商業化される音楽と踊りー日本におけ るラテンアメリカ文化普及の一事例

日本ポピュラー音楽学会(JASPM)第19回大会
個人研究発表A
2007年12月9日(日)10:00~10:30 名古屋大学
ダンス
商業化される音楽と踊りー日本におけ
るラテンアメリカ文化普及の一事例
岩永 健吾
(立教大学ラテンアメリカ研究所講座受講生)
[email protected]
0. Shall we サルサ?
- “Salsa Hotline Night”より 2007年3月31日、東京・青山にて
このイベントには約200人が参加した。
当日の時間割り
18:00: 開場
18:40-19:20: サルサレッスン (レベル別)
19:20-21:30: パーティタイム
21:30-21:45: ショータイム
21:45-23:30:パーティタイム
23:30: 終了
発表者撮影
1.サルサ音楽略史
<社会史:背景>
•1898年米西戦争→スペインが破れ、プ
エルトリコは米国領となる。
その後プエルトリコから米本土への移民
が増加。
•1959年キューバ革命により、キューバ
-米国間の人的交流が途絶える。
•1960年代前半のいわゆる公民権運動
→アフリカン・アメリカンを中心に、自分たち
の民族的アイデンティティを見直す運動
•1980年代前半:ニューヨーク生まれの
移民の増大
http://www.kagome.co.jp/salsa/whats/index.html
<サルサ音楽>
•20世紀前半、キューバに誕生したポピュラー音楽
(ソン、マンボなど)が米国を始めとした音楽市場で
流通
•1964年ファニア・レコード創設
•1968年ファニア・オールスター・バンド結成
•1971年「伝説」のライブ→映画『Our Latin Thing』
→ニューヨリカン(ニューヨークに住むプエルトリコ人)、
ドミニカ人、ユダヤ人などが演奏。←「サルサ」と呼ばれる。
•若者たちのサルサ離れ
•1980年代半ば、サルサ・ロマンティカ(ロマンティック・サルサ)
のブーム発生→「メロウでロマンティックなサウンド」
「エロティックな歌詞」、「比較的テンポが遅く、踊り易い」
[岡本2002]
•1987年RMMレーベル創設→英語歌詞の曲など、
若者によりアピールする内容のアルバムを次々発表
•1990年代前半→ラップなどとの融合が進む
カリブ海沿岸諸国出身のミュージシャンも米国、ラテ
ンアメリカならびにヨーロッパを中心に活躍
2.サルサダンス略史
•ラティーノの文化実践における、音楽とダンスの関係性
•「楽しむ」サルサと「見(せ)る」サルサ
→ Pietrobrunoによれば、
「ストリートサルサ(Street salsa)」と社交ダンスの影響を受けたラテンダンス
「ストリートサルサ」とは「日常の生活の中から生まれてきたダンスの一般的な型を示す言葉」
[Pietrobruno 2006]
「楽しむ」サルサ
「見せる」サルサ=構造化されたダンス
•子供のころからサルサを踊って育ってきた
人々の多くは、長年の経験と実践を通じてそ
のダンスの伝統を獲得してきた。
•1980年代に米国で社交ダンスを基に、サルサのペアダン
スの「型」が創られる。
NYスタイル、LAスタイル、マイアミスタイル. . .
スタイルごとにステップなどに違いがある。
•サルサの踊り方:ペアダンス、シャイン(←1人で踊る)
•生活の文脈の中でサルサを学んだ人は、
ダンスのステップやターンと、全体的な体の
動きとを区別しない。 [以上Pietrobruno
2006]
踊れない人
→メキシコシティのダンススクールの例
•社交ダンスのジャンルとしてのサルサ
→1999年英国の社交ダンス協会がサルサを社交ダン
スのジャンルとして公認。(ただし競技種目ではない)
•社交ダンスのラテンスタイル
→キューバのソン,チャチャチャ,マンボの踊りの動きを
取り込んだもの。[Pietrobruno 2006][McMains 2006]
3.サルサの音楽とダンスに関する先行研究
NYを中心とした米国
•アイデンティティ構築
「サルサ:ラテンとしての一体性とポピュラー音楽」に関する一節[ニーガス 2004]
•サルサにキューバ的な音楽要素は含むが、
サルサはプエルトリコの労働者の表現手段として作られた。(デュアニィ)
サルサはラテンアメリカ文化の一体性(アイデンティティ)の表現。(パディラ)
カリブ海沿岸諸国
•1980年代、コロンビアのカリを中心として、独自の音楽・ダンスが興隆[Waxer 2002]
→サルサのラテンアメリカ諸国への広がりを示す事例
非ラテンアメリカ文化圏
•ロンドン、パリ、モントリオールのサルサダンスの普及に関する各国事例研究
[Escalona 2007, Pietrobruno 2006, Román‐Velázquez 1999, Urquía 2004]
→いずれも南米を中心とするラテンアメリカ系移民が多く居住している都市。
•サルサ普及の要因として、1)ラテンアメリカ系移民が踊るサルサの場の存在、2)ローカルな人々の
ラテンアメリカへの旅行など現地の音楽に親しむ環境、3)『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に代表さ
れるようなメディアでの音楽・ダンスの露出[Escalona 2007]
日本においては、ラテンアメリカ系移民の多くは日系人→1990年入国管理法の改正により増加したが、
サルサの普及において、他の事例にみられるような役割を果たしているとはいえない。
4.日本におけるサルサ音楽略史
日本におけるサルサ演奏
•1976年:ファニア来日
•1978年:「オルケスタ・デル・ソル」結成
「でもサルサって言葉を言うときに説明しなきゃいけないのがツライね。レゲェはみんな知ってんのに。」
[河村 1982]
•1984年:「オルケスタ・デ・ラ・ルス」結成→1989年NYツアー→1993年国連平和賞受賞・紅白出場
→1997年解散
•夏に来日アーティスト中心にコンサートが行われる。
•毎年野外ライブイベントが福岡で開催(Isla de salsa)
日本におけるサルサレコード/CD/ビデオ
•1970年代初頭:輸入レコードが店頭に並び始める[Hosokawa 2002]
•1977年:松岡直也「日本が世界に問う 初のサルサ登場!」と騒がれたアルバム発売
•1995年:『Salsa100%』コンピレーションアルバム発売
•1996年:映画『KYOKO』村上龍監督
•1997年:映画『Dance with me』公開
http://laluz.jp/discography/2006/03/
•1999年:映画『SALSA!』公開→2000年の単館ロードショウ動員2位
historia_de_la_luz.html
•2000年:NHK番組『新ラテン紀行』でサルサが取りあげられる。
叶姉妹がサルサのCDリリース
5.日本におけるサルサダンス略史
日本におけるサルサダンスに関する略史
•1992年:日本で最初といわれるサルサクラブが東京・六本木にオープン
サルサダンス教室開講。
•1994年~:サルサ・ワークショップや定期イベントの開催
フォルクーバイベント(1994~)、100% Salsa Night (1995~)毎回300人、
キューバンサルサフェスティバル(1996)800人参加
•1995年:雑誌で取り上げられる。
「日本で完璧にサルサを踊れるのは、男で10人、女で20人くらいで..」 [Brutus 1995]
サルサダンスフリーペーパ配布開始(『月刊サルサ』)
•1996年:サルサ情報専門のWebサイトがオープン
•1999年:第1回日本サルサフェスティバル開催(Japan Salsa Congressの前身)
以降毎年開催され、LAサルサ・コングレスへの予選も兼ねている。
雑誌『SPA!』でサルサダンス特集
•2003年:8月「Salsa Libre en ヴェルファーレ」がスタート
•2007年現在は東京を始め、名古屋、大阪、福岡、札幌などの大都市中心にクラブが点在。
カルチャーセンターやフィットネスクラブなどでもサルサは踊られている。
・ サルサレッスンの数( 『120% SALSA』に掲載されているサルサクラス情報)
東京近郊:1998年8月号には10人のインストラクターで週に50クラス開講だったのが、
2007年3月号では63人、200クラスに増加。
6. サルサダンスシーンの特徴
音楽とダンスとの分離
•「今まで色々なジャンルのDJをやってきましたけど、SALSAのDJほどきついジャンルはないです。…客は曲を
聴いているというより、テンポを確認しているだけなので、ほとんどやりがいがありません。」[SHJ 1999]
•「モントリオールのインストラクターで生徒にリズムと一緒に踊ることを教えるときにリズムを強調している人は
ほとんどいない。」[Pietrobruno 2006]
•サルサを踊る人口は急増しているにもかかわらず、CDの売上は急増していない。[Japan Times 1997]
ダンスのスタイルの違い
•「ちなみに、サルサにはアーシーなキューバ系とアーバンなNY系があって、コアな人でなければわからない
大きな違いがあるらしい。」[Brutus 1995]
•1990年代のロンドンで最初にサルサを踊っていたのはコロンビア人(コロンビアンスタイル)→ロンドンに住む
人々はニューヨークスタイルを選択→一部で英国スタイルへと変化[Urquía 2004 cited in Piertobruno 2006]
•「誰に習っていますか?」は初めての人と踊るときによく尋ねられる質問。
踊る場所の極化
•2005年7月にはニューヨークスタイルがサルサシーンを席巻している。1990年代、モントリオールのク
ラブでは、ラテンアメリカ系やカリビアン系の人々がみられたが、2005年の夏までには、その影はかなり
薄くなってしまった。[Pietrobruno 2006]
•日本では1997年ごろまでは日本人、ラテンアメリカ系の人々が一緒に踊る場が存在した。たが、1999
年以降はラテンアメリカ系の人が踊る場は主に東京郊外のディスコへと変わり、日本人が多く踊る六本
木でみかけることは少なくなった。ただし、白人系はレッスンなどでも時折みかける。(発表者観察)
7. サルサダンスの商業化1
ペアダンス普及の背景
日本の社交ダンス小史[永井 1991]
•1883年鹿鳴館開館に際し、舞踏会が開催される。その後、政府要人に一種の「舞踏熱」。
→「猥褻なりと言いせば、どこまでも猥褻に相違なし。」『朝野新聞』
→「抱き合って踊ることによって、男女の肉体が濃密に接触するので、いかに精神力があったとしても
いずれ肉欲を抑えることができなくなる。」『女学雑誌』
•ダンスホールは、1920年代の設立以降、風俗営業とみなされ法の下で警察の取り締まりの対象となっ
ていた。(飲食の提供、異性による接待:ダンスチケット制)
映画『Shall we ダンス?』のヒット
•1996年公開、200万人を動員。全世界で公開され、ハリウッドリメイク版『Shall we dance?』も製作、
公開された。
テレビ番組
•1996年4月から放映された「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の企画コーナー「ウリナリ芸能人社交ダンス部」
で社交ダンスが取り上げられる。2002年の番組終了後も、特番として年に1~2回放送中。
•日本の社交ダンス人口の増加
•男女が一緒に踊るペアダンスの認知度の向上
8.サルサダンスの商業化2
サルサダンス普及の背景
サルサ・コングレスの開催
・1999年より毎年Japan Salsa Congressが開催される。2003年には3000人のサルサダンサーが参加。
・Salsa Hotline Nightでのパフォーマンス→LAサルサコングレス出場者の選考会を兼ねている。
・Japan Salsa Congressでのサルサパフォーマンス→出場希望者はビデオ審査、
出場者にはチケットのノルマあり。
サルサのプロモーション団体(Japan Salsa Congressを主催)
代表のプロフィール:
1970年より大手の音楽プロダクションに18年間在籍。ボランティアではなく、ビジネスとしてリスクを持ち、
音楽ビジネスの経験から、トータルに、より広く深く、サルサを日本に定着させたいと活動中。[SHJ 2007]
社交ダンスのインストラクターの参入
サルサダンスのインストラクターは日本人が大多数でラテンアメリカ系の人々(キューバ、コロンビア、
ペルー等)は少ない。社交ダンス、もしくは、ダンス経験者から転向した人々が多い。
→サルサダンスのスタイルの標準化がすすむ。
社交ダンスとサルサの踊り→ダンスとしての親和性
9.まとめ
日本におけるサルサの商業化とは?
・普及の背景として、ペアダンスがメディアなどを通じた社交ダンスによって広く認知されたことがあげられ
る。サルサは1990年後半から一部の日本人によって踊られ始め、1999~2000年頃に、「流行」としてメ
ディアの関心を引いた。その後社交ダンス界から転向したインストラクターや、コングレスの開催などによ
り、商業化の流れが決定付けられた。
多様化するサルサ
・40歳以上入会お断りのサルサ同好会
・禁煙サルサ(公民館のホールを貸切り開催)
・ 『体の芯からキレイをつくるシェイプアップサルサ』見ながら覚える60分DVD付き
参考文献(和書)
SALSA HOTLINE JAPAN (SHJ)
1999 『SALSA! 恋するサルサブック』.音楽之友社
2007 Salsa Hotline Japanホームページ(http://www.salsa.co.jp/zzz/outline/contact.html)
岡本郁生
2002 「サルサ、ポップス、ロック・・・北と南のあいだで」『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図 (東琢磨編)』.
音楽之友社
河村要助
1983 『サルサ天国』.話の特集
月刊ダンスファン
2004 『月刊ダンスファン2月号増刊 Latin Dance Vol.1』.白夜書房
スチュワード、スー
2000 『サルサ:ラテンアメリカの音楽物語』.アスペクト
永井良和
1991 『社交ダンスと日本人』.晶文社
ニーガス、キース
2004 『ポピュラー音楽理論入門』. 水声社
マガジンハウス
1995 「サルサが舞い降りた島プエルトリコ」『Brutus』10月15日号pp.80-103
参考文献(洋書)
Aparacio, Frances R.
1997 Listening to Salsa : Gender Latin Popular Music, and Puerto Rican Cultures. Wesleyan
Univ. Press
Escalona, Saúl
2007 La salsa en Europa : rompiendo el hielo… Eundación Vicente Emilio Sojo
Hosokawa, Shuhei
2002 Orquesta de la Luz and the Globalization of Popular Music. in Situating Salsa. ed. Lise Waxer.
Routledge
McMains, Juliet
2006 Glamour Addiction : Inside the American Ballroom Dance Industry. Wesleyan Univ. Press
Pietrobruno, Sheenagh
2006 Salsa and its Transnational Moves. Lexington Books
Román‐Velázquez, Patria
1999 The Making of Latin London : Salsa Music, Place and Identity. Ashgate
The Japan Times
1997 Tokyo Develops a Taste for Hot Salsa. The Japan Times. June 15. p.3
Urquía, Norman
2004 'Doin' It Right': Contested Authority in London's Salsa Scene, in Music Scenes: Local,
Translocal, and Virtual, eds. Andy Bennett and Richard A.Peterson, Vanderbilt Univ. Press
Waxer, Lise
2002 The City of Musical Memory : Salsa, Record Grooves, and Popular Culture in Cali,
Colombia. Wesleyan Univ. Press