長崎旧薩摩屋敷及浜崎太平次倉庫並住宅図

長崎旧薩摩屋敷及浜崎太平次倉庫並住宅図
著者名
不明
出版年
不明
ページ数
図1枚
大きさ
28×39cm
【資料の紹介】
この図には,「旧薩摩屋敷」や「三井銀行」,「株式取引所」などと
ともに,浜崎家の商号や倉庫などが記されており,往時の長崎の様子を
うかがうことができます。
江戸時代には諸藩の蔵屋敷も薩州・肥後・筑前・長州・佐嘉・久留
米・小倉・柳川・対州・島原・唐津・平戸・大村・五島の14家,そ
れに富江・黒田・諫早・武雄・多久・深堀の6家が設けられ,それぞ
れ聞き役が勤務していた。(聞き役は情報連絡係)
(参考)
○ 「長崎への招待
第 5 版」
昭和 53 年
嘉村国男編
濱崎太平次(はまざき たへいじ)
1814∼1863年
幼名太兵衛,長じて太平次正房と改める。浜崎家は国分郷鹿児島神
宮の神官の出で,指宿郷湊村に移り,第三代新平の代に広く商業を営
み,第四代太左衛門は父の海運業をつぎ,寛政年間の『長者番附』に
大阪鴻池や大阪平野屋,伊勢三井八郎などと肩を並べて出せるほどの
富豪となった。その後第七代で傾き,第八代の太平次の少年時代まで
には,そうとう窮迫していたが太平次14歳のときに商船の乗組員と
して琉球に行き,大阪との間で商才を発揮した。
その後は,大きく海運業・造船業・貿易で力を発揮し,『安政年度
長者鑑』の筆頭者となった。指宿十二町湊の海岸に大造船所を設け,
30数隻の大船を建造したらしい。また密貿易の手先として藩の財政
を支えた。
(参考)
○ 「鹿児島大百科事典」
昭和 56 年
南日本新聞社