上級で学ぶ日本語(Ⅰ) 第 5 課 猫ばばと死刑 吉林華橋外国語学院 日本語学部 製作 本文 第5課 形式段落 第1段落 (話題提示 「猫ばばする」という言葉 ) 関西で起こった警察官猫ばば事件――この事件を知って、同じよう なことが自分の身に降りかからないとも限らないと思い、ぞっとした 人も少なからずいたであろう。 第2段落 (話題発展 裁判史上で有名なえん罪事件 ) 弘前大学教授夫人殺人事件――無罪までの長い道のりを歩んだ 25歳の青年は、えん罪が晴らされたとき、既に55歳になっていた。 第3段落 (議論 えん罪について ) 人が人を裁くことの恐ろしさを考えずにはいられない。 第5課 形式段落 第4段落 (分析 『犯罪と処罰に関する世論調査』 ) 調査対象となった人の三人に二人が「死刑制度の廃止には反対」 と答えたということである。 第5段落 (筆者の意見) 裁判が人間の判断に基づいて行われる以上、全く間違いが生じない とは言い切れない。 第5課 意味段落 1、2段落 えん罪の実例 3段落 えん罪について 4段落 死刑に対する世論 5段落 筆者の意見 第5課 ①-1 お金や貴重なものを拾っても警察に届けず、自分の物 にしてしまうことを「猫ばばする」と言う。この言葉がマスコ ミをにぎわした事件があった。関西のあるスーパーで、客 が15万円の現金を拾ったのが事の始まりである。「店内 で拾った」と言ってそれを手渡されたスーパー経営者の 妻Aさんは、すぐに近くの交番に届けを出した。ところが 当の警察が、そんなお金は受け取っていないと言い出し たことから、事件は妙な方向に動き出した。 第5課 ①-2 警察は、Aさんがお金を猫ばばしたものとして捜査を始め、 Aさん夫婦及びその家族を追い詰めていく。あわや逮捕とい うところで、届け出を受けた交番の警察官の一人が猫ばば していたことが判明し、ともあれ事件は解決した。しかし、そ の間、嫌疑を掛けられたAさんが世間から白い目で見られ、 苦しめられたのは言うまでもなく、事件の成り行きいかんで は犯人にされる恐れさえあった。マスコミはこの事件を人権 問題として取り上げたが、この事件を知って、同じようなこと が自分の身に降りかからないとも限らないと思い、ぞっとし た人も少なからずいたであろう。 第5課 ②-1 時代はさかのぼって、1949年8月。青森県弘前市で大学 教授の家に何者かが忍び込み、教授の妻が襲われ殺され るという事件があった。教授夫人殺害とあって、同県警察本 部は、全力を挙げて捜査に当たった。その結果、事件から 二週間ばかりして、Nさんという25歳になる無職の青年が事 件の容疑者として逮捕された。犯行を否認し、無実を主張 するNさんに対して、地方裁判所は証拠不十分で無罪の判 決を下すのだが、検察側は控訴。高等裁判所、最高裁判所 と審理が続けられた末に、懲役15年の刑が確定し、Nさん は服役した。 第5課 ②-2 ところが、Nさんが刑期を終え刑務所を出てから、真犯人 が名乗り出、審理が再開され、その結果、最終的にNさんの 無実が証明されることになる。逮捕されてから30年にして やっと勝ち取った無罪判決である。異例ずくめと言われたこ の事件で、無罪までの長い道のりを歩んだ25歳の青年は、 そのとき既に55歳になっていた。 第5課 ③ えん罪とは、無実の者が有罪の判決を下されることを言 う。Nさんの事件以外にもえん罪事件があり、身内や支援 グループの長年にわたる努力が実を結び、死刑が無罪に 逆転したというケースもいくつかある。このようなえん罪事 件に接すると、人が人を裁くことの恐ろしさを考えずには いられない。えん罪事件の報道の度に、「もし間違って逮 捕されていたのが自分だったら・・・」と、それを我が身の 事として捉えた人も少なくなかったはずである。死刑の判 決が下され執行された後で、それがえん罪であったことが 判明した場合、一体誰が、どんな責任を取り得るのであろ うか。 第5課 ④-1 1989年、国連では多くの国の支持を得て、死刑廃止条約 が採択された。これを契機に、死刑制度を一部、ないしは全 面的に廃止する国が増え、1991年現在、その数は80カ国以 上に上っている。一方、国内にあっては、国連での条約の 採択に先立ち、1988年、政府によって、『犯罪と処罰に関す る世論調査』が実施された。それによると、調査対象となっ た人のうち三人に二人が「死刑制度の廃止には反対」と答 えたと言うことである。政府はこの調査結果を検討した上で、 条約の採択を見送るという結論に至った。 第5課 ④-2 この調査では、「『罪を憎んで人を憎まず』、建て前として は死刑廃止論には賛成です。しかし、身内の一人が殺され、 ましてそれが子供であったりした場合、恨みを晴らさずには おかない、何とかできないものか。法律でできないなら、 いっそこの手で殺してやろう…そう思うのが人の情というも のではないでしょうか」と、人間の本音が語られている。 第5課 ⑤ 感情的には確かに納得するに足る意見である。しかし、 裁判が人間の判断に基づいて行われる以上、全く間違 いが生じないとは言い切れない。現に、不正を正し、市民 の安全を守るべき警察からして、組織内部の不正すら見 つけられず、市民に疑いを掛けるという事件を起こす始 末である。また、30年もの間、何の罪もないのに殺人犯 扱いされ、人生の大半を犠牲にした人もいるのである。 人が人を裁く限り、このような人がもう二度と現れないと いう保証はどこにもない。
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