トップに きく じ さん 古川 健治 けん 古川 健治 昭和 9 年生まれ。六ヶ所村立尾駮小学校、十和田市立 東小学校等の教諭を経て、昭和 55 年、十和田市立高清 水小学校教頭。昭和 59 年、十和田市教育委員会指導主 事を経て、昭和 61 年三沢市立淋代小学校校長。平成 10 年、六ヶ所村教育委員会教育長を経て平成 14 年 7 月より六ヶ所村長に就任。現在 2 期目。 さん (六ヶ所村長) (電源地域振興センター理事長) × 新 欣樹 青森県 六ヶ所村 ふるかわ 誕生から百二十年 大還暦を迎えた六ヶ所村 新:六ヶ所村は、明治二十二年の町 たが、百二十周年を迎える今年はこ の「未来大開」に向けて新たに出発 する年だと考えています。 そのため、 名馬の産地として知られており、各 六ヶ所村であるこの地は、古来より 古 川 村 長 : そ う な ん で す。 現 在 の ・各自治会での植栽活動の奨励、浄 の寄贈(人材) ・村内の中学生までの生徒全員に本 います。その具体的な事業として これらを、 つの柱として掲げて ・人材を育成し、人を繋げる事業 集落の名前の由来は、その昔、源頼 化センターにおける 村制施行に伴い六つの集落が集まり 朝 公 に「 生 食( イ ケ ヅ キ )」 と い う 百二十本の植樹(環境) ・環境を大事にし、自然を繋げる事 名馬を軍馬として提供したことに端 ・村民のシンボルとし 誕生したそうですが、この六つの集 を 発 す る と 言 い 伝 え ら れ て い ま す。 業 その馬の門出たところが「出戸(で ての村民憲章碑の作成 ・心を繋げる事業 と )」、 馬 の 身 丈 が 鷹 待 場 の 架( ほ (心) 落は名馬の産地で、各集落の名はそ こ ) の よ う だ っ た の で「 鷹 架( た を実施いたしました。 れぞれ馬に由来しているとか。 かほこ)」、馬の背中が沼のように平 ようです。 「泊(とまり)」と呼ぶようになった に引き渡すために泊まったところを に 他 な り ま せ ん。 こ の してきた祖先の勤勉さ ながらもまじめに生活 えてきたのは、貧しい でした。そんな村を支 所 村 と な る 前 で す が、 新:その六つの集落が一つになり村 祖先の弛みない努力を 尾が斑になっているので「尾駮(お が誕生して、今年で百二十年になる 次の世代につなげるこ しい村の代表・代名詞 訳ですね。 とが百二十周年を迎え こ の 辺 り の 集 落 は、 貧 古川村長:人間で言うと、明治の町 ので「倉内(くらうち)」、馬を鎌倉 村制施行より今年で 回目の還暦を ぶち)」、さらにその馬に鞍を打った らだったので、「平沼(ひらぬま)」、 江戸時代、まだ六ヶ 三 「未来大開」と言う目標を掲げまし 迎えることになります。私は、昨年 考えています。 ての私の使命であると 二 ■青森県六ヶ所村(人口:約 11,000 人 面積:253.01km2) 下北半島の南東部、太平洋側に位置する六ヶ所村は、イカ・サケ・マス漁などの漁業や、長 芋・大根などの畑作野菜栽培が盛んな地域です。また、原子燃料サイクル施設、風力発電施設 等を有するエネルギーのまちでもあります。現在はさらに、国際核融合エネルギー研究セン ターの準備や、液晶関連産業を中心としたFPD(フラット・パネル・ディスプレイ)産業の拠点 形成など、国際科学技術都市の確立を目指しています。 ■原子力関連施設 ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、 再処理工場(建設中) 、MOX燃料工場(建設中) 事業者名:日本原燃株式会社 ■今号の表紙 ま かど 厳しい自然と“六趣”の開発 交付金の活用 エネルギー研究センターなどの幅広 原子燃料サイクル施設、国際核融合 新 エ ネ ル ギ ー 施 設、 石 油 備 蓄 基 地、 併用した大規模風力発電、地熱等の 古川村長:六ヶ所村では、蓄電池を 認められました。 パーク」について、東北では初めて 庁 が 公 募 す る「 次 世 代 エ ネ ル ギ ー 新:六ヶ所村では、資源エネルギー 馬門川 中流の滝(青森県六ヶ所村) いエネルギー関連施設を通じて「エ 電気のふるさと vol.18 電気のふるさと vol.18 六ヶ所村長 厳しいながらも豊かな自然溢れる六ヶ所村。誕生から百二十年を迎え、原子燃料サイクル事業を中心に 「エネルギーの村」として更なる飛躍を目指す古川六ヶ所村長にお話を伺う。 六ヶ所村は年間を通じて「ヤマセ」が吹き、津軽平野か 小川原湖。村の最南部に位置する汽水湖。水産資源が 村の最北端周辺の海岸には「タタミ岩」と呼ばれる奇 らの西風も吹くため、安定して風力発電を行える。 豊富で、シジミやシラウオ、ワカサギなどが獲れる。 岩が広がる。絶好の釣りポイント。 大きなガラス張りの温室を見ました そ う 言 え ば、 こ ち ら に 向 か う 際 に、 は、 素晴らしいお考えだと思います。 新:「科学と自然の共生・協和」と ています。 づくりを打ち出していきたいと考え 学と自然の共生・協和を考えたまち に広く発信するとともに、これら科 ネルギーの村 ろっかしょ」を全国 ばしばある非常に厳しい自然環境だ り、冬は地吹雪が荒れ狂うこともし 響を受けて夏でも肌寒い日があった は、 夏 は「 ヤ マ セ 」( 北 東 風 ) の 影 新 : 自 然 環 境 と 言 え ば、 六 ヶ 所 村 四百万鉢出荷しています。 た環境に優しい事業として、年間約 から、この自然環境の特性を活かし 物にとって温度管理がしやすいこと 度程度までにしかならないため、植 候に強い長芋などの畑作を行うこと 現在では、稲作に代えて寒冷な気 得ないほど、厳しい自然状況でした。 稼ぎ」が村の基幹産業とならざるを たから、かつては「半農半漁で冬は出 各集落が孤立するようなところでし 間、 隣 の 集 落 に 行 く こ と も で き ず、 は、地吹雪のために、半年以上もの 通じて道路が通れるようになるまで また、昭和五十年代の半ばに年間 平成十八年に完成しました「六趣 が、あれは何かの事業ですか。 醸造工房」では、レギュラータイプ で、ヤマセがあっても一定の収穫が 新:長芋は現在、全国的にも有名な の「六趣」を年間六万本を生産して と伺っていますが。 産 品 に な っ て お り、 長 芋 を 原 料 に 古川村長:あれは、花卉栽培の温室 は、ヤマセの影響をまともに受けま 作った焼酎まであるんですね。いよ できるようになりました。 大 級 の 温 室 で、 六 ヶ 所 村 は、 冬 の 入らない「ケガヅ」と呼ばれる現象 す。二十年前ほどまでは、稲に実が おり、少しでも多くの方に工房に足 古川村長:太平洋から近いこの周辺 気 温 は 厳 し い も の の、 太 平 洋 岸 に いよ三年熟成のものがこの秋に初出 を運んでいただきたいという思いか です。花卉栽培としてはアジアで最 面しており積雪はそれほど多くない も数年に一度起こっていました。 荷されるとか。 ら、毎日六十本を同工房で直接販売 こ と と、 夏 が 涼 し く 気 温 が 二 十 五 古川村長:はい。これも、言わば一 していますが、ほぼ毎日、完売する 民に喜ばれる村の特産品にしていき 種の原燃効果なんです。日本原燃㈱ 何とかならないか」と発想したのが たいと思っています。 という状況です。「六趣」については、 始まりです。その後、焼酎のメッカ、 新:これは、電源三法交付金事業で に九州から出向されていた方が、出 九州の酒蔵にお願いし開発されたの すね。 千万円の内、約 億 千万円ほどを 一 交付金で賄っております。 ら い 時 間 を か け て 口 コ ミ で 広 が り、 元 の 特 産 品 を 用 い て 製 造 し て お り、 生産が難しい大麦を除き、全てを地 「六趣」は、その特性上六ヶ所での 今ではある程度売れるものとなりま 第一次産業の発展にも繋がります。 六ヶ所村では、第 次六ヶ所村総 ると考えています。 そのためにも、人材育成が重要であ に 通 用 す る 新 た な 科 学 技 術 の 創 生。 がる内容にしていただきたい。世界 魅力ある研究を行い、次世代炉に繋 ま た、I T E R 計 画 に お い て は、 した。 がなく苦労いたしましたが、三年く で、県内で取り扱ってくれる販売元 ただ、出荷当初は評判が今ひとつ ですが、開発にあたっては、相当の けるような販売戦略を打ち出し、村 では、ある程度理解を得られ一つに まとまっていると思います。 I T E R( 国 際 熱 核 融 合 実 験 炉 ) 計画は、本体炉は残念ながらフラン スに設置されることとなってしまい ましたが、平成二十二年三月に完成 い た し ま す 国 際 核 融 合 研 究 施 設 が、 フランスの実験炉とうまく連係して 魅力のある研究施設となることを期 待しております。 研究施設の建設に伴い、世界中か 七 合振興計画を策定し、村の将来像を 「 自 然 が 彩 る 豊 か な 未 来 を 拓 く『 躍 進・発展のまち』~人と文化を育み 科学と産業がはばたく~」と定めて います。貧しかった時代の祖先の弛 古川村長:はい。スワニーは、国際 ですね。 様たちが安心して教育が受けられる す。そのためには、その方々のお子 境を提供できるよう努めておりま ンと友好都市であることに加え、原 新:六ヶ所村は、ドイツのヴァーレ けさせてあげたいと思っています。 も、その子供に対し十分な教育を受 め て 完 成 し た「 六 趣 十周年記念行事には、六ヶ所ではじ まずは、十一月十八日に行う百二 まいりたいと思います。 となく、次なる還暦に向けて進んで みない努力とその勤勉さを忘れるこ シ ン ポ ジ ウ ム も 開 催 で き る 施 設 で、 環境が必要と考え、村に「インター 子燃料サイクル事業ではフランスか 杯したいですね。 村の文化の核となっています。 ナショナルスクール」を受け入れま ら も 多 く の 科 学 者 が 訪 れ て い ま す。 「六ヶ所村制施行120周年記念式典」で式辞を述べる古川村長。 式典後の祝賀会では、この日蔵出しされた「六趣Special」で乾 杯が行われた。 」で乾 Special した。現在、六ヶ所村には科学者の 操業して欲しいと願うばかりです。 ついては、これはもう、計画通りに 古川村長:原子燃料サイクル事業に について。 新:では、最後に今後の取り組み等 次なる還暦に向けて 今後の展望 となって欲しいと願っています。 村の文化・学術の向上に繋がるもの 古川村長:設備だけでなく、それが ことが期待されます。 を通じてどんどんと国際化していく 新:ありがとうございました。 ら多くの科学者がいらっしゃいます 六 それに加えてITER計画。これら とえその子供が 人であったとして 尾駮(おぶち)沼。白鳥やカモ、オジロワシなどの野鳥が 飛来する。周囲には原子燃料サイクル施設が建ち並ぶ。 子供が 人いらっしゃいますが、た 新 : 電 源 三 法 交 付 金 事 業 と 言 え ば、 古川村長:はい。総事業費約 億 その付加価値を高めつつ生産してい 新 欣樹 が、その方々にとっても、良い住環 一 きんじゅ 文化交流プラザ「スワニー」もそう 苦労があったと聞いております。 の長芋を目にして、「もったいない。 「六趣醸造工房」 。ここで造られる長芋焼酎「六趣」は村の 新しいシンボルとなった。 勤途中に畑に放置されている規格外 電源地域振興センター理事長 あたらし 八 三 昭和 18 年生まれ。昭和 40 年、通商産業省入省。科学技術庁長官 官房長を経て、中小企業庁長官などを歴任。石油公団理事などを 経て日本原子力発電株式会社副社長、平成 21 年 7 月より財団法 人電源地域振興センター理事長。 毎年10月に行われる「ろっかしょ産業まつり」で催される「鮭 のつかみどり」 。海外の方も多数参加する、国際色豊かなイベ ント。 エネルギーのまち 六ヶ所 新:六ヶ所村は、原子燃料サイクル 事業、国際熱核融合研究施設、風力 発 電 な ど、 「エネルギーの村」とし て、広く知られるようになりました が、現在に至るまでのご苦労やご努 力についてお聞かせ下さい。 古川村長:原子燃料サイクルは今の 村 の 発 展 の 基 礎 と な る 部 分 で す が、 その「危険性」に対する理解促進を 六つの集落において、原子燃料サイ 常に図る必要があります。 かつては、 クル事業の賛否をめぐり村を二分す るような時期もありましたが、現在 七 電気のふるさと vol.18 電気のふるさと vol.18 文化交流プラザ「スワニー」 。国際交流的な機能、原 子力に関する国際会議場としての機能、地域住民の 文化活動、文化交流、人材育成の機能を担っている。
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