第19回日本疫学会学術総会 健康政策策定における 疫学の役割 (1) 柳 川 洋 健康政策とは 健康の維持、増進を目的とする 一連の意志決定と行動 現状認識 課題の確認 目標の設定 目標達成にむけた行動 評価と軌道修正 政策の決定に果たす疫学の役割 科学的エビデンスに基づく公正な健康政策 エビデンスのない健康政策 ① 国民の健康水準の向上に役立たない ② 限られた資源と資金の無駄遣い ③ 不公正 健康政策に及ぼすさまざまな影響要因の解明 得られたエビデンスの開示と正しい知識の普及 政治家、行政担当者、一般市民、マスコミ 政策の決定に影響を及ぼす要因 1.政治家、市民、マスコミの影響 政治家: 無関心、特定団体の利益誘導 市民、マスコミ: 疫学的なエビデンスとの乖離 →科学的な根拠と異なる方向に向かう危険性 2.疫学研究による因果関係の判定 病因的な証拠が不十分と評価される場合、政策策 定に影響を与えることは困難 (例: たばこの健康影響) 3.団体・企業の利害関係 目的を持った団体・個人の働きかけ 健康政策を成功させるには 1.高水準の政策立案者による政策作り 2.科学者集団のサポート 健康科学、疫学、臨床医学、基礎医学、 健康経済学、健康社会学、健康行動科学、 ・・・・・ 3.政治家の理解 4.行政担当者の理解と信念 5.市民への啓発と健康意識の向上 市民の声(参加、行動、批判、評価) 健康政策に関わる主な分野と 本日のトピックス 健康危機管理 スモン 腸管出血性大腸炎の集団発生 BSEとv-CJD(英国) 健康づくり・疾病予防 タバコ(健康日本21) メタボリック・シンドローム 医療供給体制、疾病対策、生活環境、 科学研究の振興 ほか 健康危機管理 限られた資料に基づく迅速な意志 決定と的確な行動 スモン 腸管出血性大腸炎(O-157)の集団発生 BSEとv-CJD(英国の教訓) スモン(SMON) Subacute Myelo-Optic Neuropathy 1955-65年に各地で集団発生の 頻発、日本全国に蔓延 スモンの臨床と疫学 臨床: 腹部症状で始まる急性または亜急性の神 経疾患。症状の初発は、両側性、下半身から始まる知 覚障害、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、 ジンジンする)、視神経障害 疫学: 1955-70年 各地で集団発生の頻発 山形市、釧路市、米沢市、徳島市、戸田蕨市、 八女市、室蘭市、呉市、井原市、神岡市・・・・・ 家族集積性、地域集積性 季節性(夏に山) 性・年齢分布(女に多く、60歳代に山) スモンの原因 原因の追求:最初はウイルス感染を疑う。臨床・病理 所見から中毒、代謝障害、栄養障害にも容疑 原因説: 1970年 6月30日 緑色の舌苔(緑舌)、尿からキノホルム の3価鉄キレート検出(田村ら) 8月6日 研究班会議で、新潟・長野7病院の疫学調査 に基づきキノホルム原因説を提唱(椿ら) 9月5日 日本神経学会関東地方会に公表(椿ら) 9月7日 中央薬事審議会に諮問 9月8日 キノホルム剤(186種類)販売停止、 使用停止措置 → 以後の患者新発生は激減 年次別、月別スモン患者発生数 350 300 人数 250 キノホルム剤販売停止措置 1970.9.8 200 150 100 50 0 1967 1968 1969 1970 年次 1971 1972 椿らが実施した疫学調査の概要 方法 新潟、長野の7病院のスモン患者171人 のキノホルム剤服用状況を観察 結果 97%がキ剤服用(強固性・特異性) スモン以外の患者は殆ど服用なし(強固性・特異性) 服用開始後11-40日に神経症状(時間性) 服用量の多い者ほど早期発症、重症発症 (生物学的傾斜) キノホルム剤使用量と患者発生が併行(生物学的傾斜) キノホルム剤服用の有無別スモン発症率 主な後ろ向きコホート研究より 服用の 観察 発症 発症率 対象者の特徴 (%) 有無 数 数 78 34 43.6 腹部手術後の予防 吉武ら あり 79 0 0 内服 なし 報告 者 倉恒ら あり 114 5 なし 217 0 青木ら あり 532 17 なし 3786 4 あり 263 29 なし 706 0 椿ら 4.3 腹部症状のある結核 0 患者 3.2 一般外来患者 0.1 11.0 消化器病患者 0 キノホルム原因説をめぐるハワイ の攻防(1976年1月19-21日) 当初外国ではスモンのキノ ホルム原因説を認めなかっ たが、この会がきっかけとな り、国際的に認められるよう になった 疫学の役割と政府の対応 • 様々な原因説の提唱 ウイルス説、農薬汚染、栄養 • 強力な疫学的エビデンス 学際的な研究体制 自由なコミュニケーション • 政府の迅速な対応 • 製薬産業の抵抗 国際的な論争 腸管出血性大腸炎 O-157の集団発生 1996年7月堺市の小学校で6500 人の患者発生 患者発生の流れと疫学調査 1996年7月12日夜半から、堺市の学童に 下痢、血便を主症状とする患者発生 7月14日に有症状者26人の検便 13人から腸管出血性大腸菌O-157 9月25日までに6,500人の患者報告 堺市、大阪府、厚生省の協力のもと、原因 究明の疫学調査 厚生省病原性大腸炎O-157対策本部 委員として参画 腸管出血性大腸炎O-157の症状 臨床症状の特徴 潜伏期3~8日 激しい腹痛、頻回の下痢、はきけ、嘔吐 まもなく血便(35~95%) 症状のないものもあり 溶血性尿毒症症候群(HUS)に移行 6~7% HUS(溶血性尿毒症症候群)の特徴 血便を伴う重症下痢、意識障害、白血球増加、 乏尿、浮腫、けいれん、黄疸、頭痛 (特に幼年者、老人が重症化) 給食メニューの地域区分 (堺市) 地区内は同一メニュー、3地域をローテート 北・東地区 堺・西地区 中・南地区 患者発生の範囲 中・南地区 北・東地区 堺・西地区 学童総数 19,648 12,850 15,145 有症状者 (%) 4,655 23.7 1,471 11.4 52 0.3 351 1.8 146 1.1 0 - 入院者 (%) 学校給食の可能性 患者多発は堺市の小学校学童に限局 堺市周辺地域学童の多発なし 多発地区と上水道給水区域とは不一致 学校給食は地区内共通メニュー 患者発生地域は、学校給食単位に一致 境・西地区のみ患者数は著しく少ない 容疑メニュー絞り込みのステップ 入院患者、有症患者の欠席率、欠食率 入院患者、健康者の喫食率比較 共通の購入先 共通の非加熱食材 潜伏期 1-8日(通常3-5日) 過去の集団発生の汚染源 ハンバーガー、サラミ、飲料水、 リンゴジュース、ミルク 生鮮野菜(レタス、きゅうり、サラダ) 入院患者の日別欠席数 (中・南地区) 12 10 入院患者 312人 人 数 8 全員出席 6 4 2 0 7/1 7/2 7/3 7/4 7/5 7/8 7/9 7/10 (北・東地区) 7 6 入院患者 86人 人 数 5 4 全員出席 3 2 1 0 7/1 7/2 7/3 7/4 7/5 7/8 7/9 7/10 % 発症日別患者割合(入院患者) 40 35 30 25 20 15 10 5 0 北・東地区 7 8 9 10 中・南地区 11 12 7月**日 13 14 15 16 17 共通の非加熱食材(貝割れ大根) 同一の生産者から購入 中・南地区 7日、8日出荷分 9日の冷やしうどん 北・東地区 5日、7日出荷分 8日のとり肉とレタスの甘酢あえ 他集団の流行 大阪府下老人ホーム(7月15日通報) 7月6日~24日 98人が発症 うち33人がO-157(+) O-157(+)患者の共通食 7月9日の昼食 ビーフカレー、貝割れ菜サラダ、らっきょう漬 貝割れ大根は同一施設 生産(7日出荷分) O-157のDNAパターン は堺市の患者と一致 結果の公表 厚生省病原性大腸炎O-157対策本部 堺市学童集団下痢症の原因究明 中間報告 1996.8.7 最終報告 1996.9.26 汚染源、汚染経路は特定できなかったが、 ① 入院者全員出席: 中南地区 7月8日、 北東地区 7月9日のみ ② 喫食調査: 同日の献立が疑われた (特定施設からの貝割れ大根のみが共通の非加熱食材) ③ 実験結果: O-157汚染(温度管理の不備による可能性) ④ DNAパターン: 一致 [総合的な判断] 7月7日、8日、9日に出荷された特定生産施設の貝割れ大根の 可能性が最も高い。 他の集団事例でも、同日、同施設から出荷された貝割れ大根が 献立に含まれており、DNAパターンも一致。 国相手の損害賠償訴訟 日本かいわれ協会、関係業者が訴訟 「貝割れ大根が食中毒の原因である可 能性が最も高い」という発表に対して、国 を相手に22億円の損害賠償を求める 東京地裁判決(2001.5.30) 疫学的考察の結果、特定施設から 特定日に出荷された貝割れ大根が 原因食材である可能性が最も高いと した判断に不合理な点はない 本件の公表には法律上の根拠を欠 いているから違法であるという主張は 採用できない 本件の公表は、国民に対する情報 提供と食中毒の拡大防止の観点から 行われたものであり、国家賠償法上 違法であるとの原告の主張は認めら れない 東京高裁判決(2003.5.21) 容疑施設から菌は検出されず、 流通経路での汚染が疑われるべき で、貝割れそのものの汚染に疑問 がある 公表自体は情報不足による国民 の不安感の除去のため、隠すより は、はるかに望ましく適切であった しかし、公表によって他の業者の 事業が困難に陥ることは容易に予 測できたのに、他の業者の貝割れ 大根について、いわれのない疑い を除くには不十分 1691万円の賠償を国に命ずる 訴訟の経過(東京かいわれ訴訟) 事件名:最高裁判所損害賠償請求上告受理事件 上告人:国(厚生労働省) 被上告人:日本かいわれ協会ほか18名 第一審(東京地裁) 平成8年12月2日 提訴 平成13年5月30日 判決 (国勝訴) 控訴審(東京高裁) 平成13年6月11日 控訴 平成15年5月21日 判決 (国敗訴) 上告審(最高裁) 平成15年5月29日 上告(上告受理申立て) 平成16年12月14日 決定 (上告不受理) 大阪かいわれ訴訟でも同様の経過であった 公表は適切であったか 同一施設からの貝割れ大根による他施設の流行 同時期に大阪、和歌山、兵庫の各地で多発 流行として認知された事例は氷山の一角か 公表しなければ、流行はさらに拡大 関係業者への風評被害に対する配慮 疫学者の責任 説得力のある証拠の提供 疫学の判断と裁判の判断の乖離埋める 国民の理解を得る 風評被害防止の働きかけ 抄録に記載した内容の詳細は下記をウエブ をご覧ください。 「公衆衛生ねっと」 ①役に立つ情報(一覧から探す) ↓ http://www.koshu-eisei.net/ ②地域医療のための疫学手法 (12) 疫学と健康政策 3つのPDFファイルに掲載 スライドの要約もすでに掲示しました。
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