巻頭言集2014 - nifty

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(平成26年)2014
Jan.
1 月号
【トピック】

№453
“人 山を愛し、
重要新年会お知らせ・・・P11
豊中労山
山 人をつくる”
大阪府勤労者山岳連盟
豊中勤労者山岳会
http://homepage2.nifty.com/toyonakawac/
BMmoku
目
次
山とランニング ································· C 班 橋本 隆 BMP14010
絵になる展望~写真で見る
南アルプス········································· A班 則友 公子 BMP1409
お花に誘われて ·······························A班 澤井 良子 BMP1408
山とわたし········································B班 三木 紀子 BMP1407
山に魅了されて ·······························A班 十河 広美 BMP1406
50歳を過ぎれば
「ロコモ」の可能性 ························· A班 手島 肇 BMP1405
よんくの会········································ C 班 根家 幸子 BMP1404
山に酔いしれて ·······························A班 池田 純子 BMP1403
ありがとう
豊中労山··················A班 松田 武子 BMP1402
変わらない思い ·······························B班 村上 周平 BMP1401
【2013年分は「巻頭言集綴」にあります。】
BMP1410
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山とランニング
C 班 橋本 健
山を走るトレイルランニング(トレラン)を始めるきっかけは世界一過酷で世界一美しいレース
と言われる UTMB (ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン)でした。UTMB は、モンブラン周囲の山
域を1周する 168km、累積標高差(H+)9,500m、46 時間制限のレースで、2009 年には鏑木選手が 3
位に入賞し NHK の番組でも紹介され脚光を浴びた。
2009 年に東京マラソンで初のフルマラソンを完走したものの、足は筋肉痛の塊。その後、本格的
にランニングの練習を始めた。
「サブスリー」をめざしつつ、
「いつかは UTMB を走ってみたい」と
思い、トレランも始めた。市街地を走るロードに比べ、トレランでは登頂の達成感、山頂からの眺
望、森林浴を楽しみながら長時間動ける。レース参加のため、完走実績(ポイント制)
、抽選、ク
リック合戦(ネット申込み先着順)の関門を越えながら、様々な距離・スタイルのトレランのレー
スにも出てきた。
山でのランは初めの頃は道迷いや転倒・けがもあったが、除々に慣れ、2010 年には奥多摩を走る
日本山岳耐久レース(71.5km、H+4,582m、24 時間制限、登山家・長谷川恒夫にちなんで通称「ハセ
ツネ」。
)
を完走。2011 年には CCC
(イタリア・クールマイヨールからフランス・シャモニーまで 98km、
H+5,600m)に出場し、2000m 級の山域を雨の中、
凍えながらも完走。その後、信越五岳(110km、H+4670m)
、
やウルトラトレイル・マウントフジ(河口湖起点の富士山周囲の1周、156km、H+8530m)等で実績
を積み、2013 年には念願の UTMB に出場し、眠気に耐えて(二晩寝ずに走り通し)完走した。
「そんなに長く走るのは大変じゃないの?」と言われることもあるが、レースでは大抵 10~20km
毎に飲食物の補給もできるエイドがあり、縦走登山などと同様、休憩すれば回復し、意外に長い時
間・距離を動き続けられるものである。トレランのレースは、欧米では距離 100 マイル(160km)が
主流だが、国内外にはさらに長いレースもある。
トレランで一般の登山道や林道を走るが、天候・高度・体調によっては、けがや遭難にもなり得
る山域を走るため、様々な山の知識・能力が必要となる。豊中労山に入会させて頂き、アルパイン
クライミング、雪山、縦走、沢登りといった色々な山の楽しみ方と同時に山の知識も教えてもらい、
レースに役立ったことも多い。これからも知識・経験を増やし未知の山・オリジナリティのあるレ
ースに挑戦していきたい。
この数年で、これまで「山岳マラソン」
「登山競走」とか呼ばれた時代から、
「トレイルランニン
グ」という言葉と山行スタイルが日本にも定着し、新しいスポーツ・趣味としてだいぶ浸透してき
ている。しかし、トレイルとロードでは、安全への配慮やマナーの違いがあるにもかかわらず、ロ
ードと同じ感覚で山に入る人も多く、週末にのんびりと山行を楽しむ方々に迷惑をかけることも多
いと聞く。日本のトレランの歴史はまだ浅いことも考慮し、温かく見守って頂くと同時に、時には
自然の中を駆け抜けるトレランを楽しんではどうでしょうか。
BMP1409
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絵になる展望 〜写真で見る南アルプス
A班 則友 公子
歴史ある岳友に若輩者のわたしが何を書かせて頂こうか、無い知恵を振り絞って考えていた
ところ、山岳雑誌の特集を目にし、わたしの父親と南アルプスのことを思い出しました。今回
はそのことを書かせていただきます。
父の田舎は南信州の山奥にある。ローカル旅番組も素通りしそうなド田舎だ。初夏になると
天竜峡の川面がキラキラと美しく光り、舟下りの観光客で(それなりに)賑わう。秋は松茸の
争奪戦、冬は意外と雪は少なく、お歳暮は林檎、と相場が決まっている。
そして登山のホームグランドは勿論南アルプスだ。仙丈ケ岳などは日帰りハイキングコース
である。自宅には白籏史郎氏の写真集などがたくさんある。学生時代南アルプスを縦走したと
いう(文字どおり)山男の父の写真を見ると、ああ、自分はこの時代に生まれてなくて良かっ
たと思う(すみません!)。いまの地図にはなさそうな謎のルート!、夜行列車、トロッコ列
車、乗合いトラック(!?)、重そうな靴に分厚い服、不便そうだけど、本人いたって楽しそうだ。
中でも、とくに印象的な風景は南部だ。荒川ー赤石、いつまでも続く尾根。大きな聖岳のカ
ッコイイ姿。ついでに雨の塩見岳。見渡す限り山、山、山…。陳腐な表現だがどれも雄大。色
がついてたとしたら、緑、青、時々白。プロの写真と見比べてみたりする。何十年前のモノク
ロ写真でも、それらの風景は充分わたしの心に焼きついた。
そんなわたしを、父は子どもの頃からよくハイキングに連れて行った(悲しいことに、もと
もと物覚えが悪いわたしは、小さい頃どの山に行ったなど覚えていない)。里山、岩山、アル
プス、夏、冬、学生時代、社会人のいま、現在豊中の先輩がたとも色々登らせてもらってきた。
南アルプスも北部は何山か、登った。だが、憧れの山域には未だ踏み出せていない。昔写真で
見た風景をわたしもいつか撮れるだろうか。
ところで、父に最後にもう一度登りたい山は?と聞くと、赤石岳と答える。年が年なのでも
う諦めている。何ともリアクションに困ったが、近いうちに赤石岳をカッコよくカメラに収め
て自慢してやろう!という目標ができました。
BMP1408
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お花に誘われて
A班 澤井 良子
山桜が咲き、芽吹いたばかりの春の山に出るのが好きです。
この春もポンポン山の福寿草、小塩山のカタクリ、六甲山のコバノミツバツ
ツジ、天ヶ岳のシャクナゲ、金剛山の山シャクヤクと可憐な花々に会いに行
きました。
十数年前、ボーイスカウトの母の会で友人になった真木さんから、「利尻・
礼文に行かない?」とお誘いがありました。
高山植物の宝庫と言われる利尻島のお花畑で、多くの花との出会いに歓
声を上げて走り回り、すっかり魅了されて、帰りの空港で、翌年の大雪山へ
の挑戦を誓いあいました。
おばさん四人組の、花の百名山巡りの始まりでした。
夏山シーズンともなると、毎年、白山、白馬岳、岩手山、等々に行くように
なりました。当初は運動といえば、週1、2回の水泳だけで、山の経験も知識
も乏しいままに、一週間前に六甲山や葛城山で訓練登山をして、いきなり
北アルプス級の山に登るですから、帰宅後はおきまりの筋肉痛でした。
そんな折、スポーツクラブで御一緒していた手島(志保子)さんのお勧め
で、真木さんと豊中労山に入会しました。
すぐに山行に参加と思いきや、面接のご連絡を受け、面接等に無縁の主
婦生活の私達は、緊張の面持ちで事務所に行きました。
紳士的な浅居さん、久保田さんのおふたりに「A班、B班、C班、どの班を
希望されますか」と聞かれた時は 、まるでフランス料理のA,B,Cコースの
ようと思いました。
「どのように分けられてますか?」と伺った結果
勿論、A班でお願い致しますと即答し、皆様の温かいお心遣いとご親切を
受けて、早や六年目に入りました。
お花に誘われて、始めた登山。夢中で先輩の方々の背中を追って、共に
歩き、汗にまみれ、頂上に立ち、雄大な自然の中に、身を置く心地さを想う
ようになりました。
年代を越えた人と人との繋がり、登山への真摯な姿、そして楽しい山のお
話や、経験談等、ご一緒させて頂く度に、学ぶ事ばかりです。
豊中労山の皆様、本当に有難うございます。
これからも、よろしくお願い致します。
BMP1407
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山とわたし
B班
三木 紀子
私が山に登り始めたのはインドアな生活をやめて健康的なことをしよう!
アウトドアな趣味をもとう!と思ったからです。
まずは近くの石切山に登りました。今なら30分で頂上に着くような山なの
ですが最初はしんどくて何回か休憩をしないと頂上まで辿り着くことはでき
ませんでした。
次は中山に登りました。満願寺から登ると少し岩場があるのですが、最初
見たときは垂直な壁を登るかのような迫力があって怖さのあまりロープに頼
ったらダメと言われながらもロープにしがみつき、周りを見るのも怖く目の前
の岩とロープしか見ることが出来ずギャーギャー叫びながら登っていまし
た。
近所の山歩きだけでいいかなと思っていたけどテレビの山ガールに触発
されてもっといろんな山に登ってみたいと思うようになりました。それがきっか
けで豊中労山へはいりました。
登山とは過酷でつらいだけと思っていたのがテレビの中の山ガールはす
ごく爽やかに楽しそうに登っていたのが印象的でした。
私も爽やかに登りたいと思っていましたが実際は汗だくでしんどくてつら
い。
日帰りハイキングや小屋泊ぐらいでいいかなと思っていたのに初級登山
学校へ行き、体験できることならやってみようと雪山教室まで行ってしまいま
した。
雪山は体力のなさを痛感しましたがアウトドアな趣味を超えて命がけの趣
味みたいな醍醐味がありました。
今年はお花を見にいろんな山に行ってみたいです。
BMP1406
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山に魅了されて
A班 十河 広美
「趣味は登山です。」最近そう言う自分がいます。そうすると「山ガールな
んだ。」という返事がだいたい帰ってくることが多いです。でも、いつもここで
ちょっと戸惑ってしまいます。なぜなら、「山ガール」でイメージできる図と自
分の格好がかなり違うからです。それでなくてもアウトドアからかけ離れた生
活をしていたため、昔の友達に登山しているというと驚愕されるというのに、
でかいザックにピッケルやヘルメットをつけて年末に六甲山で訓練山行をし
ている図はもはや山ガールとは言えない。。。
はじめは海外で友人達に「散歩」と称したハイキングに連れて行かれ、そ
の楽しさに目覚めました。日本でもしたいなと思い立ち、20~40 代の会員
数を教えてと幾つかの山岳会に問い合わせをし、一番数が多かったのが豊
中労山でした。当初はピークハントに興味もなく、ハイキングができる技術を
しっかり学びたかったというのが動機でしたが、軽い気持ちで入った初級登
山学校が人生を変えたようです(笑)。ボッカ訓練、テント泊、岩登りや沢登
り。ご来光、満天の星空。すべてが初めての体験でした。でも体力がなく、
卒業山行で行った八ヶ岳は辛さのあまり記憶が飛んでいる箇所があるくらい
です。なのに、今では山の魅力にとりつかれています。休みの日、天気が良
いと山に行きたくなりますし、行くのに辛いアルプスなのに、そこから見える
景色や高山植物に会いたくて、また行きたいと思ってしまいます。労山に入
ったおかげでたくさんの山の友達、先輩方に出会え、いろんな山行に連れ
て行っていただきました。イタリアドロミテも 2 回労山の仲間と行くことができ
ました。本当にありがたいです。
昨年末、きれいな景色や花を撮りたくて、ミラーレス一眼カメラを買ってし
まいました。まだ撮り方を今勉強中ですが、これからの花の季節、お山に行
くのが楽しみです。気長にこれからも少しずついろいろな山に行って、写真
や思い出を増やしたいと思います。
皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
BMP1405
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50歳を過ぎれば「ロコモ」の可能性
A班 手島 肇
「残念ですが、加齢で軟骨がすり減り、神経を少し圧迫している状態ですね。」衝撃的な診断を受けたの
は今年の2月。それ以来、骨・筋肉・関節など、からだを動かす運動器について調べていると、超高齢社会
のこれからは「メタボ」だけでなく「ロコモ」にも社会的に大きな関心が寄せられていることがわかった。
運動器の働きが衰えたり、そのリスクが高い状態のことをロコモティブシンドローム(運動器症候群)といい、
略して「ロコモ」とよんでいます。そもそも、ロコモティブとは「動く」という意味です。まだまだ、若いと思って
いた私でしたが、寝ちがえとは違った首の違和感から整形外科を受診すると、日常生活に支障はないもの
の、このような診断。50歳を過ぎているので、ある程度は仕方がないと自分を慰めたとはいえショックでし
た。
豊中労山に入会して、はや18年。それ以来、多くの方とご一緒させていただき、山の素晴らしさは勿論、
厳しさや恐ろしさもたくさん教えていただき、さまざまな山に登りました。ここ10年ほどは、個人でも深田久
弥の百名山を意識して計画を立てたのであと10山程度まできました。今までは、山行において身体的に不
自由さを感じたこともほとんどなく、重たい荷物を担いでもコースタイムより早く歩けていたので、気にもしな
かったのですが、これからは無理が利かない年齢になったと考えさせられました。
以下は、ロコモ研究の第一人者、京都府立医科大学の久保教授の本からの転載です。労山の皆さんに
は、全く無縁なことでしょうが(こうなれば山どころでなくなる!)ご参考にどうぞ。
*50歳を過ぎれば以下の「ロコチェック」を!!
①家の中でつまずいたり滑ったりする。
これらは、運動器が衰えているサイン。
②階段を上るのに手すりが必要である。
1つでも当てはまればロコモの心配が
③15分くらい続けて歩くことができない。
あります。
④横断歩道を青信号で渡りきれない。
⑤片脚立ちで靴下が、はけない。
⑥2kg程度の買い物を持ち帰るのが困難である。
⑦やや重い家事(布団の上げ下ろしなど)が困難である。
そして、元気に何歳までも山に行けるように、簡単お薦めの「ロコトレ」を!!
①開眼片脚立ち:起立した姿勢から、片脚を上げ1分間同じ姿勢を保ちます。
左右1分間ずつ1日3回程度(余裕があれば、目を閉じて)
②スクワット: 肩幅に開いて立ち、お尻を少し下ろします。
息を止めずに5~6回、1日 3 回程度。(膝がつま先より前に出ないように)
③タオルのたぐり寄せ:椅子に座って足の下にタオルを敷き、足の指でたぐり寄せます。脚の筋肉を鍛え、
「立つ」「歩く」のバランスが良くなります。
この 1 年は、仕事が忙しいことを理由に、ほとんど山行に参加できませんでした。「ロコモ」にならず、健康
で暮らせるように、今年は出来るだけ参加したいと思っています。皆さまどうぞ宜しくお願い致します。
BMP1404
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よんくの会(四・九の会)
C班 根家 幸子
私が労山の会員になって、今年で丁度15年になります。入会して直
ぐC班主催の岩登り教室3回コースに参加しました。これがきっかけで、
C 班の M 氏より次年度の初級登山学校のお誘いを頂きました。労山に
入会する前に西宮市の方の山岳会に15年程所属していたので、正直
今更という感じが有りました。でも折角声をかけて頂いたし友達が出来
るかと思い学校に入りました。
その時のメンバーが男性4人、女性9人の13人で「四・九の会」と名
前が決まりました。会の名前は馬力のある四輪駆動車も兼ねた意味で
す。初級学校では、頑張って重い荷物も持ち、岩登り、沢歩きも楽しく
積極的にチヤレンジしました。四駆の様に頑張ったと思っています。
お陰様で C 班の方々に誘われ、憧れのロッククライミングが出来る様
になりました。しかし、最初は自分に技術がない為、岩場では1~2本
しか登れず確保者としても役立たずで見学している時間が殆どでした。
これではいけないと思い、平日OCS(クライミングジム)に通い始めまし
た。今思えば10年余り平日はジムで、土、日、祝日はゲレンデと無我
夢中でした。
その内、遠出の岩場にもお誘いして頂ける様になり、クライミングの楽
しさを満喫していました。「四・九の会」のメンバーとも年1回位は山歩き
を楽しんだ事も有りました。ところが、1人去り、2人去りとこの10年の間
に終に 13 人が 5 人になってしまい今では、総会や新年会で会って旧
交を暖めると言った感じです。
そして、四駆の如く全力疾走していた私も一昨年の秋、岩場で怪我
をして 100 日余りの入院生活を余儀なく失速してしまいました。退院後
は歩行訓練からやり直しです。退院から丁度1年のこの 2 月から又ジム
のみ復帰しました。1 年以上のブランクは衰えが酷く練習は初心者コー
スです。でも、クライミングの楽しさは忘れられず歩みはボチボチです
が続けたいと思っています。「継続は力なり」をモットーにユックリ頑張
るつもりです。C班の皆様のお荷物かも知りませんが今後共宜しくお願
いします。そして、「四・九の会」の皆様、総会、新年会でお会いするの
を楽しみにしています。
BMP1403
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山に酔いしれて
A班 池田 純子
井上靖著「氷壁」読後、気がつけばひとりザック担いで、涸沢に立ち、
3000m級の穂高の圧倒的な迫力に息を飲み、ここが徳沢園なんだと
小説の舞台にたたずみ物語に酔いしれた。山が何たるものかも分から
ずの山デビュー。15年も前、豊中労山入会前のことでした。
自営の店をひとり切り盛りしていた頃は、ゆっくり時間が取れずストレ
スが溜り、堅くなった心と脳を引きずり山に入る。山の精は惜しげもなく
私を優しく包み街の整骨院よりツボをじっくり解してくれる。山に行けな
い時は山に関連する本を読み漁り、本の世界の中でエベレスト・K2・ア
イガー・剣と名峰の頂きに立ち気持ちだけはアルピニスト。と同時に詩
人の世界にも引き込まれ「山の歌と本の会」やまびこで紹介して頂いた
串田孫一「山のパンセ」や辻まこと「山の詩画集」などは各々の著者が
思い余す事なく山の魅力を紡ぎ出し、また吉野の山の守人と言われ人
間存在の輝きを慎しく歌い続けた歌人前登志夫の弟子になりきる。
単純細胞の私は、美しい言葉のシャワーを浴び、魂を揺さぶられ心
地良い。今もカバンの中にエッセイ「山からの手紙」を忍ばせ、開く度
に山の世界へ誘われる。懐の広い山を教えてくれた豊中労山の山仲
間。元気になれる。元気をもらえる。ひとりじゃ出来ない。ひとりじゃ登
れない。仲間があらばこそ。
山行きももうそろそろエピローグの年令。昨年は富士山へ登りたいと
言う小 6 の孫と山頂へ。また、ある日突然自ら鬱だと言う同級生から「山
に登ったことはないが山で美しく死にたいので一緒に連れて行ってほ
しい」ととんでもない事を言い出し、私に死へいざなう送り人の役目を
せよと。
月 1 回のリハビリハイクを始めて 1 年余り、今では山で食べる握り飯や
煮込みうどんは最高、下山後は温泉に寄ろうと初心の目的はどこへや
ら。こんな山行も有りかなあーと。もう少し歩いて行こうかな、ゆっくりで
はあるが。山へ登る行為そのものは肉体であるが研ぎ澄ませば五感は
どこまでも広がる万象の世界を広げて限りない。
3 月弥生、あちこちの山々からエフェメラルの花々の囁く声が聞こえ
出すとたまらなく私は蝶(蛾かな?)になりたし。
あこがれの 君に会わずて 待つ春の 野に放たれし 胡蝶になりて
純子
BMP1402
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ありがとう
豊中労山
A班 松田 武子
山を始めて 30 年。豊中労山で 15 年。
初めは女性会員が怖かったです。大雨警報に電話で問い合わせを
したら“雨でも槍でも行きます”とガチャンと電話を切られた。
新保さん、山で味噌汁温泉、味噌汁温泉、道の駅いつも楽しみでし
た。
碇さん、里山、吉野、箕面あっちこっちいつもわくわくしていました。
お世話になりました。
川津さん、 いつも下調べをして頂いて山の辺の道では柿をいっぱ
い買いました。ありがとうございました。
上口さん、いろいろ行きましたね。楽しかったです。
若い嵯峨山君、降旗君、冬の高見山などご一緒できましたね。
毎年、新年会、木島さんがいろいろ工夫して踊ったり歌ったりでみん
な楽しかったです。
北岳、槍、穂高等のアルプスへたくさんいきました。富士山の御来光
が最高でした。
富士山と言えば印象に残っている関西のふるさと富士めぐりです。
青葉山、七七頭ガ岳、白髪岳、明神山、沢山限りなくいきましたね。
山はいつ行っても素晴らしいですね。
豊中労山で素晴らしい仲間、友達ができました。
昔は槍を走って元気でした。
膝が悪くなり、山に行きたくて筋トレに行っています。でも、今は、山
を忘れて、毎日筋トレにハマっています。
豊中労山はすばらしい会です。
みなさん いろいろありがとうございました。
BMP1401
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変わらない思い
B班 村上 周平
「しんどい思いをしてまで山登って景色を眺めにいくのは理解できへん」友
人に言われて「なるほど」と思ったと同時に、「俺もそう思う」と答えていた。確か
に山を登ってでしか見ることができない景色はある。それでもただキレイな景色
が見たいだけであれば車で景勝地を見に行けばいいし、山上からの景色がみ
たいのであればバスツアーやロープウェイでワイワイ騒ぎながら気楽に行くこと
ができる。じゃぁ、なぜ私は山に登っているんだろう?日常生活を送るには圧
倒的にオーバースペックで高価な道具類を揃え、日が昇る前に出発し、日没
になると降りてくる。しかも街に戻ってきたときにはクタクタに疲弊していて休日
が丸潰れだ。読み直す度にネガティブなことを書いていて改めてげんなりして
くる。私が山に登る理由、その答えは先の説明の真逆だ。クタクタになるほど全
身を使った充足感、1日フルに使いきらねば頂上に登りきれない山に打ち克つ
達成感、様々なギミックを備えて一瞬にして苦労や苦痛を快適に変える工夫を
凝らした道具を使った感動がそこにある。やってみなけりゃ面白さはわからない、
感動は続けなきゃ出会うことはない。これはどんなスポーツや趣味も同じことだ
と言えるし、それぞれ個性をもった表情があるので何が一番なんて人それぞれ
だ。ただ一つ他と大きく違う点、登山はそこに生活が加わるということだ。この点
は私に限って言えば尚更顕著だ。何をするにしても新鮮になる。ハイキング一
つをとっても食べるもの、下山後の温泉を目的にするだけでワクワク感が違う。
そしてこの気持ちをシェアできる仲間たちがいることも大きい。ちょっとだけ変わ
ったものを食べてみたい、ちょっとだけ人と違った道具で遊んでみたい。人が
いなければその違いの基準自体わからない。そういえばこの間、六甲全山縦
走に参加したときに道具に悩んだ。膝をケガしてしまったので持てる道具が限
られてしまったのだ。積み直される道具たち。ザックの中に入っていたのは殆ど
が登山を始めたばかりのときに買ったものばかりだった。ノルディックウォーキン
グのカーボンストックに GorePro のレイン。三つ子の魂百までというが登山学校
を終えてもその癖は変わっておらず、最初から飛ばしたセレクトだったことに驚
く。縦走も無事に終わりアイテムセレクトが正しかったことが嬉しい。唯一の誤算
は16時間の行動時間中、仲間4人で参加して行動したのが最初の10分だけ
だったことだ。残りの15時間50分は痛みに耐えてよく頑張った。が、寂しくて寂
しくてなきそうだった。こんなことを山行のたびに仲間と話しながら楽しく登って
ます。