経済危機下にも好調なエーゲ海・クレタ島に おける - 日本国際観光学会

日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
《研究ノート》
経済危機下にも好調なエーゲ海・クレタ島に
おける観光力の要因とエコツーリズムの展開
-トラディショナル・セトゥルメンツとクレタ式食文化の観光資源化-
い し も と
と う せ い
石本 東生
ギリシャ政府観光局 アドミニストレーション・マネージャー
Ph.D.(ギリシャ史・考古学)
明治学院大学非常勤講師
In May 2012 Greece was confronted with the most difficult situation in these years, so to speak, after the First General Election
in which any Political Party was not able to establish new Government. And even if one month later fortunately at last the
coalition Government composed by three centrist parties was established in Second Election, unfortunately such an unstable
image of this country affected almost all of the Greek Inbound Tourism sectors. The number of inbound tourists from foreign
countries decreased generally in various Greek destinations.
However, as long as I surveyed the statistics of Greek inbound tourism for recent years, regarding the number of international
arrival, including the period Jan.-Jul. 2012, I was so surprised that some limited destinations secure stably larger number of
foreign visitors. They were three islands of Aegean Sea, specifically Crete, Santorini and Myconos.
The purpose of this research is to make an investigation into major factors of their good condition for international tourism.
Actually I paid attention to the development of Eco-tourism facilities in agricultural districts, particularly in center and western
area of Crete island. Besides, I took notice of the cities of Byzantine-Venetian-Ottoman Empire periods(13-19 Centuries),Chania
and Retymnon, specifically the Traditional Settlements which are renovated with modern & marvelous atmosphere and diverted
to some other purpose, for example to attractive accommodations, café, restaurants, souvenir shops etc. In addition to that, in
these cities visitors are charmed to purchase the rural, agricultural and Natural Cretan products, and furthermore they are able
to be satisfied in so healthy Cretan gastronomy which is regarded as an origin of “Mediterranean Diet”(UNESCO Intangible
Cultural Heritage).
The good conditions for inbound tourism in Crete, in spite of Greek Economic Crisis, are caused by above factors.
1.はじめに
との報道が激化。欧米を中心とする世界
か?
2010年初頭に「ギリシャ経済危機」が
各地からの観光客が激減。すなわち「ギ
C)B)が存在するのであれば、その好
表面化し、早や3年という年月が経過し
リシャ観光の危機」へと発展したのであ
調な要因は何か?
た。そして2012年5月、約2年半ぶりに
る。
3.先行研究に関して
ギリシャでは国政選挙が行われ、それま
で緊縮政策を推し進めてきた連立与党が
2.現地視察・調査と本研究の目的
A)本調査研究を進めるにあたっては、
大敗。逆に多くの国民が厳しい緊縮政策
その状況下で、筆者自身も実際にギリ
ギリシャのトラディショナル・セトゥル
に反対の姿勢を取り、
「ユーロ離脱、旧来
シャの状況を冷静な目で確認・把握する
メンツ修復・復元に関する事例が必要と
のドラクマに回帰!」を標榜する極左勢
ため、急遽2012年5月下旬~6月上旬に
なった。そこでギリシャ観光省と同政府
力への支持が急伸した。しかしながら、
現地の視察・調査を計画した。そしてそ
観光局アテネ本部が1975~92年に実施し
双方とも単独では過半数を取れず、連立
の調査結果を基にして行った本研究の目
たギリシャ各地における伝統的集落の修
構想の努力も実らないまま政権樹立が不
的は、以下の3点を確認し、且つ考察す
復・復元工事と観光資源開発、その研究報
可。そこから1ヶ月後の6月半ばに再選
ることである。
告書である Preservation & Development
挙が持ち越された。
A)ギリシャの観光市場の現状は?本当
of Traditional Settlements( 1975-1992)
この時期から、ギリシャの『ユーロ離
に観光ができないほど危険なのか?
Cultural Heritage Showcase, The G. N. T.
脱説』が、世界的にも急速に現実視され
B)経済危機の中でも、好調なデスティ
O Programme, Greek National Tourism
るようになり、「ギリシャは危険な国!」
ネーションや観光セクターは存在するの
Organisation, Athens 2009を最も重要視
1
-81-
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
図1 ギリシャ地域区分図(ギリシャ政
府観光局 HP の地図より加工)
5.視察・調査地の選定と観光データ分
る。
B)次にその宿泊総数をどの地域がどの
析
ような割合で占めているかを表した図2
以上に加え、2012年5月半ば政権樹立
「各地域別ホテル&キャンプサイトの宿
に及ばなかった第一回国政選挙直後か
泊総数占有率」を参照して頂きたい。こ
ら、筆者はギリシャ旅行業協会ならびに
のデータから2003~2010年の8年間にお
国内各地の主要ホテルと連絡を取り、ギ
ける地域別宿泊数の割合は、クレタ島と
リシャ国内のツアー、ホテル予約状況、
南エーゲ海の島々がそれぞれ25%前後と
また観光が危険視される状況下でもその
拮抗しながらも、その両地域でほぼ全体
影響が少ないとみなされる地域を尋ねて
の半数を占めていることが分かる。つま
みた。するとその段階では「①クレタ島
りクレタ島と南エーゲ海の島々が圧倒的
西部 ②サントリーニ島などが影響小と
にギリシャ・デスティネーションの中心
みられる」との回答を得た。結果、この
した。他に、
となっている。
2地域を今回の主要な視察地として選択
B)
Alice Hatzopoulou, Stefanos Gerasimou,
C)さらに、図3「2010-2011年ギリシ
した。
Sustainable
Greek
ャ国内主要空港における外国人到着客数
また、筆者がギリシャの視察・調査か
Mountainous Traditional Settlements,
の増減率(%)
」のグラフを見ると、
2011
ら帰国した後に作成した資料ではある
WSEAS Transaction on Environment
年はアテネとイオニア海側のケファロニ
が、さらなる裏付けとして図4「2011(1
and Development, Issue 9, volume 2,
ア島を除いては、表中の全ての地域で前
~7月)-2012年(1~7月)ギリシャ
p.1226-1229, 2006.この研究は、ギリシ
年よりも大きく訪客数を伸ばしている事
国内主要空港における外国人到着客数の
ャ・エーゲ海の観光の定番イメージ「青
が分かる。そして先の図2に関して述べ
増減率(%)
」のグラフを参照されたい。
い空、青い海そして白い街並み」だけで
たクレタ島と南エーゲ海の島々に当たる
これらのデータに注目すると、図3の
なく、むしろ山間部の村々、伝統的な石
のが、図3におけるイラクリオン、ハニ
2010-2011年の外国人到着客数増減率か
造りの家々&集落にも注目すべき持続的
ア(共にクレタ島内の都市)
、ロドス、コ
らは大きく変化し、マイナスに転じてい
観光資源があることを述べ、上記のギリ
ス、サモス、ミコノス、サントリーニ(南
る地域が増加していることが確認でき
シャ観光省と政府観光局による伝統的集
エーゲ海の5島)である。特にこれらの
る。例えば11年には前年比約22%と最も
落の修復・復元を評価し、その成功例を
地域は前年比でほぼ10%以上の伸びを示
顕著な増加を示していた南エーゲ海のロ
挙げている。
し、場所によっては20%以上のアップを
ドス島、コス島は、12年1~7月期には
見せている。すなわち、図2における分
それぞれ8%と5%を超える減少となっ
析はここでも裏付けられると言えよう。
ている。
Development
of
4.近年のギリシャ・インバウンドツーリ
ズムに関するデータのグラフ化と分析
しかし、同じく南エーゲ海のサント
はじめに、ギリシャにおける調査地選定
のために、
ギリシャ旅行業協会
(Association
図2 ギリシャ国内全地域のホテル&キャンプサイトの年間宿泊総数占有率
of Greek Tourism Enterprises)
の公式ウ
ェブサイトより入手した近年のギリシ
ャ・インバウンドツーリズムに関する
データを筆者がグラフ化した。その資料
が図2~4である。まずはこれらを分析
することから始めた。
A)ギリシャ旅行業協会(Association of
Greek Tourism Enterprises)によれば、
「ギリシャ国内全地域のホテル&キャン
プサイトの年間宿泊総数(ギリシャ人+
外国人観光客)」については、2003年には
54,502,104泊だったのが、その後緩やかな
伸びを示し、2007年には65,420,236泊、そ
して2010年には66,800,371泊に達してい
-82-
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
図3 2010-11年ギリシャ国内主要空港における外国人到着客の増減率(%)
参照すると、イラクリオン、ハニア、レ
ティムノンなどクレタ諸都市のホテル
は、冬のオフシーズンも含めた年平均が
毎年60~70%という高い値を示してい
る。
⇒ では、クレタ島の諸都市やサントリー
ニ島が「ギリシャ危機」の中でもこのよ
うに『強い観光力』を保持できるのには、
どのような要因があるのだろうか? そ
の調査のために筆者は、先の計画通り5
月下旬ギリシャへ発った。
6.クレタ島の地理・歴史的背景とその
重要性
A)クレタ島の地理的特性
クレタ島はエーゲ海最南端の島。東地
図4 2011(1~7月)-12年(1~7月)ギリシャ国内主要空港における外国人
到着客数の増減率(%)
中海のほぼ中央部に位置する。ギリシャ
の島々の中では最大で、地中海全体では
5番目に大きな島。島の東西は約260km、
南北12~50km という距離で、沖縄本島
の約7倍の面積にあたる。紀元前2500年
頃からヨーロッパ最古の文明と言われる
クレタ・ミノア文明が発祥した地として、
世界の歴史考古学上も非常に重要な地と
して知られている。古代ギリシャの詩人
ホメロスは、その長編詩『オデュッセイ
ア』の中で「ブドウ色をなす海原のただ
中に、まわりを海に洗われた、麗しい豊
かなクレテーと呼ぶ地がある。そこには
数知れぬ多くの人がすみ、90の町があ
る」2と謳いクレタを讃えている。それほ
どこの島は古より美しく豊かであったこ
とが広く世界に知られている。
リーニ島とミコノス島は前年の伸びから
としては、群を抜いてクレタ島と南エー
B)クレタの歴史(1)
:神話&古代
反転することなく堅実な伸びを示してい
ゲ海地方が、デスティネーションの中心
ギリシャ神話においてはオリンポスの
る。加えて、クレタ島西部のハニア空港
となっている。
神々の主神であるゼウスは、この島の東
は前年比で8%近いアップを見せてい
B)また、2010-2011-2012年における
部ディクティ山地のある洞窟の中で出生
る。すなわち、今回の視察調査地として
「外国人到着客数増減率(%)
」のグラフ
したと伝えられている。またそのゼウス
選んだ上記のクレタ島西部とサントリー
からは、クレタ島(ハニア)、ミコノス
が牛の姿に変身し、当時絶世の美女と呼
ニ島は、適切なデスティネーションであ
(キクラデス諸島:南エーゲ海地方)、サ
ば れ た フ ェ ニ キ ア の 王 女「エ ウ ロ ペ」
ったと言及できる。
ントリーニ(キクラデス諸島:南エーゲ
(
「ヨーロッパ」の語源)を誘拐して地中
以上の観光データから、次のような分
海地方)が、安定した集客力を維持して
海を渡り、このクレタ島で二人は結ばれ
析結果をまとめてみた。
いる。
た。その間に生まれた子が「ミノス」と
A)図3「各地域別ホテル&キャンプサ
C)さらに誌面の関係上、掲載は避ける
名付けられ、クノッソスの王座に君臨す
イトの宿泊総数が全体に占める割合
が、ギリシャ旅行業協会による「ホテル
ることとなる…3。これがすなわち、ヨー
(%)」のグラフから、旅行客の宿泊総数
稼働率推移」
(2008~2010年)のデータを
ロッパ最古の文明であるミノア文明の発
-83-
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
祥の件。さらに、ギリシャ神話の中でも
代(13世紀~17世紀頃)に繁栄した街々、
トゥルメンツ」
(Traditional Settlements)
英雄テーセウスが怪物ミノタヴロスと闘
およびその時代の文化遺産も多数残され
として再生させて、内外からの観光客を
い、勝利を得てアテナイを救ったという
ている。古代より近代にかけて、ヨーロ
迎えている。周知の通り日本のツーリズム
迷宮が、島のほぼ中央部に位置するクノ
ッパ、アジア、アフリカとの「文明の十
においても、近年は「グリーンツーリズ
ッソス宮殿だと言われる。同宮殿跡をは
字路」として位置付けられた理由も、よ
ム」
「アグリツーリズム」というタイプの
じめ、フェストス、マリアの遺跡など、
く理解できる。
旅行形態、すなわち田舎に滞在して現地
今から4500年前のミノア文明考古遺跡が
の人々と交わり、農業体験等も可能なツ
クレタの各地に残っている。
7.クレタ島における視察・調査
アーが注目され始めているが、ここヴァモ
C)クレタの歴史(2)
:ビザンティン時
アテネの外港であるピレウス港から定
スでは村の中心にある “Vamos Tourist
期フェリーでクレタ島に向かう場合は、
Office” が、ウェブサイトを駆使して内外
日本の旅行業界においては「クレタ」
船の便数から見ても、島の中心都市であ
に広くヴァモスを PR。且つ、現在村内に
と言うと、クノッソスのイメージが強い
る中部のイラクリオンに入るのが最も便
24件点在するゲストハウスのオペレーシ
ためか、
「古代ギリシャ文明」や「新石器
利である。しかし今回は、先のデータ分
ョンから宿泊客へのケア、エコツーリズム
時代」の廃墟を想像する方々が多い。し
析でも述べた通り、近年クレタ・ツーリ
関連のアクティビティー企画、運営まです
かし、クレタはそればかりにあらず、ギ
ズムの中でも注目を集めている島西部の
べてを行っている。
リシャ本土にも劣らぬ中世のビザンティ
中心都市ハニア行きのフェリーでクレタ
具体的には、以下のような体験型レッ
ン文化が興隆した地である。例えばイタ
入りした。
スン&ツアーがオプションで用意されて
リアそしてスペインで活躍し名を馳せた
「クレタ島」というと、先述の通り、紀
いる。
画家「エル・グレコ」(1541-1614年)は
元前2千年という「ミノア文明時代」の
(ア)ユネスコ無形文化遺産「地中海式
クレタの中心都市イラクリオン(当時名:
イメージが大きいため、日本では中世お
ダイエット」
(地中海式食文化)の起源
カンディア)に生まれ、本名はギリシャ
よび近代の街並みなどはあまり知られて
ともなる「クレタ料理」のクッキング
語でドミニコス・テオトコプロスという。
いないのが実際のところである。しかし
レッスン
彼は若き日に同市の修道院で後期ビザン
オールドポート(通称「ヴェネツィアン・
(イ)地元チーズ&ヨーグルト工房、は
ティン美術とイコン画(ギリシャ正教の
ポート」)を中心に広がるハニアの旧市街
ちみつ農家、オリーブオイル工場の見
聖画)の技術を学び続け、その後おそら
には13世紀半ば~17世紀半ばのヴェネツ
学ツアー
くは25歳頃にクレタよりイタリアのヴェ
ィア、オスマントルコ時代の美しい城壁
ネツィアに渡ったと考えられている。
が残り、ハニア市の建築規制条例のもと、
クレタのイラクリオンにてビザンティ
2百年ほど前からの石造りの家屋や公的
(エ)
周辺の史跡をめぐるトレッキング
ン美術の礎が築かれたのは、1453年のビ
建造物がリノベーションされ、新たにホ
ツアー、
野山の草花・ハーブ観察ツアー
ザンティン帝国の首都コンスタンティ
テル、レストラン、カフェ、スーブニー
などである。
ノープルの陥落後である。そこで活躍し
ルショップ等に転用されているトラディ
今回筆者は、ヴァモス滞在中、
(ア)ク
ていたアンゲロス・アコタントスという
ショナル・セトゥルメンツである。
レタ料理クッキングレッスン、
(イ)地元
正教会の画家が同市陥落後イラクリオン
A)近年のクレタにおけるエコ&アグリ
代
へ移り住み、修道院を築いて弟子の修道
士たちに壁画やイコン画の指導を施し
た。いわゆる「クレタ派」の発生である。
6
ツーリズム拠点の展開
①ヴァモス・トラディショナルヴィレッ
ハニアの中心部から“レフカ・オリ”(ホ
うビザンティン美術の天才画家が出現、
ワイト・マウンテン)を右手に見ながら車
彼自身はギリシャ本土にも渡り、世界遺
で東に30分ほどのところに「ヴァモス」と
産で有名なアトス山 やメテオラの修道
いう村がある。ここは古くから歴史のある
院において貴重な壁画を残している 。当
村で、緑も深く、
18世紀頃からの石造りの
時、クレタにおけるビザンティン文化の
家々が未だに残る風光明媚な地。そこに
栄華は、ルネサンスの舞台イタリアにま
1990年代後半から村人たちが崩れかけた
でもよく聞こえていた。特にクレタ島西
石造りの古民家を新たにリノベーション
部には、
「ハニア」や「レティムノン」な
し、ゲストハウスやレストラン、カフェな
どの後期ビザンティン~ヴェネツィア時
どに転用。つまり「トラディショナル・セ
5
アー
チーズ&ヨーグルト工房見学、
(ウ)地元
ワイナリー見学&試飲ツアー、
(エ)周辺
史跡トレッキングツアーに参加してみ
ジ(Vamos Traditional Village)
その後、16世紀初めにテオファニスとい
4
(ウ)地元ワイナリーの見学&試飲ツ
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写真1 クレタ島ハニア市のヴェネツィ
アン・ポート界隈
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
写真2 クレタ料理クッキングレッスン
を終え、参加者全員での食事会
ルト&チーズ工房見学ツアー」というの
写真3 ハニア県にあるエコツーリズム
は、大工場を見学するのでなく、地元の
の拠点「ミリア」のゲストハウス
家族経営のような小規模工房であるが、
素材と商品の品質にこだわる店を見学。
ギリシャ国内でもクレタ特産のハード
チーズ「グラヴィエラ」
「ケファロティ
リ」
「ケファログラヴィエラ」や同じくク
レタでしか生産されないソフトチーズ
「アンソティリ」7。加えて素焼きの器に
入った伝統的な山羊乳のヨーグルト。こ
れはヨーグルト内に生きている様々な菌
た。
の呼吸を促し、バランスを崩さずに保存
引かれていなかったため、最初の3年間
中でも最も印象的かつ興味深かったの
するための知恵だったという。
は施設内に電気がなかった。明かりはオ
は、クレタならではの「クレタ料理クッ
このように、歴史と伝統に育まれたク
リーブオイルのランプやロウソク等に頼
キングレッスン」である。その会場は24
レタの地で、その伝統的な石造りの古民
っていたのである。すなわち「エコツー
件あるゲストハウスの1件に設けてあ
家に宿泊し、そこでしか経験することの
リズム」拠点として実に典型的な施設で
り、厨房と食堂はその中庭にあった。19
できない観光プログラムをうまくアレン
あった。その後1996年と2005年に太陽光
世紀中期の石製オリーブオイル圧搾機が
ジしているヴァモス・トラディショナル
発電施設を新設・拡充したことで、電気
今でも残るまさにクレタ島の古農家であ
ヴィレッジは、今やドイツ、オランダを
が使えるようになったという。その徹底
る。この「クレタ料理クッキングレッス
中心としたヨーロッパ諸国からの宿泊客
したエコロジー・コンセプトから、ヨー
ン」はヴァモス・トラディショナルヴィ
で毎年賑っており、さらにはこの村を愛
ロッパ各地にこの「ミリア」を知るファ
レッジのゲストハウス宿泊者のみなら
するがゆえに数年前から定住する北欧系
ンは少なくなく、16室限りのゲストハウ
ず、そうでなくともツーリストオフィス
のヨーロッパ人が増え始め、現在はその
スは「クレタというよりも『ミリア』に
を通して予約・参加が可能で、毎回6~
コミュニティーも出来ているとのことだ
行きたい!」という宿泊客で毎シーズン
12名ほどのグループ制となる。筆者が参
った。
一杯である。ここもやはり先述のヴァモ
加した日の「レッスン生」は、筆者の他
B)その他のエコツーリズム拠点
スのような地域性にこだわった体験型オ
6名。ニューヨーク、メルボルン、フラ
クレタ島における同様なエコ&アグリ
プションを多数企画・実施している9。
ンクフルトなど世界各地からギリシャ料
ツーリズムの拠点は、このところ島西部
②エナグロン(Enaglon)
理好きのツーリストが集っていた。
を中心に年々増加しているのは注目に値
続いては、
島中西部のレティムノン県、
講師はクレタ出身でカナダにも長年滞
するかもしれない。
「ギリシャ・アグリ
クレタでは最高峰のプシロリティ山(標
在経験のある現地料理研究家のクーラさ
ツーリズム連盟」の公式ウェブサイトに
高2,456m)中腹の村アクソスに広がる
ん。レッスンの最初には、クレタ料理の
掲載された同拠点の分布図 を見ると、
ギ
「エナグロン」
というエコ&アグリツーリ
持つ歴史や特徴、例えばその料理はクレ
リシャ全体の規模から言っても特にクレ
ズム拠点である。ここは先述の2つの施
タに豊富に生息するハーブを多用するの
タ島中西部とペロポネソス半島中北部に
設とは若干異なり、1件の石造古民家を
が特徴の一つだが、各種ハーブを実際に
集中している事が分かる。
リノベーションし、さらにその周囲に同
見て、手にとって触れながら、その効用
①ミリア(Milia Mountain Retreat)
様な建築様式で古民家風のヴィラを建設
について英語のレクチャーを聴講する。
例えば、
島西端に近い山間部の拠点
「ミ
していった。この種の拠点には珍しく
それもクレタ特産の「ラキ」という地酒
リア」は、17世紀から残る山中の古民家
プール設備も完備し、小さな子供連れの
を味わいながら、という実に自由でアッ
を買い取り、1982年から最初の施設のリ
家族でも充分に楽しめる環境とアクティ
トホームな雰囲気。食材は当然全てクレ
ノベーションに着手し、その後1993年よ
ヴィティー・プログラムを備えている。
タのもの、料理用のオイルも、サラダド
り営業を開始。クレタ島内のエコ&アグ
オリーブ、ブドウの収穫作業体験ツアー
レッシングから揚げ物用オイルまで全て
リツーリズム施設として、草分け的存在
は勿論のこと、乗馬(ロバも含めて)、ク
クレタ産オリーブオイル。なかなか他で
となった。様々な手を加えながら、周囲
レタ料理クッキング、
チーズやパン作り、
は味わえないクッキングレッスンであっ
の山々の緑とぴったり調和したレトロな
そして伝統民芸織物の実演講習など、ア
た。
石造りの施設を徐々に拡張してきた。
ウトドア&インドアのオプションが盛り
また、別のオプションにある「ヨーグ
オープン当時、周辺地域には送電線も
沢山に揃っている。
8
-85-
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
このように、クレタ島中西部における
写真4 レティムノンの旧市街の一画
さらに、このヒストリックホテルでは
代表的な3ヵ所のエコ&アグリツーリズ
宿泊客に直接取材し、生の声を聞いた上
ム施設を取り上げてみたが、筆者の帰国
で、同ホテルの人気の要因を以下の通り
後2012年9月下旬に、同3拠点における
分析した。
2012年夏季稼働率について電話取材を試
①350年前のヴェネツィア様式石造りホ
みた。それによると、本稿の冒頭にも述
テルで歴史の重みを体感でき、且つ最新
べた2012年6月期のギリシャ観光不振の
の設備を整え、きめ細やかなサービスが
時期は確かに若干の影響はあった様子だ
提供されていること。つまり歴史体験と
が、各拠点共に7月期は70%以上、8月
快適な滞在の両方が兼ね備わっている。
期は90%を超える高い稼働率を示してお
②周囲の環境もレティムノンというセン
り、特に「ミリア」に関しては、8月期
スの香る落ち着いたヴェネツィア時代の
100%を超えたという。高い人気度を示し
旧市街に囲まれていること。
ていることが分かる。
③「地中海式ダイエット」
(地中海食文
また「エナグロン」のオーナーである
化)の起源といわれるクレタ料理の伝統
ヤニス・パパダキス氏によると「クレタの
どが立ち並ぶ、落ち着いた雰囲気の観光
的なレシピをベースに、先進的な創作料
ツーリズムにおいては現段階でエコ&ア
都市である。
理に発展させている。毎年夏のシーズン
グリツーリズム施設の規模は、全体の6
この街で宿泊したのは、
「ヒストリック
はヨーロッパの各地から、アメリカから
~7%を占める程度の割合であるが、こ
ホ テ ル ズ オ ブ ヨ ー ロ ッ パ」
(Historic
と外国人客は絶えないが、このホテルレ
こ10年程の伸び方は著しい。クレタ・ツー
Hotels of Europe)のギリシャ地区メン
ストランの食事の美味しさと豊かさに惚
リズムの成長に少なからぬ貢献をしてい
バー「ヤデス グリーク ヒストリック ホ
れ込んで、何度も同地を訪れているリ
るはずである。これらの施設は National
テ ル ズ」(Yades Greek Historic Hotels)
ピーター客が多い。
Strategic Reference Framework(NSRF)
に加盟する「アヴリ ラウンジ アパート
④ホテル直営のショップには、各種エク
というEUのプログラムに申請し、承認を
メンツ」
(Avli Lounge Apartments)
。レ
ストラバージン・オリーブオイルから、
得ることにより、EUから経済的支援を受
ティムノン旧市街のほぼ中心に位置する
ハチミツ、手作りジャム、ワイン、ラキ
ける事が出来る。その支援規模は建設さ
このホテルは、客室としては4つのジュ
(島特産の蒸留酒)
、
オリーブ化粧品、ハー
れる施設の地域、場所、目的、重要性な
ニアスイート、2つのエグゼクティブス
ブなどが販売されている。それらは全て
どにより異なるが、総工費の35~65%程
イート、そしてペントハウススイート1
厳選された手作りの少量生産商品に限定
度になる」とのことであった。
部屋のみという構成である。しかし1660
している。
C)中世ヴェネツィア時代の都「レティ
年建造のヴェネツィア時代の家屋を美し
さらに、レティムノン旧市街を巡って
ムノン」とトラディショナル・セト
くリノベーションしており、中庭のテラ
みると、あちこちで19世紀前後の古い建
ゥルメンツ
スレストラン、石造りのアーチ型レスト
造物がリノベーションされ、様々な店舗
ヴァモス村を後にして次に訪れた調査
ラン・バー、ワインセラー、屋上テラス
やホテルに転用されている箇所を見かけ
地は、ハニア市から東に約70km に位置
そしてショップが実に魅力的である。
た。先のハニア市と同様、同市の建築規
するクレタ島中西部の中心都市レティム
同ホテルを視察・調査の対象と選んだ
制に従って修復工事がなされている。ま
ノンである。レティムノンは、現在人口
理由は、これだけ小規模でありながらも、
た、旧市街の他のホテルやレストランに
が4万人程の街であるが、ヴェネツィア
2010年には雑誌 Conde Nast Traveller か
そしてオスマントルコ時代に繁栄し、そ
ら〝The Readers' Travel Awards” を 受
写真5 ホテル・アヴリ内の中庭レストラ
の時代の城壁が今でも美しい。エーゲ海
賞し、また2012年には Trip Adviser か
ン AVLI とは「中庭」を意味する
に突き出た岬の丘の上には、ヴェネツィ
ら、クレタの全ホテル中、ホテルサービ
ア時代の1574年から1582年にかけて建設
スに対する利用者の支持が6か月間連続
された城塞も残っており、同市のシンボ
でトップであったことから、
〝Travellers'
ルにもなっている。旧市街のあちこちに
Choice 2012” 賞を受賞している。以上の
ヴェネツィアとオスマントルコ時代の歴
観点から、レティムノン旧市街における
史的建造物が混在しており、狭い石畳の
「ヒストリックホテルの代表格」
という意
通りにはレトロな石造りの店舗やホテ
味で調査に値するホテルであると判断し
ル、タヴェルナ、レストラン、カフェな
た。
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日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
関しても、各店舗から同様なこだわりと
ことができる。
きるアコモデーションの人気が高い。
ホスピタリティを以ってより良いサービ
E)パブリックセクターの取り組みと都
E)クレタにおいては2つのタイプのエ
スを提供したいという意気込みが伝わっ
市型エコツーリズム
コツーリズム、すなわち「農村・山間部
てくる。それらの「観光資源」が総合的
一方、クレタのパブリックセクターは、
型」と「都市型」エコツーリズムがそれ
にレティムノンの観光力を高めているよ
県・市などの垣根を越え、あるいは農協、
ぞれにその特徴を生かし、クレタ・ツー
うだ。
ワイナリー協会、ホテル連盟などとも連
リズムを底上げしている。
D)クレタの食材は最高のクオリティ
携し、近年は歴史と伝統に育まれたクレ
-以上、経済危機の最中にあっても、
また、クレタは島全体で農業が盛んで
タ式食文化(Cretan Diet)やワインを、
従来のマリン&アイランドリゾートのイ
あり、野菜・果物で採れないものはない
すなわち「クレタ・エノガストロノミー」14
メージを変えるニューツーリズムの展開
くらい農産物の豊かな地である。それは
を重要な観光コンテンツと位置付けて広
を今後も注目し、研究を継続していく所
南欧ギリシャにあっても最南端の地にあ
報活動を展開している。具体的には、関
存である。
り、東地中海のほぼ真中に位置するこの
連各種テーマのパンフレットを作成、ま
広大な島だからこそ。沿岸の平野や内陸
たギリシャ政府観光局の海外支局とも協
盆地、谷の緩やかな傾斜地など、クレタ
力して、欧米諸国を中心に各地から旅行
島全体で農業・畜産・酪農がとても盛ん
会社やメディアを招き PR するスタディ
である。オリーブ、トマト、キュウリ、
ツアーを多数迎え入れている。
Traditional Settlements( 1975-1992)
アーティチョークから柑橘類、ぶどう、
以上、レティムノン市における観光事
Cultural Heritage Showcase, The G.
バナナに至るまで、ありとあらゆる野菜
情を総括すると、
「資源の保護+観光業の
N. T. O Programme, Greek National
&果物が生産されている10。そしてクレタ
成立+地域振興の融合をめざす」15という
Tourism Organisation, Athens 2009.
料理には絶対に欠かせないのがオリーブ
エコツーリズムの概念に合致し、クレタ
オイルと天然ハーブ。ギリシャのオリー
における「都市型エコツーリズム」を実
ブオイル生産量はイタリア、スペインに
践している代表的な例と言って過言では
次いで世界第3位であるが、その国内生
ない。
参考文献
・Preservation
&
Development
of
注
2012年6月17日に国政再選挙が実施さ
1
産の半分を占めるのがクレタで、低酸度
れ、連立与党が急進左派に勝利し、安
の最高級エクストラ・ヴァージンオイル
8.おわりに
定的な政権が樹立した。その結果、欧
が豊富に作られている 。
以上の調査結果より得た結論は、次の
米をはじめとする観光市場にも安心感
さらに、クレタ島の野山のいたる所に
通りである。
が広がり、6月下旬以降は外国人訪客
咲き乱れるのが無数の天然ハーブ。タイ
A)ギリシャの経済危機においても、そ
ム、ローズマリー、マジョラム、ミント、
の打撃を受けずに、安定した訪客数を確
オレガノ…、クレタ料理には欠かせない
保しているデスティネーションは確かに
役者である 。そしてこの野山に自生する
存在する。具体的には、クレタ島、エー
ハーブや柑橘類からそのエキスを集めた
ゲ海・キクラデス諸島等。その一つ、ク
Creation of the Gods-The Gods-The
蜂によって、独特のハーブ香が芳しい上
レタ島の「観光力」の強さの要因は、…
Heroes-The Trojan War-The Odyssey,
質のハチミツが収穫され、またハーブを
B)ビザンティン時代~ヴェネツィア時
豊かに食んで放牧される羊や山羊から
代のトラディショナル・セトゥルメンツ
は、クレタ特産のチーズや乳製品が生ま
(伝統的居住地)
あるいはトラディショナ
れる。濃厚なグラヴィエラ(ハード)チー
ル・ハウス(伝統的家屋)が、景観保存
ズやソフトな味わいのアンソティリ、水
されている地域、施設、アコモデーショ
– History of the Monasteries and
切りヨーグルトなど、実にクレタは食の
ン。エコ&アグリツーリズムの拠点も大
Monasticism, Michael Toumbis Editions,
天国と言って過言ではない。さらにワイ
きな役割を果たしている。
ン作りも盛んである。クレタワイナリー
C)農業体験、クレタ料理クッキングレ
組合には島内中西部のイラクリオン、ハ
ッスン、ワイナリー&チーズ工場見学な
ニア、レティムノン3県の中大手31社の
どのアクティビティーを重要な観光コン
ワイナリーが加盟し、組合をあげてワイ
テンツとして用意している拠点。
ンツーリズムをPRしている 。食文化が
D)
「地中海式ダイエット」の源泉である
観光資源として確立されているのを見る
「クレタ・エノガストロノミー」を堪能で
11
12
13
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数も全国的に増加した。
ホメロス、オデュッセイア、松平千秋
2
訳、岩波文庫、東京1994.
Sofia
3
Souli,
Greek
Mythology-The
Editions Toubi's, Athens 2008, p.24-25.
Sotiris Kadas, Mount Athos, Ekdotike
4
Athenon, Athens 1989, p.37.
Theocharis M. Provatakis, METEORA
5
Athens 1991, p.38.
Michalis Andrianakis, The Old City of
6
Hania, Adam Editions, Athens 2000,
p.19-30, 45-49.
Rena
7
Rodolaki,
Cretan
Nutrition,
Chambers Commerce and Industry of
the
Four
Prefectures
of
Crete,
日本国際観光学会論文集(第20号)March,2013
Iraklion 2008, p.6.
「ギリシャ・アグリツーリズム連盟」が
8 公 式 ウ ェ ブ サ イ ト http://agroxenia.
net/en/home 上に掲載する地図。グー
グルマップをもとに、ギリシャ国内の
アグリツーリズム拠点を印している。
このマップでギリシャ北部地域を概観
しても、まだ同様な拠点は非常に少な
いことが確認できる。
Alice Hatzopoulou, Stefanos Gerasimou,
9
Sustainable Development of Greek
Mountainous Traditional Settlements,
WSEAS Transaction on Environment
and Development, Issue 9, volume 2,
p.1226-1229, 2006.
Iraklio-A Starting Point for Eco-
10
Tourism, ecotourism Greece, Athens
2004. P.88-92.
Myrsini Lambraki, Cretan Cuisine for
11
Everyone, Myrsini's Edition, Athens
1998, p.25-27.
Myrsini Lambraki, Cretan Cuisine for
12
Everyone, Myrsini's Edition, Athens
1998, p.33-39.
Wines of Crete Issue #1, West Crete
13
Winemakers Association & Heraklion
Chamber of Commerce, Iraklion 2011,
p.2.
「エノガストロノミー」とは、確かにイ
14 タリア料理界における「ワインを交え
た食文化」という意味の造語であるが、
実 は そ の 語 源 は ギ リ シ ャ 語 で οίνος
(inos : ワ イ ン)と γαστρονομία
(gastronomia:美食法)との複合語。ち
なみに γαστήρ(gastir :お腹、胃)と
い う ギ リ シ ャ 語 の 単 語 か ら
γαστρονομία「美食法」という単語へと
派生した。
日本エコツーリズム協会公式ウェブサ
15
イ ト(http://www.ecotourism.gr.jp/)
「日本エコツーリズム協会が考える『エ
コツーリズム』の定義」より引用。
【本稿は所定の査読制度による審査を経たものである。
】
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