フ タ リ - タテ書き小説ネット

フタリ
千重
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タテ書き小説ネット[X指定] Byヒナプロジェクト
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注意事項
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うぞ。
タ
リ
︻小説タイトル︼
フ
︻Nコード︼
N1968BN
︻作者名︼
千重
︻あらすじ︼
聖霊付きと呼ばれる、聖霊を操れる人々が、聖霊と共に鬼︵人の
悪意の具現化したもの︶と戦います。
聖霊付きの孤児たちと兄弟のように身を寄せ合って生きる主人公た
ちの物語です。
1
好きとは言えない︵前書き︶
そんなに戦闘シーンは無く、恋愛中心の物語です。
2
好きとは言えない
︻prologue︼
私が兄に出会ったのは、私の六歳の誕生日だった。
目の前で、両親が殺された日でもある。
その日は自営している武器屋を休み、家族3人で夜を過ごす約束を
していたから、私は母のお手伝いをしながらカレーライスを作って
いた。
突然耳をつんざく様な銃声が聞こえたかと思うと、私は母に側にあ
った戸棚の下に押し込まれた。
戸棚の隙間から光が差し込んでいたので、私は必死に目を凝らして
その隙間から外の様子をうかがう。
その間も、何人もの男の怒声と何発もの銃声が聞こえる。
一度、一際激しい発砲音の中で母の叫び声が聞こた気がした。貧民
層が集まる街で、毎日誰かが殺されるのは当然の様に思っていた筈
なのに、いざ私の番になると途端に恐怖に身が固まる。
戸棚の中から、殺人犯達の動き回る足だけを見て、息を殺し、両親
のおびただしい血の海が私の居る戸棚のすぐそばまで床を浸食して
いるのを見て、そして両親が血溜まりの中で息絶えているのを見て、
悲鳴を上げそうになるのを堪える。
3
頭が痛くて、視界が揺れて、呼吸が苦しくなり、吐き気がした。
︱︱代われよ。︱︱
誰かがそう囁くのを聞いて、私はゆっくり目を閉じた。
*
**
*
次に目を開けた時、私は誰かに背負われていた。黙々と私を背負っ
たまま歩き続ける。
その人は、大人では無いと感じた。
﹁起きたか?﹂
私の混乱を悟るように優しく声をかけられ、私は﹁うん﹂と頷いた。
﹁残念だったな、親父さん達⋮︱この世界じゃ珍しく良い人たちだ
った。﹂
今度は﹁うん﹂と返事も出来無かった。涙と鼻水で息苦しくて、シ
ャックリが止まらなくなる。
4
その人は無言でしばらく歩き、とある無理に増築した様なボロ屋に
入った。
入ってすぐの居間らしき場所にあるソファに私を座らして、その人
は私の顔や腕や足を綺麗にし、私の知らぬ間についていた体の傷を
手当てしながら、他愛無い話をした。
私はずっと為すがままになっていて、会話の内容は覚えて居ない。
兎に角、眠気と不安がごっちゃになって、ずっと泣きながら見知ら
ぬ筈のその人を離さなかった。
その人は苦笑しながら抱きしめて添い寝をしてくれた。
いつの間にか泣き疲れて眠っていたらしい。
何時間ほど経っていたのか、目が覚めた時には1人でソファの上に
居た。
背後で物音と良い匂いがするので、寝返りを打ってみると、目の前
の台所に女の人が立っている。
気づけば、﹁お母さん?﹂と聞いていた。
髪の長さも色も違う。身長も体格も違うのに、聞かずにはいれなか
った。その女の人は、振り返ると眉尻を下げて首を横に振った。
﹁違うよ。﹂碧く澄んだ優しい目をしたその人は、こちらへ近づき
目線を合わせる様にして私の前に膝を着いた。
﹁私はセリナと言います。みんなは芹と呼ぶの。﹂
5
美しい金色の髪をしたその人は、私の手を握りしめて言葉をゆっく
り続けた。
﹁アナタは?﹂
﹁み⋮︱﹂
﹁ただいま。﹂
言葉に出来ないまま、割り込んできた声の主を凝視する。
今し方まで誰も居なかった空間に、突如として昨夜自分をここへ連
れてきた男が現れた。
﹁睦月、早かったのね。﹂
﹁そりゃ色々あるしな。まとめて説明したいから、真を呼んでくれ。
﹂
女の人は、﹁分かった﹂と答えると奥にある階段を上って行った。
﹁よく寝れたか?﹂その人が私の横に座ってきながら聞いた。
6
﹁うん。﹂
﹁そうか。﹂
それっきり黙ったまま、セリナが誰かを連れて階段を軋ませる音を
待つ。
﹁連れてきたよ。﹂
セリナが向かいの椅子に腰掛けると、その隣に私より少し年上で何
故か傷だらけの少年が座った。
一呼吸おいて、その人が話し出す。
﹁この子が何時も世話になってた武器屋の娘さんで満月だ。満月、
女の人がセリナで隣が真、俺は睦月だ。﹂
私が頷くのを確認すると、睦月と名乗った男が言葉を続ける。
﹁残念ながら、武器屋さんは亡くなった。だから、満月はこれから
俺達の家族になる。これは俺と武器屋さんの約束だから違えるつも
りは無い。﹂
私は、酷く間の抜けた顔をしていたと思う。問い返そうと口を開よ
7
り先に、目の前の真という少年が口をきいた。
﹁その武器屋さんを殺した奴らは?﹂
﹁死んだ。﹂
簡潔に答えられた言葉に全員が目を見開いた。
間をおいて睦月が説明を付け足す。
﹁⋮︱俺は武器屋さんに何かあった時には分かるように細工された
ベルを持ってる。それが昨夜鳴って、すぐに武器屋に向かった。殺
人犯は6人居たが、俺が着いた時には2人死んでた。あと4人の内
1人は瀕死、残りの3人は満月と斬り合っていた。﹂
﹁⋮は?﹂
真の声が強張る。セリナは複雑そうに眉をひそめた。
﹁満月は親父さんから戦闘の手ほどきを受けてる。とはいえ、半分
“鬼化”した人間を殺してるんだから、なかなかの腕だと思う。⋮
︱ともかく、俺は残り4人の息の根を止めて、気絶した満月をつれ
て帰ってきた。﹂
﹁嘘だろ⋮﹂
8
﹁それが本当なんだな。﹂
真に軽く応えると、睦月はおもむろに満月と向かい合った。
﹁俺達の仕事の説明をする前に、お前に渡すものがある。﹂
そう言うと、ソファの下を探って、長い包みを取り出した。
﹁誕生日おめでとう。﹂
自分より大きい包みを持たされキョトンとしていると、セリナが開
けるように急かす。
真は何やら呟いて台所に向かった。
包みを破ると長方形の黒い箱が出てきた。固い金具を苦心して開け
ると、深紅の日本刀と紅い蝶の模様を掘られた護身用の白い小刀が
現れる。
﹁見事な刀だな⋮﹂
睦月はそう呟くと、触って良いかと私に確認し、深紅の日本刀を手
に取る。
彼が柄の部分を何やら触ると、柄の半分が取れて刀が現れた。
﹁なるほど、柄が長いと思ったが⋮︱両刃刀ね。﹂
9
﹁満月、刀の扱いは分かるか?﹂
﹁私は⋮︱知らない。﹂
﹁私は?﹂
セリナが聞く。そこへ真が晩ご飯を持って現れた。
﹁細かい話は明日にしよ。腹が減った。﹂
ドカッと椅子に座ると、そのままお握りと骨付き肉を掴んで食べだ
す。
﹁そうだな。満月、明日、俺は夜しか居ないが、1日中真が居るか
ら、面倒みてもらえ。﹂
﹁うん。﹂
﹁真、分かったな?﹂
﹁わぁがった!﹂
口いっぱいにほうばりながら元気に返事をする真の頭を撫で、睦月
はセリナを送ってくると言って2人で部屋を後にした。
10
玄関の扉が閉まる音がすると、彼はお握りと骨付き肉を皿に置き、
まじまじと満月の顔を眺める。
3歳も下じゃん。﹂
10秒ほど遠慮なく眺めた後、﹁お前、いくつ?﹂と聞いた。
﹁6歳。﹂
﹁まじで!?
﹁そうだよなー。ちっこいと思ったー!﹂と言いながら、彼はお握
りと肉とポテトサラダを小皿に盛り、満月へ差し出す。
﹁ありがとう。﹂
満月はご飯を目の前にして、急に鳴りだしたお腹の音を聞いて、昨
夜から何も食べていない事に今更気づく。
真から小皿を受け取ると、彼に習ってお握りにかぶりつくき、息つ
く間もなくムシャムシャと一皿食べきった。
﹁美味しい。﹂
﹁だろ?セリナさんは料亭の若女将なんだ。まだ14歳だから見習
いってやつらしいんだけど⋮お代わり要るだろ、皿貸せ。﹂
満月の皿にお代わりをよそってやりながら、真は明るく話つづける。
11
﹁睦月兄さんは16歳⋮あ、セリナさんは兄さんの彼女なんだ。兄
さんはずっと小さい頃から鬼狩をしてて、今はアンブってソシキに
居るんだって。﹂
﹁オニガリ?﹂
﹁うん、鬼を消滅させるんだ。﹂﹁ふーん?﹂
小皿を受け取り、今度はゆっくり噛みながら話を聞く。
﹁鬼が人の悪意の結晶なのは知ってるだろ?﹂
﹁ううん、知らない。﹂
﹁⋮︱まじで?﹂
そう彼が唖然として呟いた時、テーブルの上の無線から睦月の声が
した。
﹁真、仕事が入った。今夜は帰れないから頼んだぞ。満月、ゆっく
り休めよ。﹂
一方的に話し終わると、ブツッと無線が切れた。
12
﹁まぁ⋮こんな感じで毎日忙しいんだ。明日も、本当に帰って来れ
るか分からない。﹂
﹁そうなんだ。﹂
﹁⋮食おうよ、残すの勿体ないしな。﹂
それからは他愛ない話をした。字は読めるか、学校へは行くのか、
好きな食べ物はなんだ、嫌いな食べ物はなんだ、やりたい事はなん
だ⋮︱
食べ終わって満月と一緒に片付けなが、ら真はずっと話続ける。
満月が寂しくないように、不安にならないように、出来るだけ両親
の悲しい出来事を思い出さぬように。
片付けの後は一緒にお風呂に入って、お湯かけ合って、シャボン玉
をとばして、シャンプーしながら髪の毛で角も作った。
風呂を出れば、セリナが買ってきてくれていたパジャマを渡して着
替えさせ、自分も手早く着替えて自分と満月の傷の手当てをする。
﹁真は優しいね。﹂
﹁え、そうか?﹂
13
満月の腕に包帯を巻いてやりながら真が応える。
﹁うん、お兄ちゃんみたい。﹂
﹁⋮︱家族だから、俺は満月の兄さんだよ?﹂
﹁そうなの?﹂
﹁そうだよ。俺と睦月兄さんも血は繋がってないけど兄弟だしね。
満月と兄さんも兄妹だよ。﹂
﹁そうなんだ。﹂
不思議そうな顔をする満月に笑いかけ、真は自分の足に軟膏を塗り
ながら﹁そのうち分かるよ。﹂と言い切る。
﹁もう寝るよ、満月は俺と一緒の部屋なんだ。﹂
軟膏を腕に塗りながら歩く真に連れられて二階へ行く。
慣れた様子から、傷が日常茶飯事に出来る生活をしている事が伺い
知れる。しかし、満月が知っているやり方の修行をするにしては、
どうも傷が多すぎる気がした。
﹁ね、なんでそんなに傷が多いの?﹂﹁そんなに多いか?学校行っ
たり兄さんと修行してる内についちゃうんだ。﹂
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﹁ふーん。学校って怪我する事するの?﹂
﹁うーん、授業によるかな。実技の授業とか怪我するけど、勉強の
授業は怪我しないし⋮﹂
﹁ジュギョウ?﹂
﹁えっと⋮まぁ行けば分かるよ。﹂
ふーん、ジュギョウというやつのジツキというものは怪我をするら
しい。
満月はそれ以上聞かず真に続いて部屋に入った。
真っ先に、部屋の3分の1ほどの面積を仕切っている白いカーテン
が目に飛び込む。
﹁あの白いカーテンの向こうが満月の部屋な。﹂
﹁うん!﹂
﹁で、こっちのベッドとクローゼットは俺、机は1つしか無いから
な。﹂﹁分かった!﹂
元気よく返事をすると、満月は白いカーテンを勢いよく開ける。
15
大きなベッド、クローゼットと鏡と棚、壁には武器を置くための金
具が取り付けられていた。
﹁すごい⋮︱あっ!﹂
棚に写真立てが置いてあるのに気づき手にとってみると、いつの間
に拾って来てくれたのだろうか、昨年満月が両親と撮った写真だっ
た。
﹁⋮︱満月が寝てる間に兄さんが裏の森にお墓を作ったんだけど、
その時一緒にもってきたんだ。﹂
写真立てを持ったまま固まっている満月に、真がそっと近づいて話
しかける。
﹁あっ⋮明日さ、兄さん帰ってきたらお墓参りに行こうな!﹂リア
クションどころか、固まったまま動かない満月の前に回り込む。
目に涙をいっぱい溜めたまま我慢している彼女は、まるで彼の妹の
様で彼は困惑した。
仕方なしに、母が妹を慰める時と同じように頭を撫で、母の言葉を
真似してみる。
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﹁“泣きたい時は泣いていいんだよ”﹂
足が悪くて、みんなと同じ事が出来ないと悔し涙を流していた妹、
気が強くて優しい妹。その妹に付き添う何時も笑顔の母。
懐かしいセリフを口に出すと、家族の事を思い出して苦しくなる。
いや、忘れていた事なんて一瞬もない。いつだって優しい声が頭に
聞こえてる。
今も、﹁慰めてあげなさい。﹂と母の声がする。
しゃっくりを上げながらボロボロと泣いている満月の頭を撫で続け
る。
﹁しっ真は、泣かッないの?﹂
しばらくしてしゃっくりが治まってくると、満月が突飛な事を言い
出した。
﹁なんで俺が泣くんだよ?﹂
﹁だっ⋮だって、泣きそ、な顔してる。﹂
﹁んなわけ無いだろ。男は泣かないんだ!﹂
17
﹁なんで?﹂
﹁男だから!!﹂
すっかり泣き止んで不思議そうな顔をする満月から手を離して、﹁
お休み﹂と言い自分のベッドに戻る。
しかし、なぜか満月まで枕を持って一緒に付いて来てしまった。
﹁なに?﹂
﹁一緒に寝ていい?﹂
﹁⋮︱いいよ。﹂タオルケットに2人でくるまると、彼女は安心仕
切ったようにすぐに寝息を立てだした。
真はこの時知る由もない事だったが、この先四年間続く習慣になる
初めの日になった。
+−−+−−+−−+−−+−−+−−+−−+
次の日、真に連れられて山菜採りをした。山菜を教えてもらいなが
らどんどん籠に入れて、昼前には籠いっぱいになった。
山菜採りの間中、真は満月に学校や階級ごとの巨大な壁の仕切りの
事、関所の事など、今まで満月が知らなかった話をずっとしてくれ
18
ていた。
今までは知らなくても良かったが、学校へ行くなら知らなきゃいけ
ないのだそうだから、満月も真剣に聞いている。
話の流れで、帰り道に来週から行く事になる学校を遠回りして見に
行ってみる事になる。
どうやら、満月たちが住む家は街の外れ、学校も隣町の外れにある
ので距離は近いらしい。
学校というのはかなり巨大な建物で初等部棟と中等部棟と寮棟があ
り、初等部には五年、中等部には四年間在籍する。
ただし、11月末、3月末、6月末に行われる進学試験で実技と教
養のどちらの科目にも合格すれば、その時点で実力相応の上の学年
になる。又、実技か教養のどちらかのみの合格の場合は、合格した
方のみ実力相応の上の学年で受けるらしい。
﹁だから、満月は1年生から始まるけど、今月末の試験に受かれば
二年生になれるよ。勉強は教えてあげるし、実技は余裕でしょ。﹂
そう言って真は笑うのだ。
かく言う当人は9歳にして実技は既に中等部の四年と一緒の学年ら
しい。教養は初等部の五年生と同じなので棟の移動が大変だとぼや
いていた。
満月が﹁なんだか良く分からなくなってきた。﹂と呟く頃、目の前
19
に白い巨大な建物の群が現れた。
﹁あれが学校。﹂
真が指を指す。
﹁で、ずっと向こうに見える塔が上流民と中流民を分ける関所。﹂
﹁ふーん、すっごく大きいね。﹂
﹁そうだね。確か、この学校はこの国にある学校の中でも一番大き
じゃあ、あのセキショの向こうは何があるの?﹂
いんだよ。﹂
﹁すごい!
﹁あの関所の向こうはねー⋮﹂
急に真が話を止めて立ち止まる。
満月が不思議そうな顔をして服の裾を引くと、真に気配を消して近
くの茂みに隠れているように言われる。
﹁何があっても絶対に出てくるな。﹂
凄みを聞かせて言われ、満月は何が何だか分からないまま頷いて近
20
くの茂みに身を隠した。
息を殺して1分、向こうから人が1人歩いて来るのが見える。
見たところ、真と同い年か少し年長といったところか、黒髪の少年
だ。
ただ、真の緊張感が少し離れた満月まで伝わってくるのに、対する
少年は真を見てニヤリと嫌な笑い方をしたが、余裕綽々の態度で近
づいて来る。
﹁よぉ。﹂2人の距離が2メートルも無いくらいの位置まできて初
めて、少年が話しかけた。
﹁あんなに痛めつけたのに⋮元気そうじゃねーか。﹂
﹁⋮⋮︱。﹂
ニヤニヤと嫌な笑い方をしている少年に対して、真は黙って戦闘体
制をとる。
満月は唐突に変に多すぎる真の怪我の理由を理解して、昨夜もらっ
た小刀に手をかけた。
出てくるなと言われても、みすみす見殺しになんてしない。
﹁せっかく見舞いに行こうと思ったのに。﹂
21
﹁来るな。﹂
﹁そうかよっ!!﹂
少年が柄に手をかけた。と満月が思った時には真が後ろに吹っ飛ば
されていた。
しかし、少年も地面に片膝を着く。
相打ち。
﹁⋮︱っ﹂﹁悪いが、負けない。﹂
真が頬から流れ出る血を拭って再び構える。今度は亀の甲羅模様が
真の体全体に現れていた。
一気にヤバい気配が膨れ上がる。
少年は、今度は本当に狂喜したような歪んだ笑みを浮かべて、刀を
構え直す。
彼が一歩間合いを詰めた瞬間、ほとばしる冷たい気配に満月は逃げ
ヤバイ︱︱
出したくなった。
︱︱コイツハ
そう本能が訴える。
22
真の実力だって半端じゃない。
なのに、コイツはその上をいく。
満月はゆっくり一呼吸すると、山菜を入れた籠についていたスカー
フで目だけ出して顔を隠し、パーカーのフードをしっかり口を締め
て被った。真の服を借りているのが幸いして、女には見えないし、
私だとは分かりっこない。
小刀を山菜籠の中にしまい、身の丈程の紅い刀を手に持った。
目の前では、ジワジワと2人が間合いを詰める。
満月は、初めて自分から自分の中の誰かに語りかけた。
︱︱代わって、アイツを殺さずに真を助けて︱︱
︱︱あいよ。︱︱
いつだって満月が危険な時には代わってきた声の主が応える。
同時に、満月はフッと意識が遠のくのを感じた。
*
**
*
ヤツの間合いまで後3歩。
23
真は平静を装って慎重に距離を測る。
いつもなら、ヤツの気が済むまでやられていれば良いが、今回はそ
うもいかない。
満月を守らなくちゃいけない。
ジリジリと縮まる間合い。
その間合いが触れるか触れないかで真は飛び込んだ。
左ストレートを当たる寸前でヤツの右手が阻む。
ヤツの刀は右腹に軽く切り込んだ所で俺の右腕が阻んでいた。
﹁ウッ⋮﹂
不意にヤツの喉に紅の刀身が押し当てられて血がにじむ。
﹁ッ⋮︱!?﹂
﹁誰だテメェ!!﹂
より首にめり込んだ刀身を感じて、ヤツの眉間にシワが寄る。
﹁刀を収めろ。﹂
24
その冷たい声は、満月ではなく知らない誰かのもの。
不意に合った目には何の感情も映されて無い。
﹁テメェ、何なんだ!?﹂
﹁収めろ。﹂ヤツの声を遮って、満月である筈の子は冷たく言い放
つ。
一向に首に押し付けられた刀の力が緩まない事を悟ったのか、舌打
ち混じりでヤツが刀を収めた。
俺も拳を引いて距離をとると、その子も刀を収めると同時に一気に
距離をとってヤツから離れた。
﹁なんなんだテメェは!!﹂
激高したヤツにもその子は動じもせずに﹁通りすがり。﹂とだけ答
えた。
再び刀に手をかけたヤツの動きが止り、呻き声と共に膝から崩れる。
真、テメェ⋮﹂
﹁動くなよ、神経毒だ。﹂
﹁コイツ⋮!!
﹁不意打ちをしたのはそちらなのに、助太刀を疑うか?八つ当たり
か?みっともない。﹂
25
年齢不相応な態度でヤツに釘を刺す満月。
呻き声を上げながら、なお殺しそうな眼力で睨みつけるヤツを後目
に、満月は言葉を続ける。
﹁お前は三時間ほど寝ていろ。で、そっちの人には道案内を頼みた
い。﹂
﹁あ、はい。﹂
満月なのに満月でない雰囲気に気圧されて他人行儀な返事をする。
﹁ここなんだが⋮﹂
そう言って渡されたメモには、山菜籠の隠し場所と他人のフリをす
るようにと書かれていた。
﹁一緒に行きましょう。﹂
﹁助かるな。﹂
真はすぐさま山菜の籠をとってくると、満月でない誰かと連れ立っ
て歩きだす。
2人は黙ったまま家路についた。*
26
**
*
﹁で、君は誰?﹂
家に帰り着き、満月に手伝ってもらって脇腹の手当てをした後、真
は単刀直入に聞いた。
﹁名前は無い。⋮⋮もう1人の満月とも言えるが、この名称は嫌い
でね。﹂
パーカーとズボンを脱ぎ捨てシャツ一枚になり、刀のホルダーを白
い小刀だけ残して付け直す。
“常に武器は身につける”
慣れた仕草はその子が数多の訓練を積んだ者という証拠。
真紅の刀はテーブルに置くとその子はソファに腰掛けた。
﹁満月は?﹂そう聞くと、その子は自分の胸を差して﹁寝てるよ、
僕である時、自分が何したか彼女は覚えてない。﹂と言う。
﹁二重人格でね。そろそろ時間だから満月と代わる。﹂そう言うが
早いか、ソファに寝ころぶと寝息を立てて寝始めた。
27
﹁二重人格⋮?﹂
聞き慣れない言葉を復唱して、真は満月に手近にあったバスタオル
をかける。
ま、兄に聞くか。
良く分からない事はいつも通り兄に聞くことにして、真は家事を片
付けておくことにする。
山菜を洗って、次に満月が脱ぎ捨てた服を洗濯機に放り込み、真紅
の刀を得物掛けに掛けて、洗濯物を取り込んでたたむ。
だいたいたたみ終えた頃、玄関のドアが開く音がした。
﹁ただいま。﹂
兄の声と共に、何か呻き声がする。
物凄く嫌な予感を抱きながら、たたんだ服を急いで片付ける。
﹁お帰り。﹂
﹁道に伸びててな、拾ってきた。﹂呻き声を上げるヤツをソファに
座らして、水を渡している兄を引っ張って部屋の外へ連れて行く。
﹁なんだ?﹂
28
怪訝そうな顔をする兄を玄関まで連れ出して、﹁アイツ伸ばしたの
は満月なんだよ。﹂と小声で囁き、簡単に二重人格が出てきた事を
説明する。
﹁は?﹂
と言って兄の口角がヒクヒクと引きつる。
﹁で、今寝てるのは?﹂
﹁満月だよ。だけど、代わっていた間のことは覚えてないってもう
一人の子が言ってた。﹂
兄は逡巡した後、﹁とりあえず毒を抜こう。﹂と言い切る。
﹁確か、神経毒で三時間は動けないって言ってた。もう二時間経っ
たけど。﹂
﹁なら、水をたらふく飲ませておけ。﹂
﹁分かった。﹂真が返事と共に部屋に引き返すと、睦月は携帯でセ
リナに今日は来るなと伝言を残す。
29
﹁なんつう化け物を⋮﹂
彼は、武器屋が生前から娘を自分に頼んでいた意味を悟って溜め息
をついた。
﹁水。﹂
ヤツの体を起こして飲ましてやる。
汗だくで顔も真っ青、その上熱が出ているのか熱い。
ゆっくり一口飲ませてやると、ヤツは荒い息をして目を閉じた。
﹁飲んだか?﹂
﹁一口。﹂
睦月は頷くと﹁どうやら、熱が酷くなったな。動けるようになるま
でこのままだな。﹂と呟き、満月を揺すって起こした。
﹁おかえりなさい。﹂
﹁ただいま。満月、場所を代わってくれ。﹂眠そうに起き上がった
満月の頭をくしゃくしゃと撫で、兄はヤツに近づいて抱え上げる。
満月はソファを下りると、目を見開いて真に抱きついた。
30
﹁真っ!﹂
﹁っ⋮⋮アイツは兄さんが連れてきたんだ。﹂
抱きつかれた衝撃で脇腹に痛みが走ったが、呻き声を噛み殺して、
満月を離させる。
腰を落として彼女と視線を合わせ、言葉をつなぐ。
﹁満月が眠いっていうから山菜採りを途中で止めて帰って来たろ?
満月が昼寝している間に俺はまた山菜採りに行ったんだぞ。﹂
﹁そうなんだ⋮﹂
﹁ま、今度はちゃんと最後まで手伝うんだぞ。﹂
﹁うん。﹂腑に落ちない顔をする満月に、身振り手振りを加えて話
すふりをして、山菜採りの間に教えた“話を合わせろ”の合図を送
る。
満月にキチンと意図は伝わったらしく、彼女は目をキラキラさせて
頷いた。
﹁真、俺は仕事があるからまた出かける。晩御飯は宜しくな。満月、
ソイツの看病をしてやれ。今日は三時間ほどで戻れる筈だから。﹂
31
そう言って、睦月は居間の壁に掛けてある武器を次々に身に付け、
出発の準備を整える。
彼は、出て行きざまにソファで寝るその人にボソッと何かを耳打ち
すると、満月の頭を撫で、真の肩を叩いて玄関へと消えた。
﹁満月、その人の頭のタオルを替えて。﹂テーブルに水の入ったお
けとタオルを数本用意して真が言う。
﹁替えかた分かる?﹂
﹁うん、やったことあるよ。﹂
﹁じゃあ頼むね。こっちは水だから、欲しそうならあげてね。﹂
透明な小さな急須を満月に見せ、彼女が受け取るのを確認すると、
自分は料理に専念することにして台所へ立った。
﹁大丈夫?﹂
荒い息をする少年に聞いてみる。
やはり、どう見ても先ほど真と喧嘩した黒髪の少年なのだ。
いったい、もう一人の私は何をしたのだろう?
32
﹁み、、ず﹂
掠れた痛々しい声で彼が呻く。
満月は小さな急須を傾けて、寝ている彼の口へ少しずつ注ぐ。
何度目かに顔を背けられ、要らないのだと解釈する。
次に頭に乗せたタオルを交換して、急須の水を足しに行くついでに
解毒草が無いか真に聞いてみた。
﹁うーん、何の毒かも分からんし⋮とりあえず解熱剤でも飲ましと
くか。﹂
真はそう言うと少年のもとへ行って、上半身を支え起こす。
﹁意識はあるんだろ?解熱剤飲めるよな。﹂
その声に、少年がうっすら目を開ける。
世にも珍しい紅色の瞳がゆっくりと焦点を結んだ。
﹁て、め⋮ダレに⋮﹂
﹁元気そうだな。満月、このビンから3つ取り出して。﹂
33
満月が渡された小瓶から3つ錠剤を取り出して真に渡す。
真は問答無用で少年の口をこじあけて錠剤を入れた。
﹁満月、水。﹂
再び彼女が真に水を渡すと、彼は水を少年に飲ませ吐き出さないよ
うに顎を上に向けた。
﹁ま、しばらく寝とけ。﹂
少年をソファに寝かすと、真は台所へと戻る。
あまりの手荒さにヒヤヒヤしながらも、満月はむせ込んでいる少年
にそっと近づく。
﹁だいじょーぶ?﹂
顔を覗き込むと、紅い瞳と目が合う。
﹁誰だ⋮よ。﹂
﹁満月。﹂
34
彼女がじっと目を合わせたまま答えると、彼は眉をひそめて目を閉
じ、寝返りをうって満月に背を向けた。
﹁さわるな。﹂それだけ言うと、彼はその体制のまま眠りに落ちて
いった。
﹁満月、ご飯だよ。﹂
真が山菜のおじやを作って持ってくる。
﹁ありがとう。﹂
﹁ん、コイツは⋮寝てんのか。﹂
﹁触るなって言われた。﹂
﹁そっか。解毒剤が効いてきてんだろ、起きたらお粥でも作ってや
るか。﹂
鍋から椀に取り分け、真が満月に渡す。
満月は真の隣の椅子に腰掛け、スプーンを握った。
﹁熱いからフーフーしろよ。﹂
35
﹁うん。﹂
真剣な顔で唇を尖らせる満月を横目で見ながら、真はおじやを一口
口に運ぶ。
︱︱こんなチッサイのに化け物染みてるなんてなぁ︱︱
﹁可哀想だ。﹂と思って、すぐさまそれを打ち消した。
兄曰わく、他人が他人の事を可哀想だのなんだのと、自分の価値観
を押し付けて他人を判断するのは良くないらしい。
﹁でも、﹂と真は思う。
満月はおそらく“聖霊付”なのだろう。
同じく“聖霊付”の自分の勘がそう告げるのだから間違いない。
ただ、“聖霊”に選ばれた人間で、西宮家の血を引く兄や北宮家の
血を引く真でも無いのに“聖霊付”であるためには、それ相応の代
償が要る。
例えば盲目であったり、体をどこか病んだり、寿命が短くなったり
と様々だが、人間としてどこか欠けてしまうのだ。
満月の場合はおそらく、二重人格の満月でない側が、身体が無い精
神が“聖霊付”となることで条件を満たしている。
ヤツに神経毒をかけたあの戦闘能力がそれを証明しているのだ。
36
﹁真?﹂
満月の声に現実に引き戻された。
﹁え?﹂
﹁おかわりって言ったの。﹂
﹁あ∼ごめんごめん。﹂
すぐに器によそってやり、自分の分も食べ始める。
まだ、ヤツに起きる気配はない。
*
**
*
﹁真、まだ起きてたのか?﹂
ドアがそっと開いて、睦月が顔を出す。
既に時刻は深夜を回り、満月はバスタオルにくるまってソファで寝
37
ている。真のみが時たま少年の汗を拭いたり、タオルを満月にかけ
直したりしていたようだ。
﹁おそいよー。﹂
﹁すまんな、手間取った。﹂
真の頭を撫で、彼は少年の様子を窺う。
﹁起きなかったのか?﹂
﹁うん﹂と真が言うと、睦月は少年の脈を取りながら独り言のよう
に小さく呟く。
﹁解熱剤が効いてないわけでは無さそうだが⋮体質的に毒と合わな
かったか、神経使って悪化させるまねをしたかのどっちかだが⋮︱
後者はコイツならやりかねん。﹂
ため息と共に彼は少年から離れると、ソファと椅子とテーブルを並
べて大きな即席のベッドを作り出す。自分と真たちの部屋からクッ
ションや布団等を持ってきて、寝心地を良くしてから満月を即席ベ
ッドへ移動させる。
﹁真、寝るか。﹂
38
満月の隣に寝転び真に声をかけると、真も満月の隣に寝転び彼女を
抱きしめるようにしてすぐに眠りについた。
*
**
*
朝になるとだいぶ熱が下がったようで、彼は憮然とした表情でソフ
ァに横になっていた。
満月は伸びをして起きあがると睦月と真を目で探す。
してくる
ひるには
かえる。
ふとベッド代わりにしていたソファの1つを見ると、何やら置き手
紙が置いてある。
しゅぎょう
あそびな
おれは
と
でないで
﹃しん
いえから
あさごはん
たべて
りゅうきと
さい﹄
大きく綺麗な字で書かれた手紙は睦月が書いたものだろう。
満月は手紙をたどたどしく口に出して読む。
﹁りぃーきじゃない、りゅうきだ。﹂
39
手紙を読み終えた時、少年が口を開いた。
﹁りゅーき?﹂
言い直した満月に頷くと、パンをよこせと彼は言う。
手紙と共に置いてあったパンを渡すと、彼は黙ってかぶりつき、満
月が半分しか食べ切れて無いのにあっという間にたいらげてしまっ
た。
﹁おい﹂
呼ばれて顔を上げると、龍生がソファに座った状態でこちらに短刀
を向けていた。
﹁嘘をついたら殺す。お前、昨日変な奴見なかったか?﹂
﹁ううん、見てない。﹂
即答する満月に、眉をひそめたまま龍生は質問を続けた。
﹁真が着ているようなパーカー着て、フードで顔を隠した奴だ。﹂
40
﹁見てない。﹂
﹁そうか、、﹂
眉間にシワを寄せたまま、彼は短刀をしまう。
﹁じゃあな。﹂
そう言うなり立ち上がると、部屋を横切り出て行ってしまった。
︻prologue完︼
□■□■□■□■□■□
︻12年後︼
□■□■□■□■□■□
それ以来、彼⋮龍生と会うことはなく。成長する度に酷くなる彼の
素行を噂話程度に兄たちから聞くくらいだった。真は高等部、大学
と進学し、高等部の時から国家警察に所属していたので、21歳と
なった今はなかなか高い位に居る。
私は初等部中等部を10歳で終え、鬼狩のライセンスを取得し、高
41
等部に通いながら睦月と同じ情報部に所属した。
12歳の時コードネームを引き継ぎ、仕事の時は“如月”となった。
もう1人の私に“如月”という名前がついて6年経つ。
表向きはセリナさんが営む料亭の女中として働き、仕事が入れば如
月となる。
真は国家警察の寮に入り、睦月兄さんは仕事で他国へ行き、ここ3
年は音信不通。睦月兄さんと真が居ない代わりに、5年前から燿が、
3年前から薫が一緒に生活している。
セリナさんは生きているかもしれない兄さんを2歳の子供と一緒に
待ってる。
もうすぐ、兄が帰って来ると約束した日が近づいているので、どこ
となく気もそぞろになってきているようだ。
セリナさんに顔出しに行かないとなぁとか思いながら一階に降りる。
﹁おはよう。﹂
﹁おう。﹂
朝起きると既に朝食が作られてある。
早起きの薫が作ってくれるのだ。
42
﹁薫、今日は真と飲みに行くから晩御飯は要らないよ。﹂
分かったと頷く彼女の頭を撫でる。
薫は話せない。声帯に問題があるようだが、治せない。
尚且つ色素異常で色が白く、金髪で、菫と碧のオットーアイ。
更に、15歳なのに10歳程度の身長しか無い。燿は同じく15歳
だが、体つきの良さが原因なのか思いっきりグレている。
相反する弟妹を見ながら朝食をとり、燿に﹁呼び出し食らうなよ﹂
と釘を差し、薫に﹁たまにはサボれ﹂と真反対のアドバイスをし、
仕事に出かける。
セリナさんの料亭に向かう途中で鳴って欲しくもない携帯が鳴った。
﹁なに?﹂
﹁なに?じゃないでしょー、せーっかく頼まれた事調べてあげたの
に。﹂
オカマ言葉と背後の機会音、名前を聞くまでもなく情報部情報課の
エースだと分かる。
﹁ありがとう。で、何か出た?﹂
﹁出た出た、出まくりよー。さすが如月、冴えて⋮﹂
43
﹁やっぱりね、資料宜しく。上には⋮﹂﹁もう掛け合ったわよ︵笑︶
如月に任せろって言われちゃった。﹂
﹁うわ、マジ?﹂
﹁お、お、マ、ジ。私はアナタに伝言と指令を伝えに連絡したの。﹂
﹁なるほど。﹂
﹁潜伏場所は下流西区18番街の廃ビルね、後は諸々不明。ただ鬼
の気配がやたら濃いから気をつけて。﹂
﹁分かった。﹂
﹁じゃ、頑張って!﹂
そう言って通話が切れた。
満月は電話帳から真の名前を探し、電話をかける。
3コール目で出た。
﹁どうしたー?﹂
﹁仕事入ったから諸々終わってから連絡する。﹂
﹁分かった、気をつけろ。﹂
﹁うん、じゃあね。﹂通話を切って、家に一旦引き返す。
44
燿も薫も学校へ行ったようで、家の中は静かだ。
満月は自分の部屋で裸になると、さらしをの巻いて胸の凹凸を隠し、
鏡台に置いてある目の下から肩まで覆うマスクをつけ、肘まで覆う
特注品の革の手袋と同じ素材のズボンを穿き、上はシャツと防弾チ
ョッキを合わせたような防護服を着る。
体つきが分からない様なだふだぶのズボンにパーカーを合わせてホ
ルダーを締める。
最後に髪を纏めて大きめのニット帽に入れ、首からゴーグルを下げ
た。
鏡で完璧に男装した姿を確認し、彼女は再び家を出た。
おそらく、昼過ぎには18番街の目的地に着くだろう。
関所の人間にフリーパスを渡して通り抜けながら彼女は考える。
怪我さえしなければ飲むのに差し支え無さそうだ。
*
**
*
しばらくトロッコに乗って揺られていると18番街に着く。
貧民層の生活水準でビルなんて限られてくるので、直ぐに廃ビルは
見つかった。
45
︱︱代わるか?︱︱
︱︱まだ、大丈夫。︱︱
如月に返事をすると、彼女はビルの裏手に周り、ビルの屋上へと続
く階段を見つけた。腰の変わった形のベルトからワイヤー付きのフ
ックを取り出して、遠心力を使って高く投げる。
フックは屋上の柵に巻きついて止まった。彼女はベルトの金具を操
作してワイヤーを自動で巻き上げると、彼女の体はあっという間に
屋上に着いていた。
︱︱さて⋮どうするか︱︱
彼女はフックを回収し、首に下げたゴーグルを目に装着しながら考
える。
鬼の気配が濃いと言うのならば、半鬼化した人間が少なからず居る
し、既に鬼化した奴らもいるかもしれない。
そうなると、完全に鬼化した奴らは人間の殻を被った悪魔だから肉
体が死のうが魂が消えようが関係無い。
かなり厄介だ。一旦催眠ガスで眠らせてみるか?
︱︱状況確認が先︱︱
46
頭の中で如月が冷静に答える。満月はごもっとも過ぎる如月意見を
聞く事にして、屋上のドアを静かに開け、下へ降りる。
隅に身を寄せ、ナイフの刀身で人の存在を確認すると、やはり見張
りらしき人間が居る。
人間らしい容姿から、悪くて半鬼化して数年程度だと推測する。
ちなみに、完全に鬼化すると外見が人では無くなる。
取りあえず、満月は背後に回り、ナイフで首を掻き切った。
途端に中から音もなく噴出する黒いもや。
これが鬼の原型と言わんばかりの禍々しい気配を纏って下の階に降
りていく。
もやは、新たな拠り所を探す為により濃いもやを持つ者の元へ行き、
吸収される。
︱︱代われ、気づかれたかもしれん︱︱
脳内で声がして、私の意識は暖かい闇に包まれた。ゆっくり目を閉
じた彼女が次に目を開けた時、彼女の穏やかな垂れ目は鋭く殺気を
込めた瞳に変わっていた。
︱︱さて、様子を見るか。︱︱
僕が表に出ていれるのは、調子が良くて6時間。手こずれば死活問
47
題だ。
彼は日本刀の柄の細工を外して刀身を出し、敵が居ないか確認して
階段を降りていく。
階段の踊場まであと5段で到達しようとした時、激しい揺れに襲わ
れた。
ドンッと突き上げるような激しい揺れに、バランスを崩して階段か
ら落ち、壁に激突寸前で体制を立て直す。
尚も断続的に続く揺れと爆発音に嫌な予感しか感じられない。
反射的に窓からビルの裏側を覗くと白煙と瓦礫が積み重なっている
のが分かる。階下に敵が居ない事を確認し、階段を降りて窓からビ
ルの表側を見ると、白煙と瓦礫と敵と、バカデカいジープが見えた。
︱︱ジープ⋮あんなもんあったか!?︱︱
否、ない。
と、自分で結論付けて、より目を凝らす。
一階部分が半壊しているという事は、ビルが倒壊するのも遅くない。
加えて、外に居る敵のほとんどが殺されているか、戦闘不能にある
かが確認できるが、闘ったもの又はジープの所有者の姿が無い。
ということは、ソイツは今ビル内に居るワケで⋮
48
︱︱なんてバカな奴︱︱
彼はジープの主をそう結論付けた。
︱︱人質に誰が居るとも分からん内から暴れやがって⋮︱︱
彼は阿鼻叫喚の声が聞こえてくる階下へ急いだ。
途中、何人か見張りが居たが、だいたいは爆発で負傷していたので
殺るのは容易かった。
1人、身なりの良い奴に激薬を使って人質の有無を問いただし、居
ない事を確認すると彼は一気に階下まで突っ切る。
3階に続く階段まで来た時、異様な空気が一段と濃くなる。
おそらく、3階が敵のアジトなんだろう。
阿鼻叫喚もここから聞こえてくる事から、ジープの持ち主もここに
居るらしい。
累々と積み重なる死体ともやの中を進み、ある一室に辿り着いた。
壊された扉、異様な濃さのもや、阿鼻叫喚の声と銃声。
昼間、明るい方角である筈なのに、もやのせいで余りにも暗い。
彼はゴーグルの赤外線装置を起動させた。
49
縦揺れが酷くなり、本格的にビルが潰れようとしている事を悟る。
室内を覗くと、ほとんどが鬼化した人間で、ソイツらをなぶり殺し
ているバカデカい奴が1人いた。
鬼になってしまえば、宿主の肉体が朽ちようが、魂が滅ぼうが関係
ない。唯一、聖霊だけが鬼を浄化できる。
︱︱紅蓮、とっととビルごと焼き殺すぞ︱︱
“あいよ”
ふわっと艶やかな花魁から蝶の羽を生やした女が宙に浮かび、鱗粉
を派手に飛ばす。
鱗粉はもやに絡みついては発火してゆき、外も中も3秒で火の海と
化した。丁度その一瞬後から床が崩れ落ちだし、彼と紅蓮と呼ばれ
た半透明の女が、熱さに飛び出してきた鬼を1人ずつ片付けながら
落ちてくり瓦礫をかわす。
おそらく10分と経たないうちにビルは完璧に倒壊し、火はもやと
鬼を食い尽くしたようで収まった。
如月は瓦礫の上に立ち、生き残りが居ないか確認し終わる。
50
﹁テメーなんで邪魔した!?﹂
大きな瓦礫の塊が飛んできたのを難なく避けると、声の主を一瞥し
て鼻で笑う。
﹁仕事の邪魔をしたのはそちらだろうが。﹂
﹁チッ⋮﹂
しかし、デカいな。
と彼は思った。
真よりデカいって事は2メートルはあるんだろう。
そして、体に巻きつく巨大な二匹の龍から龍神家の人間だとわかる。
その龍は、本家の血筋を引く長男ならば生まれつきある痣、それ以
外ならば刺青で描かれているのだ。
﹁なに見てんだよ。﹂
﹁お前、龍生か?﹂
﹁だったら何だ?﹂
﹁同業者か。僕は如月。明日の月例会には来たらどうだ?サボリ魔
の弥生。﹂
51
﹁余計な世話だ。﹂
瓦礫を悠々と踏み越えて如月の隣に並ぶ。
﹁テメーこそ、兄貴の面汚さないように気をつけな。﹂
﹁余計な世話だ。﹂
互いに鼻で笑うと、龍生はジープに乗って去って行った。
如月は駅へ歩き出しながら携帯を取り出すと情報部のエースを呼び
出す。
ワンコールするかしないかでオカマ口調の奴が出る。
﹃ごっめーん如月、なんか逆探知されてたみたいなの。﹄
﹁嘘つけ、逆探知されてた事は知っててベラベラ喋ったんだろ。﹂
﹃やだ、バレた?﹄
﹁当たり前だ。﹂
﹃だって、宮様からの逆探知なんて反撃できないもの。﹄
52
﹁だと思った。弥生がビルごと潰してくれたよ。人質0、生存者0。
報告以上。﹂
﹃お疲れ様、如月。あんた明日の月例会出たら取りあえずまだ次の
仕事は祭り後まで入れないから。﹄
﹁分かった。じゃ、﹂
電話を切り、再び真を呼び出す。
今度は5コール程待った。
﹃お、仕事終わったのか?﹄
﹁たった今終わった。﹂
﹃なら18時にお前の部屋に迎えにいく。﹄
﹁分かった。﹂
電話を切り、電車に乗り込む。
彼はこのまま上流区に行くことにした。
*
**
*
53
ある特定の階位まで昇進すると、特別に上流階級区に部屋が与えら
れる。
暗部の場合だとコードネームが与えられる事が条件になる。
うとうとしている内に関所まで来たらしい。
フリーパスを見せて乗り継ぎ、上流区の関所までまたうとうとと微
睡む。
上流区の関所に着いた時にはもう夕暮れだった。
フリーパスと特区居住者証明を見せて中に入る。
特区の入り口でも証明書を見せて、自分のマンションへ向かう。3
日ぶりに自分の部屋に入り、鍵をかける。
すぐにシャワーを浴びて汚れを落とし、簡単に体を拭いて髪を乾か
し、ベッドき突っ伏す。
シャワーを浴びている途中で如月と交代した私は、真が迎えにくる
18時まで後1時間ある事を確認して、少し眠ることにした。
*
**
*
17時50分
54
インターホンが鳴り、目が覚める。
慌ててバスローブだけ羽織ってドアを開ければ、スーツをパリッと
着こなした、体格の良い大男が立っていた。
﹁真、久しぶり。﹂
﹁お、久しぶり。寝てたか?﹂
﹁うん、つい寝過ぎたみたい。﹂
部屋に上げてソファに座って待っていてくれるように言い、自分は
自室で着替え始める。
弥生⋮って龍生か。一体なんで?﹂
﹁今日ね、仕事に行ったら弥生が邪魔してきてさー。﹂
﹁は!?
﹁そんなのコッチが聞きたい!﹂
﹁まぁそうだよなぁ⋮﹂と苦笑いしている真に彼女は膨れっ面を見
せて、再び奥に引っ込む。
30分ほど沈黙した後、ドレスアップして満月が真の前に現れる。
﹁⋮いいね、そのドレス。よく似合ってるよ。﹂
﹁ありがとう。真もかっこいいお兄ちゃんだよ。﹂
55
﹁よせ、照れる。﹂と言う真の腕に捕まり、高いヒールを履いて2
人は夜の街に出かけた。
﹁それで、今日はどこに連れて行ってくれるの?﹂
﹁あ、言い忘れてたけど、今日は仕事の付き合いなんだ。お偉い様
が祭りの前夜祭をするって言うんでね。﹂
﹁4年に1度の完璧な満月と祭りが重なる日だから上が張り切って
るわけね。﹂
﹁察しが良くて助かるよ。無理に踊らなくても良いから。﹂
通りでタクシーを捕まえて乗り込み、目的地を目指す。
﹁でも踊った方が良いんでしょ?﹂
﹁なるべく兄の顔を立てて欲しいけど、無理はしてくれるな。﹂
﹁分かった。﹂
そうこうしてる内に目的地に到着する。
真に下ろされた場所を見て満月は唖然としてしまった。
56
﹁真、張り切ってる偉い人ってまさか⋮﹂
﹁龍神一族当主様だよ。﹂
サラッと大事な事を言われ、軽くパニックになりながら真の腕にし
がみつく。
﹁そんな不安そうな顔するな。人が居すぎて誰が誰だか分かりゃし
ないんだから。﹂
﹁だって、こんな場所来たこと無いよ。﹂
﹁大丈夫だから。信じて、な?﹂
今になって、10センチのヒールを履いてきた事を後悔してしまう。
緊張で膝がガクガクするのに、転ばないかと気が気でない。
真に言われるがままに深呼吸をして歩き出す。
扉を押さえている人にチケットを見せて中に入る。
黒い礼服を来た男に案内されて、赤い絨毯を踏みしめ、とびきり巨
大な扉に入る。
正しく豪華絢爛な調度品ばかりの広間に美しく着飾った大勢の人た
ちが一定の間隔を空けて談笑していて、一気に気後れしてしまった。
57
真と共に立食スペースへと進んだ時、一流のオーケストラ達が音楽
を奏で始めた。
﹁満月、困った顔するな。﹂
﹁だって困ってるの。﹂
真が料理を満月に渡しながら眉をひそめる。
﹁私、こんなに高いヒール履いてくるんじゃなかった。﹂
﹁足が痛いの?﹂
﹁違う、転びやしないかって気が気でないの。﹂
途端に真はクスクス笑い出して、満月の腕を掴んでダンスフロアま
で進んだ。
﹁満月、踊るぞ。﹂
あっという間に満月の腰に手を回し、しっかりとポジションを取っ
てワルツのステップを踏む。
58
動き出してみれば、彼女の体はスムーズにステップを踏む。
﹁ちゃんと踊れるだろ?お前が転ぶ筈がない。﹂
﹁うん。﹂と頷いて彼女は真に身を任す。
そうすれば、他の誰と踊るより楽に踊れる事を満月は経験から知っ
ていた。
真は踊りながら﹁絶対ダンスを申し込まれるから、適当に相手しと
けよ。﹂とかアドバイスを囁きながら私を安心させようとしてくれ
ていた。
結局、続けて2曲踊ってダンスフロアを出ると、すぐに男性に取り
囲まれた。
﹁ほらな﹂と囁いて真は私から離れて上司と談笑し始めたので、私
は1人1曲ずつ踊ることにしてダンスフロアに戻った。
9曲踊るとさすがに息も切れたので飲み物をもらって外に出た。
月が綺麗で、ほとんど満月になりかけている。
ぼんやりと月を眺めながら、誰もいない場所の椅子に腰掛けてカク
テルを飲んでいると、隣にふと人が座る気配がした。
驚いて立ち上がるとドレスの裾を踏んで盛大に体制を崩す。
59
それを、隣に座ったその人が素早く動いて転ばないように支えてく
れた。
﹁あ⋮すいません。﹂
﹁いや、﹂
逆光で顔が見えない事を良いことに、満月は﹁この人デカいなぁ﹂
なんて考えていた。
170センチの私がヒールを履いてやっと195センチの真とバラ
ンスが良くなるのに、その真よりさらにデカい。
﹁ありがとうございます。﹂
満月がその人から離れると、彼はゆっくり口を開いた。
﹁真とはどういった関係?﹂
﹁兄妹です。﹂
よく世間様から聞かれる質問の1つだ。
﹁義理のですけどね。﹂と付け足す。
60
﹁って事は、睦月とも兄妹か?﹂
﹁えっ⋮?﹂
光の加減が変わって、彼の顔をうつし出す。
今もっとも会いたくない人間の1人、龍生がそこに居た。
﹁あ⋮︱もちろん、睦月兄さんとも兄妹です。﹂動揺を悟られない
ように慎重に言葉を選ぶ。
﹁なるほど。如月とも?﹂
満月に身を引く隙すら与えず、彼は強引にポジションをとると、広
間から漏れ聞こえてくる音楽に合わせて踊りだした。
﹁そうです。双子の兄です。﹂
為す術もなくステップを踏みながら満月は言う。
﹁そうか。﹂
61
なるほど、似ているわけだと彼は思う。
広間で踊る彼女を見てそれは大きな衝撃を受けたのだ。
︱︱この人、巧い︱︱
まるで足など使ってないかのように体が軽い。
いつまでもこんな場所に居ては
真も巧いが、この人はそれ以上だと思った。
﹁あの、龍生様は主賓でしょう?
皆様が困られませんか?﹂﹁困る?まさか⋮﹂
彼は鼻で笑うとより早いテンポでステップを踏み始めた。
﹁主賓は我が妹君が居れば十分だ。﹂
自嘲気味にそう言うと、彼はそれ以後なにも話さずに踊った。
3曲続けて踊った後、彼は彼女を離して椅子に腰掛けさせた。
﹁名前は?﹂
62
﹁ミツキと言います。満月と書いて、満月です。﹂
﹁⋮︱。﹂
﹁満月!﹂
彼が何か言いかけたところで、外へと続くベランダから真が歩いて
きた。
龍生の姿を認めるとかなり不快そうな顔をする。
﹁妹に何かご用でしたか?﹂
﹁いや、﹂
火花が散っていると錯覚するほど険悪な雰囲気が立ちこめる。
﹁何もないのでしたら、帰らねばなりませんので失礼します。﹂
真は満月に手を差しだして立たせると、さっさとその場を後にする。
帰りのタクシーでセリナさんの店に寄って、真に事の顛末を話すと、
彼はかなり複雑な顔をした。
63
﹁やっぱり1人にさせるんじゃなかった。﹂
﹁大丈夫だよ、バレやしないから。﹂
﹁真も過保護ね∼。﹂
店仕舞いをしたセリナさんが晩御飯を作ってもってきてくれた。
﹁わぁ、ありがとうございます!お腹空いてたんです。﹂
﹁だと思った、パーティーって食べれないのよね。﹂
﹁セリナさん分かってるなぁ﹂
真と2人して遅い晩御飯を口にする。
地元で有名な料理屋の女将だけあって、どれもこれも絶品だった。
﹁ねぇ、セリナさん。睦月兄さんから連絡無いの?﹂
食べ終わって、セリナと一緒に片づけている時、満月はそう聞いて
みた。
そろそろ約束の3年が経つのだから、生きているなら連絡の1つは
64
欲しいところだ。
セリナさんは首を横に振って、溜め息を吐く。
﹁生きていれば、連絡してくれるでしょうけどね。﹂
悲しそうに笑うセリナに満月は何も言えなかった。
□■□■□■□■□■□
セリナand睦月
□■□■□■□■□■□
深夜を過ぎ、満月たちはアジトへ帰る。彼女たちを見送って、2歳
の息子が寝息を立てているのを確認すると、セリナは自分の為にお
新香と日本酒を空けた。
冷酒で一本空け、堪えきれない涙が溢れて、、
二本空け、歯の間から嗚咽がはっきりと漏れ出した。
三本目の半ばまで飲み、次の一杯を飲もうと徳利に伸ばした手が空
を切った。
﹁あれ?﹂と思って顔を上げると、困った顔をした睦月が居た。
65
なにか言おうと口を開いても、出てくるのは嗚咽ばかりで、言おう
としていた文句も思い出せない。
彼は徳利をテーブルに置いて、セリナを立たせ、抱き締めた。
﹁ただいま、遅くなってゴメン。﹂
セリナは文句が言えない代わりに思いっきり睦月の胸を叩いた。
何度も胸を叩いて、それでも睦月の腕の力は緩まなくて、しばらく
叩いて、彼女が疲れて止めた所でやっと彼は腕の力を緩めた。
﹁っ⋮︱バ、カ、遅、い゛ん゛だよッ!!﹂
﹁うん、ゴメン。﹂
﹁れっ⋮連絡くらい゛しろっ﹂
﹁ゴメン。﹂
﹁あ゛んだの、子供、できだの!!﹂
﹁ゴメン⋮はっ?﹂
﹁だがら、﹂
﹁子供!?﹂
66
今度は睦月がセリナの肩を握って軽く揺さぶる。
﹁うん、子供。﹂
﹁まじで?﹂
﹁うん。﹂
﹁まじか⋮﹂睦月は徳利の中身を全て飲み干し、力が抜けたように
カウンターに座った。
﹁セリ⋮俺をコレで思いっきり殴れ。﹂
そう言って、彼はキッチンにあった棍棒をセリナに渡す。
﹁拳骨が、いい。﹂
﹁お前の手が折れるからこれで勘弁しろ。﹂
﹁分か、った。﹂
受け取ったセリナは思いっきり振りかぶって、睦月の横面にフルス
イングする。
67
バコンッ
と音が鳴る。
バキンッと良い音がして、
続いて
﹁っ⋮相変わらず良い振りだな。﹂
﹁なに、もう一発見たい?﹂
﹁⋮いや、いい。遠慮しとく。﹂
苦笑する彼は、棍棒をセリナの手から取り上げて、もう1度抱きし
めてキスをした。
﹁セリ、向こう2週間店は休みだからな。﹂
﹁大丈夫、あなたが来ても来なくても、朔羅と祭りに行くつもりだ
ったもの。店は休みにしてあるわ。﹂
﹁そりゃ良かった。で、サクラは男か女か?﹂
﹁男の子だよ。こういう字を書くの。﹂
紙にサラサラと字を書いて見せると、睦月は良い字だと言う。
68
□■□■以下18禁□■□■□■□
﹁なぁ、子供さ、朝までぐっすり眠るか?﹂
セリナの腰を引き寄せて、睦月は耳元で囁く。
﹁1度寝たら起きない良い子だよ。﹂
﹁なら、ちょっとばかり母さん借りるわ。いいだろ?﹂
﹁えっ⋮﹂と言って逃れようとするセリナをシッカリと捕まえて耳
を甘咬む。
﹁セリ、意地悪すんなよ。﹂
ピクッと肩を震わせたきり、真っ赤になって無抵抗な彼女を抱きか
かえて風呂に直行する。
涙目で首を振る彼女を逃がさないようにしたまま、脱衣場で自分の
服をさっさと脱ぎ捨て、彼女の着物に手をかける。
﹁や、めって⋮﹂
69
﹁なに?﹂
セリナの制止する手を捕まえて問いただせば、彼女は恥ずかしそう
に首を横に振るばかりで、
﹁言わないなら、続けるよ?﹂
意地悪く囁くと、耳まで真っ赤に染まって可愛い。
慌てて首を振って、言葉を繋ごうとする間が愛おしい。
﹁わ、わたしの体、見ないで。﹂﹁なんで?﹂
﹁もう、昔みたいな体じゃないの。﹂
バカだなぁと思う。
そういう所が愛おしくて仕方ないのに。
﹁俺は見たいよ。﹂
そう言って、強引に着物を剥ぎ取って裸にし、逃げれないように彼
女の両手を彼女の頭の上に固定した。
70
﹁見ちゃいや⋮﹂
消え入りそうな声がそそる。
欲情しすぎて、頭がいかれてるのかもしれない。
︱︱壊したくなるなんて、ガキじゃあるまいに。︱︱
僅かに残る理性が苦笑する。
ただ、そんなちっぽけな理性が役立つ筈なくて、嫌がるセリナの口
を唇で蓋をしては、空いた手で乳房を弄んだ。
口を塞がれ苦しそうに目を潤ませ、時折ピクッと反応する様が可愛
すぎて、さらに深くキスをする。
ようやく唇を解放すると、胸の突起を弄る手はそのままに、今度は
首筋を伝って乳房、腹、太もも、尻、背中、脇、と順々にキスマー
クをつけていく。
小さく溜め息を漏らしながら、身を捩らせる様は妖艶で、苛めたく
なって困る。
乳首をくわえて吸ったり咬んだりする度に、抑えきれない甘い声が
漏れるのも愛おしい。
散々、胸を弄んだ後、ゆっくりと下肢に手を伸ばして彼女の体を反
転させ、太ももを持ち上げて抱えてしまう。
71
抱えた手で乳首を弄り、空いてる手で優しく下肢の間の輪郭をなぞ
る。
﹁や、め、て⋮﹂
下肢の間から垂れる糸を鏡越しで見せられ、目を背けようとしたセ
リナを無理やり太ももを抱えた方の手で鏡を見るように固定させて、
反対の手で入り口を行き来する。
甘い声を噛み締めながら、睨みつけようとするセリナ。
もっと苛めたくなって、もっと深く早く出し入れして、イキそうに
なると止めてやる。
また波が去ると早く出し入れして、イキそうになると止める。
これを5∼6回繰り返した頃には、彼女は最早自分では立っていら
れなくなっていた。
今度は風呂場に2人で入ると、自分の体も洗いながらセリナの体も
弄りながら洗い、髪を洗った。
石鹸を全部流し終わった後に、シャワーのノズルを取ってクリトリ
スに集中的に当てた時、セリナはイキそうなのにイケナイもどかし
さと、羞恥心と理性の狭間でグチャグチャになっていた。
72
﹁イキたい?﹂
シャワーを強くして下肢の間に当てながら睦月が囁く。
﹁っ⋮︱﹂
﹁どこ触って欲しいか言って?﹂
両手で胸を揉みしだきながら睦月が耳を咬む
﹁ぁッう⋮︱﹂
﹁どうして欲しい?﹂
キツく胸の突起を睦月が捻る。
﹁やぁッ⋮っ﹂
﹁言わないと分かんないよ?﹂
意地悪に囁く彼に抵抗なんて出来なくて
73
﹁触って⋮︱全部触って。﹂熱に浮かされるように繋いだ言葉を言
った直後、中に指2本いきなりねじ込まれた。
﹁ひッぁ!?﹂
﹁悪い、限界。﹂
いうが早いか、素早く出し入れしてセリナを絶頂へ導く。
﹁やっ⋮あ、んッ⋮﹂
﹁イ、ケっ!﹂
﹁あぁ︱︱っ﹂
あっという間に達して、脱力しているセリナを四つん這いにさせて、
彼は自身をあてがう。
まだ無理と言う彼女の制止も聞けないほどに、限界なんてとうに過
ぎていて、はちきれんばかりの自身を躊躇なく中へ入れて、奥まで
届くと同時に腰を思いっきり振った。
大きすぎるモノをくわえ込むだけで精一杯なのに、さらに無理矢理
出し入れされるなんて、痛みと快楽でどうかなってしまいそうで、
セリナの限界はすぐに訪れた。
74
彼は嬌声をあげて達したセリナを繋がったまま抱えあげて、風呂場
を後にする。
小さな振動でも彼女にはキツいらしく、いやいやと首を振りながら、
歩く度に嬌声をあげている。
﹁セリ、俺はまだイッてないからな?﹂
リビングのソファに対面座位の形で座ると共に、舌を耳にねじ込む。
反射的に体を反らす彼女の腕を彼の首に巻き付けて、彼も逃げれな
いように彼女を抱きしめる。
﹁壊れろ。﹂
容赦なく下から突き上げて、セリナが悲鳴に近い声をあげて達して
も、そのまま自分がイクまで動き続けた。
﹁ひぁッ、あ︱︱っ!﹂
﹁やぁッ⋮あぁっうご、い⋮やぁッひぁっあっ⋮ぁ︱︱っ!﹂
﹁うっ⋮﹂
75
1度イクと自身を抜いて、気絶しているセリナをソファに寝かす。
やっと取り戻した理性を総動員して自制をかけ、彼女の体を拭くた
めにバスタオルを取りに風呂場に戻る。
自分は手早くバスローブを着ると、ドライヤーとバスタオルとバス
ローブとタオルケットを持って居間に戻った。
欲情と戦いながら彼女のからだと髪を拭き、バスローブを着せて髪
を乾かす。
3年の間にだいぶ髪が伸びたようで、なかなか苦心した。それから
彼女にタオルケットをかけて、膝枕をしながら髪を撫で、頭を撫で
て目が覚めるのを待つ。
穏やかに寝息をたてる彼女は可愛らしくて、いつの間にか自分もう
とうとしだしていた。
□■□■□■□■□■□
朝、目を覚ますと睦月はソファに横になって眠っていた。
カーテンの間から差し込む日の加減から、時刻が昼近い事を悟る。
起き上がって見回すと、テーブルの上に置き手紙で、︽朔羅を幼稚
76
園に連れて行きます。あなたの事をパパだと言ったら喜んでました。
︾と書いてあった。
睦月はニヤリと嬉しそうに笑ったかと思えば、その表情のまま凍り
ついて、再びソファの上に倒れ込んだ。
﹁どうしよう⋮﹂めったに見せない睦月の弱りきった呟き。
しかし、自分の親も知らないのに、急に父親となった彼のリアルな
心情だった。
□■□■□■□■□■□
満月
□■□■□■□■□■□
4年に1度、18日間月が沈まない時期がある。月は8割満月から
満月となり、また8割満月になるまで、朝も昼もずっとあり続けて
めったに星も出ない。
人は、﹁月下祭り﹂を開いて月を祝う。
丁度、3月の頭がその時期に当たり、その時期だけ中流区の関所の
監視が緩くなり、上流区の関所が解放されて物流が激しく行き交う。
上流区の広場では10階建ての臨時ビルが建ち、祭りや催し物、臨
時の宿屋やフードコートと化す。たいてい花見の時期とも重なるの
で、貴族達はこぞって宴を開き、その煌びやかの頂点にある龍神家
は夜通し庭で途切れない来客と酒盛りをする。
77
そんな馬鹿みたいに盛大な宴が今日から始まるのだ。
﹁忘れ物は無いよな?﹂
祭りの最中は如月も真も治安を守る為上流区に居る事を義務付けら
れているので、アジトに保護者が居なくなる。
だから、薫と燿は上流区に宿をとってそこで生活する事になってい
るのだが、この移動がなかなか面倒で仕方ない。
なにしろ、この国の大多数の人間が移動を開始するため、普段2∼
3時間で済む移動に半日かかるなんてザラだからだ。
真が借りてきた車に荷物を積んで走り出す。
夜明けと共に移動を開始した筈が、目的地に着いたのは夕方だった。
﹁燿、薫に迷惑かけるなよ。薫、燿を宜しくね。﹂
部屋をとってやり、ふてくされたように立つ燿と、にっこり笑って
手を振る薫を残して満月は特区の自分の部屋へ、真は警察寮に戻る。
真も満月も祭りの間の仕事の再確認のために、真はB級ライセンス
取得者の制服を着て、満月は如月となって月例会へと向かった。
78
*
**
*
開始時刻の15分前に如月が会場に着くと、すでに多くの国家警察
のお偉方が来ていた。
会場の後ろの方に真の姿を認める。半円の会議室の大半は埋まって
いるが、情報部暗部課の与えられたテーブルだけは埋まっていない。
如月は自分の1番乗りを驚きもせず、こんなものだと思ってテーブ
ルの好きな場所に着席する。
仕事が反社会的なポジションの人間たちだけあって、彼らは皆堅苦
しい事が嫌いなのだ。
正直、来るかさえ怪しい。
5分ほど待っていると、師走が入ってきて、次に水無月と皐月、が
入ってきた。
また、会議室に緊張感が漂い始める3分前までには、卯月、葉月、
長月、文月、霜月とゾロゾロと着席する。
ワザワザ情報課のエースが後ろを振り向き、﹁今年の祭りは星がで
るかもね。﹂と如月に言ったほど異例だ。
開始直前に入ってきた狐の面をつけた神無月は、如月の右隣に座る
79
なり
﹁なに今日は可愛い子チャンでも来るの?﹂
と発言してメンバーの笑いを誘い、司会が苦々しそうにこちらを一
睨みして会議開始が宣言された。
会議は既に分かってる仕事の確認とツマラナイ報告に終始し、取り
立てて面白くもないものだった。
暗部課の人間は早々に足を投げ出して眠りこけ、会議が終わるまで
起きる気は無いとみえる。
会議も終盤にさしかかったとき、扉の向こうがなにやら急に騒がし
くなり、長ったらしい報告が一時中断した。
司会が慌てて何事か確認しようとした時、会議室の後ろにある重い
樫の木の扉がいきなり開いて、男が1人舞台まで吹っ飛ばされてき
た。
吹っ飛ばされた男は空中で体勢を立て直して見事に着地する。
男は再び中央の通路で助走をつけて跳躍し、今し方破壊された扉の
前に立つ長いコートを着た男に斬りかかる。
80
しかし、キンッと金属が触れ合う音はしたものの、男が斬りつける
前に如月がその前に立ちはだかった事により、男の刀はコートの男
に届かず止まる。
﹁メンバー内の喧嘩は規則違反だ。﹂
﹁いいねぇ、破らねぇとな。﹂
男⋮弥生は刀により力を込める。
如月は息を止めて足を踏ん張る。
﹁よーせよ、弥生チャン。如月の言った通りだ。﹂
神無月が簪のような鋭い刃物を龍生の喉元へ当てると、会議室中の
人間がざわめき、武器を持ち出して取り囲もうとする。
しかし、四つ巴となっている彼らに背を向けて囲う暗部の人間に寄
ってことごとく失敗していた。
﹁刀を収めろ。﹂
如月が再び言うと、龍生は盛大に舌打ちして大太刀をしまった。
81
龍生が出て行くと、会議室は再び静寂に包まれたが、如月の左隣に
座る睦月にあつい視線が集まっているのが分かる。
おそらく、誰もその後の会議の内容なんて耳に入って無かったに違
いない。
会議が終わると、すぐに睦月はメンバーに1人1人に話しかけられ
ていた。
普段、他人に無関心な彼らも三年間不在だったリーダーの帰還は思
うところがあるらしい。
無口過ぎて他人と全く関わらない霜月でさえ握手して帰って行った。
*
**
*
帰り道、やっと解放された睦月と並んで特区までの道のりを歩く。
﹁いつ帰って来たんですか?﹂
﹁昨夜の日付回ってからかな。﹂
﹁満月が心待ちにしてたので、今からご飯に連れて行って下さい。﹂
﹁分かった。真にも連絡しておく。﹂
82
短い会話の後はただひたすら無言で歩く、特区に入って別れ道にき
たところで
﹁9時半に迎えに行く。﹂
﹁分かりました。﹂
という短い会話をして2人は別れた。
如月は自分の部屋に入り、早速満月と交代する。
案の定、満月は飛び跳ねて喜び自分一番のお気に入りのドレスを引
っ張り出して風呂場に直行した。午後9時半ピッタリに玄関のチャ
イムが鳴る。
﹁待ってて。﹂と声をかけて全身をくまなくチェックすると小さな
カバンを持ってヒールを履き、外へ出る。
﹁お待たせ。﹂
エントランスに寄りかかるブランドのスーツ姿の2人は同時に体勢
を整える。
睦月は満月に腕を出しながら、﹁良いドレスだな﹂と言って笑う。
83
﹁満月、昨日以上に気合い入ってるな。﹂
と真が茶化してくる。
﹁そんな事ない。﹂と返しながら満月は睦月の腕を取る。
3人でタクシーに乗り込むと、睦月が高級レストランの名前を口に
して、タクシーは滑り出した。
他愛ない話⋮主にセリナさんと子供について語りながら笑い合う。
今日初めて幼稚園にセリナさんと一緒に迎えに行って、帰り道に寄
り道して公園で遊んできたらしく、もう朔羅にベタ惚れ状態だった。
レストランに着いてからは真と如月の仕事の話と燿と薫の話をし、
睦月は聞き役に徹していた。
本当は3年間何をしてたのか聞きたかったが、睦月が辛いことは言
わない性格なのは承知しているので、満月も真もその話には一切触
れないでいた。
最近の出来事として、満月は昨日の出来事を詳細に語り、真は臨時
の仕事が龍神家の姫君の護衛だと話して睦月と満月を驚かせた。
﹁ね、如月から聞いたんだけど、龍生とケンカしたんだって?﹂
84
﹁あぁそうだ、睦月兄さん。なんでいきなり龍生が吹っ飛ばされて
きたんだか、説明して下さいよ。﹂
﹁向こうからケンカ売ってきたから買ったまでだ。﹂
﹁なんでまた⋮﹂
﹁古い約束。
以前アイツを叩きのめした時に、﹃出来るもんなら、不意打ちでも
良いから一発返して見ろ。﹄って言ったら、アイツは﹃絶対、正面
から一発ぶん殴ってやる!﹄って言ったんだよ。
以後、俺の姿を見ると襲いかかってくる。﹂
﹁それ、12年前の話ですよね?﹂
真が呆れた声を出す。
﹁え?子供じゃん。﹂
それを受けて満月が唖然とする。
龍神家の人間を吹っ飛ばす暴挙もさることながら、約束を12年も
しつこく追っかける龍生にも呆れ、今や龍生に勝てる人間は数える
程なのに未だその中の1人としての実力がある兄にも唖然としてし
まう。
85
﹁ま、そう言う事だから。﹂
そう言って飄々と笑ってみせる兄に軽く愕然として、満月は落ち着
く為にシャンパンを口に運んだ。
それからも話が尽きる事が無く、店が閉まるギリギリになって3人
はやっと外へ出た。
睦月はセリナの元へ帰るので、満月と真とは別のタクシーで帰る。
﹁な、俺の部屋で飲み直さね?﹂
﹁良いよ。﹂
久しぶりに真の部屋に上がり、朝方まで下らない話しをして眠る。
真の隣は落ち着いて居れて心地いい。
何年振りかの腕枕をされて眠ってしまった。
﹁おはよー。﹂
﹁おはよう。﹂
86
昼近くになって目を覚ますと、既に真はブランチを作ってくれてい
た。
﹁昨日⋮今朝か、お前が寝てから如月が起きてきたもんだから、ま
た飲んだ。﹂
ブランチをテーブルに運びながら真が苦笑いする。
﹁﹃仲がいい妹とはいえ、年頃の女を腕枕するなんてどういう了見
だ?﹄って怒られた。﹂
﹁え゛っ⋮如月そんな事言うの!?﹂
﹁覗き見なんて信じらんない!サイテー。﹂と言いながら2人分の
コップに牛乳を注ぐと、頭の中で﹁節操のないお前が悪い。﹂と如
月に言い返される。
﹁ねぇ真、今如月に﹃節操のないお前が悪い。﹄って言われた。﹂
﹁ははっ、如月の方が良い兄貴だな。﹂
﹁なんて口うるさい分身。﹂
ブランチを口に運びながら言うと、如月にまた小言を言われた。
87
2人なのに、3人で会話しながら食べるという器用な真似をしなが
らブランチを片付けて、満月は自分の部屋に帰った。
帰るなり服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて横になる。
最近グータラしすぎかもしれないと思いながらも、目を閉じると直
ぐに眠ってしまった。
次に目覚めたのは夕方で、広場の屋台群には灯りが灯っていた。
散歩でもしようと思いたって、浴衣を着て上着を羽織る。
足袋と草履を履いて外へでると、3月だというのにまだ肌寒い。
もう一度戻って、もう一枚上着を羽織り、着物用の薄い生地のズボ
ンを履く。
外へ出て、桜並木を歩くが、全ての桜の下で宴会をしているから雰
囲気が無い。
残念な気分になりながら、段々と郊外へ移動する。
そういえば、龍神家の別荘の枝垂れ桜は見事だって聞いたなと思い
つつ、ついつい足がそちらへ向く。
日も沈んで、暗くなり始めた頃に冷やかしに入った店で可愛いラン
プを買って又歩き出す。ついに別荘に着いて、塀の外の木に登って
88
枝垂れ桜を眺める。
かなり距離が近いので、ランプの灯りだけでも朧気ながら闇に浮く
桜を楽しめた。
満月が風に身を任せて眺めていると、不意に屋敷の窓に明かりが灯
って、窓が開いた。
逆光で顔が見えないが、大柄の人間が顔を出す。
﹁そこで何をしている?﹂
﹁あ⋮﹂
いきなり話しかけられて言いよどみながら満月は言葉を繋ぐ。
﹁べっ別荘の桜が見事だと聞いて、見てみたくなったものですから
⋮﹂
﹁⋮︱お前、満月か?﹂
﹁え゛っ⋮!?﹂
﹁やっぱりそうか。﹂
今まで声の主に気づかなかった鈍い自分に嫌気が差しつつ首肯する。
89
﹁せっかくだ、こっちに来いよ。﹂
﹁いえ、そんなこと⋮。﹂
﹁お前への借しは兄貴共から返してもらうから。﹂
﹁それこそ困ります!﹂
﹁冗談だ、早く来い。一族に逆らうなよ。⋮︱それとも降りれない
か?﹂
﹁降りれます!﹂
クククッと笑う龍生をキッと睨んで、ランプを手に降りる。
門の方へ回ると、女中さんが迎えに出てくれていて、そのまま龍生
の部屋まで案内してくれた。
﹁失礼します。﹂
中に入ると、彼は窓辺にテーブルに座っていた。
テーブルには夕飯らしく、フレンチの前菜が半分食べた状態で置い
てあった。
90
﹁座れよ。﹂
﹁はい。﹂
執事が椅子を引いてくれたので、おどおどしながらそこに座る。
﹁お前も一緒に食え。﹂
﹁えっ⋮でも⋮。﹂
﹁うるさい。食え。﹂
そうまで言われれば食べないわけにはいかないので、満月は目の前
に出された前菜にフォークを刺す。
とてつもなく美味しい前菜に、思わず﹁美味しい。﹂と漏らすと、
龍生がニヤリと笑って自分も前菜を食べ出す。
前菜二種を食べ終わる頃、やっと龍生が口を開いた。
﹁うまい?﹂
﹁はい、とっても。﹂
91
ニコニコして答える満月に、彼は複雑そうな顔をする。
﹁確かに、今日は美味い気がする。﹂
﹁今日は?﹂
﹁いつもは、そんな事考えない。﹂
キョトンとする満月に、彼は苦笑して話題を変える。
﹁なんでこんな場所まで桜を見に来たんだ?﹂
﹁広場の桜の下は宴会していて風流じゃない。ここは別荘だし、今
の時期なら誰も居ないだろって思って来たんです。﹂
﹁ふーん。桜、好き?﹂
﹁はい。﹂
出てきた主菜に手を伸ばし、綺麗に海老の殻を剥き、満月の皿と代
えてくれる。
﹁ありがとうございます。﹂
﹁べつに。﹂
92
素っ気なく彼は言う。
﹁お前は双子の兄貴と随分違うんだな。﹂
﹁そうですか?﹂
﹁あぁ。目や体格はそっくりなのに、中身が全然違う。﹂
﹁確かに、上の兄達から﹃私には無いものは彼が持ってますし、彼
に無いものは私が持ってる。﹄とよく言われるので、真反対なんで
す。﹂
﹁そうだろうな。﹂
﹁龍生様は何故私を館に呼ばれたのですか?﹂
そう聞くと、龍生の手がピタリと止まった。
しばらく沈黙したあと、彼はシャンパンを飲んで口を開いた。
﹁実は、女中を探している。﹂
彼は満月の目を見据えて言葉を繋いだ。
93
﹁お前、祭りの間だけ女中になれ。﹂
﹁・・・急な話ですね。﹂
﹁こんな時間帯に辺鄙な場所までふらついているんだ。まさか仕事
があるなんて言うなよ?﹂
﹁おっしゃる通り、仕事は祭りの間だけ休みをもらっています。
・・・それに、龍神一族様の御言葉に逆らえる身では御座いません。
﹂
満月は苦笑を浮かべて龍生の目を見つめ返す。
﹁ただ、心配性の兄たちに連絡する自由は必ず下さい。﹂
﹁それは構わない。﹂
彼の淡々とした仕事説明によれば、金額は住み込みの女中兼飾りに
しては破格で、下手しても一生暮らしていける額。仕事内容も宴会
への同行や、使用人達が自宅へ帰っている22時から10時までの
間の龍生世話と話し相手という、気楽なものだった。
﹁何故、こんな好条件を私に?﹂
﹁好条件かどうかはお前次第だ。命の危険もある。守秘義務もある。
94
今後の人生も自分の好きなように上手くいく保証は無い。﹂﹁それ
は﹃下手をすれば、あなたに殺されるやもしれない。﹄と言うこと
ですか?﹂
﹁・・・さあな。ただ、貞操の保証はする。後は保証できん。﹂
﹁分かりました。﹂
なんだか食べる気分では無くなってしまって、満月は電話をすると
言ってエントランスに出た。
夜風に当たりながら睦月の番号を探して押す。
長い呼び出し音の後、聞き慣れた低い声がした。
﹃はい、満月か?﹄
﹁うん。お兄ちゃんあのさ⋮﹂
﹃何か困ってるんだな?﹄
﹁うん。お見通しだね?﹂
﹃お前の兄だからな。で、どうした?﹄
﹁今、、龍生様の屋敷に居るの。﹂
95
﹃枝垂れ桜のある別荘か?﹄
﹁うん。それで、祭りの間は龍生様の女中となる事になった。﹂
﹃・・・・龍生に代われ。﹄
﹁うん。ちょっとまっ・・・﹂
﹁龍生だ。﹂
いつの間にか背後に居た龍生に携帯をとりあげられて、満月は面食
らったまま彼の話す内容を聞いていた。
﹁わかった。あぁ、・・・・約束する。﹂
彼の話は一瞬で終わり、再び満月の手に電話は戻される。
﹁もしもし。﹂
﹃満月、困ったらいつでも連絡しろ。嫌になったら速攻で迎えに行
ってやるからな。﹄
﹁わかった。﹂
﹃真には俺から伝える。満月には気をつけろよ。﹄
96
﹁うん、ありがとう。おやすみなさい。﹂
﹃おやすみ。﹄
電話を切り、空を見上げれば、八割ほど膨らんだ月が桜の枝の隙間
から覗いていた。
﹁終わったか?﹂
﹁はい、終わりました。﹂
﹁お前の兄はやっぱり嫌いだ。﹂
﹁何故、私なんですか?﹂
﹁命の危険も、お前なら兄貴仕込みの技で多少は何とかなるだろう。
そして親族が少ないからもしもの時は殺りやすい。尚且つ、俺の隣
に居て遜色ない美貌。適任だからな。本当は踊った時に言おうかと
思ったが、真に邪魔された。﹂
﹁そうですか。﹂
﹁そうだ。お前の部屋は俺の部屋の隣だ。朝は9時に起こしに来い。
﹂
﹁分かりました。﹂
97
なんて素っ気ない会話だろう、と思って苦笑する。
月と桜を見る気も失せて、龍生に言われた部屋へ行く。
いくら何でも、﹁いざとなれば殺しやすい。﹂は言い過ぎではない
か。と思うが、一方で嘘偽り無い話だという事も分かっている。
孤児とは、戸籍不明とは、こういう事だとは分かっているのだ。
︱︱満月、気にするな。︱︱
如月に﹁うん。﹂と生返事をし、今出てきた龍生の部屋の隣の扉を
開く。
開いて部屋を見渡した瞬間、満月の沈んだ気分は一気に吹き飛んだ。
居間の調度品は全て最高級、ベッドルームには天蓋付きのダブルベ
ッドと、続きの部屋には大きなシャワールーム。広いウォークイン
クローゼットには美しいドレスとセンスの良い普段着、靴やミュー
ルも揃っていた。
更に、ベッドルームから一段上がってすぐに和室へと繋がっており、
桐の箪笥には着物や帯や小物が一杯だった。
ベッドのサイドテーブルの上に、達筆な字で
98
﹃ご不便な点が御座いましたら、紙に書いてこのテーブルの上に置
いて下さいますよう御願い申し上げます。﹄
と、書かれた和紙を見つけて首を捻る。
数秒悩んだ後、彼女は和紙をサイドテーブルに戻してシャワールー
ムへ入った。
手紙の主には何となく覚えがあるものの、なんだか気味悪く感じて
しまう。
風呂から上がると、バスタオルと浴衣が置かれ、脱いでカゴに入れ
た服は無くなっていたり、いつの間にか新しい化粧品が鏡台におか
れてたりするのだ。如月ならば正体を見破れるのだろうが、満月で
ある今は何となく悟るのが精一杯である。
あちらとしては、見破れたらお役御免なんだろうから、見破られな
い事は良いことだろうが、満月にとっては気持ち悪いので、和紙に
﹃姿を見せて﹄とだけ書いてサイドテーブルに置いてから寝た。
次の日、8時に自動的に目が覚めたので彼女が起き上がると、障子
がスッと動いて和服姿の女の人が出てきた。
﹁お初にお目にかかります。この度、満月様の御側役を龍神様より
仰せつかりましたモノで御座います。ご用の際は何なりとお申し付
99
け下さい。﹂
突然出てきた女に臆することなく、満月は﹁はじめまして、満月で
す。何と呼べば良いですか?﹂と聞いた。
﹁名前は御座いません。ですから、手をたたいて下されば出てきま
す。﹂
﹁それは嫌です。﹂
満月が言い切ると、女の人は不思議そうな顔をした。
﹁なので⋮アナタを梓と呼びます。﹂
昨晩から考えていた名前を述べると、その女の人は淡々と﹁分かり
ました。﹂と言い、満月を和室へと誘導した。
おそらく、彼女は龍神家の分家の中でも一般的に“影”と呼ばれる
役割の人なんだと推測する。
龍神家の分家の話は文献にチラリと載るだけなので、実際何がどう
なっているのかは分からない。しかし、“影”という役割があるの
は良く知られているのだ。
100
﹁本日は本家に挨拶に行かれますので、こちらをお召し下さい。﹂
桜をモチーフにした淡い桃色の着物を梓に着付けてもらいながら、
満月は気になった事を尋ねてみた。
﹁昨日、服を片付けてくれたりタオルを出しといてくれたのはアナ
タじゃないよね?﹂
﹁・・・はい、私ではございません。﹂
﹁だよね、昨日は男の人っぽい気配がしたから。﹂
手を止める事なく、梓は﹁満月様は勘が宜しいのですね。﹂と言う。
﹁そうかな、気配で何となくだよ。﹂
﹁・・・私は初めて我らの気配に気づき、姿を見せるように言う方
に会いました。﹂
﹁そうなんだ。﹂
﹁はい、それから名前を下さる方も。﹂
梓は帯を締め上げ、ニッコリ笑うと満月を和室の外へ誘導した。
草履を履かせてもらい、梓には朝食を作ってもらうことにして、満
月は龍生の部屋へ向かう。
101
扉を開け、昨晩夕食を食べた居間を通り過ぎ、龍の彫刻が施された
扉の前で立ち止まる。
おそらくここが龍生の部屋だと思い、彼女はノックをして中に入っ
た。
*
**
*
龍生の屋敷に来て1週間も経つが、まだ真っ暗な室内に慣れるのに
数秒要した。
大きな窓には雨戸が閉まっており、厚手のカーテンも締め切られて
いる為、空気も淀んでいる。
何をこんなに暗くする必要があるのかと思い、カーテンを引いて開
ける。窓を開け、雨戸に手をかけて思いっきり開け放つ。
バタンという年期の入った音と共に、明るい日差しと少し冷たい風
が入ってきた。
﹁なにしてんだ。﹂
102
﹁おはようございます。天気が良いので窓を開けたんです。﹂
ベッドに横になったままの不機嫌な声の主に近づくと、サッとベッ
ドを覆っている天蓋を除けた。
﹁っ!?﹂
﹁騒ぐな。お前は運が悪いな・・・これが、お前を制約、もしくは
殺さなきゃいけない理由の1つだ。﹂
淡々と言う彼には傷はなく、満月には疑問ばかり残る。
﹁理由の1つ?でも、あなたは⋮﹂﹁気にするな、深く知ろうとす
るな。龍神家の宿命に関わって一生を繋がれて過ごしたくなきゃな。
﹂
絶句して彼の深紅の瞳を見つめ返した。
彼は鼻で笑うとベッドから起き出して、天蓋を抜ける。続いて満月
が外に出ると、龍生は﹁シャワー浴びるから先に居間に行ってろ。﹂
と言ってさっさと続きのシャワールームに入って行ってしまった。
︱︱なに、宿命って⋮︱︱
103
満月が絶句したまま居間へ足を向ける。
︱︱龍神をその身に飼っているっていう伝承は本当かもな︱︱
︱︱飼っているならあの血はいったい⋮?︱︱
︱︱分からん。︱︱
如月すら驚いているようだ。居間のテーブルに腰掛けていると、梓
が台車に朝食を乗せて運んできた。
﹁満月様、見てしまわれたのですね?﹂
﹁えっ⋮なんで?﹂
﹁ここには、様々な“影”が居りますので。﹂
﹁そう⋮。じゃあ、梓も血の事を知っているの?﹂
﹁はい。ですが、これ以上答えられません。﹂
﹁やっぱり、みんな﹃聞くな﹄って言うんだね。﹂
﹁満月様の人生を左右する事ですので⋮﹂
﹁そうだよね。﹂
104
苦笑して視線を外へ向ける。
︱︱“篭の鳥”って事か︱︱
︱︱期間は祭りの間と言ったが、終わってから自由になる保障もな
い。だが、龍神一族には逆らえない︱︱
︱︱難儀な事に巻き込まれたな︱︱
うざったそうに脳裏で毒吐く如月に頷き返して、目の前の美味しそ
うな朝食に目を落とした。
﹁待たせた。﹂
龍生が目の前に腰掛け、梓が料理を置く。
﹁今日は本家に顔を出す。支度、手伝え。﹂
﹁分かりました。﹂
淡々とした会話は続くことなく途切れて、後はカチャカチャという
ナイフの音がするだけだった。
105
朝食を終えて、梓に紐で和服の袖をくくってもらい、龍生と共に彼
の部屋に行く。
暗黙の了解なのか、梓は付いて来ない。
龍生は部屋に入ると障子で仕切られた和室に入り、衝立の向こうで
服を脱ぎ出す。
満月は黙って正座して待っていると、彼が手を止めて彼女を呼んだ。
﹁満月、こっち来い。﹂
彼女が傍へ行くと、彼は上半身裸のまま﹁着物の着付け方は分かる
よな?﹂と確認して、白い浴衣を渡した。
朝は焦っていて見ていなかったが、彼の躰中を覆う二匹の龍の痣は
彼の心臓を喰らうようにして二つの頭がある。
つい余りにも見事な龍に見入っていると、彼は苦笑して目を伏せた。
﹁怖いか?﹂
﹁⋮いいえ。初めて見たから、驚いて。﹂
106
﹁お前は、怯えないんだな。﹂
﹁怯える必要なんて無いですよ、躰の痣の話は噂でも知っています
しね。﹂
﹁・・・変わってるな、お前。﹂
﹁そうですか?﹂
浴衣を着ながら言う龍生に彼女は不思議そうな顔を向ける。
﹁あぁ。あの兄貴共の妹となれば当然なのだろうがな。﹂白銀色の
着物を着付けかけながら、満月は笑って同意した。
﹁確かに、私は変わっているのかもしれません。﹂
﹁今更気づくな。初めて会った時からそうだよ。﹂
﹁えっ覚えていらっしゃるんですか?﹂
﹁初めて負けた日だからな。﹂
苦々し気にふてくされて言う彼がなんだか可愛らしくて、満月は思
わず笑う。
107
﹁なんだよ、さっきから。﹂
﹁いえ、別に・・。﹂
満月は笑顔を無理やり引っ込めて藤色の帯を締める。
着物を着付け終わると、彼は鏡台に座り、コンタクトを手に取る。
﹁カラコン、するんですか?﹂
﹁この目は目立ってしょうがないからな。﹂
﹁綺麗なのに、残念です。﹂一瞬間が空いて、彼は振り向いた。
﹁んなわけねぇだろ。行くぞ。﹂
彼はさっさと立ち上がり、部屋を出て行ってしまう。
慌てて追いかける満月は知らない。
龍生の顔が心なしか赤かったことを。
and
薫
□■□■□■□■□■□
燿
108
□■□■□■□■□■□
時を祭り初日の夕方まで巻き戻す。
半日に及ぶ車の旅の後、満月と真にとってもらった宿の部屋に荷物
を放り込み、燿はソファーに寝っ転がっていた。
体を曲げていたせいで、体の節々が悲鳴をあげるし、腹も減る。
一方、薫はベッドの上で聖霊の猫サイズの黒豹と戯れている。なん
でも、彼女の言葉が手話や筆談無しで通じる相手は黒豹だけらしく、
なにか話す時は、彼女の意志を黒豹に伝え、黒豹が燿の聖霊である
大蛇に伝えて、大蛇が燿に伝えるというまどろっこしい手順を踏ま
なくてはいけなくなる。
それ以上に、彼には彼女の奥手でビクビクした所が目障りだった。
﹁なぁ、﹂
話しかけただけでビクッと上がる肩、薫が恐る恐る顔をこちらに向
ける。
イラッとしながら出来るだけ気にしないようにして起き上がる。
109
﹁飯、なんか作れよ。﹂
伸びをして関節をゴキゴキ鳴らす。
“﹁材料が無いです﹂とおっしゃっています”
大蛇が礼儀正しく、燿に通訳する。
﹁早く言えよー、買わなきゃなんねーじゃん。﹂
“﹁すいません﹂だそうです。”
舌打ちする燿に薫は一層オドオドする。
そんな薫に燿は一層イライラする。
薫が自分に対してオドオドする理由は燿も分かっているのだ。
というより、全面的にかつて燿がとった行為に否があり、その為薫
が燿に脅えるようになったのは間違いないのだから、燿がイライラ
するのは間違いなのだが、まだ15歳の燿には分かっていても難し
い。
“買い物リストを作っていただいて、買い物に行くべきでしょう。”
110
大蛇の提案は最もで、燿は薫に買い物リストを作るように言った。
“﹁何が食べたいですか?﹂だそうです”
﹁肉。﹂そう言うと、薫はペンを走らせメモを書き足していく。
受け取ったメモをたたんでポケットにねじ込み、武器のホルダーを
腰に巻いて彼は外に出た。
“﹁いってらっしゃい﹂だそうです。”
ドアを閉める前に大蛇が言ったセリフを無視して、バタンとドアを
閉める。
肌寒い3月上旬の風が吹いて、燿は身震いした。
すぐ近くに八百屋や肉屋が出張してきており、広場へ行けばお洒落
なスーパーもある。
メモを開くと、肉、野菜、米などと量や個数も指定されていた。
少しウンザリしながら肉屋や八百屋をはしごし、一時間かけてまた
部屋に戻ってきた。
111
部屋に入ると、大蛇が“﹁お帰りなさい﹂だそうです”と告げる。
﹁おう。﹂
と適当に返事をし、荷物をテーブルに置く。
薫は早速仕分けしながら冷蔵庫に品物を入れ、同時に料理を開始す
る。
ソファーに座ってくつろいでいると、薫がお茶と小さいお握りを3
つ持ってきた。
家から持ってきた少量の米と塩で作ったらしい。
“﹁先に食べていて下さい﹂だそうです。”
﹁あ、ありがと﹂
慣れないセリフを口ごもりながら言うと、薫は目を丸くした。
照れくさくなって﹁なんだよ?﹂と睨むと、薫はビクッとして台所
へ逃げる。
大蛇が“あぁ、あー”と言うのを﹁煩い﹂と一喝し、燿はお握りを
ほうばる。
程よく塩気の効いたお握りが旨くて、彼はあっという間に平らげた。
112
肉がいいと言うリクエストだったので、唐揚げを作る事にする。
“家族”に迎え入れてもらって3年が経ったが、未だに燿君と2人
だけになった事は無い。
2人になりそうな時は、極力自分から避けてきていた。
□■□■□■□■□■□
三年前
□■□■□■□■□■□
三年前、彼は私より3日ほど先に“家族”に迎え入れられていた。
しかし、彼はなかなか“家族”を認めなかった。
いくら東宮様の血が入っていようと、孤児の彼は幼い頃から孤児院
で育ち、孤児院を転々し、かなり荒っぽかった。
学校へも行かず、かつ上げやマフィアの使いパシリをしたりして小
遣いを稼いで、酒もタバコもやりたいようにやっていた。
そんな時、彼が世話になっていたマフィア集団が真兄さんに潰され、
彼はここに連れて来られた。
113
私が廓から如月さんに連れ出され、ここに来た日は、彼が怪我から
回復したその日だった。
﹁ざけんじゃねーっ!!﹂
ソファーもテーブルも蹴り飛ばし、彼は暴れ、私は恐怖のあまり固
まった。
﹁“家族”なんてイラネーんだよ!俺を帰せ!!﹂
﹁そうは言っても、お前に帰る場所なんて無いよ。﹂
武器の鋭い刃のついた鎖に聖霊を纏わせ、自在に動かす彼を見ても、
真兄さんは落ち着いていた。満月姉さんは私を抱きしめて穏やかに
頭を撫でてくれる。
でも、私には怖かった。
その場は真兄さんが圧倒的な力で抑えて事なきを得たが、それ以後
も度々彼は荒れた。
3ヶ月ほど、荒れては抑えられを繰り返したが彼は収まらなかった。
仕事の都合で真兄さんが帰って来れない日、私は満月姉さんの手伝
114
いをしていた。
テーブルに料理を並べていたのだが、その時彼が階段から下りて来
て料理を見るなりテーブルごとひっくり返した。
料理はもちろん宙を舞って、私は割れたお皿で頬を切った。
あまりの事に呆然と立ちすくむと、彼は落ちた料理に唾を吐く。
﹁マッズイ飯つくりぁ⋮!!!!﹂
バッチーンッ!!
と凄い音がして、彼の体がもんどりうって倒れる。
間髪入れずに、満月姉さんが女とは思えない力で彼の体を胸倉掴ん
で引き上げる。
﹁甘ったれてんじゃねーぞ糞餓鬼が。﹂
氷点下まで一気に気温が下がったような気がするほど、鳥肌の立つ
声が満月姉さんの口から漏れる。
﹁たかが女に一発殴られたくらいで吹っ飛びあがって、情けねぇ。﹂
115
燿君の口から苦しそうな呻き声が聞こえるが、姉さんは力を緩める
事なく締め上げる。
﹁出て行きたきゃ出て行きゃいいだろうが、居ずわってるくせにゴ
チャゴチャとじゃあかしい。﹂
だんだんと燿君の顔が青くなってきて見るからに力が抜けてきたと
ころで、満月姉さんは乱暴に燿君を壁に叩きつけた。
ガハッ
と息を吐き、ズルズルと床に伸びた彼を放置し、満月姉さんは何事
も無かったかのように片付けにかかる。
料理を二人分のみ作り直し、満月姉さんと私の2人で食べた後、気
絶した彼をそのままにして寝むった。
□■□■□■□■□■□
満月姉さんの締め上げが効いたのか、以降彼が荒れる事は無くなっ
116
たが、未だに私は彼が怖い。
彼女は唐揚げを揚げながら過去をぼんやり思い返した。
ぼんやりしていたのが悪かったのか、唐揚げを油から上げる時に鍋
の取っ手を引っ掛けて、左手に油がかかる。
声にならない叫び声を上げて、流しの水に手を突っ込む。
痛すぎて涙が溢れ、黒豹が慌てて姿を現して慰めるように擦りよる。
ピーという火を止める音が聞こえ、横を見ると燿君が唐揚げを油か
ら上げていた。
﹁大丈夫か?﹂
首を横に振る私の腕を引っ張って左手を見た瞬間、彼は顔をしかめ
た。
﹁お前、なんで・・・﹂
たぶん、﹁言わねぇんだよ﹂と続けたかったのだと思うが、彼はそ
れを止めて荷物の中から薬箱を取り出しに向かった。
117
ソファーに座り、まだ泣き止まない薫の手を取る。
タオルを口に当て、顔をしかめている彼女の折れそうなほど華奢な
手。抜けるように白に肌は、火傷のせいで皮がめくれて腫れている。
そっと消毒液をかけ、火傷に効く軟膏を塗り、ガーゼを固定して包
帯を巻く。
﹁明日は医者に行こう。﹂
そう言うと、慌てて薫は嫌々をするが、﹁はぁ!?﹂と睨み付けて
黙らせる。
薫は外が嫌いだ。
白銀の髪に碧と夕日色の瞳は人の注目を引くし、端正な顔立ちは人
攫いに攫われやすい。
満月姉さんも真兄さんも口を酸っぱくして注意している。
だが、それとこれとは別だ。
﹁今日は唐揚げ食って寝よう。﹂
118
大皿に盛られた唐揚げとご飯を食べ、野菜ジュースを飲む。
薫は利き手の左手が使えず苦心していたので、ご飯はお握りにして
やった。
もそもそと食べる薫を見て、テレビの音をBGMにして皿を洗う。
時折、薫が心配そうにこっちを見るが気にしない。
俺だって、皿洗いくらいは出来る。
痛み止めの薬を飲んだ彼女は、俺が風呂に入っているまに寝入った
ようで、1つしかないベッドの上で丸くなっている。
彼は明日どうやって彼女を連れ出すか考えながらソファーで横にな
った。
and
満月
□■□■□■□■□■□
龍生
□■□■□■□■□■□
見たことがない長い車の中は、やはり見たことがないくらい豪勢な
ものだった。
119
車にテレビや冷蔵庫やワインセラーまである意味も分からないが、
せっかく梓が出してくれたのでオレンジジュースを一口飲む。
﹁いつもの場所に寄ってくれ。﹂
﹃かしこまりました。﹄
運転手と内線で話し、行き先を変更したようだ。
お互いに無言のまましばらく乗っていると、とある高級店の目の前
で私は梓と共に下ろされた。
マッサージにエステに高級ブティックが集まったこの店に入って、
磨き直してこいというお達しのようだ。
﹁行きましょう、満月さま。﹂
梓に促されてやっと足を踏み出す。
金持ちの世界は理解できないと、満月はその時本気で思った。
それから数時間、様々な人に﹁満月様お似合いです。﹂とか﹁満月
様、こちらもお試し下さい。﹂と言われて引っ張られ続けて、気づ
けば午後5時になっていた。
120
美しく黒髪を結い上げて、行きと同じ桜の着物を着た満月と、台車
一杯にブランドの箱を積んだ梓を見て、龍生はニヤリと笑った。
満月が車に入ると、
﹁お気に召すモノが沢山あったみたいだな。﹂
と茶化す。
﹁全部似合うって言われて、いつの間にか全部買うことになってた
の。﹂
﹁そりゃ、それが商売だからな。﹂
﹁もったいない事してごめんなさい。﹂
﹁謝るな。俺があの店に﹃今から連れてく女に似合うものは全てく
れ。﹄って言ったんだ。﹂小気味良さそうに笑う彼を横目で睨む。
﹁楽しかったろ?﹂
﹁確かに、お姫様気分味わえだけど・・・﹂
なんだかしてやられた感じが悔しい。
121
龍神家の大邸宅に着き、龍生に従って屋敷内を歩く。
どこまでも同じ感じの白い壁と襖と廊下を歩き抜け、龍が2頭描か
れた襖の前で足を止める。
﹁ここが俺達の部屋だ。﹂
﹁俺達?﹂
満月の疑問を無視して彼は襖を開け、中に入る。
部屋はとてつもなく広く、全ての調度品が最高級なのは言うまでも
無いが、なんだか別荘の龍生の部屋に輪をかけて冷たい雰囲気のす
る部屋だった。
﹁ここじゃお前は妾だ。﹂
頭をガツンと殴られた気がして、思わず絶句する。
﹁契約の中に俺の飾りも兼ねていると言った筈だが?﹂
絶句した満月をなるべく見ないようにしながら彼は言った。
122
﹁だって、お付きの人かと、思って・・・﹂
確かに、女の護衛を雇って身近に居ても違和感の無いようにする事
はよくある。
しかし、
﹁俺に護衛が要らないのは周知の事実だ。﹂
﹁だからって・・・﹂
﹁諦めろ、周りはお前をそういう目で見る。﹂
満月の方は向けない。
彼は縁側の椅子に座って外を眺める・・・ふりをした。
襖が開いて閉まる音がする。
心配そうな顔をしてお茶を出した梓を無視して、30分ほどぼーっ
と庭を眺めているふりをしていた。
続きの間は生活空間のようで、先ほどより煌びやかな感じは無くな
り、箪笥や衝立などが揃っている。
123
その部屋の奥、障子を開けると大きな布団が一式だけ敷かれていた。
枕は2つ、コレを意味する事が分からないほど子供では無い。
満月はその場に座りこんで、目を閉じた。
︱︱如月、えらいことになってきちゃったよ︱︱
︱︱もとの生活には戻れない覚悟を・・・・もしかしたら死ぬ覚悟
を決めなきゃな︱︱
︱︱死にたくないな⋮︱︱
︱︱簡単に殺させやしないさ、俺も、お前の家族も︱︱
︱︱絶対、みんな心配してる︱︱
︱︱あぁ、そうだな。︱︱
しばらく泣いた後、部屋を出て一番最初に居た客間に戻る。
庭を眺めている龍生の背中にどう声をかけようかと迷っていると、
彼から声をかけられた。
﹁お前には触れない。﹂
124
振り向いた彼の瞳と目が合う。
﹁だから、体を貸せ。﹂
断る事なんて出来ず、満月は頷いた。
*
**
*
宴は大広間で盛大に行われた。
龍神家の敷地内にある泉を囲って宴席が設けられ、宴席同士を橋で
渡している。
龍神家の一族は泉の中の社の真正面にあたり、その宴会場を見下ろ
す位地にある宴席に座っていた。午後7時、宴が始まる。
泉の中の社の正面に当主様、その右に妃殿下と妹君の黄様、左に先
代当主様とそのお妃様、そして龍生、続いて左右に各分家の頭領と
ご子息達が長いテーブルに着いていた。
護衛や御妾さんなど表だって列席出来ない連れの中に混ざり、一段
125
下に作られた宴席に満月は座る。
満月は龍生の真後ろ、そして真が黄姫の後ろに居た。
アイコンタクトを真ととって、満月は着席する。
例によって例のごとく、泉に浮かぶ社で巫女たちの舞を見る。
めでたい席では必ず演じられる世界創造の神話。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
かつて、この世界は全て地続きで、人には聖霊が付いて居り、聖霊
が人を守っていた。なぜなら、聖霊の中でも絶大な力を持つ神の使
いとして名高い二匹の黄龍が地上を支配し、守り、それによって人
は聖霊の力を借りる事ができたからだ。
支配するというのは、人は貢ぎ物を捧げてその対価として聖霊の力
を借りていたという事である。
二頭の龍は人に優しく、人々は餓えも病も知らずに過ごした。
常に供物があり、居心地の良い地上が好きであったし、居心地の良
さを一生懸命に提供してくれようとする神官も、ひいては人も気に
入っていた。
126
しかし、ある満月の夜、1人の女を龍は見つけた。
女は巫女であった。
満月の夜、ひたすらに森の奥にある泉の上の社でひっそりと舞、神
に祈り続ける彼女。
その姿を二頭が目に留めて、あの女が欲しいと二頭で争いを始めた。
大地は割れて、水が吹き出し、大地が盛り上がり、火が吹き出す。
砂塵が空を覆って昼も夜も分からず、水は濁り、作物は育たず、疫
病が流行り、民衆は苦しみ、死んでいく。
巫女は昼も夜も一心不乱に神に舞を捧げ続け、神官は祈りを捧げ続
けた。
神は、巫女の10日間に及ぶ舞と命とを引き換えに、一振りの大太
刀を神官に、神官の力がある四人の親族に、天界の聖獣四神を与え
る。
これで、龍神たちを封じれるように。
神官達と龍神の戦いは、十日間続いた。
その間ずっと巫女は社で舞続ける。
昼が来ず、ずっと満月の登ったまま夜が続き、雷雨が吹き荒れ続け
127
た。
十日目に、神官はその身を器に龍の魂を封じ込めた。
その直後、巫女は満月の映る泉の底へ身を投げる⋮
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
その巫女と神官には双子の男女の子供が居り、男は今の龍神一族の
先祖で、女は巫女の一族の先祖。
4聖獣の玄武を賜った者が今の北宮家の先祖。
青龍を賜った者が東宮家の先祖。
朱雀を賜った者が南宮家の先祖。
白虎を賜った者が西宮家の先祖、という事だそうだ。
満月は極上の料理に舌鼓を打ちながらぼんやりと満月の月を見てい
た。
クレーターすら見えそうな月に1つ、黒点があることに気づいた。
巫女たちの舞も佳境に入る。
128
満月は黒点を目を細めて睨み付けた。急速に、その黒点が大きくな
りだした気がする。
満月の様子に気づいた真は、半信半疑で彼女の視線を辿って黒点に
望遠鏡を定めた。
満月は視線を龍生に向ける。
退屈そうに欠伸をし、談笑にも加わらず、料理もほとんど手付かず
のまま置かれている。
真がそっと護衛頭に何か告げると、彼はすぐさま当主に耳打ちする。
当主は一度目を見開くと、立ち上がって分家の面々を呼び寄せ、何
かを話した。
皆、当主同様に顔をしかめ、一族を伴って退席しだす。
そんな上の様子に下がざわめきだす。既に伝令は行っているようで、
舞は中断し、巫女たちは姿を消している。
当主は悠然と立ち上がって声を張り上げた。
﹁今宵、神聖なる宴に良からぬ者が参った。腕に覚えがある者は皆、
その真価を存分に示すが良い。﹂
129
ざわめきが歓声に変わり、雄叫びに変わる。
当主はそれだけ言うと、妻と娘を伴って、奥へ姿を消した。
ここでも龍生は動かず、机に頬杖をついて月を見ている。
いつの間にか、上座には満月と龍生と梓しか居らず、皆引き払って
いた。
﹁満月、隠れとけ。﹂
﹁龍生様も、﹂
﹁俺はいい。﹂
﹁ならば、お付きの私が下がるわけにもいきません。﹂彼は舌打ち
と共に立ち上がると、振り返った。
﹁舐めてると死ぬぞ?﹂
﹁死なせたく無かったら、龍生様も下がって下さい。﹂
﹁バカが、勝手にしろ。﹂
彼は大太刀を振り抜き、奇襲を仕掛けてきた反政府軍の特攻隊と腕
に覚えがある軍人たちとで賑わう地上まで落ちた。
130
﹁満月様、来ますよ。﹂
梓が長い針のような獲物を手に上を見上げる。
満月は白地に紅の蝶の細工をされた護身刀を抜いた。
*
**
*
鎮圧はアッサリ終わった。
敵は奇襲の第一段と上空からの第二段で崩して、第三、第四で討つ
つもりだったのだろうが、第二段がバレたと知れるや即座に第三、
第四段が撤退したからだ。
既に敵襲を予想していた軍人たちの行動は早く、中でも偶々挨拶に
来ていた暗部の霜月と神無月の働きが凄まじかった。
龍生は相変わらず豪快に大太刀を振り回して敵を凪払い、宴席に座
ったまま動かなかった睦月とは対照的だった。
﹁へぇ、生きてたか。﹂
131
龍生が粗方敵を片付け終わり、再び上座の宴席へ戻って来た時、満
月は倒れた相手から護身刀を引き抜くところだった。
﹁なかなかやるな。﹂
腕と袖を切られたより他は大して外傷の見当たらない満月を見て、
彼は呟く。
満月は刀の血を拭い、鞘に納めると、彼に向き直り﹁すいません。﹂
と頭を下げた。
﹁せっかく頂いた着物をボロボロにしてしまいました。﹂
それを聞くなり彼は爆笑した。
しばらく笑った後、ようやく
﹁構わない。﹂
と一言言い、彼女を連れて自室に戻った。
*
**
*
132
自室に帰った龍生は救急箱を取り出して、彼女に差し出した。
﹁自分で出来るか?﹂
﹁はい。﹂
そう言って満月は救急箱を受け取り奥へ消える。
彼は彼女の姿が消えるのを確認すると風呂へ向かった。
︱︱あんな奴、ほっとけよ。︱︱
寝室で満月が着物を脱ぎ、ケガの手当てをしていると、如月が苦々
しげに口を開く。
﹁だってさぁ、、﹂
肩の傷は、ザックリ切られてるように見えて、案外浅い。これなら
直ぐに治ると満月はほっとする。︱︱龍神家でのアイツの扱いは知
ってるだろ?所詮、妾の子なんだよ。︱︱
133
﹁そうだけどさ⋮﹂
︱︱下手な同情で身を滅ぼすな。今度、無茶したら問答無用で代わ
るからな。︱︱
﹁・・・うん、分かった。﹂
満月は簡単に用意されていたお湯で体を拭き、浴衣を着る。
︱︱気をつけろよ、手は出さないって言ったって、信用ならないん
だから。︱︱
そう言って、如月は眠りについた。
布団に横になって、満月は龍生を待ったが龍生は一向に帰って来ず、
いつの間にか眠ってしまった。
*
**
*
朝、まだ夜が明けないくらい早い時間に、満月は物音を聞いて目を
覚ました。襖を開ける音じゃなく、何か重いものをこじ開ける音だ。
不審に思い、起き上がって居間へと続く襖を開ける。
134
しかし、誰も居ない。
すっかり目が覚めたので、電気を点け、お茶を入れに台所へと向か
う。
龍生が禁じているので、“影”と呼ばれる姿無き護衛すら龍生の部
屋に入れない。
唯一許されるのは、龍生の外出中に掃除をするくらいだ。
満月は緑茶を入れて、一息つくと、シャワーを浴びようと風呂に向
かった。
and
黄
□■□■□■□■□■□
真
□■□■□■□■□■□
姫は不機嫌だ。
いや、いつも大抵不機嫌だが、自分の思い通りにならなければ尚更
だ。
135
今夜も又、巫女の舞が見たかったとむくれている。
﹁出て行ってって言ってるでしょー!!﹂
高級なクッションがメイドに向けて飛ばされる。
それを空中で受け止めて、真はメイドに下がるように促した。
きらびやかな無駄に広い部屋に2人になると、黄は真を睨み付けた。
﹁なんでアナタなのよ?﹂
﹁前任者の契約期間が終わった為です。﹂
﹁そんな事聞いてない、何でよりにもよって、どこの出だか分から
ない人が後任なのよ!?﹂
﹁当主様にお聞きになって下さい。﹂
黄が散らかしたクッションを片付けながら真が応える。
応えながら、真は内心頭を抱えた。
黄は16歳。生意気盛りなお年頃⋮とはいえ、満月の反抗期だって
こんなに生意気じゃなかった。
136
黄は、むすくれながらメイドが置いて行った紅茶を飲む。
この男⋮真と言ったこの男が、いけ好かなかった。
軍は実力・結果重視とはいえ、出生の分からない人間を嫌っていた
父が、急に連れてきたのも不可解だし、何を言ってもやっても穏や
か受け流す気性が、子供扱いされているようで嫌だ。
﹁明日は、朝からお妃様とセレモニーに出席しなければいけません
から、早くお休みになられて下さい。﹂
﹁嫌よ。﹂
そう言って、彼女は立ち上がり、カーテンに手を伸ばす。
真はサッとカーテンを抑え、外が見えないようにしながら窘める。
﹁まだ、外を見てはいけません。﹂
完全な防音加工してあるこの部屋に、泉で繰り広げられてる惨劇の
音は人間には聞こえない。
だが、聖霊達には分かるようで、玄武が頭の中に警告を送ってきて
くれている。
137
﹁まだ、闘いは続いておりますので。﹂
そう言うと、彼女はプイっと横を向いてソファーへ戻る。
﹁あなた、真って言ったわね?﹂
﹁はい。﹂
﹁偉いの?﹂
﹁ぼちぼちでしょうか。﹂
﹁・・・・強いの?﹂
﹁はい。﹂
彼女の目を見据えて言い切る。
彼女は目を伏せて、彼に隣のソファーに座るように言った。
﹁聞いて良い?﹂
﹁何なりと。﹂
138
﹁何回死にかけたの?﹂
﹁本当に危なかったのは、9回ほどです。﹂
﹁何人殺したの?﹂
﹁覚えてません。﹂
真は目を見て、アッサリと応えた。
﹁今日、何人死ぬの?﹂
﹁分かりません。﹂
黄は、何が聞きたいんだろうか。
計りきれないまま彼女は黙った。
﹁・・・・もう寝ます。﹂
しばらく沈黙した後、彼女はそう言って立ち上がって、寝室へ消え
た。
139
and
燿
□■□■□■□■□■□
薫
□■□■□■□■□■□
左手を包帯でぐるぐる巻きにされた彼女と街へ出る。
ここ3日で左手はだいぶ良くなったが、それ以上に、医者に行くた
めに買ったカツラとカラコンがお気に召したようで、嬉しそうだ。
茶色の髪と蒼い目になった薫は、今まで外見を気にして行けなかっ
た分、どこへでも行きたがり、1人にするわけにもいかない燿はず
っと付き合うはめになっていた。
2日目は病院に行き、帰りにご飯を食べた。
3日目は今流行りのアクション映画を見に行って、ゲーセンのUF
Oキャッチャーで、薫の聖霊の黒豹そっくりの黒猫のぬいぐるみを
取ってやり、薫はその黒猫を肌身はなさず持っている。
4日目の今日は服を見に行きたいんだそうで、デカいアウトレット
を1日歩く事になる。
“燿さん、最近薫さんが元気ですね。”
140
白蛇が機嫌よく薫の包帯交換を手伝ってから、燿の方へ嬉しそうに
来る。﹁今日はどこへ行くんだっけ?﹂
“﹁ショッピングモールに行きたい!﹂だそうです。”
﹁それさ、独りで行ってこねぇ?﹂
そう言うと、少しの間が空いて、薫の目がジンワリ潤み出す。
“﹁やっぱり、迷惑ですよね。ごめんなさい、、﹂だそうですよ?”
黒豹と白蛇にジトーっと抗議の視線を送られて、燿は思わず目をそ
らす。
︱︱泣くなよ、質わりい。︱︱
舌打ちをぐっとこらえて、言葉を探す。
﹁いや、迷惑とかじゃなくてさ。昨日遊び過ぎて疲れたんだ。だか
ら今日は大人しく過ごさね?﹂
“﹁分かりました。明日は一緒に買い物して下さい。﹂”
﹁分かった。﹂
141
“﹁ご飯の材料を買ってきます。﹂”
﹁行ってらっしゃい。﹂
パタンと扉が閉まると同時に深いため息を吐く。
薫との3年間の溝が一気に埋まった3日間だが、人に合わせて行動
する事が無い燿にとってはそろそろ限界だった。
“ついて行かなくて良いのですか?”
白蛇がそわそわと尻尾を動かす。
﹁近所の八百屋に行くだけだし、大丈夫だろ。﹂
“だと良いのですが。”
﹁何かありゃ黒豹が知らせに来るさ。﹂
燿はベッドに横になって、目を閉じた。
142
and
満月
□■□■□■□■□■□
龍生
□■□■□■□■□■□
二度寝をしてしまったようだ。
ずいぶん明るくなった庭先を見ながら満月は起き上がる。
縁側の座椅子で、浴衣を着た龍生が眠っているのを見つけて、彼女
は傍に寄った。
長い睫、すっと通った鼻筋、短い黒髪、褐色の肌。
睦月兄さんは美男子だし、真兄さんも格好良いのだが、でもやはり
彼は違う。
嬉々として殺戮している姿さえ美しいのだ。
全然起きないことを良いことに、満月はすぐ隣に腰を下ろし、肩が
彼の体に触れるほど近づいてみた。
さすがに210?の彼は大きく、頭が彼の肩くらいしか届か無い。
143
﹁近い。﹂
﹁あ、ごめんなさい。﹂
起こしてしまったようで、紅い目に見下ろされて素直に謝る。
﹁なぜ隠れなかった?﹂不機嫌そうに、彼が肩を見ていることに気
づいて、サッとケガの方を隠す。
﹁龍生様が隠れないのに、従者だけ隠れる筈が無いですよ。﹂
龍生は渋い顔をしたまま押し黙る。
しばらくして、彼は長い溜め息を吐くと、黙ったまま彼女を抱きし
めて、浴衣を途中まで剥いだ。
あまりにも自然すぎる仕草に、満月は抵抗も出来ずに為されるがま
まになっている。
肩に頭を押し付けられ、何も見えないが、肩の包帯が取られ、ガー
ゼが取られ、どんどん傷が表れてくるのが分かる。
144
それから、傷口に生暖かいものが這い、初め一瞬痛みが走ったが、
30秒ほどで、何の痛みもない、元通りの感覚になった。
彼は浴衣を直すと、やっと満月を解放する。
肩の傷を触ってみたが、既にどこに傷があるか分からないくらいに
消えている。
﹁今夜はドレスだ。用意しろよ。﹂
唖然とする満月にそう言って、彼は再び向こうを向いて座椅子を倒
し、横になってしまった。
彼は昼になるまで起きなかった。
その間、満月は刀の手入れをしたりしてのんびり過ごす。
もう、祭りが開始されてから1週間と1日、昼間に満月が登ってか
ら4日目になる。
この1週間、彼は色々な宴席に私を出席させ、息抜きと称して、人
生で初の遊園地やプールにも連れて行ってくれた。
145
その間にも、彼の身の回りでは命を狙う奴らが襲撃をかけて来て、
満月は昨夜以外に二度市街戦を経験している。
小競り合いをする度に、密かに龍生から離れて如月に交代していた
ので、掠り傷1つ付かずに難を逃れていたのだが、昨夜は龍生との
距離が近すぎた。
戦い方を見れば、一目で如月と見破られるだろう。
︱︱バレたらその時はその時︱︱
満月はそう思えるほど龍生を信用しているが、如月はそうではない。
︱︱お前は龍生の事、龍神一族の事を何も知らなさ過ぎる。信用し
過ぎだ。︱︱
というのが彼の見解。
確かに、いまだに私は彼が夜中に何をしているのか知らない。
起き出してきた彼に、彼女は昼食の繕を出しながら、聞いてみた。
﹁夜中はどこに行ってるんですか?﹂
146
﹁聞くな。﹂
つれなくそう言って、龍生は味噌汁を吸う。
﹁知りたいです。﹂
龍生の箸を持つ手を両手で抑えて、無理矢理目を合わす。
﹁・・・・殺したくない。﹂
溜め息混じりに呟いて、彼は箸を置いた。
﹁祭りの前夜、深夜に五老帥の1人が無くなった。残り四人の推薦
により、十老の内1人が選ばれ、その後釜となった。会議の結果、
十老となれるS級の資格がある睦月が、今夜、昇格した十老の後釜
になる戴冠式が行われる。﹂暗唱でもしていたかのように、スラス
ラと龍生は述べる。
﹁だから、身よりのない真は黄の護衛だし、お前は俺の愛人でも何
ら問題はない。﹂
﹁・・・・今や、重要人物の妹であるお前を殺す事は、政治的にも
軍隊的にもマイナスにしかならん。だから、聞くな。﹂
147
絶句する満月。黙って見つめ返す龍生。
数秒見つめ合った後、満月が口を開いた。
﹁もし、私が、、ずっと傍に居るって言ったら?﹂
今度絶句するのは龍生の方だった。
﹁バカじゃねぇの?﹂
それだけ、絞り出すように吐き捨てる。
﹁・・・・なんで、そんな事をする必要がある?﹂
﹁だって、重要人物の妹なら狙われるんでしょ?私は一般人だから
捕まえるのは簡単だろうしね。﹂
﹁バカな。﹂
﹁それに、一度でもアナタと関わった身なんだから、前のように自
由になんて暮らせないでしょ?どうせ不自由なのは同じなんだから、
アナタの傍にいた方が安全じゃない?﹂
148
ただただ、敬語を忘れて喋る彼女に圧倒される。
ただ、言っていることは全て事実で、龍生は言い返せない。
﹁ずっと傍に居るなら、アナタの秘密を知っても殺されなくて済む
でしょ?﹂
しばらくの沈黙。
味噌汁が冷め切ってしまうころになって、やっと龍生が口を開いた。
﹁その言葉、後悔すんなよ?﹂
﹁しないよ。﹂
満月がそう言うと同時に口を塞ぐ。
彼女が息が出来なくなるほど激しくキスをする。
苦しそうに涙目になったところで、やっと唇を離して抱き寄せた。
﹁兄貴と弟達はどうする気だ?﹂
﹁説得してみる。﹂
149
迷いなく言う彼女に、彼は黙って腕に力を込めた。
and
薫
□■□■□■□■□■□
燿
□■□■□■□■□■□
今、自分がどこに居るのか分からなかった。
ちょっと買い物してすぐ戻るつもりだったのに、背後から口を押さ
えつけられて意識を失ってしまったのだ。
気づいた時にはガランとした廃墟の一室に手足を縛られて横になっ
ていた。
近くには、覆面をした男が1人、本来扉があるはずの空間の外に立
っている。
廊下に伸びる西日から、夕方だと分かるが、それ以外は推測できな
かった。
“気がついたか?”
150
黒豹が直接脳内に話しかけてきた。
“我の分身を迎えに行かせた。燿が助けに来るまで辛抱しろ。”
︱︱うん、わかった。︱︱
薫がそう返すと同時に、男が1人入ってきた。
見張りの男のリアクションからその人がボスだと分かる。
﹁上玉だなぁ。﹂
入ってきた男は、薫の顔を上げさせ、まじまじと観察した。
この組織は人身売買の売り手なのだろう。
このままでは、私は売り飛ばされる。
﹁珍しい髪色、目の色も隠している所をみると変わっているんだろ
うな。顔も良い。﹂
顔を確認すると、男はナイフをちらつかせ、薫の服を脱がせた。
151
﹁白い肌、きめ細かい。﹂
首からすっとナイフを滑らす。
ブチっとブラジャーを切る。
﹁色もピンクか、ますます旨そうなガキだ。﹂
続いて、足の縄を解き、再び太ももと脹ら脛がつくように結び直す。
露わになったパンツを切り捨て、舌なめずりをする。
ポケットからローターを取り出し、乳首に押し付け、テープで固定
する。
微かな振動音と共に、ローターが動き始めた。
だんだん硬くなっていく乳首に、男はローションを垂らしていく。
下の股の間にもローションを塗り、弄り始めた。
いつの間にか、見張りの男も加わり、乳房を弄んでいる。
薫は目をつぶって、声にならない叫び声を上げ続けた。
152
*
**
*
“燿さん急いで!”
﹁分かってる!!﹂
途中で放置バイクをパクッて街中をかっ飛ばす。
1人で行かせるんじゃなかったと、後悔ばかりが浮かび、歯をギリ
ギリと噛み締める。
分身の超ミニ黒豹が言うには、薫は中流区と下流区の境にある廃墟
群の中に居るらしい。
西区のその廃墟群は、ゴロツキたちがたむろしている場所としても
有名である。
燿がかつて所属していたマフィアも、そこに事務所を置いていた。
︱︱嫌な予感しかしねぇ︱︱
153
麻薬、密売、人攫い、何でもありな裏社会だ。
薫の無事を祈りながら、燿は裏道を走った。
*
**
*
気を失っていたようだ。
辺りは真っ暗で、男達が持っている発光体だけが光のもとになって
いる。
体を捩らせた瞬間、股からドロリとしたものが流れて、悪寒が走っ
た。
身動きがとれない事が、一層嫌悪感を増させる。
もう1人の男は見張りだろうか、部屋には居ない。
ボスらしき男は1人で誰かと話していた。
もれ聞こえる話から、私の売買の話だと分かる。
﹁髪は銀、瞳は赤と青﹂
154
﹁顔も体も上玉﹂
﹁既に躾済み﹂下品な笑い声と共に交わされる会話を聞きながら、
私は諦めて目を閉じた。
“薫、燿から伝言。﹁できるだけ壁側に寄れ。﹂”
突然、黒豹が耳打ちをする。
意味が分からなかったが、ただ“燿”という名前が聞けたことが嬉
しくて、ダルい体を無理に動かして転がり、壁に寄る。
次の瞬間、天井の一カ所が吹き飛ばされて、瓦礫と人が降ってくる。
人は軽々と着地し、慌てて出てきた見張りをあっさり倒す。
どこからか、音を聞きつけて続々と入ってきた人間達を、素早く鎖
の付いた刃で掻き切り、ねじ伏せ、鎖は自在に動いて人間を締め上
げる。
一通り闘い終えた彼は、冷笑しているボスと対峙する。
ゆっくり彼が武器を構えると、再びワラワラと武器を構えた部下達
が入ってきた。
ボスが手で合図するとピタリと部下達は止まり、馬鹿でかい発光機
を持ち出して光を当てた。
155
不意打ちを食らった形になり、彼は思わず手をかざす。
そこへ2、3発ボスが拳を入れて、彼は床に膝を付いた。
﹁だーれかと思えば、チビじゃねーか。﹂
ボスは彼の髪を掴み上げて鼻先を突きつける。
﹁奇遇だねぇ、こんなところで会うなんてな。﹂
﹁お前⋮ストーム。﹂
﹁くっ⋮懐かしいねぇ。覚えてたか?ビックリしたよぉ、お前が可
愛い子チャンと歩いて居るのを見た時は。﹂
下品な笑いを顔中に貼り付けて、ストームと言われた男は燿を床に
叩きつけ、背中を踏む。
﹁ぐっうぅ⋮﹂
呻き声を上げる燿を愉しそうに見ながらストームは話し続ける。
156
﹁だって死んだ筈のお前が幸せそうに笑ってるんだもんなぁ⋮。﹂
ゆっくりしゃがみ込んで、燿の耳もとで囁いた。
﹁あの女、良い味だったぜぇ?﹂
ガッ
っと頭を振り上げて鼻に頭突きを食らわす。
﹁くっ⋮﹂
ストームが二の句を次ぐ前に、切れる鎖が鞭のようにしなって敵を
襲った。
部下たちの阿鼻叫喚を前にしても、ストームは下品な笑い顔は崩さ
なかった。
﹁怒るなよ、お前だって同じ穴の狢だろ?﹂
﹁うるせぇ﹂
157
﹁俺はお前にだって何人も喰わせてやっただろ?﹂
﹁うるせぇ!﹂
﹁ったく、興醒めだな。やっぱりガキか。﹂
素早く銃を取り出し、燿に向ける。
﹁甘ぇのも変わんねぇな。﹂
真顔に戻り、銃の引き金を引く。
パンッ
と乾いた音がして、倒れた。
﹁甘ぇのは、あんただ。いつまでもチビじゃねーよ。﹂
鎖に憑依していた大蛇が男を貫通させた鎖を抜き、燿は鎖を回収し
た。
158
そして、くるりと振り向き、黙って薫の縄を切り、自分の服を着せ
た。
呆然としている薫を背中に背負うと、彼は部屋を出て歩き出した。
*
**
*
漠然と、セリナさんの店に行こうと思った。
兄さんと姉さんが、困るといつもそこの女将を頼る事を知っていた
し、何度もお世話になった。
組織に借家を知られている可能性があり帰れない今、誰も居ない隠
れ家に行くつもりは無かったし、薫と2人は気が引けた。
店に辿り着いた時には朝になりかかっていた。
気を失うようにして眠った薫の体温が熱くて、重い。
裏へ回って呼び鈴を押す。
夜も明けきらない早朝だと言うのに、インターホンから﹁どちら様
ですか?﹂と声が聞こえた。
159
﹁燿と薫です。助けて下さい。﹂
﹁えっ!?ちょっと待ってね。﹂
すぐに玄関が開き、セリナさんが顔を出す。
﹁どうしたの!?﹂
ボロボロで傷だらけの2人を招き入れ、セリナさんはチャキチャキ
と薫を起こし、風呂に入れる。
セリナさんの﹁独りで大丈夫?﹂の問に、薫は悲しそうに頷いたの
を見て、胸が苦しくなった。
﹁騒がしいな。﹂
上の階から男が小さい子供を抱えて降りてきた。
﹁睦月、燿君と薫ちゃんが来たの。﹂
160
﹁何かあったか?﹂
話に聞いている長兄のお出ましに、燿は身を堅くした。
睦月は燿の目の前に腰を下ろすと、朔羅をセリナに預けて、席を外
すように言った。
﹁で、何があった?﹂
ボロボロの燿を眺めながら睦月は問いかける。
あまりに優しい声に、思わず顔を上げた。
﹁話には聞いている。会いたいと思っていた俺の新しい弟妹が、こ
んな早くにボロボロで来たんだ。力になってやれるから、話してみ
ろ。﹂
穏やかに笑う彼に安堵し、燿はとつとつと話始めた。
薫が攫われて助けに向かった事
既に慰み者にされていた事
首謀者が、かつての上司だった事
まだかつての仲間は生き残っているかもしれない事
最後まで話し終わる頃には、燿は泣いていた。
161
﹁俺のせいだ。俺と薫が歩いている所を見られてたんだ。﹂
肩を震わせて泣く燿の頭を黙ってぐしゃぐしゃと撫で、睦月は黙っ
たまま思案しだした。
﹁お話は済んだかしら?﹂と言いながらセリナさんが入って来て、
ココアを出してくれた。
一口飲むと大分落ち着いたが、それでもまだ涙は止まらない。
﹁セリ、薫は?﹂
﹁お風呂入って、今は客間で寝てるわ。﹂
﹁なら、燿。お前も風呂入って、飯食って、寝ろ。﹂
言われたままに燿が風呂に入りに行くと、睦月はセリナを抱き締め
た。
﹁すまん、あの子らの面倒をみてくれ。﹂
﹁あなたが言い出さなかったら、私から言うつもりでしたから。﹂
162
﹁ありがとう。俺は調べものをしてくる。﹂
﹁行ってらっしゃい。﹂
セリナがそう言うと、睦月は軽く彼女にキスをして、玄関から出て
行った。
*
**
*
目を開けたら、隣の布団で燿君が寝ていた。
疲れたのだろう。
戦闘のせいで付いた傷が痛々しい。
彼が呻き声を上げて寝返りを打って、ドキッとした。
そして、思い出してしまった。
露わな姿を曝した事を
何をされたか悟られてしまった事を
163
とたんに胸が苦しくなり、呼吸することが辛くなる。
同じように、聞いてしまった事を思い出したのだ。
彼がかつて、人攫いの仲間であった事、
私のような人間を何人も抱いた事を、
﹁お、おい、、薫。大丈夫か?﹂薫の過呼吸の荒さに起こされた燿
が彼女に手を伸ばすが、彼女はその手を払った。
パシッと乾いた音がした。
彼は顔を怒ったように歪めると、部屋を出て行く。
直ぐにセリナさんが紙袋を持って現れた。
﹁薫ちゃん、大丈夫だから落ち着いて、ね?﹂
背中をさすり、口に紙袋を被せながらセリナは囁く。
164
幾分か楽になって、落ち着きを取り戻すと、セリナさんはニッコリ
笑って言った。
﹁もう少し横になってなさい。﹂
お言葉に甘えて、薫は再び目をつぶる。すぐに眠気が襲ってきたの
は幸いだった。
*
**
*
﹁薫、眠りましたか?﹂
﹁うん、朔羅も眠ったみたいね。﹂
﹁朝早くに起こしてしまったんで。﹂
﹁いいのよ。燿君も少し休みなさい。﹂﹁俺は別に良いです。寝れ
そうにも無いですから。﹂
苦笑いする燿にデコピンして、セリナさんは朔羅を寝かしつけに二
階に上がる。
165
1人になると、また罪悪感が重みを持ってのしかかってきた。
*
**
*
あれから、薫が目も合わしてくれないまま、3日が過ぎた。
彼女は一歩も外に出ようとしないで、家の中で家事手伝いと朔羅の
相手をしている。
黒豹にさえ声をかけない有り様なので、聖霊が2匹でしょんぼりし
ていて雰囲気が湿っぽい。
そんな空気を心配してか、セリナさんは俺たちにお使いを頼んだ。
﹁ちょっと朔羅が熱っぽいのよ、お願い。﹂そう言われたら断れな
いので、薫は渋々つばの広い帽子を被った。
*
**
*
166
デパートは1日中混んでる。朝は朝市と言って売り出し、昼はタイ
ムセール、夕方は値切り作戦で売り切ろうとする。
人でごった返しいる中を、背が低く、つばの広い帽子を被る私はか
なり邪魔だ。
いつもなら燿君が前に立って歩いてくれるから、人にぶつかられる
心配もないし、はぐれないように服の裾を掴んでいるので迷う心配
もない。
でもここ3日、私は燿君と目を合わせてない。
合わせたくなくて、彼が何だか怖くて、避けている。
今も、私に付かず離れず後ろからついてきて居るのだろう。
“薫、﹁休憩しよう﹂って燿が。”
黒ちゃんが伝言してくれる。
黒ちゃんが普通の生活をしてる時に、伝言を言われる側になるのは
初めてじゃないかと思う。
私は、近くにあった一件の丼物屋さんの前で止まった。
167
燿君も意図を悟って、先に暖簾の下まで行って私を待ってる。
苦労して人混みを縫うように歩き、暖簾の下にたどりつくと、燿君
は黙って店内に入った。
*
**
*
出てきたミニ親子丼を口に運ぶ。
燿君は月見セットの大盛を掻き込んでいる。
いつにも増して無言。
私が話さないせいもあるし、彼が避けられている自覚があるから無
闇に話さない事にも理由はある。
燿君がご飯を食べ終わって、水を飲み干す。私はまだご飯を口に運
んでいて、少々焦りながら箸を進める。
168
﹁慌てなくて良いから。﹂
ドカンッ
燿がそう言い終わると同時に、爆発音がする。
ドカンッ
と連続的な爆発音に合わせて、天井が降ってくる。
薫は真上の天井が落ちる寸前、思いっきり引き寄せられた。
強い力で引き寄せられ、床に伏せさせられると、頭からすっぽりと
何かに覆われた。
何も見えないまま、ひたすら揺れと爆発音が止むのを待つ。
何分、そうしていたのだろうか。
爆発音がしなくなり、揺れが収まってきたところで薫はもぞもぞと
頭を覆っていた何かから抜け出した。
その瞬間、頬にポタポタと雫が垂れる。
﹁動くなよ。﹂
169
落ち着き払った燿の声が真上からした。
でも、雫の色は赤い。
恐る恐る、首を動かし、仰向けになる。
﹁動くなっていってんのに。﹂
舌打ちしそうな彼の声。
﹁でもまぁ、動けるなら大した怪我はしてねぇな。﹂
パタパタと薫の顔に血が落ちる。
パックリ開いた額。血の滲んだ肩。硝子で切った腕。
目に見える範囲でこれだけ酷いのだ。他の部位がどうなっているか
なんて、想像するに難くない。
﹁目を閉じてろ。﹂
言われるままに目を閉じる。
170
﹁助けが来るまで、開けんなよ。﹂
目を閉じると、息づかいの荒さが容易に分かる。
薫は頷いたが、不安で仕方なくなった。
死ぬかもしれない。なんて、久しぶりに思ったから。
﹁薫﹂
不安が伝わったのか、優しい声が降ってくる。
﹁薫、ごめんな。﹂
“﹁なんで謝るの?﹂”
黒豹から大蛇へ、大蛇から燿へ。
3日ぶりに見えないリレーが行われる。
﹁俺と歩かなきゃ、あの時攫われる事無かったんだ。あんな酷い事
されなかった。﹂
171
﹁ずっと謝りたくて、謝れなくて。ごめん。赦せないよな?﹂
﹁そんなことないよ。﹂なんて言えなかった。
辛かった過去を引きずり出されて、陵辱されて、、、なのに、燿君
まで其奴等の元仲間で。
私と同じように廓に売られて嫌な客と寝て、運がわるけりゃ殺され
たりした人たちを、あの地獄に送り込んでたなんて。
きっと、送り込んでただけじゃないだろう。
アイツらが私を襲ったように、‘味見’くらいしただろう。
赦すなんて、とてもできなくて。
﹁でも、﹂と心の中で、もう一人の私が言う。
今、彼が血まみれになってもアナタを助けているのは、まぎれもな
い事実なんだよ?
あの時、アナタを探して何時間もバイクとばして、敵を倒して、ボ
ロボロの体でアナタを背負って、何時間も歩いたのも彼なんだよ?
この3日、ずっと考えてた事。
結論なんて、出なかった。
172
“﹁燿君のこと、赦せない。﹂”
﹁そうだよな、当たり前だ。﹂
“﹁でも、﹂”
“﹁助けてくれて、ありがとう。﹂”
﹁っ・・・・﹂
胸を突く思いがした。
目を閉じていてくれて良かったと思う。
こんなにも、泣きそうになるなんて思わなかったから、きっと情け
ない顔をしてる。
︱︱あぁ、早く助けが来ねぇかな︱︱
燿はとうに限界を超えて、感覚の無い手足にもう一度力を入れる。
︱︱薫だけは死なせねぇ︱︱
173
心の中で、そう誓った。
*
**
*
目を覚ました。
目隠しをされているようで目を開けれず、真っ暗で、傷は酷く疼い
て最悪な気分だ。舌打ちをしたら、近くから慌てて物を動かすよう
な気配がして、しばらくすると看護婦らしき・・・薬品の匂いがし
て履き物の音がサンダルっぽい人が入ってきた。
﹁気がつきましたか?目隠しはまだ当分取れませんからね。絶対安
静にしてて下さい。﹂
矢継ぎ早に言われ、少々イライラする。
﹁ずっと薫さんがついていてくれたんですよ。﹂
看護婦は、おそらく点滴を確かめているのだろう。金属音がする。
174
すぐ隣でホワイトボードに何か書く音がして、看護婦が﹁あら、い
いのよ。﹂と言う。
﹁また明日の朝、消毒しに来ますからね。ゆっくり休んで下さい。﹂
そう言って、チャキチャキ看護婦は部屋を出て行った。
﹁薫?﹂
返事をするように、怪我の少ない左手を二度つつかれる。
まだ未熟者の自分では、心身ともに最低限の健康が保てていないと、
負担が大きすぎて聖霊と交信できない。
必然的に原始的なやり方に頼らざる負えなくて、自分に対するイラ
イラが増す。
﹁薫、怪我は?﹂
手の平に字を書かれる。同じ字を間を空けて三度。
﹁ない?﹂
175
正解とでも言うように、二度つつかれた。
﹁・・・・嘘だな。本当は?﹂
今度は長い間があってから、また手の平に文字が書かれる。
“ガラスできった”
一字書くごとに、彼が復唱して確認しながらなんとか伝わった。
しんぱい
たいかんしき”
してた”
燿は﹁そうか⋮﹂と呟いて顔をしかめた。
あきらくん
むつきさんの
みんないない”
しょうかくするの”
きょうは
“みんな
“でも
﹁戴冠式?﹂
“じゅうろうに
きょうは
﹁すげぇな。﹂
“だから
﹁すげぇな、睦月さん。﹂
176
同意と二度とつつかれる。
燿はゆっくり彼女の手を握りしめた。
and
満月
□■□■□■□■□■□
龍生
□■□■□■□■□■□
彼は私を抱き締めたまま動かなかった。
彼の中で何かが戦っているのだと思う。
時折腕に力を入れ直しながら、彼は何かを考え続ける。
二時間ほど、私は腕の中で微睡みながら過ごしただろうか。
﹁俺は⋮お前の事を知りたい。﹂
ふと、彼が言う。
ゆっくり顔を上げると、紅の瞳とバッチリ目があった。
﹁何を隠してる?﹂
177
﹁満月?﹂
︱︱言うな︱︱
如月が鋭く言う。
︱︱お前が傍に居ると決めるのは分かっていた。だが、僕という秘
密は守れ︱︱
﹁満月⋮言えないか?﹂
﹁私だけなら、言えますが⋮﹂
﹁兄弟に関わるから言えないか。﹂
﹁はい。﹂
見つめ合ったまま、時間が過ぎる。
﹁仕方ない⋮事なんだろうな。﹂
そう言って彼は苦笑する。
178
﹁ただ、酷く不愉快なんだ。お前に拒絶されると⋮どうしてだろう
な。﹂
苦しそうな顔をする彼。
私は如月に止められなければ言ってしまっただろう。
彼を信じて。
彼が私が彼を思うように思っていると。
自分の所有物に拒絶されたから不機嫌になるわけではないと。
そう信じて⋮
急に普段人払いしている部屋の外に人が近づいて来る気配がした。
私が立ち上がって入り口まで行くと、やはり﹁失礼します。﹂と声
がかけられた。
﹁龍生様にお急ぎの要件が御座います。﹂
入り口を開けてやると、忍装束の男が転がり込んできた。
179
﹁龍生様、御当主様がお呼びで御座います。﹂
﹁何の用だ?﹂
﹁ここでは申し上げられません。早急にお一人で王の間へいらして
下さい。﹂
﹁分かった。さがれ。﹂
短く彼が言うと、男はまたサッと出て行く。
﹁満月、ここに居ろよ。﹂
龍生は彼女が返事をする間にサッと衣服を正すと、上から羽織りを
羽織って大太刀を下げ、心なしか早足で出て行く。
あっという間に独り取り残された満月は仕方なしに庭に降りた。
いつの間にか日が沈み、冷たい風が吹いている。
﹁よぉ、満月。﹂
気配すらなく、不意に声をかけられ、心臓が跳ね上がる。
180
﹁⋮睦月兄さん。﹂
目の前の庭石に、睦月が座っていた。
声がかかるまで、全く気づけなかった事に愕然とする。
﹁ここに居ることにしたのか。﹂
﹁⋮はい。﹂
﹁龍生を愛してるか?﹂
単刀直入に聞かれた。
どうだろう?と自問する。
好きだとは思う。でも、言われたのは愛しているかだ。
﹁好きです。でも、愛してるか?って言われたら⋮分かりません。﹂
﹁そうか。﹂
睦月は立ち上がると、
181
﹁話があるから、上がらせてもらうぞ。﹂
といって、満月を促して中に入った。
いつもなら龍生が座る上座の席に彼はどっしりと座る。
満月のお茶が入り、お茶菓子と一緒に出した時、龍生が帰ってきた。
彼は、睦月の姿を一目みるなり
﹁いらっしゃると思いました。﹂
そう言って、睦月の目の前に座った。
いつもなら、問答無用で切りかかるのに、今日は落ち着いた目上の
人間に対する対応で、満月はお茶とお茶菓子を龍生の前に並べなが
ら密かに驚く。
龍生の隣に腰を下ろすと、それを待っていたように龍生が
﹁満月をお返しします。﹂
と言った。
182
満月は唖然として龍生を見やるが、彼は顔色一つ変えてない。
睦月は分かっていたかのように﹁そうか。﹂とだけ言った。
﹁ちょっと、待って下さい。どういう事ですか?﹂
﹁満月、戦争が始まるんだ。﹂
睦月がサラッと言う。
﹁せ、戦争!?﹂
﹁そうだ。今の時点ではトップの一部しか知らないが、今夜の戴冠
式には全員に知れる事になる。明日の朝には市民にも伝わる。祭り
の終了と同時に、鬼とそれに準ずる人間たちが攻めてくる。防御網
が緩む隙をつくつもりだ。﹂
﹁暗部にも出動命令が出た。﹂
龍生が続けた。
﹁俺が居ない間お前を守れる奴がここには居ない。もうどこにも安
全な場所はない。﹂
﹁お前はシェルターに入ってろ。﹂
183
﹁と、言うことだ。満月、帰るぞ。急がなくていいから、支度した
ら庭に来い。﹂
そういうと、まだ唖然としている満月を置いて睦月は庭に出て行っ
た。
﹁龍生様⋮﹂
﹁聞いたろ?荷物を纏めろ。﹂
とりつく島もなく、彼は立ち上がって満月に背を向ける。
﹁龍生様。﹂
﹁持ちきれない物は、職場に送ってやる。だから早く着替えて支度
しろ。﹂
﹁龍生様。﹂
﹁五月蝿い。何なっ⋮!?﹂
背中に軽い衝撃が走る。
温かくて細い腕が腹に回されて、体を締め付けていた。
184
﹁御武運を・・・龍生様、生きて下さい、・・・必ず。﹂
﹁はっ⋮﹂
彼は乾いた笑い声をあげて満月に向き直る。
﹁誰に言ってる?不死身の俺が、怪我するかすら怪しいな。﹂
不敵に笑って満月の髪留めを解いた。
﹁次に会う時まで、預かっといてやる。﹂
﹁はい。﹂嬉しそうに笑う満月の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
彼女はやっと出発の準備に取りかかった。
*
**
*
その日の午後10時、祭りの前夜祭で訪れた国立会館に訪れる。
185
細身の体に合ったダークスーツに、揺れる長髪、目の下から覆うマ
スクを付けて、腰には変わった形の深紅の日本刀。
受付の人間に身分証を見せて、豪華絢爛に飾りたてられた室内に入
った。
***
**
*
約四時間ほど前、彼の相方は好きな人間に別れを告げて、自分の兄
の部屋に来ていた。
既にセリナと朔羅、真は揃っている。
彼女が腰を下ろすと、睦月が口を開いた。﹁さっきも伝えたように、
戦争をする事になった。
セリ、直に市民は順にシェルターに入る事になる。その時証明書と
して見せるのはこれだ。﹂
そう言って、彼は一枚のカードをセリナに渡し、無くさないように
念を押す。
彼女は頷いて、すぐに肌に直接着ている胸当ての中にしまった。
﹁それと、怪我した燿と薫は回復次第シェルターに送られる。保護
186
者に指名したから、連絡がいくはずだ。﹂
﹁分かりました。﹂
﹁そんなに酷いんですか?﹂
真が眉間に皺を寄せる。
﹁あぁ、薫は怪我の程度が軽いし、自分の力を使ってるから回復が
早いが⋮薫を庇って壁に潰された燿は重傷だ。﹂
﹁うそ⋮﹂
満月まで苦痛そうな顔をする。
﹁燿の事は、ひとまず薫とセリに任せる。セリ、戦争になることを
伝えといてくれ。﹂
﹁分かりました。﹂
﹁真は引き続き黄姫様の警護。王族は、戦争が終わって人民を迎え
に行くまでシェルター内には入れない。何千万年前からの決まりだ、
覚悟しろよ。﹂
﹁はい。﹂
187
彼は重々しく返事をする。
﹁そして、如月。﹂
呼ばれて、フッと満月は気を失う。
﹁はい。﹂
﹁暗部は最低でも6人一班で表と裏に別れて戦ってもらう。表組は、
俺、お前、神無月、弥生、霜月、葉月。﹂
﹁分かりました。﹂
﹁しばらくは、満月に眠っていてもらうことになるが⋮﹂﹁確かに、
戦闘時は満月の精神を抹消させないように、5対5か3で体を支配
するのが望ましいですが⋮それだと6時間が僕の表にでていられる
限界です。でもそうは言ってられませんから、満月は夜中、僕が寝
てから起きてもらうことで我慢してもらって、9:1か8:2の割
合を保てば18時間は大丈夫でしょう。﹂
つらつらと説明する彼に、睦月は﹁なら大丈夫だな。﹂と頷いて、
決起集会の集合時間だけ伝え、解散を宣言した。
*
188
**
*
前夜祭で見たダンスフロアに毛の長い赤い絨毯が引かれ、その上に
円卓と料理が並べられている。開始30分前だというのに、スーツ
以外は戦闘時と変わりない服装のゴツイ男たちがゴロゴロいた。そ
の中をぬって歩き、暗部と札を置かれたテーブルにつく。
一番乗りかと思ったが、既に先客が居た。
﹁早いですね、霜月さん。﹂
如月の挨拶に、彼は片手を上げて応える。
異様に無口な彼はいつも話さない。
﹁やぁ如月に霜月、真面目だねぇ。﹂
背後から声をかけられ、振り向くと真後ろに狐の面の男が立ってい
た。
﹁こんばんは、神無月さん。近いですよ。﹂
﹁いやぁ、ゴメンゴメン。﹂
189
そう言って彼は霜月の左に座る。如月も霜月の右に座り、霜月を挟
んで談笑する流れになった。
霜月は目が見えないため、最初にテーブルの上の物の位置を教える。
﹁ありがとう。﹂
異様に嗄れた声で彼は礼を言う。だが、嗄れた声が好意的に思える
ほど、彼は人を落ち着かせる。最年長の師走とはまた別の特性があ
る。
﹁如月、メンバー聞いてるか?﹂
神無月が話題を振る。
﹁はい、自分、兄、霜月さん、神無月さん、葉月、朧です。﹂
﹁あー、予想してたっちゃしてたけど⋮葉月に弥生ちゃんかぁ∼食
い合わせ悪りぃな。﹂
神無月がボヤく横で霜月も苦笑する。
その時、ファサッと如月の肩に何かが留まる。
190
﹁噂をすれば⋮ですね。﹂
如月が入り口に目を向けると、同じ年くらいの男が人を避けつつ歩
いて来ていた。
その後ろには、師走と卯月、皐月兄弟が付いて来て居る。
﹁久しぶりじゃのぉ。﹂
ニコニコと好々翁然とした老人が如月の正面に座る。
暗部のお目付役、師翁と呼ばれる師走だ。
﹁お久しぶりです。﹂と口々に返すと、師走は目を細めて笑った。
如月の肩に乗っていた朱雀は、今は葉月の椅子に器用に留まってい
る。
葉月は隣の神無月から班分けを聞いて口を尖らせていた。
開始10分前には各々好きなように集まり、5分前には如月の右隣
に弥生が腰を下ろした。
*
**
*
191
式が始まり長々とした口上が述べられ、戴冠式では睦月が十老と暗
部の兼任が決まり、食事会が始まった。
如月は霜月の皿に大皿から適当に肉や野菜を盛る。
﹁はい。右にご飯、中央に肉、左が野菜、野菜の奥にクラムチャウ
ダー。﹂
﹁ありがとう。﹂
器用にナイフとフォークを使って食べ始める霜月の隣で、彼もフォ
ークを握る。
時々、霜月が本当は目が見えるのではないかと思ってしまう。
彼は、口の部分だけマスクをずらしてクラムチャウダーを口に運ん
だ。
﹁如月、﹂
不意に、右隣から呼ばれた。
予想外で、若干ギクシャクしながら彼の方を向く。
192
﹁何だ?﹂
﹁アイツはどうしてる?﹂
﹁アイツ?﹂
誰のことだ。と聞き返すと、朧は口ごもった。
﹁⋮お前の、妹。﹂
﹁お前に教えるわけ無いだろう。﹂鋭い深紅の目に睨みつけられる
が、彼は余裕で睨み返した。
﹁僕の命よりも大切な妹を、お前にはやらん。﹂
あまりにも如月のキツい言い方が珍し過ぎて、少し空気が止まる。
﹁如月や、弥生は心配しているのだよ。﹂
師走が穏やかに口を挟むが、如月は﹁それこそ余計な世話ですよ。﹂
と返した。
193
﹁話は聞いている。だが、渡さない。﹂
彼は強く言い切り、フォークを口へ運んだ。
弥生は舌打ちをして飲み物に手を伸ばす。
同じ顔なのに、本当に似てない。
食事が終わると、ついに戦争開始の宣言がなされた。
既に知っていた暗部の人間は、欠伸をしながら長い話を聞き流す。
それから人員構成の発表が各部隊毎になされ、暗部も睦月が班を発
表した。
ただ、暗部が他と違うのは、班員と班長、陣営が発表されたらアッ
サリ解散する事だ。
卯月、皐月の双子ペア以外は、個人で好きに暴れるのは暗黙の了解
だ。
﹁俺の班の奴らは3日後までに準備しておけ。4日後の0時に下流
区南門に集合。﹂
﹁了解。﹂
194
﹁おう﹂
如月と神無月が返事をし、霜月が頷く。
ゾロゾロと出口に向かいながら葉月が如月の隣に列ぶ。
﹁噂に聞いたが、本当だったんだな。﹂
﹁まぁな。﹂
﹁お前そっくりな、めちゃくちゃな美人なんだろ?﹂
﹁当然だ。会ったこと無かったか?﹂
﹁無い。いつもタイミング悪くて見逃すんだ。﹂
﹁そりゃ残念だったな。﹂
﹁それはそうと、お前の家族は大丈夫か?﹂
十老睦月の家族が孤児の集まりであるのは、暗部と上の人間には周
知の事実だ。
﹁心配ないさ。満月もガキ共も俺たちの家族なんだ。テメェの面倒
くらいテメェで見れる。﹂
195
﹁そうだな。﹂
一緒のタクシーに乗り込み、特区のゲートの前で別れた。
and
真
□■□■□■□■□■□
黄
□■□■□■□■□■□
﹁何でよ!!﹂
またまたお姫様のヒステリー。
一週間以上経った今ではなれたものだ。
﹁私だけが死ねばいいと言うの!?﹂
たった今、奥様から王族の義務を伝えられたところだ。
部屋に帰り、今夜で暇をもらってシェルターに入る女中にやつ当た
っている。
196
﹁黄姫、それくらいなさって下さい。﹂
女中と姫の間に割って入り、女中を逃がす。
﹁だってあんまりよ!!みんな私を置いて行くなんて。私だけ⋮独
りなんて。﹂
涙ながらに訴える彼女をベッドに座らし、膝元に片膝をつく。
﹁力及ばずながら、自分が傍に居ります。﹂
﹁あなたは兵士じゃない!﹂
両手に顔をうずめて、嗚咽を漏らしながら訴える。
無理もないな。と真は思った。
まだ16歳。親しい者たちと離れるのは辛いだろう。
セミライセンスでは自分の身さえ守れない事は彼女自身分かってい
るから、余計に不安が増していることも察せる。
197
︱︱だいたい、国家警察でもない彼女が“死ぬ覚悟”なんてしてる
ワケが無い。︱︱
﹁黄姫、明日は朝から忙しくなります。早くお休みになって下さい。
﹂
﹁うるさい!﹂
すすり泣きながら彼女は布団に潜っていく。
偉いな。と思った。明日は朝早くから沢山の報道陣に囲まれる事を
分かっているのだろう。
﹁ねぇ﹂
彼女はまだ俺の名前を呼ばない。
﹁はい。﹂
﹁私を殺させたりしたら、許さないから。﹂
﹁承知しました。﹂
彼はベッドにもたれるように座り、目を閉じる。
本来は続きの間で休むべきだが、先の泉での戦いの時に窓を壊して
198
部屋に侵入しようとしたものがあって、それ以来彼女のすぐ近くで
眠ることにしたのだ。
*
**
*
寝たふりをして10分、ベッドの傍から規則正しい寝息が聞こえ始
める。
それから待つこと20分、私はベッドからそっと降りて物音をたて
ないように細心の注意を払いながらバスルームに向かう。脱出を試
みるつもりだ。
何故バスルームかというと、以前部屋から直接外に出ようとしたら、
いつの間にか彼は起きていて、私の前に立ちふさがったのだ。
しかし、バスルームに行く分には私を引き留めようが無い。
私は、この男が嫌いだ。
いけ好かない。
早く解雇されてしまえばいい。
そんな思いで私はバスルームに入って鍵をかけた。
*
199
**
*
“真、女が逃げたぞ。”
その声にバッと跳ね起きる。
﹁どこだ!?﹂
“今、外壁を伝わって降りてる。”
﹁はぁ!?、ふざけんなよ。﹂
盛大に舌打ちして窓を開け、下を見る。
左右を見渡すと、1つ下の階の窓の下に彼女は張り付いていた。
﹁何してるんだ!﹂
真の怒鳴り声に、黄がバッと仰ぎ見た瞬間だった。
﹁イヤァアアア︱︱︱!!﹂手を滑らして黄の体が宙に浮く。
200
ここは7階。
反射的に真も窓の外へ身を投げ出すと、さらに壁を蹴って加速をつ
けた。
叫び声を上げる彼女を宙で抱きかかえ、くるりと回転して、足から
日差しや屋根へと落ちながら着地を繰り返す。
五回目でドサッと地面に着地した。
﹁テメェは馬鹿か!?ふざけんじゃねぇっ!!﹂
真っ青な顔をした黄がビクッと震える。
それだけ怒鳴り付けると、彼は地面に座り込んで息を吐き出す。
﹁ご、⋮ごめんなさい。﹂
黄が呟く。
﹁ずっと自由になりたかったの。﹂
﹁このまま死ぬなんて嫌。だから、少しくらい私の好きな事がした
201
かったの。﹂
﹁今、お前は自分の浅はかさで死ぬ所だったんだぞ。﹂
静かな真の声に、彼女は﹁ごめんなさい。﹂と声を震わす。
﹁とにかく、部屋に戻りますよ。﹂
真は溜め息をつきながら、腰が抜けている彼女を抱きかかえて部屋
へ戻った。
*
**
*
真は黄をベッドに座らせて、擦りむいた手のひらを手当てしてやる。
ココアを飲んでだいぶ落ち着いたようで、顔色も良い。
﹁もう無茶はしないで下さいね。﹂
手当てが終わると、真が念をおす。
202
コクンと頷いた黄に、彼はお守りだと言って、自分がいつも首から
下げているペンダントを彼女の首にかけた。
﹁あなたは自分が守ります。これはその誓いです。﹂
黒くて不思議な亀をモチーフにした古いペンダントをしげしげと見
つめる彼女の手を、ペンダントごと包み込む。
﹁必ず生きてみんなに会えますから。﹂
﹁あっ、会えなかったら?﹂
不安そうな、今にも泣きそうな表情をしてている彼女はいつも以上
に幼く見えた。
﹁その時は、みんな一緒に死ぬ時です。﹂
﹁えっ⋮﹂
絶句する彼女に真は笑いかけ、﹁そうならないように守りますから。
﹂と言った。
203
□■□■□■□■□■□
如月
□■□■□■□■□■□
決起集会から丁度4日目、睦月率いる6人は下流区に居た。
戦いに先立ち軍が守護網を統制を整える中、彼ららは下流区のゲー
トを出た。
ここから先は、完全なる無法地帯。
どこからか常に死臭がする世界だ。
﹁死体が、ねぇな⋮﹂
30分ほど歩くと、この世界の異様さに気づく。
死臭と血の臭いはするのに、下流区ではゴロゴロ転がっている死体
が、ここでは全くない。
先頭を歩く睦月が振り返って、﹁ここじゃ、喰っちまうからな。﹂
と葉月に答えた。
204
ウゲッとした顔をする葉月。
如月は、こんな世界に三年も居た睦月を信じられなく思う。
﹁で、リーダー。俺たちはどこへ向かって居るのかな?﹂
狐の面を付けた神無月が睦月の隣を歩きながら聞く。
﹁狙うは首謀者の首だがな⋮まずは、場所を掴まない事には話が進
まん。﹂
﹁あては在るのか?﹂
﹁無きゃ歩いてねーよ。ただ、ちとやり方は荒いが⋮﹂
﹁なんだよ、ハッキリ言え。﹂
﹁誘き出そうと思う。﹂
﹁は?﹂
神無月は怪訝そうな声を上げる。
﹁お前たちを夜中に呼んだのは、この世界の連中が一番活発化する
205
時間だからだ。
深夜2時になれば、奴らは共食いを始める。
この世界⋮鬼にもルールがあってな、深夜2時から3時の1時間は
無礼講だが、それ以外では極力共食いは控えなければならない。
まぁ当然そんなルールがあれば、ルールを利用してより強力になろ
うとするやつらも居る。
で、俺たちもそのルールに則って、1つ暴れようと思う。﹂
﹁具体的には?﹂
﹁こっちの世界に18日間満月が登れば、当然その逆もあってな。
18日間新月になる期間があるんだよ。それが、ここの世界での祭
り期間なんだ。
その祭りに参加しようと思う。﹂
﹁出場者として。﹂
全員が息を止めて、睦月を見る。
﹁期間はこっちの祭りが終わった日の夜からだ。
やつらの力が最大になる時期だ。覚悟しろよ。﹂
206
如月は知らず知らず生唾を飲み込んだ。
﹁ま、まずは金と飯と宿の確保だな。﹂
睦月はまるで旅行に来たかのように呑気な声を出し、﹁あそこにし
よう。﹂と怪しげなBARに入って行った。
六人がゾロゾロと中へ入ると、客が異様な盛り上がり方をしていた。
もちろん、客とはいえ鬼化したやつらばかりで、形が人のそれとは
違う。
﹁おー、やってるな。﹂
睦月はマントを目深く被って、カウンターに行く。
﹁酒と、調理していない食材をくれ。﹂
﹁金。﹂
睦月は代金の半分を渡す。
﹁残りは酒と食材と交換だ。﹂
207
カウンターの男は舌打ちと共に奥へ消える。
如月たちは空いている席に腰掛け、狂気じみた客を眺めた。
﹁奥、闘技場みたいだな。﹂
﹁うん。神無月さん、今何時ですか?﹂
﹁13時10分。14時には宿にはいりたいねぇ、面倒くさいし。﹂
﹁うぇ⋮面倒くささを想像したくねぇよ。﹂
﹁同感。﹂
葉月と如月、神無月が話している所に睦月が大量の酒と生の食材を
持って現れた。
﹁よし、後は宿を⋮﹂
﹁睦月。﹂
睦月の話を遮って、朧が口を開く。
208
﹁んだよ、弥生。﹂
呼ばれてない葉月が噛みつく。
﹁あの奥の闘技場で、暴れてくる。﹂
そう言うなり朧が客を掻き分けて奥へ行ってしまう。
﹁ったく、目立ってどーする。
仕方ない。俺たちは宿を探そう。弥生なら早々死なねーし。﹂
ぼやく睦月に付いて彼らは店を出た。
15分ほど歩いて、ここの世界にしては小綺麗な家の前に着いた。
今回も睦月が交渉して三部屋借りる。
如月と睦月、神無月と葉月、霜月と今は居ない弥生という組み合わ
せで部屋に入る。
皆身支度を整えると睦月の部屋に集まった。
209
﹁とりあえず飯にしよう。﹂
1人一本ずつ骨付きの肉の塊を持ってもらい、如月が炎で程よく焼
く。
ペットボトルに水を入れて、浄化キャップを付け、飲める水を作る。
米も炊いて握り飯を作り、野菜と果物を洗った。
せっせと如月と葉月が焼いたり炊いたりしている間に、他の三人は
酒を注ぎ、野菜を分ける。
なかなか立派に出来上がった夜食にかぶりつきながら、彼らは思い
思いに寛ぎつつ睦月から注意事項を聞いた。
・そのまま水を飲まない
・金は先に半分払い、物と交換でまた半分を払う。
・この世界は飯を腐らせて食べるから注意すること
などなど、数個注意事項を確認され、最後に﹁奇襲は常にあるから
気をつけろ。﹂と言って睦月は解散を宣言した。
*
**
210
*
﹁睦月兄さん、龍生は帰ってくるかな?﹂
睦月に腕枕をしてもらいながら、満月は呟いた。
如月との相談で、如月が眠る時にだけ満月と代わるようにしたよう
なので、彼女に危険が及ばないように睦月は一緒に眠ることにした
のだ。
﹁大丈夫だろ。お互いの位置が分かるように携帯持ってんだから。﹂
そう言って、彼は文字盤の大きな腕時計のようなものをみせる。
﹁お前の腕にも付いてるが、絶対外すなよ。水にも火にも衝撃にも
耐えれる。仲間登録すればいつでも連絡がとれる。﹂
﹁すごーい。﹂
﹁その手前の四角いボタンを長めに押してみろ。﹂
満が押すと、画面がボウッと光って液晶画面が浮かび出た。
﹁んで、今出てきたのが仲間登録されたやつのリスト。右の上下の
矢印でカーソルを動かして⋮︱弥生の名前の所にあわしてみろ。
211
で、さっきの四角いボタンでメニューを開いて、居場所情報に矢印
合わせて、、、もう一度四角を押すと決定。﹂
満月が言われた通りに操作すると、画面が切り替わって街の地図が
出る。
自分が今居る場所が赤い点と文字で表され、龍生の居場所が青い点
と文字となって表れる。
﹁すごーい、便利!﹂
﹁だろ?
オンとオフは四角を長押しして、変な知らない画面が出てたら左の
丸ボタン押せば今のリストになるからな。﹂
﹁わかった。﹂しばらくウキウキとして弄っていた満月だが、如月
が溜めた体の疲れには勝てずに眠りにつく。
睦月は彼女にシーツをかけ、溜め息を吐く。
︱︱惹かれ合ってる。当人たちは鈍いが⋮︱︱
背を向けて寝息をたてる彼女を見つめる。
212
初めて会った時から惹かれてるんだ。荒れていた龍生が、傍目に分
かるほど自分から喧嘩を仕掛けなくなって、真への八つ当たりが無
くなった。
満月はいつだって龍生を気にかけていた。
︱︱しかし、如月は許さないだろうな。満月の分身であり、1人の
男として満月を守ってきたんだから。︱︱
*
**
*
満月は昼頃目を覚ました。
とはいえ、夜に活動するここの住人に合わせる為、誰もまだ起きて
来ていない。
満月の気配に睦月が目を覚まして朝食を作るように頼む。
満月はあっという間に下ごしらえを済ますと如月と交代して焼き魚
と味噌汁と米を炊いた。
米が炊き上がる頃、ご飯の匂いに釣られたのか、ゾロゾロと班員が
起き出して来た。﹁お、焼き魚だ!﹂
213
魚好きの葉月が喜んでできたてをかぶりつく。
﹁美味しい。如月はいいお婿さんになれるねぇ。﹂
と味噌汁を吸って神無月が茶化す。
その横で霜月が真面目に頷きながら魚の骨を取っている。
﹁あ、如月。弥生の様子をみてきてくれ。﹂
不意にここに居ない一名を思い出したのか、睦月が言うと、彼は﹁
分かりました﹂と言って出て行った。
﹁俺、如月をもうちょっと愛想良くして優しくしたような嫁が欲し
いです。﹂
如月が閉めたドアに向かって葉月が呟く。
﹁妹ちゃんにしたらぁ?﹂
﹁ガチで如月に消されるので嫌です。﹂
﹁確かに、如月は俺以上のシスコンだからな。﹂
214
﹁うーん、やっぱり満月さんは辞めときます。﹂
﹁は?満月がお前なんて選ばねぇよ。﹂
あははは
と笑いの渦が旋回した。
*
**
*
﹁朧、起きてるか?﹂
ロープと布で部屋を仕切っているらしい。
如月は、まだ閉ざされたままの布から顔を出して様子を見た。
﹁あぁ、起きてる。﹂
彼は上半身裸のままベッドの上に座っていた。
首から下げられた髪留めを見ないふりをして声をかける。
215
﹁飯だ、来いよ。﹂
﹁あぁ。﹂
ぶっきらぼうに返事をした弥生を置いて部屋を出る。
すぐ後にTシャツを着て部屋を出てきた弥生に対し、彼は弥生を睨
み付けながら言った。﹁その髪留め、満月のお気に入りなんだ。壊
すなよ。﹂
﹁わかってる。﹂
しばらく間が開いた後、﹁満月は安全なんだろうな?﹂と弥生が聞
く。
﹁当然だ。﹂と如月は返す。その後は沈黙したまま部屋に入った。
*
**
*
遅い朝ご飯の後、睦月がこれからの予定を話し始める。
・首謀者を殺すこと。
・注意をこちらに引きつける事。
216
﹁鬼の濃度が濃い場所に首謀者が居ると思われる。覚悟してかかれ
よ。﹂
﹁﹁﹁﹁おう﹂﹂﹂﹂
4人が同時に声を上げる。行動開始の合図だった。
and
薫
□■□■□■□■□■□
燿
□■□■□■□■□■□
薫が腹に包帯を巻いてくれている。右手は大蛇と黒姫が包帯を巻い
てくれている。
2日前、なんとか俺が上半身を起こせるようになった所でシェルタ
ーに入れられた。
まだ野営病院で寝起きして全部を見ていないが、地下という事を除
けば案外住みやすく工夫されてはいるらしい。
薫は要らなくなった布を被って、目だけ出し、片目を眼帯で隠した
状態で生活している。
217
俺のベッドの脇に寝袋を持ってきてまでして看病してくれるのでか
なり申し訳ないが、当人はこれはヒーラーの仕事だと言って意に返
さなかった。
薫の精霊の特殊能力と、彼女の精神離脱し易い性質を合わせて、彼
女の精神を精霊に同化させて怪我人の体内に入り、病気や怪我で溜
まった悪い気を喰う。
これにより、神がかった回復力が得られるのだ。
ただ、彼女はまだ見習いのため、あまり多くの悪い気は喰えない。
俺もセリナさんも毎回無理をしなくて良いと言うのだが、彼女は自
分の無力さが不満らしい。
﹁薫﹂
“なに?”
﹁散歩に行きたい。﹂
“ガイシュツキョカショウもらってくる!”
ニコッと笑って薫が出て行くのを見送って、彼は松葉杖を引き寄せ
た。
218
﹁大蛇、手を貸せ。﹂
“はい。”
力の上手く入らない右手を補助するように大蛇が巻き付く。
うしっ
と気合いを入れて、燿は体を起こすと、左足を軽く浮かせて歩き出
した。
腰に大蛇が器用にホルダーを付け、武器と貴重品を身につける。
普通の人間から見たら、勝手にホルダーが動いているように見える
だろう。
燿は廊下を慣れない松葉杖で移動しながらナースセンターに向かう。
そこでは、薫が必死に背伸びをして看護師たちに外出許可を貰おう
としていた。
﹁薫。﹂
呼び止めると、彼女はビクッとして振り返った。
219
﹁燿くん!﹂
薫以上に驚いた顔をして看護師たちがワラワラと集まって来る。
﹁信じられない。﹂
﹁治ってる⋮﹂
﹁もう歩けるなんて!﹂
怪我の状態を調べながら口々に感歎する。
その時、ナースセンターの奥から人が現れた。
ヨレヨレの白衣を着て眠そうな目をしているが、ベリーショートで
スタイル抜群の背の高い女性だ。
﹁何の騒ぎ?﹂
﹁あ、菫さん。﹂
一瞬で空気がピシリと締まる。
﹁お、流石に聖霊付の回復力だな。殆ど治りかけてる。﹂
220
ツカツカと歩み寄って燿の怪我を確認する。
﹁ん?⋮ふーん、なるほど。﹂
何やら1人納得した様子の医者に、彼は外出許可を願い出る。
﹁あぁ、良いよ。ただし、5時までに帰ってこい。そして再検査を
するから私の部屋へ来なさい。﹂
﹁分かりました。薫、行くぞ。﹂
右手の松葉杖を看護師に返して、空いたその手で薫の手を繋ぎ、玄
関に向かって歩き出す。
お兄ちゃんが妹を連れて歩くような微笑ましい光景だった。
□■□■□■□■□■□
如月
□■□■□■□■□■□
霜月はいつもの事だが、全員でマントを着てフードを被り、姿を隠
221
して街へ出た。
こちらの世界の主要都市の一つを目指す。鬼だって欲を満たして生
きていかなきゃならないからか、そこでは交通も商売も成り立って
いる。
六人で日に一本の電車に乗り、都市を目指す。
途中途中で目を逸らしたくなるような殺戮などは日常茶飯事らしく、
いちいち腹も立てていられない。
倫理観など無い世界に、如月は早くもげんなりしだした。
深夜近くに都市に着いた時には既にくたくただった。
昨日と同じように宿をとって休む。
その日は早々に眠りに着いた。
如月も満月と代わって、睦月の隣の布団に潜り込み、すぐに寝入っ
た。
*
**
*
深夜2時、外が煩くなり、あちらこちらで阿鼻叫喚が聞こえてきた。
222
あまりに煩くて、満月は目を覚ます。
﹁随分、煩い。﹂
﹁祭りの前で気が高ぶってるからだろ。﹂
満月の頭をワシワシと撫で回し、睦月が応える。
その時、部屋のドアが小さくノックされた。
瞬時に2人は離れると、満月は如月に交代する。
﹁なんだ?﹂
ドアが開き、神無月が入ってきた。
﹁いやぁ、寝てるとこ悪いね。弥生ちゃんが消えたもんだから、一
応報告に来たんだ。﹂
﹁弥生が?﹂
﹁そ、霜月が風呂に入っている隙に出て行ったみたいだねぇ。﹂
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溜め息混じりに神無月が言うと、後ろに居た霜月が肩を竦める。
﹁そうか、霜月さんのせいじゃないけど⋮一応探した方が良いだろ
うな。﹂
その言葉に全員が一旦部屋に戻った。
睦月がマントを羽織り、如月が着ていた防護服兼下着で鼻の上まで
被い、ホルダーを着ける。
30秒後には再び睦月の部屋に全員集合していた。
如月が一本髪を抜いて息を吹きかけると、息が炎となり髪を燃やし
て、その塵は何百もの黒い蝶となった。
蝶たちは窓から阿鼻叫喚が聞こえる街に飛び出して消える。
如月がそうしている間に睦月が指示を出す。
﹁神無月と葉月は南を探してくれ。俺と如月は北。霜月さんはここ
に残っていてくれ。﹂
少々不服そうな霜月さんに、睦月が
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﹁あんたに闘われちゃ街が消えかねん。﹂
と苦笑すると、渋々ながら霜月が頷いた。
その時、一気に数匹の蝶が戻って来た。
それらはパッと火花を散らして消え、火花が数文字を空中に描く。
“南の荒れ地”
﹁行くぞ。﹂
睦月の一言で窓から地上に飛び出した。
*
**
*
﹁相変わらず便利な蝶だな。﹂
﹁あぁ、朧は遠目からでも見つけやすいしな。﹂背中から羽の生え
た如月と、相棒の不死鳥の背に乗る葉月は目前に渦巻く嫌な気配を
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睨みつけた。
﹁嫌な所だな、本当。﹂
﹁喰っても喰っても鬼は減らんだろうな。﹂
目下、睦月と神無月が巨大な白い虎と金色の狐に乗ってひた走る。
﹁あの2人は流石に速いな。﹂
﹁普通なら余裕で僕たちが勝つはずなんだけどね。﹂
数々の障害をものともせずに、全速飛行をしている2人と並ばれて
は形無しだ。
﹁何なんだろうな、あの2人は。﹂
﹁化け物。﹂
﹁それは言えてる。﹂
軽口を叩いていると、あっという間に荒れ地に着いた。
226
弥生は探さなくても分かる。
鬼が弥生の闇を喰らおうとして、弥生に組み付き、小山のようにな
っているからだ。
その鬼を片っ端から龍が喰っていく様は圧巻だ。
﹁いつ見ても凄げぇ光景だな。﹂
﹁うん。﹂
﹁つーか、威力増してね?﹂
﹁やっぱりそう思うか?﹂
﹁おう。﹂
地上の2人もしばし傍観するつもりらしいので、如月は羽をしまっ
て葉月の後ろに座った。
﹁よろしく、鳳凰。﹂
鳳凰の背中を撫でてやると、彼は一声鳴いた。
﹁“任せとけ”だとよ。﹂
227
鳳凰のお言葉に甘え、傍観すること10分、鬼の小山が一瞬光った
と思うと、一瞬遅れて鬼が吹っ飛ばされた。
﹁うわぁ⋮﹂
﹁は⋮?﹂2人が絶句したのは、その桁違いの力だけでは無かった。
鬼の小山の下から現れた弥生の容姿が、あまりにも人間とはかけ離
れていたからだ。
その紅い瞳は白眼と黒眼の区別がなく、皮膚は龍の鱗が被い、髪は
ざんばらに伸び、牙が出て、体に在るはずの龍の痣からは血が吹き
出ていた。
﹁そういえば、まだ向こうは満月だもんな。俺、初めてみたよ、朧
が龍化してるところ。﹂
﹁僕もだ。﹂
そこに、無線が入った。
﹁上2人、あと3分程で3時だ。弥生の変化も終わる。一気に狩る
ぞ。﹂
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﹁﹁了解﹂﹂
そこからの3分は誰一人口を開かなかった。
龍騎を囲むように東西南北に別れて様子を見る。
見るからに龍の勢いが鈍くなり、やがて、3時丁度にフッと白龍が
消えた。
﹁やれ。﹂
無線から睦月の号令が聞こえると同時に4人は斬りんだ。
無数の狐火が、辺りを包む。
容赦なく鬼どもに燃え移り、無と化す。
容赦ない羽音が音速の塊となる。
瞬く間に鬼を砕いて塵と化す。
地獄の炎は尽きる事がない。
業火から逃げる鬼共を、一匹残らず地獄へ送る。
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その人は、ただ悠然と佇むのみ。
ただ、鬼は、近づいた瞬間、土泥と化す。
その男は龍の化身、
その姿は鬼よりおぞましい。*
**
*
おそらく、30分も経たない内に荒れ地に出てきた鬼共を消し去り、
5人は闘いが終わった瞬間倒れた弥生の下へ駆けつけた。
しかし、血を吐いてもだえ苦しむその姿に、誰も手を出せない。
龍の痣から流れる血が止まり、痣が薄くなっていくにつれて、段々
と苦しみ方が激しくなっていく。
死ぬかとすら思ったその時、龍の痣が一瞬発光すると同時に、弥生
が大きく吐血した。
スーッと痣が薄くなり、弥生はぐったりとして動かなくなる。
﹁朧っ!﹂
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如月が手を触れようとした時、スッと弥生の体の傷が癒えた。
﹁朧?﹂
﹁触るな、そのうち起きる。﹂
兄の鋭い言葉に足が止まる。
﹁如月、葉月、先に戻って休め。それで、今見た事は忘れろ。﹂
﹁ですが⋮﹂
﹁忘れろ。霜月さんには連絡しておく。﹂
睦月の決定に逆らえる筈もなく、葉月に促されるようにその場を後
にした。
□■□■□■□■□■□
﹁フタリ﹂完
﹁フタリ?﹂に続く
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□■□■□■□■□■□
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好きとは言えない︵後書き︶
読んで下さりありがとうございました。
﹁フタリ?﹂は執筆中です。よろしければ、書けた時には読んで下
さい。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://novel18.syosetu.com/n1968bn/
フタリ
2013年2月8日12時29分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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