鳴門教育大学研究紀要 (芸術編) 9巻 2004 第 1 シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 村津由利子 (キーワード:シューマン ピアノ五重奏曲,室内楽) ' 育景」や「幻想曲ハ長調 O p . 1 7 J はピアノ由「子どもの1 はじめに が , 1 8 4 0年には歌曲集「詩人の恋JIリーダークライス j ドイツ・ロマン主義の作曲家として代表的なロベルト・ 等の作曲がなされ, 1 8 4 1年は管弦楽の年といわれるよう R o b e r tSchumann1 8 1 0' " "1 8 5 6 ) はピアノ曲, シューマン ( ピアノ協奏曲イ短調」が作曲 に「交響曲第 1番,春J, I 歌曲,交響曲やその他の管弦楽曲,なかでもピアノ協奏 8 4 2年は室内楽の年 1843年は合唱曲の されている。 1 曲,オラトリオ,そしてオペラと幅広いジャンルの曲を 年と言われ,次々と意欲的に創作を行った。 作曲している。そのなかで,室内楽曲においては,すで シューマンの作品は,未完成の作品や出版されなかっ に著名なピアニストであった妻クララとの結婚後に,彼 た曲を含めると,劇場作品 3曲 (1),合唱と管弦楽のた 8 4 2年に室内楽曲が の創作活動は活発となった。特に 1 8曲 ( 4 ),管弦楽曲 2 5曲 (9 ),室内楽曲 27 めの作品 1 多く作曲され,弦楽四重奏曲,ピアノ四重奏曲,ピアノ 曲 ( 1 2 ),混声のためのパートソング 9曲 (2),女声の 五重奏曲などが知られており ためのパートソング 2曲 男声のためのパートソング 7 なかでもピアノ五重奏曲 は現在でも,一番よく演奏されている曲である。 2002年にシューマンのピアノ五重奏曲をスロヴァキ 曲 ( 2 ),歌曲 67曲 ( 2 0 ),鍵盤作品 80曲 ( 3 3 ) が知ら れている。 注:( )内は作品番号のついていない曲で,未完成の曲や アの首都ブラチスラヴァで「モイゼス弦楽四重奏団」と 出版されていない曲を含む 共演し,さらに,徳島県郷土文化会館でベルリンフィル 4 (KlavierQuintettEsピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 ハーモニー管弦楽団主席奏者で構成される「フィルハー モニア・カルテットベルリン」との共演を行い,シュー D u rO p u s4 4 ) は室内楽の年, 1 9 4 2年に作曲された。 マンの室内楽及び シューマンはこの年の 7月に 3曲の弦楽四重奏曲を書き ピアノ五重奏曲の研究を行った。 0月 上げ,その後すぐ,このピアノ五重奏曲に着手し, 1 1日には完成しており,短期間に作曲されている。この 作曲の経過とその時代背景 他にピアノ四重奏曲などの室内楽曲もこの年に作曲され シューマンは.それまでの著名な?写楽家のように青 9日に ている。との五重奏曲は.作曲された年の 11月 2 楽一家に生まれ育ったのではなく,出版業者の末の息子 シューマンの家で私的に初演された。知遇のあったメン として生まれ,音楽家になるための英才教育を受けては デルスゾーンがピアノを受け持ち,その際の彼の忠告を ただし,本に固まれ読書に関しては恵まれた環 9 8 3年 1月 8日にライプツィヒのゲパ 入れて補筆され, 1 いなし~ 0 境にあった。彼が音楽に目覚め,音楽家を志したのは, ントハウスで公開初演された。この時のピアニストはク その青年期に入る頃のことであった。最初に,ライプツィ ララ・シューマンであった。 ヒ大学で法律を学んでいたが この間の事情について詳しい文献・資料を以下に示す。 ハイデルベルク大学に移 り,そこで音楽に心を惹かれ,法律を離れて音楽家を日 0才の頃で,モーツアルトやベー 指した。シューマンが 2 ドイツ文献に見るピアノ五重奏曲 トーヴ、エンがすでに音楽家として自立した年頃であり, 当時としては遅い時期であった。しかし,彼と同時代の シューマンの研究のために資料を探し, ドイツ等で, ウェーパーやワーグナーといった,後に有名になる作曲 M c C o r k e l eの “R o b e r tS c h u m a n n "および A . E d l e rの“R.S c h u m a n n " 家達も,音楽一家とはいえない環境から,音楽家として の中よりピアノ五重奏曲に関する資料を得たので,関係 名を為す時代に入りつつあったのも事実である。 ある個所を訳し,ここに示す。 8 3 9 作曲家としてのシューマンは,ケララと結婚する 1 q.までは f~fk H Hを i . :として l f e1 1 1 1しているが‘ 以下は McCorkeleの“ R o b e r tSchumann"の第 1 9 1頁か ケ : 布 I~) ~ ' L i U)ì'!il~) J 'J えび A . E d l e rJ) “ R.Sじ humann"ω ~X~ I f ( ) 二 ω 品ii/;t~ の lìíj jをから Wllllj ,~.~Fhが特に{,行先になっている J 内:~~ ~り q~ に L'[の ì'm)J' を fí: 汗が dJ~ したものである ! : " ) 村津由利子 年 1月 17日 ) 。 この曲はクララ・シューマンに捧げられた。 1843年 2月 9日 に ゲ バ ン ト ハ ウ ス の ホ ー ル で 作曲は 1842年にドイツ・ライフツィヒ L e i p z i gで行わ れた。 スケッチは 9月 23日から 28日までにおこなわ S a n g e r i nS o p h i eS c h l o s sのお別れ演奏会として上記の れた。総譜は 10月 5日から 12日までに終わり,終楽章 . 203)。 プログラムと同様に行われた(プログラム集 Nr の第 2稿は 10月 16日に終えている。 プライベートな演奏会は 1842年 1 1月 29日にライプ ツィヒのシューマンの家で行われた。 1842年 12月6 日にはメンデルスゾーンが C a r lV o i g tの家で五重奏曲 -出版について 五重奏の出版までの経過について。第 2楽章と第 3 を演奏し, 12月 10日にはシューマンの家で再び演奏 楽章は原資料のノートテキストに見られるように変更 した。初演のためのプローベは 1843年 1月 7日に行 がある。 われた。第 2回公演のためのプ口一ベは 2月 9日に行 この曲の成立史は 自筆譜に見られるスケッチと削 われた。 除または改善から確かめるかぎりは,印刷の最終稿で 重要な修正がなされた。最初の楽章は,環状楽章の残 -出版と批評 りとして後で作曲された。原案では第 1楽章の後に 2 初版は 1843年 9月に出版される。出版業者はライ つのゆっくりした楽章が続き,そこから,第 3の楽章 e ! " で広告が 1843年 9 プツィヒの“B r e i t k o p f&H加 d として付随していた g M o l lの S c e n a (場面)が削除さ 月 25日に行われている。批評は 1844年 2月 28日に れた。残ったゆっくりした第 2楽章は葬送行進曲風で, なされた。 2つのトリオ風である C-Durとf M o l lの対の個所が A 司 B-A-C-NC-B/C-Aの形である。本来,もうひとつの第 -出版交渉 3の対照的部分が第 4の個所(行進曲風の最初の繰り 返しの後に)にあって, TRIO-Asとして表示された。 曲の出版までに行った交渉について見ると, 1842年 12月 7日にシューマンはレイモンド・ヘルテルに手紙 この修正はおそらくメンデルスゾーンの勧めにした を書き送っている。「私の五重奏曲は好意的な反響を従 がったものである。メンデルスゾーン自身が,最も早 えてゆくことでしょう。そこで私たちは,おそらく夏 い時期に気分の優れないクララに代わり,いわゆる初 期までには,出版の時期について了解しました。 J1843 見でピアノパートを演奏した後で 「活発な As-Durの 年 1月 19日「もう一度あなたに五重奏曲について好意 部分を,この個所へ接合させないと,楽章が効果的で 的な返事をお願いします。 J1843年 3月 7日「私の五 はない」と考えを述べたとされる。 ( A . E d l e r ; 重奏曲は印刷の用意が出来ています。何時出版するか, R .Schumann,p170) それは全くあなたの心次第です。それが私の妻の誕生 9月の始め)までだとうれしいのです。謝礼とし 日 ( てはあなたにとって全部で 2 0 L o u i sd 'o r sはそんなに -曲の贈呈 クララ・シューマン ( C l a r aJ o s e p h i n eSchumann 旧 多い額ではないように見えます。J1843年 4月 18日か 姓 Wieck1 8 1 9・1 8 9 6 )に贈られた。最初は,時の皇太子 ら 9月 7日まで,謝礼についての手紙がさらに出され 妃殿下 ( M a r i aP a u l o w n avonS a c h s e n -W e i m a r )に贈られ た。表紙の彫刻に関した指示と,贈呈に献呈サンプル る予定であった。資料で見られるようにシューマンと の送付等の手紙も。 ( M c C o r k e l e, M.L;R o b e r tSchumann クララが 1843年 9月 8日にベルリンにいたことが記 S c h o t t2 0 0 3pp1 9 1 1 9 2 ) されている。シューマンの手紙には「ついに私は今日 vonB i e l k e氏と皇太子妃殿下宛に書きました。事を終え 以上の様にドイツの文献を翻訳したことで,ピアノ五 てほっとしています。五重奏曲を君に献呈できたら最 重奏曲の成立に関わる事情や メンデルスゾーンの深く 良ですが,豪華なパラの贈り物も拒まれないことと思 関わっていることなどが理解できた。 また,室内楽の編成は,モーツアルトやベートーヴ、エ います。 J と書かれていた。 ンが作曲してきたように てはピアノ三重奏曲 -ピアノ五重奏曲の演奏会 ピアノを加えた室内楽におい ピアノ四重奏曲は知られているが, 最初の公式演奏会は 1843年 1月 8日ライプツィ 弦楽四重奏にピアノを加えたピアノ五重奏曲はなく,弦 ヒ・ゲバントハウスのホールで行われた。ロベルトと 楽四重奏曲のみが主流であった。ピアノを弦楽四重奏の クララ・シューマンの音楽の朝のもてなしとしてクラ 中に置くことは,シューマンが試みたものであり,その n g e l, ラ , F e r d i n a d D a v i d,M.G.Kle 後,ピアノ五重奏曲は多くの作曲家によって生み出され H.O.Hunger , C .W i t t m a n nのメンバーで原稿譜を用いて演奏された ている。 (プログラム集 N r . 2 0 2,ライプツィヒ新聞 N r . 1 7,1843 -14- シューマン作曲 f ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 曲の構成とテクニックについて 2分の 2拍子 ソナタ形式 冒頭部分では,第 1主題が全部の楽器により輝かしく 第 1楽章 提示される。 アレグロ・ブリランテ A l l e g r ob r i l l a n t e 変ホ長調 譜例 1 A l l e g r ob r i l l a n t e 4 :>‘ Vio 1 ine1 :> :> f V i o l i n eI I ヨ 草 ' ! T ノ~ V i o l a :> J二 l 1o V i o l o n c e :> . ・ :> 2 M6grobrmpte(dztω ー コ ー コ 次にこの第 1主題より引き出されたメロディーがピア と引き継がれる。 ノにより,美しく歌われ(譜例 2),第 1ヴァイオリンへ 譜 停J I 2 回 A ・ 1J - ー下 " 恒三竺立 ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 一 件.,.,門~j.~ t+, - IS持 . . . ~j . 軒 ・ j I~.' 日~ . , - 寸 ! こ 工1 1 1 I' 1 I ' 1 v r ~ IL1 I~'J ~ 二二コ「 7 この時にピアノから第 1ヴァイオリンへのメロディの を奏し(譜例 3),チェロに引き継ぐ,そのあと弦はそれ この 2つの主題を中 ぞれ交互に上・下行の動きのメロディを歌い,弦のメ口 心として掛け合いながら,何度もピアノと弦楽器で歌わ ディに対してピアノは四分音符をきざみ,シューマンら 受け渡しが微妙で大切なところで ~l . H lJ 1 r l ;こ (i i ;が制│み f 7わさオ 1てゆく{ i づ担がピアノによりたしいえ ~:r、~ f )1!ト fm より~~}:2 Ll¥('1二来が!~~じられるうくに日ノ J~ i ¥ l ;が終わり 1 1デ f ω あとlJ ~rH-J i ' f I ; へ と 進 む の , i え似 l i t J i ; 村漂由利子 譜例 第 2主題の変形したゆったりした動きがあり(譜例 4), 3 その中に第 l主題が垣間見える。第 1楽章の,この展開 第 128小節より第 1主題が再び顔を出した後,ピアノを 部はエネルギッシュでダイナミックであり,そのまま再 中心にした展開部はテクニック的にも難しくなり,左右 現部に戻り,続いてコーダとなり力強く終わる の手のユニゾンは音の幅が広く,手は鍵盤の上を飛び, 譜 伊J I 4 : : : : . r : . 、 ζ 帯 場 楽章と関連あるメロディを分散和音で奏で,第 1ヴァイ 第 2楽章 イン・モード・ドウナ・マルチア ウン・ポコ・ラルガメンテ ハ短調 vr;;---'yÞ*~...) I nmodod ' u n aM a r c i a )。 オリンが行進曲の主題をはっきりと提示する(譜例 5 構造は A ( ハ短調) -B (ハ長調) -A-C (ヘ短調・ Unp o c ol a r g a m e n t e 2分の 2拍子 アジタート) -A/C (ヘ短調) -B / C (ヘ長調) A という自由なロンド形式で作曲されている。 1 : [ 子進曲の様に」と記されているように,重苦しく,ま るで墓地に向かう葬送行進曲風に始まる。ピアノが第 1 譜例 J 且 5 I n modo d ' u n a Marcia o c ol a r g a m e n t e U且 p I~ m o l l oP; ( 1 n ,l J ,mll marcflto " 又 一 一 弄 ' ‘ I I J 司 ナ 甘 す 官F P 、 - ‘ . . P ! ! lmodo.d'una ~Iarcia ( d=66) AI Unp o c ol al ' gament そ ~叫に 1 J~LJ J~~Ju.ì h l _ }J I" i ~ r~ r~ 1J~ a ! --------イ 品 ?酔品 I 主題 A ( ハ短調)のあと第 1ヴァイオリンとチェロが 第 29小節から第 61小節まではピアノと弦楽器とのバラ B (ハ長調)のゆったりとしたメロディをうたう。この ンスがとても大切である(譜例 6)。このあと,再びハ短 とき第 2ヴァイオリンとヴ、ィオラは 8分音符で同じ動き 調の主題に戻り,次第にテンポを遅く,ゆったりと,ピ をきざみ,ピアノは 4分音符の 3連符を奏し,弦とピア アニッシモで終わる。 ノはピアニッシモのレガートで微妙に違った動きを伴う。 -16- シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 譜例 1 3 0 1 ー a r c o -4 一 ".~'jI I',.....\'/ro , I l Ia S I ' I 1 t } J " t 'p l a l lo ~ ,..~'jJ"",sslrf}, Pぽ~,.rSSl f'(). 刷H 必 t'Mp l"r P'(UIU 四国園田園圃司 =圃ーー τ .ー 、 、 ー ¥ ・ ・F F 圃『 戸田守ー~竺竺ー「 一 ~.-、 .-¥ , ー 、 ¥ l L . : " ー ¥ . = = ー 一 ar e u t 司 、 ー ・ ‘ ・ 司 」 一 ー . . ; . J " ' 1 1 0 ~.- , --ーー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 圃 ・ 町 l I Ia .umpr f '} ' 1 竺 ← . . . . . . . . . tsprrss同 - 一 一 一 一 - 二=-- ーーでミー‘ . . . . . . . 司~--------- -~・-噂・・・・・固F・・・司聞圃・・司 6 ー 司 ー ー ー で・ ーー 「 b mas~lRpr~ plllnu .~ ハB: j ; l ~;~::: : 1 ' 1 :~:! : 1 でト / ー ーーー ¥ ・ a 1 ! ィ マ ; イ ア ジ タ ー ト 前 の 第 84小 節 第9 1小節は下降形となり (譜例 7 ),第 1楽 章 の 展 開 部 に 入 る 第 116小 節 小節の部分と同じ動きであることが注目される(譜例 4)。 第1 27 譜例 第 92小 節 よ り 一 転 し て c (ヘ短調・アジタート)の 7 独 特 の 手 法 が 生 か さ れ て い る ( 譜 例 8)。 次 に 第 109小 部分が始まり,情熱的で不安な気分になる。ピアノが鋭 節からヴィオラが行進曲の主題を受け継ぎ、,ピアノは 8 くスタッカートで 8分音符の 3連 符 を き ざ み , 弦 は 切 分 分音符の 3連 符 を , 一 転 し て レ ガ ー ト で , な め ら か に 奏 育を用いたリズムで対応し,ピアノのテケニッケもさる するー (A/C ) (譜伊JI9 )。 ことながら,弦とピアノの掛け合いの妙にシューマンの 譜 停J I 8 図 A g i t a t o . ) / ' . r I ' 〆 f ‘ グ 村揮由利子 回5 譜 伊J 9 ー ・ = = = = = = - - ¥ p 、 、 _V ぇω 7 0 2 7 第1 32小節からは第 1ヴァイオリンとチェロが B/C 行進曲の主題を奏し ピアノが次にこの主題を受け継い (ヘ長調)の部分のメロディを表情豊かに奏し,ピアノ で,ハ長調の静かな和音で終わる。行進曲の主要主題と, は ア ジ タ ー ト の 名 残 を 残 す 3連 符 の 速 い 動 き で き ざ み それをめぐる二つのエピソードを持った自由な楽章であ (譜例 1 0 ),ピアノ (p) からフォルテ(f)へと盛り上 るが,葬送行進曲の性格を際だ、った特色としている楽章 でもある。 へ短調)に戻り,第 1ヴァイオリンが がる。最後に A ( 譜例 回 r i t a r d . ー 10 att' mp~ -田ー ~了~ 、 " p ' P ' "刷 t---- 詮 、 , p't r t . . . . . . . .NJ ‘ 、J ー - " 0 JJ JJ I0 . =田ーー 幸 喜i =ーー~ : : : = ー ー P f町' Pr ' S . f :l ( lO 、 一一一- atempo 一ー=========ー- cml 恰i d . 圏一一 = ミ ミb 司圃帽==・- =ー,園田町 !J)ltJJJt 重要 ê 妻~ ¥ニ-.......ー-" 〆 ' ー ー 、 、 、 ==・ー JDr !rrI rrrr Frr = = = 園 田 ー = = ー Cのアジタートの部分は最初はトリオと題されていた。 18- ー ' ー ー ー ー 、 、 i シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 第 3楽 章 ス ケ ル ツ ォ (SCHERZO) Mo1 tv i v a c e モルト・ヴィヴアーチエ 変ホ長調 リンへと受け継ぎ(譜例 11 ) 最上部のオクターブから ピアノの急速な下行が全体を包み込み,対位法的に動く。 8分の 6拍子 この充実した内容は,大変聴き応えのある音楽となり, 優美なトリオと急速な無窮動風の動きのトリオという, ダイナミックなピアノのパートにはオクターブの急速な 2つのトリオを持った大規模なスケルツォである。 パッセージが多く ピアニストにも高度なテクニックが 必要とされる。 ピアノがオクターブの上行を急速のスタッカートで奏 し,ヴィオラ,第 2ヴァイオリン,そして第 1ヴァイオ 譜例 1 1 SCHERZO M o l t ov i v a c e f " . f r n f f m", . c a f o f 刷 r c u l . f r I J . I f ",. (~R f Moltov i v a c e< J . :138) t e n . 1m. ~ I t ' T I . JI JJ JRUTfJ j ー ノ ' ! : ' ! ・ -I . f : . " ~ ~謂 JJJIJJJ .r-' ー I , 'H l JlqJFF7'tk~ r f ~r!1 > ノ ノ ノ ノ 特に相対する二つのトリオは内容的にもシューマンの は第一楽章の冒頭の主題と逆の動きによるメロディで, ピアノの特徴が良く表れている。第 1トリオのピアノの ピアノと弦のフレーズの合わせ方も難しく,また,音も 動きは, 8分音符の 3連符でアウフタクトで始まり,次 ピアノ ( p ) とピアニッシモ ( p p ) の中での落ち着かな に第 45小節から第 1ヴァイオリンが半拍後からメロ い動きが絶えず出てくる。 ディを変ト長調でうたう(譜例 1 2 )。このテーマの動き コ ハー 村淳由利子 譜例 12 P P P l . 局 何 門 司1 0 P 第 2トリオは変イ短調で 第 1ヴァイオリンとチェロ アノに受け継がれ,弦とピアノが複雑に絡み合い,力強 6分音符で急速に動き,ピアノが和音で明確な が絶えず 1 く全楽器が奏する。 3 ),やがて弦の急速な動きはピ リズムをきざみ(譜例 1 譜例 13 TrioU r ;istessotem J . !o 〉 唱 'f " ' . / : Li s t e s s otempo 第 2 トリオが終わると,最初のスケルツォの冒頭の音 階が表れ,ついでコーダとなり,ダイナミックに終わる。 第 4楽章 シューマンの作品の中で アレグロ・マ・ノン・トロッボ 変ホ長調 2分の 2拍子 自由なソナタ形式をとり 対位法の技巧を最も見事に駆 使して表現した楽章である。 A l l e g r omanont r o p p o 冒頭の第 1主題はピアノにより力強く奏され(譜例 対位法を巧妙に用いて二重 1 4 ),第 1ヴァイオリンに受け継がれ,経過部をたどり フガートを形成している壮大で力強いフィナーレである。 ト長調に転調する。 譜例 A l l c g r o, manont r o p p o( J=ω) 三』三』 η 三 , . . : : : : . ・ ::>三司・::> 14 ー ーョー:> -20- シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 第5 1小節よりヴィオラで,第 2主題が美しいメロディ 5 )。弦楽器で繰り返し奏さ で柔らかく奏される(譜例 1 譜例 れた後,ピアノのオクターブの分散した動きで上昇し, フォルテ(f)で提示部を終わる。 15 a r c o . ~、 , . ~, ,I~ーヘ a r c o 一 、 ' p 炉 一二--~ 掌ヨ 展開部は,ピアノがホ短調で第 1主題を力強く奏した p )でゆったりと歌う。ピアニッシモ ( p p ) あと,ピアノ ( で細かい動きを奏した後,ヴィオラが第 2主題を歌い, マンのピアノ曲に良く出てくる複雑なテクニックの動き を奏し,弦とも複雑に絡み合う。 次にピアノの切分音で新しいメロディを奏し(譜例 3 6小節からは再現部 ピアノと弦の掛け合いとなる。第 1 1 6 ),第 1主題がハ短調で表れ,徐々に力強いクライマッ 8 6小節からはチェロで第 2主題が が始まり,その後第 1 クスとなる。 歌われる。ピアノはオクターブの分散和音で動き,シュー 16 7 工凡マータのあと.第 第一楽章の第 1主題 319小節からピアノの右手が 左手と第 2ヴァイオリンが第 4楽 譜例 困 A 章の第 1主題を奏し‘荘厳なて重フガートが形成される (譜例 17L 17 atemDO ・ . J I~ 」且? l 耐 s r " ' l ' , . e/ 3 J 叫 ' i f sf ' I +オ i 羊 + 寸・ I 4 f ' , J l ' r r ~i I r r _l!門戸 ?f r i trj L~_-----,- りI r Se?1l p 寸 司 I 村揮由利子 第 378小節からはシューマンらしいロマンティック 終結部へと進む。 8 ), な詩'情を持ったメロディを,ピアノと弦が奏し(譜例 1 譜例 18 _ at f ' l l Ip O ------ーーーーーーー・・ ζご p 〆 ヨ = ー ー ー ー - 一 『 、 金 <<主 a 最後は第 1主題による素晴らしいクライマックスを築 言 考察し,入念に作曲されている。特に,ピアノに,かな き,この曲が締めくくられ,曲全体の統一感をシューマ りの重要性を持たせているが ンが見事に持ち味として発揮している。曲全体を通して, としては決してバランスを崩していない。これはその後 シューマンらしい詩情と情熱があふれ,聴くものに深い のピアノ五重奏曲の方向を示す模範となった 充実感を与える。またシューマンは作曲技法的にもよく 室内楽のピアノの使用法 注:ここに引用した譜例はベータース版を使用した。 まとめ シューマンの他の音楽家と違うところは大学法科で学 思える。私は貴女の奥さんに,もう一度演奏して欲し い。特に二つの楽章が頭に浮かぶ。私は第 4楽章を最 び,後に哲学博士号の学位を得ていることである。 彼は,ハイドン,モーツアルト,ベートーヴ、エンなど 初に聴きたい,おそらくそれが私にはより好ましい。 の作曲家の室内楽曲を研究し 1842年の 6"'7月にかけ 私はあなたがどこへ行こうとしているのか,そしてあ て 3曲の弦楽四重奏曲を作曲 9月下旬から 10月中旬に なたの確立を理解した。そこは私の望むところでもあ かけて,ピアノ五重奏曲を非常な短期間で作曲した。こ る。それは解放である。美しさだ! J 0 の曲はピアノと弦楽四重奏曲を組み合わせて成功した最 初の作品として広く親しまれている。 このピアノ五重奏曲の演奏上における様々な事柄を シューマンは一生彼自身の形式を追求して,ついに果 研究し,また, これまでシューマンの様々なピアノ作 h a r dWagner たせずという説があるが,ワーグナー(Ric 品を研究してきたことから 1 8 1 3' "1 8 8 3 )はシューマンに次のような手紙を送ってい シューマン自身が感じているよりも,彼自身の作風は る。以下は AmfriedE d l e rがその著書“R.Schumann" の 独自のものが完成されていると言っても過言ではない なかで示したものであり 170頁の手紙の部分を著者が であろう。 訳したものである。 この手紙にもあるように シューマンはバッハの音楽に傾倒していたが,その 影響は,この五重奏曲の第 4楽章に荘厳な二重フガー I h r eQ u i n t e t t,b e s t e rSchumann,h a tm i rs e h rg e f a l l e n ;i c h トとなって表されている。作風はロマン主義的で大変 sz w e i m a lz us p i e l e n .B e s o n d e r s b a tI h r el i e b eF r a u,e 持情的であるが, これはシューベルトの影響を受けて ch s c h w e b e nm i rn o c hl e b h a f td i ez w e ie r s t e nS a t z ev o r.I いると思われ,それはシューマンの歌曲に置いて如実 i e l l e i c h t h a t t eden4 .S a t ze i n m a lz u e r s th o r e nw o l l e n,v に表れている。ピアノ曲は彼の生涯にわたって作曲さ ・ ,I c hs e h e, wurdee rmirdannb e s s e rg e f a l l e nhaben れているが,彼は小品を組曲としてまとめ,それに表 woh i n a u sS i ew o l l e n,undv e r s i c h e r eI h n e n,d aw i l la u c h 題を与えるという i c hh i n a u s :e si s td i ee i n z i g eR e t t u n g :S c h o n h e i t ! 新しい表現方法を編み出した。 著者訳 彼の文学における才能を生かした また,第 2楽章のロンド形式のなかでの変化や,第 「シューマン君、君の五重奏曲は私にはとても好ましく 3楽章スケルツォの 2つのトリオの音楽的な違い -22- こ シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4 4 J についての一考察 参考文献 れは明らかにフロレスタン(F1o r e s t a n ) とオイゼビウ ス ( E u s e b i u s ),の二つの性格が表れている(この二つ 1)マルセル・ブリオン著 喜多尾道冬・須磨和彦訳 はシューマンが評論活動を行うにあたって用いた筆名 のなかの代表的なもの)。フロレスタンは彼自身に内在 シューマンとロマン主義の時代 する膜想的で消極的な性格を表し 1984 オイゼビウスは活 2) ピエロ・ラッタリーノ著 発で明るく積極的な性格を表すものとして用いられた。 の世界 3 音楽之友社 シューマンの作風については,まず,音のもつれが 国際文化出版社 森田陽子他訳大作曲家 1990 3) 西洋音楽史大系 5 ロマン派の音楽 挙げられるが, このピアノ五重奏曲でも第一楽章の展 開部,第 2楽章のアジタートの動き,第 3楽章のスケ 学習研究社 1999 ルツォのピアノと弦の動きにおいて,その特徴が良く 4) 吉田秀和 表れている。特にピアノ曲の場合と比較して,そのも 楽之友社 つれはピアノと弦の声部の動きでよく表されている。 吉田秀和作曲家論集 4 シューマン愛の手紙 喜多尾道冬他訳 国際文化出版社 1986 るが,このピアノ五重奏曲では,第 4楽章の第 224小 6) 中村孝義;室内楽の歴史 節からの動きは,特にシューマンらしさが感じられる。 7) ニューグローブ世界音楽大事典 7 講談社 また, 8) 千 蔵 八 郎 名 曲 事 典 この様なリズムではペダルの使用法に関しても, 社 シンコペーションによる音の濁りを出さないように熟 東京書籍株式会社 1998 1993 ピアノオルガン編音楽之友 1984 9) 最新名曲解説全集第 12巻 室 内 楽 曲 E 音楽之友 慮しなければならない。 以上述べたように 音 2002 5) ハンス=ヨーゼフ・オルタイル編 次にリズムでは,特にシンコペーションが挙げられ シューマン 社 このピアノ五重奏曲について研 1980 1 0 ) 新訂標準音楽辞典 究したことで,シューマンの音楽の特徴や彼の作風の 音楽之友社 1991 独自性がよく理解できた。また彼のピアノ五重奏曲の 引用文献 成功が,それ以後のピアノ五重奏曲の方向性に,強く 影響したことは見逃せないことであろう。 1 )M a r g i tL .M c C o r k e l e ;R o b e r tSchumann S c h o t t2 0 0 3 あとがき p p 1 9 1 1 9 2 2) A m f r i e dE d l e r ;Schumann L a a b e r 2002 p1 7 0 1989年ドイツ留学中,デュッセルドルフに滞在し, シ ュ ー マ ン 音 楽 大 学 や ア ル ト シ ュ タ ッ ト (I 日市街)の 楽 譜 シューマン研究所などを訪ねて,かつて,シューマンが 3) S c h u m a n n ;K l a v i e r Q u i n t e t tE s D u r Opus44 E d i t i o n 活躍した町として大変興味深く,また当時から音楽的に P e t e r s も文化的にも進歩的な町であった事が再度認識された。 現在むオペラハウスやトーンハレなどの大きな劇場や 音楽ホールがあり,町の中にも大小の演奏会場が点在し, さらに教会でも多くの演奏会が行われていた。それらの 施設やアルトシュタットとライン川は,意外に近くにあ り,散歩ができる距離で,シューマンに関することなど も,身近に感じられる町であった。シューマンが最初に 住んだ、ケーニヒスアレーとグラーフ通りの角の家は,今 でも騒音と人通りの激しい場所である。シューマンが デ、ユツセルドルフに赴任する直前まで, しばらくドレス デンで住んでいたが,彼らの滞在場所であったホテルは, 中心街からエルベ川をはさんだ対岸の静かな件まいで, デ、ユツセルドルフとは大きく異なっている。このホテル には,彼らの滞在した事を記念するプレートの係った部 屋があるのが印象深い。 ~:) AS t u d yo ft h eSchumann'sP i a n oQ u i n t e ti nEF l a tMajor , Op.44 Y u r i k oMURASAWA Almosta l lchamberm u s i co fSchumannwascomposedi n1 8 4 2,t h a ti sc a l l e dt h ey e a ro fchamberm u s i c . 1p e r f o r m e dt h ep i a n oq u i n t e tEf l a tm a j o rO p .44i n2002,o n c ei nJ u n ei nB r a t i s l a v a,t h eo t h e rNovemberi nT o k u s h i m a .Then 1s t u d i e dS c h u m a n n 'schamberm u s i cworka n dp i a n oq u i n t e tm u s i cb a s e donGermanl i t e r a t u r e,a b o u tt h ec o n s t r u c t i o n,t h e n f l u e n c e dc o m p o s e r ,a n dt h ep e r f o r m a n c et e c h n i q u e . c i r c u m s t a n c e so fc o m p o s i t i o n,i 24-
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