前近代中国との対話 『明夷待訪録』の世界 黄宗羲(1610ー1695) 明末清初の思想家 父はいわゆる東林派人士、魏忠賢(宦官) に逮捕され獄死。 明朝の滅亡に際して反清復明運動を展開 日本の援軍を請う。『日本乞師記』 復明運動の集結ー学者として活動 →「明の遺老」:清朝の政治的活動には参 加せず・・ただし、弟子には寛大 明代を総括する著作『明儒学案』 明夷待訪録 康煕元年(1662)に執筆。翌年完成 康煕元年 南明桂王が雲南で殺害 鄭成功死去 →反清朝軍事行動の基本的終結 「明夷」・・・『易』の卦「光が地下に蔽い夷なわれ る。」→夜明け前 明君から太平を実現すべき方策を問われた時に 差し出す政治改革案。 政治機構 経済 文化の各方面に亘り、明朝滅 亡の原因とこれからとるべき方策について論じる。 君臣関係論 【君主はどういう存在か】 *「有生之初、人各自私也、人各自利也」ー 原始時代は人はみな自分勝手。「君主」な ど存在せず。 自分では利を享受せず、天下の公利を発展 させる→「自分から苦労を買って出る人」 だから人々から「まるで父のような、天のよ うな人」と尊敬されていた。 君臣関係論(2) 【臣下とはどういう存在か】 天下は広くて君主一人で統治できない。 →「分治」・・・君主のためでなく、天下のた めに出仕する。 君主と臣下の関係 大木をともに引っ張る人。 ☆決してその身を殺して君に仕える存在で はない。 君主の横暴とそれを許す臣下 後の君主:天下=自分の財産 臣下:君主は自分を食べさせてくれる恩人→ 君主の財産である人民や土地を分けてもらった。→「君 主=父親」 『孟子』ー性説・・・後の正統思想 ー激烈な民本思想 後代の批判の対象 朱子学者ー君臣の義を天理と見なす 『孟子』を顕彰し上記の学説に対して激烈に批判 「伯夷・叔斉は妄言」 『孟子』の民本主義思想の再確認 君臣関係の相対化 →君臣関係と父子関係は別物 父子関係:父に仕えることは絶対に不変の天理。 君臣関係:職務上だけの上司と部下との関係。 辞職すれ ば赤の他人。 後の朱子学者の君臣関係論に対する批判 →『孟子』 「君主が人民を土芥のように扱えば、人民は当 然君主を仇人のように見る。(これは当然。)」 天子一位・公一位・侯一位・伯一位・子・男同一位(『孟子』) →天子も爵位の一つ、臣下に超絶する地位ではない 君主の横暴を抑えるために 宰相の復活(明初に廃止) 君主-世襲→必ずしも有能とは限らない 宰相:賢者から賢者に伝わる・・・国を差配するにふさわしい 「批紅」(天子の裁可)も宰相が代行 士大夫輿論の反映 「天子の判断はいつも正しいとは限らない」 *学校に諮問委員会的な機能を持たせ、是非の判断をさせる *地方の学校は士大夫の自治に任せ、群県官の横暴をチェックする 士大夫主義 天下と国家 天下=あらゆる世界/文明社会 国家=「一姓」・・・一つの王朝 「天下の治乱は一姓の興亡に在らず」 ☆桀王(夏朝)紂王(商朝)の滅亡→「治」 ☆秦・元の成立→「乱」 ☆南朝諸王朝の興亡→「治乱とは無関係」 天下の法(王朝を越えた普遍的な法)が一家の 法(王朝・皇帝家の法)に越えて存在すべき 真に守られるべきは儒家の文明 人治と法治 「法」: 理念|宗法|(刑罰に裏打ちされた)実定法|システム| 「治人有りて治法無し」(荀子)・・善政の源泉を法ではなく政治家の 資質に求める・・・儒家の伝統的な見方 「治法有りて而る後治人有り」(黄宗羲)・・・普遍的な理念を体現する 基本法が存在して初めて優れた政治家が現れる・・・ 黄宗羲のいわゆる「法」:授田(公地分配)・封建(過度の中央集権の 抑制)・学校(教育・官吏登用システムと文明教化)卒乗(兵農不分 離) →国家システムを上記の大原則に則って作れば瑣末な刑罰はやが て不要となる。 軍事制度からみた明朝滅亡の 原因 1兵農分離 軍隊を養うために莫大な軍事予算が必要 軍戸と民戸が分かれている →50戸に1人と決めておく 2辺境防備の中央集権化 莫大な軍事予算が必要/命令系統が複雑で急に対処で きない →方鎭を置いて自給自足させ、治績があれば世襲を許 す 3武人の跋扈 将軍が文官の意向を無視する →将軍は士大夫(文官)でなければならなくする 官吏登用制度の弊害 科挙制度ー狭小な門戸・多彩な人材登用機会の 消失 経書解釈の一本化(「大全」)と文章スタイルの定 型化(八股文)・・・受験テクニックが幅をきかせる 推薦制度と平行→「当然」賄賂の横行 広汎な経書知識と諸子にまで及ぶ試験範囲 登用制度の多元化 ex推薦→仮採用→本採用/実務技術による試 験 困窮する農民 明代中期ー急速な経済発展 *都市経済の発達 納税の銀一元化 →離農・都市労働者に 次々と課せられる税金 *古代の「什一」→土地公有の時の話、現代なら 30分の1でも軽くない *税の一本化→付加税→さらに一本化→さらに 付加税・・・ 現物納の復活、金銀の流通禁止、帰納政策 混乱を招く二重権力 士大夫以外の権力の横暴 1)内廷と外廷 皇帝・・公式:政治のトップー官僚と対する プライベート:一家の主ー宦官と対する →プライベート側からの政治コントロール 2)地方官と胥吏 中央から派遣される地方官 *現地の習慣・言語にくらい *数年で転属:「いかに失点を防ぐか」 王妃を三夫人に限る→宦官の人数制限 胥吏ー見習いの士人を採用する 民を幸福に導くために 民の教化-天が天子に与えた任務 授田の廃止-自分で自分を養わざるをえなくなり、さらに 重税にあえぐ 学校の廃止-教育がなされず、無知になっている上に利 益で誘導することをする 教化の浸透→仏寺・道観・淫祠を禁絶して一部を学校と する 風俗の立て直し→無用の文化(小説・詞曲など)の廃絶 「朱子家礼」に基づく教化 過度の経済発展の抑制 日用に切ならざるものの流通の禁止、金銀流通の廃絶 参考文献 黄宗羲(西田太一郎訳)(1963)『明夷待訪録』(東洋文 庫) 平凡社 島田虔次(1965)『中国革命の先駆者たち』(筑摩書房) 溝口雄三(1980)『中国前近代思想の屈折と展開』 (東京大学出版会) 山井湧(1980)『 明清思想史の研究』 (東京大学出版 会) 山井湧(1983 )『黄宗羲』(人類の知的遺産33)講談社 川田健(2001)「黄宗羲政治思想考(3)」 (『中国古典研究45』 中国古典学会)
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