羽ばたけ、日本の底力 ﹁天然のいけす﹂を生んだ 自然に優しい漁法 ﹁せーの、ヨイショー﹂ 深夜2時半。暗闇の中に煌々と 光る漁船のライトに照らされ、男 ﹁いくぞーっ!﹂ る風は刺すように冷たい。 甲板ははね回るタチウオであっと がクレーンで引き上げられる。そ 湾。ブリ、ホタルイカ、白エビを 2カ月にわたり、毎晩のように漁 師たちと海に出ている。 ﹁初 め て 見 る 漁 法 で 最 初 は 勝 手 が分からず大変でしたが、2カ月 間 で 作 業 に も だ い ぶ 慣 れ ま し た。 ただ、この寒さは相変わらずこた えます︵笑︶ ﹂ そう話すのは、スリランカ南西 部の漁村アンバランゴダで代々漁 師を続けるシルバさん親子。アン バランゴダは、 年 月に発生し 12 ガミニさん︶ 。 基盤を失ってしまいました﹂ ︵父・ くも船や網を波にのまれて生活の 犠牲となり、生き残った人々の多 た 地 域 だ。 ﹁多 く の 漁 業 関 係 者 が 震による津波で大きな被害を負っ たインドネシア・スマトラ島沖地 04 TOYAMA from たちが威勢の良い掛け声とともに 一斉に網を巻き上げる。 年 月 年の瀬も迫った201よ0 かた 下旬、富山県富山市の四方漁港か ら3キロほど離れた沖合の定置網 合図に合わせて大きなすくい網 が投げ入れられ、大量のタチウオ 平 行 に 並 ん だ 2 隻 の 中 型 漁 船 が、仕掛けてあった網を両側から いう間に覆い尽くされた。 筆頭に、湾内で水揚げされる魚介 し て 閉 じ ら れ た 網 の 口 が 開 く と、 挟み込み、ゆっくりと網を巻き取 ﹁天 然 の い け す﹂と 呼 ば れ、海 の幸の宝庫として知られる富山 メートルほど離れていた船 が、いつの間にか数メートルほど 類は年間300種以上に上る。そ の多くは﹁越中式定置網漁﹂で捕 にまで近づいていた。網の底が水 は っていく。それに合わせて、始め 波は穏やかだが、ほおに吹き付け 漁場。この時期の富山湾にしては 12 面に迫るにつれ、魚が無数の水し ぶきを上げる。 れたものだ。 400年も前からこの富山湾で 脈々と受け継がれてきた定置網漁 は、魚の習性をうまく利用した自 然に優しい漁法として有名。海流 に沿った魚の通り道に網を仕掛 け、そこに侵入してきた魚を無理 なく確保する。魚をなるべく傷付 けず生きたまま水揚げでき、見た 目も美しく新鮮だ。また、網目の 大きさを調節することで捕獲量を コントロールできるため、乱獲を 防ぎ、これから先も持続的に水産 資源を利用できる。さらに、固定 ※が生まれ、新たな漁場の形成に された網に貝や藻が付着して魚礁 もつながる。 津波、そして海面上昇 スリランカ漁村の悲劇 人近い漁師の中に、慣れた手 つきで作業をこなす4人のスリラ ンカ人の姿があった。富山が誇る 定置網漁を同国に伝えるJ ICA の草の根技術協力事業﹁スリラン カ南部州アンバランゴダにおける 省資源型定置網漁業の導入による 漁村活性化支援事業﹂の一環で2 010年 月に来日した彼ら。約 10 ※魚が好んで群集する水面下の岩場。 30 アンバランゴダ漁 協 組 合の会 長 でもある漁師のガミニさん。村を代 表して研修に参加した彼の、漁業 再生にかける思いは人一倍強い (左) 「そっちのかごを取ってくれ!」 「早くしろ!」。甲板ではね 回る魚を素早く選別し、 かごに仕分けていく。鮮度を守るた め、船上には怒号にも近い掛け声が飛び交う (右)富山湾で利用している典型的な定置網の模型。その 大半が沿岸から2∼4キロの沖合、水深10∼100メートル の海 中に設 置され、大きさは、最 大 長さ6 0 0メートル、幅 100メートルにもなる 30 富 山 2隻の漁船が近づくに つれ、網にかかった魚 が上げる水しぶきの音 が大きくなっていく。こ の日は大量のタチウオ が捕れた 08 March 2011 March 2011 09 富山県 四方漁港 特集 地場産業 スリランカ 伝統漁法で スリランカ漁業の再生を ブリやホタルイカ、白エビなど 海の幸の宝庫として知られる富山湾で 400年にわたり受け継がれてきた「越中式定置網漁」。 この富山生まれの漁法が今 2004年の津波被害で打撃を受けたスリランカの漁村に 大きな力をもたらそうとしている。 特集 地場産業 羽ばたけ、日本の底力 という。 流だった地引網漁が難しくなった に乗り出した。その第一歩として スリランカ全土への定置網漁普及 域にある漁協組合の代表者らとと その後、福本さんたち﹁地球の 夢﹂は漁業省に働き掛け、沿岸地 つに壊れて打ち上げられ、漁師た た。海岸では大きな船がまっぷた 津波の激しさを物語っていまし ﹁は る か 頭 上 の 木 の 枝 に、流 れ て き た ゴ ミ が 引 っ 掛 か っ て い て、 る。 期的に現地を訪れ、生活支援物資 参加。以来、約5年にわたって定 立したNPO法人﹁地球の夢﹂に の津波被害者を支援するために設 さんは知人の福本誠さんらが現地 ョックを受けて帰国した後、浦上 たたまれない気持ちになった。シ 同じ海の男たちが味わう痛みにい 深夜2時の出港 ハードな研修の日々 きた。 ダ村へ派遣し、技術指導を行って さんら地元の漁師をアンバランゴ 漁師を富山に招くとともに、浦上 アンバランゴダ村への支援。村の 草 の 根 技 術 協 力 事 業 を 活 用 し た、 けたい﹂と現地視察を企画した地 岸ブロックが原因で、これまで主 これまで 年間、漁師一筋の人 生を歩んできた浦上さん。自身も 年 3 月、 ﹁ス リ ラ ン カ を 助 台風で網を引きちぎられ、大きな 毎晩、操舵席から漁を指揮する 大垣漁業有限会社の浦上秀雄専務 元議員に声をかけられ、富山市の ス タ ー ト さ せ た の が、 J ICAの も、 漁協組合長として同行。その際に 損 害 を 被 っ た 経 験 が あ る だ け に、 ちもただぼう然としとって⋮。と ら、スリランカの漁業再生の可能 もに﹁定置網実行委員会﹂を設立。 見た光景を今も鮮明に覚えてい にかくひどい惨状やった﹂ 性を探ってきた。 表を務める福本さんは と、 ﹁地 球 の 夢﹂の 代 山 の 定 置 網 漁 だ っ た﹂ し﹂の作り方。 キロほどの重さ 修内容は、 網を海底に固定する﹁重 指導に当たっていた。この日の研 漁 の 後、漁 港 近 く の 作 業 場 で、 浦上さんが研修員に付きっきりで の配給などで被災地を回りなが 試練はそれだけにとどまらなか った。温暖化のせいか、漁獲量の 言う。 ﹁ほ ら、そ こ は も っ と た く さ ん 石を詰めんと﹂ 減少が続いていたほか、海面上昇 ﹁そ し て た ど り 着 い た の が、富 につなげたい﹂と話す。 ﹁地球の夢﹂ 網の普及に取り組む彼は、この仕 の頼れる現地スタッフとして定置 対策として沿岸一帯に設置した護 50 るというメリットもあ 燃料費も安く抑えられ を設置するので、船の 的陸地の近くに定置網 ますから。また、比較 ができて魚も戻ってき ると思いました。魚礁 る漁法として十分いけ でき、地引網漁に代わ ﹁定 置 網 漁 は 水 産 資 源の枯渇も防ぐことが んだ後、定置網の作り方や修繕の 朝のせりの準備を行う。朝食を挟 ら 戻 る と、水 揚 げ、魚 の 仕 分 け、 研修員の1日はハードだ。毎日 深夜2時に出港し、明け方に漁か る。 す﹂と浦上さんの指導にも熱が入 知識はこの研修ですべて伝えま たちでできるように、必要な技術・ 含めて最初から最後まで全部自分 石 を 詰 め て い く。 ﹁補 修 や 管 理 も になるまで、袋一つ一つに大きな を広めることで、人々の生計向上 んが、自分たちが持ち帰って技術 スリランカではまだ例がありませ んは、 ﹁定置網漁はとても合理的。 修に励んでいた。 み。それでも皆、疲れも見せず研 で続く。休日は漁がない日曜日の なテーマでの実習や講義が夕方ま 魚の衛生管理手法など、さまざま 方 法、浮 き や 重 り の 設 置 の 仕 方、 ダで定着していくにつれ、彼の活 め、捕った魚の鮮度の保持技術は く。特にスリランカは年中暑いた めるようになった。 年には、富 の漁法として世界からも注目を集 つある今だからこそ、資源管理型 休憩時間を惜しんで作業を続け ていたガンガ・エディリシンゲさ ります﹂ 躍の機会も増えることだろう。 力を入れて伝えていく予定だ。当 年末に帰国した研修員を追うよ うにして1月下旬、浦上さんは現 会を中心として、スリランカのよ の経験をもとに、定置網実行委員 収入を向上させること。そしてそ 置網漁を普及・定着させ、漁民の 面の目標は、アンバランゴダで定 力事業でタイやインドネシアへの 氷見市がJ ICAの草の根技術協 が 開 催 さ れ、こ れ を き っ か け に、 氷 見 市 で﹁世 界 定 置 網 サ ミ ッ ト﹂ 山県内でも特に定置網漁が盛んな 富山の誇りを 先人の知恵を 地 に 向 か っ た。富 山 で の 研 修 中、 いに苦労しているようだが、今後、 がなかった。慣れない作業や船酔 まとめ役として皆をリードしてい ﹁ハコアミ︵箱網︶ 、 オトシアミ︵落 とし網︶ 、カキアミ︵垣網︶⋮﹂ 海の向こうからのエールが込めら に設置するためだ。まさに、遠い を、実際にアンバランゴダの沖合 が自ら編んで完成させた定置網 らの協力で材料を調達し、研修員 あったという。それでも、その価 の漁法﹂と揶揄されていた時代も 法と比較され、﹁時代遅れ﹂ ﹁ 〝待ち〟 かつては大型漁船で大量に捕る方 現在、富山湾の漁獲量の実に7 割が定置網漁によるもの。しかし、 広げていく。 多くの先人たちの思いと、富山が ぶる。伝統漁法を受け継いできた まったく新しい漁法を教えると いう大仕事に、浦上さんの胸は高 技術移転に取り組むなど、富山の 定置網のパーツとなるさまざま な網の名前を日本語で挙げてくれ 値を知る先人たちが苦労と改良を 生んだ生粋の漁師としての誇り り多くの沿岸地域へと定置網漁を たのは、潜水士のジニゲ・ラック れた、大切な〝贈り物〟だ。 ﹁地 球 の 夢﹂で は 今 後、浦 上 さ んらが2012年まで定期的にア 重ねながら受け継いできたこの漁 リランカの海に届くに違いない。 が、きっと、大きな力となってス ている。 スマンさん。 ﹁浦上さんが抜き打ち ンバランゴダを訪れ、現地の人々 法は、乱獲や海洋汚染などで水産 ﹁な ん と し て も 成 功 さ せ に ゃ い かん。責任重大です﹂ ている。 定置網漁は他国でも広がりを見せ 生懸命覚えました﹂と笑う。仕掛 が自力で定置網漁を実践できるよ 資源の持続的な利用が脅かされつ や ゆ けた定置網の点検や設置状況の確 う、段階的に技術指導を行ってい で聞いてくることがあるので、一 認には、潜水士の役割が欠かせな ﹁地 球 の 夢﹂や 地 域 の 漁 業 関 係 者 くためにも、懸命に知識を吸収し 事に就くまで漁など経験したこと 50 10 March 2011 March 2011 11 重しを用意する大垣漁業の漁師たち。この石が魚礁を作り出し、新た に豊かな海の生態系を生む い。今後、定置網がアンバランゴ 完成した定置網をコンテナに詰む研修員。この “富山からの贈り物” が、 スリランカの漁業再生のカギを握る 定置網の編み方を教える漁師歴50年の浦上さん (左から3人 目)。漁が終わった後も、資機材の保守や管理方法などについ て付きっきりで指導してきた。2005年に津波の惨状を直接目に して以来、 「 途上国の漁業を救いたい」 と 「地球の夢」の活動に も精力的に取り組む 富山に到着し、地元メディアの取材 を受けるガンガさん(左) とガミニさ ん。連日、研修の様子が報道される など、富山の伝統漁法を生かした国 際協力には地元の人々の大きな注 目と期待が集まっている 02 05 アンバランゴダの漁村。かつては魚が豊富に捕れたが、津波の被害 に加え、水産資源の減少や護岸ブロックの影響で、漁獲量が減り 続けている
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