兄(妹)をくっつけたい。 - タテ書き小説ネット

兄(妹)をくっつけたい。
榊明
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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︻小説タイトル︼
兄︵妹︶をくっつけたい。
︻Nコード︼
N5277BF
︻作者名︼
榊明
︻あらすじ︼
鈍感な、二組の兄妹の片方の兄、一樹悠輔に恋心を抱く、もう片
方の妹の市川舞。
かなで
そんな二人を静かに見守る︵ツッコミは有り︶
一樹美奈と市川 奏︵愛称ソウ︶
そんな彼らが送る高校生活の行方は?
二組の兄妹とそれを取り巻く人々の愉快で、甘く、切ない物語。
1
新学期の朝
もしかしたら、私たちの関係はこのままなのかもしれない。 ﹁兄さーん、ごはんできたー﹂
﹁おー﹂
制服姿の兄さんはいつもどおりに返事をした。そして、私は制服
の上から付けていたエプロンを畳んで、自分の椅子に座るのとリビ
ングに入ってきた兄さんが自分の椅子に座るのが同時だった。これ
は兄妹だからなせる技だろうか。
﹁もう美奈も高校生か。いやー月日がたつのは早いなー﹂
﹁もう、兄さん、お爺さんじゃないんだから﹂
﹁いやー、どっかの誰かさんのせいで気苦労が絶えなくて・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・あ、いや、うそうそ、嘘だから﹂
﹁・・・ならいい。私も兄さんには、苦労してるんだから﹂
私が無言で朝食の乗った兄さんの分の皿を下げようとすると、兄
さんは少しだけ慌てて、皿の端を掴んだ。それを見た私は、少しだ
け笑う。兄さんも笑った。
穏やかで、安心できる、この日常が好きだ。
きっと、兄さんもそう。あの人たちも︱︱︱ 。
﹁行くか、学校﹂
﹁うん!﹂
兄さんが玄関のドアを開け、外に出る。私は元気よく返事をして、
同じように外へ出る。外にはすでに、私たちの大事な人がいた。
﹁おっす、二人!﹂
﹁おはよう、ソウ﹂
2
かなで
﹁おはようございます、奏さん﹂
私たち兄妹が小さいころから仲の良い兄妹の兄の市川奏さんが家
の前で待っていた。ちなみに、ソウというのは、彼の愛称だ。彼は
そちらの方が好きらしい。
奏さんは兄さんに歩み寄ると、兄さんの肩に腕をまわし私に背を
向ける。
﹁ねえ、ゆー君。君の妹は、今反抗期なのかな?﹂
﹁いや、そんなことないんじゃないか?﹂
﹁だったらなんで、最近、ソウ兄って呼んでくれないの!?﹂
﹁さあ?﹂
﹁・・・﹂
私は微笑みながら、兄さんたちのやり取りを見ていた。彼の言う
通り、最近私は、彼のことをソウと呼んでいない。前までは︱︱︱。
ガチャッ
﹁ソウ兄早いよ︱︱︱︱︱︱!﹂
いちき
こんな風に呼んでいた。
私たちの家︱︱︱一樹家の、隣の家︱︱︱市川家から奏さんの妹
の舞が勢いよく飛び出してきた。あ、また寝癖がついてる。
私たちはそんな彼女を見ながら、笑う。
﹁忙しないなー、だったらもっと早く起きればいいのに﹂
﹁私はソウ兄みたく、四時半に起きれないよ!﹂
﹁いつも早いなー。俺達六時だぞ﹂
﹁お爺さんみたいですね、奏さんも﹂
﹁も?もってどういうこと、みーちゃん?﹂
兄さんが、朝食での会話を奏さんに話しているのを見て、私は舞
に近づく。舞の短い髪に付いた寝癖を手櫛で直す。このやり取りは
もう何回目だろうかと思いながら、私は舞に言う。
﹁おはよ、舞。今日は何時起床?﹂
﹁おはよ・・・ミアのいじわる。・・・・・・・・・七時半﹂
現在、七時五十分。
3
舞は、私のことをミアと呼ぶ。小さいころの呼び名がそのまま定
着してしまったらしい。不快ではないから構わないけど。
﹁それは遅いなぁ、もう少し早めに起きて。ソウのこと助けてや
ってくれない?﹂
そう言いながら、兄さんは、奏さんの寝ぐせのなくなった舞の頭
をなでる。あ、あーあ、舞固まっちゃた。
﹁じゃ、じゃぁ、ゆー君が起こしに来ればいいんじゃない?﹂
﹁それは普通、兄であるソウの仕事なんじゃないのか?﹂
奏さんと話してる間も兄さんは舞の頭に触り続ける。もー、舞の
顔真っ赤だよ、気づいて兄さん。
﹁あれ、舞ちゃん。顔赤いよ?﹂
気づいたか。
﹁ちょっと、ごめんね﹂
﹁!﹂﹁!﹂
奏さんも私と同じ危機感を抱いたのがわかった。さすがにもうだ
めだろう。誰がだって?決まってるじゃないか。
﹁・・・﹂
前髪をあげられ、兄さんに熱を測られようとしている、私の幼馴
染だ。
私たちはすぐに二人を引き離した。
﹁も、もう学校行かないとまずいんじゃないか?急ごう!﹂
﹁あ、そうだな﹂
奏さんがうまーく兄さんを先に進ませる。私に目配せ、声を出さ
ずに頼んだよと口を動かした。私は何も言わないで微笑んだ。
私は固まって動かない舞を現実に呼び戻すと、後に続く。
﹁はぁ∼﹂﹁あ∼﹂
私と同時に奏さんもため息をつく。
ここまで来たら、分ってもらえただろうか。
そう、私︵十五歳/新高1︶の幼馴染で奏さん︵十六歳/新高2︶
4
の妹の舞︵十五歳/新高1︶は私の兄の悠輔︵十六歳/新高2︶が
好きだ。こうあからさまに態度がおかしければ、大抵の人はこのこ
とに気づくと思うが、残念なことに兄さんは気づかない。ホントに
気づかない。
どれほど鈍いのなのか、これから奏さんが語ります。
5
始業式の後︵前書き︶
奏視点です。
6
始業式の後
学校 高等部にて
ダラダラと俺たちは教室に向かう。
﹁あー、始業式長かった﹂
﹁ほんと、第一までとか苦しいだろ。首が﹂
﹁みーちゃんたちは、教室で待機だよね。俺たちの時もそうだっ
たけど、昨日の入学式に出て、在校生の始業式の今日も登校って、
先生たちも何がしたいんだろ?﹂
﹁配布物もある。美奈たち中高一貫生以外の、外部からの入学生
のための自己紹介とかあるんだろ。俺たちはそうだった覚えてない
のか?﹂
﹁・・・あ、あったか、そんなの?﹂
﹁今朝美奈が言ったこと、割と間違いじゃなかったんだな。可哀
想に、ソウまだ若いじゃないか﹂
﹁そんな深刻な顔しないでくれる?!ジョーダンだから、真に受
けるな!﹂ ﹁なら、よかった﹂
﹁・・・その笑顔で、他の女子見んなよな・・・﹂
﹁ん?なんか言ったか?﹂
﹁いや、何にも﹂
やぁ、紹介が遅れたね。俺は市川|奏≪かなで≫。ゆー君たちの
幼馴染兼舞の兄。気軽に、ソウって呼んでくれるとうれしいな☆
・・・、ごめんごめんみーちゃん。まじめにやるから。これくら
いの悪ふざけさせて。これから疲れるんだから。はぁー。
﹁よし、教室ついたな﹂
﹁そうだな、また一年よろしく、ゆー君﹂
﹁ああ、さて・・・と﹂
7
ざわっ
教室の空気が一変した。主に女子たちの。原因は︱︱︱
﹁ふー、やっぱこっちの方がいいわ。息が吸いやすい﹂
俺の幼馴染。
何をしたかというと、
﹁ねぇ、一樹君がネクタイ緩めてるよ!﹂
﹁あ、第一ボタンはずしちゃってる!カッコいい!﹂
﹁ほんとにね。うっすら見える鎖骨なんか、ほら・・・色気が・・
・﹂
﹁やだぁ、もう!﹂
ありがとうクラスの女子。説明代弁してくれて。正直、小声でも
君たちの声は十分こっちに聞こえてるんだけど、
﹁あ、また俺たち席前後だな﹂
﹁・・・そうだな﹂
こうやってスルーできる君は何なんだろ。珍獣?
まぁ、こいつは一応イケメンの部類にはいるんだろうな。低く言
っても中の上だろうし。俺もその辺だと思うんだけど。ねぇ、みー
ちゃん?・・・棒読みでそうですねって言うのやめて。意外とこた
えるから。
﹁そういえばさー、朝、舞ちゃんちょっと顔赤かったよな?体調
悪いのか?﹂
﹁いや、いたって健康だ﹂
君のせいだよ。
﹁ならいいけど。ちゃんと見てやれよ、家族なんだから﹂
﹁・・・ああ、分かってる﹂
君がちゃんと見てやれば万事解決なんだよ。
新学期が始まったばっかりだから、席は名前順。俺が前でゆー君
が後。小学校から変わらない順番。正直、この並びが崩されないこ
8
とに感謝する。
﹁ん∼・・・。一樹君とお近づきになりたいのに∼﹂
﹁市川君と楽しそうに話してるから、邪魔しちゃだめだよねぇ?﹂
俺と会話している間は、女子は話しかけて来ない。空気が読める
女子、多謝。聞こえてるけど、君たちの会話。
そんな会話がまるで耳に入っていないかのように、こいつは言う。
﹁今日さ、そっちで夕飯食っていい?﹂
いっそこのスキル、ほしい。
9
帰宅後の夕食︵前書き︶
ほぼ会話文です。
10
帰宅後の夕食
一樹家にて
﹁ねぇ、みーちゃん︱︱︱︱︱︱はいジャガイモ﹂
﹁なんですか、奏さん︱︱︱︱︱︱芽取れてないです﹂
﹁あいつは・・・あほの子なのかな︱︱︱︱︱︱取って﹂
﹁そんなことないです・・・って即答できない自分がいます︱︱
︱︱︱いやです﹂
﹁俺、幼馴染みだからこんなこと言いたくないんだけどね︱︱︱
︱︱︱頼むよ﹂
﹁分ります、その気持ち︱︱︱︱︱︱仕方ないですね﹂
﹁なんかもう、殴りたくなるんだ︱︱︱次、人参切るから﹂
﹁私は、蹴りたくなります︱︱︱お願いします﹂
﹁ねぇ、舞ちゃん﹂
﹁は、はい!何でしょう!?﹂
﹁大丈夫?今日、朝変だったけど﹂
﹁ぜ、ぜぜぜぜ全然!大丈夫です!﹂
﹁あー、舞が真っ赤なんですが﹂
﹁うん、そうだね﹂
﹁っていうか、舞の挙動不審具合、酷くないですか?﹂
﹁それでも気づかないあいつはホントにタチ悪いね﹂
﹁何回、拭いてるお皿落とすんですかね、舞﹂
﹁何回、その皿が床にぶつかる前に、キャッチしてるんだろうね、
ゆー君﹂
﹁何回、笑顔でそのお皿、舞に渡すんですかね、兄さん﹂
﹁何回、その笑顔に照れて、皿落とすんだろうね、まー﹂
11
﹁悪循環﹂
﹁無限ループ﹂
﹁ホントは代ってあげたいけど﹂
﹁逆にまーが、ゆー君のことチラチラ見るから、危なっかしくて
見てらんないし﹂
﹁はぁー﹂
﹁あー﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁芽、取れました﹂
﹁人参終了﹂
一樹家 リビングにて 一樹家と市川家の共同傑作であるカレーを食べながら、私たちは
喋った。
﹁人参切ったのソウだろ?﹂
﹁そうだけど、なんでわかった?﹂
﹁歪だから﹂
﹁いまだに慣れないんだよ、包丁は﹂
﹁ソウ兄、弦なら一丁前にできるのにね﹂
﹁不思議ですね﹂
﹁そういえばさー﹂
﹁どうしたの、兄さん?﹂
﹁恋バナって、何?﹂
﹁・・・﹂﹁・・・﹂﹁・・・!﹂
私と奏さんはスプーンを持った手を止めた。硬直した。
12
一方で、舞は盛大にむせた。
﹁大丈夫?舞ちゃん!﹂
︵誰のせいだぁぁぁぁ!︶
面と向かって怒鳴りたい。でも、だめだから、心の中で怒鳴って
おく。奏さんも同じこと考えてるみたい。スプーン持った手がフル
フル震えているから。
平静を取り戻した私たちは、ゆっくりと介抱している兄さんに近
づく。
﹁兄さん水持ってきて﹂
これ以上、舞が兄さんにふれられていたら、さすがに危ない。い
ろんな意味で、顔真っ赤だし。こんなときでも真っ赤になれるの、
ある意味才能なんじゃないかな。
︵はぁ∼︶︵あ∼︶
私たちは心の中でため息をつく。
某所にて
﹁あのさ、みーちゃん。もう次の話に行っていいかな。俺疲れた﹂
﹁そうですね、行きましょうか。あー、舞を介抱した後、カレー
食べ終えて、食器洗って、解散。まとめるとこんな感じですね﹂
﹁その間も、色々あったけどね・・・﹂
﹁・・・そうですね。あれは・・・ちょっと待っててください。
思い出したら腹立ってきました﹂
﹁みーちゃん堪えて。眉間に皺寄ってる﹂
﹁1・カレーのルーがついた舞の口元を兄さんが指で拭う
2・洗おうとした食器に兄さんの手と舞の手が同時に触れ合う。
3・舞が仕舞おうとしたお皿の山が崩れそうになった時、兄さ
んが舞ごとお皿を抱える。 etc・・・。
結果︱︱︱
13
舞、赤面です﹂
﹁この話始まってから、まー赤面でしか表わされてない気がする
んだけど!良い妹なの!普通に良い子なの!ゆー君絡みだとおかし
くなるだけなの!﹂
﹁ほんと、ごめんなさい﹂
﹁みーちゃんは悪くないよ!悪いのは鈍感野郎のゆー君だから!﹂
﹁っていうか、なんで兄さん恋バナ知らないの?!お爺さんなの
?!﹂
﹁本気で、まー心配になってきた・・・。いいのかな?ゆー君で﹂
﹁うー・・・﹂
﹁・・・うん。がんばろっか、みーちゃん﹂
﹁・・・はい﹂
14
帰宅後の夕食︵後書き︶
次話から、舞が赤面以外の顔を見せます。
15
高等部
1学年教室
それからのある日
学校
﹁ねぇ、ミア・・・﹂
﹁?﹂
私の前の席に座っていた舞が振り返りながら私に話しかけた。今
は朝のHR前の休み時間。入学してきた外部生が早く友達を作ろう
としているのがわかる。いろいろな会話が私の耳に舞の声のBGM
となって入ってくる。
﹁何、舞?﹂
﹁あ、あのね・・・。ゆ、悠輔さん・・・元気?﹂
﹁・・・うん、元気だよ﹂
今朝も一緒に登校したよとは言わなかった。兄さんの顔色なん
﹁そっかぁ、よかったぁ﹂
照れ屋で引っ込み思案。そんな舞だけど、すごく優しくていい
て見る余裕なかったもんなー、舞。
子だと私は思う。恋をすると、女の子は可愛くなるなんてよく言う
私は舞の髪に触れて、梳く。短い癖っ毛の茶髪、長
けど、ホントなんだと実感する。
すぅー。
いストレートの黒髪の私とは全然違う感触がする。ふわふわと柔ら
かくて温かい。
﹁ちょ、ちょっと・・・ミア・・・。今日は寝癖ないでしょ・・
・﹂
﹁んー﹂
舞がくすぐったそうに身をよじった。私は微笑みながら、指先
に舞の髪を巻き付ける。
﹁じ、自分の髪でやりなよー・・・﹂
﹁やだよ、自分の髪なんて。毎日触ってるから楽しくないし。﹂
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﹁もう・・・、私もやる﹂
そういうと、舞は私の髪に触れた。私と同じように梳いたり、
巻き付けたりする。
︵確かにくすぐったいな︶
いつも舞の寝癖を直すときは、決まって寝坊したときだ。もうダ
ッシュで準備して、私たちとの登校にあわせるから、寝癖に手が回
らない。
︵私が直すときは息が上がってて、くすぐったいとか分かんな
いんだろうなー︶
そんなことを思いながら、私はポツリと呟く。
﹁兄さんの髪は、私のよりも少し硬め﹂
﹁・・・﹂
案の定、舞の手が止まった。顔を見るとほんのりと赤くなって
いる。
兄さんの髪は私と同じ黒髪。私の髪で兄さんの髪を連想するの
は簡単だ。髪越しでも舞の体温が上がってくるのがわかる。
私は意地悪そうに笑いながら、舞の髪で遊び続けた。
しばらくして、新任の先生が教室にやって来た。私は舞の体を前
に向かせ、先生を見る。たわいもない、ありきたりな話をする先生
にうんざりすると、私は目の前にいる舞の後ろ姿を見た。
頬杖をしながら私は、今だに顔が赤い舞を見て少しだけ笑う。彼
女がどうしてこんなにも、過去にできた感情を払拭できたのか、私
には分からない。けれど、それだけの出来事が彼女にあったんだと、
私は思う。
︵小さい頃から、一緒にいたのにな︶
少し、感傷にひたる。置いてかれた子供みたいな気分だ。
私と奏さんは無理に二人をくっつけたいとは思ってない。ただ、
二人だけの時間を少しだけ提供すること。それとなく、二人にお互
いのことを意識させること。あとは、天然鈍感兄さんの舞に対する
行きすぎた行動の抑制すること。あとは傍観するだけ。これだけだ。
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正直、エゴだと思う。兄さんが誰を好きになるかなんて兄さんの
自由だし、強制する権利なんて最初から私たちにない。もし、兄さ
んが他の人とくっついても私たちは兄さんを祝福するだろうし、舞
だってそうだと思う。きっと、そう。
私たちは、幼馴染みであると同時に一つの﹃家族﹄だから。分か
って当たり前。
鈍くない限り。
18
それからのある日Part2︵前書き︶
第四話と同日の奏視点です。
19
それからのある日Part2
学校 高等部 2学年教室
﹁また?﹂
﹁また﹂
さっき、廊下から他クラスの女子に呼ばれて、教室を出て行った
ゆー君が帰ってきた。オプション付きで。
﹁なんでこんなに恵んでくれるんだろ?俺、そんなに飢えてる様
に見える?﹂
﹁そんなことないよ﹂
バレンタインデーでもないのに女子から手作りの菓子をもらうゆ
ー君。本日はチョコチップマフィン。可愛らしくラッピングされて
ある。ちなみに二つ。
﹁ソウ、食べて。・・・気持ち悪い・・・﹂
﹁分かった﹂
あー、他クラス女子ー。こいつ、甘い物ダメなんだ。前に、菓子
もらいすぎて胸やけ起こしてトラウマ出来ちゃってるから。だから
︱︱︱。
教室の扉の陰で隠れながら、ゆー君の反応見て泣きそうな顔しな
いで!慰めたくなるから!
あ、あーあ。
﹁乙女だねー・・・﹂
﹁は?﹂
俺は、目に涙を浮かべながら走り去って行った他クラス女子を見
て、呟いた。怪訝そうな顔で俺を見るゆー君にイラッとした俺は、
ゆー君の顔の真ん前に他クラス女子の贈り物を突き出す。
20
﹁・・・﹂
一瞬で顔をしかめると、ゆー君は机に突っ伏した。しばらくは再
起不能だ。
俺は、苦笑しながらゆー君の頭を撫でる。俺とは違う黒髪直毛。
茶髪癖っ毛の俺は一時期羨ましがってた。それにしても、いつも固
いなこいつの髪。
︵しょうがないなー︶
面倒な幼馴染をフォローするのは俺の特権で、俺の役目。
同日 昼休み
﹁あー、えーっと・・・。俺、あいつの幼馴染なんだけど・・・。
あいつね、甘い物ダメなんだ・・・。ん?じゃぁなんで受け取った
のかって?・・・それは、あいつなりの優しさなんだと思うよ。せ
っかく作ってくれたのに断るのなんて、申し訳ないでしょ。だから・
・・そんなにしょんぼりしないで﹂ 結局、他クラス女子を慰める俺。たまに、ゆー君の天然鈍感馬鹿
野郎行動の犠牲者︵主に女子︶の心のケア、ゆー君の社会的地位の
保持をするのが、
俺、ソウ君の使命なんだゾ☆・・・うん、調子に乗りました。ご
めんなさい。
ごほん。
﹁それじゃ・・・﹂
グッ
﹁?﹂
去ろうとした俺の制服の裾に違和感を感じる。振り返ると、他ク
ラス女子が遠慮がちに掴んでいるのが分かった。
﹁・・・あり、がと。教えてくれて・・・﹂
21
﹁・・・どういたしまして﹂
俺が笑いながら言うと、はにかんだように笑う他クラス女子。
あー、やっぱり女の子は、笑った方が可愛い。泣き顔なんか、似
合わない。
︵でも、ごめんね。俺・・・︶
君を、また泣かせちゃうかもしれない。
どんなに、君がゆー君のことが好きだとしても、ゆー君が、君の
ことを好きになるかは分からない。俺にも、まーにも、妹のみーち
ゃんにも分からない。
俺は、何も、できないんだ。
しては、いけないんだ。
︵約束だから、ね︱︱︱︶
みーちゃん。
22
休日の手紙
一樹家にて
﹁父さんたちから手紙来たよー﹂
﹁今どこだって?﹂
﹁ドイツ。アーヘン大聖堂の写真がある﹂
﹁・・・ビール飲んだのかな、母さん﹂
﹁飲んだみたいだよ。べろべろに酔っぱらった写真入ってた・・・
﹂
﹁下戸なのに、母さん﹂
﹁なんで笑ってるの父さん?!抱きついてるよ、母さん!おじさ
んに!﹂
﹁相変わらずだな、元気そうだ﹂
﹁・・・手紙、読むよ。
﹃進級、進学おめでとう、僕、私たちの子供たち!愛してるよー
!愛してるよー!あい・・・﹄いつも多いね、愛してるが﹂
﹁そうだな﹂
﹁でも、安っぽく感じないのは、ホントに、私たちのこと愛して
るって思ってるからだよね﹂
﹁・・・そうだな﹂ 私たちの両親、父︱︱︱、一樹大輔と母︱
︱︱、一樹香奈はを世界をまたに掛けるカメラマンだ。
よく、その国で見た風景や悪ふざけ︵醜態︶の写真を同封した手
紙を送ってくる。直筆の、心のこもった手紙。
︵なんで・・・、なんで、・・・う∼︶
くすっと私は小さく笑った。小さい頃のことを思い出す。
私が今こうして笑えるのは、あの日彼らが私たち兄妹の前に現れ
23
たから。
彼らがいなかったら今の私はどこにもいない。
大切な、大切な人たち。
その頃 市川家
﹁父さんたちから嫌がらせ来たぞー﹂
﹁今回は何ー?﹂
﹁・・・ヤシの実?﹂
﹁前回蟹だったよね、レプリカの。・・・割れる?﹂
﹁切れ目がちゃんとある・・・割れた﹂
﹁フランス、みたいだね﹂
﹁フランスにいるのに、ヤシの実送ってくる父さんたちってなん
なんだろう?﹂
﹁昔からこうだから、しょうがないんじゃない?﹂
﹁手紙読むか︱︱︱﹃一期一会、七転八倒、泰然自若、明鏡止水、
not曖昧模糊、︵以下略︶・・・ダゾ☆﹄・・・めんどくさ!﹂
﹁四字熟語好きだよね、お父さん﹂
﹁母さんも年甲斐もなく、星とかつけるなよ!女子高生か!?﹂
﹁お母さんもつかみどころないね。予想してなかったことするし﹂
﹁芸術家だからかって何をしてもいいと思ったら大間違いだ!﹂
﹁でも、元気そうでよかった﹂
﹁・・・まぁ、な﹂
かける
舞の言葉に俺は苦笑しながら頷いた。
俺たちの父︱︱︱市川翔|︵愛称ショウ︶と母︱︱︱市川咲は世
界的な音楽家だ。そのせいか、小さい頃に俺はバイオリン、まーは
ピアノを教わり、今でもそれなりに弾くことができる。変わらない
両親たちの性格。諦めは、とりあえずついてる。俺たちが何を言っ
たって変わらないのだから。
24
︵泣かないで、笑って︶
ふっと俺は小さく笑う。小さい頃のことを思い出す。今思い出し
ても、ちょっと照れくさい。
あの日に彼らに会えて︱︱︱
俺は、俺たちは前向きになれたんだと思う。
25
出会いの日
今から10年くらい前
ザバァ
﹁きゃぁ!﹂
﹁やーい、泣き虫!悔しかったら、ここまで来いよー!!﹂
私が小学校に上がった頃、両親は日本を出た。すごく申し訳ない
顔をしてたのを覚えてる。
兄さんは泣かずに見送ることができたけど、私は、握っていた両
親の手が離れた途端、泣き出した。追いかけようとする私を兄さん
は必死に押さえつけていた。何年かして、兄さんも私を押さえつけ
ている時にこっそり泣いていたと教えてもらった。
﹁美奈、泣いちゃダメ。父さんたちと約束、したでしょ﹂
兄さんは泣き続ける私に何度も言った。言い聞かせるように、何
度も何度も。それからしばらくして、私は兄さんに心配をかけない
ように、兄さんの前では泣かないようにした。泣くのは、学校とか
公園。兄さんがいない時に私は涙を流した。拭っても、拭っても、
あふれでる涙。
そのせいで友達も出来ずに、いじめっ子にいじめられていた。土
とか水を掛けられても、兄さんにバレないように隠してた。兄さん
の前では、笑っていたかったから。
そんなある日の頃
﹁おまえたち、楽しいの?﹂
いじめっ子たちにいじめられているとき、純粋な疑問の声がした。
私をいじめてた子たちがその声に反応して振り返る。しゃがみこ
んでいた私は上を見上げるようにして声のした方を向くと、そこに
26
は同学年くらいの少年が立っていた。逆光のせいで私には彼の表情
を窺えなかった。
﹁なんだよ、おまえ?文句でもあんのかよ?﹂
リーダー格のいじめっ子の一人が言う。それに便乗するようにそ
うだそうだと言う他のいじめっ子たち。それを聞いた少年は、ため
息をつく。
﹁文句じゃない。聞いてるだけ﹂
少年は私の方を見ながら、いじめっ子たちに訊ねる。
﹁年下の、しかも女の子にそんなことして、楽しいの?﹂
ニコッと少年が笑ったように私は見えた。垢抜けた、悪意という
ものをを知らないようなそんな顔。
愚かしい、馬鹿げてると遠まわしに言っているように聞こえた。
﹁う、うるせー!お前にはかんけ︱ねぇだろ!﹂
リーダー格のいじめっ子の一人が少年に殴りかかる。
危ない!と私は叫ぼうとした。でもその前に、
﹁よっ﹂
少年は風のように動き、殴りかかってきたいじめっ子の足を払う。
足を掬われたいじめっ子はそのまま体の流れの向きに逆らわず、地
面に落ちる。
ズシャァと砂利の擦れる音がした。そして︱︱︱
﹁お、覚えてろよぉぉ!﹂
雑魚キャラが逃げるときに言う台詞を吐き捨てて、他のいじめっ
子たちと逃げた。今思うと、あれ、ほんとに言う人いるんだ。
﹁張り合いのない奴ら﹂
少年はそう言いながら私に近づきしゃがむ。ようやく顔が見えた。
茶色の癖っ毛にチョコレートのような瞳が印象的だった。
﹁大丈夫?﹂
﹁あ・・・﹂
少年が私に聞く。私は何かを言おう口を開いたけれど、口から
出たのは空気が漏れる音だけだった。
27
何度やっても何度やっても言葉がでなくて、息が吸えなくて、呼吸
が辛くなる。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでな
んで
どうして!
ぽん
気の抜ける音がするかのように、少年は私の頭に手を置いた。そ
のまま頭の輪郭をなぞるように撫でる。
優しくて、温かい、手のひら。
﹁ふ・・・・・・・・わあぁぁぁぁぁぁぁぁん!!﹂
張りつめていた糸が切れたかのように私は少年に抱きつき大泣
きした。涙が止めどなく溢れ、少年の来ている服に大きなシミを作
る。
﹁大丈夫、大丈夫だから。泣かないで、笑って。泣き終わる
まで、こうしててあげるから﹂
少年は私の頭を撫でながら穏やかに言う。 その声に安心した私は、静かに目を閉じた。
﹁・・・寝ていいとは言ってないんだけど﹂
泣き出した少女を宥めるように頭を撫でていると、しばらくして、
。 少女の口から規則正しい寝息が聞こえた。しがみついた服をつかん
だまま
︵さて、どうしようか︶
俺は少女の服の胸につけられていた名札を裏返し、少女の住所を
見た。住所を確認すると俺は少女を起こさないように抱っこの形で
抱え、少女のものらしきランドセルを担ぐ。
︵舞より、軽いな︶
28
そんなことを少しだけ思う。少女の家を目指す俺の耳に、時折聞
こえる少女の寝言。
﹁お・・・とう・・・さん、おかあ・・・さん。いか・・・ない・
・・でぇ﹂
そんな言葉に少し胸を締め付けられた。
﹁嘘だろ・・・?﹂
少女の家の前についた。
驚きを隠せなかった。
だって、俺の家の隣の家だったから。
﹁・・・ソウにぃ?﹂
舞の声がして、その方を向くと、舞が見覚えのない少年と手を繋
いで俺を見つめてた。
これが、俺たち4人が初めて揃ったときだった。
29
出会いの日part2︵前書き︶
前話の補足です。
30
出会いの日part2
聞かされた時俺は、両親が嫌いになった。
﹁ごめん、明日から海外に行くことになったの!﹂
﹁ほんとは連れて行きたいけど、あちこち飛び回るからその度に学
校変わるのやだろ?﹂
﹁だから、私たちだけで行くわ﹂
﹁心機一転して、新しい家用意したから、そこで仲良くするんだぞ﹂
﹁大丈夫、ちゃんとハウスキーパーさんみたいなの雇っておくから﹂
﹁引っ越しの手配もしといたから﹂
ふざけんな。勝手に決めてんじゃねぇよ。
唐突過ぎて、文句言いたかったけど言えなかった。
﹁ソウにぃ、どうして、お母さんたち行っちゃったのかなぁ?﹂
舞が泣き出しそうな声で俺に聞く。
﹁俺が知るかよ﹂
俺は不機嫌丸出しで言う。
舞がうっと息を飲むのが聞こえた。
それに構わず、俺は段ボールから荷物を取り出す作業をするのをや
め、部屋を出る。
﹁そ、ソウ兄、何処に行くの?﹂
﹁ついてくんな﹂
舞を一瞥せずに、俺は見馴れていない外に出た。
憎たらしいほど綺麗な夕日に俺は目を細め、そのまま走り出す。
︵あー、くそ!馬鹿両親!︶
心の中で悪態をつきながら俺は走り続ける。息が上がっても、足が
31
痛くなっても走り続けた。
途中、どうして走っているのか忘れたけど、すぐに理由を思い出し、
顔をしかめる。
﹁ちくしょう・・・﹂
胸が、苦しかった。
﹁はぁ・・・はぁ・・・﹂
さすがに走りつかれた俺は、そこの前で膝に手をつきながら息を整
える。
﹁・・・!﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
そこの中から声が聞こえてきた。俺は気になってそこ︱︱︱公園に
顔を向ける。
﹁・・・うっぜぇーなー﹂
俺は呟くと、動いた。
ほんと、子供だったな俺。寂しいのは自分だけって思いこんでた。
公園にいた少女のおかげで、俺は気づくことができた。
﹁・・・えーっと﹂
﹁・・・﹂
俺は舞の手を握っている少年を見つめる。俺が、何を言おうか迷っ
ていると、少年が口を開く。
﹁上がる?﹂
﹁へ?﹂
俺はポカンと口を開ける。
少年は俺が答える前に、扉を開け、舞を中へとつれて行く。拒否権
32
なしか。
﹁おい、ちょっと待て!﹂
扉がしまる前に、俺は少女を抱いたまま走る。
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁手伝って﹂
﹁俺、不器用だぞ﹂
﹁構わない、一緒に夕飯食べよう﹂
33
出会いの日part3
トントン
コトコト
規則正しい、温かな音が聞こえ、私はうっすらと瞳を開ける。見慣
れた部屋が目に飛び込んだ。
その景色をみて自分は家のソファーで横になっているのが分かった。
﹁芽、ちゃんと切って﹂
﹁うるさいなー、難しいんだよ﹂
兄さんとさっきの少年の会話が耳に届く。
﹁え!﹂
私は勢いよく飛び上がった。なんで、なんでいるの?
﹁あ、起きたか美奈﹂
私が起きたことに気づいた兄さんは、包丁を器用に使いながら私に
言う。
﹁まったく、公園でひなたぼっこしてたら寝ちゃってたなんて、ソ
ウがいなかったら風邪引いてたぞ﹂
ソウ?誰のこと?
それよりひなたぼっこって。
﹁自己紹介まだだったね。俺、隣に引っ越してきた市川奏。ソウっ
て呼ばれてる﹂
兄さんの隣で包丁に悪戦苦闘しながら、少年︱︱︱奏さんは笑いな
がら言った。
私が混乱している中、兄さんが食器を取りに私に背を向けた。その
瞬間、奏さんは包丁を持っていない手を、自分の顔の前に持ってい
き、人差し指だけを上げる。
そのまま、私に微笑んだ。
﹁・・・﹂
34
私のためだったんだ。私が泣いていたのを兄さんに知られないため
に、奏さんは嘘をついてくれたんだ。
でも、どうして分かったんだろう?知られたくないなって。
ぼてっ
私が考え込んでいると、間の抜けな音が聞こえた。
私は気になって音がした方を見る。そこには、
﹁ふ・・・ふぇ・・・﹂
床に倒れた、背格好が私に似た女の子だった。泣くのを我慢してい
る。私はどうしていいかわからず、あたふたした。
﹁あー、ほら、まー。泣くなよ、痛くないから﹂
見かねた奏さんが女の子に近づき、女の子を立たせた。
まー?
﹁こいつ、俺の妹で舞って言うんだ。﹂
ほら挨拶しろと奏さんが女の子に言う。女の子は涙がたまった瞳で
私を見据え、たどたどしく名乗る
﹁いち、かわ・・・まいです﹂
﹁一樹・・・美奈です﹂
私も名乗り頭を下げた。奏さんは舞の頭を撫でながら、私に言う。
﹁ごめんね。こいつちょっと引っ込み思案で、勇気出して君に話し
掛けようと思って、走り寄ったら転んだんだ﹂
ドジだよねと笑う奏さんと顔を真っ赤にしながら涙を浮かべる舞。
﹁・・・﹂
私はソファーから降りて、舞に近づき、私なりの満面の笑みで舞に
言う。幼いながらも、私には分かった。
﹁舞って呼んでもいい?私のこと美奈って呼んでいいから﹂
舞は、私と同じなんだと。
私の言葉を聞いた舞は、目を見開きその瞬間、留まっていた涙が一
ぽろぽろ
気にこぼれ落ちた。
ぽろぽろ
音が聞こえそうなほど。
35
﹁うん・・・いいよ。ミア﹂
﹁・・・﹂
舞の言葉に私はキョトンとした。一方で奏さんは大笑い。
﹁え?ソウ兄どうしたの?﹂
舞は不思議そうに奏さんを見る。そんな舞に私はたまらず笑う。
私の名前の発音の間違えに気づかない舞は私たちを首を傾げたまま
見る。
久しぶりに、心の底から笑えた。
﹁へぇー、ゆー君たちの親はカメラマンなのか。すごいな﹂
﹁ソウたちの親だってすごいよ。音楽家なんだろ﹂
﹁うーん、俺にはよく分かんない。ただの楽器好きだよ。そのおか
げで、俺たち兄妹にも楽器教えてくれた﹂
﹁いいなそれ。今度聞かせてよ﹂
﹁いいよ、俺たちの新しい家、防音設備いいらしいから。な、まー﹂
﹁うん!ミアに聞かせたい!﹂
﹁ありがとう﹂
テーブルを囲む、私たち一樹家と奏さんたち市川家。
賑やかで楽しい。
温かい。
﹁せっかくだからさ、泊まっていきなよ。部屋広いから﹂
兄さんが提案すると、奏さんが目を輝かせた。
﹁ほんとに!?やったな舞!﹂
﹁うん!﹂
﹁パジャマ、貸すから。美奈、舞ちゃんと先に風呂入っておいで﹂
﹁うん、分かった!﹂
私は元気よく返事をすると自分用と舞用のパジャマを持って浴室へ
向かった。
﹁ありがとね、ゆー君﹂
36
﹁ん?パジャマのことなら気にしなくていいよ。っていうか、ゆー
君なんて初めて呼ばれた﹂
﹁違うよ。舞を連れてきてくれたこと。ゆー君じゃなかったらあい
つなんにも喋らなかったと思う。﹂
﹁あー、いや、俺の方こそありがとう。久しぶりに見たよ、美奈の
笑顔﹂
舞たちが入浴中、俺たちは食器を洗いながら、会話をする。スポン
ジからでた泡が手に纏わりつく。
﹁あいつさ、俺に気を使って、何かあったって聞いても、何にもな
いよって無理して笑ってたんだ﹂
﹁いじめられてるのは何となくわかってたんだろ?﹂
﹁うん。でも、その現場に居合わせられなかったから。ソウが美奈
を見つけた公園は、普段じゃ絶対行かないところだから、探しても
見つけられなかった﹂
ゆー君は食器を洗う手を止め、俺を見据える。
﹁見つけたのがソウみたい人でよかった。そうじゃなかったら、い
じめられてたこと全部、俺と美奈の前で話したと思う。必死で俺に
隠してたのに、必死で助けたかったのに、悪意なしの言葉で無茶苦
茶に俺たちは傷つけられたと思う。ありがとう、ソウ﹂
ゆー君が微笑む。俺はその顔に泡のついた手で水を飛ばす。顔をし
かめるゆー君に俺は言う。
﹁俺、いや俺たちの方こそありがとう。ゆー君たちが俺たちみたい
でよかった。両親がちゃんと家にいる家族が隣だったら、俺は仲良
くなれなかった、なろうとしなかった。ただの同情にしか思えなか
った。寂しいのは俺だけじゃないって分かって、俺嬉しかったし、
恥ずかしくなった。年下の子が耐えてるのに、俺は何不貞腐れてる
んだって。知れてよかった﹂
内緒だよと俺は人差し指をたて口の前に出す。
顔についた水を袖で拭うとゆー君は笑った。
﹁何が内緒なんだ?﹂
37
﹁なんでもないよ﹂
俺も笑った。
38
嵐の到来︵前書き︶
物語、急展開です。
39
嵐の到来
そして、私たち幼馴染みに転機が訪れる。
﹁一樹先輩!私一樹先輩が好きです!大好きです!付き合ってく
ださい!!﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
朝、多くの生徒が賑わう校門前で爆弾が投下された。
﹁・・・﹂
私たちは今日も一緒に登校し、一緒に固まった。回りの生徒たち
のどよめきが耳に響く。
﹁あ、私自己紹介してませんでしたね、すいません!私、高等部
一年の中村千秋って言います!えっと、趣味はお菓子作りで、特技
は料理とネクタイを結んであげることです!﹂
千秋と名乗る女子生徒のマシンガントークを私たちは聞くしかで
きなかった。
そう言うと、彼女はスキップをしながら校舎に向かった。人垣
﹁返事いつでもいいんで、それでは!﹂
が彼女の通り道を作っているかのように彼女の前に人が一人もいな
い。・・・レッドカーペット?
そんな馬鹿げたことを考えるほど私は現実逃避していた。
﹁・・・っと、みんな起きてる?﹂
最初に口を開いたのは奏さんだった。とりあえずうなずく私たち。
﹁い、いやー、ゆー君も隅に置けないねー・・・。み、みんなの
前で・・・ね﹂
﹁・・・そう、だな﹂
たどたどしく言う兄さん。さすがに、鈍くてもここまで言われた
らわかるか。
﹁・・・で、兄さん。返事、どうするの?﹂
40
﹁それは︱︱︱﹂
﹁・・・﹂
キーンコーンカーンコーン
﹁・・・﹂
﹁・・・︱︱︱遅刻!﹂
﹁・・・﹂
舞の切羽詰まった声によって、私たちは校舎へと走る。
初めてだった。兄さんが告白されるのを見たのは。というか、兄
さんが告白されるとかするとかって言う話も聞いたことがなかった。
変だと思ったこともあったけど、実は、兄さんが告白されたのに
気づかずにそのまま何もなくなったのかもなとも思ったから。深く
は、考えたことがなかった。
︵でも、今回は・・・︶
奏さんのだめ押しもあったし、兄さんは告白されたと自覚しただ
ろう。
︵なにか言おうとしてたし︶
これほど、チャイムが憎らしかったことがあっただろうか?
遅刻扱いにされなかったのはよかったけど、教室に入ったときの
クラスメートの視線が痛いほど突き刺さった。
恥ずかしい。
授業が一通り終わった昼休み。
私と舞は兄さんたちの教室に行こうとした。けれど
﹁一樹美奈さんいますかー?﹂
私を呼ぶ声がして、声がした方を見ると︱︱︱
コンマ2秒で後悔した。
41
でも、もう遅かった。
﹁はじめましてー!あれ、久しぶりかな?隣のクラスの中村千秋
だよ!千秋って呼んでね!﹂
馴れ馴れしく話す彼女。私の手を両手で握りながら満面の笑みで
私を見る。澄み切った純粋な瞳。なぜだか、酷く嫌悪した。
﹁あ、でも、お義姉ちゃんでもいいよ。私、一樹先輩と付き合え
たら結婚するつもりだから!!﹂
呆然とする私。その横で舞が私を心配そうに見ているのだけが分か
った。
︵舞、いいの?兄さん、とられちゃうよ?︶
言葉にできないのがもどかしい。
こんな人に兄さんを渡さないで、渡さないで!
﹁さすがに戸惑うよね。ごめんね。まず、友達いや、親友から始
めよ﹂
﹁親友?﹂
﹁そう、親友!見た感じだと今この子があなたの親友みたいだけ
ど﹂
﹁だったら、何?﹂
あ、私こんなに低い声だしたのはじめてだ。そんなことを冷静に
思った。
だから︱︱︱
﹁はっきり言って、私の方があなたの親友にふさわしいと思うの
!だって、こんな子と一緒にいたら、あなたの価値が下がるもの!
だからね、この子の代わりに私があなたの︱︱︱﹂
バシッ
冷静に、私は、空いていた手で彼女の頬に平手打ちを食らわした。
教室が静かになる。舞が息を飲んだのがよく聞こえた。
﹁な、何す︱︱︱﹂
彼女が驚いたように、私を見る。片方の頬だけ腫れ上がっていた。
強く叩きすぎたと、心の隅で思いながら、2発目を食らわそうと手
42
を上げた時、
﹁みーちゃん、ストップ﹂
いつの間にかいた奏さんが後ろから上げた私の手をやんわりと掴
む。私は彼の顔をみる。その顔は穏やかで、慈愛に満ちていた。
﹁中村さん﹂
﹁一樹先輩!!﹂
発せられた声によって、兄さんもここにいることを知らされた。
不思議だった。どうして兄さんたちが私たちの教室にいるのか。
私の心の疑問に答えるように、兄さんは言う。
﹁返事、しようと思って。クラス分からなかったから、その辺の
一年生に聞こうと思ってたら、君のね、声だしたから﹂
兄さんは笑顔で彼女をみた。私の教室の女子一同が頬を赤らめる
ような満面の笑みで。彼女はぶたれた頬を押さえながらも頬を赤ら
め、キラキラとした瞳で兄さんを見つめる。
兄さんは彼女に近づくと彼女の耳元に自分の口を寄せた。
﹁ごめん。俺、君のこと大好きじゃないんだ。むしろ︱︱︱大っ
嫌いなんだ﹂
43
嵐の到来part2
﹁・・・﹂﹁・・・﹂﹁・・・﹂
甘い囁き声にしてはやけに大きかった。兄さんが発した、兄さん
の言葉を私はすぐには理解ができなかった。特に最後のところが。
﹁え・・・?﹂
彼女も同じように理解できなかったらしく、口をぽかんと開け、
虚空を見る。
ゆっくりと、兄さんが顔を動かし彼女の顔を見る。
﹁どうしたの?俺、返事したよ。これでいい?﹂
﹁い・・・いいわけないです!﹂
我に返った彼女は兄さんの制服を縋りつくように掴む。身長の差
から兄さんは彼女を見下ろし、彼女は兄さんを見上げる。
﹁私、先輩のこと大好きなんです!愛してるんです!!﹂
﹁そっか、ありがとう︱︱︱そんな安っぽい愛してるなんていら
ないけど、受け取っておくよ。受け取るだけね﹂
兄さんが爽やかな笑顔で毒を吐く。
﹁私、すっごく可愛いから先輩とつりあうと思うんです!﹂
﹁そうだね、すっごく可愛いよ︱︱︱謙虚の欠片もない人間なん
だね、反吐が出るよ﹂
教室にいる本人たち以外の人全員が呆然とする。私たちも含め。
﹁私、妹さんとも仲良く出来ます!﹂
﹁そうなんだ、仲いいのはいいことだね︱︱︱美奈のこと持ち出
すのやめてくれない?気分悪いよ﹂
なんなの、この光景?
私の頭の周りにたくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。
兄さんが兄さんじゃない。
44
なんで、こんなこと言ってるの?
なんで、笑顔なの?
なんで、なんで︱︱︱?
﹁私︱︱︱﹂
﹁うん、わかったよ︱︱︱もう君と喋ることないから早く自分の
教室に帰ったら?﹂
兄さんが私が今まで見てきた中で最っ高の笑顔で彼女に言い放つ。
涙ぐんだ彼女は兄さんに顔を背け、少し考える顔をした。
そして︱︱︱
ザワッ
見たくないものを、私は見た。
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
近すぎた二人。
顔を元に戻した彼女は意を決したような顔をして踵を上げ、背伸
びをした。
結果︱︱︱。
唇と唇が、触れ合った。
ほんの数秒だけ。けれど、私には何十時間のように思えた。
離れた彼女に、兄さんは言う。
﹁わー、びっくりだーーー最悪だね、君﹂
悪いけど、と兄さんは制服の袖で口を拭きながら歩く。
舞の元に。
﹁俺、一途なんだよ﹂
舞の隣に立つと兄さんは、舞の肩に腕を回し、自分の方に引き
45
寄せる。
舞はほんのり顔を赤らめるだけ。抵抗がない。
どういうこと?
﹁だから、君とは付き合わないし、仲良くする気もない﹂
﹁どうして、どうしてですか?そんな子よりも私の方がーーー﹂
﹁いい加減、舞ちゃんを過小評価するのやめてくれる?他人の
悪口言って、取り入ろうとか相当なダメ人間だよ﹂
兄さんが彼女の言葉を遮る。
笑顔で。
目は、笑ってない。
﹁い、一樹先輩のバカぁぁぁぁぁ!!﹂
彼女は叫びながら私たちの教室から、逃げるように走り去った。
沈黙。
﹁あ、あの、ゆ、悠輔、さん﹂
﹁ん?﹂
﹁いつまで、こ、こうしてるんですか?﹂
舞の言葉にクラス中の人たちがはっとした。
兄さんと舞、奏さんを除いて。
﹁・・・やだ?﹂
﹁え、あ、その、い、いやではないんですけど、は、恥ずかしい
です﹂
そんな舞を見て、兄さんは笑いながら舞に言う。
﹁舞ちゃん、俺、もう止めた﹂
﹁はい?﹂
﹁我慢するの、もう、止めた﹂
﹁え、えっと⋮?﹂ ﹁つまり、︱︱︱﹂
こういうこと。
46
ぱち
私の頭の中で何かが弾け飛んだ、音がした。
47
嵐の到来part3︵前書き︶
短めです。
48
嵐の到来part3
﹁・・・﹂
我に返ると、私は廊下を全力疾走していた。昼休みを強制的に終わ
らせる鐘の音が聞こえたが、私はそれを聞き流す。
なんでなんでなんで?
何であんなことになったの?
最後にみたあの光景を私は頭によみがえらせる。
兄さんと舞がキスをしていた。
たったそれだけの光景。今時の健全な月9ドラマでもみられる光景。
しかも、本日二度目。
それなのに、どうしてこんなに心がざわざわしているんだろう?
事故なんかじゃなくて、兄さんの鈍感パワーが炸裂したせいなんか
じゃない。
っていうか、あれってほんとに兄さん!?
私は、少し扉が空いていた教室に体を滑り込ませ。扉を完全に閉め
た。
カチャン
鍵もかけた。
薄暗い部屋。
埃臭い匂いが鼻に入る。棚に入れられたたくさんの資料が目につく。
部屋の奥へ奥へと入り、ある程度広い空間に出ると私はそこに座り
込む。
正直、自分が今どうしてこんなことをしてるのか自分でも分からな
49
い。
嬉しくないの?
兄さんと舞がくっついて。望んでたはずなのに。
あの日した約束がもうすぐ果たせそうなのに、何で逃げてしまった
んだろう?
私は、私、は︱︱︱。
50
挿入話︵前書き︶
彼らの両親が出ます。
51
挿入話
﹁あ、ゆーくん俺の肉、取った!﹂
﹁ソウ、肉食べ過ぎ﹂
﹁野菜も食べた方がいいよー﹂
﹁はい、カボチャピーマンナスキャベツ﹂
﹁どんだけ乗せんだよ、まー!?﹂
﹁いやー、子供たちはいつも仲いいですなー。市川さん﹂
﹁そうですなー、一樹さん﹂
﹁なんかお祖父ちゃん同士の会話みたいよ、あなた﹂
﹁ほんとにそう聞こえるわ、翔さん﹂
これは、まだ私たちが小学生だった頃。
お盆と正月には帰国してくれた私たちの両親。
よく似た私たちの両親。
外見じゃなくて、中身が。
初めて対面した時の会話は。
﹁いやー、初めまして。一樹です﹂
﹁いやいやいや。初めまして、市川です﹂
﹁ほかになにか言うことないの、あなた﹂
﹁二人とも同じこと言ってるわ、翔さん﹂
なんか新婚みたい。
でもよかったな。仲良くなって。
悪かったら、私たちは幼馴染みになれなかっただろうし。
ある年の夏に私たちはバーベキューをしに行った。
すぐ近くの川からせせらぎの音と魚が跳ねる音が聞こえる。
﹁ゆー君!また俺の肉取った!﹂
﹁あー、もう。ほら口開けろよ﹂
52
﹁あっつ!いきなりすぎる!ってうわ!﹂
兄さんがまだ開ききっていないソウ兄の口に割り箸に挟まれた焼か
れた肉を近づける。
口元に肉の切れ端が当たったのかソウ兄は手でそこを押さえた。
その拍子に、ソウ兄が持っていたタレの入った紙皿が、無残にも砂
利の上に落ちた。
﹁あーあ﹂
﹁新しいお皿出すー?﹂
﹁んー、めんどーだからゆーくんの皿、共同で使う﹂
﹁絶対やだ﹂
﹁薄情だよ?!ゆー君!﹂
ソウ兄が嘆く。私はソウ兄に笑いかける。
﹁私のでよかったら一緒に使お﹂
﹁ほんとに!ありがと、みーちゃん!﹂
﹁美奈、ソウを甘やかすな﹂
﹁そうだよ、ミア﹂
﹁なんで二人俺にこんな辛辣なんだ!?﹂
兄さんと舞の言葉に、ソウ兄はちょっと怒る。
私は、その光景を見て、笑う。
笑いあったり、ふざけあったり。
なんて、楽しいんだろう。
ソウ兄たちと出会って、私は笑えてる。
出会えなかったら、ずっとあのままだったかもしれない。
そう考えるとすごく、恐い。
兄さん。ソウ兄。舞。
私はみんなが大好きで、すごく大事で、かけがえのない、大切な宝
物。
53
だから、幸せになってほしい。
ずっと、笑っていてほしい。
﹁あ、ソウ。だめだぞ、落としたりしたら﹂
﹁リアクション遅いっていうか、完全におれのせい扱いだな、父さ
ん﹂
﹁ショウさんもそうおもいますよね﹂
﹁ゆーくん、父さんをみかたにつけんな!﹂
﹁お父さんも野菜食べなきゃダメー﹂
﹁はいはい﹂
﹁あなたもね﹂
﹁分かってるよー、香奈ー﹂
﹁あらあら、また焼かなくちゃ﹂
﹁あはは!﹂
心の底から、私は笑う。
54
挿入話part2︵前書き︶
ほぼ会話です。
55
挿入話part2
それはある休みの日。
﹁着いたー!﹂
開口一番、奏さんが叫ぶ。
私たちは苦笑いしながら、赤の他人のふりをする。
﹁酷くない!?ちょっと、無視はダメだよ無視は!!﹂
﹁わー、なんか言ってるねーあの人﹂
﹁そうだなー﹂
﹁行きましょうか、置いて﹂
﹁おい、まー!俺をなんだと思ってる!?﹂
そんなこんなで私たちは遊園地に来ていた。
﹁進行しちゃうの、これで!?﹂
奏さんがわーわー言うのを無視して私は兄さんと舞に聞く。
﹁なに乗る?﹂
﹁んー、とりあえず、ジェットコースターかな。どう舞ちゃん?﹂
﹁い、いいんじゃないですか、それで﹂
﹁うん、分かった﹂
﹁・・・﹂
今日も、兄さんの鈍感ぷりと舞の挙動不審具合は健全だ。
兄さん、笑顔を舞に見せないで。舞真っ赤だよ、顔が。
﹁奏さーん、いきますよー﹂
私が奏さんに声をかけると奏さんは嬉しそうに私の隣に並んだ。
﹁うん!﹂
﹁いい返事ですね﹂
﹁えへへ∼☆ソウ兄っって呼んでくれたらもっといい返事するよ∼
☆︱︱︱ごめん調子のった。そんな冷めきった目で俺を見ないで﹂
﹁ごめんなさい、なんかちょっと︱︱︱ごめんなさい﹂
56
﹁二回も謝らないで!!﹂
えーっと。
ああ、今日は遊園地に来ていた。
私と舞が高校に上がる少し前。
まだ寒い春の時期、吐く息が少しだけ白い。
﹁まぁ、悪ふざけはこのくらいにしておいて。頑張ろうか、みーち
ゃん﹂
﹁ええ﹂
私は笑いながら小さく答えた。
二人で前の方にいる兄さんと舞を見守る。
兄さんが微笑むと舞はまた顔を赤くした。
でも、あんまり嫌そうじゃない。
はにかみながら兄さんを見上げるように舞は見る。
﹁兄さんはいつ、気づくでしょうか﹂
﹁分かんない。でもこの状態が一生続くわけはないと俺は思う﹂
﹁いや、そうじゃなきゃ舞が哀れすぎます﹂
﹁そうだね﹂
﹁あの・・・。もし、兄さんと舞がくっつかなかったらどうします
?﹂
﹁とりあえず、ゆー君と川原で喧嘩する﹂
﹁一昔前の青春の仕方ですか﹂
﹁そこであらかた理由聞く。みーちゃんは、まーのこと慰めてあげ
て﹂
﹁・・・分かりました。その後は︱︱︱﹂
﹁・・・今のところ未定かな、うん﹂
﹁そうですか。じゃぁ、後悔がないように。みんなが嬉しくて笑え
るような結末になるように私は、頑張りますよ﹂
﹁・・・俺も頑張るよ﹂
57
﹁おーい、美奈ー﹂
﹁ソウ兄ー﹂
﹁今行く︱。行こ、みーちゃん﹂
﹁はい﹂
58
あの日からの約束
あれは、私がまだ中等部にいた頃。
﹁わ、私・・・あなたのこと好きなの!﹂
先生から頼まれた資料を高等部の校舎の一室に戻すだけだったの
に。なんでこんな青春の一ページに出くわしたんだろう?
スライド式の部屋の扉を開けようと手を伸ばした瞬間、冒頭のセ
リフが聞こえ手をピクッと止めた。
︵早く出てってほしいな︶
私はバレないようにその場を立ち去り、中にいる人たちが出るの
を待とうとした。
あの声が聞こえるまで。
﹁あー・・・えーと。これって告白だよね?﹂
﹁!?﹂
﹃ソウ兄﹄の声だった。
︵え?ソウ兄いるの!?︶
私たち兄妹はあまり恋の話をしてこなかった。あからさまな舞の
行動のせいで。言っちゃえばいいのにって何度も思った。
でも、舞の気持ちを尊重したかったし、兄さんの鈍感具合も酷か
ったから言えなかった。
︵そもそも兄さんのこと好きって知られてないのは本人たちだけ
だし︶
自覚がないってほんと怖いなー。
﹁ほ、ほかに何があるっていうの・・・﹂
感慨に浸っていた私を呼び覚ましたのは女の人の声だった。タメ
口だから、多分私よりも先輩だろう。
ちょっと心外そうにいった先輩にソウ兄はあははと苦笑する。
59
﹁いや、一応確認。それと、ゆー君じゃなくて、ほんとに俺なの
?﹂
﹁・・・﹂
こくん
無言で先輩がうなずいたのを感じ取れた。
私は扉の前に立ったまま動かなかった。
いや、動けずにいた。
﹁・・・返事、は?﹂
先輩がもじもじとした声で奏さんに訊ねる。
﹁・・・﹂
事の成り行きを聞く私は生唾を飲んだ。
妙に、緊張していた。
﹁・・・ごめん。俺一応いるんだ、好きな子﹂
﹁!そっかぁ・・・﹂
﹁ごめん﹂
﹁ううん。いいの。あのね、図々しいかもしれないけど、友達で
いてくれる?﹂
﹁もちろん﹂
﹁・・・ありがとう︱︱︱﹂
﹁・・・﹂
心が、ざわついた。
鼻がむずむずする。
奏さんたちがいなくなったあと、私は資料室に入った。
﹁・・・﹂
埃の臭いが鼻にきた。
目にも埃が入ったようだ。
だから涙が、出そうだ。
60
くしゅん。
小さくくしゃみをしながらも、私は資料を所定の場所に戻す。手
が少し埃だらけになる。
﹁あれ?みーちゃん?﹂
﹁!﹂
振り返ると部屋の入り口にソウ兄が立っていた。不思議そうに私
を見る。
﹁どうしてこんなとこに?ここ、高等部だよね?﹂
﹁・・・社会の佐藤先生に資料おいてくるように頼まれて﹂
﹁あー、あの人ね。よく生徒に頼んでたな﹂
中等部と高等部の授業を受け持つのも辛いもんねとソウ兄は佐藤
先生を憐れむ。
﹁ところで、ソウ兄はどうしてここに?﹂
﹁え、ああ、なんか物音がしたから誰かいるのかなーって思って。
野次馬根性かな﹂
笑いながら言うソウ兄。
多分半分ほんとで、半分嘘。
誰かがいたからっていうのはほんとで、その誰かが分からなかっ
たのは、嘘。
あの先輩がまだこの部屋にいるんじゃないかって思ったんだと思
う。
この人は、優しいから。
ちゃんとちゃんと知ってる。
でも︱︱︱どうして。
どうして、胸の奥が苦しいんだろう?
﹁?みーちゃんどうかした?﹂
なにも言わない私にソウ兄は心配そうに呼び掛けた。
61
私は自然と、口を開く。
﹁ソウ兄は、好きな人っているの?﹂
﹁・・・﹂
私の言葉にソウ兄はポカンと口を開けた。
それは、酷く間抜けで、少し、可愛らしい。
﹁い、いきなりだね﹂
驚きながらいうソウ兄に私は苦笑する。
﹁なんとなくだから﹂
﹁そっか。うん・・・、いるよ﹂
﹁ふーん﹂
﹁もっとなんかないの!?雑だよ!なんか雑だよ!﹂
ソウ兄のリアクションに私は声を出して笑う。
そっか、そうだよね。
﹁なんでも、知れてるわけ、ないもんね﹂
﹁?﹂
私の独り言に、ソウ兄は不思議そうに首をかしげる。
私は聞いた。
﹁告白、しないの?﹂
﹁・・・うん、まだね。願掛け、してるから﹂
﹁願掛けって?﹂
笑わないでねとソウ兄は苦笑いしながら言う。
﹁ゆーくんとまーがくっついたら、言おうと思ってる﹂
﹁・・・。やっぱり・・・気づいてた?﹂
﹁いや、あからさますぎでしょ?まーの態度﹂
﹁そうだよね﹂
﹁まぁ、あの状況は主にゆーくんのせいだけど。ゆーくんのニブ
チン﹂
﹁申し訳ないです﹂
62
﹁みーちゃんが謝る必要ないよ﹂
笑うソウ兄に私は苦笑する。
私は、兄さんと舞とソウ兄の幸せを願ってる。
だから︱︱︱。
﹁二人で、それとなく、兄さんに舞のことを意識させてみない?﹂
私は、聞いた。
﹁・・・うん!﹂
ソウ兄は一瞬だけ沈黙した後、元気良く返事をした。
私は、ただ笑った。
63
くしゃみからの︱︱︱︵前書き︶
本編に戻ります。
64
くしゃみからの︱︱︱
﹁・・・くしゅん﹂
私は小さく、くしゃみをした。
厚いカーテンの隙間から日の光が差し込んで、浮かんでる埃を私に
認識させる。
本棚が私の存在を小さいものと思わせた。
﹁鼻炎になるかも・・・﹂
私は自分の呟きに苦笑いした。
笑うと、なぜだか涙流れ出てきた。
﹁・・・﹂
指先でぬぐっても止まらない涙。
︱︱︱あの日と同じみたいだ。
私は膝を抱えると、顔をそこに押し付ける。
制服のスカートに涙が浸み込んだ。
﹁・・・っ﹂
嗚咽しながら、私は考える。
どうして、逃げたのか。
どうして、泣いているのか。
どうして、彼を︱︱︱
﹁ソウ兄・・・!﹂
奏さん、と呼び始めたのか。
﹁ソウ兄・・・﹂
ただただ考え、
﹁ソウ・・・兄・・・﹂
65
彼の名前を呟き、
﹁・・・ソウ・・・﹂
さらに膝を強く抱えた。
だから︱︱︱
﹁そうに・・・ぃ﹂
﹁なーに、みーちゃん?﹂
その声に酷く、驚かされた。
﹁!﹂
私は勢いよく顔をあげ、前を見る。
﹁・・・﹂
微笑みながら私を見つめる奏さんの顔があった。
私の前でしゃがみ、私と視線を合わせていた。
﹁久しぶりだな、みーちゃんにソウ兄って呼ばれたの﹂
﹁・・・﹂
驚きすぎて、私はなにも言えずにいた。鍵はちゃんと掛けたのに。
﹁なんで・・・﹂
﹁?ああ、ここの部屋、隣の部屋と繋がってるんだ。こっちは鍵掛
かっててはいれなかったから、そっちの部屋からこっちに入ったん
だ﹂
ほら、と奏さんが指差す先には壁に嵌め込まれているドアが少し開
いた状態だった。
﹁そっか・・・﹂
なんだか拍子抜けして、私は少しだけ笑う。
そんな私を見ると、奏さんは、笑いながら少し困った顔をした。
﹁みーちゃん、どうして、こんなところにきたの?﹂
﹁・・・私にもよく分からないんです。何ででしょうか?﹂
私がそう答えると奏さんは私の瞳を射抜くように見つめる。
﹁嘘は、ついてもいいよ。でも、その嘘でみーちゃんが傷ついたり
66
するのはダメだ﹂
﹁嘘じゃ・・・﹂
ないです、と言おうとした。
言おうと、したのに。
あの日と同じ、チョコレート色した瞳に私は、心を奪われた。
なぜだろう?なぜだろう?なぜだろう?なぜだろう?なぜだろう?
なぜだろう?なぜだろう?
もうあの頃の泣き虫な女の子じゃないのに。
どうして、声をあげて泣きたくなってるんだろう?
﹁奏さん・・・よかった、ですね﹂
話題をそらすように私は奏さんに言う。
奏さんはなにも言わないまま私を見つめる。
﹁やっと、告白、できますよ﹂
それだけ言うと、私は立ち上がりこの部屋から出ようとする。
この、資料室から。
︱︱︱みーちゃん。
微かに名前を呼ばれた気がして私は立ち止まる。息を吸った。
﹁頑張って、ください﹂
涙声になっていたのは私の気のせいだ。
﹁うん、頑張る﹂
にっこり、と笑いながら言ったように聞こえた奏さんと言葉に、私
は息を飲んで無理に笑った。
背を向けてるのに、なんでこんなことをしてるんだろうって思った。
それから︱︱︱。
67
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
背中から伝わってきた体温に、息が止まった。
68
本当の気持ち
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
息の仕方を、忘れてしまった。
﹁・・・みーちゃん﹂
奏さんの声が耳朶を打った。
その声でようやく、私を抱き締めているのが奏さんなんだってこと
が分かった。
それくらい、動揺した。
﹁なに・・・やってるんですか?﹂
平静を装いながら私は聞く。
奏さんはあっけからんと答えた。
﹁頑張ってる。現在進行形で﹂
﹁はは、冗談が過ぎますよ﹂
私は肩に回された奏さんの腕をやんわりと退かした。
また心が、ざわついている。
﹁私、兄さんや舞、奏さんが大好きなんです。だから、私は︱︱︱﹂
﹁嘘をついてもいいって言うの?﹂
私の言葉を遮るように奏さんがいった。
振り返って見ると逆光で奏さんの茶色の髪が輝いて見えた。
酷く、儚く見えた。
﹁俺、さっきいったよね。嘘はついてもいいけどその嘘でみーちゃ
んが傷つくのはダメだって。︱︱︱それが、俺たちのためでも、ダ
メだ﹂
69
真摯に言う奏さん。
奏さんは私の肩に手を置くと私を見据えた。
﹁俺は、みーちゃんのほんとの気持ちが知りたい。優しい嘘より、
残酷な、俺たちのためなんかじゃないほんとの気持ちを俺は、聞き
たいよ﹂
切なそうに笑う奏さんに私は笑いながら答えようとした。
︱︱︱嘘なんかついてないですよ、と。
でも︱︱︱。
﹁ほんとは︱︱︱兄さんと舞を、くっつけたくなんかなかった・・・
!﹂
私の口から漏れたのは、穢らわしい、子供じみた言葉だった。
70
あの日からの約束part2︵前書き︶
﹃あの日からの約束﹄︵例の二人をくっつけませんかと美奈が奏に
持ちかけた話︶の続きの話です。
71
あの日からの約束part2
私は、笑った。
﹁頑張ろうね﹂
ソウ兄はそう言うと、私に近づくと右手の小指だけを立たせ私の前
に差し出した。
﹁?﹂
﹁指切り、しよ?﹂
私が怪訝そうに見ているとソウ兄は口角を上げながら言った。
楽しそうに、嬉しそうに。
その顔を見て私は小さく肩をすくめた。
﹁子供みたい、ですね﹂
﹁い、いいじゃんか別に﹂
拗ねたように言うソウ兄。
私は笑いながら、ソウ兄の小指に自分の小指を絡ませた。
キュッ
小さな、ほんの小さな音が、聞こえた気がした。
﹁指きりげんまん∼﹂
ソウ兄は満足そうに笑うと歌うように言いながら上下に指を動かす
ソウ兄。
﹁∼指切った!﹂
手を上にあげ小指同士が離れた。
その時、何かが壊れた音が私の中で響いた、気がした。
﹁約束だよ。俺たち二人であの二人をくっつけよ!﹂
﹁はい﹂
72
破顔して言う奏さんに私もつられて笑う。
﹁そろそろ、私、教室戻ります﹂
﹁?うん?一緒に帰る?﹂
﹁いえ、私今日日直なんで、まだ雑用あるんです﹂
﹁そう?﹂
﹁ええ、それじゃぁ︱︱︱さよなら﹂
︱︱︱ばいばい、ソウ兄。
73
涙の理由
涙を拭うのを忘れて、私はしゃっくりをしながら、自分の気持ちを
吐露した。
今まで隠していた、自分でも忘れていた、本当の思惑。
﹁あの日、私ここで奏さんが告白されてるの聞いたんです﹂
ああ、だからか。
﹁好きな人がいるって知ってなんでだか私、ショックでした﹂
だからここに来たのか。
﹁でも、私奏さんが大好きだから、兄さんも舞も大好きだから、幸
せになってほしかったから﹂
約束した場所だから。
それから︱︱︱。
﹁かな、ソウ兄たちのために私頑張ろうと思ってた﹂
ソウ兄から奏さんと呼び方を変えた︱︱︱決別の場所。
﹁だけど、それも今日で終わり﹂
奏さんの顔が涙で歪んで見える。
﹁嬉しいよ。嬉しいけど、心の隅であの二人が一生あのままだった
らいいなって思ってた。汚いよ、私汚いよ﹂
﹁︱︱︱みーちゃん﹂
奏さんの呼び声を無視して、私はボロボロ涙を零す。
それに便乗するように、自分の気持ちが口から零れる。
﹁私私、なんでこんな気持ちになってるの?なんでなんで︱︱︱ソ
ウ兄の恋を応援できないの!!﹂
74
聞き慣れたはずの声
﹁はぁ・・・はぁ・・・﹂
叫ぶように私は自分の気持ちを吐く出した。肩を上下させながら、
目をギュッと閉じ軽く俯く。目尻に溜まっていた雫が床に落ちる音
が聞こえた。
泣いたせいか、頭が少しふらふらする。
もう何が何だか分からない。私は、どうしてこんな風になっている
んだろう。
ぎゅぅ
﹁・・・っ﹂
﹁・・・﹂
突然、両頬から痛みがし出したかと思うと、顔が上がった。
前を見れば、奏さんが私の両頬を両手の指先で摘み、そのまま横に
引っ張っていた。
﹁・・・ふぃふぁいふぇす﹂
﹁あはは。そんなに痛く引っ張ってないよ﹂
私が引っ張られたまま抗議の目を向けても、奏さんは苦笑しながら
私の頬を引っ張り続けた。
見つめ合う私たち。
確かに、ちょっとしか痛みは感じない。でも、痛いものは痛い。
ほら、また︱︱︱涙が出そうだ。
﹁みーちゃんってさ、俺の前だとすっごく泣き虫になるよね﹂
﹁ふぁい・・・?﹂
75
私が間抜け声を出すと、奏さんは笑う。
﹁初めて会った時とか、ゆーくんと喧嘩したときとか︱︱︱今とか﹂
笑いながら、私の頬を横だけでなく上下に伸ばし、遊び始めた。
・・・奏さん、これは痛いです。本気で。
﹁ふぃーたい・・・ですよ!﹂
私は奏さんの手から逃れ両頬を擦る。ちょっと腫れて熱を持ってい
た。
﹁ごめんごめん。みーちゃんが可愛くて、つい﹂
性懲りもなく冗談を言う奏さんに私は少し怒った。
﹁だーかーらー、冗談を言わないで︱︱︱﹂
﹁冗談なんかじゃないよ﹂
またしても、奏さんが私の言葉を遮る。
落ち着いたその声色は今まで聞いたことがなかった。
訝しげに奏さんを見ていると、奏さんはなぜかため息をつく。
﹁みーちゃんって鈍かったんだね﹂
﹁はい?﹂
奏さんの言葉に私は首をかしげる。
﹁てっきりさ、俺の気持ち、気づいてるのかと思ってたんだけど﹂
﹁・・・話が見えないんですが﹂
私が顔を顰めながら聞くと、奏さんは私の瞳を見据えた。
﹁俺の好きな子は、みーちゃんだよ﹂
76
彼の気持ち︵前書き︶
奏視点です。
77
彼の気持ち
きっかけなんて、なかった。
もしかしたら、あの日からずっと彼女のことが好きだったのかもし
れない。
気づいたら、彼女の姿を目で追っていた。
気づいたら、彼女の笑顔が見たくてつまらない冗談を言った。
気づいたら、彼女を愛しく思っていた。
妹への感情とは違う。
幼馴染みへの感情とも違う。
この感情、知ってる。
伝えたいよ、この気持ち。
でもね、変なんだ。
彼女に自分の気持ちを伝えるなんて、簡単なはずなのに。
喉まで来た言葉を、そのまま吐き出せない。
だから、幼馴染みと妹がくっついたなら言うなんて、言い訳をした。
逃げ場がなくなるようにあの二人をだしにした。
汚いのは、俺だよ。みーちゃん。
﹁好きだよ、みーちゃん﹂
﹁・・・﹂
78
俺がそう言えば、みーちゃんはその黒い瞳を大きくさせ、俺の顔を
凝視する。
俺は、もう逃げないよ。
だから︱︱︱
﹁私も、奏さんが好きです。兄さんと舞と同じくらい﹂
﹁俺はそんな風に、みーちゃんを見てないよ。
ただの、一人の女の子として、みーちゃんが好き﹂
みーちゃんも、逃げないで。
﹁だ、だから、冗談言わないでください﹂
﹁だから、冗談なんかじゃないよ﹂
ちゃんと俺の気持ちを聞いて。
﹁奏さんには・・・もっといい人がいますよ﹂
﹁いないよ。みーちゃんだけだ﹂
ちゃんとみーちゃんの気持ち、教えて。
﹁私・・・私、は・・・﹂
みーちゃんは何か言おうと息を吸って吐いてを繰り返す。
頭の中、ぐるぐる回っているんだろうなと俺は思う。
俺たちを応援したい義務感
自分の気持ちに対する不信感
79
伝えても良いのかという、背徳感
そんな感情がみーちゃんを捕えている。
みーちゃんの肩が、大きく上下に動く。
呼吸音がやけに響く。
伝えるのって、難しいよね、怖いよね。
ごめんね、無理させて。
分かったよ、今は︱︱︱
ぽん
俺はみーちゃんの頭に手を置いた。そのまま、輪郭をなぞるように
頭をなでる。
艶々としたみーちゃんの黒髪が、俺の指に絡まった。
﹁・・・ふっ・・・!﹂
ギュッ
俺の制服にみーちゃんがしがみつく。
顔を俺の胸に埋める。
くぐもった、みーちゃんの泣き声がみーちゃんの言葉と共に聞こえ
た。
﹁・・・なさい・・・かな・・・で、さん。・・・ごめ・・・ソウ、
にぃ・・・!﹂
80
謝罪の言葉にどんな意味があるのか、俺にはわからない。
小さい頃から一緒にいたのに、ね。
81
彼らの気持ち︵前書き︶
あの二人が久々の登場です。
82
彼らの気持ち
﹁みーちゃんはさ、自己犠牲激しすぎる。もっと、自分に正直にな
っていいんだよ﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・みーちゃん?﹂
﹁・・・すぅ﹂
﹁・・・今ですか、みーちゃん﹂
﹁・・・﹂
﹁無防備・・・﹂
自分の胸の中で気持ち良さそうに眠るみーちゃんに俺は困惑する。
ぽんぽんと頭を撫でてやると、みーちゃんはくすぐったそうに軽く
身を捩った。
可愛い・・・。
﹁・・・あー、うん﹂
俺、君に君のこと好きって言ったよね?
俺も一応、健全な男子高校生だから。−−−少しくらい。
俺は小さくため息をつくと、顔をゆっくりとみーちゃんに近づけた。
コンコン
無機質な、規則正しい音がして、俺は顔をその方向に向けた。
︱︱︱コンマ2秒で後悔した。
﹁御取り込み中、申し訳ない﹂
﹁・・・﹂
空気、読もうか。ゆーくん。
83
っていうか、何時からいた?二人?
﹁さて、なんか俺たちの出番が無さすぎ、且つシリアスな話が続き
すぎたため、今回はコメディ要素を含んだ話になると思います。刮
目して、ご覧ください﹂
﹁ゆーくん、誰に向かって言ってんの!?﹂
﹁気にするな﹂
﹁いやいやいや!﹂
﹁そんなことよりソウ、俺に、俺たちに聞きたいことあるんじゃな
いか?﹂
﹁・・・﹂
こんにちは。
ソウ兄の妹の舞です。今、私たちは地元の川原の土手を歩いていま
す。
ミアは、ソウ兄におんぶされています。
あ、ちなみに学校は早退しました。
全員、体調不良ということになってます。
﹁二人はいつから、その・・・・﹂
﹁付き合ってるか?︱︱︱付き合ってないよ﹂
﹁はい?﹂
﹁俺と舞ちゃんは付き合ってない。付き合うちょっと前って感じか
な﹂
﹁・・・もうちょい、詳しく教えてくれない?﹂
ソウ兄の頭の上でいくつものクエスチョンマークが踊っているのが
分かった。
悠輔さんはソウ兄の言葉を無視して、ブレザーのジャケットとネク
タイを私に預けた。
﹁ちょっと持ってて﹂
84
﹁はい﹂
私は素直に返事をする。
﹁え?なにする気なの?﹂
﹁ほら、ソウも﹂
﹁説明してよ!!﹂
抗議するソウ兄を華麗に無視して、悠輔さんはミアを土手の草の上
に横たわらせた。
﹁わ、分かった分かったから!自分で脱ぐから!!﹂
﹁早くしろよ、美奈が風邪引く﹂
﹁ったく・・・、なんなんだよ・・・﹂
ソウ兄は悪態をつきながらジャケットとネクタイを外すとジャケッ
トをミアの上にかける。
﹁舞ちゃんは美奈とここで待っててね﹂
﹁わかりました﹂
私は素直に言うとミアの横に座った。
﹁まーもなんでそんなゆーくんに従順なんだよ!!﹂
﹁話すから、その前に︱︱︱﹂
悠輔さんはソウ兄の横に立つとソウ兄にとびっきりの笑顔で言う。
﹁走るぞ﹂
﹁はぁ?﹂
﹁いちについて︱︱︱﹂
悠輔さんはまたもソウ兄を無視するとカウントダウンを始めた。
﹁え、あ、ちょ・・・﹂
﹁よーい︱︱︱﹂
戸惑うソウ兄を尻目に私は笑う。
悠輔さん︱︱︱
﹁︱︱︱どん!!﹂
﹁っ!!ああ!もう!!﹂
ソウ兄をよろしくお願いしますね。
85
土手の上の喧嘩
﹁ちょっ、なん・・・で、こんな全力疾走なの!!﹂
﹁い、いから・・・走れ!!﹂
土手を全力で走る俺たち。
馬鹿みたいにまっすぐ走る。
青い空と太陽がやけに眩しい。
夏になりかけている風が髪をなびかせる。
﹁い、意味が・・・分からない!!﹂
﹁はは!!﹂
ゆーくんは無邪気に楽しそうに笑う。
そして︱︱︱
﹁いっくぞ!﹂
﹁いっ!?﹂
ゴロゴロゴロゴロ
﹁ぎゃー!!﹂
俺は叫び声をあげながら土手の坂を転がり落ちた。
﹁あはははは!﹂
ことの元凶であるゆー君は俺のワイシャツを掴んんだままと一緒に
土手を転がり落ちる。
非常事態なのに楽しそうだね、ゆー君。
坂が緩かになり体が止まると俺は跳ね起きた。
﹁な、・・・なに・・・すんの・・・!﹂
寝転がったままゆーくんは俺に言う。
﹁特に・・・意味はない・・・﹂
﹁ちょっとぉ・・・!﹂
ゆーくんの言葉に俺は力が抜けた。もう、ガックリと。
ため息をつくと、ゆーくんみたいに草の上に寝転がる。
﹁ソウ、俺は、俺と舞ちゃんは・・・美奈とソウがくっついたら、
86
付き合おうって約束してたんだ﹂
﹁・・・うん、もう一回言って﹂
お互い顔を合わせずに空に目をやったまま話す俺たち。
聞き損なってない。ゆーくんの言葉、全部聞こえた。
全部全部分かった。
でも、聞きたかった。
﹁ソウ、俺は、俺と舞ちゃんは・・・美奈とソウがくっついたら、
付き合おうって約束してたんだ﹂
﹁一言一句、違わずに言ってくれてありがとう﹂
ふぅーと俺は息を吐く。
そしてまた、息を吸う。
﹁だから、なの?﹂
﹁なにがだ?﹂
﹁あんな、まーのあからさまな態度に気づかなかったり、他の女子
のアプローチに気づかなかったりしたのも全部、フリだったの?﹂
﹁・・・ああ。ホントは・・・、もっと舞ちゃんとイチャイチャし
たかったし、女子たちのアプローチを完全に拒否りたかった。・・・
もう甘い物、食えない﹂
﹁話の前半は聞かなかったことにするよ。どうして・・・くっつい
たらって思ったの?﹂
﹁だって・・・、俺たちだけがくっついたら、なんか、ソウたちを
仲間外れにしたみたいだろ?﹂
﹁仲間はずれって・・・﹂
ゆー君の子供染みた言葉に俺は呆れる。
ゆー君は苦笑しながら続けた。
﹁何をやるときもずっと一緒だった。だから、そう考えてた。でも、
それじゃだめだったってことに気づいたよ﹂
悠々と流れている雲が、俺たちの上を横切った。雲によって作られ
87
た日陰がゆー君の顔に当たる。
﹁俺も舞ちゃんも、美奈もソウも、皆個々の人間なんだって。ずっ
と同じじゃ、いられない。ソウたちにも舞ちゃんにも悪いことした
って思ってる。ごめんな、ソウ﹂
ゆー君が顔を空に向けたまま言う。
申し訳なさそうだけど晴れやかな顔で。
俺は、腕を瞼の上に置き光を遮断する。
ゆー君の顔が、見れない。
﹁謝んないで。俺たちは、いや俺はみーちゃんに気持ちを言うが怖
くてゆー君たちを口実にした。自分の、エゴのためにやったんだ﹂
﹁・・・そうか﹂
﹁・・・あ、ゆー君。忘れてた﹂
﹁ん?﹂
ゴッ
﹁・・・﹂
﹁いっ・・・!﹂
俺は肘を支点にして曲げていた腕を伸ばし、拳をゆー君の顔面にめ
り込ませた。鼻低くなったな、確実に。
﹁なに・・・!﹂
ゆー君は俺の腕を退けると、俺を睨んだ。なんか久しぶりに見るな、
ゆー君の怒った顔。
﹁よくもまぁ、まーの唇奪ってくれたなぁ?﹂
俺は笑顔でゆー君に言う。俺の顔には、当然、怒りマークが付いて
いる。
﹁そういうソウもだろ﹂
﹁俺の場合は未遂だ。どっかの誰かさんが邪魔したせいでね!﹂
﹁俺は男子高校生だ。好きな子にキスぐらいしたくなる﹂
﹁堂々と何言ってんの!?だったらなんで俺を止めたの!?﹂
88
﹁兄として、当然だろ﹂
﹁・・・っあああああああああああああああああ!!!﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱しばらくお待ちください︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁ソウが、発狂しました﹂
﹁してないわ!なんかもう、どうしていいか分かんなくて叫んだだ
けだよ!﹂
﹁ふーん﹂
﹁興味ないいね!!﹂
﹁・・・ぷっ。ははは!﹂
﹁・・・﹂
ゆー君大爆笑。なんか、今日の数十分で俺の中のゆー君のイメージ、
跡形もなく崩れてるんだけど。
俺がしかめっ面でいると、ゆー君はごめんごめんと言いながら笑い
続けた。謝るのか笑うのかどっちかにして、ホント。
﹁こんなに笑ったの、なんか久し振りだから﹂
﹁もう俺、ゆー君の性格が分かんない﹂
﹁俺も、よく分からない。いろいろ我慢してたからな、今日の俺が
本来の俺に近いのかも﹂
﹁・・・﹂
笑ってるのに、泣いているように見えるゆー君の顔。そんなに無理
してたのか。あ、どうしよう俺なんか泣きそう。
﹁ごめ︱︱︱﹂
﹁だからもう我慢しない。舞ちゃんとイチャイチャする﹂
﹁本能のままに動こうとしないで!!﹂
﹁えー﹂
﹁えーじゃない!!﹂
俺は一通りギャーギャー言うと胸を上げ下げして息を整え、聞く。
89
﹁で、なんて舞に言ったの?﹂
﹁何が?﹂
﹁その・・・、告白・・・﹂
﹁俺は言ってないよ、舞ちゃんから﹂
﹁・・・﹂
・・・はい?
90
土手の上の喧嘩︵後書き︶
全力疾走の距離は500m位
彼らは、どちらかというとインドアです。
・・・走れますよね?
91
出会いの日part4︵前書き︶
舞と悠輔視点です。
92
出会いの日part4
きっかけは、やっぱりあの日。
﹁ソウにぃー、どこぉー?﹂
出て行ったソウ兄を追いかけるため、私は何も分からない町に出た。
見知らぬ風景、見知らぬ人たち。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖いよ。
一人にしないで。
置いてかないで。
﹁ソウ兄!﹂
コツ
﹁あ!﹂
ズシャァァァァァァ
道の小さな窪みに足を取られた私はそのまま前に倒れた。
手に、腕に、膝に。
痛みが来た。
でも、それ以上に︱︱︱
﹁・・・やだよぉ、ソウ、にぃ﹂
心に、痛みが来た。
暗くなっていく世界で。
心が寂しくなっていく中で。
誰もいない道︱︱︱
﹁大丈夫!?﹂
93
声を、かけられた。慌てふためいた、少年の声。
﹁大丈夫、怪我してるの!?﹂
﹁・・・﹂
おずおずと顔を上げると、声の持ち主の少年が目の前にいた。
黒い髪に、夜空みたいな、黒い瞳。
道に倒れていた少女を最初に見たとき、妹かと思った。髪の色が違
っていたのはちゃん分かったのに、彼女が美奈にダブって見えた。
それはきっと、俺の悔しさがそう見せたんだと思う。
﹁大丈夫?怪我はない!?﹂
こくんと少女は頷いた。
﹁そう・・・﹂
俺はほっとしたように呟く。
﹁・・・にぃ・・・﹂
少年のその呟きに私は敏感に反応してしまった。
﹁・・・にぃ・・・﹂
﹁え?﹂
﹁そう・・・にぃ・・・﹂
私はしゃっくりを上げながら涙を零した。
﹁ソウにぃ・・・!﹂
﹁・・・﹂
ソウ兄、ソウ兄と息を吐くたび、名前を呼んだ。
何度も何度も。
声が掠れても。
94
﹁・・・で﹂
どうして泣いているのか。
どうしてソウ兄と叫ぶのか。
やっぱり、怪我をしたのか。
それを聞く前に俺は少女の涙を見て、自分の無力さを思い知る。
﹁ふぇ・・・?﹂
聞こえてきた少年の声に私は変な声を出した。
その瞬間私はなにかに縛られるような感覚に陥った。
涙が目の前にあるなにかに染み渡った。
﹁なか・・・ないで・・・﹂
上の方から少年の声が聞こえる。そこでようやく、少年が私を抱き
締めていることが分かった。
慰めようと、元気付けようとしてくれているのと悲しみと、悔しさ
が入り交じった声だと幼いながら思った。
それがとても辛く聞こえ、私は︱︱︱。
ぽんぽん
頭に重さを感じた。
よく見ると、自分が抱き締めている少女が、精一杯腕を伸ばして俺
の頭を撫でていた。
﹁だいじょーぶ、だいじょーぶだよ﹂
泣いてくしゃくしゃになている顔で少女は笑った。
﹁・・・﹂
頭を撫でられるなんて、何時振りだろう。
95
︱︱︱知ってる、覚えてる。
掌の温かさを感じるなんて、何時振りだろう。
︱︱︱父さんと、母さん。
温かさが目の奥の方を刺激するのなんて、何時振りだろう。
︱︱︱旅立ったあの日。
この子は美奈と同じだ。誰かを悲しませないように無理に笑う。
でも、俺も︱︱︱。
誰かを悲しませたくなくて、迷惑をかけたくなくて
あの日、涙を流せなかった。
﹁・・・ふっ﹂
抱き締めたまま、俺は少女の肩に顔を埋め、嗚咽を漏らした。
あのとき流せなかった涙を少女の服に滲ませながら。
︱︱︱自分の弱さに、辟易しながら。
﹁・・・﹂
涙を流す少年に私は驚いていた。
ソウ兄はあまりないたことがない。私が泣いていた。そしてそんな
ときはいつもソウ兄が慰めてくれてた。頭を撫でながら大丈夫だよ
って言ってくれた。
そうしてもらうと、心が軽くなった気がした。
私も、ソウ兄の真似をしてみた。少年の心が軽くなるように。
でも︱︱︱。
﹁ごめ・・・!﹂
少年は泣いてしまった。真似だからだろうか。ソウ兄じゃないと心
は軽くならないのだろうか。私が謝ろうと声を出すと少年は顔を上
96
げ、私を見据えた。
涙で濡れた黒い瞳は宝石みたいにキラキラしていた。
﹁謝る必要なんてないよ。ありがとう、頭撫でてくれて﹂
少年は笑った。その笑顔は儚げだけど、スッキリとした表情だった。
﹁ソウ兄って、君のお兄ちゃん?﹂
﹁・・・﹂
コクンと私は軽く唇を噛みながらうなずく。
泣いちゃだめ、泣いたらお兄ちゃんが泣いちゃう。一丁前にそんな
ことを思いながら。
﹁一回、君のおうちに戻ってみよ。もしかしたら、もう帰ってきて
るかも﹂
﹁・・・﹂
﹁どうしたの?﹂
﹁おうち、分かんない﹂
私がそういうと少年は当然ながら困った顔をした。
﹁よし、俺んち行こ﹂
少年が言った言葉に私は驚いたが、なぜだか安心した。
この人はきっとソウ兄を見つけてくれる。
﹁手、つなご﹂
﹁うん﹂
ぎゅっ
﹁行こ﹂
夕日に照らされたお互いの髪がオレンジ色に見える。
掌の温もりをお互いに感じた。
自分の家の近くまで歩くと、自分の家の前に誰かが立っているのが
分かった。
97
俺は少年に抱っこされている少女を、知っていた。
﹁ソウにぃ・・・?﹂
手をつないだ少女がぽつりとつぶやいた。
少女と同じ茶色の髪に茶色の瞳の少年は驚いた顔で俺と少女を凝視
する。
ああ、君がソウ兄か。
俺と同じ、妹泣かせ。
とりあえず家に入ろうと思った。
それに︱︱︱。
俺たちは似てるから、仲良くなれる気がする。
﹁上がる?﹂
内心笑うと、俺は少女を連れて家の扉を開けた。
後ろから慌てる少年の声がする。
君は、信頼できる。
だって︱︱︱
美奈の顔が、久しぶりにスッキリとして見えたから。
98
出会いの日part4︵後書き︶
美奈とソウが出会ったほぼ同時刻の話でした。
悠輔は涙を流させてくれたから、舞に惹かれたんでしょうね。
99
兄たちを待つ間の独白︵前書き︶
舞視点です。
100
兄たちを待つ間の独白
﹁ソウ兄たち、随分遠くまで走って行ったな﹂
ソウ兄たちの背中が米粒サイズ位になった頃。
私はミアの顔を見た。
心地いい風がミアの長い黒髪を静かに揺らす。揺れるたび、日の光
が当てられた髪がキラキラと光った。
﹁きれいな髪だね﹂
私はそう言いながら、ミアの髪を撫でる。
﹁・・・・・・ん・・・﹂
﹁ふふ﹂
くすぐたっそうに顔を顰めたミアに私は微笑みかける。
︵兄さんの髪は私よりちょっと硬め︶
﹁・・・あ、ちょっと顔熱い・・・﹂
ちょっと前に言われたミアの言葉を思い出して、私は顔を赤くさせ
た。
ミアの髪から手を離し、両手で顔を覆う。
﹁思い出して照れるとか、恥ずかしい・・・﹂
独り言を呟く。
そして、息を大きく吸い、吐く。
﹁私、中二の時、悠輔さんに告白したの。一生分の勇気、使い切っ
たよ﹂
ミアに聞かすわけでもないのに、懺悔のように私はポツリポツリと
声を漏らす。
﹁好きだ、って。悠輔君が好きだって。ちゃんと伝えた﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
101
︱︱
中二の冬
ミアが友人に押し付けられた委員会に出て、
ソウ兄が忘れていた宿題を補習室でやらされた日。
珍しく私と悠輔さんは一緒に帰った。
兄妹、最低でもどっちかはすぐに家に帰らなくちゃいけないのが、
市川家、一樹家の共通のルールだ。そうしないと家事とかがその日
中に終わらないし、夕食が遅くなる。それは避けたい。
﹁そっち、夕飯何にする?﹂
﹁まだ決めてないよ、悠輔くんのところは?﹂
﹁取り敢えず温かいもの作るよ。シチューとか﹂
﹁私好きだよ、一樹家のシチュー。食べきれなかったらこっち持っ
てきてね。ソウ兄も喜ぶから﹂
﹁うん﹂
ふと、私は悠輔君を見上げる。
﹁そういえば背、ほんと伸びたね﹂
﹁成長期あったからね。でも、ソウに身長負けたのがちょっと悔し
いかな﹂
﹁あ、分かる。私もミアに勝ちたかった﹂
そんな他愛もないことを話ながら、私たちは冬空の下を歩く。
ひゅぅん・・・
﹁寒っっ!!﹂
冷たい風が吹いて、私は身震いした。顔を首に巻いていたマフラー
で少し隠す。コートも着てるけど、スカートだから足寒いなぁ。
﹁あ、俺の使って﹂
悠輔君は足を止めると自分の巻いていたマフラーを外す。
﹁え、いいよいいよ!悠輔くんが寒いよ!﹂
102
﹁いいから、じっとして﹂
嫌がる私を無視して悠輔くんは微笑みながら外したマフラーを私の
首に優しく巻き付ける。
悠輔くんの温もりが残ったマフラーはすごく温かくて、少し恥ずか
しい。
鼻まで隠れた私を見て悠輔くんはクスッと笑った。
﹁なんだか、達磨みたい﹂
﹁ちょっと!ひどいよー!﹂
﹁ごめんごめん﹂
私が軽く怒ると悠輔くんは謝ってくれた。
それがちょっと子供っぽくて、私は笑った。
ひとしきり笑ったあと、私は悠輔くんの異変に気づく。
﹁悠輔くん、どうしたの?﹂
その場に止まったまま、悠輔くんは動こうとしない。
顔を見るとちょっと困ったような顔をしていた。それからはぁと小
さくため息をついた。
﹁いや、なんでもない、なんでもないよ﹂
﹁嘘だ﹂
私はピシャリと悠輔くんの瞳を見ていった。
﹁悠輔くん、初めって会った日のこと覚えてる?﹂
﹁覚えてるよ、よく覚えてる﹂
﹁だったら、言いなよ。頭撫でてあげるから、泣いても大丈夫だか
ら﹂
﹁舞ちゃん・・・﹂
悠輔くんの顔が若干滲んで見える。
泣くな、私。
私が泣いたら、悠輔くんも悲しむ。
今思えば、私が泣いても悠輔くんは悲しみはするけれど、どうにか
したと思う。もうあの少年から何年も経っていたから。
103
でもなぜだか、その時私には悠輔くんの顔があの時の少年に見えた。
悲しい思いを、してほしくない。
だって私は︱︱︱
私は大きく息を吸い、悠輔くんの瞳を見つめたまま、はっきりと言
う。
﹁私、悠輔くんが好き﹂
緊張して声が震えていた。
悠輔くんが何か言う前に私はそのまま言葉を紡ぐ。
﹁言っておくけど、ミアやソウ兄に対する好きとは違うよ。
一人の男性として悠輔くんのことを愛しいと私は、思ってる﹂
言って早々恥ずかしくなった。自分の気持ちに嘘偽りはないけど。
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・﹂
﹁な、なにか言ってよ﹂
﹁・・・はぁ∼﹂
﹁!﹂
悠輔くんが大きなため息をついた。今まで、悠輔くんがそんなため
息をついた姿を見たことがない。
一世一代の告白にため息つかれた!
目の前が真っ暗になりそうだった。
悠輔くんが、顔を耳まで真っ赤にして口に手を当てていなければ
104
﹁なんで・・・、舞ちゃんが言っちゃうんだよー﹂
﹁はい?﹂
﹁こういうのって、普通男からじゃない?﹂
﹁・・・?﹂
﹁あーくそ!俺にも言わせて!!﹂
悠輔君はいらつきながら頭を掻くと、私の目をしっかりと見つめて
叫ぶように言う。
﹁俺、舞ちゃんが好き、大好き!愛してる!!﹂
﹁・・・ぷっ﹂
堪えきれずに笑ってしまった私を見て、悠輔君はあからさまに機嫌
を悪くした。
﹁・・・そこ笑うところ?﹂
﹁だって・・・子供みたい﹂
﹁・・・悪かったね、子供で﹂
照れながら告白した悠輔君は、本当に可愛らしい子供に見えた。
﹁相思相愛だったんだね、俺たち。嬉しいな﹂
﹁私も﹂
﹁あのさ、舞ちゃん。付き合うのもうちょっと後になってもいいか
な?﹂
﹁どうして?﹂
悠輔くんは悪戯を思い付いた子供みたいに、笑う。
﹁俺たちだけがさ、そういうカップルっていうの?になったら美奈
とソウを仲間はずれにしたみたいじゃない?
だから、あの二人がくっついたら、付き合お﹂
﹁・・・﹂
子供じみた言葉に私は唖然とした。
それと同時にやっぱりこの人は妹が大事なんだなって思った。
私は、しょうがないなと言う顔で笑う。
105
﹁じゃあ、これから頑張ろ﹂
﹁具体的なにするの?﹂
﹁決めてないや﹂
﹁ダメじゃん﹂
私たちお互い、はめていた手袋を片方だけはずし、手を繋ぎながら
冬空の下を再び歩き出した。
初めて手を繋いだ夕暮れの日は同じくらいだった悠輔くんの掌は私
のよりも二回りほど大きい。
体が成長しても悠輔くんの心は変わらない。
優しい、お兄ちゃんだ。
家の前につくと私は悠輔くんにマフラーを返した。
﹁マフラー、ありがとう﹂
﹁どういたしまして。
あ、舞ちゃん﹂
﹁ん?﹂
﹁忘れてた﹂
﹁なに︱︱︱﹂
私が言い終わる前に悠輔くんは私の耳元に顔を近づけ、低く囁いた。
﹁俺のこと、子供扱いするのダメだよ﹂
耳たぶを軽く噛まれる。目を見開いたまま動けない私を悠輔くんは
満足そうに笑う。
﹁じゃぁね﹂
スキップしているのか、悠輔くんはるんるん気分で一樹家に入って
いった。
ドアがしまった瞬間、私はぎこちなく動き出した。
﹁・・・不意打ちっ!﹂
真っ赤になった自分の顔を両手で隠し、悔しそうに言葉を吐いた。
106
兄たちを待つ間の独白︵後書き︶
舞は多分、母性本能が強いんじゃないかと・・・。
107
夕暮れの帰り道
﹁もし私があのとき、悠輔さんの提案に乗っていなければ、ミアが
傷付くことなかったのかな?﹂
過去をひとしきり呟いた後、私は眠ったままのミアに聞いた。当た
り前ながら、規則正しい寝息をたてるミアはなにも言わない。
自嘲気味に笑うと私は空を見上げた。
忌々しいほど真っ青な空がそこにあり、長い雲が横切っていた。
﹁・・・つーことは、ゆー君がヘタレすぎて、先に舞に告白された。
付き合うのは俺とみーちゃんがくっついてから。
Answer?﹂
そういう雰囲気を出すために、ゆー君とまーは俺たちの前でイチャ
イチャし始めた。
・・・ということでFinal
﹁ちょっと最後の方違う。俺は舞ちゃんとイチャイチャしてない。
かっるいスキンシップ。それなのに舞ちゃんちょっと俺がさわった
だけで顔真っ赤にするし、俺と話すときも顔若干赤くなるし、シャ
イもいいとこだ﹂
﹁・・・﹂
up,Please﹂
﹁ソウ・・・?﹂
﹁stand
﹁なんでさっきから英語なんだ?﹂
﹁いいから、立って﹂
﹁ほら、立ったぞ﹂
﹁歯ぁ、食いしばろうか、ゆー君﹂
﹁断る﹂
﹁問答無用﹂
108
﹁ん?﹂
なんだろう、土手の先のほうに土煙が見える。それもだんだんと、
私たちに近づいてきていた。
﹁はい?﹂
その土煙を出している人物たちを見て私は目が点になった。
﹁ソウ、落ち着け。話せば分かる﹂
﹁無理、というか嫌だ﹂
﹁理不尽だ﹂
﹁一回だけ、一回だけ殴らせて﹂
﹁笑顔で怖いことを言うな﹂
﹁怖いのはゆー君の思考回路だぁぁぁ!﹂
ひゅん
突風が吹いたみたいに私の髪が勢いよく靡いた。ソウ兄が悠輔さん
に飛びかかると、ソウ兄たちは私たちを通りすぎた先の坂に二人揃
って転がり落ちた。
行きの時よりもだいぶ早かったなぁ。ていうかソウ兄、人巻き込ん
で転がっちゃ危ないよ。
﹁だぁ・・・はぁ・・・﹂
﹁さ、さすがに二度目は疲れた・・・﹂
ソウ兄と悠輔さんが息絶え絶えに呟くのを聞いた。
﹁待て、話せば分かる﹂
﹁うっさい、バーカ!!﹂
﹁ソウ兄ストップ!﹂
両手を顔の横に上げ、降参のポーズをとる悠輔さん。そんな悠輔さ
んにに殴りかかろうとしていソウ兄。そんなソウ兄を必死になって
止める私。
109
この光景を一言で言うなら
修羅場だ。
﹁あ、なんだ美奈。起きたか﹂
﹁!﹂﹁!﹂
悠輔さんの言葉を聞いて、ソウ兄と私はほぼ同時に振り返る。
﹁・・・﹂
ミアが、立ち上がって私たち三人を見つめていた。少し、目元が赤
く晴れている。
私はなにかを言おうと口を開くが、言う前にソウ兄に先を越された。
﹁みーちゃん、ゆーくん殴っちゃダメ?﹂
﹁なに可愛く物騒なこといってるんですか!?ダメ、ダメですよ!
!﹂ソウ兄の言葉にミアはすぐ拒否する。
﹁・・・ちぇ、じゃぁこれで勘弁してあげるよ、ゆーくん﹂
ベシッ
﹁いって!﹂
﹁みーちゃんに感謝してよ。今回はデコピンだけで済ませてあげる﹂
﹁というか俺、はなんでソウが俺にぶちギレれてるのか知りたい﹂
﹁俺の妹、弄んだからだよ。この天然たらし﹂
﹁俺がいつ弄んだ?﹂
﹁耳あまがみとかだよ!!﹂
﹁そんなの軽いスキンシップだろ?﹂
﹁ふーざーけーるーなぁぁぁぁぁぁ!!﹂
﹁・・・﹂
ソウ兄が悠輔さんの肩を掴みながら、悠輔さんを前後に揺らした。
悠輔さん、酔いますよ。
﹁舞﹂
ミアは私に近付くと私の肩にてをおいて、ゆっくりと首を振った。
110
﹁ほっとこ﹂
﹁でも!﹂
﹁大丈夫、奏さんは兄さん殴ったりしないから。私がダメって言っ
たからね﹂
﹁そうだけど・・・﹂
不安そうに、私は悠輔さんの様子を見る。
首、外れちゃわないか心配。
﹁そんなに、兄さんが好き?﹂
﹁え?﹂
ギャーギャーいってるソウ兄たちは私たちの会話が聞こえてないら
しい。
微笑みながら訊ねるミア。
なんだろう
その笑顔が、ミアが、すぐにでも消えてしまいそうに見える。
﹁・・・うん、好き﹂
軽く顔を赤くしながら答える私。
﹁どうして?﹂
﹁何て言うか、ほっとけない人だから。
悠輔さんもミアと同じで優しいから自分が思ってることを言わない
で、相手のことばかり優先させるから。
それで、自分が傷つくの。そんな風になってほしくないって思って
たら、
あ、私、悠輔君が好きなんだなって気づいたの﹂
﹁そんな、簡単に好きだって・・・気づいたの?﹂
微笑みながらも、今にも泣き出しそうな声で聞くミア。
111
私は、ミアが何に迷っているのか分かった。
私は自分より背の高いミアの頭に手を伸ばし、あやすように撫でる。
﹁ミア、ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから。
ミアがソウ兄のこと、どんな風に考えてるのか。
ただの幼馴染みとして好きなのか、一人の男の人として好きなのか﹂
きっとミアは、ソウ兄や私たちの幸せばかり望んで、自分の幸せを
望んでいなかった。
でも、ソウ兄の好きな人がいるんだ発言で、元々ミアにあったソウ
兄に惹かれている感情がミアを狂わせた。
ソウ兄のことが好きだった。でも、その思いに蓋をしてしまった。
今さら、それを開けるなんてことは、虫が良すぎてミアには難しい
だろう。
だから︱︱︱︱ゆっくり考えて。
自分の気持ちに、正直になって。
自分の、幸せも考えて。
﹁・・・うん﹂
ミアは小さく頷き、小さく呟いた。
すっかり、日も落ちて。
﹁ソウ、肩痛い﹂
﹁自業自得だよ、ゆー君﹂
﹁夕ご飯、何にする?舞?﹂
﹁魚、かな?﹂
夕暮れの中、私たちは家に向かって歩く。
向かって右から
112
肩を回す兄さん、舞、私、奏さん。
仲良く、並んで歩く。
奏さんは、何も言わない。
私の隣で口を開けて笑ってる。
それだけで︱︱︱。
113
ぴぴぴぴ
6時
翌日の朝
翌朝
ぴぴぴぴ
セットしておいた目覚ましのアラームが眠りの淵にいた私をたたき
起こす。
ベッドから手を伸ばし、目覚ましを探すため、目覚ましのおいてあ
る机をポンポンと叩く。
けれど、見つからない。
ぴぴ︱︱︱︱
それなのに
ぴぴぴぴ
アラームが途切れた。
不思議に思い、私は寝ぼけ眼でベッドから起き上がる。
﹁おはよう、みーちゃん﹂
奏さんが目覚ましを片手に私に言った。
なるほど、あなたのせいですか。
﹁おはようございます﹂
﹁え?ここは﹃キャー!なんでいるんですか!﹄って叫ぶもんじゃ
ないの?﹂
﹁近所迷惑ですよ﹂
﹁それもそう︱︱︱﹂
﹁キャー!なんでいるんですか!!
114
え?あ、ちょっと悠輔さん!!なに︱︱︱﹂
﹁・・・﹂
﹁・・・みーちゃん、ちょっとごめん﹂
奏さんはそういうと私のベッドに乗り、カーテンを勢いよく開ける。
家の構図を説明すると、私の部屋の窓から舞の部屋の窓が見える。
ちなみに、兄さんの部屋からは奏さんの部屋が見える。
つまり、奏でさんの視線の先には舞の部屋がある。
﹁ゆーくーん。なぁにやってんのかな?﹂
﹁おはようの挨拶﹂
﹁まーの純情弄ぶなって言ったよねぇ?﹂
﹁跳ね起きた舞ちゃんを抱き寄せただけだぞ?舞ちゃん、すぐに目
が覚めるから、ソウの手伝いができるぞ﹂
﹁うんそうだね︱︱︱︱︱︱って言うか!
ふざけんなよ!なんだかんだ言って、まーの赤面癖は演技じゃなく
て本気なんだから!!﹂
﹁良いよな、俺が触れたりする度に舞ちゃん顔真っ赤にしたり、挙
動不審になったりするんだぞ。
可愛くって可愛くって﹂
﹁ゆー君俺に殴られたいの?!﹂
﹁二人とも近所迷惑!!﹂
﹁・・・﹂﹁・・・﹂
﹁兄さんはさっさと朝ご飯の準備!奏さんも早く家にもっどって支
度してください!﹂
﹁・・・はい﹂﹁・・・はい﹂
私が一喝すると二人は大人しくなった。いや、いいんだけど、そん
115
なに怖かったかな?
兄さんがすごすごと舞の部屋から出たのを確認すると、私は舞に言う
﹁大丈夫、舞?﹂
﹁う、うん・・・。ちょっと、びっくりしただけだから﹂
あれでちょっと?
﹁そっか﹂
﹁じゃぁ、私、着替えるね﹂
﹁うん﹂
シャァ
舞の部屋のカーテンが閉まると私は奏さんを見る。
﹁奏さん﹂
﹁はいはい。出ますよ﹂
﹁待っててください﹂
﹁はい?﹂
私の言葉に奏さんが意味が分からないという顔をした。
私は、微笑む。
﹁返事、いつかちゃんと言いますから。考えて、考え抜いた言葉を
奏さんに言いますから。それまで、待ってて貰えますか?﹂
﹁俺もね、ゆー君と同じで一途なんだよね。結果はどうであれ、俺
がみーちゃんの気持ちを知りたいのはずっと変わらない。だから︱
︱︱﹂
奏さんは私の頭にポンと手を置いた。
﹁ゆっくり、考えていいよ﹂
奏さんは微笑みながら、そう言ってくれた。
その笑顔に、その掌に、私は︱︱︱。
116
﹁イチャイチャしてますね﹂
﹁そうだね﹂
舞ちゃんの部屋のカーテンの隙間から、俺たちは美奈の部屋の様子
を窺う。
﹁相思相愛なのに﹂
﹁いろいろあるんですよ﹂
﹁あのさ、舞ちゃん﹂
﹁なんですか?﹂
﹁なんで俺に対して敬語使うの?﹂
﹁え?だって、子供相手しないでって言ったじゃないですか?﹂
﹁ああ、あれか﹂
﹁嫌ですか?﹂
﹁ううん、気になっただけ。そのままでいて。なんか両親たちの会
話みたいでちょっといいかな﹂
﹁・・・﹂
﹁また顔赤くなった。可愛い﹂
﹁からかわないで下さいよ!﹂
﹁まぁ、なんとかなるかな。俺たちが何もしなくても﹂
﹁でも、思うくらいなら、してもいいですよね?﹂
﹁うん、俺も思うよ﹂
﹁あの二人を、くっつけたいって﹂
117
翌日の朝︵後書き︶
これにて、完結です。
あ、第一章、完結です。
次章へ 続きます。
これからもよろしくお願いします。
118
事件後の廊下︵前書き︶
新章スタートです!!
119
事件後の廊下
朝から騒いだだけれど、私たちは普通に登校した。
﹁おはよう、二人とも﹂
﹁おはよ、今日も頑張ろうぜ!﹂
﹁おはよう﹂
﹁おはよう﹂
私たち二人は普通にクラスメイトと挨拶を交わした。
昨日の私の平手打ちや兄さんと舞のキスのこと。
何も、なっかったみたいに。
丸ごと全部、みんなの記憶から消されたみたい。
︱︱︱という、ファンタジックなことは起きてない。
昨日の夜
﹁あ、美奈。明日は普通に学校行って大丈夫だから﹂
﹁え?でも⋮⋮﹂
﹁ある人が後処理しといてくれたから﹂
﹁ある人?﹂
﹁そ、生徒会長﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁その生徒会長が﹃今日の事件はドッキリでしたー。なんかビンタ
とかチューとかあったけど、全部演技だからねぇ。本気にしちゃっ
た人多いと思うけど、ドンマイ︵キラッ︶﹄って放課後の校内放送
言ってくれたから、なんの問題ない﹂
﹁⋮⋮なんで、生徒会長が?﹂
120
﹁﹃妹﹄が迷惑かけたからって言ってたぞ﹂
﹁⋮⋮まさか⋮﹂
自分の席に着く前にクラスメイトの一人が私と舞に呼び掛ける。
﹁なんか男の人が、二人に用だって﹂
廊下にいるからと、クラスメイトが教室の扉の方を指さす。
廊下に出ると、一人の男の人が私たちに近づいてきた。
﹁一樹君と市川君の妹だよね﹂
﹁そうですけど⋮⋮﹂
﹁妹が君たちに迷惑かけたから謝りに来たんだ。ごめんね二人とも﹂
﹁失礼ですけど、あなたは?﹂
舞が聞くと男の人は頬を掻きながら苦笑する。
﹁僕は中村春樹、二年。中村千秋の兄だよ。一応、生徒会長﹂
121
登場人物の設定︵前書き︶
まとめてみました。
1行下の文は、作者の主観です。
122
登場人物の設定
いちき みな
一樹美奈
本作主人公。
一樹家長女、15歳
無意識に奏に恋していた。
前章の事件によりその思いを思い出すが、奏の幸せが自分の幸せで
あるというギャップに戸惑う。
葛藤が多い子です。優しい子なんです。
いちかわ かなで
市川奏
市川家長男、16歳
愛称ソウ
3人のことを名前の頭文字を伸ばして呼んでいる。
美奈に恋していたが、告白を先延ばしにしていた。
そのことで若干の罪悪感がある。
なんだかんだで、常識人。これから苦労が多いでしょう。
いちき ゆうすけ
一樹悠輔
一樹家長男、16歳
天然鈍感だったが前章でそれが演技だと発覚。
2章から愛しの舞とイチャイチャしたいと思ってるが美奈とソウに
邪魔される始末。
作者はこの人の扱いが雑です。一回殴られればいい。
123
いちかわ まい
市川舞
市川家長女、15歳
美奈のことを﹃ミア﹄と呼ぶ唯一の人物。
悠輔に翻弄される純情少女。赤面癖はアイデンティティ。
顔真っ赤になる彼女が楽しみです。
なかむら ちあき
中村千秋
美奈たちの隣のクラスに在籍
暴走すると周りが見えなくなるタイプ。
再登場に期待。
なかむら はるき
中村春樹
ソウたちの隣のクラスに在籍
生徒会長の肩書を持つ。まじめに仕事をしている時とそうじゃない
時の差が激しい。
会議の最中、突然﹁メロンパン食べたい!!﹂と叫んだのは歴代で
多分彼だけ。
そんな会長を他の生徒会会員はどう思ってるのかは謎。
この章のキーマン⋮だと思います。
124
夕食での会話︵前書き︶
短めです。
125
夕食での会話
中間試験も無事に終わり、体育祭の時期がやって来た。
﹁美奈たちのクラスは何色なんだ?﹂
﹁白だって、兄さんたちは?﹂
﹁青﹂
﹁敵だね。白がかったらその日の夕食、私の好きな料理作ってね﹂
﹁じゃぁ、青がかったら俺の好物な﹂
本日の夕食をつつきながら、私たちは話していた。
私たちの学校は中高一貫校だ。
そのため、中等部と高等部の合同で体育祭が行われ、赤青白の三つ
の組に分けられる。
もっとも、人数の多い高等部の方が毎年メインになるのは言うまで
もない。
﹁騎馬戦なかったからな、中等部。危ないとかで﹂
﹁それって高等部にも言えるんじゃないの?﹂﹁成長期迎えてない
中一VS成長期を終えた中三になったら、大惨事だからなんじゃな
いのか?﹂
﹁想像すると、一年生すごくかわいそう﹂
﹁ま、大抵の中等部生は高等部に上がるんだし、三年間、我慢すれ
ばいいだけだ。俺も去年にようやく騎馬戦出れてすっごく楽しかっ
た﹂
﹁あー、取る役だったもんね、兄さん﹂
舞がボソッとかっこいいって言ってたっけ。
思い出し笑いをしながら、私は食べ終えた食器を流しに置いた。
確か奏さんは︱︱︱
126
馬やったのに、早々上の人がハチマキとられたんだっけ。
ちょっと不満顔をしていたのを思い出して私は苦笑した。
今年は最後の方まで残れるといいなと私は思った。
127
体育祭の日
そしてついに、体育祭がやって来た。
それなりに広い校庭にはすでに、100メートル走のためのトラッ
クを囲むように椅子と先生たち用のテントがあった。
﹁えー今日はー待ちに待った体育祭でー﹂
毎度ながら、台の上に立った校長先生の長い話を聞かされる私たち。
赤青白の順番で私たちはそれぞれの組毎に並んでいた。
兄さんたちとは、朝学校で別れてからそれっきり。
奏さんがちょっと眠そうにしていたのがちょっと気になった。
6月だけど、すでに真夏のように暑い。
額から汗が流れる度に、私は首にかけていたタオルで拭う。
﹁暑いね、舞﹂
﹁うん⋮⋮﹂
前に立つ舞に私が愚痴ると、舞の力ない返事が帰ってきた。
﹁続きまして、高等部の生徒会長の言葉﹂
放送係の生徒がマイクでプログラムを続ける。
台の上に校長先生に代わり生徒会長が立つ。頭に巻いてあるハチマ
キは赤だった。マイクスタンドをミュージシャンのボーカルが持つ
ような手つきで触れる。
﹁今日のメインイベントはパン食い競争と借り物競争だよ!中等部
の子達も楽しめるようにすっごいのにしたから乞うご期待!!以上
!!﹂
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
風のように台から走り去った生徒会長に私たち他の生徒も先生たち
128
も全員口を開ける。
それなのに︱︱︱
パン
何故かピルトルが鳴り、体育祭が唐突に始まった。
129
生徒会長の思惑
﹁位置について!よーい︱︱︱﹂
パンッ
挨拶の沈黙を完全に皆が消去した後、競技がスタートした。
砂利が擦りあげられる音
様々な声の歓声
スピーカーから聞こえる競技実況
興奮が高まるBGM
私は指定された椅子に座りながら、水筒代わりに持ってきたスポー
ツ飲料が入ったペットボトルを口に運んでいた。
おいしい。
﹁ミアー、綱引きお疲れさまー﹂
﹁舞も、障害物競争お疲れ様﹂
種目から帰ってきた舞は私のとなりの椅子に座った。名前順だから
この並びは必然だ。
じりじりと灼熱の太陽が、私たちを攻撃する。
﹁今パン食い競争みたいだね﹂
﹁うん、その次が借り物競争﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
すごくやな予感がする。
﹁⋮⋮た、ただいま﹂
﹁おかえりー﹂
クラスでパン食い競争に出た人たちが帰ってきた。
130
戦利品を持って。
﹁普通、あんパンだよな?﹂
﹁なんで皆違う種類なの?﹂
﹁メロンパン率高かったんだけど。チョコチップのやつとかメロン
クリーム入りとか﹂
﹁フランスパン狙ってた人、鼻ぶつけてめちゃくちゃ痛そうだった﹂
そんな会話を耳にし、私たちは話す。
﹁生徒会長って、ちょっと変わってるね﹂
﹁いや、ちょっとどころか大分変わってると思う﹂
私がげんなりしながらいうと舞は苦笑する。
﹁でも、中等部の子達用に釣糸長くしてくれてたよ。多分、いい人
なんだと思う。私たちのことも、助けてくれたし﹂
﹁そ、だね﹂
素直にいえなかったのはどうしてだろうか。
﹁続きましてー、借り物競争ー。
選手が借りたいと言ってきたら、他チームの選手でも貸してあげま
しょう。
赤組は他の組よりも大幅なリードを見せています。青組白組の人頑
張ってください﹂
そんな若干やる気のない現在状況を聞きながら、私は競技を静観し
てた。
校庭の真ん中に、穴の空いた箱が10個ほど並び、中等部用と高等
部用に分けられてある。
やっぱり、中等部の子達を配慮して借りるものの難易度とか違うの
かな?
競技がスタートすると、案の定︱︱︱
131
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁︱︱︱!﹂
﹁ふざけんな!?﹂
赤青白関係なく高等部の選手が箱から取り出した紙を開いた途端、
沈黙。
驚愕。
憤怒。
様々な行動を起こした。
それを尻目に中等部の選手たちは水筒だったり配布された体育祭の
プログラムの紙だったりを手に持ってゴールする。
いったい何が書いてあるんだろう?
やがて、意を決したのか、高等部の選手が走り出す。
主に観客席に向かって。
﹁ちょっと一緒に来て!﹂
﹁な、なに?﹂
﹁﹃委員長っぽいけど委員長じゃないクラスの女子﹄がお題なの!
!﹂
﹁ああ!﹂﹁ぽいぽい﹂﹁いってらー﹂
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
隣のクラスの人たちの会話に私たち二人は固まる。
﹁お題、考えたのって⋮⋮﹂
﹁生徒会長、⋮⋮だよね﹂
何がしたいんだろう、生徒会長。
生徒会長の思惑を考えていたら︱︱︱
グッ
132
唐突に手を引かれた。
133
ソウの悲劇︵前書き︶
奏視点。短めです。
134
ソウの悲劇
﹁⋮⋮⋮暑い﹂
俺は頭にタオルを垂れ下げながら指定された席で競技を観戦してい
た。
俺たちのクラスは、不幸にも日陰がない直射日光が当たりまくると
ころにいる。
女子、日焼け止め塗ってるけど多分意味ないよ。
﹁ソウ、次騎馬戦だからそろそろ行くぞ﹂
﹁りょうかーい﹂
ペットボトルの中身を飲みながら俺は答えた。
借り物競争に出場している選手が困惑しているのが窺える。
手、プルプル震えてるけど大丈夫かな?
﹁あ、生徒会長﹂
﹁ほんとだ﹂
借り物競争の箱に手を突っ込んでいる生徒会長を俺たちは見つけた。
取り出した紙をみて生徒会長は少し考える素振りを見せ、走り出す。
観客席に︱︱︱
﹁くダッ⋮⋮!﹂
口に含んでいた飲み物を吐き出しかける。
﹁ドフ!⋮⋮ゴフッ!!﹂
ゆー君がむせまくる俺の背中をさすってくれているのを感じながら
俺は目を疑った。
いや、途中まで普通に見てたけど、生徒会長に手を引かれている人
物に俺は驚いた。
﹁あ、美奈だ﹂
ゆー君が俺の代弁をしてくれたように呟いた。
135
生徒会長が、みーちゃんの手を引きながらゴールに向かって走って
いた。っていうか、なんでそんな冷静なの、ゆー君。
﹁あ、みーちゃんポニーテールだ﹂
﹁現実逃避するな、行くぞー﹂
136
借り物競走のお題
﹁ほらほら、早く早く!﹂
﹁ちょっ、速いです!﹂
私の手を引きながら走る生徒会長。
﹁ははっ!﹂
楽しそうに笑う生徒会長。
私に、そんな余裕はなかった。
速い、速いよ生徒会長。
足もつれる。
引っ張られるように手を引かれながら私は一生懸命走った。
﹁はいゴールぅ!いぇい!!﹂
﹁⋮⋮いえー﹂
テンション高いな、生徒会長。
疲れた⋮⋮。
ゴールした赤組の他の選手に紛れながら、今だ借り物が見つかって
いない選手を待つ。
皆、高等部の生徒。
⋮⋮ご愁傷さまです。
﹁⋮⋮私、なんで連れてこられたんですか?﹂
私は思い切って生徒会長に訊ねた。
生徒会長は最初、不思議そうな顔をしたが、すぐにああと声を出す。
﹁お題がこれだったから﹂
ジャージのポケットの中から折り畳まれた紙を取り出すと生徒会長
は私に手渡した。
素直に受け取り、広げて見る。
137
﹃最近、初めて
会話した異性
︵クラスメート以外︶﹄
黒いマーカーで書かれたそれから生徒会長を見る
﹁ね﹂
﹁はぁ、そうですか⋮⋮。それなら、舞でもよかったんじゃないで
すか﹂
﹁最初は君か彼女か迷ったんだけどね。彼女連れてったら後が怖い
から﹂
﹁?﹂
私が首をかしげると、生徒会長は苦笑した。
﹁君のお兄さんだよ。負い目あるし、あの人敵に回したくないから。
彼、ホントに彼女のこと大事みたいだね。君もだけど﹂
﹁え?﹂
﹁後から聞いたんだけど、君千秋が君に話している時は普通だった
のに、千秋が彼女のこと貶した瞬間、一気に声のトーン変わったっ
て﹂
﹁当たり前じゃないですか。誰だって大事な人の悪口聞かされたら
怒りますよ﹂
私が真顔で言うと、生徒会長は微笑んだ。
﹁確かにね、僕だって怒る。でもきっと、僕は思うだけで行動には
移せないと思う。
君たち兄妹はすごいよ。憧れるな﹂
﹁すごくなんかないです。私は、私たちは自分のしたいことをした
だけです。何も特別なことなんかしていません。だから、生徒会長
にだって出来ますよ﹂
私がはっきり言うと生徒会長は小さく、笑いながら呟いた。
﹁⋮⋮そうだといいな﹂
138
﹁ごめんね、手ひっぱちゃって。痛くない?﹂
﹁問題ないです﹂
﹁よかった。じゃぁ、僕次の騎馬戦も出なくちゃいけないから、こ
こで﹂
﹁分かりました、お疲れ様でした﹂
﹁⋮⋮頑張ってくださいとか言ってくれなかったな。しょうがない
か、チーム違うし﹂
彼女の後姿が小さくなる。高く結いあげられた彼女の髪が振り子の
ように揺れている。
それが人間の心のように見えた。
僕は、自嘲気味に笑う。
﹁自分のしたいことをしただけ、か
⋮⋮やっぱり、僕には︱︱︱無理だよ﹂
139
借り物競走のお題︵後書き︶
なぜか最後、生徒会長視点
彼には何か秘密があるようですね。
次話、騎馬戦です。
140
彼女たちの思い︵前書き︶
注:女子の騎馬戦は残念ながらありません。
141
彼女たちの思い
︱︱︱あの光景が頭から離れない。
﹁もうすぐ始まるな、騎馬戦。俺たち馬役だから目立たねぇけど、
頑張ろうぜ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁市川?﹂
﹁え?あ、ごめん。なに?﹂
﹁大丈夫か?お前、なんか深刻な顔してんぞ?﹂
﹁なんともないけど﹂
﹁それならいい。でも、何かあったら言うんだぞ。一樹相手なら、
話せんだろ﹂
﹁ああ、うん⋮⋮﹂
クラスメートの労りに俺は渇いた返事で返す。
話せないかな、これは。
﹁これより、騎馬戦を開始します。ハチマキをとられたり、騎手が
騎馬から落ちた場合は速やかに待機場所に移動してください﹂
私が自分の席に座った瞬間、アナウンスが流れた。
クラスメートの男子たちも騎馬戦に参加しているから無人の席が多
い。それをいいことに、その席に座り、隣の席に座る女友達と談笑
しながら観戦しようとしているクラスメートの女子。
私たちの隣に座ったクラスメートの女友達は私たちに聞いた。
﹁二人のお兄さんたちって騎馬戦出てる?﹂
﹁出てるよ、二人とも青組だから敵だけど﹂
私がそう答えると別の女子が目をキラキラさせ、恍惚とした表情を
浮かべた。
142
﹁やったー!楽しみ。二人ともカッコいいよね。特に一樹先輩﹂
﹁えー!私は市川先輩の方がカッコいいと思うよ!﹂
﹁違うよー︱︱︱︱﹂
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
私と舞をおいてけぼりにして、女子たちはどっちがカッコいいかと
論争をし始めた。
身内の前なのに。まぁ、二人に言う気全然ないからいいけど。
⋮⋮。
﹁⋮⋮舞﹂
私はゆっくりと口を開く。
﹁ん?どうしたの、ミア?﹂
﹁私︱︱︱﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱
パンッ
﹁うぉぉぉぉぉぉぉ!﹂
﹁いっけぇぇぇぇぇぇ!﹂
﹁頑張れぇぇぇぇ!﹂
歓声が遠くで聞こえる。
太陽が焼け尽くさんばかりに俺たちを照らす。
走り出した馬たち。
擦りあげられる砂利。
ぶつかり合う騎手。
143
もみ合いながらハチマキを奪い合う。
﹁と、とった!﹂
俺の騎手が嬉しそうに言うのが聞こえた。
︱︱︱掴まれた手首
今は、考えるな。
集中しろ。
︱︱︱引かれた手首
今は、関係が、ない。
終わってから聞こう。
︱︱︱心がざわついた
⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮気持ち⋮⋮悪い。
﹁しまっ!﹂
﹁あーあ、取られちまったな。下ろすぞー﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁おい、市川﹂
﹁あ、ごめん。しゃがむね﹂
﹁ソウ、お疲れ﹂
騎馬戦が終了し、各自解散になった。
俺を見つけたゆー君が俺に話しかける。
﹁ゆー君⋮⋮﹂
ゆー君の顔を見て俺は確信する。
やっぱり、話せないな。
144
﹁顔色悪い︱︱︱﹂
コツっ
﹁ソウ?⋮⋮⋮⋮!﹂
ゆー君の肩口に倒れ込むように頭を寄せた瞬間、俺は自分から意識
を遠ざけた。
145
保健室のシーツ
﹁えー、ただいまの競技は1位青、2位白、3位赤でした。
これより、昼休みに入ります。午後最初の競技に出場する選手は︱
︱︱﹂
アナウンスが聞こえる中担任の先生が私たちのクラスに走ってきた
﹁市川、いるかー?﹂
﹁?はい、います﹂
舞は立ち上がる。
﹁ちょっと来い﹂
手招きすると舞は素直に歩き、クラスの席から少し離れたところで
先生と話す。
会話は聞こえない。
でも︱︱︱
﹁!﹂
遠くからでも、舞の驚く顔が見えた。
﹁なにか、あったの?﹂
持参した昼食を膝に置いたまま、私は舞に聞いた。
ガシッ
﹁ミア、来て!﹂
私の質問に答えずに、ミアは私の手を引いて走り出す。
それにたいしての驚きよりも︱︱︱
﹁⋮⋮﹂
146
舞の手が震えていることに驚いた。
私は舞に連れられ校舎内を走る。一階は一般の人も入れるよう土足
で入っていいことになっている。その理由は、御手洗いであったり、
待ち合わせのためであったり、
﹁着いた!﹂
﹁ここ⋮⋮﹂
気分のすぐれない方のための保健室の利用のためであったり。
保健室の前に立った私たち。
舞は引き戸に手をかけ、そのまま横へ引こうとした。
だけど︱︱︱
ガラッ
﹁あ﹂﹁え?﹂
兄さんが引き戸の先に現れた。
﹁よ﹂
片手を上げて挨拶した兄さん。
その兄さんに舞は縋りつくように兄さんの服を掴んだ。
﹁ソウ兄は!ソウ兄は大丈夫なんですか?!﹂
﹁うん。熱中症と寝不足が重なって、体調崩しただけだから。今寝
てるよ﹂
﹁そ、そうですか。よかった﹂
安心したのか、舞は兄さんの服から手を離した。
﹁さ、二人とも早くクラスに戻りな。午後も競技あるだろ﹂
﹁はい﹂
舞が返事をした。
﹁兄さん﹂
﹁なんだ、美奈?﹂
返事ではなく私は兄さんに言う。
﹁私、もう出る競技ないから奏さん見てるよ。保健室の先生外出て
147
るし、奏さんが起きたら水飲ませておくから﹂
﹁⋮⋮﹂
私の言葉に兄さんは少し渋い顔をした。
でも、ため息を一つつき、答える。
﹁⋮⋮分かった﹂
﹁ミア、驚いてなかったですね。ソウ兄が倒れたのに﹂
﹁舞ちゃん、ソウ兄が倒れたって美奈に言った?﹂
﹁⋮⋮忘れてました﹂
﹁だからだよー。なんで保健室に来させられたのか分かんなくて、
困惑の方が大きかったんだと思う。その証拠に、舞ちゃんが俺に抱
き付いたのにも言わなかったし﹂
﹁?︱︱︱︱!﹂
﹁照れない照れない﹂
﹁そ、それよりいいんですか?﹂
﹁なにが?﹂
﹁ふ、二人にして⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮今日ぐらいは、ね。ソウは寝てるし、空気読むよ﹂
シャァ
控えめに隔てられたカーテンを開ける。
中に入って後ろ手で閉じる。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
保健室のベッドに眠っている人の寝息が聞こえる。
私は近くにあった椅子に座るとベッドに頬杖をついた。
スプリングが軋む。
﹁奏さん⋮⋮﹂
眠っている彼の名前を口に出してみる。
148
少し血の気が引いた顔の奏さんは重く閉じられた瞼を開かないまま、
規則正しくかけられた布団を動かす。
﹁騎馬戦、お疲れ様でした。今年は最後の方まで残れてよかったで
すね﹂
聞こえてないと分かりつつも、私は奏さんに伝える。
﹁格好よかったです﹂
︵市川先輩の方がカッコいいよー︶
﹁奏さん、私のクラスの女の子にモテてますよ⋮⋮﹂
目を伏せ、私はあの時の女の子達を思い浮かばせた。
ジャニーズの誰々が好きみたいな、恋愛感情とは違ったモノだった。
でも、皆が皆、奏さんをそんな風に見てるわけじゃない。
名前の知らない、あの先輩がそう。
言わなくちゃいけない、自分の気持ち。
誰かの為じゃなくて自分の為だけの
気持ち︱︱︱
﹁⋮⋮﹂
ぼんやりとした景色を修正するため、瞬きを何度かした。
蛍光灯と少し汚れた天井がはっきりと見え始める。
︵ここは⋮⋮?︶
鼻腔から消毒液の匂いが入り、ここが保健室なんだと理解する。
外から競技を実況しているアナウンスが聞こえた。
149
なんでこんなところにいるのかを考え、そう言えば倒れたんだっけ
と俺は一人で納得する。
ゆー君が運んでくれたのかな?
出る競技午前中だけでよかった。
だるく重たい体を動かしながら俺は腕を額に当てて、頭を横に向け
た。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
俺は顔を天井と向い合わせにして、目を閉じ深呼吸をした。
そして、再び頭を横に向けた。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮みーちゃん、近いよ。﹂
驚いて二度見しちゃったじゃん。
﹁すぅー⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
無防備な寝顔。
でも、あまり見ないポニーテールのせいか、白い項が浮き上がって、
綺麗に見えた。
⋮⋮俺、別にポニーテールフェチじゃないんだけどね。
﹁惚れた弱味、かな⋮⋮﹂
俺はみーちゃんの剥き出しになっている手首に触れた。
細くて白い、手首。
﹁俺、嫉妬しちゃったんだよ、みーちゃん﹂
あの光景が甦る。
150
﹁単なる競技のためだってわかってたけど、他の奴がみーちゃんに
触ってたの見て、すごく動揺した。嫌だったよ﹂
手首を覆い隠すように俺は置いた手を軽く曲げる。
151
校舎の廊下
﹁あ﹂﹁え?﹂
﹁やぁ﹂
生徒会長が私たちの前に現れた。
﹁市川君が倒れたって聞いたけど。大丈夫なの?﹂
﹁熱中症と寝不足が重なっただけだから、問題ない﹂
﹁そっか、よかった﹂
生徒会長がホッと胸を撫で下ろす。優しいんだな生徒会長。
外から選手集合のアナウンスが聞こえる。
﹁あ、悠輔さん!私次の競技出なくちゃ行けないんで、先行ってま
す!!﹂
﹁うん、頑張って﹂
﹁じゃぁ生徒会長、失礼します﹂
﹁ばいばーい﹂
私は悠輔さんと生徒会長を残し、走り出した。
舞ちゃんが走り去った後、俺と生徒会長は廊下の壁に寄りかかる。
お互いの顔を、あまり見ることのないように。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁10年、か﹂
俺が言うと生徒会長は苦笑しながら答える。
﹁⋮⋮そうだね﹂
﹁ずいぶん変わったな、生徒会長なんかになっちまって﹂
﹁君たちのお陰だよ、それからごめん。迷惑かけた﹂
﹁反省してるんだったらいい。美奈も生徒会長のこと、覚えてない
みたいだし﹂
﹁嬉しいけど、やっぱり忘れられてるって寂しいな。君たち幼馴染
152
みの中で僕のこと分かったの君だけだよ﹂
﹁舞ちゃんは直接生徒会長に会ったことないし、ソウはあの時しか
接触しなかったからだろ?﹂
﹁あの時︱︱︱美奈を苛めてた時﹂
153
邂逅の傷跡
10年。
振り返れば、様々な出来事があった。
その中で、僕は覚えてる。
自分が、どんなに幼かったのか。
﹁いじ、めてたね。僕は彼女のこと﹂
﹁悪い、蒸し返した﹂
﹁ううん、いいんだ。事実だから。だから、君に殴られたのだって
自業自得なんだ﹂
あの日、僕は一人で例の公園に来ていた。連れの二人は僕が負かさ
れた日から少し疎遠になった。
きょろきょろと首を振り、あの少女を探した。
﹁ねぇ﹂
﹁?﹂
ゴッ
振り返ると、顔を殴られた。
不意を突かれた僕は、地面に手を着けずに倒れた。
﹁な⋮⋮!﹂
文句を言う前に、殴ってきた少年が僕に馬乗りになる。
﹁見つけた、やっと見つけた⋮⋮!﹂
少年は僕の胸倉を掴むと、泣きそうな、嬉しそうな、哀しそうな、
よく分からない声色でそう呟いた。
それが気味悪くて、僕は暴れた。
154
﹁離せよ!お前、誰だよ?!﹂
﹁うるせぇよ﹂
今度は地に這うような声で、少年は言葉を吐いた。
﹁美奈が、何をした?﹂
﹁はぁ?﹂
﹁美奈が、お前に、何したって言うんだよ?!﹂
少年が叫んだ。
その拍子に少年の頭が揺れた。
僕の顔に、何かが落ちた。
夕方。強い西日のせいで僕からだと、少年の顔が暗くてよく見えな
い。
でも、だけど、
落ちてきたモノは︱︱︱︱︱︱︱︱涙だ。
﹁美奈は、俺に何も言ってこなかった。泣きついてこなかった。俺
に、家族に心配かけたくない、それだけのために、美奈は何にもな
いって︱︱︱笑うんだよ!!﹂
僕の体が揺れる。
何度も、何度も。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
少年の息切れがしたかと思うと、少年は僕の胸倉を離すと立ち去っ
た。
﹁もう⋮⋮美奈に近づくな﹂
そうセリフを僕に残して。
155
﹁⋮⋮﹂
むくり
僕は体を起こした。
﹁何なんだよ、あいつ⋮⋮﹂
頬をさすった。あんまり腫れてない。でも痛い。
﹁⋮⋮﹂
あの少女を思い出した。
僕の小学校の子じゃなかった。
いつも一人で帰って、いつも公園で泣いてた。
気になった。何で泣いているのか。
でも、聞ける勇気がなかった。
勇気がなくて、僕はあの少女にちょっかいしだした。
傷つけたくなかったのに、結局僕は、あの少女を傷つけた。
僕は、僕は︱︱︱︱︱︱︱
ただあの少女が好きだった、だけなのに。
156
邂逅の傷跡∼再会∼
それから、あの少女はあの公園に来なくなった。
その後、偶然、路地裏から少女を見かけたとき、悔しいと思いなが
ら納得した。
少女は、笑っていた。
僕をのした二人の少年と少女と同い年位の少女と共に。
僕が︱︱︱笑わせたかったのに。
∼時は流れ∼
﹁中村ー﹂
﹁何ー?﹂
生徒会室で、僕と同じ学年の生徒会会員が僕に訊ねる。
﹁お前、何で生徒会長になったんだ?﹂
﹁別に、これと言った理由はないよ﹂
﹁ふーん﹂
僕の答えに、彼は納得したのか作業に戻った。
苦笑しながら僕は目を閉じ、本当の理由を自分だけに伝える。
もう︱︱︱あの少女みたいな泣く子を出さないように。
∼さらに時は流れ∼
157
ざわめきが聞こえる。
僕は廊下を走っていた。朝、僕より学校に遅れてきた千秋が一樹悠
輔君という男子生徒に公衆の面前で大告白をしたらしい。
その続きが、何故か一年生のクラスで行われているそうだ。
﹁変なことになってなきゃいいけど⋮⋮⋮﹂
そんなことを呟きながら走っていたら、僕の横を誰かが通りすぎた。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
すれ違ったのは一瞬だけ。ちらりと僕はその人を見てそのまま走る。
走って、止まる。
﹁︱︱︱!﹂
振り返ったら、廊下のかどに長い髪の毛先が一瞬見えただけだった。
でも︱︱︱あの少女だった。
ざわめきが大きい教室があり、僕はそれに近づいた。教室の入り口
から誰か出てきて僕の横を通りすぎる。
僕は、今度はゆっくり後ろを向いた。
後ろ姿しか見えなかったけれど、僕を負かした、少年だった。
﹁あ﹂
声がして、僕は顔を前に戻すと、目の前に彼がいた。
﹁⋮⋮﹂
158
彼はなにも言わずに僕を見つめる。
再会に驚いているからか、なんで自分の前に現れたのかと怒ってい
るからなのか、僕には分からない。
僕は︱︱︱
159
彼女の思い
﹁まさか、助けてくれるとは思わなかった。俺、全部捨てた気でい
たから。自分の社会的地位とか。その位、俺はあの子が好きだから﹂
﹁あはは、のろけられちゃった。妹が迷惑かけたのに放っておける
わけないよ。それに︱︱︱﹂
﹁それに?﹂
僕はゆっくり首を振る。
﹁⋮⋮⋮なんでもないよ。そろそろ行ったら?あのこの競技始まっ
ちゃうよ﹂
﹁⋮⋮ああ。じゃあな﹂
﹁じゃぁね﹂
一樹君の背中が見えなくなるのを待って、僕は自嘲気味に言う。
﹁贖罪になるんだったら、僕はなんでもやるよ﹂
﹁俺、嫉妬しちゃったんだよ、みーちゃん﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁単なる競技のためだってわかってたけど、他の奴がみーちゃんに
触ってたの見て、すごく動揺した。嫌だったよ﹂
みーちゃんの手首を指で覆い隠すと俺は小さく溜め息をついた。
﹁ごめんね、俺こんな奴で。弱いよね﹂
﹁そんなことないです﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
え?幻聴?
160
みーちゃんの声がみーちゃんの口の方から聞こえてきた。口も動い
てた。
完全に俺の独り言を否定する言葉だった。
いやでも、寝てる⋮⋮⋮よね?
﹁そんなこと、ないです﹂
あ、目開けて俺のこと見てきたよ。幻覚かよ。俺、結構重症なんだ
な。
﹁奏さんは弱くなんか、ないです﹂
﹁⋮⋮﹂
迷いのない黒い瞳が俺を射ぬく。ああ、起きてるんだね、ホントに。
﹁いつから、起きてたの?﹂
しょうがない。
腹くくるよ、俺。
﹁手首、さわって来たあたりで。ごめんなさい、狸してました﹂
﹁⋮⋮うわー﹂
予想してたけど、恥ずかしっ!独り言全部聞かれてた!!
﹁ちょっ、なんで布団頭から被るんですか?﹂
﹁うん、ごめん。ホントごめんなさい。忘れて。聞かなかったこと
にして﹂
﹁あんまり動いちゃダメですよ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だから言ったのに!!﹂
布団剥がしの攻防戦は、俺の負け。あー⋮⋮あったま痛い。
﹁水持ってきますから!﹂
みーちゃんの足音が遠ざかる。
161
胸の奥がきゅぅと音を立てた気がした。なんだか寂しい気持ちにな
る。なっさけないなー、俺。自嘲気味に笑うとまぶたを軽く閉じた。
みーちゃんが好き。
すっごく好き。
でも好きすぎて、どうにかなっちゃいそうだ。
ねぇ、みーちゃん。
俺、自分が分からないよ。
﹁水ですよー。飲めますか?﹂
﹁んー⋮⋮。ちょっとなら﹂
保健室に備え付けてあった紙コップを片手にみーちゃんが帰ってき
た。
まだダルい体を起こして、みーちゃんからコップを受けとる。チビ
チビと水を口に含みながら、俺はみーちゃんに聞いた。
﹁みーちゃん、競技は?﹂
﹁私、午前の競技だけだったんです﹂
﹁あ、俺もだよ﹂
まだ競技の実況が聞こえる。
こっちとあっちはまるで別世界。
俺とみーちゃんだけが、ここにいる。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮この沈黙、なんだろう。なんかドキドキする。
﹁あの、奏さん⋮⋮﹂
あ、よかった。みーちゃん喋ってくれた。何かなー?
﹁好きです⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
162
⋮⋮あっぶなー⋮⋮。紙コップに握り潰すとこだった。俺、もう駄
目だ。なんか駄目だ。
動揺しながら、硬くなった首をゆっくりと動かした。
みーちゃんははにかんだ顔をしていた。
﹁私、自分の気持ち、分かりました﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁ねぇ、舞﹂
﹁なぁに、ミア?﹂
﹁私︱︱︱起きてたの﹂
﹁⋮⋮ん?﹂
﹁あの時︱︱︱舞が土手で独り言言ってた時﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁うん、ごめんね。黙っててごめん。いつ話しかけていいか分から
なかったんだ。⋮⋮でも、舞のおかげで私、好きになる気持ちは単
純でいいんだって気づけた。
︱︱︱︱︱︱ありがとう﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁一人の男性として奏さんが、好きです﹂
奏さんが何も言わないから、私は続ける。
﹁返事遅くなって、ごめんなさい。逃げ出して、ごめんなさい。わ
た︱︱︱﹂
言葉を言い切らせてもらえなかった。
163
首を通して背中に回された奏さんの腕が酷いくらい熱いのに、そう
感じられないくらい自分の体温が熱かった。
お互いの体温が、とても近い。
抱きしめられた。力のない腕を回された時、払うことは出来た筈な
のに私はそうしなかった。驚いて動けなかった、それだけじゃない。
嫌じゃなかったから。
﹁⋮⋮コップ、危ないですよ﹂
﹁だいじょーぶ﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁今はちょっと、このままにしておいてほしいな。病人には優しく
しようよー﹂
子供みたいに言う奏さん。嬉しさを隠そうとしていない。
﹁⋮⋮仕方ないですね﹂
抱き締められててよかった、今絶対顔赤いから。舞のこと言えない
なー。
﹁舞ちゃん﹂
﹁悠輔さん、お疲れ様です﹂
﹁お疲れ様。競技見たよ、頑張ったね﹂
﹁はい!﹂
そんな話をしながら、すでに制服に着替えた私たちはミアたちの着
替えを持って保健室に向かった。
﹁︱︱︱﹂
﹁︱︱︱﹂
保健室の前に着くと中から話声が聞こえてきた。ソウ兄も起きたん
だ、よかった。
﹁ミアー。体育祭終わっ︱︱︱たよ?﹂
164
扉を開けた先に待っていたモノに、私は頭が追いつかなかった。
﹁うー⋮⋮﹂
﹁奏さん、重い。重いですよ﹂
ソウ兄にのしかかられている︵ように見える︶ミアが唸っていた。
⋮⋮⋮⋮⋮。
今、後ろ向きたくない。
ソウ兄気づいて。
悠輔さんの視線、視線が冷たいよ。
165
生徒会室からの景色
生徒会室にて
﹁あー、終わった終わった﹂
﹁お疲れー、副会長﹂
﹁ほんっと、ば会長のせいで俺たち他の生徒会員がどんだけ苦労し
たと思ってんだよ。パンとか調達面倒だったんだかんな!﹂
﹁うん、ごめんね﹂
﹁でもまぁ⋮⋮、楽しかったのは認める、中等部のやつらも楽しそ
うだったよ。やっぱり、ここで中学過ごしてないから、発想が独特
なんだよな﹂
﹁楽しんでもらえてよかった。副会長、もう帰っていいよ。コレ︵・
・︶待たせてるんでしょ?﹂
﹁小指上げんな、バーカ!﹂
そんな会話をしながら、僕は今日の体育祭の結果についての調査書
をまとめていた。副会長の彼は、基本的に僕の補佐。当たり前だけ
どね。
彼をからかうのはなかなか楽しい。やっぱり僕っていじめっ子なん
だな。
﹁なに笑ってんだよ、気持ちわりー﹂
﹁ひどいなー副会長。じゃあねー﹂
﹁お疲れさん﹂
一人きりの生徒会室で、僕はペンケースからボールペンを取り出す。
カリカリ
チッ⋮⋮チッ⋮⋮
ボールペンがプリントの上を走る音と時計の秒針が動く音が僕の耳
166
に入る。
カリカ︱︱︱。
﹁ん?﹂
ボールペンから出された黒い線が唐突に途絶えた。プラスチック性
の筒の中にある細い筒をよく見ると、描き出される先端の金属部分
の近くにインクの残滓があるだけだった。
﹁これ書きやすくて好きだったのに﹂
そんな愚痴を溢しながら、僕は立ち上がると生徒会室に備えてあっ
たペン立ての元に歩み寄る。それに突き刺さるようにしている何本
かのボールペンのうちからノック式のやつを取り出す。かちかちと
ノックを弄びながら、僕は持ち場に戻ろうとした際、夕暮れがきれ
いに見える窓から校庭にまだ生徒がいることが分かった。
もう完全下校過ぎてるのにと少し困ったように呆れる。
そして、その人物たちが誰なのか理解して、納得した。
﹁うー⋮⋮﹂
﹁奏さん、大丈夫ですか?﹂
﹁悠輔さん、病人急に揺すったらダメですよ﹂
﹁時と場合によるし、人による。責任もって、こいつのこと背負っ
て帰るから安心して﹂
悠輔さんはそう言ってるけど、帰った後ソウ兄どうなるんだろう?
まだ本調子に戻っていなかったソウ兄は寝惚けてミアに抱きつき、
そのままダウンしかけてた。︵これは、あとからミアに聞いた︶
その時に私たちがやって来た。
ソウ兄に冷たい視線を向けたまま悠輔さんはすたすたと二人に近づ
き、ソウ兄が持っていたコップを近くの机の上に置く。ソウ兄の肩
を掴むと︱︱︱。
167
ドサッ!
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
一瞬だけ、スプリングによってソウ兄の体が弾んだ。二、三センチ
くらい。
私とミアは驚きすぎて、悠輔さんを凝視していた。
ソウ兄は︱︱︱。
﹁⋮⋮うぉぉ⋮⋮﹂
目を回していた。
﹁奏さんにはお粥、食べさせよう﹂﹁あと栄養ドリンクも飲ませな
きゃ﹂
﹁今日の夕飯、市川家で食べよう。ソウの面倒も見なくちゃだし﹂
﹁⋮⋮君が、言うの?ゆー君⋮⋮。うぇ⋮⋮﹂
﹁吐いたら置いて帰る﹂
﹁うん、吐かない。吐かないから!下ろそうとしないで!出来るだ
け揺らさないで!!﹂
﹁楽しそうだなー﹂
僕は彼らを見ながら一人ごちした。
綺麗な長い黒髪の彼女に僕は小さく笑いかける。
﹁やっぱり僕には、無理だよ。気持ちを伝えることなんて。
僕は弱虫だから。君の今の幸せを壊したくないから﹂
ズボンのポケットに手を突っ込んで、紙を取り出した。
四つ折りにされたそれを僕は丁寧に広げる。
﹃最近、初めて
会話した異性
︵クラスメート以外︶﹄
168
自分で書いたそれに、僕は苦笑する。
﹁当たると思わなかったな、自分で書いておきながら。しかも、最
近じゃないし﹂
彼女じゃなくてもよかったのに、それこそ舞って子でもよかったの
に。
そうしなかったのは、彼女のお兄さんが怖かっただけじゃない。
彼女に、触れたかったから。
ビリビリと紙をゆっくり細かく千切り、ごみ箱に降らす。
白く舞うそれに僕は自分の気持ちを重ねた。
でも︱︱︱
﹁うまくいかないもんだね。消えないよ、気持ち。
はぁー﹂
心の奥が苦い。
彼女がまだ少女だった時の僕に向けられていない笑顔を見た時に似
てる。泣きたいのを我慢したいとき気持ち。
こういう時は︱︱︱
ガチャリ
﹁あ、わりぃ。忘れもん取りに︱︱︱﹂
﹁メロンパン食べたい!!﹂
﹁黙れこの中毒者!﹂
ただ、その苦い場所で君の幸せを祈らせて。
169
体育祭の振り替え休日
ガチャ
﹁舞ちゃん、おはよう﹂
﹁おはよ、舞﹂
体育祭の翌日。私たち兄妹は市川家の扉を開け、宅内に入った。
昨夜はこっちで四人︵奏さんだけ別メニュー︶でご飯を食べた。食
べ終わった奏さんは、早々に自分の部屋に戻っていった。
兄さんの行き過ぎたスキンシップで舞が倒れそうになる前にある程
度、二人の間に割り込みながら食器洗いを済まし、私たち兄妹は自
分の家に帰った。
それが昨日までのこと。
﹁二人ともおはよう。ソウ兄まだ本調子じゃないみたい﹂
出迎えてくれた舞が少し困ったように話す。
﹁筋肉痛もひどいって。布団から出たくないって。﹂
﹁熱、測ったの?﹂
﹁36.9分だったよ﹂
私が聞くと舞が答える。
﹁微熱だね。舞ちゃん、美奈とドラッグストアとスーパー行って来
なよ?﹂
兄さんの言葉に舞が少し戸惑う。
﹁え、でも⋮⋮﹂
﹁冷蔵庫の中、少なくなってるし。美奈のこと荷物持ちに使ってい
いから﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ね?﹂
170
兄さんが笑いながら言うと舞が諦めたように頷く。
﹁⋮⋮分かりました﹂
﹁いいの、美奈?﹂
﹁?何が?﹂
﹁ソウ兄と話したいことがあるんじゃないの?﹂
﹁あるけど⋮⋮、うん。兄さんは、私を心配してるんだと思う﹂
﹁心配?﹂
﹁うん。あのね︱︱︱﹂
ガチャ
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
予告なしに、俺はソウの部屋のドアを開けた。
ベットに仰向けに寝ていたソウは驚いた様子もなく苦笑する。
﹁ノックしてよー﹂
﹁悪い、寝てると思ってた﹂
俺は意味ありげに笑いながら持ってきた水の入ったグラスを部屋に
ある小さなデスクの上においた。
体を起こしたソウはベットの外に足を出し、勉強机の椅子を背凭れ
を前にして座った俺と向かい合う。
ソウの複雑そうな笑顔が水の表面に揺れていた。
﹁下の話、聞こえてたよ﹂
﹁そうか﹂
俺は驚きもせずに答えた。何となくそんな感じがしてたから。
﹁俺に話があるんでしょ、ゆー君。だから二人外にいかせたんでし
ょ?﹂
﹁まぁな。聞きたいことがある﹂
﹁何?﹂
俺はソウに率直に、遠慮なく、聞いた
171
﹁美奈に好きって言われてどんな気分だ?﹂
inドラッグストア
﹁風邪薬と栄養ドリンクだけでいいの?﹂
﹁うん、大丈夫だよ。洗剤とかシャンプーとかまだいっぱいあるか
ら﹂
買い物かごをミアに持たせて、私は商品棚から風邪薬のをとり、そ
のパッケージの裏面にある説明書きを確認していた。
﹃15才以上⋮⋮3錠﹄
よし、これにしよう。
﹁奏さん、まだカプセルのタイプ嫌いなんだ﹂
﹁そうみたい。昔、喉に詰まらせたのがいまだにトラウマらしいよ﹂
私たちは笑いながらレジに向かう。
少し前
﹁私、奏さんに好きって言ったんだ﹂
ミアからの報告に私は驚いた。
﹁昨夜、兄さんにその事を伝えた﹂
正直、こっちの方が驚いた。
ミアははにかみながら続けた。
﹁気持ち、伝えられた。満足﹂
その顔がとてもスッキリして見えた。
土手で見たあの揺れ動いていた表情は欠片も感じられない。
それが嬉しくて、
﹁そっか﹂
172
私は微笑んだ。
﹁美奈に好きって言われてどんな気分だ?﹂
ゆー君がストレートに聞いてきた。
﹁⋮⋮みーちゃんから聞いたの?﹂
﹁ああ﹂
﹁そうだなー⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ソウ?﹂
俺の長い沈黙にゆー君は不思議がる。
正直、俺自身も不思議。
自分のことなのに、ね。しばらくして、俺はようやく喋った。
﹁嬉しいよ。嬉しいすぎる。⋮⋮でも、なんだろう。ここがずっと
痛い﹂
﹁⋮⋮﹂
自分の胸に手を置く。見つめるゆー君の瞳はとても真摯だ。
﹁この体調不良も、それが原因なんだ。色々考えすぎて、知恵熱出
しちゃった﹂
苦笑する俺にゆー君は何も言わない。
俺はさらに吐露する。
﹁昨日さ、生徒会長にみーちゃんつれていかれたでしょ?嫉妬して
考えすぎて保健室送り。寝不足だったのもあるけど﹂
﹁⋮⋮﹂
言えないと思っていたのにあっさりと言えたのは、体が弱っている
からかな?
それとも︱︱︱
﹁なんか俺、女々しいよね。けどさ、みーちゃんのことほんと大事
にするよ﹂
﹁⋮⋮ふ﹂
ゆー君は小さく笑うと俺にいう。
173
﹁女々しいくらいがいいんじゃないのか。執着してくれなきゃ困る。
大事な妹だからな。それに、ソウが女々しいんだったら、俺だって
女々しい。独占欲強いんだ、俺﹂
ゆー君が軽く自嘲じみた笑いをする。
俺も笑った。
﹁とりあえず、早く元気になれよ。みんな心配してんだから﹂
﹁うん﹂
﹁あー、それと﹂
﹁?﹂
ゆー君が何か思い出したように言葉を紡ぎ、笑う。
そう、あの満面の笑み。
﹁美奈にしょうもないことしたら容赦しないからな﹂
﹁⋮⋮その台詞そのままゆー君に返すよ﹂
俺は強気に笑う。
﹁ただいまー﹂
﹁戻りましたー﹂
﹁お帰り二人とも﹂
﹁兄さん、奏さんは?﹂
﹁起きてる。昼御飯食べるって﹂
﹁じゃあ、私作りますね。﹂
﹁私も手伝う﹂
﹁俺も︱︱︱﹂
﹁兄さんはお皿の準備だけして﹂
﹁⋮⋮はーい﹂
174
それからのある日Part3
ソウ兄の体調も良くなり、普段と変わらない日常を過ごす。
兄妹同士、四人で、穏やかで安心出来る日常。
そんな、当たり前な日常。
⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮。
これで、いいの?
﹁いいんじゃないの?俺たちもそうでしょ?﹂
﹁そうですけど⋮⋮。そうですけど!﹂
夕御飯の買い出しの帰り道、私は悠輔さんとばったり会った。
そのまま夕暮れの下、馴染みのある道を歩きながら、私はめでたく
両思いになった二人について吐露した。
﹁何が不満なの?﹂
﹁なんかこう、甘酸っぱい展開を想像してました﹂
﹁いやだから俺たちもそうでしょ?求めない求めない﹂
ちょっと呆れたように悠輔さんが私を諭す。
﹁⋮⋮﹂
頬を軽く膨らませる私。
そんな私に悠輔さんは顔を近づけてニッコリと笑う。
綺麗な、優しい笑顔だった。
恥じらいと怖気が混ざったような顔をして私は頬をひきつらせる。
顔が近づき、そして
﹁じゃあ、刺激してみる?﹂
175
その頬に悠輔さんは口付けた。
ほんの微かにしか触れなかった。
触れた瞬間、一気に顔が赤くなる。
手は硬直したままビニール袋の塊をはなさない。軽く揺らし、ざわ
めきを立てただけ。
﹁ゆゆゆゆゆ悠輔さん!?なにを!?﹂
しばらくして落ち着きを取り戻した私はどもりながらも抗議した。
悠輔さんはニコニコしたまま私にあっけからんと言う。
﹁二人の前でこれやったら二人共、意識するよね﹂
﹁その前にソウ兄殴られますよ!!﹂
私の必死すぎる声に悠輔さんは苦笑しながら、そうだねと呟く。
﹁だから、そっとしといて。お願い、俺の為に﹂
優しい、笑顔。
どこかしかに含まれた慈愛の思い。
その微笑みに見とれつつも途切れ途切れに、私は答える。
﹁⋮⋮わ、分かりました⋮⋮よ﹂
﹁ありがと﹂
その言葉を最後に私たちは何も話さないまま、道を歩く。
夕暮れの下、悠輔さんの顔がぼんやり輝く。
すごく綺麗に見えて、私の心臓がきゅぅっと小さな音を立てる。
やがて家の前に着いた。
﹁じゃあね、舞ちゃん﹂
﹁はい﹂
悠輔さんが扉の向こうに消えるのを見届け、私は小さく溜め息をつ
いた。
176
分かってた。今、二人は幸せだって。
でも、二人の変化を少しだけ期待していた。
その期待を悠輔さんは優しく諭してくれた。
﹁ありがとう、悠輔さん﹂
一樹家の扉に向かって微笑むと私は家に入った。
﹁おかえり、兄さん。買い出しありがと﹂
キッチンに立つ美奈が冷蔵庫に食材をしまう俺に言った。
それから不思議そうな顔をする。
﹁⋮⋮兄さん、どうかしたの?﹂
﹁んー?﹂
﹁なんだか、嬉しそう﹂美奈の言葉に俺は思い出し笑いをする。
﹁あー、舞ちゃんにばったり会ったからな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁急にジト目になってどうした?﹂
俺がそう訊ねると、美奈は聞いた。
﹁舞に⋮⋮、何したの?﹂
﹁何で、俺節操なしになってるんだ?﹂﹁自分の胸に聞いて﹂
美奈の辛辣な言葉に俺は、ははは、と俺は軽い乾いた笑いをした。
舞ちゃんにしたあれは、口実の方が多い。
まぁ、俺にとっては役得。
舞ちゃんの期待、俺にも分かる。
俺だって期待した。
だけど、それを二人に押しつけたくない。
押しつけて、無理をさせて、関係をこじれさせたくない。
せっかく、美奈が自分の思いに正直になれたんだ。
ソウに伝えられたんだ。
177
美奈がすごく幸せだから。俺は、見守りたい。
⋮⋮それでも、それなりにストッパーはかけるけど。
178
プレゼントの選択
﹁二人とも今年は何が欲しいかな?﹂
﹁まーがくれたものならなんでも喜ぶと思うぞ。特にゆー君﹂
俺とまーは駅前のデパートに来ていた。もうすぐ一樹家兄妹二人の
誕生日。一日違いの誕生日。みーちゃんとゆー君の年齢がほんの一
日だけ同じになる。
二人の誕生日の間の夜、家に招待して夕食をご馳走する。
チョコプレートが二枚乗ったケーキを出し、蝋燭に火をつける。
二人の誕生日を同時に祝うのは、いつの間にか市川家の行事になっ
ていた。
﹁ソウ兄﹂
﹁ん?﹂
ストラップを手にとって吟味していたまーがマグカップを手にして
遊んでいる俺に聞く。
﹁ソウ兄は今、幸せ?﹂
﹁・・・・・・急に、どうしたんだ?﹂
舞の問いかけに俺は苦笑しながら聞き返す。舞の言いたい事、何と
なく分かったけど。
﹁私は、幸せだよ。ソウ兄がいて、悠輔さんとミアがいて、凄く幸
せ﹂
はにかみながら、まーはストラップを元に戻す。
別のストラップを手に取ってまーは続ける。
179
﹁でもね、その幸せがいつか終わるんじゃないかってたまに恐くな
るの。お父さんたちみたいにいきなりいなくなるんじゃないかって。
悠輔さんもミアもいなくなっちゃうんじゃないかって。
そんなこと、あるわけないのに。あるわけ、ないのに﹂
少し、申し訳なさそうに笑うまー。分かるよ、その気持ち。
俺だって、そうだもの。
ゆー君、みーちゃん。ホントに、ホントに大好き。
今まで知らなかったこと。ようやく知ることができたこと。
伝えた気持ち。伝えられた思い。
全部、かけがえのないモノ。
幸せすぎて、失われてることがとても、恐い。
でも、恐いからこそ︱︱︱。
﹁ゆー君も、みーちゃんも、勝手にいなくなったりしない。もし、
勝手にいなくなったりしたら、一緒に、怒りに行くぞ﹂
絶対に、二人の手を離さない。
俺は意地悪く笑い、それから、二つのマグカップをもってレジへと
向かう。慌てたまーが俺の後ろをついてくるのが分かった。
それから小さく、でも力強く、答える。
﹁うん﹂
﹁毎年毎年、誕生会の招待状、ポストに入れなくてもいいのにな。
手渡しでも気持ちは十分伝わる﹂
180
﹁なんだかんだで、誕生日の前になると、ポスト開けたり閉めたり
してるくせに﹂
﹁まぁな﹂
﹁ふふ﹂
私の誕生日の夜、私と兄さんはそれぞれ白い封筒をもって、市川家
の玄関前に立つ。
封筒の中身には毎年、手書きで時間と場所を指定されていた。
⋮⋮毎年、同じ時間、同じ場所なんだけどね。
でも、文字の色や紙の周りの模様が毎年違っているから、全く飽き
ない。
﹁じゃぁ、押すぞ﹂
﹁うん!﹂
ピンポーン
兄さんがインターフォンを押した途端、軽快な音が聞こえ︱︱︱
ドガシャ︱︱︱ン!
凄く心配になる音が聞こえた。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
思わず私は兄さんと顔を見合わせた。
﹁⋮⋮入るか﹂
﹁うん⋮⋮﹂
ゆっくりと玄関の扉を開け、中に入る。
181
美味しそうな匂いとやけに甘い匂いが香っていた。
リビングに通じる廊下を歩き、リビングの扉の前に私たちは立った。
﹁︱︱︱!﹂
﹁⋮⋮﹂
中から声が聞こえる。
⋮⋮すごく開けづらい。
﹁⋮⋮開けるぞ﹂
﹁うん⋮⋮﹂
罪悪感を感じながらも、またゆっくりと扉を開け中に入る。
そこにあったのは︱︱︱。
﹁わ、わわわ!どうしよ?﹂
﹁⋮⋮﹂
慌てた舞と顔が白い人だった。
182
ケーキ作りの光景
﹁わわ!ソウ兄!ってミアたち!まだいいって言ってないのに︱!﹂
﹁落ち着いて、舞﹂
﹁ソウー、無事かー?﹂
﹁⋮⋮何がどうなってんのか、正直分かんないんだけど⋮⋮﹂
慌てたふためく舞と舞を落ち着かせる私と心配する兄さんと︱︱︱
状況を飲み込めていない、白い顔の人︱︱︱奏さん
テーブルの上に置かれたケーキのスポンジ。
床に転がった生クリームが残るボウル。
舞の持つヘラ。
顔中、生クリームまみれなった奏さん。
これらのことから、私と兄さんは事件の真相を見出した。
ケーキに生クリームを塗ろうとしていた舞。
←
インターホンの音に舞が驚く。
←
驚いた拍子に持っていたヘラが奏さんの持っていたボウル︵生クリ
ーム入り︶にぶつかる。
←
ボウルが跳ねる
←
ひゅーーーーーーーん
←
落下
←
←
183
←
奏さん、大惨事
﹁ソーウ、洗面所行って来い﹂
﹁⋮⋮前、見えません。ゆー君⋮⋮﹂
﹁ほら、手ぇかせ。連れてってやるから﹂
﹁うん⋮⋮﹂
兄さんに手を引かれ、奏さんはリビングから姿を消した。
残った私と舞はボウルをかたして、床に付いた生クリームを拭き取
る作業をする。
﹁ケーキ⋮⋮﹂
しょんぼりした舞に私は申し訳なさそうに言う。
﹁ごめんね、舞。驚かせちゃって。もう少し遅く来ればよかった⋮
⋮﹂
﹁え?!ち、違うよ!!ミアたちのせいじゃないよ!!私たちが遅
かったから⋮⋮﹂
慌てて手を一生懸命振る舞。
いつの誕生日か分からないけれど、舞と奏さんが私と兄さんを市川
家に招待した。玄関の扉を開けると、軽快な破裂音と飛び散った色
とりどりな紙テープ。
それから︱︱︱
﹁誕生日、おめでとー!!﹂﹁おめでとー!!﹂
二人の笑顔があった。
リビングに通され、テーブルに並べられた御馳走やケーキが目に飛
び込んできた。
自分の顔がすぐに綻んだのが分かった。
184
私の、私たちの為に用意してくれた。それがどんなに不格好なもの
でも、すごく嬉しい。
﹁まだ、私の誕生日⋮⋮﹂
私は舞に伝えた。舞が笑顔になれるよう。私も笑顔になれるよう。
﹁だから、ケーキ間に合うよ。私にもデコレーションさせて﹂
ジャー
﹁ゆー君、タオルくださーい﹂
﹁ほらよ﹂
﹁ありがと﹂
ジャー⋮⋮キュッ
タオルを受け取ると俺は手探りで蛇口をしっかりと閉める。
タオルで水滴だらけの顔を拭きながら俺は苦笑し、ゆー君に言う。
﹁わー。まだ顔ちょっとべたべたするー﹂
﹁顔中だったもんな。髪にも付いてた﹂
はははと俺は笑い、濡れたタイルを洗濯機の中にダイブさせた。
洗面所から離れ、リビングへと続く廊下を歩き、俺はリビングの中
に入るための扉の取っ手に触れる。
触れたまま、止めた。
﹁?どうした?﹂
185
不思議そうに俺に訊ねるゆー君に俺は言う。
﹁ゆー君、見て﹂
扉にはめ込まれた窓から部屋をのぞき込むのを促す。
二人で窓越しに部屋を見ると、俺が笑うのと同時にゆー君も笑った。
﹁ほら、生クリーム補充しなきゃ﹂
﹁あ、ミア!入れすぎだよ、あふれちゃう!﹂
デコレーションの為のチューブに生クリームを詰めるみーちゃんと
入れすぎた生クリームが零れないようにチューブを調整するまー。
わいわいやってる二人。すごく微笑ましくて、ずっと見ていたいな
と思う。
﹁かわいーね﹂
﹁そうだな﹂
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
しばらくの沈黙。
﹁え?どっちが?﹂
﹁ソウは?﹂
﹁ゆー君それズルい﹂
﹁じゃぁ、同時に言うぞ。せーの︱︱︱﹂
﹁二人﹂﹁両方﹂
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
﹁ねぇ、ゆー君﹂
﹁なんだ、ソウ?﹂
﹁俺たちさ、シスコン入ってるのかな?﹂
﹁⋮⋮ちょっとは、入ってんだろうな。一緒にいた分が長いから、
186
父性みたいなものが芽生えてるんだと思うぞ﹂
﹁父性、ね⋮⋮。⋮⋮あのさ、ないと思うけど、ゆー君﹂
﹁?﹂
笑っているような、おびえているような、曖昧な表情をしながら、
俺はゆー君に言った。
﹁もし、みーちゃんが﹃兄さん臭いから洗濯物別にして﹄っ言った
ら、どう?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ゆー君?﹂
あまりにも長い沈黙に、俺は心配になった。
そして真顔のまま、ゆー君は絞り出すように声を発する。
﹁⋮⋮やばい。想像したら涙出てくる﹂
﹁ゆー君?!﹂
187
ピアノの下︵前書き︶
夕食とケーキを食べ終え、地下の防音室からの会話。
やっと出せた、市川家の防音室。
188
ピアノの下
市川家 地下 防音室
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
ゆったりとした調べが空間を震わせながら流れている。
舞のピアノと奏さんのバイオリンが生ませている音が混じり合い、
私たちの耳に届く。
小さい頃から聞いていたメロディ。
聞き惚れるとは言い難い。
心揺さぶるとは言い難い。
でも︱︱︱
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
ずっと、聞いていたい。
ぱちぱちぱちぱち
﹁ありがとう、二人とも!﹂
﹁ありがとう!﹂
私たちが拍手を送ると、奏さんと舞は笑いながら一礼をした。
それから前に出て、兄さんの前に箱を差し出す。
189
﹁ちょっと早いけど、誕生日おめでと。ゆー君﹂
﹁おめでとう、ミア﹂
﹁ありがと、ソウ﹂
﹁で、これはみーちゃんに。16歳、おめでと﹂
﹁ありがとうございます﹂
舞から貰った小さな包み紙を膝の上において奏さんからの贈り物を
両手で受け取った。
﹁どっちの中身もマグカップだよ。色違いのお揃い﹂
﹁なんで開ける前にバラすんですか?楽しみにしてたのに⋮⋮﹂
﹁えへへへ﹂
無邪気に笑う奏さんに私はちょっと苦笑い。
﹁あ、俺ちょっとトイレ借りる﹂
兄さんが立ち上がりながら言うのと
﹁あ、私も行きます﹂
舞がついて行くのが同時だった。
兄さんと舞が防音室の扉を開け、外に消えていく。
まるで、図ったかのように。
⋮⋮。
﹁?みーちゃん?﹂
﹁え、ああ、なんです?﹂
﹁いや、なんか挙動不審だったから﹂
﹁そ、そんなことないですよ﹂
慌てた私に、今度は奏さんが苦笑い。
﹁今の俺の気持ち、言っていい?﹂
﹁?﹂
190
苦笑いのまま、奏さんは言葉を紡いだ。
爽やかに、辛そうに。
﹁親友の恋愛を邪魔したくない気持ちと妹の純潔を守りたい気持ち
が混ざってる気持ち。
あー、なんてジレンマ!﹂
天井を仰ぐ奏さん。
オペラ歌手みたいで私は少し笑った。
﹁笑うなんてひどいじゃないか﹂
少し拗ねたように奏さんが言う。
それから、からかうような、縋るような声色で私に訊ねる。
﹁みーちゃんも俺とおんなじ気持ち。そうでしょ?﹂
﹁⋮⋮﹂
しばらくの沈黙。
驚いた。呆れた。
自分の心。自分の思い。
それが奏さんと同じだった。大体は。
舞があんまりにも恥ずかしがるのが可哀想だから、止めたいと思う。
もうすぐ明日になる今日は兄さんの誕生日だから、恋路を邪魔した
くないと思う。
それから︱︱︱。
﹁そう、です⋮⋮﹂
﹁やっぱりー﹂
奏さんが少しはしゃぐ。
191
﹁でも、それだけじゃないんです⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
今度は不思議そうな声を出す。
キョトンとした顔が、可愛らしい。
今日、私は16歳になった。
少しだけ、ほんの少しだけ大人になった。
だから︱︱︱︱︱︱言える。
私は紡ぐ。
気恥ずかしさを勇気で越える。
﹁奏さんと⋮⋮二人きりで、いたい⋮⋮、ジレンマ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
長い、永い、奏さんの沈黙。
心配になって、私は注意深く奏さんの顔を伺う。
そして、気づく。
﹁奏さん!息!息してください!!﹂
無呼吸だった。
急いで思いっきり奏さんの肩を揺さ振り、奏さんスイッチを入れな
192
おす。
﹁⋮⋮⋮⋮っうお⋮⋮﹂
ようやく、呼吸の戻った奏さんは喉から掠れた息を漏らしてから、
私の瞳を覗き込む。
困ったような、嬉しそうな思いが瞳に映し出されていた。
﹁みーちゃん⋮⋮それ反則⋮⋮びっくりした﹂
それから少し笑って、ポケットから小さな袋を取り出す。
ピンクの可愛らしい袋に黄色いリボンが結ばれていた。
﹁⋮⋮なんですか、それ?﹂
﹁プレゼント﹂
﹁もう貰いましたよ?﹂
私が怪訝そうな顔をすると、奏さんはリボンを解き始める。
﹁さっきのは、幼馴染のみーちゃんへのプレゼント。
これは、
俺の、大事な人へのプレゼント﹂
﹁大事な、人⋮⋮?﹂
﹁うん﹂
﹁兄さんの分は無いんですか?﹂
﹁うん、ここでボケを入れてくるみーちゃんも可愛いよ﹂
﹁?﹂
﹁よし、ストレートに言おう﹂
怪訝そうな顔をした私を見ながら奏さんが息を大きく吸い、そして
大きく吐いた。
真剣な茶色の瞳が微、笑んだ。
193
﹁これは俺とみーちゃんの、両想い記念だよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
今度は私が黙る番だった。
奏さんが言ったことを、ゆっくりゆっくり理解し、それから、
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱!﹂
一気に恥ずかしくなった。
改めてそのことを認識して、心臓のあたりが痛いくらいキューって
なる。
舞ほどじゃないけれど顔が真っ赤になったのが分かる。
私は顔を両手で隠し、ピアノの下に隠れた。
﹁みーちゃーん?﹂
ひょこっと奏さんがピアノの下を覗き込む。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
奏さんの呼び掛けに私は答えられない。
せっかく、勇気出せたのに。自分から逃げなかったのに。
情けない。
﹁みーちゃん﹂
いつの間にか、私の隣に来た奏さん。
優しい声が私の耳朶を打つ。
﹁顔、見せて﹂
﹁今、ひっどい顔してるんで、見せたくないです﹂
﹁⋮⋮﹂
194
手首に感じた自分以外の温もり。
顔から離れさせられた掌。
視界に広がる奏さんの笑顔。
﹁ひどくないよ。可愛くて、俺の大好きなみーちゃんだよ﹂
奏さんが私の首に腕をまわす。
ちゃりん
小さな金属音がしてすぐに、肌に感じた人工的な冷たさ。
加えられた重みに私は触れた。
細いチェーンの付いた、幾つもの花弁。
﹁花のネックレスだよ。なんかみーちゃんに似合うだろうなーて思
って。よかった。やっぱり似合ってる﹂
そう言って、私の頭を撫でて、指先に私の髪を絡める。
﹁⋮⋮遊ばないで下さいよー﹂
﹁んー?、んー⋮⋮﹂
弱弱しく言う私に曖昧な声を漏らす奏さん。
それから︱︱︱
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
奏さんの顔がやけに近いと感じた。
195
あった
奏さん、睫毛長いなー、と思った。
唇が温かいなー、と思った。
キスされているんだなー、と思った。
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
あ、れ??
196
彼女たちの気持ち
あ、れ??
キスされているのに、なんで冷静に考えられているんだろう。
やけに冴え切った頭で、考えて考えて、
ぴこーん
雰囲気を壊す音が私の頭に鳴り響く。
その答えは、単純で、呆れるほど。
驚きと驚きが連続してきたから、感覚が麻痺してしまったんだ。
初めてなのに、初めてなのに⋮⋮。
心が、冷え切っている。
これは︱︱︱︱︱︱嫌だ。
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮。
俺何やってんの?!
ピアノの下に隠れたみーちゃんを追いかけて、ネックレスをプレゼ
ントして、みーちゃんの髪をいじって、
それから︱︱︱
みーちゃんの唇に、自分の唇を重ねた。
197
⋮⋮。
だから、俺何やってんの?!
途中まで自分が思って行動してたのに、なんでなんでこんな、考え
る前にやっちゃたんだ!
恥ずかしすぎる?顔熱っ!!
﹁⋮⋮﹂
俺は少なくなった理性で、みーちゃんの唇から離れる。そして、若
干びくびくしながら閉じていた瞳を開き、開かれているみーちゃん
の瞳をを見つめる。
⋮⋮怒ってるよね。いきなりだったから、目、閉じてないもんね。
俺とみーちゃんは何も言わないまま見つめあう。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
ち、沈黙重い。
俺は今更な弁解をしようと口を開く、
その前に︱︱︱。
﹁⋮⋮﹂
みーちゃんが、俺に、微笑む。
それがあんまりにも可愛らしく、でもそれ以上に、綺麗に見えて、
喋れなくなって、動けなくなって、
だから︱︱︱︱︱︱
198
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
冴え切りたくない。びっくりしたけど嬉しいから、冴え切りたくな
い。
心がとろけるほど、惑うほど、思いに酔いしれたい。
だから︱︱︱︱︱︱
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
見開かれたチョコレート色に映る、白い瞼に細く長い睫毛。
ちりん、と遠くに聞こえるチェーンのずれる音。
再び重なる唇。
その温かさより、先ほどまでの顔の熱さより、今、さらに熱くなる。
﹁奏さん﹂
唇を少しだけ離し、もう一度私は微笑んだ。
﹁好きです﹂
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱ぷつん︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁⋮⋮むぅ﹂
俺はうっすらと留を開けながら、もぞもぞとベッドの中から腕を出
し、目覚ましを探る。
199
指先にかつんと固くよく知った感触がして、俺はそれを手に取り文
字盤を寝ぼけ眼で見る。
﹁⋮⋮︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱!﹂
そして、勢いよく飛び起きる。
七時二六分
しっかりと刻まれた長針と短針に俺は心底焦った。
頭の中に料理とか洗濯と掃除とか学校とか、いろいろなことが駆け
巡り、消える。
﹁⋮⋮⋮⋮体、おっもい﹂
その感覚が俺の思考力を縛り付け、体をベットに縫い付けた。
息をゆっくりと吐き、枕に顔を沈める。
﹁⋮⋮あー、今日日曜日だ⋮⋮﹂
そのことを思い出し、少しほっとした。
だけど、料理とか自分の使命を果たすために、俺はベッドから這い
出ようと力のないままの腕を立てる。
﹁奏さん﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
みーちゃんが俺の名前を呼ぶ声がした。みーちゃんの姿が見えた。
幻聴?幻覚?⋮⋮あれ、なんかデジャヴ?
でも、そう思う前に、
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
200
⋮⋮お、思い出した⋮⋮⋮。
みーちゃんからキスされて、笑顔を向けられて、好きって言われて、
︱︱︱︱︱︱︱知恵熱起こした。
この年になって、二度目の知恵熱。
﹁奏さん﹂
﹁キャー、みーちゃんのえっちー﹂
﹁あの、そんな棒読みで言われても困るんですが⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
みーちゃんの呆れた声にいたたまれなくなって、俺は謝る。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
また訪れた沈黙。このままふて寝しようかと残念なことを考え始め
た矢先、みーちゃんが口を開く。
﹁昨日、言い忘れてたんで、︱︱︱︱︱︱︱︱プレゼント、ありが
とうございました﹂
俺に向けられた笑顔。今、俺だけに向けられた笑顔。すっごく可愛
らしくて、顔のあたりがまた熱くなる。
﹁じゃ、お大事に﹂
みーちゃんが踵を返して、俺の部屋から出ていく。扉が完全に閉ま
るのを見届けてから、俺は暑いのに頭から布団を被る。
﹁︱︱︱︱︱︱︱﹂
声にならない声を、隠すため。
﹁︱︱︱︱︱︱︱?﹂
私は声にならない声を、掌へ隠した。
201
正直、面と向かって話すの、すごくドキドキした。⋮⋮顔赤かった
のバレてないよね?
私からキスした後、奏さんが顔を真っ赤にして、気絶した。
助けを呼ぶために防音室から出て目に飛び込んだ、兄さんと舞の驚
いた顔。何してたか気になってたけど、それよりも奏さんが心配だ
った。
事情を説明して、兄さんに奏さんを奏さんの寝室に運んでもらって、
誕生会はお開きになった。
﹁⋮⋮﹂
胸元に手を当て、金属の冷たさを感じ取る。
息を吸い込むたびに、吐くたびに、冷たさとともに感じ取れた温か
な思い。
その温かさを逃がさないように、花弁を手の中に閉じ込めた。
in階段
﹁⋮⋮﹂
﹁悠輔さん⋮⋮、顔怖いですよ﹂
﹁あ、ごめん。あのさ、なんで俺たち隠れながらソウの部屋見てる
の?美奈、なんで顔真っ赤なの?ちょっと問いただしたいんだけど、
ソウに﹂
﹁今、二人のこと邪魔しちゃだめですよ﹂
﹁俺、今日誕生日なのに︱﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮だ、だめです⋮⋮﹂
流されそうになったけど、何とかとどめる。
﹁⋮⋮はー。しょうがないなー。ソウの事、問いただすのは今度に
する。今日はそっとしとくよ﹂
202
﹁ありがとうございます﹂
ほっとして、私は悠輔さんにお礼を言う。
﹁舞ちゃんデートしよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい?!﹂
あまりにも、脈絡のない提案に私の頭はすぐには追いつかなかった。
﹁そんなびっくりすることかな?﹂
﹁話、飛びすぎですよ?﹂
﹁飛んでなんかないよ。誕生日なんだから、お願い、聞いてくれた
っていいじゃない?﹂
﹁⋮⋮昨日、聞いたじゃないですか﹂
﹁そうだけど、おまけが欲しいな﹂
﹁我が儘、です⋮⋮﹂
﹁そういう俺は、嫌い?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
悲しそうな、でも期待してそうな顔をした悠輔さんに私は苦笑しな
がら、折れる。
﹁⋮⋮いいえ﹂
203
彼女たちの気持ち︵後書き︶
唐突ですが、﹃兄︵妹︶をくっつけたい。﹄をこれで終わりにさせ
ていただきます。
恥ずかしながら、主人公たちの心理状態が分からなくなりまして、
これ以上、読んでくださっている方々に不快な思いをさせたくない
と、自分なりに考えた決断です。
これから、読み返して、スピンオフなど補足話を書けたらいいなと
今のところ考えています。
今までこの小説を読んでくださって、本当にありがとうございまし
た。
これからも私の書く小説にお付き合い頂けたら、幸いです。
10月26日
ご報告?
今作の続編を書きました。
204
誕生日の前夜︵前書き︶
勝手に完結と言っておきながら、再び連載する作者の愚行をお許し
ください。
遅れて申し訳ございません!
205
誕生日の前夜
﹁あ、俺ちょっとトイレ借りる﹂
﹁あ、私も行きます﹂
私達は美奈達を置いて防音部屋から出るととりあえず近くの壁に
寄り掛かる。
同じ行動をした私達はお互いに笑い合う。
﹁舞ちゃん、トイレは?﹂
﹁悠輔さんこそ﹂
﹁俺はソウに誕生日のお礼として美奈と二人っきりの時間をあげ
た。ホントはすっごく邪魔したいけど﹂
悠輔さんは苦笑し、扉の向こうに残したソウ兄とミアを思ってい
るような慈愛に満ちた表情をした。
その姿に私は当たり前のように少し顔を赤らめる。普段ならきっと
黙ったまま悠輔さんの会話の続きを待つだろう。
でも、今日は︱︱︱︱︱︱
﹁悠輔さん﹂
﹁?どうしたの、舞ちゃん?﹂
慈愛に満ちた顔のまま悠輔さんは私の言葉の続きを促す。
私はポケットの中に隠し持っていた小さな箱を取り出し、無言で
輔さんの前に差し出した。
恥ずかしさのあまり俯いてしまった私には、今悠輔さんがどんな
顔をしているのかわからない。でも、手から箱の重さが消えたから、
受け取ってくれたんだなって思った。
シュルシュル、と結ばれたリボンをほどく音が聞こえる。その音の
あと、箱の蓋が開けられる音がして私の体は強張った。
206
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ち、沈黙が辛い⋮⋮。
堪えきれなくなって逃げ出したい気持ちを押し止め、私は恐る恐
る顔を上げる。
微笑みながら私を見つめる悠輔さんの姿があった。
﹁これ、なーに?﹂
不思議そうに楽しそうに嬉しそうに悠輔さんはそう私に訊ねた。
箱の中に入れられた銀色に光るバングルをちゃんと私に見せて。
恍けて聞き返すことのないように。
悠輔さんはなんだかんだで、意地悪だと思う。
私が恥ずかしがるようなことをしてくる。
それでも悠輔さんを嫌いになれないのは、それ以上に︱︱︱︱︱︱
悠輔さんのことが好きな気持ちが強いから。
⋮⋮こんな状況で、よく惚気られるね私。
心の中で自嘲し、私は答える。
﹁プレゼント、です﹂
﹁もう、貰ったよ。マグカップ﹂
笑いながら悠輔さんは再び私に問いかけた。分かっているのに、
それでも私に問いかけた。
﹁お願い、言って﹂
困ったような顔をして。
ああ、ホントに意地悪だ。ホントに意地悪で、それでいてすごく優
しくて大好きだ。
なけなしの勇気を振り絞って、私は若干自棄気味で答える。
﹁これは、その⋮⋮幼馴染としてじゃなくて、私の⋮⋮大事な人
207
へのプレゼントで︱︱︱︱︱︱︱﹂
す、と最後まで言えずに、私は悠輔さんに抱きすくめられた。
いきなりのことで私の体は硬直し、息が全くできない状態になった。
ただ悠輔さんの体温を頬で感じられるだけ。
﹁うん⋮⋮、どうもありがと﹂
悠輔さんの声にようやく私の体は動いた。ビクリ、と小刻みに揺
れただけだったが。
悠輔さんが私の後ろ髪を撫でるのを感じた。
優しく、指先に髪を絡めるように。
いつの間に、渡したプレゼントをポケットの中に入れたんだろうと
私は考えるのが精一杯で、私の手や脚は動かない。
﹁ごめんね⋮⋮。舞ちゃんの口からちゃんと言って欲しかった。
幼馴染としてのプレゼントじゃないって。言ってくれなきゃ安心で
きなかった。俺だけが舞ちゃんのこと、好きすぎるんじゃないかっ
て。思い上がってたらどうしようかって。内心、すっごくドキドキ
してた﹂
悠輔さんは甘えるように私の肩口に顔をうずめる。香る悠輔さん
の匂いに私は少しくらりとしたが、それでも、私は片手を動かすと
悠輔さんの頭を撫でる。
慈しむようなそんな手つきで。
﹁だいじょーぶ、ですよ⋮⋮。だいじょーぶ⋮⋮﹂
小さい頃のように、撫でながら私は悠輔さんに聞かせる。
この人は意地悪で優しくて、臆病だ。
だからほっとけなくて、それでいて好きなんだ。
﹁私は、悠輔さんが、⋮⋮好きです。幼馴染としても、⋮⋮一人
の、男性としても﹂
﹁⋮⋮﹂
208
私がそう呟くと悠輔さんは顔を上げ、私を抱きしめている腕を緩
めて、そのまま両手を私の肩に持っていく。
今にも泣きだしてしまいそうな、嬉しそうな、愛おしむような顔
をして悠輔さんは微笑んだ。
﹁ありがとう⋮⋮﹂
そう言って、悠輔さんは私にキスをした。
あの事件みたいな不意打ちのモノじゃなくて、逃げようと思えば逃
げられたモノ。
微かな予感はあった。でも、受け入れた。
唇が触れた瞬間は驚いたけれど、なぜだか安心してゆっくりと私
は瞼を閉じる。
触れるだけの口づけは蕩とろかすようで、優しくて甘い。
何十秒間、もしかしたら何分間の後、悠輔さんの顔が離れていく
のを感じ、私は目を開ける。
はにかむように私を見つめる悠輔さんは私に言う。
﹁舞ちゃん、顔真っ赤﹂
﹁⋮⋮悠輔さんも、赤いですよ﹂
﹁そっか⋮⋮、じゃぁ、お揃いだ﹂
恥ずかしそうに、幸せそうに笑う悠輔さんに私はくすぐったく笑
った。
この空気に寄ったかのように、私達はどちらから先でもなく再び口
づけを︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
バンッ?
﹁兄さん?舞?﹂
209
阻まれた。
扉が開いた音と同時に私と悠輔さんはある程度距離をとった。何
処か寂しさを感じながら、私達は焦った顔をしたミアに体を向けた。
一瞬、しまったとミアが驚いた顔を見せたけど、すぐに事態の状
況を説明する。
﹁奏さんが、倒れた⋮⋮﹂
ミアの言葉に私と悠輔さんは驚くとすぐに、防音室の中へと入りピ
アノの下で目をまわしているソウ兄を見つけた。
﹁ああ⋮⋮、ソウ﹂
こんな状態のソウ兄を見た途端、悠輔さんは哀れむような溜め息に
似た息を漏らす。
無造作にピアノの下から引きづり出すと、悠輔さんはソウ兄を背
負い、上に向かう。
﹁二人とも、心配しなくてもいいから。ソウは大丈夫。寝てれば
治るよ﹂
ソウ兄の部屋のベッドに悠輔さんはソウ兄を寝かせると布団を被せ
た。
﹁⋮⋮二度目は、どうかと思うぞ﹂
言っている意味が私にはよく分からない言葉を悠輔さんはソウ兄
に投げかけ、閉じられた部屋の扉を背にして私とミアに苦笑いをし
た。
﹁ソウがあんなんだし、今日の誕生会はこれでお開き、かな﹂
﹁⋮⋮そうだね﹂﹁はい⋮⋮﹂
ちょっと残念そうにミアと私は答える。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱
210
玄関先で悠輔さんは私に言った。
﹁明日が日曜日でよかった。もう夜も遅い。舞ちゃん後片付け、
明日やるからそのままにしといて﹂
﹁はい、お休みなさい﹂
﹁じゃあね。お休み、舞﹂
﹁お休み、ミア﹂
玄関の扉が閉じられ、私は見送る為に振っていた手を静かに下し、
思う。
︵ソウ兄、プレゼント渡せてよかったね。私も、渡せたよ︶
私達兄妹はお互いに、プレゼント選びを助け合った。今回の誕生
会は前回までの誕生会と違っていた。
特別なもの。幼馴染であり、幼馴染じゃない。曖昧で、愛おしい。
選択肢を狭めてもらい、最終決定をしたのはそれぞれ自分自身だ
った。
ソウ兄に選択肢を狭めてもらって良かったと思う。
悠輔さんが、喜んでくれた。
ソウ兄もきっとそうだと思う。
ミアの首に下がった小さな花弁が、きらきらと嬉しそうに揺れてい
たから。
壁にかかった時計を見るとあと数分で明日が来る時間だった。
明日。明日になったら︱︱︱︱︱︱。
翌日、朝早く一樹家の二人が市川家にやって来た。
私も後片付けがあったからいつもより早く起きて、二人を迎え入
れる。いつもこれくらい起きられたら良いのにね、とミアが私を茶
化すと悠輔さんが笑った。
⋮⋮二人とも意地悪。
211
片付けが一通り終わった後、ミアが悠輔さんと私に言う。
﹁兄さん、舞、先に奏さん見に行かせて﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮いいぞ﹂
﹁全然いいよ﹂
長い沈黙の末、悠輔さんはミアの要望を承諾した。
私は躊躇いもせずにミアに答える。
ミアはありがとうと私達に言うと階段を上る。扉が開いて閉じる音
がしたと同時に、悠輔さんはゆっくりと階段を上る。
私も悠輔さんの後を追い、階段を上りきる途中で悠輔さんの手首
をつかみ悠輔さんを止めた。
﹁⋮⋮舞ちゃん﹂
不思議そうに私を見る悠輔さんにまだ言ってなかったんで、と前
置きし言う。
﹁17歳、おめでとうございます﹂
掴んでいる手首につけられた銀。冷たいのに温かい気がした。
悠輔さんは微笑むと私に言う。
﹁ありがとう舞ちゃん。⋮⋮離してくれると嬉しいんだけどな﹂
﹁それは出来ません。すいません﹂
悠輔さんの要望を私は即答で却下した。
それの繰り返しをしているうちにソウ兄の部屋の扉が開く。反射的
に私たちは階段に隠れるようにしゃがむ。
ミアが出てきた。そのまま扉を背もたれにするように顔を隠ししゃ
がみこむ。
一瞬だけ見えたミアの顔は真っ赤だった。
﹁⋮⋮﹂
﹁悠輔さん⋮⋮、顔怖いですよ﹂
ソウ兄の部屋の扉を睨み付ける悠輔さんに私は怖さを訴える。
212
今にもソウ兄に事の次第を問いただしそうな悠輔さんを私はなだ
める。
﹁今、二人のこと邪魔しちゃだめですよ﹂
﹁俺、今日誕生日なのにー﹂
意地悪く、それでいて困ったような顔をする悠輔さん。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮だ、だめです⋮⋮﹂
流されそうになったけど、何とかとどめる。
﹁⋮⋮はー。しょうがないなー。ソウの事、問いただすのは今度
にする。今日はそっとしとくよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
ほっとして、私は悠輔さんにお礼を言う。
﹁舞ちゃんデートしよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい?!﹂
あまりにも、脈絡のない提案に私の頭はすぐには追いつかなかった。
﹁そんなびっくりすることかな?﹂
﹁話、飛びすぎですよ?﹂
さすがにツッコミを入れる私に悠輔さんはあっけからんと言う。
﹁飛んでなんかないよ。誕生日なんだから、お願い、聞いてくれ
たっていいじゃない?﹂
﹃誕生日﹄と今日だけの最強の武器を使う悠輔さん。
﹁⋮⋮昨日、聞いたじゃないですか﹂
私は昨日の、私にとって恥ずかしいお願いを盾にする。
﹁そうだけど、おまけが欲しいな﹂
そう願う悠輔さん。ズルいと思った。それでも何とか逃げようと口
をもごもごさせながら反抗した。
﹁我が儘、です⋮⋮﹂
﹁そういう俺は、嫌い?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
213
悲しそうな、でも期待してそうな顔をした悠輔さんに私は苦笑し
ながら、折れる。
﹁⋮⋮いいえ﹂
意地悪で、優しくて、臆病で。それでいて我が儘で。
小さな子供のような悠輔さん。
そんな彼が、私は酷く愛おしい。
214
誕生日の前夜︵後書き︶
⋮⋮一気にバーっと書きましたが、いかがでしたでしょうか?
読みづらい、言葉と行動が矛盾しているなどがありましたらコメン
トしてくださると嬉しいです。
215
片思いの助言︵前書き︶
第二章で活躍した彼の登場です。
216
片思いの助言
最近、奏さんがよそよそしい。
﹁奏さん﹂
﹁ん⋮⋮、なぁに、みーちゃん?﹂
私が近づくと彼は半歩後ろに下がった。
触れようと手を伸ばすけれど、気づかれてすり抜けてしまう。
どうしてなんだろう?なんでなんだろう?
﹁で?なんでそれを僕に聞くの?君達とは無関係じゃない?﹂
一樹君の妹さんがなぜだか生徒会室にいる。いやほんとなんで?
なんで?
﹁あの⋮⋮その⋮⋮﹂
恥じらう妹さん。ほんのり赤い頬が黒い髪の隙間から見える。可愛
らしくて思わず頬が緩みそうになる。
名前は呼びたくない。呼ぶ必要がない。呼ぶ、権利がない。
机を挟んで対峙する。自分が決めた境界線を越えないように。
﹁君たちには僕の妹が迷惑かけたよ。だからって、僕はこのままず
っと君たちの為に何かしなくちゃいけないの?一生、これから?﹂
ホントは言いたくないけど、あえて冷たい言葉を選ぶ。
君への贖罪になるんだったら何でもするって思ってた。今でもその
思いは胸の中にある。
でも選んだのは、そうじゃないとおかしくなると思ったから。
目の前にいる好きだった女の子が、彼女の今の好きな相手について
僕自身に相談しに来ている。
普通、耐えられる?
217
僕はそんなに強くない。そんなに優しくない。そんなに自分の思い
を隠し通せるほど偽善者じゃない。
醜くて、嫌いになる。
﹁⋮⋮ごめんなさい。会長さんなら、あんまり私たちのこと知らな
いから客観的な意見を貰えるかなって思ったんですけど、⋮⋮図々
しかったですね。⋮⋮本当に、ごめんなさい﹂
妹さんは謝って、そのまま椅子から立ち上がる。荷物を持って、そ
のまま生徒会室を出ようと扉のノブに手をかけた。
何で来てしまったんだ、妹さん。そんな悲しそうな顔をするために
来たんじゃないだろうに。
その後姿を黙って見守っていた僕は、重い口を無理矢理開く。
﹁自分で確かめれば、いいんじゃない?﹂
驚いて振り返る妹さんが見えた。その顔をあんまり見たくなくて、
僕は少し妹さんから視線を外した。
僕はそのまま続けた。
﹁自分で彼に理由を聞いてみればいいじゃない。何を遠慮する必要
があるの?遠慮するような関係じゃないでしょ、君たちは。こんな
こと、恥ずかしくて言いたくないけど、短すぎるんだから君たちの
赤い糸は。この世界のどの付き合ってる二人組が羨むほど﹂
本当に羨ましいほど。切ってしまいたいと思ってしまえるほど。
でも、それは無理。
﹁それでいて、その糸は堅いモノ。君が引き寄せればすぐにその糸
の先は君の腕の中だ。君に今必要なのはちょっとした勇気だけだよ﹂
﹁⋮⋮﹂
一通りしゃべりきって黙る僕と無言と僕の話を聞いた妹さん。
引かれたかもしれない。それはもうドン引きで。
218
だって、赤い糸だのなんだの、こんなにもこっぱずかしい話をする
男に誰だって引くだろう。正直、僕は引いてる。
ふっと妹さんが微笑むのを微かに感じた。
微笑んだんだ、僕に向かって。
せっかく拒絶したのに、なんで僕は自分の首を絞める事をしてるん
だろう。
これじゃぁ、まるで︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁奏さん﹂
夕暮れの帰り道、奏さんの後姿を捕え私はその背中に駆け寄った。
﹁⋮⋮﹂
私の声に反応して振り返った奏さん嬉しいような困ったような顔を
していた。
その顔を確かに見て、私はそのまま、
﹁!えっ?いっ!うぁっ?!﹂
奏さんに抱きついた。
動揺して変な声を出した奏さんを尻目に私は聞きたいことを全部言
う。
﹁なんで最近よそよそしいんですか?!なんで逃げちゃうんですか
?!私のこと、もう嫌いですか?!返事、遅すぎましたか?!﹂
無遠慮に。気を遣うことなく。
﹁ち、違う!嫌いになんてなるわけない?﹂
奏さんは私を無理矢理引きはがすと私の顔を真摯に見つめる。
すごく顔が赤く見えるのは夕日のせいじゃない。
﹁その、あのね⋮⋮笑わないで聞いてほしいんだけど、みーちゃん
に近づくと、俺⋮⋮知恵熱起こしそうになるの﹂
﹁⋮⋮﹂
219
﹁みーちゃんのこと好きすぎて、どうにかなりそうで、迷惑かけな
いように、みーちゃんから少し離れた。ホントは今でもギリギリな
んだよ、体が沸騰しそうなくらい﹂
そう言われて掴まれている肩を感じると奏さんの手がやけに熱い。
それに加えて、私の肩自身も熱を帯びてる。焼けるほど、痛いほど。
﹁でも、みーちゃんが寂しい思いするんなら⋮⋮﹂
そう言うと私の片手を奏さんの片手が掴む。
﹁⋮⋮今は、これが俺の精一杯、ごめん﹂
奏さんの指に絡められた私の指。
指と指の隙間から直接感じる奏さんの体温が私をびくりとさせた。
若干私はうつむき、しばらく考えてから絡められた指を奏さんの手
からゆっくりと逃がす。
﹁え⋮⋮?﹂
驚く奏さんに私は一言。
﹁ごめんなさい⋮⋮。知恵熱、起こしそうで⋮⋮﹂
俯くと奏さんの目が見えない。先ほどまで繋がれていた自分の手が
見える。いつも以上に熱を持った自分の手が不思議なものに感じた。
﹁⋮⋮そっか﹂
奏さんの安心したような、少しがっかりしたような声が聞こえ、私
は申し訳なく感じた。
﹁じゃあ、こうしよう﹂
奏さんはそう言うと奏さんの小指に絡められた私の小指。突然私の
視線の先に現れた小指に戸惑い、されるがままになる。
﹁これなら、微熱で済みそう。どうかな﹂
見上げると照れくさそうに笑う奏さん。
小指が微かに熱い。
その微かな熱さにさえ、ふらふらしそうになる。震えそうになる。
220
それでも、さっきみたいに振り払わないのは︱︱︱︱︱︱奏さんの
傍にいたいから。
私は、嬉しく笑う。
﹁はい﹂
触れたいのに、触れられたくない。
そんなジレンマの中に私と奏さんはいる。
誰かがこのことを知ったら、私たちを憐れむかもしれない。
でも、私たちはこれでいい。これでいいんだと思う。
お互いの思いをどちらも分かり合えたから。
相手の思い、自分の思い、どちらも同じだと知れていることが幸せ
だ。
気を遣いすぎて、私は自分の思いに蓋をしてしまった。
もう、あの悲しかった、苦しかった思いは嫌だ。
また過ちを犯してしまうところだった。
そのことに気づかせてくれたのは、会長さん。
だから改めて︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁ありがとう、会長さん﹂
微笑んだ妹さんはそう言って、生徒会室から出て行った。
晴れやかな笑顔。吹っ切れたとは言い難いけど、それでいて綺麗な
笑顔。
しばらくしてから僕は机に突っ伏した。
不貞腐れるように。そのまま泣くかのように。
いや、泣いてないよ。
﹁ハァー⋮⋮﹂
零れた溜め息が腕と机に妨害されて、生暖かい風が僕の顔にかかる。
221
あ、風が甘い。メロンパンだ。
﹁食べたいなー、メロンパン﹂
副会長がこれを聞いたら、﹃血糖値上がるぞ、ば会長﹄とか言って
僕を馬鹿にするんだろうけど。一人苦笑して、再び溜め息をつく。
﹁⋮⋮﹂
なんで助言したんだろう?自分が苦しいだけなのに。
これじゃぁ、まるで︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱彼女に喜
んでほしいみたいで。
いや、喜んでほしいんだ。幸せになってほしいんだ。
贖罪、だから。
ただ、ね。
﹁羨ましいよ、市川君﹂
少しだけ、君のことを妬ましいと思わせてほしい。
ほんの少しだけ。
雀の、﹃涙﹄ぐらい。 222
二人の芝居︵前書き︶
この小説は健全です。
︵15歳未満閲覧禁止になりそうな気がしなくもないので、した方
がよかったらコメントください︶
223
二人の芝居
光が、私達だけを淡く照らしている。
光はそこだけしかなく、そこから外れてしまえば、暗闇に全てを飲
み込まれる。そんな気がした。
﹁兄さん、私⋮⋮私ね⋮⋮⋮⋮、兄さんのことが、好きなの⋮⋮!﹂
光の中、私は目の前にいる兄さんに告げた。
﹁⋮⋮な、何を⋮⋮⋮⋮言って⋮⋮?﹂
私の言葉にたじろぐ兄さん。少し私から離れる。だがそれ以上、私
は兄さんに詰め寄った。
﹁ホントに、本当に好きなの⋮⋮、兄さん!﹂
﹁⋮⋮﹂
飛びつくように兄さんを抱きしめる私の背中に兄さんの手が恐る恐
る回った。
先ほどよりも光が照らす範囲が小さくなり、密着した私たちの周り
にしかない。
すぐ近くだけが明るくて、それ以外は真っ暗。
ここだけが、私の居場所。
見上げる私と見下ろす兄さん。
潤んだ瞳に兄さんの困惑した表情が見える。⋮⋮いやホント、私も
嫌なんだから勘弁。
もうすぐ終わり︱︱︱︱︱︱
﹁はーい、カットー﹂
体育館に響く、告げられた打ち切り。
﹁うぁぁぁぁぁ⋮⋮⋮﹂
﹁ぜーぁはぁー⋮⋮﹂
その声を聞いた瞬間、私達兄妹は同時にお互い必要以上の距離をと
224
った。もう暗闇なんか気になんない。むしろ飲まれたい。
﹁あれ、そんなにやだったの?﹂
﹁いやですよ!何で実の兄と恋愛しなくちゃいけないんですか?﹂
舞台の下でメガホン片手に私達の演技を見ていた、どこかの映画監
督さながらの椅子に陣取りながらの兄さんのの隣のクラスの高原ヤ
ナギさん。頬杖をつき、メガホンをくるくると回すと、びしっと私
たちの方に向ける。
﹁だからいいんじゃない。禁断の愛、背徳感。いい響きでしょ?﹂
﹁全然よくないです?これを学校の文化祭でやろうとする勇気ホン
トすごいですね?﹂
全力で突っ込む私に彼女は大爆笑。椅子から転げ落ちた。
ジャージだからっていいのかなって思う。
︱︱︱︱︱こんなことになったのは、数時間前に遡る︱︱︱︱︱︱
﹁いーちーきーさんはいる?﹂
昼休み、突然やってきた自分を探す声に驚きながらも、私は素直に
自分の所在を証した。
﹁ここに、いますよ﹂
﹁あー、あなたが一樹さんか。初めまして、ボクは高原ヤナギ。2
年。夏休みは満喫できたかな?﹂
﹁え、ええ⋮⋮まぁ⋮⋮﹂
私の手を両手でつかみ、上下に揺らすこの行為は、以前にもされた
感覚がある。
それは何処で、誰にだっただろうか?
﹁と、まぁ世間話はこれくらいにして、本題に入ろう。あなたもま
だ食事中だろうし。あ、ボクは普段からパン食だからもう食べ終わ
っちゃった。今日はあんパンだったんだー﹂
225
入りそうで入らない彼女の要件。聞けるのか若干心配になった。
﹁んーボクはね、メロンパンが好きなんだ。カリカリしたやつ。あ
ーそうそう文化祭、演劇やって﹂
﹁⋮⋮⋮⋮って、はい?﹂
世間話の中に交じった本題に、私は反応が遅れてしまった。
﹁だから、文化祭。あと二ヶ月くらいしたらあるじゃん?その時、
演劇部主催の演劇に出てほしいの。あ、もちろん主役だよ。やった
ね?﹂
﹁いやいやいやいや?無理です無理です無理です?﹂
あんまりにも突拍子な要件に私は首を横に振る。主役だなんて、演
劇なんて小学生の学芸会の木の役程度しかやってない私にとって無
謀だ。馬鹿げてる。
﹁大丈夫、そんな大した役じゃないから﹂
﹁主役ですよね!大役ですよね?!﹂
﹁おお、いい切り返えしだ。やっていけるさ﹂
私の反論を右から左へと笑いながら楽しそうに受け流す彼女に、私
は混乱する。
トドメというように、次の彼女の言葉に私は何も言えなくなった。
﹁あー、そうそう、君のお兄さんにも交渉済みだから。彼は快く引
き受けてもらったよ。兄妹でダブル主演なんてそうそうできるもん
じゃないよ﹂
そして、現在に至る。
あの後、直接来てと彼女に言われた私は言う通りに放課後、体育館
にやって来た。
226
すでに舞台の上に立っていた兄さんに目を向けると、兄さんは困っ
たように笑っていた。
台本を貰い、下手ながらも一通り役をこなす。
︱︱︱︱︱︱なぜか、血の繋がった兄妹のラブストーリーの兄妹と
して。
休憩時間を与えられ、私は兄さんに訊ねる。
﹁兄さん、説明して﹂
﹁説明って言ってもな⋮⋮﹂
舞台の淵に座って足をぶらぶらさせながら兄さんは軽く俯き、言葉
を紡いだ。
﹁突然、高原さんに﹃主役やって﹄って言われた。ソウにも勧めら
れたし、いいかなって。まさか美奈まで連れてくるとは思わなかっ
たけど。﹂
﹁家のこと、舞に頼んじゃった﹂
さなか
﹁しばらくは、ソウ達のとこに泊まろう。役の稽古があるから家の
こと出来なくなるから﹂
私達がこれからのことを話している最中、彼女がやって来た。
﹁あー、話し中悪いけど、あと少ししたら始めるからね﹂
笑顔で、無邪気な笑顔でそう言ってきた。
悪気がない。自分は全く悪くない。
正しいことをしているだけだ。何の罪もない。
悪いのはむしろ、私達だ。︱︱︱︱︱︱違う。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱私だ。
その笑顔が怖い。瞳が、怖い。
ありがちな漆黒の瞳の奥。そこにある、ぬめりとしたモノが私をと
らえる。
夏の名残の暑さがまだあるにもかかわらず、手が震えた。
227
﹁うん⋮⋮わかった。美奈。水飲み、行くぞ﹂
兄さんはそう言うと震えていた私の手を掴み、立ち上がる。
兄さんに連れられ、私は舞台から降り、舞台の前から動かない彼女
から遠ざかる。
それでも震えがやまない。
手から肩に震えが移り、兄さんに気づかれていないことが唯一の救
いだった。
﹁お疲れー。また明日もよろしくね﹂
高原さんはそう言って、私達に背を向ける。暗闇の中に彼女の姿が
だんだんと消え、見えなくなった。
夏休みが終わってから日が落ちるのが急に早くなり、辺りは薄暗い。
まだ部活中の野球部やサッカー部の部員の声が聞こえる。お疲れ様
です。
﹁帰ろう﹂
﹁うん﹂
お互い、体力がもうあんまりないみたい。短いやり取りの後、私た
ちは薄暗い夜道を歩き出す。
街灯の冷たい光が強い。寒く感じるくらい。
私が寒さを紛らわすため兄さんと会話をしようと口を開いたその時
︱︱︱︱︱︱
﹁ふたりともー!おつかれさまー!﹂
木漏れ日のような温かく優しい声。
私達は同時に、若干上を見上げた。
見上げた先にいた笑顔で手を大きく振る、私達の帰りを迎え入れる
奏さん。
228
その声、その笑顔は私の冷めてしまった体を温めてくれるようだっ
た。
抱き着いてしまえたらどんなにいいだろうか。どんなに心地良いだ
ろうか。
どんなに、どんなに︱︱︱︱︱︱。
﹁あ、忘れ物してきた。ソウ、美奈のこと頼んだ。先に帰っていい
から﹂
﹁兄さん?﹂
﹁え?あ!ちょっと!ゆー君!﹂
﹁言っとくけど、妙なことしたらただじゃおかないからな﹂
﹁しないよ!﹂
兄さんは奏さんに私を任せると更に薄暗くなった学路を小走りで遡
っていった。取り残された私と奏さんは顔を見合わせ、奏さんが照
れ臭そうに私に笑いかけてくれた。
﹁あー⋮⋮、ゆー君から妙なことするなって言われたから︱︱︱︱
︱︱﹂
すっと差し出された小指。
﹁これなら、問題ないよね﹂
私達の間で決めた、思いの証。
それがやけに嬉しくて、兄さんがすぐそばにいたのに心細かった思
いが破裂してしまいそうだった。
その思いを必死に隠して私は奏さんの小指に自分の小指を絡ませる。
いつからここにいたのか、少し汗ばんでいる指が今の私にとってす
ごく安心できる。
油断すれば涙が出そうになるのを耐えながら、私は奏さんとすっか
り日が沈んだ夜空を歩く。冷たい街灯が多すぎて、綺麗に瞬く星々
が何も見えない闇が私を見張っているように感じるのを気づかない
ふりをして。
229
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いるんだろ、高原﹂
﹁わー、一樹君。敬称とれてるよ。なんか怖い、お腹痛いの?﹂
﹁そうだな。夕飯食べる時間過ぎてるから、腹減り過ぎて若干腹痛
起こしてる﹂
﹁いやー、申し訳ない。ボクのために、演劇してくれてどうもあり
がと﹂
﹁微塵も思ってないだろ、それ?﹂
﹁そりゃぁ、ね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁君は断る選択も出来たのに、それをしなかった。ボクに当たるの
は八つ当たりなんじゃない?﹂
﹁ほとんど一択だっただろ﹂
﹁まぁねー﹂
﹁⋮⋮俺に何をしようが構わない。妹に何かしたら、承知しない﹂
﹁あはは。しないしない。ボクはただ、君たちに演劇してもらいた
いだけだから。ホントだよ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱︱ホントだよ﹂
230
彼の抱える罪悪感
それは唐突に、俺の日常を守っていた薄い膜に無遠慮に蹴りをヒビ
を入れた。
ホームルーム前の、朝休み時間にそれはやって来た。
﹁いーちーき君はいる?﹂
初めて聞く女子の声に俺はキョトンとしながら自分の席から声がし
た方向に振り向く。あまり親しくなければ印象に残らない顔立ちを
した一人の女子生徒が俺と目が合うと扉近くでちょいちょいと手招
きをした。
最近なかったから忘れてたけど、またお菓子のお布施だろうかと俺
はこの時思っていた。もしも貰ったらまたソウに渡そうと思った。
良心が痛むけれど。
そんな想像を彼女はあっさりと打ち砕く。
﹁演劇出て﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい?﹂
俺と向かい合った彼女は前置きもなしに俺に頼んだ。
﹁だから、演劇出て。あー、ボクは隣のクラスの高原ヤナギ。よろ
しくどうぞー﹂
幾拍の間をあけてから、きょとんとした俺に彼女はもう一度頼み、
自分の身分を明かした。俺は少し混乱しつつも理由を訊ねる。
﹁⋮⋮なんで⋮?﹂
そう訊ねた俺に彼女は満面の笑みを浮かべると俺の耳元に顔を近づ
けた。教室にいた女子達の声高なざわめきとソウの息を飲む息遣い
が聞こえた。
彼女の浮かべた満面の笑み。同年代特有の、誰に対してでも心を許
231
している可憐な花のような笑顔。でも、彼女のそれはどうしてだか
歪で寒気がした。
俺は何もできないまま、彼女の口からでた言葉を直接、鼓膜へと届
かせた。
そして寒気の理由を彼女本人から明かされる。
﹁演劇部部員の女の子、泣かせたバツ。だよ。﹂
呪詛のような、体全体を縛り付ける憎しみの色を内側に隠しきれて
いない嬉しそうな声。
﹁一年生の中村千秋ちゃん。覚えてるでしょ?君が傷つけた、女の
子﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁だんまり、か。取り敢えず覚えてるって思っていいよね。よかっ
た、覚えてなかったらこの場で殴ってたよ﹂
くすりと笑う彼女。
﹁あの子は君のこと好きだったのに、君はあんなことしてホント何
様なのかな?何をしても許されるの?ねぇ、聞いてる?﹂
ようやく俺の耳元から顔を遠ざけ俺と向き合わせると彼女は不思議
そうに首を傾げる。可愛らしく、無邪気で。黒々とした思いを俺以
外の生徒たちに隠して。
﹁難しい役じゃないから、お願い。あ、そうそう。君の妹さんにも
お願いするから驚かないでね﹂
それじゃぁ、と彼女は颯爽と俺に背を向けて去っていった。台風の
後みたいな静けさと荒らしまくったモノの残骸を残したまま、日常
の空気の中へと戻る彼女の後ろ姿が人混みに紛れてすぐに見えなく
なった。
﹁⋮⋮﹂
動けないくらい、縛られた。彼女の言葉に。何も出来なかった。
﹁ゆー君?﹂
232
聞き慣れたソウの声がして、冷えきった体が熱を取り戻したように
俺を迎えに来
可笑しいな、演技は上手い
感じた。スムーズに動けるようになった体を動かし
たソウに笑いかける。
﹁演劇の主役、頼まれた﹂
上手く笑えているか、心配になった。
はずなのに。美奈やソウ、クラスの皆にも鈍感で優しい青年という
高校生に見えるように過ごしていたのに。自分にさえ欺いていたの
に.。顔が引きつっているように感じた。
席に戻る際に、脳裏に浮かんだ一人の少女。
あの時は、泣きそうな顔をしていた。
あの時は、泣き出しながら笑っていた。
泣きながら︱︱︱︱︱︱俺の背中を押してくれた。
はた
中村千秋。一年下の女子生徒。生徒会長の妹。美奈に叩かれ、俺に
・・
酷いことを言われた女の子。
そして、あの事件の本当の真実を知っている、俺以外の人。
233
二つの告白︵前書き︶
数ヵ月前に時間が遡ります。
234
二つの告白
高校生になってお菓子をもらうようになった。
﹁一樹君!これあげる!﹂
こう、出会っては受け取り、出会っては受け取りを繰り返して必然
的に教室の机の上がお菓子の山で埋まった。
最初貰った時は何事かと思った。いや、嘘じゃない。出会い頭にほ
とんど押し付けられるようにお菓子渡されて、そのまま何も言わず
に足早に去って行った女子生徒たち。
取り残された俺は一体手の上に鎮座させられたお菓子たちから何を
察しればいい?
嫌がらせか?呪いか?
とかいろいろ思っていたけれど、次第にお菓子の袋の中からいくつ
かの手紙が入っているようになった。正直、初めからそうしてほし
かった。言いたくないけど訳の分からないものを美奈や舞ちゃんに
食べさせたくはなかったから、ほとんどを俺とソウ、あとは心優し
きクラスメート男子に食べてもらった。
手紙を読んで、万が一、億が一の可能性が当たった時の俺の心境は
複雑なものだった。
﹃一樹君、カッコいいね♪﹄
﹃イケメンだね♪﹄
﹃優しいね♪﹄
こんな、ただの俺への感想。
⋮⋮だからなんなの?
好意を向けられているのは分かってる。それでも、それだからどう
235
したいと手紙には全く書かれていなかった。自分の思っていること
を俺に伝えるだけ。
まるでアンケート用紙の入れ箱。
俺はどうすればいい?どう答えればいい?
彼女たちは俺に何を求めているのか、本当に分からなかった。
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
﹁⋮⋮私、一樹先輩が好きです。つ、付き合てください⋮⋮﹂
高2の春、入学式を終えてからしばらく経った頃、俺は一人の女の
子にそう言われた。
放課後の人気のない校舎裏のゴミ捨て場近くの桜の木の下という、
何とも少女漫画チックな場所で人生2度目の告白に俺は純粋に驚く。
頬を赤らめ、涙ぐんだ瞳で俺を見つめ俺への返答を待つ一人の女の
子。
真剣に、必死に、俺の答えを待ち構える女の子。
けれど、涙で潤んだその瞳の奥は︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱。
﹁⋮⋮君は何で、言いたくないのに言ってしまったんだ?﹂
俺は女の子に答えではなく質問をした。期待していたモノと違って
いた為か、はたまた自分の心の内を見透かされたのに驚いた為か、
女の子は息を飲んだまま動かないで、俺ではなく俺と自分の間にあ
る虚空に目を泳がす。
少女の返答を待つ間、俺は花びらが大分散って寂しくなった桜の木
を見上げた。若葉がまだ芽生えてないピンク色から零れ落ちる欠片
は音もなく地面に落ちる。
﹁⋮⋮だから﹂
236
欠片を四、五枚おちるのを見け終わmった頃に、女の子は思いを吐
露した。
﹁言わないと、いい加減自分が可笑しくなりそうだったから﹂
﹁⋮⋮﹂
女の子の答えに俺は何を言えばいいの分からなかった。
瞳の奥を涙で濡らしている女の子は唇を動かす。
﹁隠してるんですよね、市川先輩の妹さんと両想いだって﹂
﹁!﹂
﹁分かりますよ、だって先輩が好きだから。私や私以外の人達も﹂
突然知らされた、知られたくなかった事実を聞き、今度は俺が息を
飲んだ。
そんな俺を見て、自嘲気味に笑う女の子は続ける。
﹁先輩に気持ちを伝えたい、あわよくば付き合いたいと思ってる人
たくさんいます。それでも今日まで私が今日先輩に告白するまでな
にもなかったのは、皆が先輩の気持ちを知っているから。片思い止
まりでいいと皆健気に、でも強く先輩のこと思ってます。先輩の、
先輩たちの幸せを祈ってます﹂
でも、と女の子は引き攣った笑顔でこう続けた。
﹁もう、私は限界だった。伝えていっそ玉砕してすっきりしたかっ
た。そうじゃなきゃ、思いが破裂しそうだった﹂
今にも泣きだしそうな顔をして、胸を押さえた。
知らなかった。
水面下でこんなことが起こっていたなんて。
改めて思う。お菓子はみんな美味かった。ソウも心優しき男子も美
味いと言いながら笑ってた。
美奈と舞ちゃんにもあげればよかったと思うのはいつも食べ終わっ
た後。
訳が分からないモノじゃなかった。あれは伝えられない気持ちのせ
237
めてもの欠片だった。
アンケートのようなメッセージも思いの悲鳴の欠片だった。
それを俺は何一つ汲み取れないまま、この場で女の子から明かされ
た。
なんて、俺は呆れたやつなんだろう。
そんな思いを知っても俺の思い人は、やっぱり︱︱︱︱︱︱
︵︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱悠輔さん︶
あの可愛らしい、幼馴染だけなんだ。
﹁一目惚れ、なのかな。市川先輩と妹さんたち、特に市川先輩の妹
さんと話してるときの笑顔がすごくキラキラしてました。キラキラ
して、遠目で見ている私でさえ幸せになってしまうほど﹂
俺はゆっくりと首を振った。
﹁俺は⋮⋮そんなにいい人間じゃないよ﹂
﹁そうかもしれませんね。現に多くの人達を困らせてる﹂
﹁目の前に泣きそうな女の子がいるのに、俺は何もしてあげられな
い。慰めの言葉も投げかけられない、同情の目を向けることもでき
ない。俺は⋮⋮、そういう人間なんだよ﹂
﹁それが正しいです。それが⋮⋮私が愛しいと思った先輩です。
慰めないでください、同情しないでください。私に対して、他の皆
に対して、そして市川先輩の妹さんに対してものすごく傷付けるこ
とですから﹂
泣き出しそうな瞳から涙が一筋零れたのと同時に少し強い風が吹い
て、花びらを多く俺と女の子の頭上に降らせた。
その中で女の子は涙を乱暴に制服の袖で拭いながら、俺に提案を持
ちかける。
﹁もしも、もしもまだ私の気持ちを聞いてくれるのなら、まだここ
238
にいてください。
⋮⋮お願いです︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱私を思いっ切り振ってく
ださい﹂
239
偽りの笑顔
﹁恋って⋮⋮難しいですね﹂
部活に入って来たばかりの後輩が言った。まるで何かを悟ったよう
な口ぶりで。
夕焼けになっていない、淡いキラキラとした太陽の光が体育館の窓
から舞台の上に差し込み、舞台の淵に座っているボク達に当たる。
ボクの隣に座る後輩の横顔は、儚くて見とれてしまうほど綺麗だっ
た。
﹁なんで、そう思うの?﹂
ボクがそう聞くと恥ずかしそうに笑いながら後輩は舞台から放り出
していた両脚をパタパタと動かす。
﹁先輩は恋、してますか?﹂
﹁随分と変化球を寄越してきたね、君。恋って難しいんじゃないの
?﹂
﹁だからこそ、先輩の意見が聞きたいですんです﹂
身長が殆ど同じなボク達は幸か不幸か、座高も同じで後輩の期待す
るような瞳がボクの瞳に映りこむ。
ボクは溜め息をつきつつ、素直に正直に答えた。
﹁してないよ、恋なんて﹂
後輩が何か言う前にボクは付け足す。
﹁くだらないなんて思ってないよ。ボクだって恋したことあるし。
ボクの初恋はね、幼稚園のバスの運転手だった人。かっこよくて、
優しかったんだ。まぁ、当たり前だけど卒園したら会わなくなった
ね。それから、サッカークラブの男の子に恋をしたり、一個上の先
輩に恋したり、自分で言うのもなんだけど実のる実らない以前に、
なかなかいい恋をしてきたとボクは思う。それによく言うでしょ、
恋は落ちるものだって。していないじゃなくて、落ちてないだね。
恋に落ちるその人が見つかってないだけ。そこだけ訂正するよ﹂
240
言い終えてから後輩に微笑むと、後輩はがっかりしたような聞けて
良かったような、そんな曖昧な表情でありがとうございますとボク
に頭を下げた。
﹁でどうして、恋が難しいと思うの?﹂
もう一度聞くと後輩は
﹁うーん⋮⋮。説明するの、ちょっと難しいです。えへへ﹂
照れ臭そうに笑った。
あの時は後輩が何を思ってボクに質問したのか分からなかった。分
かろうともしなかった。
はぐらかした。拒絶した。
気づかれたくなかった。
後輩に聞かれたとき、一瞬脳裏に浮かんだ後輩のお兄さん。彼とは
今は別のクラスだけれど、一年のときは同じクラスだった。その時
彼はいつも昼御飯がメロンパンで、将来糖尿病になるんじゃないか
ってクラスみんなで心配していたのはいい思い出だ。
今から少し前、まだ桜の蕾が堅く閉ざされていた頃に彼は生徒会長
になった。高1が生徒会長になれるのかと思うかもしれないけれど、
会長立候補者が彼しかいなかったため選挙は不戦勝、必然的に彼は
会長の座を得た。
始業式の前、桜が散らついていた頃にボクは演劇部の提案書を生徒
会室に届ける任を先輩から授かった。平たく言うとパシられた。
ノックをして同意を得てからせ生徒会室に入る。
﹁何で食べてるの?﹂
呆れながらボクはメロンパンを片手に資料を読む生徒会長に訊ねた。
くぐもった声でうーん、と唸りながら急いで咀嚼しメロンパンを飲
み込んだ生徒会長は口元にパンかすを付けたまま答える。
﹁食べたくなったからね、メロンパン。欲求に負けちゃった﹂
241
﹁飽きないの?﹂
﹁うん、自分でも不思議なんだけど。あ、でも作ってる会社は毎回
違うからそのせいなのかも﹂
﹁メロンパンはどこの会社でもメロンパンだと思う﹂
﹁そんなことないよ﹂
生徒会長はは少しムッとした顔をして持っていたメロンパンを千切
り、私にちらつかせる。
食べろと?
﹁⋮⋮いただきます﹂
少し小腹もすいたし、間接キスなんて演劇部にいて耐性はついてい
た。断る理由もなく、ボクはメロンパンを頬張る。
カリカリとふわふわとした食感と舌が溶けそうなほどの甘さ。それ
から、甘さに隠れた僅かな塩味。塩キャラメルみたいなメロンパン
のようだ。
﹁美味しい?﹂
ボクはメロンパンを口の中に入れたまま黙ってうなずき、そのまま
書類を手渡す。生徒会長は少し渋い顔をしてそれを受け取り目を通
した。
﹁なんか恩を仇で返されたみたい。誰も生徒会長をやりたがらない
理由がよく分かったよ。なにこの過酷労働﹂
そう独り言のように愚痴りながら、生徒会長はまた一口メロンパン
をかじる。
食べかすを書類の上にこぼさないよう丁寧にメロンパンを包んでい
た袋の中に落とす。器用だな、生徒会長。
一通り見終えたのか、書類を机のややプリントが散乱しているプラ
スチック製の箱に入れ、ボクを見て微笑んだ。
﹁はい。活動方針、活動場所了承しました。後はこちらが偉い先生
に書類を通します。お疲れさまでした﹂
その笑顔はホントに嬉しそうで、まるで自分のことかのように心の
底から嬉しそうだった。
242
でもそれはボクにとって、全くいいものには見えない。
ボクは言った。
﹁嘘の笑いはやめてほしい。見てると腹が立つ﹂
ボクの言葉に生徒会長はポカンとした、それでいて息が詰まってし
まったときの表情をした。それを見て、この人はうちの部活に入っ
たら先輩にスパルタ指導されるんだろうなと感慨もなく思った。
生徒会長はしばらくそのままの表情でいて、それから息を浅く吐き
今度は自嘲気味に微笑む。
﹁やっぱり演劇部だから分かるの?﹂
﹁真面目に部活動してますからね。演劇やるんなら観客を騙す演技
をしろっていうのが先輩の口癖﹂
﹁教えを乞いてみたいけど遠慮しとくよ﹂
﹁それは残念﹂
素っ気ない言葉のキャッチボールを受け取ってはすぐ真っ直ぐに投
げ返す。変化球みたいな回りくどい聞き方はしたくない、めんどく
さい。
﹁で、何でそんな笑い方するの?﹂
これは単なる好奇心。自分の気持ちを押し殺して、押し潰している
ような笑い方をする理由が知りたかった。ただそれだけだった。慰
そうかもしれない。でも、ボクにできることなんか、
めようとかそんなこと全く考えてなかった。
薄情だって?
たかが知れてる。聞くだけならタダだ。なんの代償を払う必要なん
かない。
そう思っていたのに、
生徒会長の片目の端から透明の液体が流れたことがボクの胸の奥を
ざわめかせた。
243
﹁話しても、面白くないよ﹂
泣きながら声を出しているから声が震えてしまっている。その声が
ボクの耳に入る頃には微かにしか聞き取れないほど小さいものにな
っていた。
﹁小学生の頃にね、好きな子いじめてたんだ。公園で寂しそうに泣
いていた女の子をホントは慰めたかったんだけど、勇気がなくてち
ょっかいだしてた。
女の子になにもできなかった、なにもしてあげられなかった。だか
ら、生徒会長になったんだ﹂
﹁考えが突飛すぎる﹂
平静を装うボクの突っ込みに生徒会長は苦笑した。こぼれ落ちた涙
を拭いながら、生徒会長は続ける。
﹁そうかもしれない。でも、それ以外に思い付かなかった。償いた
かったんだ、女の子に。弱くごめん、なにもできなくてごめんって﹂
生徒会長が漏らした告白。
聞くんじゃなかったって思った。ボクには何もできないんだから、
告白を聞いたことの代償を払うことが出来ない。慰めなんかじゃ生
徒会長は救われないんだと思った。
だから、ふーんとかそっかとか曖昧な返答、感想しか言えなかった。
同情した。もっと優しい人にその告白を聞いてもらうんだったなっ
て。
ボクは逃げるようにして生徒会長に背を向けて、部屋から出ようと
ノブに手をかける。生徒会長が僕の背中に言った。笑いながら。喉
の奥がぎりっと音を立ててしまうかのような声をして。
﹁君が初めてだよ、嘘の笑い方って言ってきたの。悔しいけどその
通りだよ。あの日から心の底から笑えなくなって、表面上の、他人
が不快に思わないほどの笑しかできなくなった。
でもね、ずっとこのままでいいんだ。慣れちゃったし、僕が自分自
身をまだ許してないし。ごめんね、こんな話聞かせて。
君に話せてよかったよ、ありがとう﹂
244
部屋の外を出て廊下を歩く中、ボクは思う。
恋とはなんて、鋭く尖った釣り針みたいなモノなのか。
245
あの日の解答編︵前書き︶
全ての過去に本当は関わっていた。
246
あの日の解答編
﹁聞いたんだけど、一樹君にこっぴどく振られたんだって?﹂
﹁いやー、あんなのただの演出ですよ﹂
放課後に生徒会長のふざけた放送の後、部活前にボクと後輩はいつ
も通りに舞台の淵で雑談する。回ってきた話から大体のことは分か
っていたけれど、腑に落ちない点が多すぎる。
﹁演出、演出でしたから⋮⋮﹂
だったら何で声が震えているの。だったら何で泣きそうなの。
﹁⋮⋮嘘です、演出じゃないです﹂
﹁素直でよろしい﹂
俯きながら両手で顔を抑える後輩の頭をボクは優しく撫でる。震え
る後輩にボクが出来る唯一のことはちっぽけだ。
後輩は全部話してくれた。
一樹君との計画のこと、一樹君のことが好きな女子達の暗黙の了解
のこと。
今の、自分の心境を。
﹁一樹先輩に思いっ切り振ってもらって、私や私以外の一樹先輩の
ことが好きな人達に一樹先輩の気持ちを知らしめて、吹っ切れたか
ったんです。演技だと、演出だと他の人達にはそう思わせて、分か
る人達には一樹先輩の本当の思いを知ってほしかった。知って、そ
れで一樹先輩を思うことを諦められると私は思ってた。もう叶わな
い恋に苦しまないで済むんだって思ってた。でも⋮⋮、やっぱり駄
目だった﹂
見てるこっちも息苦しくなるほど、堪えながら泣く後輩は頑張って
話てくれた。
全部聞いた。聞いたけど、何を言えばいいか分からない。
同情すればいいのか、一樹君に怒りを向ければいいのか、励ませば
247
いいのか、後輩を馬鹿にすればいいのか。
この抉れた、捩じれた恋愛事情をボクはどう評価すればいいのだろ
う。
どう、結び直せばいいのだろう。
恋とは、鋭く尖った釣り針だ。それに惑う人達はそれにかかった哀
れな魚。
それをどうにかしようとすればする程、苦しくて傷が付いてしまう。
痛いのに、辛いのに、なんで人は恋をするのか、ボクにも分からな
い。
ボクも恋をする人間だから、痛くて辛くても恋をしたことがある。
でも、彼らは傷付き過ぎだ。傷付け合い過ぎだ。それに自覚してい
る人もいれば、それに無自覚な人もいる。
一樹兄妹、市川兄妹、それから中村兄妹。
この三組の中で、他の人達も含んで巻き起こっている恋愛事情。複
雑で、純粋で、抉れてて、皆が皆他人にばかり優しくて、何の関係
のないボクでさえ知っている。だけど、知っているだけだ。
それからしばらくして体育祭が執り行われた。また生徒会長の阿保
発言に生徒一同、先生達でさえ唖然とした表情を顕わにする。一体
何がしたいんだろうな。
午前の部が終わり、下駄箱近くに隣接している自販機でペットボト
ルを買いに行く。小銭を自販機に入れる寸前、誰かの話し声が聞こ
えた。聞き覚えのない声と聞き覚えのある、何処か諦めたような声。
樹になって陰から話の内容を聞く。
彼らの昔のこと、今に至るまでのこと、これからのこと。
今までのことが、全部繋がった気がした。
生徒会長の涙の意味がようやく知れた。一生懸命頑張ってたことを
何も知らずにいた他人のボクが否定しちゃダメだった。
ボクがなにも知らなかっただけで、生徒会長はずっと頑張ってきた。
248
自分の思いを潰して、隠してたやってきた。
それが、少なくともボクにとって間違っていることだとしても。赤
の他人のボクが、当事者でも何でもない彼らの物語のモブキャラポ
ジションのボクが引っ掻き回しちゃいけない。
ただ傍観するだけ。
そう思っていたのに。
ついこの前、生徒会室に用があった。先客がいるらしく話し声がく
ぐもって聞こえた。話が終わったのか、扉が開き、中から一人の女
生徒が出てきた。
キラキラとした瞳で、可愛らしい笑顔で。ボクに目もくれないで、
何かを目指しているようだった。
彼女が過ぎ去るのを見送った後、ボクは生徒会室の扉をノックなし
に無造作にあける。
正直、冷やかしてやろうと思った。告白でもされたのかと。
机に突っ伏していた生徒会長が驚いたように顔を上げ、赤くなって
潤んだ瞳で僕を見上げる。
ボクは生徒会室に持ち込んだメロンパンを封を開けて生徒会長の口
に無理矢理ねじ込んだ。
口の中にやって来た突然の来訪者への驚きとそこ来訪者の甘ったる
い味に喜ぶ生徒会長。普段のときに見ていればボクは怪訝そうに生
徒会長を見るだろうけど、ああよかったなと思う。いつもの生徒会
長だ。
﹁副会長が、持っててくれってボクに頼んだ。新発売なんだとさ。
大丈夫?﹂
﹁あー、そういえば副会長と同じクラスだったね。仲良いんだ﹂
﹁それなりにね。で、大丈夫﹂
﹁うん、メロンパン食べたら元気出たよ。⋮⋮⋮⋮⋮⋮ああ、ごめ
ん。君には嘘はつけないんだった﹂
ははっと諦めたような乾いた笑いをしながら、生徒会長は涙をメロ
249
ンパンの上に零した。ぽたぽたぽたぽた、幾つもの光の粒が柔らか
いパン生地に吸い込まれて消えた。
何時だったかのメロンパンの塩の味をようやく知れた。ボクは黙っ
たまま生徒会長を見下ろす。
ポツリポツリと生徒会長が言葉を口にする。
﹁さっき、一人の女の子がやってきて恋の相談されたんだ。好きな
男の子がそっけなくてどうしたらいいのか分かんなかったみたい。
それで簡単なアドバイスしたら喜んでくれた。ありがとうって言っ
て、くれた﹂
兄妹そろって言葉の後ろが震えていた。
好きだからか、相手に悲しい思いをしてほしくないからか。
言っちゃ悪いけど、くっだらない。
その気持ちはわかる。でもやり過ぎだ。
ふざけるなよ、全員してマゾヒストか。
馬鹿げてるだろ。
いっそ、全部吐き出せ。
という訳で、一石を投じてみようと思った。
250
体育館の倉庫にて
なんやかんやで、一樹君兄妹と生徒会長を舞台下にある倉庫に閉じ
込めた。どうやってやったかは⋮⋮、
聞かない方がいいと思う。
﹁いや、話があるから倉庫に来いって言ったんだよ高原さんが。そ
したらいきなり扉閉めたんだよ﹂
くぐもった生徒会長の声が倉庫の中から聞こえてくる。雰囲気台無
しじゃないか、空気を読みなさい。
扉越しにボクは彼らに呼び掛ける。
﹁言っとくけどこれ、悪ふざけじゃないよ。ボクは本気だ。君たち
が正直になんない限り、ここから出すつもりはない。とりあえず人
間、生理現象に勝てないんだから早めになった方がいいよ﹂
たくさんのマットが置かれた埃臭い倉庫の中は蛍光灯によって鈍く
明るい。私と兄さんは生徒会長さんと対峙するようにマットに座り、
とりあえず溜め息をついた。
﹁埃臭いね、ここ﹂
﹁水が欲しくなるな﹂
﹁はぐしょんっ﹂
生徒会長さんの水っぽいくしゃみが倉庫にこだまする。それが何度
か繰り返し起こり、生徒会長さんの鼻がぐずぐずとなった。
﹁生徒会長さん、ティッシュありますよ﹂
﹁大丈夫僕も持って⋮⋮⋮⋮ざびぐじょんっ﹂
くしゃみを堪えようとしたけれど堪えきれず、可笑しなくしゃみを
出してしまった生徒会長に私はティッシュを差し出した。ものすご
いことになってます、生徒会長さん。
﹁ありがど⋮⋮﹂
251
﹁いえ。⋮⋮あの、高原さんの意図が私には汲み取れないんですが、
生徒会長さんは何かご存知ですか?﹂
﹁あ゛ー⋮⋮まぁ⋮⋮どうがな?﹂
鼻声で言葉を濁す生徒会長さんは私越しに兄さんを見つめ困ったよ
うな顔をした。振り返れば兄さんも困ったような顔をして、生徒会
長さんを眺めていた。
﹁兄さんは、何か知ってるの?﹂
﹁ああ、知ってる。でも、美奈に聞かせたくない﹂
きっぱりという兄さんに私は驚きを隠せず、狼狽える。
どうしようかとあたふたしようとした時、高原さんのくぐもったイ
ラついた声が聞こえた。
﹁おい、男二人して何隠し事してる?﹂
﹁そもそも君には関係ない﹂
淡々と言う兄さんに高原さんは同意した。
﹁ああ、そうだね。赤の他人だ。君たちの物語のモブキャラだ。た
だな、見ているとひどく腹が立つ。傷ついて傷つけて、何で君達は
そんなに自己犠牲主義なの?マゾなの?﹂
﹁マゾって⋮⋮﹂
私の小さな突っ込みが聞こえたのか高原さんは言う。
﹁そういう風にしか見えないよ。特に生徒会長﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だんまりしてるとボクが全部一樹さんに全部教えるよ。しかもボ
クの都合のいいような解釈したことを。いいの?﹂
﹁ダメ﹂
﹁ならさっさと、自分の思ってること、白状しろ﹂
高原さんがめんどくさそうに生徒会長を諭した。めんどくさそうに
はな
聞こえたけれど、なんだか応援しているように聞こえた。
生徒会長は洟をぐずぐずとティッシュに吐き出すと、涙目で私を見
据えた。
重い重い、表情で。
252
﹁一樹さん、嫌な思い出だから君は忘れてしまったんだろうと思う
けど、僕は昔君を、いじめてた張本人なんだ﹂
吐き出された言葉に、ああと思った。やっぱり気のせいじゃなかっ
た。
舞がいい人だねっていたのを素直に肯定できなかった理由がようや
くわかった。
﹁言い訳にしか聞こえないけど、ホントは泣いてる君を慰めたかっ
たんだ。でもやり方が分からなくて、結果的に君をいじめてしまっ
た﹂
自嘲気味に笑う生徒会長さんにようやく私は、生徒会長さんのどこ
か危うい優しさの理由を知る。
﹁ありがとうございます﹂
私がそう伝えると生徒会長さんは少し怯えながら怪訝そうに私を見
つめる。
あのいじめっ子じゃなくなった生徒会長さんはもう私にやなことを
しない。私をいじめたりしない。兄さんを悲しませたりしない。
﹁私、生徒会長さん⋮、あのときの男の子にもう怒ってないですか
ら﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だから生徒会長さんも自分に怒らないでください﹂
私は兄さんに向き直る。兄さんは切なそうな顔をして私を見つめ返
した。
﹁兄さん、ずっと隠しててごめんね﹂
﹁いや、俺は知ってたよ。泣き疲れて眠った美奈をソウが連れてき
たよりもずっと前から。助けられなくて、ごめんな﹂
私は目を伏せ、首を振る。
﹁知らないふりをしてくれて、ありがとう﹂
小さい頃の私たちは、互いを心配して自分自身を殺していた。それ
が正しいことだと本気で思ってた。いや、昔だけじゃない。今もそ
う。隠し事ばかり。
253
きっとこの先もずっとそうなんだと思う。隠して、時期が来たらす
べてを打ち明けるんだと思う。
歪んでるのかもしれない。狂ってるのかもしれない。
それでも、これが私達二人なんだ。
﹁あー、まだあるよね。一樹君﹂
しばらく無言だった高原さんが兄さんに呼び掛けた。兄さんはその
声に反応して扉を睨む。
、覚悟を決めたような声で兄さんは応じ、虚空
﹁私の後輩とした計画、全部全員に詳細に白状しな﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
半ば諦めたような
に視線を送った。
254
少女の提案
﹁私を思いっきり振ってください。大勢の人の前で﹂
﹁どうして、大勢の人の前なの?﹂
﹁不特定多数の一樹先輩ファンに一樹先輩の気持ちを聞くことがで
きる方法はこれぐらいだけだから。大丈夫です。大袈裟に演技する
んで振られた後全校放送で生徒会長が、あれは演技でしたって言え
ば問題ないです﹂
﹁生徒会長がそんなこと言ってくれる?﹂
﹁私のお兄ちゃんですから、生徒会長﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁心配しないでください。きっと上手くいきますよ。これでも演劇
部なんですよ﹂
桜の花びらが中舞い散る中で俺と女の子は計画した。幼馴染みと妹、
思い人に何も相談しないで。
そして来たあの日、俺はようやく女の子の名前を知った。
登校中の大勢の生徒の前で大袈裟に女の子は俺に告白した。インパ
クトはバッチリだ。ソウも美奈も舞ちゃんも何が起こったのか理解
できないといった顔をしていた。
遅刻ギリギリで教室につき、普段通りの授業を受けているとソウか
ら手紙が渡ってきた。
﹃さっきの分かってる?﹄
俺は自嘲した。恋愛が分かっていないふりをしてきたツケだ。心配
してるんだなって思った。俺に好意的な舞ちゃんが傷つくんじゃな
いかって。
﹃大丈夫﹄
それだけを手紙に書きソウへと手紙を送った。大丈夫だ、舞ちゃん
は傷つけない。勿論、ソウも美奈も。
255
俺がこれから傷つけるのはーーーー
計画のプラン通り、女の子が舞ちゃんを侮辱して誰も女の子の弁護
できない空気を作った頃、俺はソウと共に美奈のクラスにやって来
た。さも、騒ぎを聞きつけてやって来たかのように。
本来だったら、舞ちゃんへの侮辱の言葉を聞いて俺が女の子にやり
返す計画だったけれど、その前に、
パンっ
美奈の平手打ちが炸裂していた。今度は俺が驚く番だった。静かに
なった教室で、いち早く冷静を取り戻したのは、叩かれた女の子だ
った。
﹁な、なにするのよ!?﹂
本当に何で叩かれたか分からないと思うような演技だった。驚愕と
怒り。そんな顔で美奈を睨むように見た。
2撃目を繰り出そうとする美奈をソウが止め、俺は女の子と向き合
う。
嬉しそうに俺を見る女の子。本当に嬉しそうな顔をして。舞ちゃん
を侮辱したことに対して罪悪感など感じさせない。
安心、した。これなら思いっきり、傷つけられる。
そう、女の子の優しさにほっとした自分にヘドが出た。
それから後日、俺は女の子と話した。邂逅したあの木の下で。桃色
の花びらは散って、俺と女の子とは正反対に元気一杯に繁る若葉に
少し腹が立った。
﹁成功、ですね。皆納得してくれました﹂
﹁⋮⋮﹂
256
﹁ほっぺたはびっくりしました。でも当然ですよね、あんなこと言
えば誰だって怒ります。これくらいで済んで良かった﹂
掴み掛かられる可能性だってあったんですから、と女の子は明るめ
に頬をさすりながら話す。俺は何も言わないまま女の子の話を聞い
た。
﹁お兄ちゃん、驚いてましたよ。いきなり校内放送してって言われ
て、その後放送部の顧問の先生から怒られたって。
全部、全部、無事に済んで良かった。ありがとうございます、私の
酷い奴だと自
わがままに付き合ってくれて。だから一樹先輩、そんな顔しないで
ください。私は後悔、してませんから﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁して、ません、から⋮⋮﹂
涙声になった女の子の頭に俺は手を乗せ、撫でた。
分でも思った。気持ちに答えてあげられないのに上っ面だけの優し
さを女の子にあげる。
これでごめんね、なんて謝ったら彼女を更に傷つける。
ポロポロと涙を流す女の子にありがとうと伝えた。
﹁これが、あの日の真相だ﹂
兄さんの告白に私は何も言えないでいた。あの日を思い返して、あ
の日の違和感の理由を知った。
何であんなに中村さんが気持ち悪かったのか。
何であんなに私が怒ったのか。
全部演技で作り物だったから。
だから、か。
﹁はぁぁぁぁぁ⋮⋮﹂
私は思いっきり、遠慮なしに、肺がぺたりとへこんでしまうくらい
に溜め息をついた。
そんな私に驚いて告白した兄さんは私に顔を向ける。そんな兄さん
257
に私は本気で掴みかかる。
本気で、胸ぐらを締め上げた。
呆然とする生徒会長さんと兄さんを無視して私は叫んだ。
﹁兄さんの馬鹿!﹂
久し振りに兄さんに馬鹿って言った気がする。もう何年も前なんだ
ろうな、最後に言ったの。こんな小さな子供みたいな言い方で。で
も、これでいい。
八つ当たりみたいな私の主張はホントに小さい子供のものだから。
﹁何で言ってくれなかったの、何で今日まで隠したままだったの。
ずっとそう、汚いこと、辛いこと全部兄さんが背負って私には何も
教えてくれない。兄さんがあの日の本当のこと、話してくれなかっ
た今日まで私は中村さんを嫌な子だと思ってた。高原さんがこんな
。ねぇ!﹂
ことしなきゃ、そんな勘違いのままの私を兄さんはそのままにして
たの
問い掛ける私に兄さんはなにも言わない。
言わないでいい。これは単なる八つ当たり。結論は、答えは、自分
の中にすでにある。
私はただ、自分がなにも知ることができなかったことが憎くて仕方
ない。
教えてもらうんじゃなくて、自分で気づくべきだったのに。
なのに
﹁なんにも知らなくて⋮⋮、ごめんなさい兄さん﹂
家族なのに、兄妹なのに、苦しみを分け会うことが出来なかった。
258
告白の先へ
一樹さんのすすり泣く声が微かに聞こえる。思いっきり怒ってたな
彼女。
一樹君を怒るんじゃなくて、彼女は自分自身に怒ってた。
やっぱり兄妹だから性格の根源は同じなんだ。救いようがない。
思いっきり怒って、思いっきり泣いて、思いっきり笑って。
彼らは素直そのものだ。
素直で、どこか歪んでる。
そんな彼らの好きな、彼らのことが好きな彼らも、素直でどこか歪
んでる。
﹁さぁ、開けようか。皆さん、準備はよろしいか⋮⋮って聞くまで
もないよね﹂
勢いよく開けられた扉から差し込んでくる夏と秋の境目の鋭い光に、
中にいた3人は一瞬、目を細めた。そして、扉の向こうに現れた3
人に目を見開く。
市川君
その妹さん
それから、中村千秋。ボクの後輩
初めて、今回の事の主要人物6人が揃った。
みんな複雑な表情を浮かべているのが分かる。いったい何を言えば
いいのだろう。今此処で、何を言えば。そんな顔。
﹁あー、3人早く出てきてここの鍵返さなくちゃいけないから﹂
沈黙を引き裂くのは、今回の引き金になったなんの関係もなかった
ボクだった。
仕方がなく、今言わなくてもいいことを言ってやった。
素直に彼らは倉庫から出ると外にいた3人と対峙した。
259
﹁ねぇ﹂
口を開いたのは市川君だった。
﹁明日、皆で先生たちに怒られることしない?﹂
具体的な事をわざと隠して市川くんは微笑んだ。
その意味がすぐにわかった一樹君はゆっくりと口角を上げる。半ば
諦めたかのような顔をして。
色んな感情が混ざった笑顔をそれぞれしながら、頷いた。
真意は彼らの中にある。
そのあとの話、正確にいうと次の日に彼らが起こした出来事はボク
に説明できるものじゃない。
ボクから見ればくだらなく、説明するのもめんどくさい極まりない
青臭く甘酸っぱい青少年の主張だった。
今風に言うと、爆発しろの一言で済むと思う。
ボクは彼らじゃないし、彼らの物語には関係のない人間だ。なぜあ
んなことをしたのか本当には理解できない。
ただ分かるのは、彼らが起こした出来事によって様々な人間が彼ら
の物語に関わりだした事。
ああ、こう言うとボク自身もすでに関わっているように聞こえるけ
ど、それは違う。
誰がなんて言おうと絶対違う。
関わるよりも、憧れて羨ましく思うのが傍観者であるボクの性に合
っている。
歪んでいても、真っ直ぐであろうとするあの6人がとても眩しい。
特にボクの後輩、千秋はまだ引きずっているのに一樹君の隣で笑っ
ていた。
それがボクにはとても馬鹿らしく思え、それでいて涙が出そうにな
った。
260
さて、話は変わるが文化祭がそろそろ近い。一樹兄妹の舞台はボク
の嫌がらせというか八つ当たりというかだったから本気ではやる気
はない。
なので、
﹁一樹君と市川君の禁断の︱︱︱︱︱︱﹂
﹁あのそれ本気で勘弁してください﹂
一樹君たちのクラスにやって来たボク。市川君がボクの言葉を遮り
懇願した。礼な人だ。
﹁というか、高校の文化祭演劇に何をしようとしてるんだよ﹂
一樹君が訊ねる。猫が剥がれた彼は無遠慮にボクに突っ込む。今の
彼の方がボクは好感が持てる。
自分の行動、言葉で、何が起こるのかずっと気にしている彼が、後
輩の涙を見た時からずっと嫌いだった。
﹁観客がアッと驚くエンターテイメント﹂
ほんのちょっと友好的にしれっと笑ってみせると、一樹君は露骨に
嫌そうな顔をした。
面白かったので、さらに煽ってみる。
﹁あー、教室の皆さん。アンケートを取りますので賛成の人は拍手
をお願いします。一樹君と市川君の禁断のラブロマンスが見たい人。
はい﹂
ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち
ノリがいいね、さすが高校生。
﹁おい、何で見たいんだよ!何がそんなに面白いんだよ!!﹂
半泣き半ギレで市川君が叫ぶ。近くにいた男子にやるせない気持ち
を爆発させ、怪我しない程度の取っ組み合いを始めた。元気だなー。
﹁なぁ﹂
261
﹁何、演劇やる気になった?﹂
ボクの言葉に嫌そうに首を振り、それから切なげに一樹君はボクを
見る。
その顔も嫌いなんだよ。後悔したようなほっとしたような分かりづ
らい顔。
悲劇のヒロインでも演じる気なんだろうか。だったら文化祭は安泰
だ。だけど今は劇じゃない。現実だ。
﹁言っちゃったもんはしょうがない。今更あれが嘘だったって嘘つ
いても、良いことなんて一つもないんだから。これから出てくるだ
ろう出来事を精一杯どうにかしないとなってだけ頭の隅っこに入れ
ておけばいいんじゃないの? 今は、短い高校生活を心の底から楽
しめばいいんじゃない﹂
ボクの言葉に一樹君は瞳を閉じてそのまま頷く。再び開くと市川君
たちの喧騒に目を向け微笑んだ。ボクも目を向けてみた。
笑い声に似た叫び声が聞こえる。
五月蠅くも楽しげなヤジが聞こえる。
あ、一樹君も参戦した。
楽しそうに嬉しそうに殴り合いを始める男子たちを若干冷めた目で
見て、ボクは一樹君クラスの外に出る。
動き出した彼らの物語はの続きは楽しみでもあり、少し不安でもあ
る。
さぁ、どうなることやら。波乱は次の文化祭で起こりそう。
262
人物紹介その2
一樹悠輔
高校2年 一樹家長男
市川舞と両思いになっていたが、妹と幼馴染のことが心配で言わな
かった。
第一章でその二人に、第三章で全校生徒と先生たちに暴露した。
シスコンの自覚はあり。でも気にしていない。
妹と幼馴染の仲を見守りたいけれど、なんだかんだで邪魔したい今
日この頃。
たまに意地の悪いことをするけれど、舞が心底好き。
一樹美奈
高校1年 一樹家長女
奏に無自覚ながらも思いを寄せていたが、偶然奏が告白される現場
に居合わせた為、擬似的な失恋をした。
第一章で奏とのすれ違いに気付き、第二章で両想いに、第三章で全
校生徒と先生たちに暴露した。
自己犠牲が若干激しい女の子。優しすぎる女の子。家族と幼馴染が
大切。
市川奏
高校2年 市川家長男
愛称はソウ。美奈だけ奏と呼ぶ。﹃ソウ﹄の理由は外伝﹃その名前
を呼んで∼﹄にちょっぴり出ているので良ければどうぞ。
妹と幼馴染の恋路を応援することを理由に美奈に思いを告げること
263
を避けていた。
第一章で美奈に思いを告げ、第二章で両想いになり、第三章で全校
生徒と先生たちに暴露した。
妹と幼馴染の仲を見守りたいけれど、なんだかんだで邪魔したい今
日この頃。
自分から美奈に近付くと平気なのに、美奈から近付かれると一気に
ヘタレと化す。
市川舞
高校1年 市川家長女
一樹悠輔と両思いになっていたが、悠輔からの要望により兄と幼馴
染みにその事を伝えていなかった。
第一章で両思いに、第三章で全校生徒と先生たちに暴露した。
美奈の優しさが少し危うげに思えて、怖くなる。
赤面症だが、最近治まってきた。
引っ込み思案だけれど、自分の意見をしっかり言えるようになって
きた。
中村春樹
高校2年 生徒会長
十年くらい前、一樹美奈を好意の裏返しでいじめていた少年。その
事をいまだに後悔して、償いとして生徒会長になっている。
第二章で彼らと再会し、第三章で一樹美奈にいじめていたことを告
白した。
メロンパンはいまだに大好き。
﹁副会長!メロンパン!﹂
﹁俺はメロンパンじゃねぇ﹂
264
中村千秋
高校1年 演劇部部員
一樹兄に思いを寄せていたが、市川妹と彼が好きあっていることに
気づいていたため告白しないでいようとしたが、結局言ってしまっ
た少女。自分の気持ちを押し隠して誰かを守ろうとする姿は健気で
哀れなもの。
第一章で一樹悠輔に振られ、第三章で真実を全校生徒と先生たちに
暴露した。
高原ヤナギ
高校2年 演劇部部員
じれったい・素直になんない・自己犠牲・な上の6人にブチぎれた、
演劇好きな少女。
父親が劇団に所属しているため幼少のころから演劇に触れ、部活の
厳しい先輩とは父の劇団関係で以前から知り合っていた。
生徒会長の影響でメロンパンが好きになった。生徒会長程ではない。
﹁あんなに毎日食べてたら将来酷いことになるだろ﹂
265
人物紹介その2︵後書き︶
千秋ちゃんを幸せにしたい。
あれでしょうか。彼女をヒロインにしたスピンオフを書くしかない
んでしょうか。
266
文化祭の準備期間
﹁ぶっちゃけ、本番よりも準備してる時の方が楽しいよね。皆でワ
イワイできて﹂
﹁そうだな﹂
少し肌寒くなった頃、毎年行われる文化祭が近くなった。
今回俺たちのクラスは﹃三クラス合同お化け屋敷﹄に決定した。
﹁なんでみんなお化け屋敷やりたがるんだろう?﹂
ソウが聞いた。
﹁文化祭の鉄板だし、なんでもいいんだろ。文化祭、楽しめれば。
休憩所だってなんだって、参加できればなんでもいいんだから﹂
﹁何年か前にも三クラス合同でお化け屋敷やって盛り上がったそう
だから、今回も盛り上がるといいね﹂
﹁大半がカップルだと思うぞ、入る人たち。爆発しろ﹂
﹁⋮⋮というか、何でこのメンバーで同じ作業してんだろう?﹂
ソウがこの中の全員が避けていたコトををようやくツッコんでくれ
た。
俺 ソウ 生徒会長 ぶっ飛び演劇部員
﹁おい、なんでボクの紹介だけ可笑しな形容詞がなんだよ﹂
﹁褒めてるんだよ、いい意味で﹂
俺がそうぼかすと高原ヤナギは面白く無さげに壁に張るポスターの
上に赤いポスカを滑らせる。
何かの陰謀なのか何なのか、あの青春の一ページに一種の黒歴史を
刻んだ四人が同じ場所で同じ作業をしていた。女子が一人っていう
のはどうかと思うんだが。
﹁会長、黒ポスカ頼む﹂
﹁はい﹂
267
﹁ども﹂
﹁ゆー君、心霊写真もどき何処に張る?﹂
﹁この辺りでいいんじゃないか﹂
﹁りょうかーい﹂
無駄話を全くしない俺達四人。他の作業グループの談笑する声が遠
くに聞こえる。
ソウが喋ろうかどうか迷っているのかチラチラと向かいにいる生徒
会長達を見た。
﹁市川君、鬱陶しい﹂
辛辣な高原ヤナギの言葉にソウはあからさまに傷付いたように呻く。
﹁高原さん、酷いよ﹂
﹁ああ、ごめん間違えた。うざい﹂
真顔で悪い方に訂正した高原ヤナギのせいでソウが半泣き状態にな
った。
作業が進まない。
﹁あー、一樹君﹂
ソウを見ていたら向かいにいた生徒会長が俺の隣を指差した。 ﹁そこの黄色のポスカ取ってくれない?﹂
﹁んー、ほら﹂
俺は素直に黄色ポスカを手に取った。
﹁いや、あの、僕に渡してほしいんだけど﹂
﹁なら、そう言えよ﹂
黄色ポスカを素直に生徒会長に渡した。
﹁剛速球で投げないでほしいんだけど?! なんなの、一樹君、な
んなの。僕の事嫌いなの?!﹂
﹁ははは、ナンノコトヤラ﹂
﹁ごまかしが雑すぎるよ!﹂
眉間に向かってきた黄色ポスカを真空白刃取りで受け止めた生徒会
長に、俺は満面の笑みで生徒会長の必死な姿を眺める。
悪意に満ちたじゃれ合いの光景は他の作業班から微笑ましげに見ら
268
れている。止められないから俺は生徒会長のいじりを、高原ヤナギ
はソウへの罵りを続けた。
こんな感じだったけれど、なんだかんだで和気あいあいとして楽し
かった。
269
文化祭の出し物
﹁ぎゃぁぁぁぁああああ﹂
﹁いやぁぁぁぁああああ﹂
﹁うわぁぁぁぁああああ﹂
﹁あ、痛い! 怖いからって殴り掛かんじゃねぇよ﹂
﹁うっさい! ばーかばーか! ばぁぁぁぁぁぁぁぁか!﹂
﹁友人が半狂乱なのでフレンドストップを申請しまーす。係の方、
出口に誘導してくださーい﹂
文化祭当日。
三クラス合同お化け屋敷は大盛況だ。
主催側の俺達は仕掛けのタネやどんな脅かしが出てくるのか分かっ
てるから笑っていられるけど、本気で泣き出してしまう生徒が続出
した。
﹁あー、大丈夫ですよ。みんな作り物だから﹂
急遽、体験者がトラウマにならないようアフターケア班が設立され
るほど。
﹁そういえば、ゆー君。まー達のクラスは何やるか聞いてる?﹂
﹁具体的には。喫茶店としか聞かされてない﹂
﹁こっちもだよ。そんな秘密にしなくてもいいのにね﹂
休憩時間。俺とソウは美奈達が主催する喫茶店に向かって廊下を歩
いていた。事前にもらった文化祭のパンフレットを見ても、喫茶店
のコンセプトは分からない。
こんなんでお客さんは入るんだろうか。
﹁あ、一樹先輩に市川先輩!﹂
270
美奈達の喫茶店のある教室に着いた。閉じられた扉の横に受付の女
の子が俺達を笑顔で迎え入れる。
あの日を境に、俺達四人と中村兄妹は学校中の有名人になった。
最初の頃は空気がざわついて居心地辛かったが、日ごとに楽になっ
ていく。
それとも、恋人ですか?﹂
今ではみんなと友好的な関係を築けている。不思議なことに。
楽しいから、いいけど。
﹁今日は妹さんを見に来たんですか?
﹁両方﹂
﹁どっちも﹂
したり顔で聞いてきた女の子に俺達は笑顔で即答した。
﹁あはは、即答ですか﹂
気分を害した風にせず女の子は笑って注文した飲み物と菓子の引換
券をくれる。
﹁テンション高いね﹂
﹁文化祭ですし、この中に入ったら高くならないとやっていられま
せんもん﹂
若干自棄くそにに笑いながら女の子は扉の向こうに呼び掛ける。
﹁一樹ちゃんと市川ちゃん出してー﹂
﹁はーい。二人とも来てー﹂
﹁わ、私達、裏担当なんだけど﹂
舞ちゃんの上擦った声が閉ざされた扉越しに聞こえた。
﹁お兄さんと彼氏さんが来てくれたんだよー﹂
﹁絶対嫌! あの二人にはこの格好で会いたくない!﹂
美奈の全力の拒絶がちょっと胸に痛い。
いったいどんな格好しているんだろう?
﹁では、おふたりのお帰りでーす﹂
﹁お帰り?﹂
不可思議な言葉に首を傾けるのと、閉ざされていた扉が勢いよく音
を立てて開いたのが同時だった。
271
その先に見えたのは、
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
俺は四人の中でいち早く冷静さを取り戻し、ゆっくりと開かれた扉
を元の場所に滑らせる。
静かに深呼吸をして隣にいたソウと顔を見合わせ、教室の掲示板に
目を向けた。
何で気付かなかったんだろう。
でかでかと装飾された可愛らしい文字列を俺達は茫然と眺めながら
お互いの頬を抓る。全力で。
赤くなった頬をさすりつつ、ソウが受付の女の子に言った。
﹁取り敢えず⋮⋮、TAKE2お願い﹂
﹁かしこまりー。ほら二人とも、観念して仕事してー﹂
軽快な受け答えと共に中にいる二人に女の子は呼び掛ける。
﹁ではTAKE2、どうぞ!﹂
再び勢いよく開かれた扉の向こうにいた二人の姿に俺とソウは、今
度は耐えた。
二人が同じ格好をしていた。
学校の制服ではなく、黒いワンピースの上に真っ白なフリルの付い
たエプロンを着ていた。
頭には同じくフリルの付いたカチューシャが可愛らしく乗せられて
いた。
俺達の前にほぼ無理矢理立たされている二人は同時に、顔を真っ赤
にして今の格好で定番中の定番を俺達に言って見せる。
﹁お、お帰りなさいませ、ご主人様ぁぁぁぁ⋮⋮!﹂
272
言い終えた途端、顔を両手で覆い隠して崩れ落ちる二人を俺達は無
言で見下ろした。
受付の女の子が言っていたことがよく分かる。自棄にならなきゃ、
やってられない。
ソウも考えが同じだったようで、同時に妹の前にしゃがみ込むとそ
の肩にそっと手を乗せた。
﹁お兄ちゃんはそんなカッコ許しませんよ!﹂
もう、ふざけていいと思った。
273
とある女生徒の視点︵前書き︶
受付の女の子の視点。
短めです。
274
とある女生徒の視点
どうも。
こちらは一年生の﹃執事とメイド、素敵なおもてなしはいかがです
?﹄の受付でございます。
様々な執事とメイドがあなたを精一杯おもてなしいたします。
衣装はディスカウントストアと演劇部さんからお借りし、あとは皆
で夜なべしました。ほら見てください。女子の手、絆創膏だらけで
しょう。
かく言う私もそうですが。針、二十回くらい刺しましたね。
オーソドックスな膝下のメイド衣装なのでミニスカメイドが目的の
方は、さっさとお家に帰って素敵な夢
の中で会いに行ってください。
一年生の間でメイド喫茶やら執事喫茶をやりたがったクラスは多く
て倍率も高かったですが、なんとか出店権利を勝ち取ることが出来
ました。やったね!
中等部上がりの人は中学時代は展示だけだったからと、クオリティ
が高くなっていました。くじ引きに使う箱とかピッシリとして綺麗
すぎる。
ちなみに私は外部生です。内部の方々とは仲良しです。
さて、この間の出来事で学校中の有名人になった一樹兄妹と市川兄
妹が我が喫茶店にいます。
お兄さんたちは妹さん︵恋人︶のメイド姿を見て若干精神崩壊して
ます。
正直言って、今の二人はどっちも気持ち悪い。
あれですね、シスコンってこじらせると危ないんですね。
だって、お互い恋人こと褒めようとするとお兄さんから牽制が入る
275
んですよ。何なのこの光景。
ああ、もう。他のお客さんの迷惑になるんでちゃっちゃと空いてる
席に座ってください。
ちなみに写真撮影はご両人と第三者の了解がないといけません。肖
像権とかいろいろあるんですよねー。
なので、一樹さんと市川さんの写真が撮りたい方は、超えられない
壁を死ぬ気で超えてくださいね。
頑張れ!
では、本編スタート。
生温かい目で、四人をご覧いただけると幸いです。
276
とある女生徒の視点︵後書き︶
本文直後
あ、いらっしゃいませ。
一人? 顔赤いよ? 大丈夫? 大丈夫ならいいや。
ご注文はお決まりですか? かしこまりました。お好きな席へどう
ぞ。
って、生温かい目の視線の先にある方にいっちゃった。何であえて
あっちに行ったんだろ?
ま、いっか。お仕事しましょ。
277
喫茶店の攻防戦
ケーキの甘い匂いとコーヒーの苦くて香ばしい匂いが喫茶店の中に
漂っている。
執事とメイドの姿をしたクラスメイトが笑いながら、少し照れなが
ら、あるいは少々不機嫌になりながら、高校生らしい拙い接客をし
ている。
﹁あー、兄さん﹂
﹁なんら、美奈?﹂
﹁いい加減止めてよ、ソウ兄﹂
﹁ゆー君ぎゃ放したら、ほれも放すよ﹂
兄さんと奏さんが頬を引っ張り合いながら、テーブルに置いた二つ
のデジカメに伸ばそうとする手を掴み合っている。かれこれ五分ほ
どこの状態。いい加減ほっぺた、辛いと思うんだけど。
私と舞が兄さんたちの専属スタッフになっている。ホールの人たち
に二人の事を頼んだけど、生温かい目で華麗にあしらわれた。裏方
戻りたい、ホントに。
﹁二人ともコーヒーとケーキ食べたら早く違う所行って。混んでき
ちゃうから﹂
﹁ふぃどいな、みーちゃん。そんなに出てってふぉしいの?﹂
恨めしそうに私を見る奏さん。頬を引っ張られながらのその顔は滑
稽過ぎて、笑えない。
﹁それとこれとは話が違うの。悠輔さんもコーヒー冷めちゃいます
から食べちゃってください﹂
﹁舞ちゃんのひゃしん撮るまで行かない﹂
私と舞は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。メイド姿で色んな
意味で泣きたい。
でも、二人が楽しそうだから、私も嬉しい。
278
迷惑だけど。
in裏方
﹁わー、一樹先輩がいるよ!﹂
﹁ホントだ。今日もカッコいいね!﹂
来客のテーブルとケーキを切り分け皿に乗せる裏方を隔てる薄いカ
ーテンの切れ目から女子たちがあの4人を盗み見ていた。頼むから
仕事をしてくれ。
﹁なぁ、なんで一樹先輩はあんなにモテるんだ?﹂
﹁一種のアイドルだからだろ。手が届かない感が、女子にはたまん
ないんだろうな。前はなんかあったみたいだけど、今じゃ市川にぞ
っこんじゃん。入る隙が全然無い。入れるやつは考えなしの馬鹿か
純粋な馬鹿だと思う﹂
﹁純粋な馬鹿って?﹂
﹁身を引くんじゃなくて、自分も相手方も傷つくのを承知の上で思
いを告げる奴の事。馬鹿でけど、嫌いじゃないよ俺は。そういう奴﹂
軽く笑いながら紙コップに入ったコーヒーに適量の砂糖とミルクを
入れる。
ケーキを皿に切り分ける隣の奴はその手を止め、俺をまじまじと見
つめた。
﹁君って意外とロマンチストなんだね。顔に似合わず﹂
野球部特有の坊主頭のこめかみに軽く青筋を立てながら、俺は爽や
かな笑顔で提案する。
﹁コーヒー、頭から注いでやろうか﹂
飲まれないコーヒーの湯気が少し弱くなってしまった。可哀想に。
﹁あの⋮⋮﹂
そんな、若干遠巻きにされている私たちのところに、少なくとも私
279
には聞き覚えのない声が唐突にやって来た。振り返ってみれば、見
覚えのない男の子が舞の後ろに立っていた。
夏服のワイシャツの袖についた中等部と高等部で色が違う一本の筋
によって、男の子が中等部の子だと分かる。後輩だ。ある程度成長
期を経験したように見えるから三年生だろうか。それにしてはホン
ト見覚えがない。
変わった色をした髪だった。赤みがかかった茶色の髪。染め上げた
ような違和感はなくて、自然な生まれつきの色をしていた。本人の
意思関係なく目立ちそうな髪は噂になりそうなものの、私は聞いた
ことがない。私が高等部に上がった後の転校生なのかもしれない。
﹁は、はい、どうしました?﹂
人見知り且つ、メイド姿での接客は舞にとって十分苦行なのだけれ
ど、仕事だからねとクラスメイトから逃走経路を断たれた為、我慢
して上擦った口調で男の子に訊ねる。舞えらい。頑張ったね。
男の子は舞をじっと見つめ、舞の手を、両手で包むように掴み上げ
ると一歩舞に近付いた。
その拍子に舞は驚いたように男の子を見上げ、男の子は舞を見下ろ
す。
微かに赤らめていた男の子の頬が更に輝いた。
﹁俺、あの、その、市川先輩が、好きです﹂
静まり返った私たちを置き去りにして、周りははしゃぎまわってい
る。
談笑の声。プラスチックのフォークが紙皿に当たる音。コーヒーが
喉下に落ちる音。
さっきまで当たり前だった音がやけに恋しい。
戻ってきて。戻ってきて。
そうじゃなきゃ、これから絶対起きる事を私一人じゃ対処できない。
俺はソウと顔を見合わせた。頬を引っ張られていたソウの真顔は滑
280
稽で笑えたけれど、笑える状況じゃ全くなかった。
示し合わせたように俺達は両手を、頬と手から紙コップとフォーク
を掴むことに変える。無駄な動きをせず、なおかつ味わってコーヒ
ーとケーキを食べる。うん、美味い。
同時に全てを食べ終え、俺達は空になった皿の前で合掌。
そうして、合図したわけでもなくゆっくりと静かにソウと同時に立
ち上がり、席を離れる。
お互い真顔のままで。
舞ちゃんに爆弾発言した年下男子を、俺は首、ソウは腕を軽く拘束
した。
そこから光の速さで男子を喫茶店から連れ出す。
﹁後で写真撮りに来るから!﹂
﹁御馳走様でした!﹂
﹁⋮⋮⋮!?⋮⋮っだっ!﹂
突然の出来事に目を白黒させた男子が目の端に見える。後ろ向きに
連れ去られているから足がもつれて何かにつまずいたのか、小さな
苦痛の声が聞こえた。
俺は、俺達は、男子に労りの言葉も、罵声もかけないまま、廊下を
他の通行人の邪魔にならないように歩き続ける。
思考のさらに向こう側のところで、これからどうしようか考えた。
﹁⋮⋮﹂
風みたいに私の前からいなくなった男の子。
告白されて驚いた。驚きすぎて顔が赤くなるどころか、一気にいい
意味で血の気が引いて冷静になれた。
見たことのない男の子だった。
でも何故だか、何処かであったような気がしてならない。
あの赤い髪。赤い髪の毛先が記憶の奥の方でちらついているように
感じた。
281
誰なんだろう。
﹁舞﹂
ミアの声に反応して私は振り返る。
ミアは目尻を下げ、不安そうな顔をしていた。人見知りな私を心配
してくれてる。優しくて大切な幼馴染。私と悠輔さんのエゴのせい
でこじれてしまったけれど、やっとソウ兄と結ばれた。幸せになっ
てほしい。
﹁私は、大丈夫だよ。心配なのは、あの男の子﹂
私の言葉にミアはほっとしたように笑い、複雑そうに眉をひそめた。
﹁そう、だね﹂
微かに笑う私たちの前に運ばれてきたコーヒーとケーキ。
運んできたメイドに扮したクラスメイトは不思議そうな顔をした。
﹁あれ? ねぇ、赤毛の子、行っちゃったの?﹂
﹁うん、そうみたい﹂
﹁えー、もったいないなー。よーし、二人で食べちゃいなよ﹂
﹁え? それっていいのかな?﹂
﹁お金は払ってもらったし。後で文句言われても居なかったのが悪
いって言えばいいんだよ﹂
﹁結構、無理矢理感が凄いんだけど﹂
﹁いいからいいから﹂
私たちは半ば強引にソウ兄たちが座っていた席に座らされ、出され
たケーキとコーヒーを半分こにして食べた。美味しい。
﹁美味しいね、ミア﹂
﹁うん﹂
メイドが客席でケーキを食べ始める姿は、明らかにこの喫茶店のコ
ンセプトに反していることに気付くのは食べ終わった後のこと。
282
喫茶店の攻防戦︵後書き︶
作者はモブキャラ︵受付の女の子、野球部男子etc︶が好きです。
いつか彼らのスピンオフを書きたいと思っています。
赤毛君、一体何者なんでしょうか︵他人事︶笑
283
ラムネの瓶
広い校庭にも模擬店がある。文化祭定番のたこ焼きや焼きそば、か
き氷やフランクフルト。さまざまな店が並び、煙と匂いが青々とし
た残夏の空に舞い上がっていく。
その広い校庭と校舎の間に土手のような草の生えた坂がある。少し
元気のないのない草が風で小さく揺れて、カサリと音を立てていた。
﹁そぉーれ﹂﹁よぉーと﹂
﹁え、って、ちょ、うあああああ!﹂
校舎を出た俺たちは、引きずって来た年下男子を後ろ向きのまま坂
道に頭から落とす。
受け身を取ろうにも、坂道と重力によって加速した、転がるスピー
ドに男子は耐えられなかったようで為すすべもなく生えていた草を
宙に撒き散らした。ボーリングならストライクの迫力。
﹁ゆー君、後でお金払うから飲み物買ってきてくれない﹂
﹁行ってくるけど、絶対二人で勝手に話進めるなよ﹂
﹁りょうかーい、いってらっしゃーい﹂
ゆー君を見送った後、俺は草で足が滑らないよう慎重に坂を下り、
目を回している年下男子の横に座った。
知らない年下男子。男子にしては少し長い髪が綺麗だと思った。ま
だ幼さが残る顔立ちには少々アンバランスさがあるなと思った。
取り敢えず、殴って起こした。
﹁⋮⋮いっうう﹂
﹁やぁ、ご機嫌いかが?﹂
殴られた頭を押さえながら顔をしかめる男子に俺は笑顔で問いかけ
る。俺の声に反応して男子は片目だけ開けるとすぐに俺をにらみつ
けた。
﹁あんた誰だよ?﹂
﹁先輩に対して、そんな口の利き方していいのかい﹂
284
あくまで丁寧に、俺は男子をたしなめる。部活に所属してないから
普段、先輩後輩の主従関係なんて気にしないんだけど今回は別。
あの日、俺たち兄妹と生徒会長のはる君と妹のあきちゃんは全校生
徒の前、というか上で、自分たちのこと全部暴露した。
俺たちのことを全く知らない生徒たちはキョトンとした顔をしてか
ら興味がなくなるとそのまま下校していた。
それ以外の生徒たちは俺たちを見上げていた。女子生徒が多く、ゆ
ー君の笑顔をじっと見つめて泣きながら笑っていた。あの子、ゆー
君にマフィンをあげた他クラス女子も見上げて泣いていた。
やっぱり泣かせちゃった。
でも、これが俺たちのホントの気持ちだから。もう大事な気持ちに
蓋はしないと決めたから。
だから、絶対譲らない。
﹁知るかよ、いいとこだったのに邪魔しやがって﹂
﹁へぇ、それってさぁ﹂
にーっこり、満面の笑みで年下男子の肩を組むとはっきりと告げる。
﹁大事な妹が告白されたとこ?﹂﹁大事な恋人が告白されたとこ?﹂
俺の口から出て来た言葉に頭上からゆー君の声が被さった。
﹁あ、ゆー君おかえりー。早かったね﹂
見上げるとゆー君が苦笑しながら持って来た三本の青い瓶の内の一
本を、年下男子の頭の上に置いていた。
﹁ただいま。ほら、文化祭と言えばラムネだ﹂
﹁あはは。そんなことないと思うんだけど﹂
﹁君もほら。奢るよ﹂
﹁⋮⋮﹂
頭の上に置いた瓶をぐりぐりと髪に押し付けるも年下男子は何も言
285
わない。
﹁あー、大丈夫? ソウ、この子、息してるか?﹂
﹁完全に現実逃避してる。すっごい公開処刑だったからかな﹂
頭上に置いていた瓶を年下男子の背中に瓶を預けるとゆー君は年下
男子を俺と挟むように座って、瓶の淵に口をつける。からんと中に
入ったビー玉が音を立てた。
﹁んー、うまい!﹂
﹁炭酸、おいしいねー﹂
﹁ソウ、湯呑みみたいに飲むなよ。温くなるぞ﹂
﹁全部持つと冷たいじゃん﹂
間に挟んだ年下男子を完全無視して俺たちは談笑した。坂の下から
吹いてきた微風によって横髪が少し靡いて頬を擽る。
まだ秋は遠い。
﹁⋮⋮あの﹂
﹁あ、やっと喋ったね﹂
﹁ラムネ飲んでいいぞ﹂
ようやく口を開いた年下男子に俺たちは開いた口に彼の分のラムネ
の瓶を押し付けた。一応言っておくけど、これはいじめじゃありま
せん。念の為。
﹁ちょ、や、だ⋮⋮! やめろつってんだろこんちくしょうがぁぁ
ぁぁぁ!﹂
昨今の若者特有のすぐキレるが発動しました。やれやれ、まったく。
﹁何処の世界に、息できないまま炭酸飲料無理矢理飲まされてキレ
ない奴がいんだよ!? ふざけんなよ、喉いってぇん⋮⋮がは⋮⋮
!﹂
むせる年下男子の背中をさするゆー君が俺に目配せる。
真摯な瞳だ。
286
漆黒に映った光の奥にある不安や悲しみが隠しきれていないけれど、
どんな結果になっても覚悟はできている強い瞳だ。
そうだよね、逃げちゃ、ダメだよね。
分かったよ。彼をまーから一旦引き離した理由を、これから彼に聞
き出そう。
287
ビー玉の音
ほりうち りお
年下男子の名前は堀内理央
と言うそうだ。中等部三年生で家庭の
事情により二学期の途中でこの学校に転校してきた。
俺は少し不安気に聞く。
﹁転校の理由は聞いても?﹂
﹁ただの父親の転勤に付き合わされただけですよ。深刻なものじゃ
ないです﹂
先輩だと改めて理解したのか、はたまた自分の思い人の兄とその思
い人の思い人に対する尊敬と牽制の意なのかよく分からないけれど、
堀内君は俺たちに敬語を使い始めた。
﹁多分聞き飽きてると思うんだけど、その髪は生まれつき?﹂
﹁ええ、まあ。ひい祖母ちゃんあたりが外国の血を引いてたらしく
て、俺の代が一番色濃いんだそうです﹂
ソウの問いに堀内君は前髪を触りながら苦笑した。
﹁染めただの、不良だの。いろいろ言われてイライラしましたよ。
一回風紀検査で髪の毛引っ張られてぶちギレかけましたけど。﹃毛
根てめぇみたいに復活しなかったらどうすんだ﹄って﹂
﹁あー、災難だったね。わざと地雷を踏み抜いて行こうとするくら
い﹂
﹁お兄さんはなかったんですか?﹂
﹁君にお兄さんと言われる筋合いはない!﹂
﹁いきなり怒るなよ、ソウ﹂
唐突に声を荒上げたソウに俺は少し呆れる。言いたかっただけなん
だよなと思った。
﹁いや、言ってみたかっただけだから﹂
ほら見ろ。堀内君ラムネ落としかけたぞ。かわいそうに。
﹁そうだねー、ああ、あったよ。ねぇ、ゆー君﹂
ソウが少し伸びた茶色の横髪を指に絡めながら忌々しげに俺に振る。
288
﹁あったか?﹂
﹁ほら、あのクルクル。覚えてるでしょ﹂
その単語に俺は嫌味なほどにクルクルした眉毛の人物を思い出した。
﹁あー、あれね﹂
﹁クルクル?﹂
堀内君が不思議そうに呟くとソウは少し眉をひそめた。
﹁中ニの頃だったかなぁ。俺の茶髪に因縁つけた新任の熱血教師が
いてね。俺だけならまだいいんだけど、まーにまで因縁つけやがっ
て。教師じゃ絶対言わない言葉使ってまーのこと傷付けた。そのあ
とすぐに地方の学校に飛ばされたんだけどね、そいつ﹂
﹁ちなみに、それ俺のせいなんだよね﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
俺の言葉に堀内君はキョトンとした顔をしてから怪訝そうに俺を見
る。
﹁父さんから貰った、古いICレコーダーであれの暴言録音して匿
名で教育委員会に送っといた﹂
﹁それ聞いて俺たち戦慄が走ったよ。ゆー君怖ーい、って。という
か、なんでやった本人忘れてるの﹂
ソウのあきれたような物言いに俺は露骨に顔をしかめた。
﹁あれのことホント大っ嫌いだったから記憶から抹消してた、しか
たないだろ。
うーん、詳細を話すとソウが因縁つけられたあと、ちょっと職員室
に用事あって行ったんだ。そしたらあれが俺に話し掛けて。ソウと
舞ちゃんに関わるなとか勝手なこと言いやがった。どこで聞いたか
知らないけど俺たちの両親どっちも家にいない事嘆くわ、両親たち
が薄情だ、無関心だ、うんたらかんたら。⋮⋮あのくそ野郎﹂
握っているラムネの瓶の中に入ったビー玉がカラカラと音を出して、
当時の怒りを小さく再現した。
289
﹁⋮⋮すげぇ﹂
感心と畏怖を込めて堀内君は顔を引き攣りつつ、言葉を漏らす。
俺は息を大きく吸い、溜まってた嫌な気分と共に大きく吐き出した。
ちょっとすっきりした。
﹁さて、大事なことを聞こうか。
舞ちゃんの、どこが好きになった?﹂
﹁⋮⋮言わなくちゃ、だめですか?﹂
﹁当然﹂﹁拒否権なし﹂
俺たちの有無を言わせない笑顔に堀内君はげんなりしながら、残り
少なくなっていたラムネを一気に飲み干して、堀内君は頬を赤らめ
る。
空になったラムネの瓶の中のなったビー玉の音が堀内君の開始の合
図。
290
初日の職員室
﹁君の髪、染めてるの?﹂
生まれてこの方、何回言われたんだろうか。
幼稚園の頃、お人形さんみたいだと女子が群がって俺の髪をいじく
り回して遊んだ。そのせいで男子勢から仲間はずれにされたことも
よくあった。
小学校の頃、高学年に上がれば上がるほど因縁をつけられることが
多くなった。定番の体育館裏だとか校舎裏だとかに連れて行かれて
痛めつけられた。だんだん喧嘩に慣れてきて、やり返してのしてや
った。
前にいた中学校の頃、俗に言う中二病がひどかった。とりあえず家
族以外全部敵だと思ってた。吹っかけられた喧嘩は全部した。
髪の色のせいで生徒指導の教師からあーだこーだ言われたけれど、
授業は真面目に受けてたから他の教師からは特に何も言われなかっ
た。
父親は単身赴任が多いせいで家にあんまりいない。基本的父親は放
任主義だ。ここまでくれば俺がグレて補導されたりするのが王道な
んだろうけれど、とりあえず帰ってくるときには土産買ってくるか
ら良しとしようと自己完結した。
黒染めにすればいい話なんだけど、ばあちゃんっ子だった母親が俺
の髪を見て嬉しそうな顔をするからあまりそそらない。あと定期的
に染めるのもめんどくさいし、染髪剤の臭いが気に入らないのもあ
る。
ただの明るい赤茶なだけの色。いい思い出よりも悪い思い出のほう
が多い色。
そんな色が俺をあの人に引き合わせた。
291
﹁ああ、君ね。生徒指導の先生に赤毛申請出しといて﹂
﹁どうもっす﹂
﹁よろしくー﹂
随分あっさりとした担任教師に拍子抜けした。
もっと何か、遠回しな嫌味や皮肉を聞かされるのかと思ってた。
﹃不良なのか﹄
﹃染めなさい﹄
思い出しただけで腹が立つ。
﹁あ、生徒指導の教師の名前、聞くの忘れた﹂
気付いてやってくる感覚。だるい、くそめんどくさい。ああ、ちく
しょう。
肩を盛大に落とし、担任教師に聞こうと脚の向きを変えた瞬間、胸
に衝撃を感じて、少し遅れて耳に散らばる音を拾った。
﹁え﹂
何が起きたかすぐには分からなくて、間の抜けた声を出してしまっ
た。
うわなんだこれ。俺きもい。
﹁え、あ、うわっ、大事なプリントが!﹂
俺以上に間抜けな女子の声が足元から聞こえ、俺は反射的に見下ろ
す。
つむじを作る、明るい茶色の髪が見えた。
綺麗な茶色だと思った。今まで見てきたどの茶髪よりも綺麗で、触
ったらいけないような気がした。
慌てて散らばったプリントを集める女子を手伝い、集めたプリント
を整えてから女子の前に差し出す。
目の前に現れたプリントの束に女子は顔を上げ、初めて俺の存在に
気付いたような顔をした。
﹁あ⋮⋮ありがとう、ございます。⋮⋮すみません、ぶつかって﹂
﹁いや、俺の方こそ⋮⋮、すんません﹂
292
よく見たら女子は高等部の制服を着ていたから、一応敬語使ってみ
た。
顔は普通に可愛らしいと思った。茶髪がよく似合ってる。
几帳面にとんとんとプリントの端と端をそろえて、また俺に礼を言
った。今度はお辞儀付きで。
﹁本当に、ありがとうございました。ご迷惑おかけしました﹂
ふわふわとした横髪が音を立てずに顔を滑った。
﹁いや、そんな謝んないんでいいんで。あー、中等部の生徒指導の
教師って知ってます?﹂
俺が訊ねると女子はえーっと、とプリントの束を抱え込むと辺りを
見回しはじめ、ある一点に視線を定める。
﹁確か、あの先生が中等部男子の生徒指導の先生だったと思います﹂
﹁どもっす﹂
﹁怖い先生じゃないですから、安心してくださいね﹂
笑った顔も可愛らしくて、微かに揺れた茶髪が可愛さをさらに助長
させた。
﹁顔見知りなんすか﹂
﹁私、中等部からこの学校に入学してますから﹂
﹁やっぱりその髪で、ですか﹂
﹁ええ、まあ﹂
若干言葉を濁した女子に俺は深く追求しなかった。髪の毛の色でい
ろいろ言われたのは俺も同じだし。
﹁あの﹂
女子が俺の髪を見て一言。たった一言だけ呟いた。
﹁綺麗な、髪ですね﹂
恋に落ちる音がした。
293
告白の再開
﹁待って。ほとんど髪の毛のことしか言ってなかった気がするんだ
けど﹂
﹁そうだな。八割五分くらいだな﹂
ソウに同意すると堀内君は顔を真っ赤にした。
﹁言ってないっすよ! 何が悲しくて髪フェチ話するんですか! 俺どんだけですか?﹂
﹁騒ぐと血管キレるぞー。というか、展開早くない?﹂
俺が訊ねると堀内君はうぐっと顔を引き攣らせつつ、ぼそぼそと答
えはじめる。
﹁初めてなんですよ。家族以外で髪のこと、褒めてもらったの。先
入観とか社交辞令とかそんなの関係なしに言ってくれた。そんだけ
で、⋮⋮いいんです﹂
素直に言ってくれた堀内君。普通にいい子だ。
理由はどうあれ、舞ちゃんにいい意味で好意を抱いているのは確か
だ。
・・
それが分かれば、もういい。
あとは、彼女次第だ。
﹁じゃぁ、戻ろうか﹂
﹁はい?﹂
﹁そうだね、まーたちのメイド写真撮らなきゃ﹂
﹁あー⋮⋮﹂
俺は逡巡して提案した。
﹁よし、四人で撮ろう﹂
﹁⋮⋮乗った﹂
嫌そうに、それでいてしょうがないなというようにソウは承諾した。
﹁どんだけ自分の妹とられたくないんすか。っていうか、戻るって
294
⋮⋮﹂
理由は思いつきつつも、あえて言わない堀内君に俺は微笑んだ。
﹁舞ちゃんのとこ。もう一回告白しに戻ろ﹂
﹁⋮⋮ですよねー﹂
げんなりしつつ、堀内君は諦めた顔をした。
溜め息をラムネの瓶の淵に吹きかけ、ぶおーと低く鈍い音が俺の耳
にも届いた。
最後の抵抗、気持ちの整理、そのための時間。とても長い時間に思
えた。
溜息を吐き終えた堀内君はどっこいしょと声が聞こえるような立ち
上がり方をして、座ったままの俺たちを見下ろす。
﹁行くんでしょ、先輩方。見せてやりますよ、俺の本気をね﹂
不敵な笑顔だった。それでいて、似ていた。
あの、桜の下の笑顔に。
295
変わらない目︵前書き︶
少し前の話。
296
変わらない目
﹁詩織伯母さん、ただいま﹂
﹁おかえりなさい、悠輔くん﹂
﹁美奈はまだなの?﹂
﹁そうよ、まだなの﹂
﹁そう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮大丈夫よ、そんなに心配しなくてもすぐに帰ってくるわ﹂
﹁分かってるよ⋮⋮﹂
西島詩織。旧姓、一樹詩織。俺と美奈の父さん、大輔の姉、つまり
俺たちの伯母にあたる人。
伯母さんはいい人だ。俺たちの家から少し離れた町にすんでいるの
に、週四くらい俺たちの面倒をみに、ここに来ている。
専業主婦だけど、自分の家のこともあるのにも関わらずだ。
迷惑をかけたくなかった。
だからこそ、俺も、美奈も、ソウが引っ越してくる前のことを彼女
に相談しなかった。
ソウが引っ越してきてから数年後。美奈と舞ちゃんの中学受験が終
わった冬にお役御免と言った感じで、詩織伯母さんは俺たちの家に
来なくなった。寂しさはあった、でもそれ以上に詩織伯母さんへの
感謝が大きく、ありがとうございましたと最後の日に俺たちは頭を
下げた。その日以来、詩織おばさんに会っていなかった。訪ねよう
と思えばすぐに訪ねられるから、そうしなかった。
そして、今年の文化祭前。しばらく前から入院中の詩織伯母さんの
お見舞いにやって来た。
重い病気ではないらしかったから、あまり心配していなかったけれ
297
どベッドに横になっている詩織伯母さんを見てやっぱり心配になっ
た。
本が読みやすいように頭の部分を高くした状態で詩織伯母さんは俺
たちを迎え入れた。
﹁久しぶりね。ソウ君たちも来てくれたの。嬉しいわ﹂
読んでいた本に栞を挟むとベッドの近くの棚に置いて、俺たちに笑
いかける。
数年しか会わなかっただけなのに、詩織伯母さんは随分痩せていた。
手首に骨が浮かび上がって見える。健康的だった肌も色白に変わっ
て、体温が低そうに思えた。
﹁御無沙汰してます。詩織さん﹂
めい
﹁こんにちは。詩織さん。お加減はどうですか﹂
﹁こんにちは。ふふ、鳴さんも同じこと聞いてきたわ。元気よ。も
うすぐ退院だもの﹂
桃瀬鳴。旧姓、日向鳴。ソウと舞ちゃんの母親の妹、つまり、ソウ
たちの叔母に当たる人。
一風変わった保護者同士、鳴さんと詩織伯母さんはすぐに意気投合
して、昼空の下、愚痴りあったりしていた。
﹁皆大きくなったわねー。ソウ君が悠輔君より背が高いなんてホン
トびっくりしちゃった﹂
﹁俺もびっくりしましたよ。まさかソウに身長超されるなんて﹂
﹁えー、ひどいなー﹂
﹁私も伸びたんですよ﹂
﹁うん、そうね。美奈ちゃんが舞ちゃんより背が高くなるのはなん
となーく想像してたから、あんまりびっくりしてないわ﹂
﹁それ、ひどいですよ、詩織さん﹂
そんな他愛もない、温かで柔らかい話の最中、あっと詩織伯母さん
が声を上げる。
298
﹁そうだ。皆、一階の自販機で飲み物買っておいで。奢ってあげる
わ﹂
ソウに千円札を握りしめさせると、俺たちは若干困惑しながらご厚
意に甘えることにした。
俺を除いて。
﹁あ、悠輔君はここにいて伯母さんとお話しましょ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
数秒の逡巡ののち、俺は頷いた。
﹁ソウ、俺ウーロン茶が良い﹂
﹁はいはーい﹂
ソウが美奈と舞ちゃんを連れて病室を出て行ったあと、俺は詩織伯
母さんと対峙するように椅子に座った。
﹁ごめんね。ここの部屋椅子があんまりなくて。皆お互いのこと気
にして座ろうとしなかったから。疲れちゃったでしょ﹂
﹁いいえ、そんなことありません﹂
﹁そう? なら、良いんだけど﹂
くすりと詩織伯母さんが微笑む。目を細めても伝わってっくる詩織
伯母さんの思いに俺は少しいたたまれなくなる。
昔から、俺は詩織伯母さんの目に弱い。
美奈やソウと些細な喧嘩をしたとき、仲直りできずにわだかまって
た俺たちに、きっかけをくれたときの目。
自分が悪いって分かっているのに素直になれない俺たちの背中を押
してくれた目。
燻っている思いを、不安を、吐き出させてくれる、目。
﹁俺たち、付き合うことになりました﹂
﹁うん﹂
﹁⋮⋮驚かないんですか?﹂
﹁実はもう知ってたの。夏休みのとき大輔から電話貰って。あの子、
299
自分のことみたいに喜んでて。そのあたりが悠輔君と違って子供な
のよね﹂
﹁⋮⋮子供ですよ、俺は﹂
﹁どうして、そう思うの?﹂
不思議がっているのに、その答えを詩織伯母さんはもう知っている。
ああ、こうやって外堀を埋めてから俺の本音を自発的に吐き出させ
るんだ。
優しい声で、優しくてそれでいて凛とした目で。
﹁後悔はしてない筈なのに、俺の勝手なわがままのせいで誰かが傷
ついたのが辛い。誰かに言われなきゃ大事なことに気付けなかった。
気付いてたのに、自分の自己満足で気付かないふりもしてた。最近
いろんなことがあって頭の中も、心の中もぐちゃぐちゃしてる。整
理が、出来ないんです﹂
﹁うん﹂
﹁あの時のことだって、他にも選択肢があったんじゃないかって︱
︱︱︱︱︱︱﹂
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
あの時のこと。美奈がいじめられてた時のこと。
何も言ってない。何も言っちゃいけない。言っちゃいけないはずな
のに。
﹁知ってたわよ﹂
詩織伯母さんは白いベッドの上で懐かしげ目を閉じて再び、開く。
真っ直ぐに、間の抜けた顔をした俺を見つめてくれた。
﹁美奈ちゃんがいじめられてること、私は知っていたわ。知ってた
けど、私は何も言わなかった﹂
﹁⋮⋮どうして﹂
﹁悠輔君は言ってほしかった?﹂
﹁⋮⋮﹂
俺は無言で首を横に振った。
あれは、俺たち以外踏み込んでほしくなかった。
300
少なくとも、当時の俺はそう思っていた。
﹁言い訳のようだけど。本当はね、すぐにでも助けたかったんだけ
ど、泥だらけで帰ってきた美奈ちゃんの背中を、辛そうに見ながら
手を握り締めてた悠輔君に私は何も言えなかったの。この子は悔し
いんだって思って、そう思って見守ることにしたの。その選択が間
違ってたかどうかは今でもわからないわ。でも、後悔はしてないの。
それが正しい事だとその時は思ったんだから﹂
でも、それは子供染みた考えで、俺の独りよがりだった。
大事な妹を助けるためなら見栄なんか、遠慮なんかしないで大人に
頼ればよかった。
﹁悠輔君、手、痛いわよ﹂
詩織伯母さんが膝の上に置いてあった俺の手に触れる。
知らず知らずのうちに爪が掌に食い込むほど手を握り締めていたこ
とに俺はぼんやりと驚いた。
﹁悠輔君が何に悩んでいるのか、私にはよくわからないけど、いい
じゃない、後悔したって。だってその時はそれが正解だって思って
たんだから。でもねほら、言うじゃない。後悔先に立たずって。い
つまでも引きずってちゃ、心の底から笑えないわ。そうね、悠輔君
もまだまだ子供ね。優しくて、ちょっといじっぱりな私の大切な甥
っ子﹂
手に置かれた手が頭上へと移動し、そのまま撫でられる。
詩織伯母さんの手は温かかった。昔と何ら変わらない、温かで優し
い手だった。
思わず泣き出しそうになる。
﹁悠輔君は、もっと自分に自信を持っていいと思うの。子供なんだ
から、もっと人に甘えていいと思うの。もっと人を頼っていいと思
うの。大事な人に頼ってもらえないのは、とっても寂しいことだわ。
そうよね、三人とも﹂
詩織伯母さんの視線が扉に向かったのを見て、俺は振り返る。
301
美奈、ソウ、舞ちゃん。俺の大事な人たち。
﹁詩織伯母さん。兄さんのそれ、きっと治りませんよ﹂
美奈がため息交じりに呟いた。
﹁そうだよねー。昔から今も変わらない。この先もきっとゆー君は、
俺たちを置いて一人で突っ走っちゃうだろうね﹂
ソウもそれに便乗する。
﹁もう置いていかれるのは嫌だから、その時は三人で追いかけて怒
りに行きますからね。ぐーパンチです﹂
舞ちゃんにしては物騒な表現で意志を聞かされる。
それから三人とも付け足して。
﹁全部終わる前に私は気づいてあげる﹂
﹁背中は貸してあげるから、いつでもおいで﹂
﹁だからもう、一人でどこかに行かないで﹂
両親が突然いなくなってから、俺は大事なものを失うのが怖かった。
大事なものは守らなくちゃいけないと、知らず知らずのうちに勝手
に一人で抱え込んでた。
ずっと前から知られていた。ずっと前から守られていた。
そのことにようやく気づけて、余分な肩の荷が降りた。
降りた分、栓をされていた、溜め込んでいた思いが流れ出してくる。
泣き出してしまった俺を優しく宥めるのは、大事で、大好きで、俺
のことが大事で、大好きな人たち。
守るから、守ってください。
ずっと、そばにいてください。
﹁あ、ということは。将来的にソウ君と舞ちゃんも私の甥っ子と姪
っ子になるのね。楽しみだわ﹂
伯母さんの若干の空気を読まない発言に、俺とソウが笑いながら頬
302
のつねりあいををしたのはまた別の話。
303
分かりきった告白
﹁本日の文化祭はこれにて終了します。ご来場の皆様、誠にありが
とうございます。二日目もどうぞお越しください﹂
気づけばもう、太陽が西に下がりつつある。スピーカーから流れ出
るアナウンスを意識の遠くで聞きながら俺は先輩たちと先輩がいる
であろう教室に向かう。
⋮⋮ややこしいから、個人名をつけてもう一度。
俺は悠輔先輩と奏先輩と一緒に舞先輩がいるであろう教室に向かっ
ている。よしこれなら分かりやすい。
無言のままで、醸し出されているなんとも言えない空気が正直辛い。
重いような、飲まれるような、そんな空気。
それでいて悠輔先輩から感じる威圧感。
尖ってる刃物ではなく、例えるならまるで丸くて滑る溶けかけの氷。
微かに感じるそれを認知出来た俺は、出しかけたため息を飲み込ん
で訊ねる。
﹁あの、ホントにやんなきゃ、だめですか?﹂
﹁もちろん﹂
﹁漢を見せろ、後輩君﹂
振り向かなくても、先輩たちの満面の笑みが容易に想像できた。ち
くしょー。
しばらく歩けば、舞先輩が主催している喫茶店前に辿り着く。店仕
舞いのため、ゴミ袋を担いだ男子生徒や売り上げの確認をしている
女子がちらほら見える。
その中に一際目立つ淡い茶色の髪の女子が綺麗な長い黒髪の女子と
仲良さげに笑っていた。
可愛らしくて、柔らかそうで、これから自分がしようとすることに
足がすくみそうになる。
﹁⋮⋮せめて、連れ出していいですか﹂
304
﹁うーん⋮⋮。いいよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁なら俺が⋮⋮。あ、向こうが気づいた﹂
舞先輩と、⋮⋮えーっと確か一樹︵妹︶先輩が一緒に俺たちの前に
やって来た。
﹁兄さん、おかえり﹂
﹁ただいま。服着替えたんだな﹂
見慣れた制服になっている二人に悠輔先輩はあからさまに残念そう
な声を出した。
﹁終わってすぐ着替えたよ。あんな格好ずっと着てたくないもん﹂
﹁似合ってたのに、残念﹂
﹁面白いのは見てる人たちだけ!﹂
奏先輩が口を尖らせたのを舞先輩がぷんすかと音を立てて怒る。
俺一人、蚊帳の外。
四人にすごく近いのに、すごく遠い。
ずるい。ずるいな。
ホントにずるくて、羨ましい。
﹁舞先輩!﹂
﹁へ!? あ! はい!!﹂
団欒の中に響いた、異物でしかない俺の呼び声に動じながらも舞先
輩は返事をしてくれた。
﹁ちょっと来て!﹂
﹁えって、きゃ!﹂
舞先輩の手を掴むと俺は逃げるように走り出す。
居心地辛い。入り込める隙が全くない。腹が立って仕方がない。
分かってる、勝てないこと位わかってる。
それでも、言いたい。
いっそ突きつけられた方がすっきりする。
305
ある程度、他の三人から離れた場所で俺は舞先輩の手を放し、向き
合う。
﹁あの、確か前に職員室であった人ですよね?﹂
﹁⋮⋮はい。覚えてたんですか?﹂
﹁実を言うと、⋮⋮忘れてました。ついさっき思い出しました﹂
苦笑する舞先輩は首を傾げる。
﹁あの、私名前、言いましたっけ?﹂
﹁ついこの前、全校生徒の前で名乗ってたじゃないですか﹂
あの出来事を思い出したのか、舞先輩は今度は赤面し出した。耳ま
で真っ赤。
恥ずかしそうな、照れくさそうな、可愛い顔。
思い出してくれた嬉しさ半分、これから自分が言うことの寂しさ半
分。
その気持ちを馴染ませて、もう一度俺は伝える。
﹁俺、舞先輩が、好きです﹂
息を飲み込んだ音がして、それからゆっくり俺が想像していた通り
の言葉を優しげに伝えてくれた。
﹁ありがとうございます。とっても嬉しいです。
でも、ごめんなさい﹂
続けられるであろうセリフを俺は奪い取る。
﹁悠輔先輩が好きだから﹂
泣き出しそうになるのを必死で隠して、俺は平静を装った。
これ以上真っ赤になったら医者を呼ぼうと思う程、舞先輩の顔が染
め上がる。
﹁分かってましたよ、ちゃんと。始めっから。俺なんか敵わないっ
てことくらい。それで
も言いたかった。馬鹿なんですよ、俺は﹂
ため息を吐いて、俺は笑う。
306
﹁俺、傷ついてませんから。先輩も傷つかないでください。﹂
﹁⋮⋮﹂
素直に頷いてくれた舞先輩の肩はどうしてだか、震えていた。
震えて、潤んだ茶色の瞳からこぼれ落ちる雫に俺は心底驚く。
﹁え、て、ちょっ。なんで泣いてるんですか!?﹂
﹁泣いてません﹂、
﹁いや、泣いて⋮⋮﹂
﹁泣いてませんから﹂
ぽろぽろと流れ出てくるものを舞先輩はぬぐったりせずに強情に否
定する。
まっすぐに俺を見つめてくれている。
ぼんやり見えているであろう俺の顔は現実ではきっとものすごく見
せられるものじゃない。
断られたことが悲しくて、多分俺のために泣いてくれていることが
嬉しくて。
ひきつった笑みを浮かべている。
その笑顔を気づかれる前にここでもう、姿を消してしまおう。
ただ最後に、廊下の曲がり角の影からこっちを見ている、この人の
兄やら幼馴染みやら思い人やらから殴られるの覚悟で、自分が勝手
に諌めていたことを破ってから。
﹁え⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
くぐもった舞先輩の声が俺の肩の辺りから聞こえる。
もっと背が高かったらな、としばらく舞先輩の髪を指先や頬で感じ
ながらぼんやり思った。
思った通り、舞先輩の髪はふわふわと柔らかくて、ついでに甘くて
いい匂いがした。
例えるなら、綿あめ。力を籠めれば簡単に千切れてしまいそうだ。
そうしたくなる衝動は物凄い顔をしてこっちに向かってくる奏先輩
307
とその後ろを追いかける一樹︵妹︶先輩によって食い止められた。
ありがとうございます。これ以上は俺ももたない。
﹁じゃぁ、これで。ああ、それと︱︱︱︱︱︱﹂
触れていたかった温もりを自ら手放して、俺はそのまま走り出す。
308
逃走者の追跡
私は赤毛の男の子の後を追う奏さんを追っている。
女子の私は当然ながら、だんだんと遠くなる奏さんの背中を若干諦
めつつ、それでも後を追う。
でも、流石に限界がきて両膝に手をつき、肩で息をする。
﹁はっや⋮⋮﹂
立ち止まれば、小さくなる慌ただしい足音。
そしてすぐに、鳴り止み、小さな衝撃を聞いた。
﹁うわっ!﹂
﹁うきゃぁ!﹂
二つの悲鳴と共に。
声の後を辿り、廊下の曲がり角を曲がってみると奏さんと彼女が向
かい合わせに尻餅をついていた。
私は二人の名前を呼び、安否を確かめる。
﹁奏さん、千秋、二人とも平気?﹂
中村千秋。私と舞と同じ高校一年生の女の子。
体育祭が始まる前、兄さんに告白して、私に叩かれた、ちょっと波
乱万丈な女の子。
ついこの前の一件でぎくしゃくしていた私たちと彼女の関係はいい
方に転がった。
僅かに残るわだかまりも、思いっ切りな、やけくそな自分自身の気
持ちを全部吐き出したおかげで埋まりに埋まり、姿を消した。
今では仲のいい友達。
﹁俺は平気﹂
﹁私もなんとか。あ、どうも﹂
奏さんに引っ張られて立ち上がると、千秋は私たちを怪訝そうに訊
309
ねた。
﹁どうしたの? そんなに慌てて﹂
﹁ああ、そうだ。こっちに赤毛の男の子来たよね?﹂
奏さんが確かめると、唇に指をあてて千秋は記憶をよみがえらせる。
﹁赤毛? ⋮⋮ああ! 来ましたよ。ものすごい勢いで通り過ぎて
いきましたけど﹂
﹁ありがとう!﹂
﹁あの、その人何かしたんですが?﹂
﹁いや、別に何かしたとかじゃなくて。いや、したんだけど、俺別
に怒ってるわけじゃなくて、ちょっと殴り掛かりたいんだけど﹂
﹁美奈ちゃん。ごめん、通訳できる?﹂
奏さんの支離滅裂な発言に引き攣った顔で私に助けを求めてくる。
苦笑いしながら小さくため息をついて私が分かっている範囲で事の
発端を説明した。
説明し終えた後、自分の気持ちが整理できたのか、奏さんがゆっく
りと話し始める。
﹁後輩君が舞に危害加える奴かどうか確かめに俺とゆー君で連れ出
して、大丈夫そうだったから、後はま−自身に任せた。
今は、取り敢えず後輩君と顔を見て話したいだけ。内容はあって彼
の顔を見てから考えるよ﹂
あははと笑う奏さんと、その隣で千秋に微笑む私。
﹁可能性とかは考えなかったんですか?﹂
千秋の問い掛けに奏さんは答えず、やや悲しげに千秋に聞いた。
﹁君が、聞くの?﹂
あえて隠した具体的な事。言葉にせずとも伝わった。
可能性。舞が赤毛の男の子の告白を受ける可能性。
赤毛の男の子を連れだした際に、舞に近付かないよう釘を刺すこと
もできた。
それをしなかったのは、単純で当たり前で、ずっと前から決めてい
310
たから。
私たち、兄妹たちは互いに個々の意志を捻じ曲げちゃいけない。
本人がどうするかを見守ること。それは昔も今も変わらない。
それに︱︱︱︱︱︱
﹁大丈夫﹂
私は微笑みながら千秋に言った。この言葉の真意は、きっと伝わる
だろうと根拠もなく思う。
千秋という私たち四人の未来を変えてくれた、強くて優しい女の子
は知っているだろう。
兄さんがどんなに優しいか。そんな兄さんが選んだ舞がどんなに優
しいか。
﹁大丈夫だよ﹂
絶対に千秋がやったことを無駄にしない。
その意味を込めてもう一度、私は言った。
﹁⋮⋮﹂
千秋は奏さんと私が言った穴だらけの言葉をくみ取ってくれた。だ
んだんと柔らかくなっていく表情の果て、千秋はしょうがない人た
ちだと呆れたように笑った。
﹁そうだね﹂
私たちは笑い合う。
ひとしきり笑い合って、私は彼らと別れた。私が伝えた、ちょっと
いじった情報をあてにして。
小さな小さなため息をついて、私は壁に元々取り付けつけられてい
た扉に呼び掛ける。
﹁もういいよ、出てきても﹂
ガチャリと開けられた扉の中から、暴れ出しそうな赤毛の男の子を
押さえこんでいる高等部の生徒会長が現れた。
311
私の、中村千秋の兄、中村春樹です。
﹁ちょ、おい! いい加減放せよ!! どういう腕の押さえ方して
んだよ!!﹂
﹁まぁまぁ、メロンパン食べて落ち着きなよ﹂
﹁いらねぇ⋮⋮!。って押し込むんじゃねぇよ! バァカ?﹂
﹁⋮⋮﹂
ちょっと変わった、お兄ちゃんです。
312
少年少女の大反省大会
少し前。
奏先輩たちから逃げていたら、開いていた扉の中に引きずり込まれ
た。閉じられた扉の向こうに俺と入れ替わるように投げ出された女
子生徒が奏先輩にぶつかる音がこっちまで聞こえた。
俺が告白したことも全部聞こえた。止めようと暴れたけれど、ダメ
だった。俺を拘束してるニコニコした男子生徒が腕固めやがった。
よく見たら、引きずり込まれた部屋は会議室のように二つの長机が
くっついて、部屋の真ん中に置かれていた。その周りを囲むいくつ
かの椅子と机に撒かれた筆記具や資料の類を見てここが生徒会室な
んだなと確信した。
あの生徒会長が住む、生徒会室。
﹁中三に負けるほど、やわじゃないんだよ。ははは﹂
俺に向かい合うように座った男子生徒をちゃんと見て、俺はこの男
子生徒が生徒会長だったことを思い出した。
ドヤ顔すんなよ、こんちくしょう。
﹁くっそ、いってぇ﹂
拘束されていた腕を少し痛めたようだ。鈍い痛みを感じる。
﹁お兄ちゃん、笑ってないで謝んなよ。ごめんね? 大丈夫?﹂
﹁まぁ⋮⋮、なんとか﹂
生徒会長をお兄ちゃんと呼ぶ女子生徒に心配され、なんだか恥ずか
しくなる。ぶつぶつ言いながら俺は押し付けられたメロンパンにか
じりつく。あっまい。
﹁ごめんごめん。んー、取り敢えず、一通りの話は聞かせてもらっ
たよ﹂
﹁盗み聞きだろうが﹂
313
俺の凄味にも生徒会長はどこ吹く風だ。ニコニコしてやがる。うぜ
ぇ。
﹁慰めというか、愚痴り相手にはなると思うよ。俺たち﹂
﹁はぁ?﹂
飄々とした生徒会長からの助言に俺は素っ頓狂な声を上げる。
﹁もったいないなー。食べながら喋るなんて。メロンパンのカリカ
リ部分零れちゃったじゃん﹂
﹁⋮⋮ちっ﹂
癪だけど机の上に零れたパンかすを指の腹にくっつけ、パン袋の中
に落とす。
微笑ましげに笑う女子生徒は少し躊躇ってから、俺に言う。
﹁溜めるのは、あんまりよくないよ﹂
﹁溜めるって?﹂
﹁自分の、今の気持ち。吐き出せるときに吐き出した方がいいよ﹂
﹁⋮⋮﹂
女子生徒は優しそうに笑っているけれど、どこか寂しそうだ。
寂しいのに、それでも強くいようとしている。
ちょっと溜め息をついた。
なんとなく、話さないと帰してもらえない気がした。
もう、全て話していいだろう。
先輩たちにも話さなかったこと、全て。
﹁たいして、面白くねーよ﹂
負け惜しみみたいに言ってから俺は心を紡ぎ出す。
﹁綺麗な、髪ですね﹂
そう言われて、俺は一言。
﹁どうも﹂
そっけなく答え、俺は生徒指導の教師に近付いた。
同情なんだろうなって思った。
314
﹁んー。ああ、なるほど﹂
﹁⋮⋮﹂
まじまじと俺の髪を見る生徒指導の教師。立場に比べて意外と若い。
天然物なのか人工的なものなのか分からないけれど、短い髪にパー
マがかかっていた。
命名。ワカメわかめ。
﹁書類、くれません?﹂
﹁はいはい。せっかちだなー﹂
﹁アリガトウゴザイマス﹂
ワカメわかめから書類を受け取り、その場を去る。
﹁あ、あの子、もう高校生になったのか﹂
その前に、ワカメわかめの呟きに俺は脚を止める。
ワカメわかめはあの茶色の髪の女子生徒を眺めていた。
﹁俺、ここの卒業生なんだけど。俺もねー、こんな頭してるからい
ちいち紙に書いてさ。大変だったんだよ﹂
﹁誰も聞いてませんが﹂
﹁バリカン持ち出されたとき、冗談でも怖かったなー﹂
﹁御愁傷様でした﹂
これは本気で同情した。
ワカメわかめがため息混じりに、聞いてもいないのに話始める。
﹁いつだったかなー。俺の前の生徒指導の先生がやたらと熱血でね、
生徒から嫌われてたし、他の先生からも苦手とされてて。正しいん
だけどちょっと過ぎるくらい。注意したくても結構地位が高い方だ
ったから、なんにも言えなかったんだ。
さぁ、問題。その先生はこの学園から出ていきました。何故でしょ
うか?﹂
急に問題提示された。俺キョトン。
﹁制限時間三秒ね﹂
﹁⋮⋮﹂
俺は四秒間黙っていた。
315
﹁⋮⋮無視かな?﹂
﹁ソンナコト、アルワケナイジャナイデスカー﹂
ワカメわかめが口を尖らす。まったく可愛くない。
﹁答え。あの子の一個上の幼馴染君が追い出した﹂
﹁はぁ?﹂
柄にもなく素っ頓狂な声を出した。ああ、今日は厄日だ。なんで教
師になんかに振り回されなくちゃならない。
﹁これは内緒だから他言無用だよ。一生徒が教師を脅したんだ。な
かなか思いずつかないし、思いづいても実行に移すことはとても難
しいことだから。それをやってのけた。
彼の勇気ある行動にすっきりしたけれど、それ以上に俺はぞっとし
たよ。
彼⋮⋮、いや彼らかな。彼らは怖いものがなさすぎる﹂
憂い気に誰もいない職員室の扉をちらっと見てから、俺を見つめる。
目線を俺から離さない。久しぶりに見た、憐みの含まれていない優
しげな眼差し。
﹁まぁ、俺が言いたいのは、無茶だけはしないでってこと。心配だ
から﹂
﹁え、は、え?﹂
挙動不審になる俺を見て、ワカメわかめはくすりと笑うと手の甲で
宙を払う仕草をした。
﹁ほら、とっと出てった出てった﹂
﹁⋮⋮﹂
苛立ちを全く隠さない俺にワカメわかめは微笑んだまま、俺の持っ
た髪を指で指す。
﹁その紙に必要な事書いたら、続き話してあげるよ﹂
後日、書類に最低限の必要事項を記入してワカメわかめに提出した。
が、しかし。
316
﹁んー。今日は気分じゃないから話さない。また来なよ﹂
﹁⋮⋮﹂
呆れて重い重いため息を腹の底から吐き出した。
﹁? おーい、そんなにため息吐くと肺が萎むよ﹂
﹁そこは幸せが逃げるじゃないいんですかね﹂
﹁それじゃぁ、面白くないだろ﹂
﹁⋮⋮﹂
何日も何日も。俺はなんも悪いことしてないのに職員室に立ち寄る
ようになった。
教えろと言っても気分じゃないと言われ、もう来ないと言うと知り
たくないの? と驚かれる。一体どうしろっていうんだよ。
そして、何日かたった放課後。
﹁もうホントいい加減にしてくれませんかね﹂
﹁んー。いいよ﹂
一瞬の逡巡ののち、ワカメわかめが了承した。
すっかりワカメわかめ不審になった俺は訝しげにワカメわかめを眺
める。
﹁そんな不審がらなくていいじゃない﹂
﹁ムネニ、テヲアテテ、カンガエテ、クダサイ。このワカメ﹂
笑顔で言ってやった。ワカメわかめに言ってやった。
わかみ
泣きやがった。ワカメわかめ。
﹁酷い⋮⋮。俺の名字、若見だからってそんなあだ名、嬉しくもな
んともないんだから!﹂
訳の分からないキレ方をされた。大の大人に。
あ。大人じゃなかった。ワカメだ。
﹁オシエテクダサイ。ワカミセンセ﹂
﹁君のその棒読み、やだよ!﹂
久しぶりの形勢逆転。素直にうれしい。よっしゃ。
流していない涙を拭うとワカメわかめが閉められていたカーテンを
317
少し開け、窓を開けた。
﹁では、屋上をご覧ください。見えるかな﹂
窓の向こう斜め上を見上げると、いくつかの人影が見える。
小さくて見づらいが、職員室で会った茶色の髪の女子生徒がいた。
全員手すり近くまでくると一人ひとり大声で叫び始めた。
俺が転校してくる前に起こった噂。
詳しくは聞いてないけど。
えーっと、確か高等部で一人の男子生徒をめぐっての修羅場が発生。
最終的に頭沸いてる高等部の生徒会長がしでかした茶番だって事に
なったけど。
くだらねぇととしか思えなかった。
そう思っていたけど、彼らはその時の真意を暴露した。
茶番は茶番だったけれどちゃんと意味があったということ。
一樹悠輔が市川舞を好きなこと。
一樹美奈が市川奏を好きなこと。
市川奏が一樹美奈を好きなこと。
市川舞が一樹悠輔を好きなこと。
中村千秋が、一樹悠輔が市川舞を好きなことを知ったうえで、一樹
悠輔に告ったこと。
中村春樹が、頭沸いているのが明らかになったこと。
﹁一樹と市川兄妹が、あの後の答えだよ。分かる? あんな黒歴史
に残ることやってのけちゃうとこ。いつか、これ以上にとんでもな
いことしでかすんじゃないかって怖いよ。俺はね。
あー、聞いてる?﹂
﹁⋮⋮聞いてますよ﹂
﹁大分上の空なんだけど﹂
318
目を、離せなかった。
キラキラ、キラキラ。瞳も顔も生き生きとしている女子生徒︱︱︱
市川舞が輝いて見える。
⋮⋮。
無意識に胸を押さえた。
﹁おーい、堀内君?﹂
﹁うっせぇ、ワカメ﹂
﹁だからぁ!﹂
﹁とまぁ、ざっとこんな感じで﹂
一通り話し終えて中村兄妹を見ると、悶絶していた。
﹁ワカメわかめ⋮⋮!﹂
﹁ワカメ、わかめ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮﹂
話して心底後悔した。
319
呆れる傍観者
満足したのか、中村兄妹は笑うのをやめた。
中村兄が冷えきってしまっただろうお茶を一口飲むとコトリと湯呑
みを置く。
﹁君は、恋をしている市川舞ちゃんが可愛くて可愛くて仕方がなく
なっちゃったんだね﹂
﹁かわ⋮⋮っ!﹂
﹁違うのかい?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
俺は何も言えなくなる。性格上、素直になるのが気恥ずかしい。
﹁実らない恋、かぁ。しんどいね﹂
中村兄が頬杖をつきながら俺を眺める。憐れみと同情が含まれた表
情に俺は肩を竦めた。
﹁分かってたことだから、そんな精神的ダメージは多くない。後悔
もしてない。引きずるだろうがな﹂
負け惜しみと本音に正直泣きそうになる。
﹁お茶、つぐね﹂
﹁⋮⋮どうも﹂
中村妹の寂しげな微笑にシンパシーを感じる。
﹁⋮⋮﹂
話を盗み聞きしてイライラが止まらなかった。
まただ、また茶番劇。
誰も幸せにならない茶番劇。
これが演劇なら観客全員ぶちぎれてチケットを破るだろう。
これが小説なら読者全員開いていたページを閉じるだろう。
うだうだ、うだうだ。うざったい。
320
嫌いなんだよ、こういうの。
引きずるなら引きずるでいい。だけどそれに他人を巻き込むな。伝
染するだけだ。
迷惑だ。
﹁主に生徒会長!!﹂
ボクがノックなしで思いっきり生徒会室の扉を開けると中にいた三
人全員が驚いた顔をしていた。赤毛君なんか持っていたメロンパン
が無惨な姿になるほど握りつぶしていた。
﹁た、高原さん﹂
﹁先輩!﹂
中村兄妹はほぼ同時にボクに呼び掛ける。取りあえず、ボクは生徒
会長の肩を渾身の力で掴んだ。やってみると分かるけど鎖骨上の柔
らかい肉のところを親指で押し込むと、すっごく、痛いよ。
﹁分かってるんならやんないでよ﹂
﹁モノローグを盗み見るのが生徒会長の趣味なのかい﹂
顔をしかめる生徒会長にボクは不機嫌さが滲みすぎている笑顔を向
ける。
あわあわしている後輩とあっけのとられている赤毛君。
後輩にこんな顔させて。まったく、何て奴だ。
﹁だから君が⋮⋮﹂
﹁うるさい﹂
いい加減指が疲れてきたから、トンと生徒会長の肩を押し、ボクは
盛大にため息をつく。
ボクは傍観者だ。ただ見守るだけ。何もしない。
たださ、こうも腹が立つ茶番劇を見せられ続けたら、石でも水でも
何でも投げたくなる。
﹁せっかくの、文化祭なんだから﹂
腰に手を当て、傷心の三人を見渡す。
﹁楽しまなくちゃ、罰が当たる﹂
それからめんどくさそうに、ボクは笑った。
321
﹁というわけで!
さぁ、始まりました!
﹃ドキッ!
兄妹だら
3組合同お化け屋敷。担当のスタ
人騒がせな兄妹たち+αの親睦を兼
催しです。会場はここ、
けのお化け屋敷探索大会﹂!
ねた
ッフさん方もご協力してくださるそうです。いやー、ご協力どうも
ありがとうございます﹂
翌日、文化祭2日目。まだ混む前の朝の時間。ボクは今回の当事者
たちを呼べ出し、高らかに番宣した。
またか、とげんなりしている兄妹3組と、いまいち状況が理解でき
ていない赤毛君。
それから、今か今かとこちらの様子を窺っている優しいスタッフの
方々。
﹁あの、どういうことなんすか?﹂
赤毛君が訊ねてきたからボクは笑顔で答えてあげた。
﹁今から二人一組になって、お化け屋敷に入ってもらいます。二年
組と下級生組でペアを組みます。もう決めたから﹂
はい、とペア決めの紙を彼らの前に差し出した。
一樹さん
﹁二年組は構造の一部知ってるから、公平にね﹂
一樹君︱赤毛君
くそヘタレ野郎︱
ヤナギ︱市川さん
市川君︱千秋
322
﹁俺は赤毛君なんて名前じゃねぇ!﹂
﹁ねぇなんで僕だけひどい扱いなの!﹂
ギャーギャー言う引きずりコンビをボクじゃなくて、一樹兄妹が窘
める。
﹁諦めよう、堀内君﹂
﹁諦めましょう、生徒会長さん﹂
肩を手を置き、静かに首を振る一樹兄妹に赤毛君と生徒会長はそれ
ぞれの心情にあった表情をした。
赤毛君は敵わない恋敵に対する、薄い憎しみを向けている。
生徒会長は届かない思い人に対する、淡い悲しみを向けている。
盛大につきたくなる溜め息を最低限に誤魔化してから、ボクは彼ら
をせっついた。
﹁ほら時間押してるんだから、さっさと入った入った。順番はこの
紙の通りに。五分おきに入ってってね。まずは一樹君たちだ﹂
﹁はいはい⋮⋮。笑ってないで高原止めてくれよ、クラスメイトた
ち﹂
﹁だが断る。面白そうだからな﹂
﹁頑張っちゃうよー﹂
ささやかな抵抗なのか、げんなりしながら僅かに笑みを浮かべる一
樹君がお化け屋敷の入り口近くにいたクラスメイトに愚痴る。
その変化が正直なところボクは嬉しい。顔には、声には絶対に出さ
ないけど。
﹁手を繋いで入ってもいいんだよー﹂
﹁やるかよ!﹂
茶化すとすぐに噛みついてくる赤毛君はきゃんきゃん吠える犬のよ
う。ワンコって呼ぼうかな。
﹁ちゃっちゃと終わらせよう。行くぞ、堀内君﹂
﹁っ! おい! 襟首掴むな⋮⋮いでくだ、さい﹂
意外と真面目君なワンコかな。
323
お化け屋敷の中の本音と決意
﹁何で野郎なんかと⋮⋮﹂
﹁聞こえてるぞ、堀内君﹂
薄暗い通路に、腹に響く重低音のBGMが流れている。
通路は元々決めてあったモノとあまり変わっていない。お化け役は
少し少ないくらいか。
﹁大丈夫かい、堀内君? 怖くない?﹂
﹁別に⋮⋮﹂
﹁今更だけど、ペアに悪意を感じる﹂
﹁ホント今更だな!﹂
敬語が取れている堀内君に俺は苦笑した。
長い長い通路を歩いていると、薄暗くて、狭くて、人の気配が希薄
な空間が、俺たちだけがここにいると錯覚しそうになる。
だからかな。やりたかったことをしたくなる、言いたかったことを
言いたくなる。
﹁堀内君﹂
﹁?﹂
怪訝そうな顔をした堀内君の頭を俺は無造作に、でも慈しみを籠め
て撫でる。
突然の俺の行動に少しの間固まっていた堀内君の顔はなんというか、
いじめたくなってくるものだった。
﹁俺ね、弟欲しかったんだ﹂
﹁おい、手をどけろ⋮⋮て下さい﹂
﹁ソウは弟って感じじゃないし。
こう、体よくストレス発散に繋がる弟がなー、欲しかったんだなー﹂
﹁それサンドバックの間違いだろ!﹂
思いっ切り手を払われた。俺は少し傷ついた。
﹁あー、後輩が一樹のこと泣かした︱﹂
324
﹁さいてー﹂
﹁一樹君かわいそー﹂
通路の黒いカーテンからひょっこりと顔を出した二年組が堀内君を
非難する。
泣いてはいないけど、俺の為にどうもありがとう。
﹁なんだよ、まったくよー!﹂
堀内君の悲痛な思いが伝わってくる。流石にいじめ過ぎたかもしれ
ない。
軽くため息をついてから俺は、俯いてがっくりしている堀内君の耳
元に、そっと、囁いた。
昨日。
堀内君をソウと美奈が追いかけて行った時、俺は舞ちゃんに駆け寄
っていた。
舞ちゃんが堀内君に抱き寄せられていたことに俺は動揺を隠せなか
った。
﹁ゆう、すけ⋮⋮さん﹂
俺へと振り返ってぽろぽろと涙を零す舞ちゃんを俺は慎重に抱き締
めた。俺の胸にすっぽりと収まった舞ちゃんがいつも以上に小さく、
脆い。
舞ちゃんが俺の制服にしがみつき、絞り出したような声で言う。
﹁ごめんなさいって、言うのって、こんなに、悲しいんですね﹂
ああ、と俺は思った。舞ちゃんは堀内君のために泣いているんだ。
相手の自分への思い、痛いほどわかって、それでも答えられないの
が悲しい。
舞ちゃんは俺以上に優しい子だから。
俺は優しくないから。俺は今、ほっとしている。
舞ちゃんが俺を選んでくれて、とてつもなくほっとしている。
325
落ち着いたのか、舞ちゃんはそっと俺から離れた。
﹁悠輔さん﹂
舞ちゃんの両手が俺の顔に伸びてきて、触れる。
そのまま、つままれて横へと引っ張られた。
﹁⋮⋮どう、ふぃたの?﹂
舞ちゃんの行動に戸惑いながらも、俺は微笑む。
舞ちゃんの手の力が強くなる。
﹁自信もてよ、くそ野郎﹂
﹁え?﹂
﹁って、あの子が言ってました﹂
﹁びっくりした⋮⋮﹂
冗談抜きで。
舞ちゃんの瞳が潤んでいるにもかかわらず、真っ直ぐに俺を見据え
てきたから、舞ちゃんの本心なのかと思った。
﹁自信もってください、悠輔さん﹂
いつもの舞ちゃんの口調で、堀内君の気持ちが伝えられた。
いや、違う。これは舞ちゃんの気持ちだ。
﹁悠輔さんは優しいから。私がいつでも心変わりしていいよう一歩
後ろから手を伸ばしてるってこと。私にいつでも選択肢をつくって
いること。それはすごく嬉しかった。でも、同じくらい怖いんです。
雲の上を歩いているような不安な気持ちになる﹂
俺の頬をつまむ手が震えている。ふるふるとした指先が俺の胸をぎ
りりと吐き出したいほど締め付けた。
泣きそうになる。涙が零れ落ちてきそうになる。
﹁わがままだって分かってます。でも、もっと束縛してください。
私が逃げられないよう、しっかりと。雁字搦めに。悠輔さん以外、
選べないよう。悠輔さん以外の人のために私が泣かないよう。
私を、信じてください﹂
ぼんやりとした視界の中で舞ちゃんは最後、微笑んでいた。
こんなにも胸が締め付けられる催促が今まであっただろうか。
326
舞ちゃんの温もりが愛おし過ぎてたまらない。
﹁⋮⋮いいの?﹂
さっきよりも強く舞ちゃんを抱きしめ、その茶色の髪に俺の涙が流
れていくのを俺はなんとなく見送った。
俺を嫌いになんかならないから、信じてほしい。だから束縛してほ
しい。
俺の解釈に間違いがないか、言った本人に確認する。
﹁⋮⋮﹂
俺を見上げる茶色の瞳がゆっくりと近づいてきて、それが瞼によっ
て閉じられて、長くきれいな睫に俺は気を取られる。
自分の唇に感じる、甘く柔らかな温もりに気付くのが少し遅れた。
一瞬だけ目を見開いて、それからゆっくりと俺も同じように目を閉
じる。
ありがとう、それからごめんね。舞ちゃん。
もう、不安がらせたりしないから。
﹁舞ちゃんを君に絶対渡さない﹂
目を見開いた堀内君に俺は不敵に笑う。
後輩に、しかも恋敵に唆されたようで少し癪だけど。でも、君のお
かげ舞ちゃんを泣かせたくない気持ちが強くなったから。
﹁あと、それからありがとう﹂
﹁⋮⋮文章の前後がいまいち繋がってねぇじゃねぇか﹂
不満げな顔をしながらも、堀内君は笑っていた。
俺の真意が伝わったんだろうと、勝手に推測して俺は出口に向かっ
て歩き出す。
327
お化け屋敷の中の諦めと思慕
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
無言で僕と一樹さんは歩いている。つかず離れずと言った具合に。
二人して、たびたび現れるお化け役の皆と出くわして、驚いて、ネ
タばらしされて笑って。
それ以外は、何も。
とても味気ない。
高原さん、ごめんなさい。それから、ありがとう。
何度も僕の愚痴を聞かせてごめんなさい。うじうじしている僕を何
度も怒ってくれてありがとう。
僕が何にも変わらなくてごめんなさい。僕を変えようと行動を起こ
してくれてありがとう。
そのおかげかな。
言ってみようと、思うんだ。
﹁一樹さん﹂
﹁? どうかしましたか?﹂
急に話しかけてきた僕を、不思議そうな顔をして見上げる一樹さん
に僕は聞いてみた。
﹁もし、もしもだけど、一樹さんのことが好きな人が君に告白して
きたら、君はどうする?﹂
﹁丁重にお断りします﹂
微笑みながらの、即答だった。
清々しいまでの即答に僕は笑ってしまった。胸の痛みが感じないく
らい。
﹁そんなに市川君のこと、好きなんだね﹂
328
﹁⋮⋮はい﹂
恥ずかしそうに、嬉しそうに一樹さんは答えた。暗がりでよくは見
えないけれど一樹さんは頬赤らめているのが分かる。
﹁僕のことは?﹂
﹁好きですよ﹂
その即答に息を飲み、立ち止まって聞き返す。
﹁⋮⋮え゛?﹂
﹁え? 嫌ですか?﹂
﹁ちがっ! そうじゃなくて!﹂
狼狽えた。首を振り、否定する。
僕の行動に一樹さんは苦笑しつつ、続けた。
﹁好きじゃなきゃ、こんな風に一緒にお化け屋敷に入ってません。
好きじゃなきゃ、こんな風に恋愛のことなんか話しません。
好きじゃなきゃ、十年前のことを水に流したりしません。
生徒会長は、私の、大事な︱︱︱︱︱︱﹂
この後に紡ぎ出されるであろう言葉を想像し、僕は目を閉じた。
耳に入ってきたのは、想像した通りの、嬉しくも胸が引き攣る言葉。
﹁︱︱︱︱︱︱大事な、人です﹂
ゆっくりと僕は目を開ける。暗さにほとんど慣れたからか、一樹さ
んの顔がよく見えた。
よく、見えたんだ。
﹁あ﹂
﹁? 今度はどうしました?﹂
﹁髪に、ゴミがついてる。じっとしてて﹂
僕の言うことを聞いて、一樹さんは目を閉じて少しだけ身を強張ら
せる。
その姿に苦笑しつつ、僕は一樹さんに近づいた。
﹁生徒会長、暗いのによく見えますね﹂
329
﹁慣れたからね﹂
至近距離での会話にうるさいくらい心臓が脈打つ。一樹さんの髪に
ついた、透明な糸くずか何かを取り除くために絡める指が震えてる。
泣きたくなった。どうあがいても思いが実らないことが悲しくて。
それから、一樹さんが僕の目を見て笑ってくれたことが嬉しくて。
笑ってくれたことなんか、もう何度もあるのに。
大事な人。そう、カテゴライズされていたのが嬉しくてたまらなか
ったんだ。
十年前の僕へ。僕がいじめた、僕が好きになった女の子は、笑って
いるよ。
一樹さんに気づかれないよう僕はそっと、黒くて長い髪に口づけて、
ゆっくりと手放した。
﹁取れたよー﹂
﹁ありがとうございます﹂
わざとらしく指と指をこすり合わせるしぐさをしながら、僕は一樹
さんを見つめた。
望んでいた関係にはなれないけれど、笑い合える関係になれただけ
良しとしよう。
﹁僕もさ、一樹さんのことが、好きだよ﹂
君のとはまったく違う意味だけど。
﹁ありがとうございます﹂
僕の微笑みに、一樹さんは微笑み返す。
我慢する。我慢するからせめて、我が儘を言わせてほしい。
﹁あのさ、思うんだけど、生徒会長って呼ぶのどうなの?﹂
﹁だめですか?﹂
﹁普通に先輩でいいじゃない﹂
しばらく考え込んだ一樹さんは言った。
﹁じゃぁ、春樹先輩で﹂
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なんというか、自分から線を引いておいて、それでも近くにいてほ
しくて線のギリギリのところまで招いたのに、一樹さんは簡単に線
を飛び越えて僕の手が届くところまでやってくる。
嬉しさに似た呆れを感じて僕は顔を手で覆う。
自分が馬鹿みたいだ。そうだ馬鹿だった。速攻で自問自答した。
﹁中村先輩じゃないんだ﹂
﹁それだと千秋を先輩呼びしてるみたいで、なんか嫌です﹂
あっけからんと答える一樹さん。
そうだよね。深い意味はないんだよね。
分かってたよ。分かってたけど、名前を呼んでくれたことが嬉しい
んだよ。
﹁そろそろ、高原さんたちが入ってくるころかな﹂
話題を変え、僕は通ってきた通路を振り返る。
一樹さんが複雑そうな顔をしだした。
﹁どうかしたの?﹂
﹁それがですね︱︱︱︱︱︱﹂
優しくて、ときどき残酷で、とても可愛らしい一樹さんの、大事な
大事な人たちの話をこの先ずっと聞いていたいと思う。
この特権は市川君には絶対に持つことが出来ない僕だけのものだか
ら。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5277bf/
兄(妹)をくっつけたい。
2014年10月25日03時42分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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