●私のノートから● で、かれの徹底した理屈がもっとも卓見としての面目 ﹃ 写 法 新 術 ﹄ で あ る。 私 は 遠 藤 の さ ま ざ ま な 著 作 の 中 をほどこした作品であると思う。主著といってよい。 多かった。これに先立つ文政六年 ︵一八二三︶ 遠藤は藩 ぼんで見える西洋の透視画法にその答えをみつけた。 究 を は じ め た 。 遠 藤 は、 最 終 的 に は 奥 に い く ほ ど す 尾鍋智子 の時刻制度の改正に精進した。従来つかわれていた時 眼にこだわった加賀藩士 私はもともとこの本にみられる眼へのこだわり、奥行 加賀藩といえば、最近では藩祖の前田利家とその妻 をみる不思議への好奇心に大いに共感して、遠藤の研 が主役のNHKドラマが記憶に新しい。その後、前田 ついて深く考えていたかが現れているのみならず、透 ﹃写法新術﹄では遠藤がいかに眼にこだわり、視覚に と理解しているのは今の日本では自分だけだというか 視画法が精密な数学に基づくということまでもきちん と日の入りも目分量で決められていた。改正の命をう けた遠藤は時刻の精度をひたすら上げようとする。苦 法はかなりおおざっぱなもので、基準点である夜明け 心の末に精密な時法を完成させた。その精度たるや一 家は江戸時代の外様大名の雄として、百二十万石余を 江戸も後期、十二代藩主の頃の加賀に、一風変わっ 誇ったこともよく知られている。 た高級藩士がいた。歴史的アナクロニズムはつつしむ 日を百万分割するという当時としては驚異的な精度 ところが史料によると一般庶民から苦情がでたらし しようのない遠藤の膨大な知的生産活動をながめると 現在でいえば、科学者、思想家、発明家としか定義 れの自負がみられる。そしてそれは当を得ている。 べきだが、なんだかわたしたちの身近にもいそうな人 で、科学的には大成功をおさめた。 を発し、ハタめいわくな理屈がまたそれなりに通って 物である。皆が当たり前に続けてきていることに異論 える残りの屁理屈に耳を傾けてくれる受容的な雰囲気 をも受け入れる知的サロン的な空気の存在。人物やグ がかれの周りにあったか否かであると実感する。愚論 き、重要なのは卓見の発生率ではなく、一見失敗にみ 休憩時間を削ることになったりして、はからずも労働 ループの特定こそできないが、遠藤の自由闊達な知的 い。日常生活には不必要なほどの精度をもつ新しい時 強化につながってしまったと推定されている。要する 刻 の お か げ で 、 人 々 は 朝 早 く か ら 出 勤 さ せ ら れ た り、 遠 藤 高 璟 は 明 ら か に こ の 種 の 人 物 で あ る。 し か も にありがた迷惑だったらしい。翌年、この不評な時制 いる人。﹁これは卓見だろうか屁理屈だろうか﹂と考 言 う だ け で な く 実 行 に も 移 し た。 た と え ば 天 保 七 年 えさせられるようなことをしばしば言うような人。 ︵一八三六︶の正月に、家にあった伝統的な正月の三宝 思われる。 んな豊穣な空気が流れていたのだなと改めて感慨深く 活動を見るとき、加賀藩主斉広のまわりには確かにそ 加賀藩主の前田家はこんな遠藤を重用した。遠藤は はもとに戻されてしまった。 ビなどを﹁つくづく見ると死んだしかばねばかりであ 飾りに疑問をもち、改める。縁起ものの松、干しアワ 度へのこだわりが大成功をおさめた画期的仕事を藩主 十二代藩主斉広の科学的側近であったといわれる。も のもとでたくさんこなした。有能勤勉な実務家であっ ちろん誤解のないように述べておくと、遠藤は失敗ば これは屁理屈か卓見か。やはり判断がつきかねる。 た。ただ、なにをするにあたっても精度に欠けて困る る。目で見るためだけの飾りに生き物を殺すのは合点 いずれにせよ、天保七年に遠藤家へ松の内に訪問した ことはあっても、精度が高くて困ることはない、した かり重ねていたわけではない。地図作成などかれの精 客は珍妙な正月飾りにさぞかしびっくりしただろうと がって精度は高ければ高いほどよいと信じて疑わな がゆかない﹂と、鶏卵や根に土をつけたままの松など 想像はつく。この場合、遠藤の新奇な思いつきで迷惑 ﹁生きたもの﹂に変えてしまう。 をこうむったのは、さしずめかれの家族といったとこ このような遠藤が、とことん眼にこだわった著作が かったらしい。 だが、遠藤がかかわる仕事はもっと大規模なものも おなべ・ともこ (6 頁に図書案内) ろだろうか。 ハーバード大学M.A.(修士) . 総合研究大学院大学Ph.D(学 術博士) .米国フランクリン アンドマーシャル大学専任講 師などを経て、現在立命館大 学非常勤講師.
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