KURENAI : Kyoto University Research Information Repository Title Author(s) Citation Issue Date URL 日支通商航海條約改正に就て 末廣, 重雄 經濟論叢 (1927), 24(1): 172-189 1927-01-01 http://hdl.handle.net/2433/128492 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University m博士 教授法吊岬士 教代出 h 紳戸 fEt l - 海運労は刊の提供一河原町 家族統計概論 武士階級の窮乏 教授法収博士 教訓虹制耐用中抑上 設校法問巾柿士 教抵担拙川市博十 山本美越乃 小島昌太郎 玄円叫“ 21 琉球さ慶長役 il-= 二二二一ーτ一 一 二 ニ - - - 三ι 一 二 ニ 二 ニ ニ ニ ニ 二 ニ ニ ニι ニ ニ ニ ニ ニ ニ ニ ニ ニ ニ 二 ニ ニ ニ ギ 租税の目的三貰惜・ 開 Z グスの枇曾的一意識形態: bAAと K と九市町ド f Lr ry → 孜 托 制 向 山 川 y Hド 土地の非資本的性質に就て 徳川時代の股民地散・ 削教 MI 法 措 γ ナ 八木芳之山 士 a h 技技法明悼し 耕二郎 日支通商航海保約攻正日 助法悦 τ 叫 枝 川 料 川 崎 W川町中ト 純情感い諸公認的梢榊に就 露両亜の産業組合迎動 正 卵l 本町柴治郎 関陣預金噌党換島知後行高恥 市岬川相岬川酷 最 長l~ 皐 雄 H l i 川労賃論・こ﹁純牧入し J二 ) 1 J l E 田 ) 3 5 ];~ EJ フ 一 一 勺 官 河 イ{ 鼎 森 財 古1 " m z m " a a市旭↓伺一回何日︾ 大疋"与六回・三十時同 f"j-哩聖日ー-1'司-"F-アミ寸- j正 ア ミ 一 一 一 一 沙 米 Y 土 巻回十二二第 一事き Z 貫 日文泊耐航出峰約改正に就て 日支通一両航海保約改正に就て 裕二十円谷 ヒ 』 虞 部 仁 B友邦訪問問問ω関係を改善する目的を以て、支那 一、支那共和国政府は支那幽定税率の質施三同時に麓金を厳止する一﹄ごに同意す。右回定税率 現行詰篠約中に存する一切の関税上の制限を撤摩するこぜ仁同意す。 一、奉加闘は支那共和岡政府に封L、正式に支那の関税自主雌を等霊すべ詐こごを宣言し、且 の閲枕自主櫨回復を要求l、友の提案をなした。 を約する支那に閲する九図保約砂糖紳に碁吉、 れた。品目議の傍闘に於τ、支那会機王正延は、支那ω主樽獅立並に共ω領土的行政的保全の符重 支那ω陶枕に閲する保約第二僚に基︿閲税曾議は、昨大正十四年十月二十六日北京に於て闘か 末 は遜︿己も民国十人年(一九二九年)一月一日迄に殺力を生するもωごす。 3 4 古 住 品b 重 組I 之に謝しt、我が金権日置盆は支那ω関税自主格回復に闘し友誼的協力を惜ま古る守﹂子竺言明L た。日︿ 圃圃 t J f U τ 支那が今日通過する各樋の難関陣磯及び困惑は、曾 五円人の親し︿嘗め来れるごニろな ho 日 本会槌は同情ピ了解並支那の立場に謝する友誼的理解を以τ本曾議の諸問題に臨むぺ Lo 日 叉日︿ 日本会構は、前地の如︿、之に謝する国民的要望の質現を目的 ものである己主張し、比の問題セ取扱ふた第一委員品目は明る行悩んに。そこで、我が会植は問者 支那金権は之に反封して、輯皿金底止は全然支那ω内政問題でゐって、支那が自賛的に賀行すべき 上仁麓金滋止に重きを扱き、之を以て絶勤的に閥枕自主椛承認 ω交換傑件ごしたのでゐったが、 て、支那が完全なる陶枕自主拙を享有すべきものである正いム原則を承認したけれども、我岡以 ザに止まらなかった o英米両闘も我凶正岡 我が金権の割支同情は融附 A ιく 、 支 那 の 要 求 を 容 絡 し ごする支那政府の合理的計主に封し、同情的民援助的考慮全加ふるに践踏せ十っ 陶枕白主植の問題に闘し τは、 めて友好的考慮を加ふるに十分の用意ゐる-﹄ごを盤明し得るを欣幸正するものな ho 全機は、曾議の帥雪印に於て、支那全植の提出に炉、る議題中にし仕る関税自主権問題に拙到し、極 本 の間に立もて、支那ω匁めに悶々怜施した結果、昨年十一月十九日の第一第二混合委員曾に於 論 議 日支通商航海保約改正に就て 第二卜凹巻 七 力 、 強 ヒ 一 支那以外り締約凶は、抜に閥枕白主磁二享受する支那り権利を承泌し、支那こ締約各凶間ω現 て 1 准 日主通商航海保約改正に就て 第一一十四谷 七 回 主 事 量 嘩 V ' l t 期待を錯した開放曾議は失敗に終った。支那国民的闘機復回運動は.又もや悲に一大削挫を来L 税曾議を打切正した。新︿して宇年以上に亘る列凶金権凶升カは水泊に蹄L、支那国民が大なる るア,、越し曾議り事業を進行せしむべき最も異華なる希望を有する﹂ピいふ聾明書を俊して、閲 は﹁支那り全権が各国畳一椎己曾議に於ける諸問題に就き討議を一川闘し得る立場に至ったならば、成 副知は混乱山肌態に陥ったから、闘税曾議は胡質上中止ω姿正なb・情聴に七月三日に歪b、列圏全舵 ったごころへ、今来早々支那的政局が急襲した。四月九日に至h ては段執政的失脚どな b、金支 に就 、 日英米諸問問全確り聞に多大の論守を悲起し、容易に蹄結するごころを知らF る有様でゐ τ τ の差等税率並に之に関聯する闘税増股の使途等 進・迎用に歪るまでの過渡期に於りる附加秘ご L ならば、支那は今よb 二年の後に完全に閥税自主楢を回復する答であった。然るごころ、国定枕 植の同情的援助ωカが奥るごころ少な︿なかったωでゐる。者し陶枕品目議にして無事に終了した ごいふ決議案を可決するこ正になったが、支那をしτ此の大なる成功含得せしゅたのは、我が会 九年一月一日)迄に有数じ質行せらるぺきこ己を灘明す。 ピ同時に底止せらるべきを盤明L、真に右遊金厳止は支那共和風十人年一月一日(千九百二十 那国定税率法の貸施せらるべきこ主に同意す。支那共和岡政府は麓金は支那国定税率法の質施 行保約中に包合せらる、閥枕上の制限を撤慶するに同意し、且千九百二十九年一月一日よh支 前 論 型 占 一時中止せられたに過ぎないのであっ 銘二十回答 E 第 蹴 士 事I はかるが放に費生した。 u主詔商航海路約改正に就て t 等保約厳菜園機回復ω宿望を遣するの機曾を捉へたのであった。日支通商航海倹約に闘する問題 等的基礎ω上に新俸制を締結すべ︿‘締約凶が之仁臆暗さる場合仁は共の廠誕を断行して、不一中 保約中蹴に揃期ごなh、又は返︿揃期ピなるも ωがあるから、此等保約の改正を求めて、相瓦卒 するの外に策がないこ正、なった。然る正ころ、支那にごちて仕合せなこごは、支那ω荊商航海 の円的を一日も早︿造成せんど欲せば、開校合議によら争、閥別談判によ bτ 、 一岡山刈を相手ピ 多︿ω昨日を要するもり正見ればなら旧制。従て、支那が共り主張する不平等縦約度来、閥梢同日彼 なっても、列国附に横はれる意見ω不一致ω斜めに、閥枕品目議り始末を附ける迄には今後可な b τ 、近々中に正式政府が出現L、品目議は再開ピ も、其り九月は疾︿に過ぎ去って了った oヰにL 記者仁謝して、恐らく九月中仁は闘枕曾議が再開せられるものご白分は考へるご語ったけれ月 ではあるが、新かる政府は容易に出来 3うにない。芳海日常使ω如きは、去る七月締切の節、新聞 τ、支那が列闘から承認せられ得る政府を樹立し、会機を任命すれば、直もに再開せらるべき筈 もつ正も、関税曾議は全然打切 hJZなったのではな(、 f < : 。 第二十四番 b 却 量 忘 、 , ム 七 HA ぴ附 M m文書、並に明治三十六年十月八日調印り迫加地向航海保約及び附一胤立書の改正を我が 去る十月二十日附公文を以τ、支那政府は、明治一一十九年七月二十一日調印の日支通商航海保 日文通商航海能約改正に就て 、 >r するの放を以て、該傑約第九僚によb、常然本保約たる明治一一十九年七月の保約ご共に根本的改 之t同時に、支那政府は.明治三十六年十月の倹約及び附脱文書は、本来抽出加保約の性質を有 十、明治二十九年七月の倹約及び附胤文書を根本的に改正せんこどを要求し来ったのである。 復を目的ごする胸税品目議は失敗に蹄したから、支那政府は今次到来した第三回目の機曾を逸廿一 昨年五月の上海市京路事件以来不平等保約成裂の輿論が大に興ったにも拘はら宇、関税自主権回 申出でなかったが、其後世界戦守の影響を受り τ、支那の閥榔回復運動非常に蛾盛とな b. 殊仁 毎に亦同じでゐる。然るさころ、明治三十九年大正五年の二回ども、我国は勿論、支那も改正を綱引 該僚約並に税率は右十筒年の終より更に十筒年間共催殻カを持縦すべ(、爾後十筒年の終了する tきよh六筒月以内に雨締約闘の執の一方よーりも布要求の提出な︿、改正の行はれぎるごきは、 , a 1 4 i hJ鵡鉢L、十筒年ω絡に於て之を骨川す,、ピ得ぺ︿、者LA恥初の十時間年の終了せる E よ 1 1t y-L , ノr 、 率及び該保約の通商保放の改正を要求せんご欲ιる芭きは、斗向山昧約批准交換の日(明治二十九年 政府に提議し来った。仰も、明治二十九年七月の保約第二十六僚によれば、締約凶ω 一方が、税 約 叢 正を品却すべきでゐるご主張するのである。明治三十六年十月の僚約には改正に閲する規定がな ー 論 ︿、そして、右第九保小、明治二十九年七月の僚約に直接関係のゐるのは、 日支雨困問に現に存在する凡ての僚約及び約定の規定は本候約に依て改正叉は厳止せられざる ω 限h立に共 殺カを確認す。 古いふ最初の一部分でめるが、此の規定のみを以τしては、支那政府が主張するが如(、明治三 明治二十九年七月の健約第二十六 十六年十月の僚約は、明治二十九年七月ω傑約ご共に常然根本的改正を翁すべきものである言は 云ひ難いから、 日支通商航海僚約改正に闘する交沙の範閣を τも決して不賞ではない。けれY一も、明治三十六年十月ω僚約には、明 僚に規定する事項に限つ 泊二十九年七月ω倹約に規定するごころに直接関係のある規定がゐるのみでな︿、支那政府の要 υ、相互平等の原則によりて日支耐闘の閥係を新に定めんとする以上、明治二十九年七月 求に従 の僚約ピ共仁、明治三十六年十月的保約に改正を加ふる二ごは、蓋L賞然であらう o従官、我が 政府は右第二十六僚に定むる事項以外仁一円一る改正問題に闘し、法理上支那政府の主張に同意し難 いりれども、特に同怖を以て其ω希望を考量1 るを餅せ5 る旨を答へてゐるから、保約改正は、 自然上掲柄通商航海保約及び附属文書の全部に及び、交渉の範闘が中々庚汎であるから、交渉が ω 順常に進行しても、共の終丁までには少なからぬ時間を要するもの正見ねばならぬ o況んや、支 議 日主泊閥抗出飾約改正に就て 第二十回答 ヒ ー t 二 第一一揖 七 b 那の政局混乱を極め、政府首局が頒繁に交迭する現収 下に於ては、到底交渉を着々進行苫せる 論 日支指摘航海保約改正に就て 第二十四谷 一七凡 第 ! 1 l ,/ 七 J ご調和せ さるが刈き態度を示す・:﹂は、雨闘の親善を増進する所以でなけれ日﹂も、支那政府が右 怖さ援助デピ奥へたにも拘はら十、支那政府が我川町政府の一誠意合疑ひ、相互信組正好情ごの精神 我が政府は、関税曾議並に支那司法制度調査委員曾を通じて、支那の闘機同復に掛し多大の岡 行すぺしごいふのであらう。 場合には、真に十箇年現行保約の致カを英催持続するの不利を遊︿る匁め、 直もに保約厳楽を断 ︿交渉を進行せしむる誠意に乏L︿、之が錨めに俊約改正期間の六鮪月閉じ新保約の成立せ古る 古藤明してゐるが、共の意味は、恐ら︿、我が政府が僚約改正の交渉には勝十るものの、遅滞な 惜保する一︺ざを聾明致候。 決定して之を寅一不せF るを得十。此結仁闘し中闘政府は訟に特に葉の曽然享有 得べき拙利を ι し、倹約改E矧附尚一 Jし、仰新候約の成立を見5 るごきは、中闘政府は護保約に謝する態度を 中岡政府は成品吋(惑に協議を聞き、本六筒月内 l新鋭約の完成司られんこ子炉﹄熱訟致候。も 十日附公文中に、 らうが、 きうなっ t b、責は少しも我が政府にないのでめる o然るぜころ、支那政府は、十月二 こ己は出来まいから、保約改正期聞の六筒月内に新保約の締結を鬼るが如きは先づ六ケ敷いであ 首 占 に云ム正ころは必すしも単純なる威L文句ではな︿、支那政府正して必すL も賀行L品購ねない唱﹄ " 論 ごでゐらう o ぜいムのは、千入百六十五年十一月二日調印(↑訟紅一軒削一一)の白耳義吉支那古の遁 商航海保約に闘し、去る十月二十二日支那政府は相互平等の原則仁基(改正を要求したごころ、 白耳義政府は該保約第四十六僚によh、改正要求機は専ら白耳義にのみ属するものでゐる t L て、支那政府の要求に肱世ない方針であったが、其の要求甚に切なるものがめったから、巳むを 得守主義正L て改正じ同意した。りれども、新脇陣約成立までの暫行排法仁闘して、同鴎政府間仁 意見の一設を見るこどが出来なかった縛め、支那政府は遂に白支通商航海燦約の厳来を宣言した のである。 一見に千入百人十仁川年四月二十五日調印の仰支通商僚約、千人百人十七年六月二十六日調印の迫 加通商倹約及び一入九五年六月二十日調印の千入百人十七年六月二十六日の追加通商倹約の補足 僚約に閥L、支那政府は去る二月四日改正を要求[柁が、側関西政府が之に勝時YFる の 放 を 以 て、八月六日附を以て該政府に謝して出掛楽の通告を錯したきうである (もつごも、其筏仰蘭西政 府の希望に従ひ、支那政府は改正を一筒年延期するこ正に同意L K正いふ報道がめる)。 仰ふるさころによれば、千八百六十四年十月十日調印の西地牙支那間の通商航海保約の改正時 期も明年五月に到来するから、支那政府は其節相互平等の原則仁よりて新保約を締結する叩﹂立を 費 量 日主祖向航栴保約改正に就τ 第ニ十四巷 一七九 節 税 七 丸 要求すぺ︿、西山山牙政府の臆諾なき場合には、且品亦依約臨刷業ω決意を有するきうである。 論 日支泊古川航中市昨約改正に就て 第ユ十回答 、 O J 第 扱 ノk O τ論議する 一の大抵る問題であるから、立に論じたいピ川島ふりれども・支那 こさは将卒の鎌がゐるから之を差控へ、他の機曾に譲るこご、する。 政府が厳楽理由正して主張する正ころが求に判然正せぬ今日、濫りに端康服測を交へ 得るであらうかどいふニピは、 か。戒は又倹約には成誕の規定が険加しても・支那は相手国ω同意を侠た宇・草加測に之を股乗し 忠夫第では、永久に支那を束縛する司﹄ごを待て、支那が之よ h解 放 せ ら 毛 、 途 が な い で あ ら う 保約臨刷業に闘する規定がないから、該僚約が如何に支那にごりて不利である Eは云へ、我闘の意 手段たる日支通商航海保約の康楽に合理的級協がゐるであらうか。日支保約には、白支保約同比時 H tも限らぬ。然らば此ω最後の して阪に採り、又は採らんごする最後の手段を以て我岡仁臨まm 成立せず、随行排訟も亦成立せぬ場合仁は.支那政府は興諭に引摺られて、白、側、西諸闘に謝 一五へ、支那一般仁子牛等僚約股楽.闘雄回復の叫び却の高告今日 ωこど故、六筒月内に新保約が 支通商航海保約の腹楽は、白文、仰支、西支通商航海保約の出刷業仁較べて一府軍大事であるピは ごするωであるが、我刷正支那4の闘係は此等三国t支那ごの闘係に比べてよ b絡接でゐ・ 0、 斯様に、支那政府は白耳義、仰蘭西、西山相芳三固に封して忠ぴ切った態度に出で、又は出でん 結 上過する如(、関税品目議は、令官事四月段執政の失脚じよh て協議の相手方たるべき支那政府が 日 論 消滅し、命日議の継続不可能正なったから、七月三日の全機曾議に於て品目議合中止するこ正に決し たのである o従τ今統合議を再開するには、先づ支那に於て、正式政府を組織L、全棋を任命せ ねばなら叫が、期かる政府は川市しτ何日になったら出現官るであらうか o支那の政局企︿混沌正 第二十四巻 V して、逆賊するを請さ晶状態に在る。新かる有様であるから、支那側には、 円下のどころ、我園 ピ正式に倹約改正ω交捗を符し得る金曜がな︿、位陣約的調印があっても之を批准する元首がない τ、今は共の時機にあら争己 のであるから.我が政府は支那政府の保約改正に閲する交渉に封し 一旦僚約改正の交渉に肱じた以上、相互卒 し、他日正式政府成立りごきまで、交渉を見合すぺき旨を以て答ムペきであらう。けれ刊とも、我 が政府は支那四四民の熱烈なる要求に深き岡崎を寄せ、 等の原則じ日支共存共 MM の精一柳正によりて、支那の提議を慎重に考量せねばなら向。そこで、私 は、交捗の案件中特に重要なるものに就て、卑見の一端を遁べたい。 一閥枕自主桃岡山怯は支那閥民の熱烈に要求するごころであるから、開校舎議の傍頭第一仁、王 全棋は関税に閲する現行保約の設︿る一一切の開枕上の制限束純を撤厳せんこどを希些L、我が会 τ深 呼 な る 同 怖 を 表 し 、 共 の 斡 燦ω下に、上褐闘税権問議第一第二泌合委員曾仁於 権は之に封し H支祖尚航海株約改正に就て ,, て‘関税自主雄同町悦に闘する決議を匁したやうな次第であるから、我闘は今夏闘枕自主椛岡復承 指 A 官 , 説 ‘ ハ 認に跨踏すべきでない o闘税合議に出府し、右決議に奉加した諸国に於ても、定的 L同様であら 論 磯 日実通商航海協約改正に就て 第=十四巻 λ 第 挽 八 九 ご岡崎に、﹁列国が邸時瓦無保件 現存保約上の機利を鋤楽せんこ£は、支那自身に於工も考量し ι に我が会構は、昨秋閥税曾議の傍頭に於τ、支那の陶枕自主権承認の決意を有するこどを示す 信宇る。 精紳に従ひ、再開せられたる曾議柊了後約一二年の準備期間を設(るこピは、決Lて不賞でないご の確定的承認が後るれば後晶、程、固定税率賞施の日も延期すぺ︿、何時になりても、右決議の 三年の準備期間を設け Hんごするに山でたのである。従て、今後曾議ゆ再開、延て関税自主権回復 に欝ーするこごを強定し、固定税率り質施正ごもに支那政府が賀行すべき麓令底止の錦めに、約 w 施せらる へ きニ己、なってゐるが、之は今表、闘税命戸議に於て闘税に関係ゐる一切の問題を無事 上掲閥枕曾議第一第二混合委員舎の決議仁よれば、国定税率は千九百二十九年一月一日より寅 曾議再聞の見込が立た叫場合には、改正保約仁於て之を定めるこ正が一策であιぅ 。 るぜ考へるが、岡定税率 3且 M施 ω期日以、早晩再開せらるべき開枕曾議の決定に侠つぺ(、若L同 ない。従て今次の通商航海保約 ω改正は、支那の閥税自主棋の回復争前提ピLて行はるべきであ 主権ω承認を匁すぺしごいふ意見であったが、今一見闘枕自主権承認に劉Lて異議を採 hu 考は毛頭 を約する場合、之を・賀行し得る能カゐる政府川支那に於τ樹立せらる﹀伊﹂待って・品川めて関税白 ぅ。程は昨秋関税品目議開品目前に於ては、俊約上の義務を履行し得る能力、例へば支那が賞金廃止 E 晶 居る正ころにあら Arz信宇﹂Z云ひ、目公正民合理的基礎の上に立てる固定税率を定めて之を一般に 通用するピ同時ι、 一定期聞を限 hて採用せらるべき暫行的措置Zして、特殊貨物に闘して、支 那正一首該閲係国己の同じそれム¥別似的保約によりて協定せらるぺき特別の枕率を適用するよご 一案ごしτ提出した o却も瓦恵他陣約ω締結を閥税自主継承認の一俊件ごしたのでゐった。互 前 さh tて叉、我闘に省刺なる互恵僚約金話相結せんごすれば、支那の質業界を始め各界 議 日支通商航海僚約改正に就て 第一一十四谷 一 一 一 λ 主 掛 八. 、我凶に有利な 主磁を承認するご決した以上、最早互窓倹約の締結に反謝する考はないが、たい v ら、目下丘一忠俊約じ踊する交渉も・凋税命議岡山崎中止 Zなってゐる。なごしては、支那の闘税白 金権ご或種の諒解がゐった正云はる、支那の金権は政畿の銭的退任するごいふ騒ぎごなったか τ 、我が 上海総市問合等は此の如、きは﹁一志仁して互なら宇﹂E叫んで反謝運動を起し、之正相前後L 足志倹約に闘する内交沙の問題ごなった協定品目や協定税率ゃに閲する報道が肝聞に仰はるや、 税自主限承認を錯すこごに賛成しなかったのである o川市せるかな、関税曾議£平行して行はれ柁 じ大反謝が起って成立の見込が少ないから、私は瓦恵僚約締結を僚件ごして、本来時機術早の閲 哩一み雄︿‘ 易閥係に照して見れば、異に平等なる基礎の上に於 τすれば、我岡仁有利なる互恵傭約勺締結は の間仁於ても、之仁闘する成和の諒解が成立したごνふ風説もゐった。けれども、現在の日交貿 恵僚約の締結に就亡は、関税曾議開曾前、我闘に於て主張した人がゐ h、同時に、 日支両国会櫨 を 議 日宜趣向航海陣約改正に就て 第二十四谷 λ 凹 都 観 ,/ 凹 JNGヨ吋叫吋司司、 L て・我川町閥治は、現在のピ hu るさ}ヨろによるべきもの正{、そ bJ 生する闘家附の一小和札醐慨を緩和して、関際平和確立の一助ピな は 、 HA 市、沿岸貿易 E} -般に之を以て支那り岡檎侵害であるごして、沿岸貿易機会部 留外国人の大なる不使不利正なるのみならす、支那自身の経済的品抗議を阻害するこ Z甚 L (、調 合む沿岸貿易に閲する阪得雄を外倒人よb奪ふこごは、支那海運業の未だ甚だ幼稚なる今日、在 少︿ごも内刈航行維の同牧を叫八でゐる。 一郎尤ものこごでゐる。りれども、支那の内河航行を 放せしめ τゐるが、支那刷 日支通商航海棋院約に於τは、片務的に、支那をし 1我閣に劃して内河航行を合む沿岸貿易を開 る所以tあっτ、該界有力者の意昆は概して開放に賛成であるやうである。 壁を撤臨崩するこど﹂の精紳ピ合致するのである o更に、小にL ては、我同一砕迩界の馳品展に貢献す 統傾向 yイル Y ンが公にした講和基礎傑件十四簡保 ω第四僚にい vふ﹁山家得る限 b総ての経済的一昨 h、 一九一八年一月八日米国大 I l l 日本船舶に劃して外国の沿岸貿易を開放せしむるこごは、大にしては訓他獅占政策よ を外岡細細に対して閉鎖してゐる o りれども、相民主義ω下に、外闘加舶に封一して之を開放する 各自の同法の定 伯刺画、智利、取爾然丁諸岡正の通商航海保約に於て・沿岸貿易は俊約の規定する限・りでな︿、 一一}我闘は英閥、米側仰闘西.伊太利、西班牙・丁抹・諾減、希臓、瑞典・秘的品、寄倫比張、 る協定ω成立するこ己ゐるやを疑はF るを得ない。 論 はゆる角を矯めん己して牛を殺すが如きものである。内外人の利盆の斜めには、支那をして引絞 言内判航行を合む市山町貿易を開放せしめ允いものであるが、 之が潟めには、片務的なる現行保約 中的関係規定を臨出来L、相互主義の下に、我闘も亦支那船舶じ謝して我が沿岸貿易に闘する一昨壁 を撤厳する'}ごを必要己する o 四明治四十三年四月十三日公布の外国人の土地所有機に閲する法体は、多年我闘仁於て行。来 った外闘人の土地所有じ闘すゐ禁止 ef解ひτ、相瓦主義じより外岡人に土地所有憎ω取得を許し たのであるが(もつごも、此山法作は質施せられなかった)・昨大正十四年同月一日公布ω外岡人 土地法は夏に一歩を進めて、 t n ω 第一僚により、﹁常凶作民又は常凶法人に劉し土地じ附する機利 の一一羊布仁川判禁止を錯し又は依件若は制限を附する闘に魁ずる外凶人又は外側法人に割Ltは勅 AT L又は同一若は類似の 一般外側人に封L て、原則Z Lて土 h o 以て備凶に於りる土地じ闘する擁刺の享一併に付同一一久は類似の禁止を震 保件若は制限を附するこどを得﹂るに過ぎざるこピ Zして、 地に闘する機利の宇一仰を許すこ芭ごなった。此の法律は大正十五年十一月二日の勅令によ h同月 日本闘民に劃する土地所中仰の禁止 十日よh資施せられτぬるが、之により工、支那幽民に指し、我同四に於りる土地所ム仰を禁止制限 ω機品目に、支那をLて、 せ,さる代りに、 円支出地商航海保約改正 君 主 日支副市航栴帳約批正に就て 第二十凹谷 、 ノ 五 批 第 一八五 を解かしめたいーものでゐる。調はゆる利盆の交換がめって片務的でない以上、支那に異存がない t 満 議 日支遇尚航海陥約改正に就て 第二十四谷 a L Z -F JF 弟 披 o L 一八六 てより今日に 日支 (明治三十六年十月の倹約中にも の履行に至。ては、全く之を閑却して潮みF るが如 さは、伶ちに我俄勝手のニごでゐって、 耐闘親善の増進を闘る所以でないのである τ満たされ 恒其他明治二十九年十月の傑約は片務的規定 炉 ﹄ 以 e 相互卒等の 此等の規定は車に日本凶民の拙利々盆を保障して、 支那岡民ωそれを τ、岡際上ω公義士以τ友邦を倹つ所以でないーから、 原則に基きて根本的改正を加へねばならぬ。 廟みゲる不日常吊 Tなるものでゐつ 亦同性質の規定がある)、 義 務 τ も支那は言を左右に任して之に雌暗ぬから、目下の正ころ、同僚は事貫生文に崩し、 日本国民 の南端洲に於ける経済的俊民を阻止するこ正少しご廿一ない o 支那にして不平等僚約出出来図雌阿復 を熱唱し、我が朝野をし 之に賛同せしめんご欲するならば、自国 ω保約上ω義務を完全に版行 する誠意を似たねばならぬ o 支那が植利ω 去践に闘しては飽くまで態度強制でゐりながら、 至るまで年を閲するこ正十一、此間我が政府は腿弐右第一一一保に闘する細目協定を要求したりれじ﹂ llに閲する湘日協定に山崎ArLめたいものである。大正四年五月上記保約調印ゐ h 筈ではあるが、不幸にして此の解畿にして困難でゐるごすれば、 せめては、支那をして大正四年 五月二十五日調印の市揃洲A東部内家古に闘する僚約第一一僚に規定する向和維 1 1日本剛民が南 満洲に於て各柿市川i 業上の建物を建設する潟又は農業を経持する縛必要なる土地を商租する槌利 前 越 J : す 虫 日 る H 請 議 ω交沙は、 日文通商航海保約改正 自ら明治二十九年七月の傭約及び明治三十 第二十剛容 一八七 畠E ノ 、 七 的の撤厳排法或は其他の方法令﹄商議する-﹄ピ。 目支泊閥抗措陣約改正に就て 1 高 各国は支那政府の請求に肱じ、双方ω協定仁依り・治外訟維の漸進的或は胤域を分も又は部分 規定が設けてある。日( τ 阪に賞行せられたる場合、 上過の各糊告や賀行して相賞程度仁至る以前、若し主要部分にL すべし Z L、糊告の第三項には、我が委員の主張に基量、治外法様の漸進的地方的批騰に閲する 各国は茶の享有する治外法機ω抽出来を質行 に掲﹁る糊告を賀行L、相骨闘の時期に惜正して後始めτ 草山,凶 K路事 稲荷牙各凶委員閉じ調印せられた報告書仁よれば、 各国は昨年五月上海市J 町 一 同 k 西 釧 牙 、 フ 、 、 支那が該報告書中 件以後、 支那の明野が要求L た治外法継の急速なる撤肢には不同意であって お北京仁於 t支那司法制皮品川賞委員合が聞かれ る決議﹂ に基書、 本年一月十二日より九月、十六H !1 ・丁掠、 た。該委員曾に出出した支那を合む日本、英凶、 米倒、 仰劇画、 伊太利、 白耳義、 布川町 MN ヲ ﹄ 占 明 、 , 、 千九百一一十一年十二月十日同合議第四凶総曾に於て採用せられた 寸支那の治外法権に闘す 守﹄ふ 支那の主張にか、る岡緋回復の主要目的の 一たる治外法機撤廃の件は、 幕府曾議の問題ごなっ ら、最後に、 此鮎に閲して少し(論究したい。 六年十月の保約に規定する治外法雄(唯一河川端い仙沼一仏師川町山附同W叫な)撤廊問題にも及ぶであらうか (六) 議 H支辿尚航海肱約改正に就て 第二十四谷 / 1 ‘ 丹 、 第 腕 / 1 . / l . 司法制度完全に改Eせられたるごきは日本図版民に MA ぴ京都内出家古に於りる治外怯緋撤肢に闘し、大に同伯ある考量を抑ムこ子炉- って、我閣は糊告に束純せられ宇、行動の白向を留保してゐるから、懸念は無用である。 法制度調査委員曾を指す)の糊告の全部叉は一部を受諾し又は拒絶するの自由を有すぺし﹂ピあ 糊告に過ぎ泊。﹁支那に於りる治外法憾に闘τる決議しの一節に﹁前記各国は前記委員品目(支那司 或は上記糊告に縦みて、我闘が急進的方針を採るの蛍否を疑ふ者もあらう。けれ と H も、糊告は 希望するのである。 耐刊に鑑み、南満洲 WH 現世目的ピする支那の合理的計査に相到し同情的且援助的考量を加一ふるじ鴎蹴せ中己貸朋せる精 太に切なるものがゐるから、関税曾議に於て‘我が金権が、闘税白主離凶復に閥L悶民的要求の 搬出凪ずべきこどを主張L っ、ゐるのである o 然るどころ、最近支那朝野の闘機凶復に附する要求 此の規定仁基主、忍は一咋年以来、ヤ問満洲及び東部内装古に閥L、数年の後を期しτ治外法権を 闘する一切の民刑訴訟は定金に支那閥法廷の審判に蹄すぺし。 ω ) 勝来同地方(雨漏洲及球部内或古をおす 五月二十五日調印の出揃洲及東部内家古に闘する保約第五僚第三項の規定どなった。同項仁日f 十六日日置公使が支那政府へ提出した我が政府の修正案第二市引の第三僚に現はれ、結局大正四年 右糊告中に一五ふ地方的に泊外法雄を撤感﹃るこさは、阪に大正四年の日支交渉の折、同年四月二 諭 惟ムに南京保約以来.日比ら︿苛酷なる不手等傑約の柁惜の下に皆しみ、巴県議和曾議以来図纏 回復に熱中L っ、ある支那に劉L、同国 t共存共栄の間柄である我岡は同情的態度を以τ之に臨 等保約を締結して閥際的地位を宜向むる勉めには、先ョつ県国一致して内政改善 MT み、直時田なる其の閥民的要求の貫徹を援助するの誠意を有たねばならぬ o之己同時に、支那の靭 聞 が 野も、骨日て我 M 園カ充貨に労力し、山川進的手段によ bて目的を迷Lたるこピ仁顧みて、相判桃四什部なる闘桃回復運 動伝恨み、有力且安闘なる政府を一 Hも早︿樹立するやう告側すべ︿、旦叉日置全離が闘税曾議 ω協同正、自仙の礎利々徒ω待重正をおに念凶に泣きて、園 J 九 if'~ 抗 大正十五年十二 H十日) O( 第ニ十四谷 て八九 、 J 昨円以の挨拶小に一五へるが如く、善隣 日支通商航梅能的改正に就て 、 楳回復関旭ω日公正回揃なる解決じ到逃するやう心掛りねばなら品。然らすんば、 日支の聞には、 議 たv不和机蝶反日削守がゐるのみであらう 言 肯
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