執筆随想録-Ⅲ「えぞうぷ」

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執筆随想録 Ⅲ
平成十七年七月十七日
た。新田老は、松本市の文化活動の生き 字引 的な
﹁ え ぞ う ぷ ﹂ 復 刊 たなか踏基
存在の人で、臨死体験して生き返ったとおっしゃっ
ていたが、九十歳と思え ない程お元気な様子で 、
その年の同期会は、五年振りに七月九 日∼十 日、私には高校時代に逢った当時のままの印象に思え
松本市里山辺の美ヶ原温泉郷のホテル翔峰が会場 た。本当に不思議で半 世紀も変ら ぬ、奇妙な人で
であった。今回私は始めて 参加し た。昭和三十五 ある。﹁まるも﹂はクラ シック 音楽と 松本民芸家
年 一九六〇年 に高校を卒業し た同期生、卒業以 具の喫茶店として、市民にも 御馴 染であ るが 、あ
来の四十五周年の集いであ る。卒業五年毎に開催 の場所でアルゼンチンタ ンゴの曲が 鳴り、まして
してきたようであるが 、私は今迄一度も 参加した 新田老が、タンゴを踊った人と、知って 居る者が
ことはなかった。参加人数は、過去最高らしく、 果たして何人いるであろ うか。私はて っき り、息
卒業生が約四百名中、恩 師含めて 百名 程が集まっ 子さんが店を継いだとば かり思って いたが 、店は
た。郷里在住の友が中心になって 、 定年後郷里に お孫さんの経営であった。息子さ んは、ブラ ジル
戻った友も交え、企画してくれたよ うだ。 約一割 女性と結婚後、日本に戻って 来ないのだと 聞き、
の四十名弱の友が既に亡くなって いた。翌十 日は、新 田 老 の 寂 し さ が 心 に 沁 み た 。 今 度 来 松 の 折 に
﹁まるも旅館﹂に泊まってくれと 懇願された。正
﹃安曇野廻り﹄のバス観光が計画されていた。
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私は目下、安曇野舞台にして 、昨年三月癌で急 に﹁奇妙な喫茶店﹂の奇妙な老人なのである。
逝した彫刻家、高校時代の友人をモデルにし た小
実は、今回の松本行き にはも う一つ 目的があ っ
説、﹁奇妙な猫たち﹂を執 筆中であ った。 友の遺 た。昔の同人雑誌﹁えぞうぷ =イ ソップ ﹂の復
作、特に﹁瑠璃光寺﹂の﹁十一面観音菩薩像﹂を、刊である。高校時代の文学部、新聞部、交友誌に
この眼で事前にぜひ確 認して おき たかったからに 所属していた、当時生意気盛りの友人 六人で 、同
他ならない。私のHP 安曇野 随想録を 読んで 戴け 人誌を創刊したことがあ る。今回、拙著の上 梓が
れば、私の動機が少しは理解戴け るかと思う。更 縁となって、往時の同人T君とネットで 繋が るこ
に拙著﹁奇妙な喫茶店﹂上 梓の際に、小説舞台の とができた。私の手元に、昔の﹁えぞうぷ﹂が 無
喫茶店﹁まるも﹂のオーナ新田貞雄氏、拙著配本 かったので探してきた。今や 素晴し いHPの管理
の鶴林堂書店の小松宏江社長に、色々とお世話に 人でもある同人のT君が 、幸 い保存して いた同人
なったので、松本でご挨拶しておきたかった。
誌を送ってくれた。そ の友人T君と 逢うこ とも、
八日早朝、カーナビをセットすると、関 越∼長 今回の大きな目的であ った。私個人として は、可
野道高速経由で松本に向った。行程約四時間 程で 能なら﹁えぞうぷ﹂を 復刊して みたいと思ってき
十時頃には、里山辺の姉の家に着いた。四十数年 たからである。同人誌の表紙を描いた絵 本作家の
振りにバスで松本にで た。新田貞雄氏には、電話 友とは、個展会場で賛意を得て いた。 松本にいる
で予め連絡してあったので 一 時間 程面談でき た。 他の仲間の意向を逢って知りたかったのである。
残念ながら、持参の菓子折りを店員さ んに手渡し
T君とは、新田老との面談時にも同席してもらっ
ただけで、小松宏江氏には会うこ とができ なかっ た。私と新田老との弾む 会話の遣り取りを、不思
議そうに聞いていた。高校休学時代に新田老とは、
既に私が旧知の中であることを、T君は知らなかっ
たのである。三十歳も 年齢の離れた者 同志の会話
に、割って入れないも のをT君は感じて いたに違
いない。私は時の迫るのも忘れる位であった。
著名な源智の井戸近傍に住む 、元同人で 熟経営
者のM君交え﹁茶か﹂で 三人で昼 飯を 食べ た。 当
時の旧交を温めながら、﹁えぞうぷ﹂ 復刊を話題
にした。市民タイムスのコラ ムを執 筆中で 松本文
化人の一人M君も賛同 し た 。 T 君 に は 、 三 郷 村
﹁瑠璃光寺﹂と、松本女鳥羽町﹁林昌寺﹂に連れ
ていってもらうお願いを、出発前に電話でして お
いた。先ず﹁林昌寺﹂に立寄り、母校第三回 卒先
輩でもある二十三代川上一應住職に来意を告げ、
もう一つの﹁十一面観音菩薩像﹂を拝観し た。住
職が、石像安置時の事を記載の﹁林昌寺寺報﹂の
コピーをくれた。石像の寄進者は、明治九 年開校
開智小学校の建設の大工棟梁と縁の人であった。
﹁瑠璃光 寺﹂で 、四代目關榮淳住職と、息子 の
關恒明 副 住 職 と面 談 した。鐘 楼 の鐘 の経 緯 、寺 の
了
開山経過、﹁十一面観音菩薩像﹂建立の経緯も取
材できた。小説では彫刻家は仮名とするも、寺名、
住職名を実名で執筆するこ と の了解を得た。大王
わさび農園に、彫刻家の友の初期五作品があるが、
T君が、事前調査してくれていて案内してくれた。
当初、﹁瑠璃光寺﹂は、自車で 廻る予 定にして い
たのだが、土地勘のない私で は果 たして 、取材成
果を上げられたかどうか判らない。元﹁えぞうぷ﹂
同人の友の取材協力あ ったればこ そで 、 全くT君
には感謝の言葉も無いくらいである。
次作﹁奇妙な猫たち ﹂上 梓や ﹁えぞうぷ﹂ 復刊
の際には、あとがきの謝辞に、T君 の協力のこ と
にぜひ触れたいと思っている。
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