新 年 互 礼 会 - 社会福祉法人任運社

おめでとうございます。
昨年は人災天災、経済
危機と大変な試練に経
たされました。その試練
はまだまだ続きそうで
す。
新年が皆様にとりま
して良い年であります
よう心よりお祈り申し
新年互礼会
1月4日の午前 時
より、新年最初の恒例行
事、利用者と職員が新年
の挨拶を行う新年互礼
会が行われました。
騰 々 舎 の 吉 田 施 設 長が
利用者の方々に向けて
-1-
http : //www1.ocn.ne.jp/~ninun/
上げます。
任運荘も新年を穏や
かに迎えることができ
ました。皆様のご理解
とご支援のおかげと感
謝しております。
家族と離れて暮らす
ホーム入居者にこそ
「家族との絆を」と思
い昨年、一昨年と努力
してまいりました。今
年はそれに加え「願い」
という思いを込めま
す。
生きることは願うこ
と、人は最後まで願い
続ける存在。わたした
ちはこのお年寄りの願
いに最後の楽園として
こたえたいと切に願
い、努力します。
施設長 広本 賢郎
10
F A X:0974(42)4187
E-mail : [email protected]
事務室:0974(42)2338 寮母室:0974(42)3322
任運荘介護保険サービスセンター
0974(42)4211
任運荘ホームヘルパーステーション 0974(42)3351
任運荘広報委員会
大分県豊後大野市緒方町馬場 796 番地 1
〒879-6601
編集・製版・発行
特別養護老人ホーム 任運荘
社会福祉法人 任運社
平成24(2012)年 1 月 10 日
おとずれ 138 号
て 、「 明 け ま し て お め で
とうございます。本年も
よろしくお願い致しま
す」と挨 拶をし まし た。
続いて広本理事長は
新 年 の 挨 拶 の 中 で 、「 任
運社は利用者とご家族
との〝絆〟を大切にし
たいと思い、昨年、一昨
年と努力 してき まし た。
遠く離れ生活されるご
家族への想いは深まる
一方です。自らが不自由
な生活の中に身を置き
ながら、いつも皆さんの
心、家族の幸せを願って
いることに気付かされ
ます。下村湖人先生が言
われたように、まさに〝
生きることは願うこと
〟です。皆さんの願いが
少しでも叶えられるよ
う、心を込めてお手伝い
させていただきます」と
挨拶しま した。
挨拶が終わると最後
は利用者の皆さんと職
員が〝春の小川〟と〝
花〟を一緒に歌い、新年
互礼会は 終了し まし た。
担当―羽 田野一 彦
任運荘 の
午後はホールで〝お
しました。日頃ほとんど
3日は〝書初め〟を
筆を握る機会はありま
みくじゲーム〟をして
楽しみました。箱に入っ
た職員手作りの大吉、中 せんが、この日は「久し
ぶりやなぁ・・」「書っ
吉、小吉 凶(は無し の)お
きらん で 」と言 いな
みくじを引いて、正月の
がらも、思い思いの言葉
雰囲気を楽しんでもら
を書いていました。
いました。おみくじに
年末年始は遠方から
は、「今年の抱負を言う」 帰 省 さ れ た 親 族 の 方 々
方々は喜んでいました。
大吉を引いた利用者の
う」等が書かれていて、
とか「お正月の歌を歌
した。
担当 ― 羽田野一彦
皆さんは喜ばれていま
に会う親族に利用者の
の面会が多く、久しぶり
2日 月( は)入浴日で、
名の方が〝初風呂〟
-2-
「世の中が平和でありますように ! 」
と「平和」と書いた古庄信子さん
「絆を大切に・・」と願い
を込めた後藤タケさん
夫婦揃って書初めの阿南さん夫妻
を楽しみました。
ニッコリと笑顔の羽田野シュクさん(左)と吉野秀子さん(右)
ご主人と自分の名前を
書いた河野咲子さん
久しぶりに筆を握る佐藤大造さん
!
お嫁 さ んが元 旦 に来 られた
堀己代子さん 右( 、と
) 今 年の
抱負を言う利根正子さん
おみくじを見る髙山キクヱさん(左)と羽田野節子さん(右)
37
お 正 月
元日の楽しみは、厨房手作
りの〝お節料理〟です。お正
月の曲が流れる中、海老グラ
タン、数の子、鮭の昆布巻、
花蓮根、黒豆、羽子板蒲鉾、
柚子伊達巻、雑煮に舌鼓を打
ちました。
夕食は押し寿司、ロースト
ビーフ、海老の煮物、筍、千
枚漬け、柿なます、そうめん
汁でした。
元日夕食のお節です
平成24(2012)年 1 月 10 日
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いました。
ケ ーキ を 食 べ終 わ ると
次 は 職 員 によ る踊 り のア
ト ラ クションが あ り ま し
た 。踊 る 職 員 は 敬 老 会 を
機 に結 成 され、運 動 会 、緒
方町歳末チ ャリティーショ
ー に出 演 し た 〝 AKB
〟 のメンバー です 。AKB
や都はるみの〝あら見て
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てた のね 〟〝 歩 のマー
チ 〟の曲 を 取 り入 れた 踊
月 6日 、出 来 上 がった
干 し 柿 の試 食 会 を し ま し
た。職 員の家 の渋柿 を もら
い、 月 日 に皆 でむ い
た 柿 です 。毎 日 ひな た ぼ っ
こを しな がら 、この日 を 楽
しみに眺め ていました。
干 し 柿 を 竿 に吊 る し た
ま ま 部 屋 に入 れ 、「も う い
い 頃 で す か ? 」と 尋 ね る
と 、後藤タ ケさんは頬を赤
じ ゃ 」と 言 い、「では、食
べま しょうか 」と 言 うと
「賛 成 !賛 成 !」と 手 を た
たいて喜びました。
皆 さ ん に 、ま ず 一 口 ず
古 庄 町 子 さ ん は 「も う
少し乾くとまた違うや
ろ う な あ 」と 言 いな が ら
目 を輝 かせ、次 の試 食 が待
ち遠しいようでした。
甲斐アヤ コさんは「
ここ
におっちょって良かっ
た。おらな食べられんと
る と い い な あ 」と 利 根 正 こ ろ や っ た 」と 喜 ん でい
ました。 次ページに続く →
つ。「丁 度 良 い 甘 さ で す
ね 」と 吉 野 秀 子 さん 。す ぐ
横で衞藤キ ヨさんが「
毎年
やっ ちょ く れ 」と 満足
そう に言 いま し た 。「こ の
種からもうひとつでき
と笑顔で言っていました。
清 水 シズ 子 さ ん は 、「ど
く し て「今 が 一 番 い い 頃
う し ち 、 し び い 渋( い の)
が こ げ え な る ん か なぁ 」
真剣な表情で皮をむく三代ハツヨさん(左)と
余裕で笑顔の足立貞良さん(右写真)
干し柿 の試食会
担当―羽田野 瞳
それぞれの歌声を披露してくれた左より古庄重子さん、渡部一幸さん、清水シズ子さん、古庄町子さん
365
りに利用者の皆さん は大
喜びでした。
続いて利用者の皆 さん
による歌やハーモニ カの
出し物があり、年末 の楽
しいひと時を過ごし てい
ただきました。
四海波を歌う
古庄キヌヱさん 右( )
22
12
子さん。
-3-
&
22
忘 年 会
月 日 木( に)、利用
者 の 〝 ク リ ス マ ス 会& 忘
年会〟を行いました。
広 本 施 設 長 の 挨 拶と 乾
杯 の 音 頭 で 会 が 始 まり 、
先 ず は シ ョ ー ト ケ ーキ を
食 べ ま し た 。 ケ ー キを 食
べ て い る と 清 川 町 の劇 団
う た 姫 の 〝 吉 四 六 さん と
お へ ま さ ん 〟 が 会 を盛 り
上げに来てくれました。
「元気にしちょきな~
え」
「長生きしな~え」と
声 を か け ら れ 、 突 然の 訪
問 に 戸 惑 い 気 味 だ った 利
用 者 の 皆 さ ん の 顔 は、 吉
四 六 さ ん の 愉 快 な 仕草 や
ケーキを食べる阿部マサヲさん(左)
と古庄スミコさん(写真上)
「ばあちゃん、元気な~?」と吉四六さん
11
!
クリスマス会
12
話しに笑顔顔になって
!?
!
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10
15
17
35
来
の表 情 も ほ ころ ん でい
ました。
なっていました。
オ ペレッタ の後 は、利
用 者 と 一 人 ひと り握 手
をし、肩たたきをしてく
れました。まるで自分の
ひ孫 から さ れ ている よ
18
披 露 し てく れ た のは
13
劇 と 歌 を 組 み 合 わ せた
うで、
「気持ちがいいな
11
オ ペレッタ でし た 。キ ツ
昨年の 月 日に入
居しました。緒方 町 内の
出 身 で大 正 年 生 ま れ
の 歳です。
竹田女学校時代はバ
レ ー ボ ー ル の選 手 と し
て活 躍 したそうです 。し
かし 当 時 は 太 平 洋 戦 争
の真 っ只 中 で、女 学 校 を
卒業 すると 大分 市 内の
軍 需 工 場 で働 く よ う に
なりました。
終戦 後間 もな く緒 方
町 内 で 6歳 年 上 の利 根
正直さんと 結婚し、夫婦
一 緒 に 農 業 で生 計 を 立
てま した。農 閑 期 には近
所 の方 や ご 主 人 と 長 湯
温泉に出かけるのが楽し
みだったそうです。
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ネやウサギ 、
狼に扮した
南宗一さん が、「皆 さ ん
があまりに上手なので
びっくりしました。来
て下さってありがとう
ご ざ い ま す 」と 挨 拶 を
し 、広 本 施 設 長 が 、「ま
た来て下さい。待って
い ま す 」と お 礼 の言 葉
を述べました。
1時 間 ほ ど の交 流 で
し た が 「可 愛 い な ぁ 」
「う ま か っ た よ 」「ま た
来 ち ょ く れ な 」と 帰 り
際 に子 ど も た ち に声 を
かけていました。
緒方小学校二年生と
引率の先生方、本当にあ
りがとうございました。
担当寮母―山本 愛
ぁ 」「う れ し い な ぁ 」と
喜んでいました。
利 用 者 を 代 表 し て阿
担当―吉野 明子
-4-
子 ど も た ち の演 技 に利
用 者 の皆 さ ん 釘 付 けに
小 学 生 にお礼 の挨 拶
をする阿南宗一さん
美味しいよ!と古澤マチコさん(左) 佐藤義子さん(右 )
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笑顔で小学生と握手する利用者の皆さん
11
緒方小学校二年生
皮 む き を 頑 張 った 足
立 貞 良 さ ん も 「う ま い
なあ 」と 感激し、古庄喜
月 日 (木 )、 時
久生さんも「
甘 い です 」
分より緒方小学校の2
と嬉しそうでした。
少 し 遅 れ て参 加 し た 年 生 、 名 と 引 率 の先 生
2名 が来 荘 してくれま し
工藤ハツヨさんは「
こ
れ
た 。ホ ールでは 名 の利
を忘れれたら人間お
用者が到着を心待ち に
しまい。世の中おしま
し 、元 気 で可 愛 ら し い声
い 」と 言 うと 、皆 さんは
が聞 こえてくると 皆 さん
うなずいていました。
皆 さ ん は 甘 く てお い
し い干 し 柿 に満 足 し 、
「
来 年も 、 そ ん次 も し
よ う え 」と 言 って終
わりました。今年は柿の
な り も 豊 富 でた く さ ん
橋 照さん(左) と 「これ見て」と眞部タマヱさん(右 )
!
の干し柿が出来ました。
自 分 でむ いた 干 し 柿 は
特においしかったようで
す。
担当―森 園美
衞藤キヨさん(左) と 首藤繁子さん(右 )
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首藤 繁子さん (
歳)
担当寮母― 高橋みのり
渡部キヨコさん (
歳)
先日のクリスマス・
忘年会では、ショー
トステイを利用して
いたご主人の歌って
いる姿にうっとりし
ていました。
担当寮母―長門 昭子
担当寮母―渡邉加代子
1月 1日 に 入 居 し ま し
た。大正8年に旧合川村に
8人 弟 妹 の長 女 と し て誕
生 し ま し た 。現 在 歳 に
なります。
昭 和 年 、 歳 の時 に
4歳 年 上 で緒 方 町 在 住 の
後藤慶数氏と結婚し、3人
の子どもに恵まれました。
平 成 9年 に 、ご 主 人 が
歳 で亡 く な り 、その後
は 一 人 暮 ら し を し ていま
した。その頃よ りデイサー
ビ ス センタ ー な ご み 塾 を
利用し、3年前からは任運
荘ショートステイを利用す
るようになりました。
歌うこと や 花・
野菜 を 作
ること が好 き な 後 藤 さん
です。
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誕生日にお嫁さん
が毛糸の帽子を持
って来てくれまし
た。いつも暖かそう
に被って い ま す 。
歳)
古庄喜久生さん ( 歳)
奥さんが面会に
来られると、
「メ
シ持っち来い 」
と亭主関白ぶりを
発揮しています。
工藤ハツヨさん ( 歳)
入居して八年目を
迎えます。いつも
「やっかいなばあさ
んですいません」
と、感謝の言葉を
言ってくれます。
担当寮母―文東 明美
-5-
古庄モモヱさん (
入居して初めての誕
生日を迎えました。
古庄さん、こんにち
は」と声かけすると、
うっすらと目を開け
て応えて く れ ま す 。
歳)
担当寮母―高橋みのり
阿多テル子さん (
担当寮母―吉野 明子
21
担当寮母―清水美智子
15
79
「一番食べたい物は
何ですか?」と聞
くと、しばらく考
えて「すきやきか
なあー」と答えて
くれまし た 。
82
88
!
72
96
81
88
髙宮久子 さん
起きてますか
」と尋ねると、
夕食時、目を閉じているので、
「髙 宮さん
(奥さんが任運荘ショートステイを利用中の時)
阿南幸丸 さん
「毎日奥さんの顔が見れていいですね?
そろそろ飽きてきたんじゃないですか
ワザと言うと、笑顔で「まだ あかん
」
工藤幸子 さん
しっかりと目を開けていたので、
「工藤さん、調子はどうですか?」と尋ねると
」
「寒いから風邪に気をつけて下さいね」と言うと
」と 「調子はいいです。快調です
! !?
「地域で一番の美人だったんじゃないですか?」
」
ある日の朝のこと・・
佐藤さんが古庄さんに、
佐 「失礼やけど歳はいくつですな 」
○
古 手で とすると、5の方だけを見た佐藤さん
○
は
佐 「えっ
歳な
○
古 「なんぼなんでん
○
「今日は何時ごろ出かけるんですか ?」
「どこへ行くんですか?」と聞くと、
「妹のところ・・結婚式があるの」
「妹さんの結婚式は聞いていませんねぇ」
阿南公子 さん
」 と驚いた様子。
なら
!?
」
」
「冬と夏はどっちが好きですか?」と聞くと、
川邊輝義 さん
「今日の味付けは まぁまぁね
「朝食は美味しいですか?」と聞くと、
と笑う。
「なんか知らん 黄門 肛(門 様)が
緊張しちょっち 出てこれんごたる
「今日は排便がありましたか?」と聞くと、
50
さん
「あら、やだわ・・夢を見てたんだわ」 広本美千代
後藤ミチコ さん
入浴が終わった後藤さんに、
「お風呂に入りましたか?」と聞くと、
50 !?
95
!!
「ハハハ ・・そ んな ことない わよ。
ハハハ・・」 と嬉しそうに笑う。
古庄喜久生さん
「今日はコメ ん検査はいいんやの
と聞くので、「今日はありませんよ」と言うと、
「そうか ・・」 と安心した様子。
」
「お 米の良し 悪しはどこで 分かるん ですか? 」
「表面の キズ を見 るんじゃ
」とズバリ言われた。
「それでは人間の良し悪しは?」
「気持ち じゃ
後藤タケ さん
」 と言う。
!
!?
と教えてくれる。
と笑う。
「そうじゃあ
寮母が思いっきり笑うと、
「今 出ちきた 」
「夏ん方がいい 」
「ブタっ て言う と、 たいがい の人は
「入浴してくれてありがとう 」と言うと
「そうですねぇ。冬になると夏が恋しくなり、
笑うんよ
本当は〝午 う(ま 〟)です」 「どこん ここん あろうちきた ハハハ」
夏になると冬が恋しくなりますねぇ」
ニッコリ笑って、
「 ブ タ
!
!
吉野秀子 さん
それをそばで聞いていた奥さんが、
佐藤眞子 さん
「承知しました」 と家政婦のミタ 風に言う。
「佐藤さんは若い頃からやせてたんですか?」 「とうちゃん、嬉しいことを言うち くる
佐藤義子さん と古庄町子 さん
るなぁ 」
「そうね ぇ。今 自 分で考え てた
とこなの ・・。 やせ てたわね ぇ 」
「生きちょる・・」 と一言。
!?
!!
!
!
」
!
!
-6-
!
!
「後藤さんの干支 は何ですか?」と聞くと、
!
!
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月 日にお亡 くなり
になりました。享年 歳
でした。以前はショートス
テイを利用され、入居して
からは、5年9ヶ月を過ご
されまし た 。
娘さんがよく面会に来
て下さり、顔や手足にクリ
ームを塗ったり、身の回り
のお世話をされていた姿
が思い出されます。
また児玉さんは、介助の
際に私たちの手が児玉さ
んの手に触れると、私たち
の冷たくなった手を「あ
~、こん手は冷て ~な 」
と言い、「かわいそう、か
わいそう」と言いながら両
手で包みこんで温めてく
れる優しい方でした。百歳
を目前にして亡くなられ、
とても残念でなりません。
心より児玉さんのご冥福
を
83
9 日(木) 喫 茶
13 日(月) 任運社運営会議
16 日(木) 緒方中学生・体験学習
26 日(日) 2月 誕生会
28 日(火) 利用者・職員対話会
歳末チャリティー出演
〟の勇士
23 日(木) 任運大学
昨年末の 月4日 日( に)緒方
町 の恒 例 行 事『第 回 緒 方 歳
末 チャ リ テ ィー シ ョ ー 』が緒
方公民館で行われました。
法 人 の任 運 社 か ら も 毎 回 任
運荘 →
騰々舎 な
→ご み塾 と 、持
ち 回 りで参 加 し、今 回 は任 運荘
が出演させていただきました。
出 場 したのは、任 運 荘 が誇 る
です。
〝AKB
(A=あ痛 、K=腰、
B=ボロボ ロ、
8 日(水) サービス
相談委員会
12
都はるみ や水前寺清子の曲に
合わせて着物姿から割烹着姿に
変 装 したりと 、会 場 は笑 いの渦
に包まれたようです。
後 日 、収 益 金 の一 部を 任 運社
へ寄 付 し ていた だ き ま し た。実
行 委 員 会 、そして会 場 に観 覧 に
来 ら れた市 民 の皆 様 、あ りがと 広 報 委 員 の ひ と り 言
うご ざいま した 。紙 面 にて御 礼
を申し上げます。担当―羽田野一彦
=平均体重)
元旦・お楽しみ会
新年互礼会
七草粥
喫 茶
冨髙ミサヲ氏百歳祝い
任運社運営会議
サービス相談委員会
業務検討会議
任運大学
主任会議
1月 誕生会
利用者・職員対話会
2 日(木) 節分行事
19
!?
58
【2012 年 1 月】
【2012 年 2 月】
◆おめでとうございます。本年も〝おとずれ〟をよろしく
お願いいたします。一月某吉日 、同 じ日にお目 出度 い
事が二件ありました。◆ひとつは任運荘利用者の冨髙
ミサヲさんが百 歳 のお誕 生 日 を迎 えられ、橋本 市 長
も来 荘 して頂 き、お祝いの会が行 われました。◆明 治
四 十五年生 まれの冨髙 さん。明治天 皇が七 月三 十
日に崩御されていますので、当施設では明治生まれで
百歳を迎えられる最後の方となります。◆この次に百
歳 を迎 えられる方 は大 正 生 まれです。明 治 生 まれの
方 が少 なくなっていくことに寂しさが感 じられます。お
祝いの会の記事は次号、掲載予定です。◆もうひとつの
お目出度 い事は、寮 母KHさんの結婚披露宴 が大分
市内のウェ
ディングホールで行われました。
現在二十二
歳のKさん。苗字がKから私と同じ○ハ となりました。
私
の様な 愛情溢れる家庭を築いて欲しいものです。
○ハ
-7-
58
!
お悔やみ
月 日に帰ら ぬ人と
なってしまいました。任運
荘で 年間生活されてい
ました。享年 歳でした。
吉良さんの家は醸造を
されていたので、「吉良さ
ん、吉良酒造の奥さん」と
声をかけると満面の笑み
で 、「 は い !」 と 答 え て く
れていま した。
また息子さんやお嫁さ
ん、二人の娘さんが面会に
来られると、「お母さん、
しっかりごはんを食べて
いますか ?」と良く話しか
けていま した。
昨年の夏に行われた盆
行事の時に、カキ氷をとて
も美味しそうに召し上が
っていた吉良さんの姿が
昨日のように思い出され
ます。吉良さん、たくさん
の笑顔をありがとうござ
いました 。
99
!
1 日(日)
4 日(水)
7 日(土)
12 日(木)
15 日(日)
17 日(火)
18 日(水)
25 日(水)
26 日(木)
27 日(金)
29 日(日)
31 日(火)
!?
平成24(2012)年 1 月 10 日
おとずれ 138 号