学習指導要領の変遷過程に見る 防災教育展開の課題

学習指導要領の変遷過程に見る
防災教育展開の課題
Institutional Problems in Disaster Education
In Compulsory Schooling Analyzed
from the
Historical Transition of the Course of Study
(Japanese national curriculum)
坂下 英行
河田 恵昭
紹介者 小山研究室4年 髙木さやか
研究目的
災害による被害を軽減するためには,社会の防災・減災力を
向上させることが重要である。そのために必要な災害全般に
対する基本は,義務教育で学ぶことがふさわしい。
しかし,我が国の義務教育課程では,災害全般を包括的に
扱った授業は継続的,全国的な取り組みにまでは至っていな
い。大きな災害が繰り返し起こらない限り,その必要性が忘
れ去られ,いずれ衰退してしまう可能性が高い。
そこで本研究は
防災教育の制度的な導入がなぜ我が国の義務教育において行わ
れていないのか,その原因について実証的に明らかにする。
日本の学校教育を構成する要素を定義し,学習指導要領成立と
変遷の過程を紐解くことで,この原因の究明をする。
学校教育を構成する要素
我が国の学校教育は学校のあり方を位置づけてい
る学校教育法の下に,全国で同様の教育が実施さ
れている。
教科に関する事項については,小学校,中学校と
もに目的と目標にしたがい,文部科学大臣が定め
る。具体的な内容は,学校教育法施行規則で定め
られている。
義務教育諸学校教科用図書検定基準によれば,小,
中学校で用いられる教科書の検定基準として,学
習指導要領に示す事項を不足なく取り上げ,不必
要なものは取り上げないことが示されている。
学校での教育は,
学習指導要領
に完全に基づいていること
が求められている。
図1 法律等に基づく小,中学校の教育構成要素の関連
学習指導要領
試案期
告示期
表1 学習指導要領の主な発行年度
伝習館高校事件
現在
• 教師の手引書
• 法的な性質を有
するものとして
理解される
• 法的拘束力が強
まる
学習指導要領と防災教育
学習指導要領の改訂
の歴史の中で,防災
分野がどのように取
り扱われてきたのか
を探るため,学習指
導要領の形態素解析
を行い,防災に関す
る用語の登場回数を
調査した。
同じ意味で用いられ
ている別の表現が,
見落とされないよう
に,文脈を判断して
語数を計数している。
表2 学習指導要領の防災に関する形態素数計数結果
学習指導要領と防災教育
0.018
0.016
0.014
0.012
0.010
0.008
0.006
0.004
0.002
0.000
◇災害
□防災
▲天災
■地震
*津波
●台風
+火山
S22 S26 S33 S43 S52
H1 H10
図2 災害に関する用語の登場割合の変化
いずれかの年度にも7
回以上登場している用
語の登場回数を学習指
導要領全体の形態素数
で除した。
「地震」と「火山」以
外の用語の登場割合は
終戦直後が最も多い。
戦後も防災教育を行っ
ていたことが「災害」
「地震」「天災」の登
場割合が高いことから
わかる。
最新の学習指導要領も,用語の登場割合が高い。阪神・淡路大震災の発生を受けて防災
教育の重要性が見直されたためであると考えられる。
しかし,昭和22年から26年の変化に注目すると,今後再び激減する可能性があると考え
られる。
学習指導要領成立の過程
1945年
ポツダム宣言受諾
米国政府の占領下
それまでの学校教育は停止
1946年3月
戦後の新たな教育のはじまり
最初の学習指導要領の誕生, 経験主義
地理,歴史,修身に代わり社会科誕生,家庭科新設
1947年
教育基本法,学校教育法,学校教育法施行規則の制定
教科に関する事項は学習指導要領が基準に
学習指導要領の位置づけが明確に
→試案
昭和22(1947)年度の
学習指導要領に見る防災教育
(Ⅰ)世界の農牧生産はどのように行われているか。
(Ⅱ)天然資源を最も有効に利用するにはどうすれ
ばよいか。
(Ⅲ)近代工業はどのように発展し,社会の状態や
活動にどんな影響を与えて来たか。
(Ⅳ)交通機関の発達はわれわれをどのように結び
つけて来たか。
(Ⅴ)自然の災害をできるだけ軽減するにはどうす
ればよいか。
(Ⅵ)社会や政府は生命財産の保護についてどうい
うことをしているか。
表3 昭和22(1947)年度学習指導要領
に定める中学校第2学年の社会科単元
防災教育に十分な時間が用意され
ていたものと推察される。
社会科編(Ⅱ)に防災
に関する内容が多く登
場している。
「自然の災害をできる
だけ軽減するにはどう
すればよいか」という
防災に関する内容が,
1単元となっている。
社会科には,1週4単
位時間が割り当てられ
ており,これは,国語
の5単位時間に次ぐ多
さであった。
昭和26(1951)年度の
学習指導要領に見る防災教育
3.わが国土の自然は,われわれに,どんな災害を与
えやすいか,これに対してわれわれは,どんなことに
心がけたらよいか。
(1)地震は,われわれにどんな災害を与えてきたか。
(2)風害や水害を防ぐには,どうすればよいか。
(3)その他の自然的災害を軽減するために,どんな
努力がなされているか。
表4 昭和26年(1951)度学習指導要領
に定める社会科における防災に関する内容
中学校2年における社会科
の1単元であった防災教育
は,姿を消した。
防災に関する内容は,中学
校1年における「わが国土
はわれわれに,どんな生活
の舞台を与えているか」と
いう単元に含まれるように
なった。
中学校の理科「気象」「地
球の形」に関する単元に災
害についての内容が含まれ
るようになった。
終戦直後の紙不足で十分な教科書が用意できなかった。
人間関係を学習対象とする社会科では,他教科と内容が重複しがち。内容を精選
する過程で,防災教育が「無駄な重複」と考えられた。
経験主義批判による昭和30(1955)年度
の社会科学習指導要領の改訂と防災教育
経験主義
学力低下への不満
系統主義
• 昭和22年度及び
昭和26年度
の学習指導要領
• 地域社会の問題解
決能力を有する市
民形成が目的
• 児童・生徒の「経
験」を教育上最も
重視
• 新教育に対する批
判
• 学習指導要領改訂
の訴え
• 道徳教育や地理・
歴史教育を中心と
して社会科に対す
る批判
• 社会科廃止論
• 実際には戦中や終
戦直後にマヒに
陥っていた教育シ
ステムの問題
• 社会科が,他の教
科に先行して学習
指導要領改訂
• 学問としての系統
性を重視する
• 学年別の単元を示
さず,地理的分野,
歴史的分野,政
治・経済・社会的
分野に分けて示し,
各学校において指
導計画を立てる
一段と防災に
関する内容が削減
昭和33(1958)年度の学習
指導要領に見る防災教育
「教師自身が自分で研究
して行く手びき」から,
「告示」される教育課程
としての基準になった
以前のように教科別に発
行されるのではなく,小
学校,中学校の別でそれ
ぞれ1冊ずつ発行された
学力低下問題,道徳性の
低下問題,科学技術教育
振興の必要性などが背景
にある
表5 昭和33(1958)年度学習指導要領
改正の基本方針
道徳の時間の新設や国語
算数・理科の精選及び授
業時間の増加
昭和33(1958)年度の学習
指導要領に見る防災教育
表6 昭和33(1958)年度小学校学習指導
要領「社会科」の防災に関する内容
防災に関しては,小学校では社会科に,
中学校では社会科と理科で取り扱われ
ている
自分自身がどのように行動するのかと
いう内容は消え,社会が災害に対して
どのように備えているのかという内容
のみになった
中学校の社会科では,自然環境の特色
を生産活動との関係で捉えさせること
が中心であり,その関係として災害に
も触れられている程度である
理科では,地震のみ防災に関する内容
が取り扱われている
防災に関する取り扱いは,さらに減少
その後の学習指導要領に見る
防災教育
昭和43
(1968)年
(中学校は昭和44
(1969)年)
昭和52
(1977)年
高度経済成長を支えるため,教育の効率性と教育内容
の精選をもとめる「教育の現代化」と,国家的統合性
を求める「統一と調和」の人間形成がテーマ。
★中学校の保健体育科で安全教育の一環とし
て防災に関する内容が取り扱われた。
能力主義の教育課程下で生じた問題に対処するため,
教科の授業時間を削減。知・徳・体の調和のとれた
人間性の育成を目指すため,基礎・基本中心の教育
内容になった。学習指導要領は,基準の大綱を決め
るものとなり,具体的な展開は学校現場に委ねる。
「ゆとり」が生まれる。
★中学校の保健体育科での防災教育が一挙に
削除される。
その後の学習指導要領に見る
防災教育
平成元
(1989)年
激しく変化する社会の中で,増加する必要最低限の知・技
能を義務教育において提供しようとすることが,問題点で
あるという認識から,改訂。このような社会で心豊かに主
体的・創造的に生きていくことができる能力を育てること
が目標。
★中学校の社会科から防災教育の内容が姿を消す。
1995年
平成10
(1998)
年
阪神・淡路対震災
完全学校週5日制導入。各学校が「ゆとり」の中で「特色
ある教育」を展開し,子どもたちに基礎的・基本的な内容
を確実に身に付けさせること,自ら学び自ら考える「生き
る力」をはぐくむことを目的として改訂。各学校で自由な
教育活動に用いることができる「総合的な学習の時間」を
新設。
★阪神・淡路大震災を受けて防災教育の充実が指
摘される。しかし総括的な防災教育の実施は困難。
まとめ
学校における防災教育の制度的な導入が行われていないのが
日本の現状である。
学習指導要領の成立からの変遷の過程をみると,現行の教育
課程の系統主義を基礎とした単元構成は,非常に広範囲の学
問分野を内包している防災教育に不向きである。
現行の学習指導要領の改訂では,「総合的な学習の時間」が
新設された。防災は従来の教科を横断している総合的な分野
であり、総合的な学習の時間は防災教育を行うためには最も
適した時間である。
近い将来に予想されている災害による被害を,最小限に止め
るために,国民の高い防災意識が必要不可欠である。そうし
た意識を継続的に保持することが減災・防災社会の実現に繋
がる。学校における防災教育が,戦後と同じ道を再び辿らな
いようにし,制度的な導入の実現に向けて,防災教育の意義
を問い続けていかなければならない。