2014年5月17日 - 報徳学園バスケットボール部OB会ホームページ

報 徳 学 園同 窓会 誌
◎ 同窓会 から報友会 ヘ
︲ 回 報 徳 ま つり のご案 内
第3
報 徳 スポーツO Bクラブ通 信
◎OB達の同窓会情報
東 京 支 部便 り
同窓会 報 告
◎ クラブO B必見 情報
◎現代社会で活躍する同窓生が登場
O B V O I C E
青 谷 時 代 の報 徳 学 園
◎特集 学校創立百周年の回顧
百 周 年 記 念 事 業 募 金 のお知 ら せ
学 校 百 周 年 に私 た ち に出 来 ること
①
,
・
一
一
一
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濾爵
一
一一
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一一
一
T
近 二十 数 年 の主 要 大 会 ︵
新 人 戦 、総
体 、選 抜 大 会 ︿
ウ ンターカツプと の状
イ
2年 ︵
況 を みると 、9
平 成 4年 ︶から 総
ケットボール部 です が、OB会 にお いて
9年 ︵
︲年 ︶にOB会 を 立 ち 上
も0
平成 2
げ 、試 合 応 援 や差 し 入 れ等 のサポート
ムの育 英 を 優 勝 戦 で破 り 初 優 勝 を 果
一ラ ク ネ ー ム の
を 行 ってき たと ころです 。
報 徳 学 園 バスケ ツト ボ ー ル部 の一
ラク
り 、全 国 大 会 出 場 ︵
今 年 の全 国 総 体 は
く 上 回 る スピ ー ド で成 果 を 挙 げ てお
しか し、クラブ の躍 進 は期 待 を 大 き
た しま した 。
″S P A R T A N S に つ い
て
ク
不 ︱ ム は クS P A R T A N S クで す 。一
ヽ
選
8回
体連 続 H回を含む 1
優 勝 の育 英 を は じ めと し
手 たち の子 一
ホームやバッグなどにはコ
リントス式 兜 を 被 った勇 者 がデザイン
影 工 業 ︶、関 西 学 院 、市 立
て 、神 戸 科 学 技 術 ︵旧 御
尼 崎 と いった 伝 統 高 のほ
され ていま す 。
州 立 大 学 運 動 部 の ラ クネ ーム
報 徳 に似 ていると ころです 。
0 万 を 超 え るぺ″ ンャ
ま た 、2
侵 攻 軍 に対 し、自 国 ギ リシャを
こ支 援 のお 願 い
いてをご覧 く だ さ い。
千 葉 県 で開 催 ︶を 展 望 す ると 、ゝ
﹂れ ま
か 、近 年 では 鍛 え ら れ た
な ど と 使 用 さ れ ﹁質 実 剛 健 ﹂を
これ は 田 中 先 生 の監 督 就 任
表 し ま す が、後 にKンツク・
ジョン
走 力 を 武 器 に村 野 工業 な
これら 状 況 下 、報 徳 は 一
ソンと呼 ば れたバスケットボール
時 から採 用 し ているも ので、スパ
時 的 に は 総 体 5 位 と いっ
でも あ り ま す 。同 大 学 のスクー
ど が 上 位 チ ームと し て活
た 成 績 を 残 し た も のの、県 ベスト 8入
ルカラーが ﹁緑 と 自 ﹂と い つのも
ルタは 一
般 的 に ﹁スパルタ教 育 ﹂
り を 目 指 す と いった状 況 にあ り ま した
8年 ︵
0 年 ︶に現 監 督 であ る
が ヽ0
平成 2
田 中 敬 先 生 を 指 導 者 に迎 え 、厳 し い
守 るた め僅 か300名 で挑 んだ
躍 し ていま す 。
練 習 によ リ レベルアップ を 図 った ほか 、
スパルタ兵 士 の﹁勇 者 ﹂への思 い
選 手 が所 属 し ていた 米 ヽ
シガン
ヽ
ヽ
優 秀 な生 徒 の入 部 も あ つて、総 体 では、
9
2年 ・
3
Ю年 5位 、H年 4位 、1
0年 ・
1年
3位 、昨 年 のウイ ンターカツプでは準 優
勝 と 、着 実 に成 績 を 向 上 さ せ、と く に
バスケットボール部 は、2月 に開 催 さ
6 回 県 新 人 バスケット ボール選
れた 第 6
抜 優 勝 大 会 にお いて初 優 勝 を 果 た し
昨 年 は育 英 に敗 れ た も のの総 体 決 勝
詳 し く は 後 述 のH P のメ
り 、昨 年 末 か ら の西 宮 地 区 予 選 と 阪
一三 ︱ クS P A R 丁 A N S ″に つ
んでいま す 。
神 地 区 予 選 を いず れ も 強 豪 の関 学 を
レベルアップ を 図 るた め練 習 に取 り 組
県 下 のバ スケ ツトボ ー ル 部 の
げ レベルアップ を 図 っているバス
このよ う に着 実 に成 果 を 挙
状 況 と これ ま での報 徳 の成 績
兵 庫 県 下 高 校 バスケット ボールの最
破 って無 敗 で突 破 し 、県 大 会 では第 2
シード の位 置 で試 合 に臨 み、常 勝 チー
今 回 新 人 戦 は 選 抜 優 勝 大 会 であ
ま した 。
5年 ︶頃 と
これは、1940年 ︵
昭和 1
され る部 設 立 後 、初 めての快 挙 であ り
咤
も 表 したも のです 。
)
リーグでは3点 差 、ウイ ンターカツプ決
加藤 明輝 62回 卒
選 手 達 は引 き 続 き 総 体 でも 優 勝 し 全
バスケットボ ー ル部 OB会 総務担当
勝 戦 では4点 差 ま で肉 薄 しま した 。
県新人戦で初優勝を果たす
国 大 会 出 場 を 当 面 の目 標 と し て、更 に
バスケットボール部
繊
Sports OB Club
でにな い規 模 での物 心 両 面 でサポート
が必 要 と 判 断 し ていると ころです 。
099店 (099)
預金種 目
当
口座番号
0273955
ホ ー ムページ と連 絡 先 に ついて
全 国 でも 屈 指 の強 豪 校 と し ての戦 歴
を 残 し てお り ま す 。特 に、全 国 高 校 総
体︵
イ ンターハイ ︶での個 人 優 勝 者 に与
え られ る高 校 横 綱 の輩 出 は、過 去 5人
であ り 、この記 録 は日本 一
の記 録 です 。
2 6日に尼 崎 の都 ホテル コ アル
月
ー
1
5
カイ ックにて、報 徳 学 園 相 撲 部 創 部 7
周 年 記 念 パー ティーを 挙 行 致 し ま し
プ レベルに押 し 上 げ た 故 阪 本 薫 先 生 、
故 山 本 義 雄 先 生 、前 監 督 で現 在 総 監
只 、そ の輝 か し い実 績 の影 には 、歴
た 。歴 代 のOBの方 々や来 賓 の方 にも
督 の福 田 耕 治 先 生 の生 徒 に対 す る情
イ ︶での団 体 優 勝 を 目 指 し て精 進 し て
6年 ︶以 来 の全 国 高 校 総 体 ︵
イ ンターハ
ま せん。
今 後 も 0 周 年 、0 周 年 、100周 年
8
9
と 相 撲 部 が 発 展 し 、1994年 ︵
平成
熱 と 執 念 があ ったこと を 忘 れてはな り
な 稽 古 、報 徳 学 園 相 撲 部 を 全 国 ト ッ
代 の諸 先 輩 方 の闘 志 と 血 の滲 む よう
B︿こ で検 索 し ていただ け れば 閲 覧 可
oogleで ﹁報 徳 バスケットボ ール部 0
出 席 し ていた だ き 、盛 大 に開 催 す るこ
ご協 力 を お 願 い申 し 上 げ ま す 。
援・
引 き 続 き 、関 係 方 々のご 指 導 と ご 支
さい。
総 務 担 当 × お知 ら せ 下
ついて事 務 局 ︵
メール覧 を 利 用 いた だ き 、連 絡 先 等 に
た だ け る 皆 様 に は 同 ページ に記 載 の
ま た、
バスケット 部 OBおよび協 賛 い
ホームページ ヘは、Yahooま た はG
能 です 。
報 告 クペー゛
ンでは過 去 の公 式 戦 の模 様
もご覧 いただ け ま す 。
1織 ■
環 と し て、これ ま で幹 事 役 か
そ の一
座
店名 (店 番 )
OB会 では手 作 り によ るホームペー
ジを 開 設 し ていま す 。
)
ら 主 と し てクラブOBのみに依 頼 し て
豊中庄 内
OB会 活 動 の概 要 を はじめ、クトツプ
小 寺 貴之 o3回 卒
参 ります 。
は相撲部
緻創部75周 年記念バ…ティーが ‡
麟開催されました。
と ができ ま した 。
3
相 撲 部 の創 部 は1938年 ︵
昭和 1
2 回 卒 の福 島 薫
年 ︶です 。創 部 当 初 は 3
0 回 卒 の小 池 先 輩 が 国 体 に出
先 輩 や4
場 さ れ てお り 、大 いに活 躍 さ れ ていま
8 ︶に
した。そ して、1953年 ︵
昭和 2
年
0年
初 めて県 大 会 で団 体 優 勝 し、以後 6
相撲部監督
いた サ ポー ト 活 動 を 、協 賛 し ていた だ
く 学 園 関 係 者 の皆 様 にも 広 く お 願 い
すべく 、協 賛 金 等 の専 用 振 込 み口座 を
次 のと お り 郵 便 局 に開 設 いた し ま し
●他行等からの振込みで利用される場合
た ので、皆 様 のご協 力 を 心 か ら お 願 い
報徳学園バスケットボール部OB会
払込・払出店
いた しま す 。
口座名称
バ スケ ットボ ー ル部 OB会
00960-8-273955
ページ クには新 着 情 報 と し て試 合 模 様
や写 真 も アップ し ているほか 、″クラブ
軸
口座記号番号