表紙 - Institute of Molecular and Cellular Biosciences - 東京大学

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10 月号(第 24 号)2003.10
東京大学 分子細胞生物学研究所 広報誌
研究紹介
IMCB
University of Tokyo
ショウジョウバエ気管および視葉における分
泌性リガンドによる細胞間情報伝達
IMCB
Institute of Molecular and Cellular Biosciences
University
Tokyo
The of
University
of Tokyo
形態形成研究分野 佐藤 純
Sato, M. and Kornberg, T.B. Dev. Cell, 3: 195-207, 2002.
研究分野紹介(高次構造研究分野)
目 次
お店探訪 モゴモゴ(五月女宜裕)
着任のご挨拶(高田伊知郎、成田新一郎)
最近の新聞記事から
転出のご挨拶(西田洋巳)
平成15年度受託研究・共同研究一覧
OB の手記(児島宏之)
平成 15 年度奨学寄附金受入状況
拡散し、その濃度に依存して各細胞
ドクターへの道(伊東靖子、渡辺祥司)
知ってネット
の運命が決定される。このような発
留学生手記(
Tea Time-編集後記(田村勝徳・増山典久・芳賀直実・金井由美子・
生を制御するメカニズムおよびそれ
海外ウオッチング(藤原 誠)
長澤和夫)
に関わる分子は多くの生物種で保存
研究室名物行事(バイオリソーシス研究分野)
研究紹介(森口徹生、佐藤 純)
発生過程においてモルフォゲンと
呼ばれる分泌性リガンドが組織中に
艶彦)
されている。我々の研究室では特に
モルフォゲンの働きに注目し、ショ
ウジョウバエの成虫翅を用いて研究
い発現パターンを示す遺伝子を幾つか同定しており、例えば上述
を続けてきたが、私はこれまでの研
の FGFR(btl)は lamina 後部の細胞、つまりより成熟した神経細胞特
究をさらに押し進めるために以下の
異的に発現する。さらに Wnt およびその受容体である Fz ファミリ
ような2つの研究に携わっている。
ーの遺伝子も興味深い発現をしている。DFz1(fz)と DFz3 はそれぞ
第一のテーマは“細胞間情報伝達における filopodia の役割”で
れ lamina の中部・前部で発現し、DWnt4 と DWnt2(それぞれ脊椎
ある。モルフォゲンなどの分泌性リガンドは一部の限局した細胞
動物の Wnt9, Wnt7 に近縁)はそれぞれ lamina 前部・その外側の領
において産生され、周囲の細胞によって受け取られる。このとき
域で発現している。興味深い点は DWnt4 の発現が腹側のみに限局
リガンドがいかにして遠くの細胞まで到達するのかが論争の的と
している点である。lamina は成虫においても一見背腹方向に対称
なっているのだが、一つの魅力的な説はリガンドの受け手の細胞
な構造をしているが、少なくとも遺伝子の発現レベルでは背側と
が産生細胞に向かって filopodia を伸ばし、それによって遠くにあ
腹側とでは明確な違いがあると考えられる。現在はこれらの遺伝
るリガンドを積極的に受容するというものである。私は蛹期に形
子の役割を調べるために、変異体および異所発現の系を用いて解
成する air sac と呼ばれる器官をモデル系としてこの問題に取り組
析を進めている。
研究分野紹介 高次構造研究分野
研究テーマ
んでいる。ショウジョウバエの気管系は全身に酸素を運ぶ呼吸器
1. ショウジョウバエを用いた脳の神経回路構造の解明
3. 神経回路の発生過程の解析
官系であるが、air sac は無数の気管から構成され、大量の酸素を
2. 同定された神経回路の機能の解析
4. 神経回路構造のデータベース化
貯蔵・供給する成虫に特異的な器官である。air sac の細胞は FGF
受容体(FGFR)を発現しており、FGF 発現細胞に向かって filopodia
を伸ばし、さらに同じ方向に移動する。この系は filopodia の機能
を解析する上で以下のような点で有利である。1)生きたままの生
物個体を用いて操作・観察することができる。2) FGF シグナル伝
達系に関する変異体・遺伝子組み換えバエなど遺伝学的な道具が
高次構造研究分野は 2002 年の 4 月に発足したばかりの研究室です。昨年度は研究室のほとんどが岡崎の基礎生物学研究所
に残ったままでしたが、今年の 3 ∼ 5 月に 3 ケ月かけて分生研への引っ越しを完了し、岡崎から移ってきた 8 人と東京で新た
に参加した 5 人の計 13 人で、仕事を始めています。
揃っている。3)サイズが大きく観察・操作が容易である。4)モザ
私たちはキイロショウジョウバエの脳を研究してい
イク解析などハエの高度な遺伝学的技術を活用することができ
ます。脳の研究ではヒトあるいはヒトに類似性が高いサ
る。このような利点を活かして in vivo における filopodia の役割を
ル、ラット、マウスなどを使った研究が主流ですが、細
解明したい。
胞数が数億∼ 1000 億にも及ぶこれら脊椎動物の脳では、
さて成虫翅の発生においてはモルフォゲンによって位置情報が
与えられ翅のパターンが形成されるが、このような知見をもとに
複雑な神経回路の構造やそれらが出来てくる過程につい
して脳などのより複雑な組織の形成を解明することはできるだろ
て、細胞レベルで全体を調べ上げてゆくことはかなり困
うか?我々の研究室では脳の中でも比較的構造の簡単なハエの視
葉に着目し、その形成機構を研究している。その中でも lamina と
難です。その点キイロショウジョウバエなら、脳のサイ
呼ばれる最表層の領域は視神経が最初に投射する脳の神経節であ
ズも脳本体の片半球の直径が 0.2 ミリと小さく、神経細
り、網膜の視細胞の配列を反映した規則正しい構造を持つ。発生
胞数も片半球 2 万個程度しかありません。脳内の個々の
初期には lamina は図のような三日月形をしており、視神経の投射
機能領域に着目すれば、細胞数は数百程度になります。
に刺激されて後方から前方に向かって次々と lamina の神経が分
化・成熟していく。発生中の lamina において発現する分泌性リガ
この程度の複雑さなら、単一細胞レベルの神経回路の解
ンドおよびその受容体を探索し、それらの分子による視葉の形成
析を脳全体について行なうことが、ぎりぎり可能なレベ
機構を解析することが第二のテーマである。現在のところ興味深
ショウジョウバエ飼育室
ルです。
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現時点において人類は、脳がどうやって情報を処理し
ているかについてまだほとんど理解していないと言って
研究紹介
過言ではありません。脳の研究というと高度な学習や論
理思考の方に興味が向きがちですが、たとえば匂いを認
識するとはどういうことなのか、光の方向を知るという
のはどういうことなのか、といったごく単純な情報処理
EMR1, BAI1 などがこれにあたり、LNB-TM7 ファミリーに属する
えません。このような基礎的な部分を調べるには、複雑
長鎖細胞外領域を有する新規 Secretin 様受容
体の解析
なマウスやヒトを使うよりも、ハエのようなシンプルな
分子情報研究分野 森口徹生
いのではないだろうか。実際のところ、LNB-TM7 ファミリーに
のメカニズムすら、きちんと分かっているとはとても言
分子はゲノム上にあわせて 30 以上存在すると考えられている。し
かしながら、前述した分子を耳にしたことのある人はかなり少な
属する分子はほとんど機能解析が進められていない。一方、ショ
システムの方が有効ではないかと考えています。
研究室のインフラストラクチャー
共焦点顕微鏡画像の撮影
少ないとはいえ数万個の神経細胞の構造を調べるには、
G タンパク質共役型受容体(以下
ウジョウバエにおいてヌル変異体で胚性致死になる flamingo は
GPCR と略す)は、進化的に保存さ
LNB-TM7 ファミリーに属する分子で、このことから LNB-TM7 フ
れた膨大な数からなる大きなファミ
ァミリー分子が生体において重要な役割を果たしていることが予
リーを形成している。GPCR は様々
想された。
そのうちのごく一部のサブセットだけを効率よくラベルする方法が不可欠です。私たちはこのために、トランスポゾンを使
なホルモンや生理活性分子の受容体
我々はヒトゲノム情報をもとに、新規 LNB-TM7 ファミリー分
ってゲノムのあちこちに酵母の転写調節因子 GAL4 の遺伝子をジャンプさせた、GAL4 エンハンサートラップ系統を使ってい
として機能し、癌をはじめとした
子をコードする領域を同定し、その結果をもとに新規受容体の
ます。GAL4 はゲノムに挿入された場所によって、異なるパターンで発現します。産生された GAL4 タンパクは標的配列であ
種々の疾患の原因遺伝子である例も
cDNA クローニングを行った。この受容体は成体においては肺に
知られている。また、今日市販され
発現が高いが、特に胎生期において発現が高いことが明らかにな
ている医薬品の中には、潰瘍に用い
った。現在、ノックアウトマウスを作製しその表現型を解析して
られるヒスタミンH2 受容体拮抗薬な
いるところである。一方、培養細胞での強制発現系を利用した結
どのように、GPCR の作動薬や拮抗薬が数多くあり、現在使われ
果、驚いたことにこの受容体は細胞外に二か所の切断部位をもつ
この技術は 1990 年ごろから広く使われていますが、長所を最大限に活かすには便利な発現パターンを示す系統をどれだけ
ている医薬品の 50% 近くが GPCR をターゲットにしている。製薬
ことが明らかになり、受容体という側面だけでなく、それ自身の
得られるかがカギになります。このために私たちは日本の 8 つの研究室でコンソーシアムを作って、4500 系統を越えるコレ
企業では、ヒトゲノム情報から新規 GPCR を発見して機能解析を
N 末端がある種のリガンドとなっている可能性が示唆された。こ
進め創薬に結び付けようとする動きも盛んである。このように学
の結果をもとに、N 末端部分が結合する受容体や膜貫通領域を含
術的にも実用的にも注目度の高い GPCR であるが、我々はその中
む部分のリガンドのスクリーニングを進めている。これらのスク
る UAS の下流につながれた任意の遺伝子の発現を活性化します。UAS に GFP や DsRed などをつなげたコンストラクトを使
えば、GAL4 を発現する細胞を蛍光で可視化できますし、毒素や優先突然変異の遺伝子を使えば、GAL4 発現細胞を特異的に
殺したり、機能を阻害したりできます。
クションを 90 年代後半に作成しました。これは現在でも世界最大の規模です。国立遺伝学研究所のグループが全系統の
GAL4 挿入部位を隣接ゲノムのシーケンスによって解析し、データベースとして公開しています。各系統をストックセンタ
ーから無償で分与する体制も整いました。
私たちはこのうち約 4000 系統を、いつでも使えるようにストックセンターとは別に自分の研究室で維持しています。私た
ちの研究のほとんどは、
1:調べたい脳細胞で GAL4 を発現している系統を探す。
2:その系統を使って様々な遺伝子を発現させ、脳を解剖して細胞の形態を蛍光で観察する。
という作業で占められます。この核になるのが、これら 4000 系統の成虫脳と幼虫脳での GAL4 発現パターンを記録した、
20 万枚の共焦点顕微鏡画像データベースです。4 年かけて作成したこのデータは、2 テラバイトの容量を持つファイルサーバ
ーに保存し、ワークステーションや各自のパソコンから LAN 経由でアクセスできるようにしています。
研究室のメンバーは各自が解析したい脳領域をまず
決め、その領域の神経細胞やグリア細胞で GAL4 を発
現する系統を、画像データベースから探します。候補
の系統を選んだら、さらに詳細な共焦点連続断層撮影
を行ない、ワークステーションで三次元再構成をして、
ラベルされた細胞の立体的な構造を解析します。ほと
んどの仕事が蛍光標本の観察に帰着するので、現在 6
台の共焦点顕微鏡を使っています。ある脳領域の特定
のタイプの細胞に着目すると、それをラベルするよう
な GAL4 系統は、まず画像データベースのスクリーニ
ングで 4000 系統の中から数十∼ 200 系統の候補が見つ
かるのが普通です。それらを片端から詳しく解析して、
最終的に論文に使えるのは数系統∼数十系統(全体の
研究室のメンバー
0.1 ∼ 1 %)というところです。
にまだほとんど手が付けられていない GPCR があることに注目し
リーニング法が確立されれば、他の LNB-TM7 ファミリーのリガ
た。
ンド検索にも応用できると考えている。LNB-TM7 ファミリー分
Secretin 様受容体(typeII あるいは family 2 とも呼ばれる)サブフ
子は、その分子量の大きさやプロセシングなどのポストトランス
ァミリーは、calcitoninや parathyroid hormoneなどのペプチドホルモ
レーショナルな修飾などの存在もあって、これまでほとんど手が
ン受容体が含まれる分子群であるが、その中に膜貫通領域の骨格
付けられていなかった分子群であるが、この新規受容体の研究を
は Secretin 受容体に似ているが細胞外領域がかなり長い GPCR
機に機能解析が進んでいくことを期待している。
(LNB-TM7 ファミリーと呼ばれる)が存在する。HE6, CD97,