箱ブランコとタコマ橋

タコマ橋と明石海峡大橋
2004.5.6
タコマ橋
• 1940年11月7日落橋
• 海峡をわたるリボン
• その当時の最新の技術を使っても、事故が起こっ
た
• 発散振動が問題だということは、最近まで分からな
かった(風の動的作用)
• 事故に対する対処は、当時から行われていた
• 53m/sまで耐えるはずが、タコマ橋は19m/sの風で
崩壊
つり橋
• 風の影響
• 上下運動(静的荷重)ゴールデン・ゲート橋
でも風速96㎞/hの強風で上下に60cm動い
た。また別に横に1.8m動いた
• ⇒ねじれ運動
• 吊橋の振動性状が、補剛桁の断面形状に
大きく関係している
セバーン橋
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1966年(イギリス)
飛行機の翼のような断面形状
流線型箱型で補剛し斜めハンガーで吊る
完成後16~17年で疲労の限界に達してい
ることが明らかにされた
• 本質的質量不足のため、限界風速はクリ
アできても、比較的低風速で発生する限定
振幅振動や活荷重の影響までも問題
明石海峡大橋
• シミュレーションや模型実験では、箱型とト
ラス型の性能の違いはなかった
• (実験には金がかかっている)
• 結局、保守的に、これまで実績のあるトラ
ス型を採用した
• 現在、世界一の長大吊橋ハンバー橋はセ
バーン橋と同じ流線型の箱型を使用
風洞試験
• 風洞試験法の確立も必要だった
• 小さな模型を入れて試験するために、些細
な事柄が試験の結果を左右する
• そのような要因がどういう効果を持つか分
かっていなかった
• 均質で信頼できる結果を保証する試験法
の基準化も必要になった
• 『世界最大橋に挑む』古屋信明 NTT出版
テイ橋
• スコットランドのテイ湾にかかる鉄道橋
• 1879年12月28日 風圧によって機関車、
客車5両、貨車1両、乗客75人とともに崩落
• 設計者が風圧や風荷重を全く考慮してい
なかった
• 請負業者が鉄の施工で素人、テイ橋鋳造
所の製品が粗末で施工管理が杜撰
モイセイエフ
• 1901年ブルックリン吊橋で吊材の破損事
故があった
• モイセイエフが活荷重を受ける際のたわみ
を公的に測定
• 従来の弾性理論での計算値に比べて、吊
橋の挙動ははるかに小さな値だった
• メランによる「吊橋のより厳密な理論」をモ
イセイエフは再発見する「たわみ理論」
モイセイエフとシュタイマン
• サウザンド・アイランドの処置で自信を持っ
たシュタイマンは、タコマの揺れを聞くと、
協力を申し込んでいる
• モイセイエフに直接電話したが、丁重に断
られた
• モイセイエフも揺れ止めにステーは取り付
けていた
技術の伝承
• 建設でも、例えばとび職がいて初めて橋は
かかる(仕事が続かなければとびでなくな
る)
• 機械も50年保存しておいて、突然完璧に
作動する、というものではない
タコマの教訓
• パグズリー:特定の専門家が内部だけ見るように
なり、周囲の他の分野で成長していた関連する
知識を排除していた
• タコマの設計者が空気力学をもっと知っていたら、
この崩壊は避けられただろう
• 「指導的な構造技術者」の人脈の外にいる人が、
橋の設計に空気力学が関係していると助言した
ら、土木工学という専門分野に対する攻撃とみな
された
ビリントン
• 吊橋の歴史的研究の中で、アンマンによる1920
年代になされた設計の決定がタコマの破壊に直
結したと論じた(補剛桁なし)
• 歴史に対する理解があれば、アンマンの設計の
熱狂的受容は抑制されていたかもしれない
• これは、アンマンへの攻撃と受け取られ、橋梁設
計者に貼られた「不当な汚名」をそそごうとした
• アンマンは個人を言及せず、風によるトラブルも
触れなかった