 6 0 3 . 0m 暗褐色硬質砂岩と暗灰色頁岩の互層 6 0 3 . 0 . 6 1 9 . 0m 硬質砂岩と頁岩の互層,含灰色凝灰岩 6 1 9 . 0 . 6 4 1 . 0m 硬質砂岩,含灰白色凝灰岩 6 4 1 . 0 . 6 9 1 . 0m 灰緑色砂岩 6 91 .0 7 1 9 . 5m 灰黒色硬質砂岩,合灰白色凝灰岩 -6- 719.5-760.0i l l 灰 色 砂 岩 , 合 灰 白 色 凝 灰 岩 760.0-772.0i l l 灰 緑 青 色 頁 岩 〈 凝 比 質 ) 772.0-830.0i l l 灰 青 色 硬 質 砂 岩 と 凝 灰 質 砂 岩 互 胃 830.0-890.0i l l 灰 青 色 硬 質 頁 岩 , 硬 質 砂 岩 互 層 下 部 に 細 礁 砂 岩 ( や や 角 時 凝 灰 質 〉 i l l 8 9 0 . 0 ~ 9 0 7 . 0 陪 灰 色 凝 灰 質 砂 岩 907.0-954.9i l l 陪 灰 色 粗 粒 砂 岩 と 硬 質 砂 岩 , 頁 岩 互 層 954.9-1 , 000 i l l 青 灰 色 , 凝 灰 質 砂 岩 と 硬 質 砂 岩 , 頁 岩 の 互 層 こ の 柱 状 に み ら れ る 岩 層 は , 上 部 の 7 5 . 2 m 以 下 は , ま っ た く 芭 高 層 で あ っ て , こ の 沖 積 原 の 下 に も , 基 盤 む が の び て き て い る こ と が わ か る 傾 斜 は 2 7 2 8 80ilfJlj σ な お , こ の 試 錐 の 岩 菰 で は , 二 で , 背 後 後 の 牧 民 1疑 炭 II 地 の 1t{7i 4 0 7 0 さ に 比 較 し て 緩 い の こ の 試 却 に お し 、 て , 少 白 か ら , 小 さ な 生 物 遺 体 の 破 片 が 琵 見 さ れ た が , 種 属 の 鑑 定 が 不 能 で あ っ た 。 I I I .2 .1 .2 ポンサル層 芭 F五回上に整合する塊状厚層の H白 l反 色,ないしは黒灰色工(右肩で,ときに砂 岩・ 1 右の互層部や硬貨砂干f ,砂質シ ノレト岩などをはさんでいる c 方解石 1]1長 が多数貫入している所もあれば,部分 的に石灰岩の小レンズをはさむ所もあ る c 断層が顕著に発注し地層の優乱 が各所におし、てみられる c 主部をなす 巨岩層は暗緑灰色,ないしは,黒色,J:鬼 状,無;層理で,やや珪質であるが,下位 の芭露層の頁岩部よりは軟かい。まれ に挟有される石灰岩レンズは,どれも, 完全に結品質で,化石は発見されてい ない。この地層は, r J ドノ沢」に全層が c 露出しているが,走向は N 20-40 W , 傾斜は NE40-60 こである c 下位は芭 露層と整合的で,上位はポン十ル層の 第 3 図 -7- ポンサル層佐賀頁岩 深 度 砂岩部と整合する。全層厚は 800m 門 外と算定されるつ I I I .2 .1 .3 オンネナイ層 この地域に分布する湧別層群の最上 部層であって,顕著な砂岩層で特徴づ けられる。中央部にはさまれる砂岩, 頁岩互層,あるいは砂質岩の 2---10 m の地層で,上下にわけられる。 オンネナイ下部層 下位のポンサル層とは整合する。 硬 質:灰紘色. I わ粒ないし組粒の厚い砂 岩層で,方解石脈のために,烏糞状を 呈する部分が諸所にみられる。比 i肢的 下位に,粘板岩の畑片を無数に含む)脅 準があるっこの細片を合む砂岩と,ま ったく同じような岩相の部分が,西!JU 九〕 部層やーの橋喋岩層の中にも存在す 第 4 図ポ γ サル層頁岩 る。しかし,このような岩相が,層準的な志味をもつものとして,一方的な対比を行 なうことはできないにしても,きわめて特異なこの吉相のつながりはもう少し追跡し てみる必要があろう。 この地層の烏糞状砂岩は,金山間近の空知統の中の烏糞砂岩と,ほとんどかわらな し、。 この地層は「中の沢」入口. I東の沢 J. および湧別川の西岩山茂地什;;に!ムa く露出し, 南北から北東に振った円弧状の向斜!袖の東西両側に分布するつ岩 1 目的には比較的特徴 があり,周辺地帯の調査にも,鍵層として役立つであろう。 全層厚は, 600m 内外と推定される σ オンネナイ中部層 層厚 2---10 m の,きわめて薄い地層であるが,オンネナイ砂右のほぼ中央部に,か なり連続して追跡することができる。主として,砂岩・頁岩の互層,あるいは砂質頁岩 層である σ 砂岩は硬貨,灰緑色ないしは灰色,頁岩は黒色または陥灰色で,ときには灰 - 8 -- 黄色のものも存在する。前記の向糾袖の両側に,断層で,所々転位しながらも,その 構造を明瞭に京わしているつ オンネナイ上部層 中部!曽上に整合する,厚層の塊状砂岩層で,下部の砂岩とは,一見して区別できる。 灰緑色,凝灰質で,比較的に軟かい。 一・般に畑粒質で,下部の砂岩のような,烏糞状の部分を含まない。中湧別市街の西 方山地に, I句斜構製の Ip 核部を構成して露出する。層厚は, 700m 以上と推定される 3 III.2.2 新第三系 この地層は, l叫|隔西端シブノツナイ JII 下流の東側山稜の西側にわずかに分布するに すぎない 3 なお, I ド湧別!I I 日で行なわれたぷ錐の杭状凶をみると,上部より 37--75.2 m の間の岩層は,おそらく新しい第三紀周と思われるが,この岩誌から推定された第 三紀層と,上ぷシブノツナイ川のものが,どんな関係にあるのかは,不明である。しか しいずれにしても,この低i也市に湧別居群をおおって,新第三紀!昔が分布することは, この丘陵山地と海)訂正地との問に,海岸線と子行した断層の存在を,陥示している。 III.2.2.1 共進層 シブノヅナイ川の下流に,石英粗両岩質凝ば岩および湧別群居をおおって,陪緑褐色 の軟かい凝灰質の砂岩層が分布するっこの砂右層は,ときに喋岩質あるいは角喋岩質 になって,シブノツサイ川の川底に露出する。喋は径 2--5cm 大のものが多く,粘板 右,硬砂岩,チャートなどに混って , 1- i 英組面岩の円傑が発見される。この燥が存在 することから,この地層は,石~粗面岩煩を不整合におおっていることが推定される。 露出地点は,緩やかな裾地で露出が悲し湧別層群との直掠関係もみられない。層厚 はほぼ 100m 内外と推定される。 III.2.3 第四系 この凶 i幅内には,湧別層群および新第三紀)醤をおおって,海岸i交正を構成している 供積層と,海岸低地および湧別川の(民地を構成している沖積層が存在する。 III.2.3.1 洪積層 湧別!曽群,あるいは共進!昔で構成されている丘陵山地のオーツク海に面した斜面に は,海岸線と平行して海岸段丘がみられる。 分布高度は 60m 以下である。この段丘は,ほぼ 2 伐の l面がみとめられ'/首位のもの は 6{)~20m ,低位のものは 20--10 m 位である。しかし両者の境は明瞭でない。大 -9- 部分の所では,一連のようにみえる。いずれも砂,喋,粘土)脅からなる。中湧別市街 東方約 2∞ m の煉瓦工場では,低位段丘中の灰黄色粘土を採掘して使用している。粘 土居の厚さは 1--2m で,風化すると白色となる。 I II .2 .3 .2 沖 積 層 海 岸 低 地 や 湧 別 川 の 氾 j監 原 に は , 砂 , ~ . 業 , 粘 土 よ り な る 沖 積 層 が 広 く 分 布 し て い る 。 こ の 中 に は , 泥 炭 を は さ む 所 が あ る の こ の 沖 積 層 を 流 れ る 地 下 水 に は , メ タ ン ガ ス を 合 む も の が あ り , 一 時 は , 下 位 の 湧 別 居 間 二 か ら の 誘 導 ガ ス で な い か と , 疑 わ れ た こ と も あ る の I II .3 地 質 構 造 基 盤 を 構 成 し て い る 湧 別 層 群 は , ほ ぼ 中 央 部 に お い て , 南 北 性 の 軸 を も っ た 一 つ の 向 斜 構 造 が み と め ら れ る 。 東 西 両 側 に は , 最 下 位 層 で あ る 芭 露 層 が 高 出 し , そ の 両 翼 の も の は , ほ ぼ TH 北 に 近 い 走 向 で 東 に 念 、 科 す る が , 東 翼 の も の は , こ の 凶 軽 閃 幅 で , 4 0 -6 0 ° l隔 の 南 の 遠 の 小 向 斜 , 小 背 斜 の 反 覆 が み と め ら れ る c 湧 別 川 に そ っ た N 5 0 E 方 向 の 推 定 断 層 に よ っ て , こ の 東 買 の 芭 露 層 は 切 断 さ れ , オ ン ネ ナ イ 下 部 の 砂 岩 層 と 直 接 す る も の と 推 定 さ れ る 岩 蕊 の 傾 σ 湧 別 川 口 の 試 錐 は , こ の 東 翼 の 摺 lH は 2 7 -2 8 ° fi B 部 を つ い た も の で , で , 湧 別 川 西 側 の 地 層 の 傾 斜 よ り は , は る か に 緩 い 。 断 層 の 一 般 方 向 は , 同 じ く 市 北 性 で あ る が , こ れ と 斜 交 す る も の が 発 達 し て い る 。 ま れ に 街 i二 断 屑 型 の も の が , ポ ン サ ノ レ 層 の 中 に み と め ら れ る が , 局 部 的 現 象 と 考 え ら れ る 。 こ の 地 域 は , ; u : 東 北 部 に 発 達 す る 湧 別 層 群 の 一 部 の 露 IU 地 で あ る 。 し た が っ て , 湧 別 層 群 全 体 と し て の 大 き な 構 造 は , 今 後 隣 長 岡 市 高 の 調 査 が 進 行 す る に つ れ て , 明 ら か に な る で あ ろ う 。 I I I . 4 湧 別 層 鮮 に つ い て の 地 質 学 的 な 諸 問 題 湧 別 屑 昨 は 北 海 道 の 東 部 海 岸 , 湧 別 , 佐 呂 間 地 域 か ら 遠 軽 , 生 田 原 に か け て , 広 く 分 布 す る も の で , 生 田 原 附 近 で は , 輝 緑 凝 灰 岩 層 を と も な う 。 20 万 分 の 1, 北 海 道 地 質 問 に は 下 部 蝦 夷 同 昨 ( 富 良 野 田 ) と し て 取 扱 つ で あ る 。 こ の 地 の 主 要 分 布 | 正 域 は , 紋 別 郡 湧 別 町 を 巾 心 と し た 東 西 約 本 20km , TH 北 約 中 の 沢 入 口 の ポ ン サ ノ レ 府 の 中 に あ り , 街 上 面 は 30km に お よ ぶ 広 大 な 地 域 で あ る 。 同 \VE! の m, 色 頁 岩 で あ る 。 -10- ;.J, 30° で 上 下 共 に ポ ン サ / レ 層 十*な岩 j首は,さらに ~t)j, ル留川流域, t葉県 J1; 川流域に,また東方は, flU ,!己主要露出 部と H 高層群といわれる硬砂 ZJ ,粘恨む, 1':占品質石氏!よーなどよりなる珂変成店長i をへ だてて,サロマ i,~J の市計に分布する(この部分が, (.主円間層群と祢せられるものであ る)。湧別同群の基底部は,現在までのところ明らかでない。しかし,ド位と甘される 日高層昨といわれる半j 変成宥煩との関係は,一部附rh~\ ,一部は関係不 JYJ の移り }j で接 している 3 湧別層群の下部憎である芭伝情は,そのド位と M.!、われる日 I'';'~I昔前:の必変成 オムザル 岩 ;$i とは,変質の度合で|疋別することができるつしかし忠沙出原野の左沢 F付近で,断 層 J 'lくでもめている巴露関の正岡市は,その IYJ に分イIi する\1 1 ',玉県!昔 1;千といわれる必変 成互層部とはむ質的に,ほとんど,区別のつかないものもある。また, ツ川の合 lfJU\v こ, 10 万分の 1 , j:也氏 i斗州部凶 111M でみると, <K H'l"J 11 とウソ UI~';j 以肘 in の叫変成~{~.と 111 /七!首(辛苦の湧別府 1咋)の問に,断)討がわかれであるが, ,)J出この川を J ヒからけj にさ かのぼってみると,同じような,砂IJ ,丸山の手足立川が,川の )jl むと I"j じノじ l らj で注 なり, llbj)同の主 i刊の fL;' !I~1 は,変質の度合で IxJ) 1jできるが, ~変り日が混然としてわから ないっ また,佐日間層群といわれるものは,サロマ i,~J の Id*L;~ に分布し, J主任 )j Uti の同庁 /J j同昨とは,赤色チャート,締結凝灰む,ホルンフェルス, :tii 恨む,示,'I , ';il 1"i イ'j/)(8' , J l Eな ど よ り な る 日 高 九 千 併 の 変 成 右 煩 よ り な る 地 層 を へ だ て て , そ の 点 に 両 要 む 相 は , ,日色 な い ο お そ ら い , 11 :1する f( む と i曲 目 砂 む の 互 府 で , 担町f外 で は , 芭芭 l'μtji旨 計 i} }'I己 d 心1 の互)出肘 f 目叶~~ι; {位5主J 日 i悶;訂DJ回 d昨 と さ れ た も ( 乃 は , 訪 山 れ る っ た だ し , し い て い え ば , 両 者 の 砂 引 の Ij 1 0) 砂 右 の 風 化 ii i ) は , 灰 白 色 と な り , ー は し て }i2i:?i 下 v" J 下 に み 吋 す る も の と , tf~-f i山JNH とも, i勇 JJ Ij) 国 併 の こ の 地 周 I白 褐 色 で , 内 部 は リ ズ ミ カ ル な 互 }r8 で , 外 副 は ま っ た く 8 8 0ill ,iiT( 問片付干の I白 灰 Ili'j 紘 色 で 、 あ l'l H;去である。 jJ 二の資本 rf ' の レ ン ズ 状 行 ! 疋 行 を か な り 注 立 し て み た が , 化 l ド, 8 flt:!'} 凝 灰 Uの よ う に み え , 内 部 は J也 民 地 代 に 閲 し て は , 現 在 ま で の と こ ろ , 化 ィ 別 川 川 口 の ぷ 錐 コ ー ア Uわ が や や 見 な っ て い る ftrf 色 で あ る つ し か し , 湧 別 ) 出 汗 芭 伝 憎 の も の は , 風 化 部 が る づ た だ し υ こ主 :1 は ま っ た く な い 。 G は )t~ J. で き な か っ た 。 湧 去 の 駄 目 { 凝 l火 1 1 砂;f ~;-'ll 1 か ら , 生 物 j立体の{山J1<をみ つ け た が , 種 属 名 の 鑑 定 が で き る て い ど に 保 存 さ れ て い な か っ た っ し か し こ れ ら , 訪 日 IJ 府Jt,(の計十Iiは,空知回{f う と 思 わ れ る 。 さ ら に , こ れ ら の 岩 岡 は , 生 し て い る 。 ま た , r.Lgi~ の 主 タ 伝 出 こ え す よ と さ れ る で あ ろ [ill 以 )it 自i に お し 、 て , 厚 い 削 私 凝 灰 む と 位 f在 日 lUI} 骨 n千 と い わ れ る も の の 下 部 胤 と 推 定 さ れ る 仁 倉 方 面 -11- iの 地 ) 国 か ら,橋本豆が 1960 年山部層に対比される化石をだしている。これらのことから,この 層群の地質時代を,上記のように推定しても,大過ないであろう。 この層群ときわめて密接な関係にあるものと,推定されるものに,西興部層がある。 西興部層は, 1938 年竹内嘉助によって, 11 生層として記載された。その後 1956 年遠 藤隆次・橋本亘がその礁岩層 Ip の石灰岩礁から Nankine } las p . Gymnocodiumj a p o n i c u mKONISHI G y r o p o r e l l ani ρponic & σ E N D O HASHIMOTO M i z z i av e l e k i t a n aSCHUBERT など・の二丹紀の化石を発見し,この際岩層を含む一連の地層に対して,西興部層と命 名したっこの地層は,顕著な確岩層で知られ,竹内はこれを思沙留地:r;i の湧別府1f n の主主底部としたの筆者は,この地域の地質概要を 礁岩層は, X の中生層(筆者 1960 年に発表し,この )主底部ではなく,むしろ上部に近い層準で、あることを明らかにした。宵興 部屑の下部は,用厚 200m 内外の附緑色ないしは,暗灰色のグレワッケ砂岩で,烏糞 状を呈すること,砂右中にお 5 1'&辛?の小角)fーを多数合むことなどで,岩栢的には,オン ネナイ層下部の砂岩とよくにている c その上位は約 100m の陪緑色砂岩で,含石灰岩 礁の喋右層は,さらに,その上位に重なるものである。この西興部層は,日高層群と いわれる羽変成岩類、と断層で持し,層準としては,おそらく,湧別層群の上部に対比 されるものと推定される。 VI 応用地質 この閃幅内においては,いままでに,利用された鉱産資源は存在しなかった。かつ て,白雪;紀層の沿 i 徴あるいはカ、ス徴として取上げられたものがあったが,筆者が 1958 年にそうでないことを明らかにしておいた。 この地域で石油の徴伎とされたものは,芭露小学校校宅の井戸で,塩辛い水がでる といわれたのが根拠になっている。この背後地を構成している湧別層群の中では,何 所にも討 i 徴や力、ス徴がみられない。この井戸の地点も,古サロマ湖の領域内に含まれ るようであるので,おそらしその残留塩水の一部であろうと推察される 可燃性天然ガスとしては, O m の上中学校の北方,信太牧場で,かつて,飲料水をと る目的で井戸を掘ったところが,井戸掘人夫がガスのために死亡したことがある。ま ~ 12- た,この附近で井戸を掘っている最 Ip に,エンジンから引火して,爆発を起こしたと いわれてし、るっさらに,この間,;if の農家の井戸が,から"らりをしたり,々、ス突出で井 戸がこわれたとかいわれている。 沼の上地区のガス)習に対して, 官者らは昭和 32 年 (1957年),次のような liII,)査を行なったっ信太牧場におけ 臼 Mil土 る井ゾ掘の情況などから判断すると,ガスは,おそらく水 を伴なわない空ガスで,深度手は 40尺 tjif 後と推定された。 初 WL この推定に基づいて,沼の k 中学校の市東方的 300m の地点に,深度 25m のぷ錐を試みた。その結束は,予想 したとおり 14 m5 0em~15 m5 0em の 所 で ガ ス が 噴 出 付 1'] 文リ 'RL した。 し か し こ の 間 の し く , ガ ス RJ 同 は 浮 イ LH 本 と し て は , さ れ た つ ま た , こ の カ ス JTT の 傑 慢 で , 漏 水 が は げ ‘ IJ 主 力 、 ス で あ る こ と が 明 ら か に A? 1 の ド に は , 厚 さ \:~r- 30m の , か な り 多 量 の , ¥ 古 列 な 水 が 流 れ る 市 水 府 が あ っ た っ ( 指 5凶 参照) 第5図 ~tj ノ上 tr: [Zスパイフ 。 JL J打、ーリンクイ 3 2 1 第6図 - 13 ー 1置 ~ 4km ゐ,.汁 till G' f i / . . . ; : ' : r Jl さらに昭和 36 年度には,コムケ沼市東側の低地に 21 ヵ所のスノ 4 イラル・ボーリン り グを実施し表面下4.5m までの地侃測定,水質試験を行なった。(第 6 図参照)。その結 果は,浅い深度には少しも合ガスの徴候がなかった。また, j也出も特筆するほどのも のでないことが1'IJ 明した。 湧日Ij,芭原地区の i長国カスに対する調査は,昭和 31 年実施した。(第 71Z1参照〉 o I 2 3 4' ご オ ホ 'ソ 第 7 図 ク y毎 湧別附近試錐および採水地点{立置凶 現在存在している井戸は,全部ポンプ。式の汲上げで, 1jtf:抜升ニ p' は 1 ヵ所もない。し たがって,試験のための採水に便利が!tJ!;く, しかも,ガスの噴出が不定期間歌的であ るために, ~ff,jfl: 別問巾はガスが噴出せず,採ガスを行なうことができなかった。 この採水ブf ス井の水質分析は,次のとおりである。 第 1 表 ガス井の水質分析去 (技師斎藤尚志分析) 番旦(採'K IHC-f~ 1 > ' . / 71 ==1 相 整 !Cl-JCa+ l l c O M ( n n ノ|所有者名 評JJt:: : ~ :~I i 7]( 渦 l 1p H I M g + +I V 1 I . .T1 ¥I I I ¥ 1 NH 4 il!t " I "" ' "-'1-', \年月日1 Lr I L -a+I ! NI g i K N M O 4 1 マ年月日 I P U I I N尚0.1山 同 ]3泊1. 2 叩一一 2吋昭お瓦瓦ル 同8 べ6 山山 U叫仰/バ川収 l(()h 川 9伽… m叫 陶S No.21 ク|松浦 l?l?18 パ6.5ゲ,I 1 2 I8 I5 I3 i タ l No.31 グ lI 引共同井 陽佳宅 i p1 843C165; 1 1 │ 1 1 I/ I .I 9 . [ i~' ~ ~I~'~I u I 9 ~ I1 I 3 v U -14- iグ 湧 fJ !j川 Jll 口に行なった深度 1 , 000m の試錐については,すでにのべたとおりである が,この白望紀層の riif を目的とした試錐は,鉱業権者の手によって行なわれた。試掘 開始は昭和 35 年 4 月 5 日で,掘止は 36 年 2 月であったが,その問,全然油肢もガス 徴もみられなかった。 採取した岩蕊の分析結果は,次のとおりである。 第 2 表試錐岩蕊分析表 度|岩質 i 比重|合Fi 稀Ti 深 JClmullNH 叫/1 PH13212L 1 318.2 374.1(lshadle i J 1 . 4 5 1 1 6 5 . 1 i │ 4.49 7.5 3 7 4 . 1 3 8 9 . 3 つ Aり 噌i一 - ク τ晶t5 つ- っ“っ“ せ4 戸6 に6.9 412.7 414.41M-s.sl1.69│47.6j 8 , 円t っ“ハυ 1 .46 1司i庁i 6 . 7 7 : 6 . 9 . 似 .0---ωo ク 2.ω36210381691 叫 S S?(226116│731 長 尾 治 ー (1958) 紋 別 お よ び 湧 別 附 近 の 泊 徴 , ガ ス 微 調 査 報 告 2 ) 長 尾 捨 ー (1958) 北 海 道 北 東 部 に 発 達 す る い わ ゆ る 下 部 白 望 紀 層 に つ い て 連 絡 紙 第 4 ) 遠 藤 隆 次 ・ 橋 本 62 之さ 726 5 ) 河 内 洋 佑 (1956) 0.54 3 , t ;jnυ 氏 u門i 臼つ 2 1 .92 門 つ t , 360 令i8つ30 1 .35 5 . 9 4 0 丹町戸 d 円。 2 . 0 1 せi υ 北 地 下 資 料 日 7 号 北 海 道 北 東 部 の 未 詳 中 生 層 湧 別 層 群 に つ い て 亘 (1956) 司。つリ95 献 文 960) 5つ臼ヴ4ハリ 門円 172 S2.04133.0110135211 1 木 後 期 中 生 代 の 研 究 ナジ 門7.3 ク 3 ) 長 尾 拾 ー ( 1 1 1 2 4 0.93 5 4 0 . 0 5 4 7 . 7 1 ) i 噌.1,) つ4噌.1 6 円28 制 2---840.7 3 , 250 門7.0 1 叫 48.6 回46~689.31S 5.8 門70 t 丹 > 門 75 4 8 5 . 0 4 9 2. 5¥ s h . 斗4巧i つ臼 〈技師二間瀬 ifU 分析) 北 海 道 よ り 二 畳 紀 化 石 の 発 見 と そ の 意 義 有 孔 虫 第 11 号 地 質 雑 号 天 塩 同 上 川 郡 下 川 町 ー の 橋 附 近 の 地 質 と 岩 石 北 大 卒 論 (M.S) 6) 竹内嘉IJ} 1 9 3 8 ) 興 部 図 幅 北 工 試 J ( 7 ) 長 尾 拾 ー ・ 斎 藤 尚 志 報 (M. (1961) 2号 紋別, の 上 地 区 天 然 ガ ス 調 査 中 間 報 告 1百 9 6 1 S )1 -15- 地 下 調 EXPLANATORYTEXT OFTHE GEOLOGICALMAPOFJAPAN ( S c a l e 1:50 ,000) 汀 U QU) T6 円U 即日 yd ‘‘ 42r't 、 N Am KM By SutekazuNagao ( G e o l o g i c a lsurveyo f Hokkaidδ) Resume TheNAKAYUBETSUg e o l o g i c a ls h e e tc o v e r s an area l y i n g b e t ¥ v e e n 44°10'-44 口 20' N lat , andbetween1 4 3 ー 3 0 ' 1 4 3 ー 4 5 'E l o n g . Thea r e ao ft h i ss h e e ti sl o c a t e dt ot h ewesto ft h eSaromaLake i nt h en o r t h e a s t e r np a r to fHokkaido , f a c i n gt h eSeao fOkhotsk. Exceptf o rt h el i m i t e dd i s t r i b u t i o no ft h e markedly d i s s e c t e d h i l l yl a n di nt h esouthwest 多 the mapareai so c c u p i e dbyt h ec o a s t a i l o ¥ v l a n dandt h ef l u v i a lp l a i n sformedbyt h eYubetsuRiver . Thelowermostmembero ft h e3 t r a t ac o n s t i t u t i n gt h i sareai s t h eYubetsugroup , whichi stheupperp a r to ft h eS o r a c h is e r i e s andi sc o r r e l a t a b l ewitht h eLowerCretaceousSyu ・ yubari s t a g e . TheYubetsugroupcanbedivided , i nascendingorder , i n t ot h e Bar6formation , t h ePonsaruformation , andt h eOnnenaif o r m a t i o n . TheBarδformation c o n s i s t so fconspicuousa l t e r n a t i o no fs a n d ュ t st h i c k n e s si sestimateda tabout800m. s t o n eandshale , andi ThePonsaruformation , conformablyo v e r l y i n gt h e Barδfor mation, i scomposedalmoste n t i r e l yo fu n s t r a t i f i e dmassiveshale, withp a r t i a lsando rsandys h a l e . Theformation i sl o c a l l yi n t e r ュ c a l a t e dwith t h i nl i m e s t o n el e n s e sandt h et o t a lt h i c k n e s si sabout -17- 800m.Thef ormationi sc h a r a c t e r i z e dbyhavingi n t e n s e l yd i s t u r b e d z o n e s . h e Ponsaruf o r TheOnnenaiformation , conformable with t mation , i ss u b d i v i d e di n t oupperandlowerparts , byt h esandys h a l e o ra l t e r n a t i o no fs a n d s t o n e and s h a l eo c c u r r i n ga ta b o u tt h e middleo ft h ef o r m a t i o n . Thelowerp a r tc o n s i s t so fgrayo rg r a y i s h ュ green , compact and hard sandstone , 1 0 c al Iy having “ Torihun" appearanceduet oi n t r u s i o no fc a l c i t ev e i n s . The t h i c k n e s si s o1 0m thick , c o n s i s t i n g about600m. Themiddlepart , about2t r a c e d o fsandys h a l eo ra l t e r n a t i n gsandstoneandshale , can be t a sakeybedd i v i d i n gt h eformationi n t oupperand l o w e rp a r t s . Theupperp a r tc o n s i s t sl a r g e l yo fgrayish-green , tu百 aceous s a n d ュ . s t o n ewhichi sr e l a t i v e l ys o f ta scompared with t h el o w e rp a rt Approximatet h i c k n e s si s700m. h eabove-mentionedformations , TheY i l b e t s ugroup , comprisingt s t r e t c h e ssouthwarda sf a ra st h ea r e a so ft h e Engaru andt h e x t e n s i v ed i s t r i b u t i o ni nn o r t h e a s t e r n Ikutawarasheets , showingane Hokkaido. a sundi Thisgroupc o n t a i n ss c h a l s t e i nandhasbeenknown 妊erentiated Mesozoicb e d s . Nof o s s i lt odeterminet h eage h es c h a l s t e i n ュ o ft h i sgroup has been r e p o r t e dy e t . However , t i nt h eIkutawaraandt h eTokorod i s t r i c t scanbec o r ュ r e l a t e dwitht h eYamabeformationwhichmakest h elowerp a r to f beari 時;beds ot h eY i l b e t s ugroups u p p o s e d l yo v e r l y i n gt h e t h eS o r a c h iseries , s formermaybec o r r e l a t e dwitht h eS y u Y i l b a r if o r m a t i o n . The Kyδshin formation , which i si n f e r r e dt o be Neogene T e r t i a r yi nage , i sd i s t r i b u t e dmeagerlyi nt h ewesternp a r to ft h e o v e r st h eY i l b e t s ugroup , l i p a r i t eand maparea , andunconformablyc l i p a r i t i ct u f f . Thisformationc o n s i s t so fd a r k g r e e n i s hbrown , soft , tu妊 aceous sandstoneandconglomerate , andi sabout 100m t h i ck . P e b b l e so ft h econglomeratea r e2t o5emi ndiameter , andmost n t e r m i n g l e d with o fthema r ec l a yslate , graywackeand chert , i roundp e b b l e so fl i p a r i t e . - 18 ー Diluviumc o n s t i t u t e sc o a s t a lt e r r a c e si ntwo s t e p sa l o n gt h e . Highert e r r a c e sa r e2 0t o6 0m s l o p ef a c i n gt h eSeao fOkhotsk r e1 0t o2 0m , a l t h o u g hi nmany aboves e alevel , andloweronesa c a s e st h eboundarybetweent h e s etwogroupsi sq u i t ei n d i s t i n c t . Alluviumi sd i s t r i b u t e di nt h ef l u v i a lp l a i n so ft h eY f i b e t s uRiver , a sw e l la sont h ep r e s e n tr i v e rbedandi nt h ec o a s t a ll o w l a n d . I n d i c a t i o n so fpetroleumandn a t u r a lgaswereoncereported , andt h eYubetsugroupwasassumedt ob et h es o u r c e . Nevertheless , fromt h ef a c tt h a tnod e f i n i t ee v i d e n c eo f petroleum o c c u r r e n c e h el i t h o l o g i c a lc h a r a c t e ro f hasbeenfoundt ot h i sday , anofromt x p e c tpetroleumr e s o u r c e si nt h i s t h eYubetsugroup , wecannote a r e a . n t e r m i t t e n t l yd i s c h a r g e do u to f Thec o m b u s t i b l en a t u r a lgas , i samethanegas , s o c a l l e d w e l l so ft h efarmhousesi nt h elowland , i “ kara gas"withoutaccompanyingwater , andwas d e r i v e d from h i sgasi sn o tr e l a t e dt o t h ep e a ti nt h ec o a s t a ll o w l a n d . Hence , t . petroleume i t h er 1 9- 昭和 37 年 3 月 10 日印刷 昭和 37 年 3 月 15 著作権所有 日発行 北海道開発庁 印刷者 加藤 博 札幌市北三条西一丁目 印刷所 興国印刷株式会社 札幌市北三条西一丁目 EXPLANATORYTEXT OFTHE GEOLOGICALMAp'OFJAPAN SCALE 1:50 ,000 NAKAYUBETSU ( A B A S H I R I 1 6 ) BY SUTEKAZU'NAGAO GEOLOGICALSURVEYOFHOKKAIDO JINSAITp, DIRECTOR HOKKAIDODEVELOPMENTAGENCY 1962
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