ナポレオン「エジプト誌」 - 雄松堂書店

ナポレオンの命により出版された
史上に名を残す書籍の皇帝
1798 年、ナポレオンは約 5 万の大軍の他、学士院の協力を得て、167 名の学術調査団を加え、エジ
プト遠征に乗り出しました。そこでは、考古学、美術、博物学を中心とした綿密な調査が行われ、多
くの収集品がフランスへ持ち帰られようとしていました。その帰途、アブキール湾において、ネル
ソン提督率いるイギリス海軍に大敗した為、アレキサンダー条約により収集品の多くはイギリス
に接収されました。しかし、調査の際作成していた多くの資料をもとに、当時のフランスが国力を
あげて出版したナポレオン勅命の書が本書
「エジプト誌」
です。正式な書名は
「ナポレオン皇帝陛下
の命により出版された、フランス軍エジプト遠征中の観察・研究の集成と記述」
といい、通称
「ナポ
レオンのエジプト誌」
と呼ばれています。
本セット全 23 巻のうち、テキスト 9 巻 (415 x 280mm)、図版 14 巻 (735 x 555mm)、うち 3 巻はエ
レファント判と呼ばれる超大判 (1110 x 730mm) を含みます。本セットの古代篇と博物篇には合計
Description de l’Égypte
ナポレオン「エジプト誌」
全 23 冊 図版 895 枚(詳細・価格はお問い合せ下さい。)
[Commission des Sciences et des Arts d'Égypte] Napoléon I.
Description de l'Égypte ou recueil des observations et des reserches qui ont été
faites en Égypte pendant l'Expédition de l'Armée Française.
Paris: L'Imprimerie Impériale, 1809-22.
45 枚のカラー図版が含まれています。資料によるとカラー図版は 72 枚含まれることになっていま
すが、国内所蔵のセットを調査した結果、カラー図版の枚数は様々で、平均すると 40 枚前後になり
ます。
「エジプト誌」
の特徴である超大型図版を折らずに製本したエレファント判を含むセットの
所蔵は、決して多くはなく、ヒエログリフ解読のきっかけとなったロゼッタ石の図版や、後年に追
加された地図篇も折らずに製本されています。図版の余白等に若干の傷みはありますが、全体的に
はよい保存状態です。
人間が造ってはいけない書物
書物の存在を知ってから 50 年以上、書物への関心をずっと持ち続けているのですが、最も
大きな驚きのひとつに洋書の世界を初めて見た時のことが挙げられます。洋書の世界を知っ
たとき質もランクも全く違うと思いました。そこに投入された人々のエネルギーや、情熱と
いったものが、世界レベルになると桁が違うとつくづく感じたのです。そういった書物のう
ちの一冊が「エジプト誌」です。「エジプト誌」を所蔵している天理図書館ではじめてその
実物を目にした時・・・これは人間が造ってはいけないのではないかという印象を受けたの
です。私はそういう類の本を「ワンダーブック」と呼ぶようにしているのですが、まさにワ
ンダーでした。資料に使うためとかいう域を超えて一種の七不思議をつくっている。出版と
はピラミッドを造るのと同じ様なすごい作業なのだと感じた最初の本でした・・・。
(雄松堂フォーラム 荒俣 宏 氏講演録「発見された古代エジプト」より抜粋)
Y-11004 (0550) 02-11
ロゼッタ石の下部(ギリシア文字部分)
遺跡が手元にない段階で、遺跡の模写をコ
ピーした図のため、大英博物館にあるロゼッ
タ石とは少し形が異なる。この図版は一番
下のギリシア語で書かれた部分。ロゼッタ
石は上がヒエログリフ、真ん中はデモティッ
クと言われる民衆文字、下はギリシア語の三
連からなるが、この一番解読可能なギリシ
ア語から色々な研究が行われた。ロゼッタ
石をはじめ、発掘された遺物のほとんどは
休戦協定によりイギリスの所有となるが「遺
物を持って行くなら自分たちも連れていけ」
という研究者たちのエジプトの遺跡への思
博物編の版画
い入れが伺い知れる発言も伝えられている。
エジプト史の博物編は版画でかなり傑出したものが見受けられる。鷲や鷹
の羽の一枚一枚、植物の細かい葉脈など、非常に丁寧に描かれている素晴
らしい図版がある。上の図版の魚は古代魚ポリプテルス。肺魚である。魚
類研究において 19 世紀最大の発見であった。
フィラエ島 大神殿中廊内部を望む
ナイル上流部にあるフィラエ島の神殿の状況を再現した復元図。鮮やかに彩どられ
ており、画家の想像力と芸術性がこの一枚に凝縮されている。この神殿が建てられ
たのがプトレマイオス朝という古代エジプトでも比較的新しい時代だったので、再
現が割合に容易であった。神官が着ている衣服などが中国人と大変似ていることか
ら、文明を共にしたのではないかと想像を逞しくした人もいたらしい。
テーベ メムノン 西神殿の彩色内部の遠景
初版にしかない色刷り図版の例。筆によってカラフルに彩色された色の中、ひときわ
鮮やかなブルーが目をひく一枚であり、美術的レベルの高さは研究のための図版の領
域を越えている。このように細部まで色がついている図版は復元図、つまり想像で描
いたものであり、ナポレオン軍がエジプトに来たときとは異なる情景であった場合が
メンフィスのピラミッド
南東からみたスフィンクスと大ピラミッド
多い。2000 〜 4000 年前の姿を理想的に美しく復元した図から、当時の人々のエジプ
デンデラにはハトー
現在、スフィンクスの前足は掘り下げられているが、当時はこのように埋まってい
姿を評価する感覚が芽生えるが、当時は足りない部分は幻想によって補うことになん
ルという死の女神を
た。スフィンクスの鼻がかけているのはなぜか?中世にマムルークが破壊したとい
の罪悪感も持たないどころか、復元した物を見せる方が古代のすばらしさを体験でき
祭った祭壇があった
う説や、ナポレオンが大砲を撃ちこんだという説があるが、いずれにしてもミステ
ると考えられていた。こうした復元は遺跡を再現するという科学的な目的以外に、エ
の で、 彫 ら れ て い
リアスなその容姿は想像力を刺激してくれる。測量している人々まで描かれている
ジプトの神秘に幻想を抱くことを楽しむという理由もあったのだろう。
る女性はその女神の
ことにより、測量方法の記録となると同時に、人と遺跡を比べスケールの大きさを
顔でないかと思われ
表現する工夫がなされている。
デンデラ 円柱
る。
トへの関心度がうかがえよう。17 世紀以降の古物趣味によって古い物のあるがままの