学歴がない、体が弱い、これも常識的には短所と考えられている。 けれども、私の場合にはそのことが幸いして、成功できた。 とすれば、それはむしろ長所であったと言えなくもない。 ︱︱松下幸之助 はじめに 「できる人」 は 「高学歴」 とは限らない。 仕事には、 「小さな成功法則」 が存在する 「ほんとうは、専業主婦になりたかった……」 というのが、実は本音。やさしい夫に守られ、かわいいわが子のPTA活動に 精を出している。そんな姿を夢見て、私はずっと生きていたのです。 しかし現実は、私の想いとは逆へ、逆へと動いていきました。 1978年、高校1年生の私は、地元・熊本市で、偏差値の高い高校生に混じ って数学の塾に通っていました。ある日、問題が解けなかった罰として、授業後 に教室の掃除をさせられていた私に、塾の先生が声をかけてきたのです。 002 はじめに 「君の高校はね、そんなに必死になって勉強をやらなくてもいいんだよ。だって 君は、逆転勝ちができるんだから」 先生が言った逆転勝ちとは、 「永久就職=結婚」のことです。 その結婚で、学歴の高い相手を見つければ、たとえ成績が悪くても、また受験 戦争に負けて大学に行けなかったとしても、最終的に勝つことができる、という 意味でした。 私が通っていた高校は進学校でしたが、伝統的な女子高ということもあって、 良妻賢母のイメージが強かったように思います。それゆえ先生は、男子と同じよ うに必死に勉強をしなくても、女性であれば幸せになれる道はほかにもあるよ、 と言いたかったのでしょう。 「先生の言うとおりかもしれない」 と、そのころの私は思いました。 いつか白馬の王子様が現れて、私を世界一の幸せ者にしてくれるかもしれない と考えていたからです。数学の塾もしばらくしてやめました。 003 私がそうした現実逃避の思いにふけっていたことには、理由がありました。 中学2年生のとき父親が勤める紡績会社が倒産し、同時に母親は家計を支える ために働き始めました。3つ違いの弟があとに控えている状況で、私は家庭の経 歳で地元の銀行に 済的状況を気にして「もう大学には行けないな」と勝手に決めつけていたのです。 何の目標も、夢も持たず、高校3年間を過ごし、そのまま 就職しました。 く、また「学歴コンプレックス」も消えることはありませんでした。 しかし現実は、大卒の男性と結婚したからといって「幸せを感じる」ことはな 男性と結婚しました。 と、白馬の王子様願望を抱き続けていた私は、その銀行で知り合った高学歴の 「だれかが学歴コンプレックスを解消してくれる」 「だれかが私を幸せにしてくれる」 るために、いよいよ私は白馬の王子様願望を強くしたのです。 うに沈みこんで私の心に残りました。それを意識すればするほど、それから逃れ しかし就職してのち、 「 高 卒 」 で あ る と い う 学 歴 コ ン プ レ ッ ク ス は、 オ リ の よ 18 004 はじめに 白馬の王子様は、ただの幻想だったのです。 「だれかが私を、幸せにしてくれるに違いない」と、おとぎ話のような世界を夢 歳の人口 見ていた私は、その甘い考えが、間違いだったことに気づくまで、ずいぶんと時 間がかかりました。 年間で そして、幻想が消えて残ったのは、学歴コンプレックスだけでした。 文部科学省の資料(学校基本調査報告書)によると、この 万人が大学進 万人の若者は「大学に行かないことを選ん は約4割も減り、2011年の人口は約120万人。そのうちの 学志望者です。ということは、残る 18 社会に出れば理不尽なことだらけです。現代が「学歴社会」であることはもち めざるを得ない若者たちが大勢いたことと推察します。 東日本大震災の影響もあるでしょう。そこには、大学進学をしたくても、あきら つまり、全体の5割近くの人たちが、高卒、短大卒、あるいは専門学校卒です。 だ」ということになります。 65 20 ろん、性別、年齢、出身地など、さまざまな偏見や差別があります。 005 55 それらを体験してきた私に言えることは、その現実を「自分の力」で乗り越え ていくしかないということです。 その先にしか「本当の幸せ」はないからです。 そもそも、 「幸せ」とは何でしょうか? お金に不自由しない、高い学歴を持っている、高い地位について権力を握って いる、やりがいのある仕事についている、好きな人と一緒に暮らしている……。 人によって「幸せ」の尺度を測るものさしは違います。 た だ 一 つ 言 え る こ と は、 幸 せ と は「 他 人 ま か せ 」 で 手 に す る も の で は な く、 かな 「自分の力」で手に入れるものだということです。 夢は「見る」ものではなく、 「叶える」ものなのです。 自分の力で「暮らしていける」経済力、どんな「変化にも適応できる」アメー バのようなタフさ、 「人に好かれる」コミュニケーション力を持った人が、これ から男女を問わず求められると考えています。 006 はじめに そこで、学歴を気にしている人たち、大学進学をしなかったから、自分は遅れ をとっていると感じている人たちに、私は高卒キャリアウーマンとして働いた、 しの 年間の経験をもとに、 「大卒を凌ぐ力」 を届けたいと思っています。 せきしたまさ よ 「仕事を前にすすめ、期待以上の結果を出し、目的を達成するのに、ほんとうに 学歴は関係ない!」 そんな気持ちでこの本を書きました。 最後まで読んでいただけたら幸いです。 2012年4月吉日 関下昌代 007 30 「できる人」 は 「高学歴」 とは限らない。 仕事には、 「小さな成功法則」 が存在する 反・学歴の成功法則 ◎目次 はじめに 仕事以前に、生きるうえで 大切にして欲しい3つのこと 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール かつての同級生より、 お給料が安いという現実 プロローグ 002 032 030 のりを持ってくるように言われたら、 紙1枚をそえて渡しなさい 016 どんな「壁」 でも壊せる 仕事の 「武器」 を手にしよう 022 1 第 その仕事は、 だれかがやらなければならない。 「わからないので教えてください」 と だから与えられた仕事にイヤな顔をしない 知らないことを素直に言おう 046 073 070 066 063 郷に入っても、 郷に簡単には従わなくていい オフィスの机で朝食をとる姿は、 まったくもってカッコ悪い 遅刻や欠勤の 「伝え方」 で、 上司の心をつかむ 051 自分の話は、 聞かれたら話す程度がいい 054 宇宙飛行士に必要な資質。 「場を和ませる力」 を磨く 「見えるお茶くみ」 より 「見えないお茶くみ」 のほうが大事 できる人がやっているシンプルで小さな習慣 042 「気がきく」 と言われる人は、 「先まわり」 した心づかいができる人 仕事は楽しくないかもしれない。 でも、楽しくすることはできる 章 035 058 心も体も健康であることは、 もっとも大きな武器になる こんな時代だからこそ、 「公」 と 「私」 の一線を引く 081 泣いていいのは、 トイレの神様の前だけ 085 職場で嫌われる人は、 この4条件に当てはまる人 076 機械的な仕事ほど、 最終ゴールを想像してみる ジョブ・プロテクションをしない。 仕事は共有してこそ 「回る」 2 章「視点を変える」ことで、はじめて見えるコト 第 078 098 096 困った上司だと思ったら、 「自分ならどうするか」 とシミュレーションする 090 ジャンプして手が届きそうなところに、 目標を設定する 093 伝言メモが、 伝言済になるまで 英語力を磨くより、 「いまの仕事」 を極めるほうが優先 たまには社長の目線に立って セルフリーダーシップを発揮する 104 101 129 126 124 122 会社の問題点を知りたいなら、 派遣社員に聞いてみる うまく仕事を回す人は、 上司のマネージが上手い 気のはるイベントは、 前泊してでも万全を期す 他部署がからむ仕事ほど 締め切りの2日前に完成させる 信頼のない人は、 たいていルーズな人 108 1通のクレームが気づかせてくれた 仕事の 「本質」 116 119 3 第 章 「自分の常識」 に 当てはめないこと 自分の短所を長所に変える方法 自分の盲点。 ブラインド・スポットを知る 149 147 苦情から 人の価値観を学ぼう 人前で 「緊張する」 のは、 若手もベテランもみな同じ 転職活動から見える 思わぬ 「自分の弱み」 コピー1枚から 「仕事のスタイル」 がわかる 132 英語が苦手なおかげで、 苦手な人の気持ちがよくわかる 135 138 141 143 4 第 章 私が失敗したとき、 心に響いたお局様のことば 人生の節目に訪れる出会いに感謝する 多様な価値を受け入れる 柔軟な人間になろう 154 188 182 178 仕事で出会うすべてのことは、 あなたが 「何かを選んだ」 結果 おわりに 何歳になっても人生は変えられる。 未来を選択できるのは、自分だけ 人生で出会う 「嫌なヤツ」 には、 必ず意味がある 「見返りを求める」 から、 ほんとうの人脈ができない 158 年上の部下と年下の上司と どう付き合うか? 161 167 195 装丁◎岡孝治 本文デザイン◎ムーブ (新田由起子) プロローグ 社会人1年目から 身につけて欲しい3ルール かつての同級生より、 お給料が安いという現実 地元・熊本市の銀行に勤めて4年目に入ったころ、私は「高卒の現実」と直面 することになりました。 高校1年のときの同級生が、私と同じ銀行に新卒で入社してきたのです。彼女 は1年浪人したあと、東京の短大を卒業し、地元に戻ってきたのでした。 当時、融資課にいた私は徐々に仕事にも慣れ、楽しさも見出していました。 そんな折、入社してきたピヨピヨの彼女に、私はやさしく接することができま づら せんでした。幸い営業部に配属された彼女との接点は、ほとんどありませんでし たが、更衣室や食堂で彼女とすれ違うとき、どちらかというと私は先輩面をして いたように思います。 016 ところが、ある日、彼女と同級生だったことを知った総務課の先輩がこう言っ てきたのです。 「いまのあなたより、新人の彼女のほうがお給料が高いこと、知ってた?」 ショックでした。短大卒の新人の彼女のお給料より、3年も余計に働いている 私のお給料のほうが低かったのです。 理由は簡単です。彼女が短大卒であり、私が高卒だったからにほかなりません。 「学歴が、なぜそんなに重要なのか?」 おと どこにも持っていきようのない怒りが身体をかけめぐりました。高卒だからと いって、短大卒や四大卒と比べて仕事をこなす能力が劣っているとは思えません。 それなのに! 給料が高い! そんなに私たちより秀でているのか? もしそうだとしたら、それをいま、私の目の前で証明してほしい! 私は心の中で叫びました。 でも、それが学歴をめぐる現実の一端だったのです。 017 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 2011年の厚生労働省の発表によると、高卒と大卒の初任給の差は、4万5 千500円だそうです。月給でもこれほどの差ですが、生涯賃金にするともっと 大きな開きが生まれます。 あ 大卒の人が大学生活を満喫している間、早くから社会の波にもまれてきた私た ちが、なぜこんな目に遭うのでしょうか? 社会人になって、実践で学ぶことの ほうが、よっぽどリアルでシビアなはずです。だから、 「大卒に負けてたまるか!」 そんな反骨精神を持って、雑草のごとく、たくましく仕事をしている人たちも 大勢います。 私がもっと圧倒的な「学歴の壁」にぶつかったのは、地元・熊本から上京し、 新たな職を探し始めたときでした。 結婚した彼の転勤の影響で、私たちは、東京の練馬に引っ越してきました。 夢にまでみた東京暮らしでしたが、しゃべると熊本弁が出てきて田舎者とバカ にされるのではないか、と恐怖感で最初は家の中に閉じこもっていました。 018 あるとき、これではいけないと思い、新聞でデパートの催し物や展覧会を見つ けては出かけるようにしました。 どこに行くにも電車の経路がわかならいので、外出にも一苦労でした。有名な 朝のラッシュを経験したくて、わざわざ通勤ピーク時間に、練馬駅から池袋まで 西武池袋線の信じられないほどの混雑にまみれたこともありました。 東京で仕事をするということは、通勤だけでも命がけだと知ったものです。 私はさっそく派遣会社のテンポラリーセンターと日経スタッフに登録しました。 どちらも「受付業務」の登録でしたから、単発のイベントによく声がかかりまし た。明治記念館、帝国ホテル、伊勢丹の画廊、ぴあ本社など、仕事を通じて私は、 都心の位置関係、だれもが知っている有名な建物の場所を覚えていきました。 同時に働く人たちを観察し、熊本の田舎と違って東京は、あらゆることのスピ ードが速いと思いました。歩く速さしかりです。 そのうち、東京というところは、地方出身者の集まりであることもわかってき ます。自分が田舎者であることを隠す必要は、だんだんなくなっていきました。 019 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ ただ、東京に移って1年後、離婚という落とし穴が待っていました。 みやこお 親戚や親しい友達は熊本に帰ることを勧めてくれました。 でも、私は「都落ち」の感覚がイヤでした。 保守的な田舎に戻って肩身の狭い思いをするより、可能性に満ちあふれている 東京で、一人、生きていく自由のほうが魅力的でした。 心配している両親を安心させるためにも、私が元気に立ち直り、経済的に自立 した姿を見せるしかないと思ったのです。 しかし、東京で、一人暮らしのアパートを探すのは簡単ではありませんでした。 不動産をいくつも回っては、女性の一人暮らしということで嫌な顔をされたも のです。当時は、しっかりとした保証人がいないと、どうにもならない現実があ ったのです。 そんなとき、たまたま近所に住んでいた方たちに助けられ、アパートの保証人 にもなっていただき、住むところを得ました。 月5万円の家賃、築何年かわからないような、古い木造2階建ての和室6畳と 020 台所だけの部屋でした。 洗濯機は玄関前の通路に置き、和式のトイレ、お風呂の青い湯船は斜めに傾き、 プロパンガスは器具が古くてなかなか火がつかない、お隣の足音や声が響き、ま るで顔が見えないだれかと一緒に暮らしているかのようでした。 そんななかで、職探しを始め、学歴の壁にぶつかったのです。 ツテを頼っても、 「せめて短大は出ていないと……」 「親元から通わない女性は採用しません」 などと、履歴書を送る以前に門前払いされてしまったのです。 日経新聞の求人広告欄には、 「短大卒以上」「大学卒以上」という文字が目立ち、 私が行きたいと思う「学歴を問わず」と書かれていた企業は、一社もありません でした。 021 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ どんな 「壁」 でも壊せる 仕事の 「武器」 を手にしよう 私は朝日新聞や日経新聞の求人広告に目をさらし続けました。 そうして、傾いた木造アパートの私の部屋が、タンスの上の空間まで日経や朝 日新聞だらけになったころ、私は日経新聞に、ある外資系銀行の5センチ四方く らいの小さな広告を見つけたのです。 「銀行業務・経験者求む」 と書いてあります。 白状すると、そのとき、私はその外資系銀行の存在を知りませんでした。銀行 に勤めていたのにお恥ずかしい話ですが、外資系銀行とはかかわりがなかったせ いか、まったく事情を知りませんでした。 それで、東京で会社勤めをしている頼りになる親戚に電話をかけました。 022 「○○銀行って知ってる? 求人広告が日経に載ってるんだけれど……」 「あのね、それはアメリカのでっかい会社なの。そんな会社におまえが入れるわ けがないじゃないか」 親戚は笑って相手にしてくれませんでした。 自分で調べようとしても、インターネットのない時代です。やむを得ず、私は 新宿の紀伊國屋書店まで電車を乗りついで出かけて行きました。 『会社四季報』を読んで、なるほど、ニューヨークに本部を持つアメリカの会社。 ものすごく大きな組織であることを知りました。 ところが、求人広告の学歴のところには、「短卒以上」と書いてあります。 そ れ を 承 知 の う え で、 私 は 応 募 し て み る こ と に し ま し た。 も ち ろ ん「 駄 目 も と」です。最初からあきらめて何もしないより、駄目でもともと、試験だけでも 受けさせてもらえればいい経験になるじゃないかという気持ちでした。 「これで駄目だったら、熊本に帰ってもいいや」 最後のチャンスのように腹をくくりました。 023 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 文房具屋で買った履歴書に丁寧に記入し、履歴書用の写真を準備したとき、私 は考えました。 学歴が「高卒」なので、このままでは、書類は確実にゴミ箱行きです。 手紙を書いてみよう! せめて試験だけでも受けさせてもらえるにはどうするか? そうだ! 私を強気にさせたのは、これまでの仕事の経験上、短卒も高卒も仕事をしてい くうえで大差がないことを知っていたからです。 学歴の「短大卒」は単なる記号ではないか? 広 告 の「 銀 行 業 務 経 験 者 求 む 」 の、 銀 行 業 務 経 験 者 に 私 は 該 当 す る じ ゃ な い か! そこをアピールするべきではないか? 真っ白い縦書きの便せんに、万年筆で、私は履歴書には書く場所がない自分の 銀行業務の経験値と、思いのたけを人事担当者へ向けて書きました。 024 「学歴の条件は、短卒以上と書いてあるのは承知しています。私は高卒ですが、 短卒の人とくらべて自分がひけをとっているとは思いません。せめて筆記試験、 面接だけでも受けさせていただく機会をあたえてください」 何度も書き直しました。きれいに清書をし、祈るような気持ちで切手を貼り、 履歴書に手書きの手紙をそえてポストに投函したのです。 このとき、外資系であるからには英語力も問われることを覚悟していました。 しかし、求人広告には英語に関しては何も書いてありません。 果たして数日後、人事部から電話がかかってきました。 筆記試験と面接の日程の連絡でした。私は飛び上がるほど喜びました。 「書類選考で落とされなかった!」 面接用に紺のスーツと白いブラウスを買いました。 筆記試験は一般常識程度の数学と英語、そして性格テストがあったように記憶 しています。 025 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 私は試験までの日数が少なく、いまさらジタバタと準備しても仕方がないと開 き直っていました。それより、当日の面接で、やる気と元気の良さを印象づける ほうが大事ではないかと考えました。 試験の朝、東京地方で地震がありました。 面接官は地震の話題から入ってきました。軽い世間話のようですが、こういう 話のほうが人柄が出てしまいます。 つ 次に、 「銀行を辞めた理由は何ですか?」と聞かれたので、私は社内結婚で辞 めざるを得なかったこと、いまは一人で東京で生きていくために仕事に就く必要 があることを包み隠さず正直に答えました。 男女2人の面接官は、うなずいただけでした。むしろ、「あなたが、できるこ とは何ですか?」と、銀行で身につけた能力を詳しく聞いてきました。 求人広告は銀行・カード事業本部となっていました。 日本でクレジットカード部門を立ち上げたその外資系銀行は、銀行業務を経験 し、きちんとした事務処理能力の高い人材を求めていたのです。 026 最後に「あなたにとって仕事とは何ですか?」と聞かれたので、「生きる為の 糧です」と答えました。これも、思ったことそのままの正直な答えです。 数日後の二次面接は人事の責任者でした。 彼は偶然にも熊本出身で、私の母校、第一高校のこともよく知っていました。 地元ネタで盛り上がったところで、 「年収は、いくら欲しいですか?」 と言われました。 これは意表を突かれた質問でした。恥ずかしいことに、私には当時の新卒の平 均年収も頭に入っていません。 どう答えればよいかわからず、とりあえず家賃と生活費の確保ができれば十分 だと思ったので「350万円です」と答えました。 最後にいちばん気になっていたことを尋ねました。 「英語はできませんが、大丈夫でしょうか?」 「あなたが配属される部署では、英語は使いませんから大丈夫です」 この答えにホッとしたことを覚えています。 027 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 1989年 月、私は 歳で、外資系のお姉さんになりました。 27 年間も、ずっと学歴コンプレックスはついて回りました。 20 一般的に言ってビジネス社会には、同じように研修を受け、同じような仕事を 情景をいまでもはっきりと思い出します。 苦しまぎれに、 「そんなのひみつだよ」と明るい声で応え、その場をしのいだ れるような気がして、とても正直に言うことができなかったのです。 ウソは言えませんし、かといって「高卒」という事実を口にするのはバカにさ と聞かれてドキッとしました。 「関下さんは、どこの大学を出ているんですか?」 外資系銀行に勤めて数年後、一人の新人男性から、 しかし、その後、 信じられませんでした。 「私を採用してくれた会社があった! しかも外資系!」 どんな仕事でもやろうと思いました。 健康保険証をもらったとき、 「これで生きていける」と思いました。 11 028 しているにもかかわらず、給料面でも短大卒、大卒の人のほうが最初から高い、 という理不尽が横たわります。 その意味で言えば、たしかに現代は「学歴社会」かもしれません。 年間勤務し、待遇の面でも でも、社会人人生は「学歴だけ」で差が出るわけではないのです。自分の経験 からも、そうはっきり言えます! 高卒の私は、英語が苦手なまま、外資系の銀行に 大卒を凌ぐ給与をいただいておりました。 本書では、そのために仕事で「何が」いちばん大事なのか、私自身が「何を」 そういう人生を実現できるということを言いたいのです。 これは何も、自慢をするために言っているのではなく、たとえ「高卒」でも、 2つの科目を学生たちに教えています。 大学の教壇に立ち、 「ビジネスマナー」と「異文化コミュニケーション」という あとで、その経緯をお話しするチャンスがあると思いますが、現在では、私立 20 大切にしてきたのかを経験談を交えて伝えたいと思っています。 029 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 仕事以前に、生きるうえで 大切にして欲しい3つのこと まず、私が仕事をするうえで、もっとも大切にしてきた3つのことをお伝えし たいと思います。それは次の3つです。 ① 心づかい ② 責任感・適応力(アメーバ力) ③ 素直さ すごく当たり前のことですが、この世の中、たった一人で仕事をするわけには いきません。必ず、上司や同僚、部下といった多くの他人と作業を協働します。 だから仕事をするときに大切になるのは、その人たちとの円滑なコミュニケー 030 ションであり、良好な関係です。いかに上手にお付き合いし、仲良くなれるか、 そのうえでいかに良い結果を出せるか、さらに彼らから、いかに良い評価をもら えるか、それが重要になるのです。 いま挙げた3つのことは、これをきちんと表現できるならば、周囲の人たちと ひじょうに円滑なコミュニケーションを交わすことができ、かつ、良好な関係を 結べることになるはずです。 それぞれは決して難しいことではありません。ちょっとした努力、相手を思い やる気持ち、生きていこうとする決意などを持つことによって可能となるのです。 私自身がそのことを、体験上で実証してきたのです。 これらを3つまとめて、生きるうえでの「大切なこと」として実行していけば、 あなたもきっと成功するに違いありません。 「心づかい」では、私が先輩にいただいた言葉を中心にお伝えします。 「責任感・適応力」では、私の好きなプロ野球から、いまは亡き一人の選手に登 場していただきながら、話を進めます。 「素直さ」は、私の新人銀行員時代を思い出しながら、初心の大切さを話します。 031 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ のりを持ってくるように言われたら、 紙1枚をそえて渡しなさい 高校を卒業して、地元の銀行への入社式直前、元銀行員という女性の先輩から 就職祝いのはなむけとして、この言葉をいただきました。 はじめて社会に出る私にもわかりやすく、いまでも心に深く刻まれています。 お じ というのも、高校時代のバイトでも同じようなことで喜んでもらえたことがあっ たからです。 高校1年生の春休み、友人の叔父さんが市会議員に立候補したため、選挙事務 所でアルバイトをしないかと誘われ、始めることにしました。 私を含めたアルバイトは4人。私たちに与えられた最初の仕事は、名簿の順番 に片っ端から勧誘の電話をすることでした。話す内容は、あらかじめ用意されて おり、それを読むだけでした。 032 しかし、ほかの3人に比べ私は、緊張してスムーズに話すことができません。 電話一本もまともにかけられず、落ち込んでいました。 「いっそ辞めてしまおうかな」そう暗い気持ちになっていたとき、だれでもいい から、お昼の食事の支度を手伝ってほしいと声がかかりました。 電話以外だったら何でもいいと思っていた私は、真っ先に手を上げたのです。 選挙カーの活動から帰ってきた人たちのために、ご飯やみそ汁をよそったり、 お茶を出したりする仕事は、電話の何倍も楽しいと感じました。 お昼の食事が落ち着いたとき、事務の責任者だった年配の男性から、 「この人たちの電話番号を調べてくれないか」 と数名の名前が書かれた紙を渡されたのです。 電話帳を広げれば、電話番号などすぐにわかります。そう時間はかからない仕 事でしたが、私は考えました。 「電話番号だけでいいのだろうか?」 「そもそもこの名簿は何に使うのだろうか?」 033 社会人1年目から身につけて欲しい3ルール プロローグ 「電話をかけて自宅に挨拶に伺うこともあるのではないか?」 そこで私は、電話番号の横に住所も書いて渡しました。 それを受け取った男性は、 「君は気がきいてるね。電話番号しか言わなかったのに住所まで書いてくれた」 そう言って喜んでくれたのです。 天にも昇る思いでした。ほんの少しの工夫でこんなにも相手が喜んでくれる。 たとえちょっとしたことでも相手を喜ばせることができれば、それはあなたの 存在を相手が気持ちよく認めてくれたことになります。 「のりを持ってくるように言われたら、紙1枚をそえて渡しなさい」 この言葉の裏にあるのは、のりを使う際に机を汚さないために敷く「紙1枚」 」の仕事を頼まれたなら、「 」 に し て 返 し て あ げ る。 そ の よ う な 心 という「心づかい」です。仕事において、もっとも大切なことです。 もし「 11 を高め、やがて大きな仕事につながっていくと思うのです。 づかいは、相手を喜ばせることができます。その積み重ねが、あなたへの信頼度 10 034
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