一九八九年、国連では多くの国の支持を得て、 死刑廃止条約が採択された。これを契機に、死 刑制度を一部ないしは全面的に廃止する国が 増え、二〇〇四年現在、その数は百十か国以上 に上っている。 一九八九年,聯合國得到很多國家的支持,通 過廢除死刑的條約。以此為契機,部分廢除或 全面廢除死刑的國家增加了,2004年的現在, (廢除死刑的國家)數量到達一百一十多個國家 以上。 一方、国内にあっては、国連での条約の採択に 先立ち、一九八八年、政府によって「犯罪と処罰 に関する世論調査」が実施された。それによると、 調査対象となった人のうち三人に二人が「死刑 制度廃止の是非」に反対の立場を選択した。 另一方面,在國內,在聯合國通過條約 前,1988年由政府實施了「犯罪與懲處 相關的調查」。根據這個調查顯示,調 查對象中三人有兩人對於「廢除死刑的 對與錯」選擇站在反對的立場上。 政府はこの調査結果を検討した上で、条約の採 択を見送るという結論に至った。この調査では、 死刑廃止に反対する理由として「『罪を憎んで人 を憎まず』で、建て前としては死刑廃止論に賛成 です。 政府在檢討這項調查結果後,決定暫時先不採 用這個條約。在這個調查裡,反對廢除死刑的 理由是因為「憎恨罪不憎恨人」,原則上是贊 成廢除死刑。 しかし、身内の一人が殺され、ましてそれが我が 子であったりした場合、恨みを晴らさずにはおか ない。何とかできないものか。 但是,親人中有人被殺,況且還是自己的小孩 (被殺)的情況下,肯定會想要報仇。難道沒有 什麼辦法嗎? 法律でできないなら、いっそこの手で犯人を殺し てやる...そう思うのが人の情というものではな いでしょうか」と、人間の本音が語られている。感 情的には確かに納得するに足る意見である。 如果不能靠法律來解決的話,那麼乾脆用雙手 將犯人給殺了...會這麼想的人也是人之常情 對吧?」人民說出了內心話。這在情感上的確 是能讓人充分理解的理由。 裁判が人間の判断に基づいて行われる以上、 間違いが生じないとは言い切れない。現に、「猫 ばば」事件では、不正を正し、市民の安全を守る べき警察からして組織内部の不正すら見つけら れず、市民に疑いをかけるという始末である。 既然判決是依據人的判斷而實行,就不能保證 不會出錯。實際上,「猫ばば」事件中,就連 要糾正不法,應該要保護市民安全的警察,都 沒發現組織內部的不法行為,反而還懷疑起市 民。 また、三十年もの間殺人犯扱いされ、人生の 大半を犠牲にしたNさんのような人もいる。 另外,也有像N先生一樣,30年來,一直 被當作殺人犯對待,犧牲掉大半人生的 人。 日本では、裁判をより身近で信頼できるものにするため、二 〇〇九年までに裁判員制度が導入される。抽選で選ばれた 一般市民が裁判に加わることになるのだが、制度がどのよう に変わっても、第二、第三のAさん、Nさんが現れないと断言 できる保証はどこにもない。人が人を裁くということ、自らの 問題として今一度考えてみる良い機会ではないだろうか。 在日本,為了讓審判能夠更貼進人民且能夠被信賴,將在 2009年以前引進陪審團制度。用抽籤選出一般市民加入審 判的行列。但就算制度再怎麼改變,也不能保證不會出現 第二、第三個A小姐、N先生。這是一個將人判人這件事當 作自己的問題來重新思考的好機會,不是嗎?
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