国語

平成 24 年度 入学者選抜試験問題
100 点
国 語
50 分
実施日時:平成 24 年1月 19 日(木) 9:00∼9:50
*下記の〈注意事項〉をよく読み、監督者の指示を待ちなさい。
〈注意事項〉
− 開始前 −
1.監督者の〈開始〉の指示があるまで、この冊子を開けない。
2.解答用紙には、解答欄のほかに下記の2つの記入欄がある。その説明と解答用紙の
「注意事項」を読み、2項目の全てに記入またはマークする。
・受験番号
上段に受験番号を記入し、下欄にマークする。
・氏名
氏名・フリガナを記入する。
3.解答用紙に汚れがある場合は、挙手で監督者に知らせる。
4.この用紙の受験番号欄に受験番号を記入する。
― 開始後 ―
1.問題は4ページから 23 ページまでの各ページに印刷されており、第1問、第2問で
構成されている。
開始後確認してページの落丁、乱丁、印刷不鮮明等がある場合は、挙手で監督者に
知らせる。
2.解答はすべて解答用紙の所定の欄へのマークによって行う。たとえば
3 と表
示のある問に対して 2 と解答する場合は、次の〈例〉のように解答番号3の解答欄
の2をマークする。
〈例〉
解
答
欄
解答
番号
1 2 3 4 5 6 7 8 9 0
3
1 / 3 4 5 6 7 8 9 0
3.マークする際はHBの鉛筆でマーク欄を適切にマークすること。
4.質問等がある場合は、挙手で監督者に知らせる。
5.試験開始後 30 分間および試験終了前5分間は退出できない。
受 験 番 号
―1―
−2−
(問題は次のページから始まる)
−3−
次の文章を読んで、後の問い︵問1∼8︶に答えなさい。
もともと、
﹁ 人 は な ぜ 働 か な く て は な ら な い の か ﹂と い う 問 い に は 、あ る ネ ガ テ ィ ヴ な 動 機 、働 く こ と 自 体 へ の
第1問
ア
カイギ感情といったものが拭いがたくまといついている。というのも、実際、働くことにはさまざまなつらさが
イ
つきものだからである。ある者は、肉体的な労働のきつさを訴える。またあるものは、組織のなかで、上司の納
得できない命令に従わなくてはならないリフジンさをいう。また別の者は、自分の資質と現にやっている仕事と
の不適合をいい立てる。また、支払った努力に相応の報酬が得られない不平を鳴らす者もいる。さらに、職場の
人間関係がスムーズに流れないことに大きなストレスをためる者もいる。また、ある目的を果たすために作られ
た企画が、実際には、その達成に少しも役立っていないという実感が伴うため、自分の労苦に意味を見いだせな
に織り込められている。
うっせき
甲
いという場合もある。
﹁ な ぜ 働 か な く て は な ら な い の か ﹂と い う 問 い の な か に は 、こ れ ら の﹁ 労 働 の 苦 痛 に 対 す る
不条理感覚﹂が
こ の 不 条 理 感 覚 が 鬱 積 す る と 、﹁ な ぜ 働 か な く て は な ら な い の か ﹂ と い う 問 い は 、﹁ あ く せ く 働 い た っ て ば か ら
し い だ け だ 。金 さ え あ っ た ら と っ く に 仕 事 な ん か 辞 め て や る ﹂と い う 否 定 的 な バ イ ア ス を 強 く 帯 び る よ う に な る 。
この問いに、そうした否定的なバイアスがかかる事情は十分に納得できる。しかし、先に述べたように、人は
有り余るほどの金を手にしても、必ずしも働くことをやめようとはしない。その理由をあくまで論理的に突き止
めようというのが私のここでの意図であるから、こうした否定的なバイアスをかけてこの問いについて考えるこ
もた
と を い っ た ん は 断 ち 切 ら な く て は な ら な い 。そ の た め に は 、も っ と 単 純 に 、
﹁ な ぜ 人 は 働 く の か ﹂と い う よ う に 問
いのかたちを変えることが適切であろう。
a
、 だ れ も が 、﹁ 好 き な 仕 事 ﹂ に
し か し そ う す る と 、ま た 、一 つ の 答 え が 頭 を 擡 げ て く る 。そ れ は 、
﹁ 好 き な 仕 事 に 就 く こ と で 、人 生 の 充 実 を 味
わえるからだ﹂というものだ。だが、この答えは明らかに不十分である。
−4−
就けるわけではないし、たとえはじめは﹁好きな道﹂と踏んである仕事に飛び込んだとしても、どの道であれ、
乙
に多いからである。
働 く こ と の つ ら さ は つ い て ま わ る し 、実 際 に は 、
﹁ い や い や な が ら ﹂と い う 感 情 を 押 し 殺 し な が ら 日 々 の 仕 事 を や
り過ごしている場合のほうが
世 の 中 の 多 く の メ デ ィ ア は 、﹁ 生 き 生 き と 働 い て い る ﹂ 人 た ち を こ と さ ら ク ロ ー ズ ア ッ プ し 、﹁ こ ん な に 個 性 的
で自分を実現できる生き方がある﹂といった情報をこれでもかこれでもかと私たちに焼き付けようとする。それ
は、勤労意欲を減退させた人たちや、仕事に生き甲斐を見いだせなくなった人たちに対する一種の慰め、元気づ
ウ
、労働現場でのさまざまなつらさを実感している多くの人にとっては、それによってよい刺激を与えら
け、勇気づけを動機としていて、そのかぎりでは、善意にもとづいているということがわからないではない。
b
注1
れ る 場 合 よ り も 、か え っ て 、
﹁ あ あ い う の は 、し ょ せ ん は 選 ば れ た 人 た ち の 、し か も 、い い と こ ろ だ け を チ ュ ウ シ
ュ ツ し て ス ポ ッ ト を 当 て て い る に す ぎ な い ﹂と い う 白 け 感 覚 や ル サ ン チ マ ン を 増 大 さ せ る 逆 効 果 の ほ う が 大 き い
と思う。若者に﹁生き方の夢﹂を与えるのは必要なことだが、同時に、あらゆる仕事に伴う苦労もきちんと伝え
か い り か ん
る の で な け れ ば 意 味 が な い 。つ ま り 、
﹁ 好 き な 仕 事 を 好 き な よ う に 追 求 す る の が い い ﹂と い っ た コ ン セ プ ト に よ っ
て労働の意義を根拠づけようとすることは、えてして理想と現実との乖離感をかき立てる結果になりやすいので
、労 働 の 意 義 を ﹁ モ ラ ル ﹂ に 求 め る 考 え 方 は ど う だ ろ う か 。
﹁働かざるものは食うべからず﹂
﹁勤労は、
ある。これでは振り出しに戻ってしまう。
c
そ れ 自 体 が 美 徳 な の だ 。怠 け て ふ ら ふ ら し て い る や つ は ろ く な こ と を せ ず 、社 会 に 害 毒 を 流 す ﹂
﹁小人閑居して不
善をなす﹂云々。
この、道徳観念によって労働の意義を根拠づける考え方は、多くの人をとりあえず納得させるに違いない。そ
れは現に営々と働いている人たちのアイデンティティを保証してくれるし、それらの人たちの働きのなかに流れ
注2
るエートス によってこの社会が支えられていることは事実だからだ。
−5−
︵1︶
し か し 、私 は 、こ れ も ま た 別 の 意 味 で 不 十 分 で あ る と 考 え る 。と い う の は 、お よ そ あ る 道 徳 観 念 と い う も の は 、
それだけとして絶対的に︵自己原因的に︶成り立つものではなく、むしろ人間どうしの欲求や行動の交錯が生み
そ
ご
出してしまう秩序の混乱を避けようという必要から二次的に考案された知恵に他ならず、それを純粋かつ教条的
に通そうとすると、必ず、人間の活動実態との間に無理な齟齬を生み出してしまうからである。この場合でいえ
ば、過度な勤労道徳によって人間の労働の意義を根拠づけようとすると、そこにはかえって強制感と抑圧感がつ
きまとうことになり、再び﹁なぜこんなにあくせく働かなくてはならないのか﹂という疑問を強く導き出してし
まう。
︵中略︶
以 上 の よ う に 考 え て く る と 、﹁ 人 は 働 く こ と が 好 き な の だ ﹂ と い う 欲 望 論 的 解 釈 や 、﹁ 労 働 は 美 徳 で あ る ﹂ と い
う道徳観念が、労働の意義を支える究極点なのではなく、むしろ逆に、個人の自然本性︵好きな道だから働く︶
でも道徳観念︵人は働くべきだ︶でもない何かが、私たちの﹁働きたい﹂という欲求や﹁働くべきだ﹂という道
徳を支えているととらえたほうがよい。
丙
に 規 定 さ れ て あ る と い う こ と に は 、三 つ の 意
私はこの問題を次のように理解する。労働の意義を根拠づけているのは、私たち人間が、本質的に社会的な存
在であるという事実そのものである。
労働が私たちの社会的な存在のあり方そのものによって
味が含まれている。一つは、私たちの労働による生産物やサービス行動が、単に私たち自身に向かって投与され
た も の で は な く 、 同 時 に 必 ず 、﹁ だ れ か 他 の 人 の た め の も の ﹂ と い う 規 定 を 帯 び る こ と で あ る 。
自分のためだけの労働もあるのではないか、という反論があるかもしれない。なるほど、ロビンソン・クルー
ソー的な一人の孤立した個人の自給自足的労働を極限として思い浮かべるならば、どんな他者のためという規定
も帯びない生産物やサービス活動を想定することは可能である。じっさい、私たちの文明生活においても、一人
−6−
暮らしにおける家事活動など、部分的にはこのような自分の身体の維持のみに当てられたとしか考えられない労
働が存在しうる。
d
今度はそれ自身が他の外的な活動のために使用されることになる。また自分自身を直接に養
しかし、そのようにして維持された自分の身体は、ほとんどの場合、ただその維持のみを目的として終わるこ
とはなく、
う労働行為といえども、そこにはそれをなし得る一定の能力と技術が不可欠であり、それらを私たちは、ロビン
ソ ン・ク ル ー ソ ー 的 な 孤 立 に 至 る ま で の 生 涯 の ど こ か で 、﹁ 人 間 一 般 ﹂に 施 し う る も の と し て 習 い 覚 え た の で あ る 。
自 分 自 身 を 直 接 に 養 う 労 働 行 為 に お い て 、 私 た ち は 、﹁ 未 来 の 自 分 ﹂﹁ い ま だ 自 分 で は な い 自 分 ﹂ を 再 生 産 す る た
︵2︶
めにそれを行うのであるから、いわば、自分を﹁他者﹂であるかのように見なすことによってそれを実行してい
るのだ。自分一人のために技巧を凝らした料理を作ってみても、どことなくむなしい感じがつきまとうのはその
ゆえである。
さらに、私たちは、資本主義的な分業と交換と流通の体制、つまり商品経済の体制のなかで生きているという
条件を取り払って、たとえば原始人は、閉ざされた自給自足体制をとっていたという﹁純粋モデル﹂を思い描き
e
、あ る 一 人 の 労 働 行 為 は 、
がちである。だが、いかなる小さな孤立した原始的共同体といえども、その内部においては、ある一人の労働行
為 は 、常 に 同 時 に そ の 他 の 成 員 一 般 の た め と い う 規 定 を 帯 び て い た の で あ る 。
彼が属する社会のなかでの一定の役割を担うという意味から自由ではあり得なかった。
労働の意義が、人間の社会存在的本質に宿っているということの第二の意味は、そもそもある労働が可能とな
るために、人は、他人の生産物やサービスを必要とするという点である。これもまた、いかなる原始共同体でも
変わらない。実際に協業する場合はいうに及ばず、一見一人で労働する場合にも、その労働技術やそれに用いる
エ
道具や資材などから、他人の生産物やサービス活動の関与を排除することは難しい。すっかり排除してしまった
ら、猿が木に登って木の実をサイシュする以上の大したことはできないであろう。
−7−
︵3︶
そして第三の意味は、労働こそまさに、社会的な人間関係それ自体を形成する基礎的な媒介になっているとい
う事実である。労働は人間精神の、身体を介してのモノや行動への外化・表出形態の一つであるから、それはは
オ
じめから関係的な行為であり、他者への呼びかけという根源的な動機を潜ませている。
人はそれぞれの置かれた条件を踏まえて、それぞれのブショで自らの労働行為を社会に向かって投与するが、
それらの諸労働は、およそ、ある複数の人間行為の統合への見通しと目的とを持たずにばらばらに存在するとい
う こ と は あ り 得 ず 、だ れ か の そ れ へ の 気 づ き と 関 与 と 参 入 と を は じ め か ら﹁ 当 て に し て い る ﹂。そ し て で き あ が っ
た生産物や一定のサービス活動が、だれか他人によって所有されたり消費されたりすることもまた﹁当てにして
い る ﹂。他 人 と の 協 業 や 分 業 の あ り 方 、ま た そ の 成 果 が 他 人 の 手 に 落 ち る あ り 方 は 、経 済 シ ス テ ム に よ っ て さ ま ざ
憤りや憎悪の感情
精神や習慣
X
︵小浜逸郎﹃生きることを考えるための
問 ﹄︶
−8−
まであり得るが、いずれにしても、そこには、労働行為というものが、社会的な共同性全体の連鎖的関係を通し
ルサンチマン
エートス
てその意味と本質を受け取るという原理が貫かれている。
注1
注2
24
・
・
・
・
・・
・・
・
・
・
・
カイギ
リフジン
チュウシュツ
会
人
注
採
諸
∼
5
回
陣
宙
彩
署
壊
仁
抽
栽
所
に 入 る 語 と し て 最 も 適 切 な も の を 、次 の
懐
神
仲
災
緒
∼
の中からそれぞれ一つ
皆
尽
忠
載
処
乙= 7
丙= 8
の中からそれぞれ一つずつ選びな
甲= 6
∼
傍線部ア∼オのカタカナの部分を漢字に直す場合、最も適切なものを、次の
3
2
1
ずつ選びなさい。解答番号は 1
ア
イ
ウ
サイシュ
ブショ
丙
1
複合的
−9−
4
5
∼
概念的
1
5
5
5
5
5
5
4
4
4
4
4
エ
オ
甲
4
5
3
3
3
3
3
2
2
2
1
1
1
1
1
2
2
論理的
5
本文中の
圧倒的
3
問1
問2
根源的
2
さい。ただし同じものを二度以上用いてはならない。解答番号は
1
問3
問4
本文中の
a
∼
e
d=
つまり
∼
e=
に 入 る 語 と し て 最 も 適 切 な も の を 、次 の
c=
むしろ
12
さい。ただし同じものを二度以上用いてはならない。
b=
しかし
4
∼
の中から一つ選びなさい。
なぜなら
の中からそれぞれ一つずつ選びな
5
13
5
11
に入る表現として最も適切なものを、次の
1
1
a= 9
X
3
解答番号は
では
本文中の空欄
解答番号は
10
ある。
労働は、一人の人間が社会人として一人前だと世間から認めてもらうための、必須条件なのである。
労働は、一人の人間が社会の中に確固とした自分の居場所を見つけるための、必須条件なのである。
労働は、一人の人間が社会的人格としてのアイデンティティを承認されるための、必須条件なのであ
る。
労働は、一人の人間が社会の中で自分の存在意義を自覚しながら生きていくための、必須条件なので
ある。
−10−
2
労働は、一人の人間がこの不条理な社会の中で自分の人生を切り開いていくための、必須条件なので
14
5
1
1
4 3 2
5
問5
∼
の中から一つ選びなさい。解答番号は
15
傍 線 部︵ 1 ︶
﹁ 私 は 、こ れ も ま た 別 の 意 味 で 不 十 分 で あ る と 考 え る ﹂と あ る が 、そ れ は な ぜ か 。筆 者 の 考 え
の説明として最も適切なものを、次の
5
道徳観念とは、そもそも人間が無意識に持っていた規範感覚を意識化させたものなので、それをこと
ついて初めて、人びとの規範となり、実質的に意味のあるものとなるから。
道徳観念とは、それだけとして絶対的に存在するものではなく、人間の活動実態としての労働と結び
通そうとすると、そこに無理が生じ、労働の実態とかけ離れたものとなるから。
道徳観念とは、秩序の混乱を避けるために後から考えられたものなのに、それを第一義に考えて押し
間の労働の意義を根拠づけるために用いることによって、全く本来の意味をなさなくなるから。
道徳観念とは、人間の欲求や行動の交錯による秩序の混乱を避けるために考えられた知恵なのに、人
拠としては自明なものと言え、これでは改めて説明したことにはならないから。
道徳観念とは、そもそも人びとが無意識のうちに規範化しているものであり、人間の労働の意義の根
1
さらに労働と結びつけることで、むしろ労働が強制的なものに見えてしまうから。
−11−
1
2
3
4
5
問6
∼
の
傍 線 部︵ 2 ︶
﹁ 自 分 一 人 の た め に 技 巧 を 凝 ら し た 料 理 を 作 っ て み て も 、ど こ と な く む な し い 感 じ が つ き ま と
う の は そ の ゆ え で あ る ﹂と あ る が 、こ れ は ど う い う こ と か 。そ の 説 明 と し て 最 も 適 切 な も の を 、次 の
中から一つ選びなさい。解答番号は
1
5
自分自身を直接養う労働行為においては、自分を﹁他者﹂とみなすのであるが、そうはいっても、実
と 、や は り そ こ に 投 入 し た 労 力 と 得 ら れ る 見 返 り と の 格 差 に む な し さ を 痛 感 せ ざ る を 得 な い と い う こ と 。
自分一人のために技巧を凝らした料理を作ることを、自分自身を直接養う労働行為と認識してしまう
った料理を作っても、自分以外には誰もそれを評価してくれないことにむなしさを感じるということ。
自分自身を直接養う労働行為には一定の能力と技術の習得が必要なのに、いくら自分一人のために凝
っ た 料 理 を 作 る と い う 行 為 は 、ど こ ま で も 自 分 の た め の 行 為 に 過 ぎ ず 、む な し さ を 拭 え な い と い う こ と 。
自分自身を直接養う労働行為は、本来他の外的な活動につながるものなのだが、自分一人のために凝
うこと。
なのに、自分の身体の維持のためだけに一生懸命になってしまう自分に、むなしさを感じてしまうとい
自分一人のために凝った料理を作るという行為は、
﹁ 人 間 一 般 ﹂に 施 し う る も の と し て 習 い 覚 え た も の
16
際 は﹁ 自 分 ﹂だ け な の で 、や は り 自 分 一 人 の た め に 凝 っ た 料 理 を 作 る の に は む な し さ が 伴 う と い う こ と 。
−12−
1
2
3
4
5
問7
∼
の中から一つ選びなさい。
傍 線 部︵ 3 ︶
﹁ 労 働 こ そ ま さ に 、社 会 的 な 人 間 関 係 そ れ 自 体 を 形 成 す る 基 礎 的 な 媒 介 に な っ て い る ﹂と あ る
が、これはどういうことか。その説明として最も適切なものを、次の
解答番号は
1
5
労働は、常に社会的人間関係を基礎にしているので、一見一人で労働をする場合でも、他者の関与を
存在としての人間にとって重要だということ。
労働は、社会を生きる上での基本であり、労働行為を通じて人間関係を構築していくことが、社会的
とによって、新たな人間関係が広がるということ。
労働は、社会的な人間関係を基盤にしているものなので、労働行為を通じて他者に呼びかけていくこ
社会的な共同性を生み出すものだということ。
労働は、人が自らの労働行為を社会に向かって投与し、それに他者が反応し関与することによって、
を通じて社会的な人間関係が円滑になるということ。
労働は、人間精神の表出形態の一つであり、そもそもはじめから関係的な行為であるから、労働行為
17
すべて排除することはできないということ。
−13−
1
2
3
4
5
問8
本文の内容と合致するものを、次の
∼
の中から一つ選びなさい。解答番号は
5
18
﹁なぜ働かなくてはならないのか﹂という問いには、どうしても否定的なバイアスがかかってしまう
根源的には常に他者との関係の中で生起するものであると言いうる。
労 働 の 意 義 は 、私 た ち が 本 質 的 に 社 会 的 な 存 在 で あ る と い う 事 実 に 根 拠 を 持 ち 、私 た ち の 労 働 行 為 は 、
で、結局のところ、労働に意義を見出すことは容易なことではない。
好きな仕事に就くことができればそれに越したことはないが、あらゆる仕事には苦労が伴うものなの
の道徳観念そのものの妥当性が問い直されなければならない。
道徳観念によって労働の意義を根拠づける考え方は、多くの人たちを納得させるものであるが、現在
や道徳観念が成り立つので、労働の意義に単一の根拠を求めるのは難しい。
労働をめぐっては、
﹁ 人 は 働 く の が 好 き だ ﹂と か﹁ 労 働 は 美 徳 で あ る ﹂と い っ た よ う な さ ま ざ ま な 解 釈
1
が、生きるためにはその問いそのものを断ち切らなければならない。
−14−
1
2
3
4
5
︵下書き用紙︶
国語の試験問題は次に続く。
−15−
第2問
次の文章を読んで、後の問い︵問1∼8︶に答えなさい。
今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。行列という形式そのものは、カラハリ砂漠の狩猟採
のだろう。小さな個人商店では並ぼうとする買物客はいないが、スーパーマーケットでは工場のアセンブリィ・
みえる。しかし、モノを手に入れたりサービスを受けたりする順番を待つ行列は、近代の工業化社会に特有のも
集民サン人が狩りなどで遠出するときにも組まれ、西洋では戦争のホリョを行列させたことが古代の歴史書にも
ア
Ⅰ
ラ イ ン 注の よ う に 、 客 が レ ジ で 列 を つ く る こ と が ゼ ン テ イ に さ れ て い る こ と は 行 列 の 工 業 社 会 的 性 格 を 端 的 に し
めしている。
駅の切符売り場やタクシー乗り場や学生食堂などでの行列は以前からあったが、近ごろではデパートのトイレ
X
が あ る と こ ろ で は 、ど こ で も 行 列 が で き る 可 能 性 が
の前や、昼食時の都心の食堂でも行列はあたりまえの光景になった。今日の大都会がそうであるように、一般に
モノやサービスの需要︱供給関係に一定程度以上の
ある。難民キャンプの行列ではモノの供給の不足が強調され、モノやサービスの供給に不足はないはずの現代日
、たとえ需要︱供給に顕著な
X
があっても、身分や地位にかかわらず先客︵着︶優先の原則が
本のアイスクリーム店やコロッケ屋の前の行列では需要が浮き彫りにされる。
A
以前ギリシアで調査中に気づいたことだが、ギリシアの役所や銀行などでは、相談事をもってくる人を、先客
さらにいえば、行列は用件を順にひとつずつかたづけるという近代的事務処理の発想に根ざしている。
んがえられないように、元来が西欧の近代社会に特有な行動様式なのである。
ところでは行列は生まれない。行列をつくって順番を待つという習慣は、たとえば士農工商の身分制社会ではか
は、年齢や社会的地位や性差や人種差などは体系的に無視されるが、そうした先客︵着︶優先の平等主義がない
なければ、だれも列をつくって順番を待とうとはしないだろう。行列がヒンパンにみられる現代の公共的場面で
ウ
−16−
イ
にかまわずつぎつぎと自室に入れ、用件を聞いて、処理しやすいものから答えていくというやり方をとることが
多い。アラブ社会でも伝統的には同様な方式がとられるようだが、このような事務処理の習慣をもつ社会には行
Ⅱ
列はなかなかなじまないようだ︵ギリシアなどでは行列は後ろの者もやりとりがみえるように横並びになる傾向
が あ る ︶。
このようにすぐれて近代的慣行である行列には独特の論理と構造がある。
行列はもちろんその前段階、
﹁ 行 列 以 前 ﹂か ら は じ ま る 。飛 行 機 の 国 内 便 に 乗 る た め に 、出 発 の 一 時 間 半 く ら い
も前に空港にいって待機してみたりするとわかるが、そんな早い時間にもチェックイン・カウンターのあたりに
はたいてい何人か様子をうかがうように立っている人がいる。だれかがカウンターの前に立つと、すぐ後ろに行
主要関与
にならざるをえないのだ。
ばすすむほど目的志向性が鮮明になるのに対して、目標の順番がまだ遠い後方では待ちながら注意がほかにも向
けられるからだろう。また、待つ者が多く、行列が長ければ長いほど、目的志向性が無意識にも強調され、並ぶ
−17−
列ができる。あまり人が少ないと早くから並ぶのもバカバカしくて苦痛だが、その間にもたがいの着順と位置を
目で確認していて、だれかが並んだとたんに心配になって並ぶのだろう。電車を待つ駅のホームなどでもおなじ
Ⅲ
、客がひとりのあいだは、待つ側の客と待たせる側の店員や係員との心理的関係だけが問題だが、客
ようなことがおこることがある。
B
がふたり以上になって列ができると、そこに待つ者同士の社会的関係の問題がくわわってくる。ひとりで待たさ
はできない。待つことは副次的活動ではありえず、どうしてもその場の
〝
そうした行列では、並んでいる人びとのあいだの距離は、一般に前方より後尾でより大きくなる。前にすすめ
〝
り、とくに前方に一定以上の間隔をあけないよう徐々に前にすすまなければならないから、落ちついて読むこと
まれないように、礼儀の範囲内で相互監視しなければならない。新聞や雑誌をひろげてみても、目を周囲にくば
れているあいだは、無力感やタイクツや苛立ちとたたかっていればよいのだが、行列ができたとたんに、割りこ
エ
人間の身体間の距離は縮まることも観察できる。
し ょう そ う か ん
行列について一書をあらわしたアメリカの社会学者、B・シュワルツによれば、行列に並ぶ不快感は、待たさ
背 中 を み せ ら れ る ﹁ フ ェ イ ス ・ ト ゥ ・ フ ェ イ ス ﹂︵ 対 面 ︶ な ら ぬ ﹁ フ ェ イ ス ・ ト ゥ ・ バ ッ ク ﹂︵ 対 背 面 ︶ と い う き
けば、知らない者と近接する不安や不快感は、たんなる雑踏とはちがって、行列のなかでは、前の人の後頭部や
ひたすら前方を志向する行列の禁欲的性格が陽気な社交色に塗りかえられるからだ。しかし、そんな場合をのぞ
もちろん、仲間と連れだって野球の切符を買う行列に並んだりするのは、苦痛どころか大きな楽しみだろう。
らない人間といっしょにいることの不安感に由来するとのべている。
れる側の待たせる側に対する無力感や、その間ほかのユウエキなことができるはずだという焦燥感とともに、知
オ
わ め て ト ク イ な 相 互 交 渉 が 生 じ る た め に い っ そ う 高 じ る 、と シ ュ ワ ル ツ は 指 摘 し て い る 。日 本 語 で﹁ 背 を 向 け る ﹂
Ⅳ
とは無視や拒絶を意味するが、欧米社会でも同様で、相手から背中をみせられれば、冷やかに無視され、おとし
められることにほかならない。
、行列はみたくない背中をみせられ、みられたくない背中や後頭部をみられるという
前憂後患
の
他人の背中なぞみたくはないのは当然だが、さらに不愉快なのは、自分の背面を後ろの人にみせることになる
ことだ。
C
〝
a
〝
二重苦に人をおとしいれる。この苦痛はじっさいにはななめに向いて立つことでいくらかカンワされはする。ま
キ
注
アセンブリィ・ライン
Ⅴ
・
・
・
・
・
・
工場などの組み立ての流れ作業列
︵ 野 村 雅 一 ﹃ 身 ぶ り と し ぐ さ の 人 類 学 ﹄︶
た、たまたま先をゆずられたときの解放感でつかのま苦痛を忘れたりもする。が、ともかくこれが公共の場での
ク
−18−
カ
Z
効率と平等原理のためにわたしたちが支払うダイショウなのだ。
Y
問1
問2
問3
空欄
A
X
∼
C
A=
にあてはまる語を次の
たとえば
しかしながら
∼
不統一
増大
減少
Ⅰ
∼
∼
C=
=Ⅳ
=Ⅴ
の う ち 最 も 適 当 な 箇 所 を 、次 の
不均衡
の中から一つ選びなさい。解答番号は
均衡
Ⅴ
=Ⅲ
∼
の 中 か ら 一 つ ず つ 選 び な さ い 。た だ し 同 じ も の を 二 度 以
それでは
あるいは
B=
6
には同じ語が入る。あてはまる語を次の
こうして
また
上用いてはならない。解答番号は
空欄
統一
本 文 に は 次 の 一 文 が 抜 け て い る 箇 所 が あ る 。空 欄
このような﹁半行列﹂が胚胎する。
の
−19−
20
=Ⅱ
22
5
6
1
=Ⅰ
5
1
21
6
4
3
中から 一つ選びなさい。解答番号は
3
19
6 3
4
1
5
5 2
サービスを受ける側がサービスをあたえる側より先にあつまり、需給関係がさほど切迫していないときに
23
1
2
2
4 1
1
問4
∼
イ ゼンテイ
タイクツ
ショクムのタイマン
ニンタイのゲンカイ
クルマのジュウタイ
ギアンのテイシュツ
テイボウのケッカイ
フネのテイハク
キュウショクのハイゼン
ゲンジョウのカイゼン
傍線部ア∼クの片仮名にあてられる漢字の一部はそれぞれ次のどの語句に含まれているか、次の
イケンのジョウホ
ハンニンのタイホ
ダイトウリョウのコウホ
31
エ
イセキのハックツ
クッタクがない
∼
の
−20−
24
ショウガイのハンリョ
コマかいハイリョ
ヒンソウなミなり
ライヒンのスピーチ
シャカイのキハン
5 4 3 2 1
5 4 3 2 1
ホリョ
ヒンパン
5 4 3 2 1
5 4 3 2 1
中から一つずつ選びなさい。解答番号は
ア
ウ
ジュンプウマンパン
ショクブツのハンモ
25
27
24
26
1
5
問5
5
ジケンのユウイン
カクのホユウ
コオリのユウカイテン
エキビョウのリュウコウ
エキシャのウラナイ
カンキュウジザイ
ハナシのテンカン
カンセイなジュウタクガイ
先優後患
前憂後敗
カ
ク
トクイ
ダイショウ
4
5 4 3 2 1
トクメイでトウショ
サイコウのトクテン
イタンのブンガク
ケンカイのソウイ
ショウサンのマト
ジロンのリッショウ
ジコのホショウ
シキシダイ
タカダイのイエ
センザイイシキ
前優後可
5
32
3
前憂外患
∼
−21−
29
ユウエキ
カンワ
先憂後楽
2
1
オ
キ
ショウニンのカンモン
カンゼンチョウアク
5 4 3 2 1
5 4 3 2 1
5 4 3 2 1
二重傍線部a前憂後患は次のいずれにのっとって造語したと考えられるか、正しいものの番号を次の
31
28
30
の中から一つ選びなさい。解答番号は
1
以前ギリシア
もちろん、仲
そうした行列
本文は大きく二つの部分にわけられる。後半部分がはじまる段落の最初の六文字を、次の
一つ選びなさい。解答番号は
駅の切符売り
行列について
∼
1
の中から
5
み合わせとして正しいものを、次の
Y士農工商の身分制社会
Y電車を待つ駅のホーム
∼
Y駅の切符売り場やタクシー乗り場
の中から一つ選びなさい。解答番号は
Z先客︵着︶優先の原則
Zアセンブリィ・ライン
Z礼儀の範囲内で相互監視
Zギリシアの役所や銀行
Z現代日本のアイスクリーム店やコロッケ屋の前の行列
34
傍線部Y﹁効率﹂という考え方とは相反する例、傍線部Z﹁平等原理﹂を最もよく説明しているものの組
3
33
Y処理しやすいものから答えていく
1
5
問6
問7
5 2
Y近代的事務処理の発想
−22−
4 1
5 4 3 2 1
問8
・
本文の内容と合致するものを、次の
解答番号は
36
∼
1
の中から二つ選びなさい。ただし順序は問わない。
5
行列の人たちの間の距離が後方ほど長いのは、待つ時間が比較的長いため、互いに社交性が高まって
いっそう高まる。
行列では、人の背中を見たり自分の背中を見せたりする相互交渉が生じるため、不安や不快感がより
である。
行列という形式は世界各国にみられるが、サービスを受けるために行列するのは西欧の近代社会のみ
る。
現代の日本でモノの供給が十分にあるにもかかわらず行列ができるのは、日本が工業社会だからであ
行列は用件を順に、効率よく片づけていくためには有効な方法である。
35
くるからである。
問題はここで終わり
−23−
2 1
3
4
5