どうたくん すえちゃん No.26 これは何だろ しりょうかん にある なぞの印鑑 の巻 う? いんかん いぼごう これは、伊保郷 いん どう 印といって、銅 でできた古い印 いつの時代のものだろう? 鑑だよ! へいあんじだい 平安時代から伝わる古い でんけん いん とち 印で、田券とよばれる土地 もんじょ お 文書などに押したといわれ ているよ! どこで見つかっ たの? ほ み ち く い ぼ じんじゃ い ぼ こがわら しゅつどち な ら 伊保郷印が見つかった保見地区は、射穂神社や伊保古瓦出土地など奈良、 ぶんかざい いせき 平安時代の文化財や遺跡がたくさんあるから、人々が昔から住んでいたとこ ころもごう たかはしごう ちめい ろだったんだ!豊田市内ではほかにも、挙母郷、高橋郷などの地名が、奈良 へいじょうきょう かわら もっかん 時代の平城京で見つかった瓦や木簡に出てくるよ! 伊保、挙母、高橋という名前は、奈良、平安時代からある、とても古い地名なのね! みん ぐ しょう かい 民具紹介 くすり どうぐ や げん 薬を作る道具 ― 薬 研 ― やくそう ①薬草をくぼみにいれ る。 やげん 薬研は、みんぞくしりょうかんにある ので、見に来てね! と て りょうて ②取っ手を両手でもち、 えんばん ぜんご うご 円盤を前後に動かす。 薬研の使い方 やげん お ま 薬研は押しつぶして混ぜ合わせるこ どうぐ やくそう くだ とができる道具です。薬草などを砕い こなぐすり て飲みやすい粉薬にします。 花火の火薬をつ くる時も使ったん だって! こな あつ い もの ③粉を集めて、入れ物 うつ に移す。 し な い し せ き 市内の史跡へ行ってみよう! ど う ど ち ょ ぼ く じょう あ と 百々貯木場跡 むかし やはぎがわ じょうりゅう か つ ざいもく まるた 昔は、矢作川の上流で買い付けた材木をいかだや丸太のま よこ せい ま川に流し、百々の貯木場に集めました。貯木場の横には製 げんざい 現在の貯木場のようす ざいしょ おおぜい 材所があり、大勢の人々がはたらき、にぎわっていました。 こしどはつでんしょ けんせつ なが 矢作川に越戸発電所とダムが建設されるといかだ流しがで りくじょうゆそう きなくなり、またトラックなどの陸上輸送もさかんになると、 ここはつかわれなくなってしまいました。 ひ ら と ば し ふ き ん 平戸橋付近のいかだ流しのようす やはぎがわ きしべ ふね うんぱん 矢作川の岸辺にあり、船やいかだで運搬すること がさかんだったようすがわかります。 たいしょうじだい 大正時代の貯木場のようす 猿投 杜若高 猿投台中 青木小 文 文 豊田勘八IC 文 平戸橋東 平戸橋 平 戸 橋 状線 外環 天王川 オオダシ ナカダシ 越戸 矢作川 ざいもくしょういまいぜんろく 貯木場は百々の材木商今井善六によって大正7年 いしがき すいもん かこ (1918)につくられたものです。石垣や水門で囲 くかく まれた区画が、当時のまま残っています。 平成記念橋 高橋町 文 木をいかだに 平井小 今井家住宅 高橋中 市木小 文 組んで運んで 鞍ケ池公園 いたんだね。 153 町1 陣中 新豊田駅 高橋 153 町 ●市役所 久澄橋 248 矢作川 5 分 上挙母駅 豊田 新上挙母駅 上挙 豊田大橋 挙母 至松平 至名古屋 ●市役所 母4 IC 15 豊田市駅 155 町 東新 至足助 153 小南 挙母 くらしをまもるための知恵や苦労を知ることができます! フランテ 職業訓練所 平芝 活動を続けていました。古くから伝わる消防の道具から、 陣中町1 郷土資料館 ︻郷土資料館への行き方︼ 名鉄﹁梅坪﹂駅から南へ徒歩 分 名鉄﹁豊田市﹂駅から北へ徒歩 分 とよたおいでんバス﹁陣中一丁目﹂から徒歩 名鉄三河線 愛知環状鉄道 3 専門学校 梅坪駅 愛環梅坪 旧図書館 Ⓟ N 人々はさまざまな道具を使って火事を防ぎ、火災予防の お問い合わせ先 豊田市郷土資料館 〒471−0079 豊田市陣中町1−21 電話 32−6561 E−mail [email protected] ホームページ http://www.toyota-rekihaku.com たくさんの材 ココ 文 至瀬戸 7月3日(火)∼10月21日(日)、しり ょうかんでは企画展「古い道具と昔 のくらし∼くらしをまもる人々∼」 をやってるよ!(月曜休館) しりょうかんだより No.26 平成24年7月13日発行 しりょうかんだより No.26 平成24年7月13日発行 岩本川 道 車 動 自 状 環 海 東 大正時代の ようすがそ のまま残っ ているのね。 10
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