目 次

vii 目 次
あ と が き ……… 増補
ニュートリノの質量 ……… スーパーカミオカンデの大気ニュートリノ観測から
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目 次
プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設 ……… 宇宙線の発見 ……… 高エネルギー物理学と宇宙線 ……… ニュートリノとは何か? ……… 太陽エネルギーの謎 ……… カミオカンデ誕生物語 ……… ニュートリノをとらえた! ……… 34
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スーパーカミオカンデに向けて ……… 83
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1 プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設
プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設
々しい名前が最初にでてきた。本題にはいる前に、ちょっとこの名前を説明してお
何とも仰
かみおか
こう。
「神岡」というのは、観測施設がある岐阜県の地名である。「宇宙素粒子」というのは、
宇宙を観測することによって素粒子の謎を解く研究と、宇宙から降ってくる素粒子の観測によ
って宇宙の謎を解く研究、という二つの研究目的を表している。「研究施設」というのは、研
究のための装置が置いてあって、何人かの研究者がいつもたむろしている場所のことをいう。
観測装置の運転や維持にはけっこうお金がかかるので、こうしたいかにも難しそうな名前をつ
も
ずみ
けて、国から必要な予算をもらっているわけである。これを正確に発音しようと思うと舌を噛
むから、ふつうは神岡観測所と呼んでいる。
この観測所は、神岡という奥飛驒の鉱山町のそのまたはずれの茂住という地区にある。茂住
には最新の計算機システムと、都会や外国にある大学と情報を交換するための高速通信回線を
備えた施設がある。しかし、ほとんどの装置類があるのは地底一〇〇〇メートルのところだ。
この地下施設に行くためには、まず一五分ほどトロッコに乗って、三キロ山の中へ入った終点
まで行かなければならない。そこは池ノ山という山の頂上直下で、一〇〇〇メートルの厚みの
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ある岩石が上に覆いかぶさっているところである。
トロッコを降り、ちょっと坑道の中を歩くと分かれ道がある。ここで、左へ一〇〇メートル
ほど行くと「カミオカンデ」という現在稼働中の四五〇〇トンの観測装置が見えてくる。右に
曲がって一〇〇メートルほど歩くと、「スーパーカミオカンデ」という新しい五万トンの観測
)。
装置の建設現場にでる。坑道は掘りっぱなしの状態で大変不気味である。ヘルメットをかぶり、
懐中電灯を常に手にしていないと、危険で歩くこともできない(図
独りぽっちの研究生活
いが、修理に行けないつらさと似ているのではなかろうか。
団太踏んで待っているつらさは、スケールは全然違うけれど、人工衛星の故障を見つけたはよ
真夜中に発見しても、残念なことに、夜の間は修理しに坑内に入ることができない。朝まで地
クできるし、各装置の運転状況もテレビモニターで見ることができる。しかし、装置の故障を
った装置の映像もまた送られてくる。だから観測データは外のコンピュータで処理してチェッ
は地下から光ファイバーを通して宿舎のある茂住地区まで送られてくるし、テレビカメラが撮
でで、夜は誰もいない。しかし、まったくの無人運転かというと、そうでもない。観測データ
カミオカンデのある場所にはふつう、研究者か大学院生が独りぽっちでいて、装置の運転状
態の監視を行っているか、持参の弁当を食っている。ただし、それも朝九時半から昼の三時ま
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3 プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設
図 1 神岡鉱山の内部,
(上)カミオカンデに行くまでに歩いて通
る坑道.素掘りのトンネルで,壁には電力線や圧搾空気のパイ
プが,そして床にはトロッコのレールが走っている.
(下)カミ
オカンデの入口にある純水製造装置の一部
(取水部分)
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図 2 カミオカンデのタンク上面で作業中のスティーブ・ジョーンズ.
左の人物は梶田隆章助教授,右の大男はロスアラモスのハワード・
メンラブである
奥飛驒という情報がなかなか手に入ら
ない場所に加えて、さらに地下となると、
いくらおもしろい研究をやるとしても、
大喜びで神岡に何日も滞在しようという
研究者はそんなに多くない。むしろアメ
リカ人のほうがタフだ。その例を二つば
かり紹介しよう。
タフなアメリカ人
一九八九年、常温で核融合反応が起こ
ったというとんでもない発表があった。
本当なら大変なことなので、言い出しっ
)と一
ぺの一人、アメリカ・ブリガムヤング大
学のスティーブ・ジョーンズ(図
検出を試みたことがある。
核融合に伴って発生するはずの中性子の
緒に神岡の地下で何日も仕事をし、常温
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5 プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設
彼はアメリカから名古屋空港に着き、すぐ高山線に乗って夜の八時ころ高山に着いた。私が
高山へ迎えに行って茂住のアパートまでつれてきた。我々がいつも使っているのと同じ煎餅布
団にくるまって寝てもらったが、冬は部屋の中でも零度近くまで気温が下がるので気の毒なこ
とをした。しかし彼は、「涼しくて時差を直すのには大変よろしい」などと強がりをいいつつ、
すぐ次の日から我々と一緒に地下で仕事をし、同じ鉱夫の弁当を食べてがんばったのである。
(結局、核融合からと思われる中性子は検出されず、我々の結果は常温核融合フィーバーの決
定的な解熱剤となった。)
もう一つの例は、ニュートリノの研究でペンシルバニア大学から研究者がきて一緒に観測を
したときのことである。大将のアル・マンとはよく一緒に坑内に入って研究をしたが、昼にな
って鉱夫の弁当を食べるとき、必ずおかずの説明をしなければならなかった。カラシメンタイ
コだのゴリの佃煮だのの説明を聞いてアルが言った。「毎日が発見の日々だなあ」。
まったく異なる住居や食事、それに過酷な研究環境をものともしない点にかけては、私など
アメリカ人にとても及ばない。
スーパーカミオカンデと新しい研究環境
さて、新しい装置スーパーカミオカンデは、一九九六年四月から運転を始める予定である。
こいつは古い装置に比べると、あらゆるところが一〇倍以上大きいので、真夜中でも地下に人
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がいて監視体制を取ることにしている。地上の計算機システムにも二四時間研究者がはりつい
て、いろいろな研究に取り組むことになる。もうトロッコは使わずに、別な入口から自動車で
地下に入る。夜中も出たり入ったりするので、トロッコの運転手を確保するのが難しいからで
ある。
研究者や大学院生は、全国各地の大学から研究に神岡へやってくる。東京からだと、上越新
幹線、北陸本線、高山線、神岡鉄道に乗り継いで、やっと茂住地区に着く。約七時間の旅であ
る。現在は皆、地区内にある鉱山の社宅を借りて寝泊まりしているが、図書は少ないし、議論
する仲間がいないので、装置の突発的な故障でもないかぎり大変退屈な日々がつづく。しかし
スーパーカミオカンデが完成すると、観測や研究に専念する者が常時一〇人以上必要になる。
そこで、私たちはこれまでの「通い」をやめ、意を決して神岡に勤務地を移すことにしている。
人員が何人も勤務地を変えるというのは、けっこう大変なことである。まず組織の体裁を整
えなければならない。このためにも、お国から「研究施設」というお墨付をもらう必要がある。
無論、研究室やセミナールームを持った建物を作らなければならない。また、図書の整備や、
都会にある大学や研究所との情報のやりとりを高速で行うマルチメディア用デジタル回線も絶
対必要である。というわけで、いろいろな悩みもあるが、研究施設を世界の情報基地になるよ
うに発展させることを夢見つつ、新しい施設の準備を進めているところである。
さて地下に入ると、湿度はほとんど一〇〇パーセントと暑苦しそうだが、気温のほうは一年
7 プロローグ 神岡宇宙素粒子研究施設
中一四度で変化しない。まわりのむき出しの岩さえ気にしなければ、ちょっとした暖房と除湿
機で快適な空間となる。いよいよ装置の紹介に入りたいが、その前にまだまだ準備が必要であ
る。