熱物性論 2013 (松本充弘) : p. 25 2元合金モデルの相転移:平均場近似 5 相転移の本質をつかむには,各種の熱力学量を理論的に(手計算で)扱えるように,モデルをさら に簡略化するのも有効である.こうした 簡略化 のためにいろいろなレベル/精度の近似方法が開発 されているが,ここでは,最も簡単かつ広く用いられている平均場近似を紹介する. 5.1 分配関数を近似する 相転移は,自由エネルギーを調べることで議論できるはずである.そこで,分配関数を近似的に計 算することで,Helmholtz 自由エネルギー F (T ) の近似的表現をつくろう.第1章で復習したように, F は統計力学では次のように求められる: F = −kB T log Z = −kB T log ∑ E [ E W (E) exp − kB T ] [ ∑ Ei = −kB T log exp − kB T 全ての微視的状態 i ここで考えている合金モデル系では, 温度による体積変化(熱膨張)を考 えていない.従って圧力も考える必要 がないから,Gibbs 自由エネルギー G(T, P ) ではなく Helm-holtz 自由 エネルギー F (T, V ) を議論すればよ い. ] (31) 次の手順で,分配関数 Z を近似的に求める.まず,N サイトのうち,A 原子が M 個,B 原子が N − M 個を占めるとする.さらに,次のパラメタを定義する: nAA = A原子同士が隣り合うペアの数 nBB = B原子同士が隣り合うペアの数 nAB = A原子とB原子が隣り合うペアの数 もちろん次の関係が成立する(ただし,2次元正方格子=4つの最近接サイトをもつ場合) : 2N = nAA + nBB + nAB (32) 4M = 2nAA + nAB (33) 4(N − M ) = 2nBB + nAB (34) 以降の議論で明らかなように,この近 似モデルでは最近接サイトの数だけが 重要であり,次元は直接には結果に影 響しない. ただし,式 (33) と (34) を加えると式 (32) になるので,独立な関係式は2つである. 微視的エネルギー Ei は,nAA , nBB , nAB によって一意的に定まる: Ei = (+ϵ) × nAA + (+ϵ) × nBB + (−ϵ) × nAB = ϵ(−nAA − nBB + nAB ) (35) 変数が M , nAA , nBB , nAB の4つ,条件式が2つあるので,残された自由度の数は 4 − 2 = 2 である. 以下では,独立変数を M と nAB としよう.式 (32) から,微視的エネルギーは nAB のみで表せる (サイト数 N は定数である) : Ei = ϵ(2nAB − 2N ) (36) そこで,分配関数は Z= N ∑ ∑ M =0 可能な nAB [ ] 2ϵ Γ(M, nAB ) exp − (nAB − N ) kB T (37) ここで,Γ(M, nAB ) は A 原子の数が M のときに A 原子と B 原子が隣り合うペアが nAB 個となる場 合の数である.ここまでは,何の近似もしていない.Γ(M, nAB ) を厳密に求めることが困難であるこ とが,数値計算を使わずに相転移を議論することを難しくしている. なるべく A と B を対称的に扱いたい ので,nAB を独立変数に選んだが,も ちろん,nAA あるいは nBB を選んで も同じように議論できる. 熱物性論 2013 (松本充弘) : p. 26 近似:第1段階 「あるサイトにA原子がくる確率/B原子がくる確率は,その周囲の原子が何であっても同じ」と いう近似を行う.これはすなわち,注目しているサイトにA原子がくる確率を系全体の平均的な確率 で置き換えるという近似をすることになるから,これを 平均場近似 mean field approximation という. その他,分子場近似 molecular field これにより, nAB ≃ 4M × となる.この近似のもとでは, N −M N (38) N! M !(N − M )! Γ≃ (39) approx.,Bragg–Williams 近似など とも呼ばれている.この合金系は,磁 性体のモデルである Ising スピン系 や 格子気体系 と数学的に等価であり, 歴史的な経緯から,多くの統計力学の 教科書では “Ising スピン系の相転移 現象の理論” として取り上げられて いる. となるから,分配関数は [ N ∑ N! 2ϵ Z ∼ exp M !(N − M )! kB T M =0 N ∑ ( 4M (N − M ) N− N )] [ N! 2ϵ N 2 − 4M N + 4M 2 = exp log + · M !(N − M )! kB T N M =0 N ∑ ] [ 2ϵ (N − 2M )2 · = exp [N log N − M log M − (N − M ) log(N − M )] + kB T N M =0 N ∑ = M =0 [ [ exp N − ( M M M log − 1− N N N ) ( log 1 − M N ( )] + M 2ϵN · 1−2 kB T N ] ここで,Stirling の公式 log n! ≃ n log n − n + o(n) )2 ] を使った (40) ここで,指数関数の中が,サイトの数(粒子の総数)N に比例する形に整理できることに注意しよう. さらに,あちこちに現れる M/N はA原子の占める割合,すなわち組成 x を意味するから,系の 自由エネルギーは,組成 x によって次のように近似できることになった: F = −kB T log Z ∼ −kB T log ∑ [ exp − x N f (x) kB T ] (41) ここで, f (x) = −2ϵ(1 − 2x)2 − kB T [−x log x − (1 − x) log(1 − x)] (42) は,後述するように,組成 x が与えられたときの1サイトあたりの自由エネルギー(あるいは自由 エネルギー密度)に相当すると考えられる. 近似:第2段階 式 (41) の ∑ はすべての組成 x についての和であるが,N が非常に大きい場合にはその最大項の x みを考える近似ができる.すなわち,f (x) が最小となる状態が実現される,と考えることができる. すなわち,f (x) の最小値を fmin とすると F ∑ [ N f (x) exp − ∼ −kB T log kB T x ] [ N fmin ∼ −kB T log exp − kB T = N × fmin f (x) のふるまいについては,次節で詳しく考えることにする. ] (43) 熱物性論 2013 (松本充弘) : p. 27 モデル自由エネルギーの性質と相転移 5.2 前節で求めたモデル自由エネルギー密度は,以下のように分けて考えることができる: f (x) ≡ e(x) − T s(x) e(x) = −2ϵ(1 − 2x)2 (44) もちろん,熱力学の関係式(F の定 義式) F = E − TS からの類推である. エネルギー項 (45) s(x) = kB [−x log x − (1 − x) log(1 − x)] エントロピー項 図 5–6 に,e(x), s(x), および f (x) のグラフを示した.低温ではエネルギー項が優勢で f (x) は2つ の極小を持つのに対して,高温ではエントロピー項が優勢となり f (x) の極小は1つとなる. f (x) の極値条件 [ 0= df kB T x = ϵ 8(1 − 2x) + log dx ϵ 1−x ] (46) から,図 5–7 より ≥ kB T ϵ 4 極値は x = 1/2 の1つで,これが極小 < 4 極値は x = 1/2 に1つ(極大),その両側に1つずつ(極小) kB T = 4 で相転移を起こすことがわかる.また,相転移温度の付近では,f (x) が非常にフ ϵ ラットになるため,さまざまな x が同程度の頻度で出現することになる.すなわち,組成の大きな揺 らぎが起こる.これが,相転移付近で熱容量が大きくなる理由であると理解できる.これは,臨界現 象 critical phenomena の典型例でもある. となり, kB Tc = 4 という結果は,2次元正方 ϵ 格子(最近接サイトの数が4)である ことに由来する.3次元,あるいは他 の構造(三角格子など)についても容 易に求められる. この平均場近似は,相転移現象の本質を簡単に捉えることのできる近似として,理論解析の出発点 によく用いられる.しかし,定量的には,相転移温度は厳密な計算とは大きくずれたり,本来は相転 移の起きない1次元系でも相転移の存在を予測してしまう(図 5–8).これは,短距離構造を無視し ているためである.例えば,ϵAA < ϵAB であるから,A 原子の近くには,実は A 原子がくる確率が 大きいのだが,この近似ではそれを無視して平均組成 x のみに注目している.この欠点を補正するた めには,原子間の相関 correlation を何らかの形で取り込む必要がある.さまざまな方法が開発さ れているので,必要があれば統計力学の教科書等を参照してほしい. なお2次元正方格子系に関しては厳密 解(Onsager の解)が得られている. 図 5–8 に exact としてあるのがこの 厳密解である. 0 e(x) 10 -de/dx T=1.0 T=2.0 T=3.0 T=4.0 T=5.0 T=6.0 -1 -2 0 0.25 0.5 0.75 1 T ; ds/dx 5 0 0.5 s(x) -5 -10 0 0 0.25 0.5 0 1 T=0 T=1.0 T=2.0 T=3.0 T=4.0 T=5.0 T=6.0 0 0.25 0.5 Composition x 0.75 1 1 Composition x -1 f(x) 0.75 -2 0.75 0.5 0.25 -3 0 -4 0 0.25 0.5 0.75 Composition x 図 5–6: 平均場近似での熱力学量. 1 0 例えば厳密な相転移点を求めるため に繰り込み群 renormalization group の方法などが開発されている.1982 年のノーベル物理学賞は,繰り込み 群の方法による臨界現象の研究によ り Kenneth Geddes Wilson に与え られた.詳しくは Chandler の教科書 等を参照されたい. 1 2 3 T 4 5 図 5–7: f (x) が極値をとる x を求める. 6 熱物性論 2013 (松本充弘) : p. 28 Heat Capacity per Site 0 Energy per Site 2 1D: exact (X2) 2D: MF Approx. 2D: exact -0.5 -1 -1.5 1D: exact (X2) 2D: MF Approx. 2D: exact 1.5 1 0.5 -2 0 0 1 2 3 4 5 0 1 T 2 3 4 5 T 図 5–8: モデル合金系の平均エネルギーと熱容量 (参考) 興味を持たれた方のために,Onsager が求めた2次元合金系の厳密解(図 5–8)を,導出 過程は省略して結果のみ示す.出典は,グレゴリー H. ワニアー「統計物理学 II」(紀伊 國屋書店, 1975) の第 15 章:磁性の統計理論 である. ( 2ϵ E = −2N ϵ tanh kB T ) − Nϵ sinh2 ( sinh ここで, 2ϵ kB T ( κ≡ であり, K(κ) ≡ ∫ 2 sinh cosh2 π/2 √ ( ( ) ) 2ϵ kB T 2ϵ kB T 2ϵ kB T −1 ( cosh 2ϵ kB T [ ) 2 K(κ) − 1 π ] (47) ) ) Lars Onsager (1903–1976) ノルウェー 出身,米国(Yale 大学ほか)で活躍 した物理学者.不可逆過程の熱力学 の定式化により 1968 年にノーベル化 学賞.名前は「オンサーガー」あるい は「オンセイジャー」と発音される. 1931 年,“相反定理” を発表,1944 年 には2次元 Ising モデルの厳密解を導 出した.(Wikipedia より) (48) 1 dθ (49) 1 − κ2 sin2 θ は,第一種完全楕円積分 complete elliptic integral of the first kind である.K(κ) は, kB Tc κ = 1 において発散するが,そのときの温度を Tc [式 (48) より, ≃ 2.269 と求ま ϵ る] とすると,E は Tc の近傍で,E ∼ (T − Tc ) log |T − Tc | という対数的発散をするこ ∂t log |t| とが示される.したがって,比熱のグラフにも, ∼ log |t| (ただし t ≡ T − Tc ) ∂t という発散があらわれるが,これは通常のべき関数的な発散 t−α に比べると弱い. 5.3 0 平均場近似のまとめ 平均場近似は,相転移現象や臨界現象を扱ういろいろな分野で非常によく用いられるモデルなので, 改めてその「処方箋」をまとめておく.なお,次の章ではこのモデルをさらに拡張して,組成の場所依 存性を扱うので,これ以降,主要変数の組成 composition を(x ではなく)c と表現することにする. x は空間座標と混同しやすいので. (1) 自由エネルギー密度を,局所組成 c(0 ≤ c ≤ 1)の関数として f (c) = e(c) − T · s(c) の形に表現する. (2) エネルギー密度 e(c) を,平均場 の考え方に基づいて書き下す.多くの場合,c の2次関数で表 現されることが多い. (3) エントロピー密度 s(c) は,一般に次の形に表現される: s(c) = −kB [c log c + (1 − c) log(1 − c)] (4) f (c) が極小となる組成を温度の関数として求める. 熱物性論 2013 (松本充弘) : p. 29 5.4 エントロピー項についての補足 前期の熱物理工学において,シャノンのエントロピーについて触れた: 事象 x に対する確率が p(x) で与えられているとき,情報理論では,そのエントロピーを Sshannon = − ∑ p(x) log p(x) x と定義するのが自然である. シャノンのエントロピーが導出される 概略を復習すると, これは,5.3 節で述べたエントロピー密度 (3) と同じ形をしていることに注意しよう.係数 kB の 有無は,エントロピーを熱力学の単位(J/K)で測るか,情報学の単位(ビット)で測るかの違いで ある. • 状態数が W のときのエントロピー は log W である. • ある1つの微視的状態の出現確率 は状態数に反比例する.すな わち,p ∝ W −1 • よって確率 p(x) の事象のエントロ ピーは比例定数を除くと − log p(x) である. 5.5 • その平均値は,− となる. 類題:格子気体 ∑ p(x) log p(x) 格子気体 lattice gas モデルとは, 「粒子が格子点上のみを占めることができ,隣接格子点にある粒 子間にのみポテンシャルエネルギー −ϵ がはたらく」,とするモデルである.あるいは, 「粒子と空格 子点の2元合金」と考えてもよい. 平均場近似で,その相転移を考えてみよう.この場合は,組成 c は密度 ρ,すなわち格子点の占有 確率であると解釈する.3次元立方格子(最近接サイト数は 6)を考えると,前節の処方箋に従って e(ρ) = −3ϵρ2 f s(ρ) = −kB [ρ log ρ + (1 − ρ) log(1 − ρ)] よって, f (ρ) = −3ϵρ2 + kB T [ρ log ρ + (1 − ρ) log(1 − ρ)] (50) 自由エネルギーは図 5–9 のようになる. I II ρ 上図のように,Helmholtz 自由エネル 系に一定数の粒子がある場合は,相共存は,共通接線の法則によって決まる.低温では2相共存, ギー密度 f (ρ) に共通接線が引けたと 高温では1相であることが図 5–9 からわかる.つまり,気液臨界点 vapor-liquid critical point の存 する.まず ∂F ∂f = =µ ∂ρ ∂N 在が平均場近似によって示されたことになる. 2 0 f (ρ) より,状態 I と II の化学ポテンシャ ル µ が等しいことがわかる.また,接 線の方程式から T= 0.2 0.5 1.0 2.0 5.0 10.0 fII = µ × (ρII − ρI ) + fI であることがわかるが,両辺に体積 V をかけると -2 FII = µ × (NII − NI ) + FI -4 となり,µ × N = G = F + P V であ るから PI = PII -6 -8 0 0.2 0.4 0.6 Density ρ 0.8 1 図 5–9: 格子気体モデルの自由エネルギー密度.このグラフの解像度ではわかりにくいが,ρ → 0 と ρ → 1 での傾きは ±∞ である. すなわち,両状態の圧力が等しいこ とがわかる.よって,温度と圧力が等 しいので,状態 I と状態 II は相平衡 にある.これは,共通接線の法則 law of common tangent として知られて いる.
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