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「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道の書
3章11節)という言葉があります。
使徒行伝2章1節に 「五旬節の日がきて、みんなの者が
一緒に集まっていると」とありますが、作者であるルカは原
文では「時が満ちて五旬節になった」と言っています。
五旬節の日が「満ちた」、時が満ちたのです。
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っ霊美
た降し
イエス様は十字架にお掛かりになりましたが、それはユダヤ教の過越の祭りの日
の直前の出来事でした。
イエス様は声高く叫んで「父よ、
わたしの霊をみ手にゆだねます」。
こう言って息を引きとられたのです。
そして三日目、日曜日の朝
よみがえられました。
イエス様は以前よりご自身が
3日目によみがえられることを弟子達に話しておられました。
しかし弟子達はそんなことは夢にも思っていませんでした。
イエス様が目の前に現れてさえ、しばらくは気がつかないほどでした。
弟子の中にはイエス様のよみがえりを、
「そんなこと、とても信じられない」と
言っ
て疑う者もありました。
イエス様はそのような者達にも現れ、「見ないで信じることができる者は幸いであ
このようにイエス様は苦難を受けた後、自分の生きていることを数々の確かな証
拠によって示し、40日間にわたってたびたび弟子達の前に現れ、神さまの国に
ついて語られました。
そのような中、イエス様は食事をしている時「エルサレムから離れないで、以前より私
から聞いている父の約束を待っているようにしなさい」と弟子達におっしゃいました。
また「その時期や場合は、神さまがご自分の権威によって決めているのです」ともおっ
しゃいました。
人間にはわからない神さまのご計画なさった時があって、その神さまの時こそが最善で
あり、時にかなって美しいのです。
最後に、イエス様は「聖霊があなたがたに下る時、力を受けて、あなた方はエルサレ
ムやユダヤばかりでなく世界中にまで、わたしの証人となるだろう」とおっしゃり…
こう言い終ると、イエス様は弟子達の見ている前で天に上げられ、その姿が見えなく
なってしまいました。
弟子達は、このあまりに突然の出来事にただ驚き、天を見つめるばかりでした。
そんなとき、いつの間にか白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていました。
彼らは弟子達に向かって「なぜ天を仰いで立っているのですか。
あなたがたを離れて天に上げられたイエス様は、またあなた方のところへ戻ってきま
す」そうおっしゃられたのです。
それで弟子達は急いでエルサレムへ帰りました。
それはペンテコステの日でした。ペンテコステ(五旬節)とは「50日目の祭」という意
味の言葉です。
イースターの日から数えて50日目にあたります。
またこの日は小麦の収穫の「初穂の日」でもありました。
神さまがこの「50日目の祭」ペンテコステの日に聖霊を注がれたのは、神さまが単
なる作物の収穫の初穂がささげられるのではなく、霊的な「収穫の初穂」、つまり、
エルサレムに教会が誕生し、それが初穂として神さまにささげられたのです。
さらに集まっている人達が心を一つにして祈っている時のゆえに、それは神さまの時
にかなっていました。
イエス様から約束を受けた弟子達は、その約束の成就を待ち
望みながら一緒に祈っていたのです。
皆が1つの所に集まっていた時に、そして皆の心が一つになっていた時に、さらに皆
が祈っているその時にこそ、神さまが聖霊を注がれたのです。
ペンテコステの日は世界を救う教会の誕生のために、本当に相応しい時でした。
ペンテコステはユダヤ人達がエルサレムに来なければならない大切な祭の一つです。
そして、そのことの為に色々な国からも、神さまを信じる心を持った多くの人々が集
まって来ていたのです。
その状況は神さまの時にかなっていた
のでした。
さて、次にペンテコステの様子を見てみましょう。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体
に響き渡ったのです。
これは音で聞こえ目に見える超自然的現象でした。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった、とあります。
すると、弟子達は聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、いろいろの外国の言葉で語
り出したのです。
さて、エルサレムには、神さまを信じる多くのユダヤ人達が、色々な国から来ていまし
たが、この物音が起こると、大勢の人々が集まって来ました。
しかもそれはユダヤ人ばかりではありませんでした。
イエス様の誕生の時に、天使達がお金持ちのユダヤ人に現れたのではなく、貧しい羊
飼い達に現れたように、ここに集まった人達は「選ばれた人」と言えるかもしれません。
そして彼らは、それぞれ自分の国の言葉で弟子達が話すのを聞いて、驚きあきれてし
まったのです。
彼らは驚き怪しんで言いました。「いま話しているこの人達は、みなガリラヤの人では
ありませんか。
それなのに、私達めいめいの国の言葉で話すのを
聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
ユダヤ人もいればそうではない者もいるのに、あの
人達が私達のいろいろな国の言葉で神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
それに対してペテロは答えました。「私達はあなた達が思っているように酒に酔ってい
るのではありませんよ。
ただ、神さまの力を受けて聖霊を与えられ、十字架に
おかかりになり、復活されたイエス様のことを話しているのです。」
神さまの聖霊はどこの国の人達のところへも来て下さいます。
そして聖霊ご自身が世界中の人達にイエス様のことを伝えているのです。
私達の聖学院教会もそのようにして誕生したのです。