PRT北海道青年部フットサル大会 去年 の十 月十 五日 ︵月 曜日 ︶札 幌 のイ ーワ ンス タジ アム で帯 広理 容 組合 青年 部か ら十 一名 がフ ット 発行元 帯広理容組合 総務部 活性化委員会 い て、 副理 事長 の任 命を 受け 、身 帯理タイムズ 新年度を迎えて た が、 今回 はイ ート 子コ リー グ二 部で五位と大健闘しました! サ ル大 会に 出場 しま した 。前 年は 下 から 数え たほ うが 早い 順位 でし 日 頃よ り当 組合 運営 に際 しま して、 た半年でありました。 多 大な るご 理解 とご 協力 を賜 り誠 十勝 地区 帯広 支部 にお いて は、 今 回二 回目 の参 加で 確実 にレ ベル ア ップ して いま す。 月二 回の 練習 の 引き 締ま る思 いを しな がら 、難 問 に対 応し 、我 武者 羅に 駆け てき 社 会問 題化 して いる 自殺 、い じめ 問 題の 未然 防止 、早 期対 応を 図る 組合 員の 皆様 にお かれ まし ては に あり がと うご ざい ます 。昨 年は 長 引く デフ レに 、政 権交 代が 行わ で 運動 不足 解消 、ス トレ ス発 散を し なが ら、 みん なで 楽し く練 習し て きた 成果 でし ょう か? これ から 事 を目 的に 保健 所、 教育 局の 協力 の もと 、ゲ ート キー パー ︵自 殺予 皆 様と取り 組むこと ができま した。 ま た、 後継 者育 成と して は、 十勝 も こう した 活動 を通 じて 横の 繋が りや新しく組合に入ってもらうきっ れ 、景 気の 回復 を期 待す るば かり で すが 、私 ども 組合 と業 界に おい 地 区帯 広支 部と して 全道 理容 競技 会 、全 国大 会へ の三 年連 続出 場を か けに なれ ばい いな と思 いま す。 こ れか らも 怪我 をし ない 程度 に続 防 ︶講 習、 いじ めの 現状 と課 題に つ いて の講 習を 開催 し、 組合 員の 果たしております。 そし て、 青年 部、 女性 部の 皆様 けていけたらと思っています。 青年部長 村瀬智彦 支部長 坂上信喜 理 解と ご協 力を 受け なが ら、 精一 杯取り組んでまいります。 貢 献、 この 三つ 理念 にそ って 各種 事 業に 役員 共々 、組 合員 さん のご 本年 度も 全理 連が 掲げ る後 継者 育 成、 営業 支援 、法 令順 守と 社会 に は各 事業 にお いて 目覚 しい 活躍 をしていただいております。 て も、 難問 が山 積し てい ます 。私 自 身も 、昨 年の 道組 合総 代会 にお 全国理容技術大会を終えて 協 議し 、有 意義 な会 議に なり まし た 。二 ヶ月 後の 、大 会前 日、 十一 査 員、 モデ ル審 査委 員合 同で 一回 目 の会 議が 行わ れま した 。審 査員 来栄 えで 結果 は二 十一 位。 競技 を 月 十七 日 日 ( に) 二回 目の 最終 会議 が 行わ れ、 選手 の技 術を 、厳 正公 昨年 の十 一月 十九 日︵ 月︶ に 第 上 手く でき るの かと 焦る 気持 ち 、 内 心は 色ん な思 いが 入り 交じ っ て 終え るサ イン の手 を挙 げる タッ チ の差 で、 全理 連の 新聞 に名 前が 載 平 に審 査を する 事を 皆で 確認 し、 終 了致 しま した 。こ の後 は、 同じ の 先生 は殆 んど は全 理連 中央 講師 会 の方 で緊 張致 しま した が、 皆さ い まし た。 練習 でや って きた こ と し か本 番で は出 来な いの に、 頭 の るこ とは あり ませ んで した 。先 生 達の 指導 やモ デル さん の協 力、 ス ホテルに全員監禁です。 大会 当日 は、 午前 八時 に審 査委 六 十四 回全 国理 容技 術大 会イ ン 富 山 が開 催さ れま した 。三 度目 の 全 中 では 、そ れ以 上の 結果 を期 待 し て しま う自 分の 気持 ちを 抑え な が タッ フ達 の協 力、 それ がな いと こ こま でこ られ ない とは 分か って い ん とて も気 さく な方 々で 、各 部門 別 に審 査要 項の 確認 、詳 細に 亘り ら 本番 に臨 みま した 。目 標は 二 十 位 以内 で、 点数 上で は十 九位 で し 国 大会 出場 とい うこ とで 、勝 ち た い 執念、三 度目の慣 れ感、 安心感、 た が、 自分 とし ては まあ まあ の 出 式 次第 に則 り恙 無く 終了 。い よい よ 、競 技開 始、 私達 は審 査委 員室 員 室に 集合 。朝 礼に 続き 、開 会式 の打 合せ、 そして 大会会場 に入場 。 勝ち たい 執念 だけ を持 ち、 また モ デル さん と二 人三 脚で 挑戦 して み か ら出 入り が出 来な い為 、会 場の 様子は分かりませんが、タイムテー ますが、実に悔しい本当に悔しかっ た。 今年 は余 計な 事を 考え ない で ようと思います。 坂上兼司 於い て、 第六 十四 回全 国理 容競 技 大会 が開 催さ れま した 。道 講師 会 昨 年の 十一 月十 八日 、富 山県 に 分と、皆さんも こんなハードな 門選手六四名、 審査時間は五十 いてきて、審査 表の確認、一部 ブ ルに より 行動 の指 示が きま す。 審査時間が近づ で毎 年、 審査 員を 排出 して おり 、 今回は私が担当になりました。 審査は行なった 事とがなく、プ 全国理容競技大会審査員を終えて 九月 二十 日 木 ( に ) 東 京の 全理連 ビ ルに て、 全国 大会 会議 が、 技術 審 < 1 > < 2 > 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ レ ッシ ャー と緊 張で 無口 にな っ て い まし た。 私は 、第 2部 門と 第 3 ま す。 去年 は女 性部 ﹁全 道女 性部 の 集い ﹂を 十勝 地区 女性 部主 管で こ とを 後日 知り まし た。 被害 に遭 わ れた 皆様 には お見 舞い 申し 上げ き な力 と成 って 頑張 る事 がで きま し た。 私自 身こ んな 立派 な﹁ 女性 部 門の 審査 でし た。 ステ ージ の 外 で 待機 をし 、一 人ず つ紹 介さ れ ス 北海 道選 手勢 は、 第3 部門 の道 南 地区 会、 東幸 範選 手が 、7 位の 敢 部 の集 い﹂ が開 催さ れま した 事、 感 謝の 気持 ちで 一杯 です 。本 当に 開 催す る事 がで き、 盛会 に終 える 事 がで きま した 。一 重に 組合 役員、 成 度も 高く 、個 性的 な感 性で の 作 品 が多 く、 五十 分間 では 足り な い 闘賞 で入 賞致 しま した 。又 、十 勝 代表 選手 の坂 上兼 司君 は、 第1 部 有 難う ござ いま した 。後 日談 、十 勝 に行 って 良か った !﹁ ばん えい テ ージ中 央へ。 全員 揃って 一礼し 、 審査開始。第2部門﹁レディース・ 位 悩み まし た。 第3 部門 ﹁P R I S E﹂ 規定 の技 術の 施術 を行 い 決 門﹁クラシカルカット・ファッショ ンカ テゴ リー ﹂で は、 私は 、審 査 競 馬﹂ はも とよ り道 中も 楽し く交 流 も深 めた との 事♪ 女 性達 の声 組 合員 の理 解、 青年 部女 性の 皆様 そ して 女性 部員 の皆 様の 協力 が大 め られ た スタ を担 当し てい ませ んで した が、 結 果は 3人 同点 で、 タイ ム差 の二 十 カ ット ・モ ード カテ ゴリ ﹂で は 、 新 しい デザ イン 、カ ラー など の 完 イ ルを 創 りあ バ ラン ス 、似 最後 に、 今大 会を 通じ て、 多く の 先生 方と 知り 合い 、勉 強さ せて 頂 感 謝し てい ます 。本 当に 有難 うご ざ いま した 。今 年度 もす ぐに 始ま ん でも らえ た事 が、 私の 喜び 、幸 せ に変 わっ た自 分の 変化 にと ても いま した 。閉 会式 終了 後、 又の 再 変 大き な事 業で した ので 正直 不安 会を 誓い 合い 、帰 路に 着き まし た。 も あり まし た。 時が 過ぎ 皆様 に喜 が 届き まし た。 ︵遠 い所 へ来 て頂 く のも いい です ね! ︶私 自身 も大 合 わせ 等 、完 いた 事に 感謝 致し まし て、 報告 と 致します。 げ る 競 一位 と健 闘し て来 まし た。 担当 審 技 で は、 査委 員の 中で も、 高評 価に なっ て 成 され た 作品 大西幸二 皆様に感謝 教育部長 ります。 女性 部は 微力 でご ざい ます 。活 が 多く 、2 部・ 3部 共に 各ブ ロ ッ ク の代 表だ けあ って 、甲 乙付 け 難 性 化委 員、 青年 部と 共に 参加 、協 力 と考 えて いま す。 どう ぞ宜 しく 平成二十 四度 衛生消 毒遵 理容 にお ける 消毒 法﹂ と題 しま し て、帯広保健所獣医師 舟戸大輔氏、 りま した 。ま ずは 衛生 消毒 遵守 運 動の 講演 です 。最 初に ﹁訪 問福 祉 立 春も 過ぎ たの に、 春は まだ 遠 い レベ ルの 高さ に、 魅了 致し ま し た 。結 果は 、理 容T IM ES に 掲 お願いします。 女性部長 守 運動 、 共 済 セミ ナ ー 、 家族レクレーション つづ いて 、﹁ 自殺 の現 状と 予防 の 取り組み∼ゲートキーパーの役割﹂ 桜井トシ子 載 され てい た通 りで す。 無事 に 審 く二 月二 日に 起き た大 きな 地震 で 査 を終 了し 、昼 食、 そし て表 彰 式。 組合 事務 所も 大き な被 害に 遭っ た 平成 二十 四年 十月 十五 日︵ 月 ︶ ホ テル 日航 ノー スラ ンド 帯広 に て、 と題 して 、同 じく 帯広 保健 所保 健 衛 生消 毒遵 守運 動並 びに 共済 加 入 師 森由香利氏のお話を聞きました。 推 進セ ミナ ーを 来賓 、組 合員 、 従 ゲー トキ ーパ ーと は悩 みを 抱え て 業 員の 総勢 11 5名 の出 席の も と、 いる 人に 気付 き、 必要 な支 援に つ 開 催さ れま した 。定 刻の 三時 よ り、 なげ る人 とい う意 味合 いを 持ち ま 野 村総 務部 長の 開会 の言 葉、 坂 上 す。 命に かか わる 事。 皆さ ん真 剣 十 勝地 区理 事長 の挨 拶に より 始 ま に聞 いて 居り まし た。 この ゲー ト キー パー の取 り組 みは 内閣 府か ら 全理 連へ の依 頼が あり 、帯 広支 部 とし ても 組合 店﹁ ゲー トキ ーパ 宣 があ り、 いじ め相 談カ ード を組 合 店に 配布 する など 提携 を結 ぶ運 び こち らの も教 育局 から 帯広 支部 に いじ め早 期発 見、 対策 に協 力依 頼 と課 題∼ いじ め﹂ と題 して 十勝 教 育局 金沢誠一氏による講 演です。 の記事掲載協力 、ラジオのFM J AG Aで もニ ュー スと して 放送 さ れま した 。つ づい て﹁ 子供 の現 状 保 険と 重複 加入 され てい る場 合の 保 険金 査定 につ いて 、日 本興 亜損 やか に行 ってく ださい との事 です 。 火 災共 済の 説明 では 、一 般の 火災 店 のた めの 決め 細や かな 補償 、誠 意 を見 せる ため に連 絡、 相談 は速 講 演で す5 共済 の団 体生 命、 賠償 責 任補 償共 済で は、 お客 様と 加盟 広 に来 てい ただ いた 、全 理連 事業 共済課課 長代理 今井克之氏による 言サ ロン ﹂と して 十勝 毎日 新聞 社 となりました。 少 しの 休憩 の後 、共 済セ ミナ ー 害 保険 株式 会社 本社 から 来て いた だ いた 井上 光明 様よ り建 物の 評価 の 言葉 を頂 き、 来賓 、並 びに 各保 険 会社 様の 紹介 後、 二年 ぶり に帯 の開 始と なり まし た。 北海 道組 合 理事長 前田政満様の挨拶 で、労い < 3 > < 4 > 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ 合共 済部長 森睦夫様による﹁理 容 組 合と 共済 制度 につ いて ﹂の お 話 し た。 原稿 のご 協力 あり がと う ご ざ いま した 。最 後に 北海 道理 容 組 原 稿を 預か り、 坂上 支部 長よ り 代 読 にて 、ご 披露 させ てい ただ き ま の後、﹁共済に加入していて良かっ た ﹂と の二 名の 組合 員さ んか ら の 受 ける 事が でき ませ んで した 。 誠 に 申し 訳ご ざい ませ んで した 。 そ か ら質 問を 受け る予 定で おり ま し た が、 私の 司会 の不 手際 で質 問 を 額 が重 要視 され るな どと 説明 い た だ きま した 。こ こで 、組 合員 さ ん なり まし た。 アル コー ルや お料 理 もす すみ 、和 やか に時 間が たち 、 ジャ ズバ ンド です 。会 場の 雰囲 気 を盛 り上 げる すば らし いB GM と た体 をお 酒で 癒し 、余 興は 組合 員 さん のお 嬢様 がボ ーカ ルを 務め る れま した 。全 理連 の今 井様 の発 声 で乾 杯を おこ ない 、講 演会 で疲 れ て、 帯広 支部 の家 族レ クレ ーシ ョ ンを 大原 厚生 部長 の段 取り で行 わ でした。 引 き続 き、 懇親 会場 に移 りま し を閉 会し まし た。 参加 され た皆 様 には 長時 間の 講演 、誠 にご 苦労 様 め で始 めた 出張 理容 、福 祉理 容に 取 り組 み、 微力 では あり ます が、 平 均年 齢五 十九 歳位 の明 るい 人た ち です 。以 前よ り紅 一点 の方 の勧 東 西、 宝来 、鈴 蘭、 共栄 台、 緑陽 台 、柳 町の 十三 人の 組合 員で す。 に 渋滞 で話 題に なっ てい る十 勝大 橋 を渡 りき って 国道 24 1号 線の 私 たち の地 区メ ンバ ーの 店舗 は、 帯 広よ り北 へ今 、一 車線 化で 非常 一月 十四 日に 木野 地区 の新 年会 を 天ぷ らの 福田 にて 行い まし た。 木野地区だより を頂き、二十四年度の共済セミナー 地 域に 根付 き貢 献し てお りま す。 本 年もよ ろし くお 願い いた します 。 平成二十五年一月二十九日︵火︶ て坂上信 喜支部長 新年のご 挨拶とし ざ いま した 。ま た当 日会 場準 備な ど ご協 力い ただ いた 女性 部の 皆様 了いたしました。 ご参 加さ れた 皆様 あり がと うご 唱 にて 締め てい ただ き、 最後 に田 中 栄二 副支 部長 の閉 会の 言葉 で終 木野地区 午 後七 時よ り、 ホテ ル日 航ノ ー ス ラ ンド 帯広 にて 、帯 広支 部新 年 交 は、﹁皆 様におか ま ことに あり がと うご ざい ました 。 そ して 、青 年部 の皆 様に は当 日会 小野塚滋八 いよ いよ 恒例 の大 抽選 会が 行わ れ ました。当たった人も当たらなかっ た人 も運 です ね・ ・・ 宴も たけ な わで した が、 最後 に、 田中 副支 部 長よ り閉 会の 言葉 で終 了と なり ま した。 礼 会を 開催 いた しま した 。帯 広 市 市長をはじめ日頃よりお世話になっ れまして は希望に 場 内に おい て、 フォ トコ ンテ スト 開 催ご 苦労 様で した 。あ りが とう 小野塚滋八 て いる 関係 各位 を含 め八 十名 の 参 加 によ り行 われ まし た。 開会 に 先 満ちた輝 かしい新 ございました。 共済部長 立 ち、 昨年 十月 にお 亡く なり に な ら れた 道組 合顧 問の 橋本 幸一 氏 、 年をお迎 えのこと 二十五年度新年交礼会 本 年一 月に お亡 くな りな られ た 、 道 組合 顧問 並び に帯 広支 部顧 問 の と、心からお喜び申し上げます。﹂ との 挨拶 によ りは じま り、 来賓 の 大原 知 真 壁幸 廣氏 、業 界に 多大 な貢 献 を さ れた こと に感 謝の 念と 冥福 を 祈 厚生部長 り黙祷を行いました。 祝辞を帯広市長 米澤則寿 様、北海 道議会議員副議 長 三津丈 夫様、北 海道議会議員 山崎泉様よ りいただ き、 つづ いて 、当 日頂 戴し た、 祝 電を 女性 部の 西保 美和 さん より 披 露し ても らい まし た。 次に 鏡割 り の儀 が行 われ 、年 男の 組合 員の 外 城弘 美氏 、片 野幸 弘氏 、坂 上支 部 長、 米澤 帯広 市長 、山 森龍 天堂 社 長と とも に元 気に 行い まし た。 つ づい て、 祝杯 の言 葉を 帯広 商工 会 議所専務理事 橋枝篤志様 のご発声 で祝 宴に はい りま した 。各 余興 を 行い 、終 始な ごや かに おこ ない ま した 。締 めの ご挨 拶は 鹿追 町議 会 議員議長 埴淵賢治様によ る万歳三 < 5 > < 6 > 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ 平成25年3月12日 第9号 帯理タイムズ 帯理タイムズ 帯理タイムズ 平成25年3月12日 第9号 平成25年3月12日 青年部フォトコンテスト この たび 、組 合新 年交 礼会 の 会 場 にお いて 青年 部の 第一 回フ ォ ト コ ンテ スト を開 催さ せて いた だ き ま した 。皆 様か ら沢 山の 素敵 な 写 真 を出 品頂 き、 誠に あり がと う ご ざ いま す。 また 、新 年交 礼会 出 席 の 皆様 の投 票協 力を 頂き まし た こ と に紙 面を おか りし まし て、 厚 く お 礼申 し上 げま す。 結果 は次 の と おりです。 ●人物部門グランプリ ﹁両手に・華・・?﹂岡田秀敏 ●人物部門準グランプリ ﹁カメラ小僧﹂坂上絵里 ●風景部門グランプリ ﹁整列!!﹂印銀敦彦 人物部門グランプリ つことや、悩んでいる人に「気づき」そして専門家や身内の方に「つなぐ」役割を中心とした、次の活 動を展開する。 ●風景部門順グランプリ ﹁夕焼けと飛行機雲﹂ 坂上絵里 国で年間3万人を超える厳しい状況にある。私共、全国理容連合会は、政府内閣府の進めている自殺予 防の対策に沿って、ここにゲートキーパー宣言を行うと共に、国民一人ひとりが生きる意義と意識を持 村瀬智彦 することができるという理容店ならではの特性を活かし、「気づき」と「つなぐ」に重点を置いた身近 なところからできる社会貢献事業として取り組んでまいります。尊い命を自らが絶つ自殺者数は、わが 応 募総 数5 9作 品で 、ど の作 品 も 関へつなぐ役割を果たす人のことをいい、専門的な知識の有無にかかわらずボランティアとして活動す ることができます。組合加盟サロンは、お客様と定期的に接し、しかも1時間近くにわたり時間を共有 青年部長 内閣府はこの問題を解消する対策の一環として全国的規模でゲートキーパーの養成を積極的に進めてい ます。ゲートキーパーとは、悩んでいる人に気づき、これを受け入れて耳を傾け、必要があれば専門機 素 晴ら しく 、甲 乙付 け難 く大 変 に 目の保養と成りました。 全国理容生活衛生同業組合連合会(全理連)は平成24年6月、「理容サロン ゲートキーパー宣言」を行 いました。日本では、平成10年から14年連続で自殺者が年間3万人を超え大きな社会問題となっており、 次回 もフ ォト コン を開 催出 来 ま し たら 是非 、沢 山の 方々 に気 軽 に ゲートキーパー宣言】 参 加頂 けま す様 に、 ご協 力お 願 い いたします。 【理容サロン 第9号 風景部門グランプリ ■全国47都道府県で現在行っている衛生遵守運動に併せて、「ゲートキーパー宣言」の趣旨の周知に つとめ、講習会を実施する。 ■「気づき」「つなぐ」の受講者に対しては、ポスター及び店舗登録ステッカーを配布する。 ■顧客等の会話の中で「気づき」があったときは関係窓口へ連絡をする。 以上、社会貢献事業に取り組むことを宣言する。 全国理容連合会 「ゲートキーパー」とは ■「ゲートキーパー」とは、自殺の危険を示すサインに気づき、適切な対応(悩んでいる人に気づき、 声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る)を図ることができる人のことで、言わば「命 の門番」とも位置付けられる人のことです。 ぞれの立場で出来ることから進んで行動を起こしていくことが自殺対策につながります。 ■「自殺総合対策大綱(平成19年6月8日閣議決定)」では9つの重点施策の1つとしてゲートキーパー の養成を掲げ、関連するあらゆる分野の人材にゲートキーパーとなってもらえるよう研修等を行うこ とが規定されています。 ■ゲートキーパーは、海外でも自殺対策の分野で広く使用されている用語、概念であって、WHO(世 界保健機構)をはじめ多くの国々で使用され、その養成プログラムが実施されています。 人物部門準グランプリ ■自殺対策では、悩んでいる人に寄り添い、関わりを通して「孤立・孤独」を防ぎ、支援することが重 要です。1人でも多くの人がゲートキーパーとしての意識を持ち、専門性の有無にかかわらず、それ 風景部門準グランプリ ■地方公共団体においても、それぞれの地域の実情にあった形でゲートキーパーの養成に積極的に取り 組んでいます。そして各地域でも、自殺対策にかかわるボランティアだけでなく保健医療福祉従事者・ 町内会担当者・民生委員・児童委員・理美容師などに対して多数の養成研修会が実施されています。 帯広理容組合ホームページ開設!! http://obihiro-riyo.jimdo.com/ 互助会「帯広支部」優遇利用について 互助会における団体生命保険では組合員死亡の場合20万円(75歳まで)が出ています。 組合活動情報、加盟店店舗情報を掲載しております。 パソコン、スマートフォンで観覧できます。 組合員でなくなると、これが受けられなくなります。家族後継者に名義変更した場合、賛助会員と して月々の会費を納めることによって、これを継続する事が出来ます。また、従業員登録(保健所) をしている奥様も新たに会費負担をされますと、この互助会規定を受けられます。 (帯広支部独自の優遇制度です)賛助会員会費 < 8 > 月400円 < 7 >
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