日本経済の成長 明間薫隼 このテーマにしたのは日本の経済はど のようにして経済を成長させたのかが 知りたかったからである。 高度経済成長 高度経済成長期には前期と後期がある。 前期は昭和30年代 後期は昭和40年代 前期 「神武景気」から「岩戸景気」にかけて の高度経済成長は、重化学工業をはじめ とする民間の設備投資に支えられました。 設備投資や技術革新は、新たな需要を生 みだし、不足した労働力は地方から集団 就職などによって補われました。とくに 若年労働層は、第二次産業の基盤を支え る「金の卵」ともてはやされるとともに、 旧いタテ割社会から脱した市民として、 新たな都市文化の担い手となりました。 後期 昭和40年(1965)から約5年の長期に及んだ 「いざなぎ景気」は、日本製品の盛んな海外 輸出によって主導されました。終身雇用・年 功序列といった安定的な労使関係を基調とし た日本型の雇用慣行は、「会社人間」「企業 戦士」「猛烈社員」と形容される勤勉なサラ リーマン層を生み出し、より高度経済成長を 加速化させました。国民総生産(GNP)が世 界第2位へと躍進するとともに、階層間・地 域間格差の縮小傾向を背景に、全国民の9割 までが中流意識をもつに至り、社会は「昭和 元禄」のムードにあふれた。 高度経済成長の終焉 昭和48年(1973)第四次中東戦争の勃発 にともない、OPEC(石油輸出国機構) 加盟国は原油生産の削減・原油価格の大 幅引き上げなどの石油戦略を打ち出し、 第一次オイルショックが引き起こされま した。 日本の経済成長率は、高度成長期の10% 成長から5%台へ低下し、高度経済成長期 は終焉を迎えました。 日本の経済成長率は、高度成長期の 10%成長から5%台へ低下し、高度経 済成長期は終焉を迎えました。 金融政策 日本経済の高度成長期である1960年代 前後の金融政策は、公定歩合操作によ る金利政策が中心だった。 その後、70年代の田中角栄による日本列 島改造計画やオイルショックなどによる インフレーション、また、オイルショッ クの反動として起こった経済のゼロ、マ イナス成長と、さらに為替レートが固定 相場制から変動相場制に移行して為替の 乱降下などが繰り返されるに及び、金融 政策は物価、景気、為替などをそれぞれ 同時に視野に置きながら、運営を行わな くてはならなかった。 低金利政策 また高度経済成長期において低金利政 策が実行されていたとされる金融市場 には、日本銀行貸出市場、預金市場、 民間金融機関貸出市場、社債市場、政 府金融機関貸出市場などがある。 このうち、民間金融機関貸出市場と比 較しながら、社債市場における低金利 政策の実効性を研究の主課題とした。 従来の研究では、社債市場における低 金利政策の実効性については比較的自 明なものとされていたが、包括的な研 究は乏しかった。 高度経済成長がもたらしたもの ◎高度経済成長がもたらしたもの 高度経済成長は、所得の増加や耐久消費 財の普及によって人々の生活水準を向上 させ、現在の物質的に豊かな日本の原型 となりましたが、反面では「集団就職」 「通年出稼ぎ」等にみられるような農村 から都市への大量の人口移出をもたらし、 「三チャン農業(じいちゃん・ばあちゃ ん・かあちゃん)」の言葉とともに、今 日につながる農村社会における過疎化・ 高齢化の原因を作り上げました。 また、基盤整備を後回しにした経済優 先政策は、「四大公害」(熊本水俣 病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四 日市公害)をはじめとする各種の公害 や、乱開発による住環境の悪化・粗大 ゴミの増大などをまねき、後々まで深 い傷跡を残しました。
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