シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 44J - 鳴門教育大学

鳴門教育大学研究紀要
(芸術編)
9巻 2004
第 1
シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
村津由利子
(キーワード:シューマン
ピアノ五重奏曲,室内楽)
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育景」や「幻想曲ハ長調 O
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ドイツ・ロマン主義の作曲家として代表的なロベルト・
等の作曲がなされ, 1
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4
1年は管弦楽の年といわれるよう
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ピアノ協奏曲イ短調」が作曲
に「交響曲第 1番,春J, I
歌曲,交響曲やその他の管弦楽曲,なかでもピアノ協奏
8
4
2年は室内楽の年 1843年は合唱曲の
されている。 1
曲,オラトリオ,そしてオペラと幅広いジャンルの曲を
年と言われ,次々と意欲的に創作を行った。
作曲している。そのなかで,室内楽曲においては,すで
シューマンの作品は,未完成の作品や出版されなかっ
に著名なピアニストであった妻クララとの結婚後に,彼
た曲を含めると,劇場作品 3曲 (1),合唱と管弦楽のた
8
4
2年に室内楽曲が
の創作活動は活発となった。特に 1
8曲 (
4
),管弦楽曲 2
5曲 (9
),室内楽曲 27
めの作品 1
多く作曲され,弦楽四重奏曲,ピアノ四重奏曲,ピアノ
曲 (
1
2
),混声のためのパートソング 9曲 (2),女声の
五重奏曲などが知られており
ためのパートソング 2曲 男声のためのパートソング 7
なかでもピアノ五重奏曲
は現在でも,一番よく演奏されている曲である。
2002年にシューマンのピアノ五重奏曲をスロヴァキ
曲 (
2
),歌曲 67曲 (
2
0
),鍵盤作品 80曲 (
3
3
) が知ら
れている。
注:( )内は作品番号のついていない曲で,未完成の曲や
アの首都ブラチスラヴァで「モイゼス弦楽四重奏団」と
出版されていない曲を含む
共演し,さらに,徳島県郷土文化会館でベルリンフィル
4 (KlavierQuintettEsピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
ハーモニー管弦楽団主席奏者で構成される「フィルハー
モニア・カルテットベルリン」との共演を行い,シュー
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s4
4
) は室内楽の年, 1
9
4
2年に作曲された。
マンの室内楽及び
シューマンはこの年の 7月に 3曲の弦楽四重奏曲を書き
ピアノ五重奏曲の研究を行った。
0月
上げ,その後すぐ,このピアノ五重奏曲に着手し, 1
1日には完成しており,短期間に作曲されている。この
作曲の経過とその時代背景
他にピアノ四重奏曲などの室内楽曲もこの年に作曲され
シューマンは.それまでの著名な?写楽家のように青
9日に
ている。との五重奏曲は.作曲された年の 11月 2
楽一家に生まれ育ったのではなく,出版業者の末の息子
シューマンの家で私的に初演された。知遇のあったメン
として生まれ,音楽家になるための英才教育を受けては
デルスゾーンがピアノを受け持ち,その際の彼の忠告を
ただし,本に固まれ読書に関しては恵まれた環
9
8
3年 1月 8日にライプツィヒのゲパ
入れて補筆され, 1
いなし~ 0
境にあった。彼が音楽に目覚め,音楽家を志したのは,
ントハウスで公開初演された。この時のピアニストはク
その青年期に入る頃のことであった。最初に,ライプツィ
ララ・シューマンであった。
ヒ大学で法律を学んでいたが
この間の事情について詳しい文献・資料を以下に示す。
ハイデルベルク大学に移
り,そこで音楽に心を惹かれ,法律を離れて音楽家を日
0才の頃で,モーツアルトやベー
指した。シューマンが 2
ドイツ文献に見るピアノ五重奏曲
トーヴ、エンがすでに音楽家として自立した年頃であり,
当時としては遅い時期であった。しかし,彼と同時代の
シューマンの研究のために資料を探し,
ドイツ等で,
ウェーパーやワーグナーといった,後に有名になる作曲
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家達も,音楽一家とはいえない環境から,音楽家として
の中よりピアノ五重奏曲に関する資料を得たので,関係
名を為す時代に入りつつあったのも事実である。
ある個所を訳し,ここに示す。
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作曲家としてのシューマンは,ケララと結婚する 1
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村津由利子
年 1月 17日
)
。
この曲はクララ・シューマンに捧げられた。
1843年 2月 9日 に ゲ バ ン ト ハ ウ ス の ホ ー ル で
作曲は 1842年にドイツ・ライフツィヒ L
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gで行わ
れた。
スケッチは 9月 23日から 28日までにおこなわ
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れた。総譜は 10月 5日から 12日までに終わり,終楽章
.
203)。
プログラムと同様に行われた(プログラム集 Nr
の第 2稿は 10月 16日に終えている。
プライベートな演奏会は 1842年 1
1月 29日にライプ
ツィヒのシューマンの家で行われた。 1842年 12月6
日にはメンデルスゾーンが C
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tの家で五重奏曲
-出版について
五重奏の出版までの経過について。第 2楽章と第 3
を演奏し, 12月 10日にはシューマンの家で再び演奏
楽章は原資料のノートテキストに見られるように変更
した。初演のためのプローベは 1843年 1月 7日に行
がある。
われた。第 2回公演のためのプ口一ベは 2月 9日に行
この曲の成立史は
自筆譜に見られるスケッチと削
われた。
除または改善から確かめるかぎりは,印刷の最終稿で
重要な修正がなされた。最初の楽章は,環状楽章の残
-出版と批評
りとして後で作曲された。原案では第 1楽章の後に 2
初版は 1843年 9月に出版される。出版業者はライ
つのゆっくりした楽章が続き,そこから,第 3の楽章
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月 25日に行われている。批評は 1844年 2月 28日に
れた。残ったゆっくりした第 2楽章は葬送行進曲風で,
なされた。
2つのトリオ風である C-Durとf
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lの対の個所が A
司
B-A-C-NC-B/C-Aの形である。本来,もうひとつの第
-出版交渉
3の対照的部分が第 4の個所(行進曲風の最初の繰り
返しの後に)にあって, TRIO-Asとして表示された。
曲の出版までに行った交渉について見ると, 1842年
12月 7日にシューマンはレイモンド・ヘルテルに手紙
この修正はおそらくメンデルスゾーンの勧めにした
を書き送っている。「私の五重奏曲は好意的な反響を従
がったものである。メンデルスゾーン自身が,最も早
えてゆくことでしょう。そこで私たちは,おそらく夏
い時期に気分の優れないクララに代わり,いわゆる初
期までには,出版の時期について了解しました。 J1843
見でピアノパートを演奏した後で
「活発な As-Durの
年 1月 19日「もう一度あなたに五重奏曲について好意
部分を,この個所へ接合させないと,楽章が効果的で
的な返事をお願いします。 J1843年 3月 7日「私の五
はない」と考えを述べたとされる。 (
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重奏曲は印刷の用意が出来ています。何時出版するか,
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それは全くあなたの心次第です。それが私の妻の誕生
9月の始め)までだとうれしいのです。謝礼とし
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てはあなたにとって全部で 2
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-曲の贈呈
クララ・シューマン (
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多い額ではないように見えます。J1843年 4月 18日か
姓 Wieck1
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9
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)に贈られた。最初は,時の皇太子
ら 9月 7日まで,謝礼についての手紙がさらに出され
妃殿下 (
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)に贈られ
た。表紙の彫刻に関した指示と,贈呈に献呈サンプル
る予定であった。資料で見られるようにシューマンと
の送付等の手紙も。 (
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クララが 1843年 9月 8日にベルリンにいたことが記
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)
されている。シューマンの手紙には「ついに私は今日
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e氏と皇太子妃殿下宛に書きました。事を終え
以上の様にドイツの文献を翻訳したことで,ピアノ五
てほっとしています。五重奏曲を君に献呈できたら最
重奏曲の成立に関わる事情や
メンデルスゾーンの深く
良ですが,豪華なパラの贈り物も拒まれないことと思
関わっていることなどが理解できた。
また,室内楽の編成は,モーツアルトやベートーヴ、エ
います。 J と書かれていた。
ンが作曲してきたように
てはピアノ三重奏曲
-ピアノ五重奏曲の演奏会
ピアノを加えた室内楽におい
ピアノ四重奏曲は知られているが,
最初の公式演奏会は 1843年 1月 8日ライプツィ
弦楽四重奏にピアノを加えたピアノ五重奏曲はなく,弦
ヒ・ゲバントハウスのホールで行われた。ロベルトと
楽四重奏曲のみが主流であった。ピアノを弦楽四重奏の
クララ・シューマンの音楽の朝のもてなしとしてクラ
中に置くことは,シューマンが試みたものであり,その
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後,ピアノ五重奏曲は多くの作曲家によって生み出され
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ている。
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7,1843
-14-
シューマン作曲 f
ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
曲の構成とテクニックについて
2分の 2拍子
ソナタ形式
冒頭部分では,第 1主題が全部の楽器により輝かしく
第 1楽章
提示される。
アレグロ・ブリランテ
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次にこの第 1主題より引き出されたメロディーがピア
と引き継がれる。
ノにより,美しく歌われ(譜例 2),第 1ヴァイオリンへ
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この時にピアノから第 1ヴァイオリンへのメロディの
を奏し(譜例 3),チェロに引き継ぐ,そのあと弦はそれ
この 2つの主題を中
ぞれ交互に上・下行の動きのメロディを歌い,弦のメ口
心として掛け合いながら,何度もピアノと弦楽器で歌わ
ディに対してピアノは四分音符をきざみ,シューマンら
受け渡しが微妙で大切なところで
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村漂由利子
譜例
第 2主題の変形したゆったりした動きがあり(譜例 4),
3
その中に第 l主題が垣間見える。第 1楽章の,この展開
第 128小節より第 1主題が再び顔を出した後,ピアノを
部はエネルギッシュでダイナミックであり,そのまま再
中心にした展開部はテクニック的にも難しくなり,左右
現部に戻り,続いてコーダとなり力強く終わる
の手のユニゾンは音の幅が広く,手は鍵盤の上を飛び,
譜 伊J
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帯
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楽章と関連あるメロディを分散和音で奏で,第 1ヴァイ
第 2楽章
イン・モード・ドウナ・マルチア
ウン・ポコ・ラルガメンテ
ハ短調
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オリンが行進曲の主題をはっきりと提示する(譜例 5
構造は A (
ハ短調) -B (ハ長調) -A-C (ヘ短調・
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2分の 2拍子
アジタート) -A/C (ヘ短調) -B / C (ヘ長調)
A という自由なロンド形式で作曲されている。
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子進曲の様に」と記されているように,重苦しく,ま
るで墓地に向かう葬送行進曲風に始まる。ピアノが第 1
譜例
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主題 A (
ハ短調)のあと第 1ヴァイオリンとチェロが
第 29小節から第 61小節まではピアノと弦楽器とのバラ
B (ハ長調)のゆったりとしたメロディをうたう。この
ンスがとても大切である(譜例 6)。このあと,再びハ短
とき第 2ヴァイオリンとヴ、ィオラは 8分音符で同じ動き
調の主題に戻り,次第にテンポを遅く,ゆったりと,ピ
をきざみ,ピアノは 4分音符の 3連符を奏し,弦とピア
アニッシモで終わる。
ノはピアニッシモのレガートで微妙に違った動きを伴う。
-16-
シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
譜例
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ア ジ タ ー ト 前 の 第 84小 節
第9
1小節は下降形となり
(譜例 7
),第 1楽 章 の 展 開 部 に 入 る 第 116小 節
小節の部分と同じ動きであることが注目される(譜例 4)。
第1
27
譜例
第 92小 節 よ り 一 転 し て c (ヘ短調・アジタート)の
7
独 特 の 手 法 が 生 か さ れ て い る ( 譜 例 8)。 次 に 第 109小
部分が始まり,情熱的で不安な気分になる。ピアノが鋭
節からヴィオラが行進曲の主題を受け継ぎ、,ピアノは 8
くスタッカートで 8分音符の 3連 符 を き ざ み , 弦 は 切 分
分音符の 3連 符 を , 一 転 し て レ ガ ー ト で , な め ら か に 奏
育を用いたリズムで対応し,ピアノのテケニッケもさる
するー (A/C
) (譜伊JI9
)。
ことながら,弦とピアノの掛け合いの妙にシューマンの
譜 停J
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第1
32小節からは第 1ヴァイオリンとチェロが B/C
行進曲の主題を奏し
ピアノが次にこの主題を受け継い
(ヘ長調)の部分のメロディを表情豊かに奏し,ピアノ
で,ハ長調の静かな和音で終わる。行進曲の主要主題と,
は ア ジ タ ー ト の 名 残 を 残 す 3連 符 の 速 い 動 き で き ざ み
それをめぐる二つのエピソードを持った自由な楽章であ
(譜例 1
0
),ピアノ (p) からフォルテ(f)へと盛り上
るが,葬送行進曲の性格を際だ、った特色としている楽章
でもある。
へ短調)に戻り,第 1ヴァイオリンが
がる。最後に A (
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Cのアジタートの部分は最初はトリオと題されていた。
18-
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シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
第 3楽 章 ス ケ ル ツ ォ (SCHERZO)
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モルト・ヴィヴアーチエ
変ホ長調
リンへと受け継ぎ(譜例 11
) 最上部のオクターブから
ピアノの急速な下行が全体を包み込み,対位法的に動く。
8分の 6拍子
この充実した内容は,大変聴き応えのある音楽となり,
優美なトリオと急速な無窮動風の動きのトリオという,
ダイナミックなピアノのパートにはオクターブの急速な
2つのトリオを持った大規模なスケルツォである。
パッセージが多く
ピアニストにも高度なテクニックが
必要とされる。
ピアノがオクターブの上行を急速のスタッカートで奏
し,ヴィオラ,第 2ヴァイオリン,そして第 1ヴァイオ
譜例
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SCHERZO
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特に相対する二つのトリオは内容的にもシューマンの
は第一楽章の冒頭の主題と逆の動きによるメロディで,
ピアノの特徴が良く表れている。第 1トリオのピアノの
ピアノと弦のフレーズの合わせ方も難しく,また,音も
動きは, 8分音符の 3連符でアウフタクトで始まり,次
ピアノ (
p
) とピアニッシモ (
p
p
) の中での落ち着かな
に第 45小節から第 1ヴァイオリンが半拍後からメロ
い動きが絶えず出てくる。
ディを変ト長調でうたう(譜例 1
2
)。このテーマの動き
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村淳由利子
譜例
12
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第 2トリオは変イ短調で
第 1ヴァイオリンとチェロ
アノに受け継がれ,弦とピアノが複雑に絡み合い,力強
6分音符で急速に動き,ピアノが和音で明確な
が絶えず 1
く全楽器が奏する。
3
),やがて弦の急速な動きはピ
リズムをきざみ(譜例 1
譜例
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第 2 トリオが終わると,最初のスケルツォの冒頭の音
階が表れ,ついでコーダとなり,ダイナミックに終わる。
第 4楽章
シューマンの作品の中で
アレグロ・マ・ノン・トロッボ
変ホ長調
2分の 2拍子
自由なソナタ形式をとり
対位法の技巧を最も見事に駆
使して表現した楽章である。
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冒頭の第 1主題はピアノにより力強く奏され(譜例
対位法を巧妙に用いて二重
1
4
),第 1ヴァイオリンに受け継がれ,経過部をたどり
フガートを形成している壮大で力強いフィナーレである。
ト長調に転調する。
譜例
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-20-
シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
第5
1小節よりヴィオラで,第 2主題が美しいメロディ
5
)。弦楽器で繰り返し奏さ
で柔らかく奏される(譜例 1
譜例
れた後,ピアノのオクターブの分散した動きで上昇し,
フォルテ(f)で提示部を終わる。
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掌ヨ
展開部は,ピアノがホ短調で第 1主題を力強く奏した
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)でゆったりと歌う。ピアニッシモ (
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)
あと,ピアノ (
で細かい動きを奏した後,ヴィオラが第 2主題を歌い,
マンのピアノ曲に良く出てくる複雑なテクニックの動き
を奏し,弦とも複雑に絡み合う。
次にピアノの切分音で新しいメロディを奏し(譜例
3
6小節からは再現部
ピアノと弦の掛け合いとなる。第 1
1
6
),第 1主題がハ短調で表れ,徐々に力強いクライマッ
8
6小節からはチェロで第 2主題が
が始まり,その後第 1
クスとなる。
歌われる。ピアノはオクターブの分散和音で動き,シュー
16
7 工凡マータのあと.第
第一楽章の第 1主題
319小節からピアノの右手が
左手と第 2ヴァイオリンが第 4楽
譜例
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章の第 1主題を奏し‘荘厳なて重フガートが形成される
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村揮由利子
第 378小節からはシューマンらしいロマンティック
終結部へと進む。
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な詩'情を持ったメロディを,ピアノと弦が奏し(譜例 1
譜例
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最後は第 1主題による素晴らしいクライマックスを築
言
考察し,入念に作曲されている。特に,ピアノに,かな
き,この曲が締めくくられ,曲全体の統一感をシューマ
りの重要性を持たせているが
ンが見事に持ち味として発揮している。曲全体を通して,
としては決してバランスを崩していない。これはその後
シューマンらしい詩情と情熱があふれ,聴くものに深い
のピアノ五重奏曲の方向を示す模範となった
充実感を与える。またシューマンは作曲技法的にもよく
室内楽のピアノの使用法
注:ここに引用した譜例はベータース版を使用した。
まとめ
シューマンの他の音楽家と違うところは大学法科で学
思える。私は貴女の奥さんに,もう一度演奏して欲し
い。特に二つの楽章が頭に浮かぶ。私は第 4楽章を最
び,後に哲学博士号の学位を得ていることである。
彼は,ハイドン,モーツアルト,ベートーヴ、エンなど
初に聴きたい,おそらくそれが私にはより好ましい。
の作曲家の室内楽曲を研究し 1842年の 6"'7月にかけ
私はあなたがどこへ行こうとしているのか,そしてあ
て 3曲の弦楽四重奏曲を作曲 9月下旬から 10月中旬に
なたの確立を理解した。そこは私の望むところでもあ
かけて,ピアノ五重奏曲を非常な短期間で作曲した。こ
る。それは解放である。美しさだ! J
0
の曲はピアノと弦楽四重奏曲を組み合わせて成功した最
初の作品として広く親しまれている。
このピアノ五重奏曲の演奏上における様々な事柄を
シューマンは一生彼自身の形式を追求して,ついに果
研究し,また, これまでシューマンの様々なピアノ作
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たせずという説があるが,ワーグナー(Ric
品を研究してきたことから
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)はシューマンに次のような手紙を送ってい
シューマン自身が感じているよりも,彼自身の作風は
る。以下は AmfriedE
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rがその著書“R.Schumann" の
独自のものが完成されていると言っても過言ではない
なかで示したものであり 170頁の手紙の部分を著者が
であろう。
訳したものである。
この手紙にもあるように
シューマンはバッハの音楽に傾倒していたが,その
影響は,この五重奏曲の第 4楽章に荘厳な二重フガー
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に表れている。ピアノ曲は彼の生涯にわたって作曲さ
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新しい表現方法を編み出した。
著者訳
彼の文学における才能を生かした
また,第 2楽章のロンド形式のなかでの変化や,第
「シューマン君、君の五重奏曲は私にはとても好ましく
3楽章スケルツォの 2つのトリオの音楽的な違い
-22-
こ
シューマン作曲「ピアノ五重奏曲変ホ長調作品 4
4
J についての一考察
参考文献
れは明らかにフロレスタン(F1o
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) とオイゼビウ
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),の二つの性格が表れている(この二つ
1)マルセル・ブリオン著 喜多尾道冬・須磨和彦訳
はシューマンが評論活動を行うにあたって用いた筆名
のなかの代表的なもの)。フロレスタンは彼自身に内在
シューマンとロマン主義の時代
する膜想的で消極的な性格を表し
1984
オイゼビウスは活
2) ピエロ・ラッタリーノ著
発で明るく積極的な性格を表すものとして用いられた。
の世界 3 音楽之友社
シューマンの作風については,まず,音のもつれが
国際文化出版社
森田陽子他訳大作曲家
1990
3) 西洋音楽史大系 5 ロマン派の音楽
挙げられるが, このピアノ五重奏曲でも第一楽章の展
開部,第 2楽章のアジタートの動き,第 3楽章のスケ
学習研究社
1999
ルツォのピアノと弦の動きにおいて,その特徴が良く
4) 吉田秀和
表れている。特にピアノ曲の場合と比較して,そのも
楽之友社
つれはピアノと弦の声部の動きでよく表されている。
吉田秀和作曲家論集 4
シューマン愛の手紙
喜多尾道冬他訳
国際文化出版社
1986
るが,このピアノ五重奏曲では,第 4楽章の第 224小
6) 中村孝義;室内楽の歴史
節からの動きは,特にシューマンらしさが感じられる。
7) ニューグローブ世界音楽大事典 7 講談社
また,
8) 千 蔵 八 郎 名 曲 事 典
この様なリズムではペダルの使用法に関しても,
社
シンコペーションによる音の濁りを出さないように熟
東京書籍株式会社
1998
1993
ピアノオルガン編音楽之友
1984
9) 最新名曲解説全集第 12巻 室 内 楽 曲 E 音楽之友
慮しなければならない。
以上述べたように
音
2002
5) ハンス=ヨーゼフ・オルタイル編
次にリズムでは,特にシンコペーションが挙げられ
シューマン
社
このピアノ五重奏曲について研
1980
1
0
) 新訂標準音楽辞典
究したことで,シューマンの音楽の特徴や彼の作風の
音楽之友社
1991
独自性がよく理解できた。また彼のピアノ五重奏曲の
引用文献
成功が,それ以後のピアノ五重奏曲の方向性に,強く
影響したことは見逃せないことであろう。
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1989年ドイツ留学中,デュッセルドルフに滞在し,
シ ュ ー マ ン 音 楽 大 学 や ア ル ト シ ュ タ ッ ト (I
日市街)の
楽
譜
シューマン研究所などを訪ねて,かつて,シューマンが
3) S
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活躍した町として大変興味深く,また当時から音楽的に
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も文化的にも進歩的な町であった事が再度認識された。
現在むオペラハウスやトーンハレなどの大きな劇場や
音楽ホールがあり,町の中にも大小の演奏会場が点在し,
さらに教会でも多くの演奏会が行われていた。それらの
施設やアルトシュタットとライン川は,意外に近くにあ
り,散歩ができる距離で,シューマンに関することなど
も,身近に感じられる町であった。シューマンが最初に
住んだ、ケーニヒスアレーとグラーフ通りの角の家は,今
でも騒音と人通りの激しい場所である。シューマンが
デ、ユツセルドルフに赴任する直前まで,
しばらくドレス
デンで住んでいたが,彼らの滞在場所であったホテルは,
中心街からエルベ川をはさんだ対岸の静かな件まいで,
デ、ユツセルドルフとは大きく異なっている。このホテル
には,彼らの滞在した事を記念するプレートの係った部
屋があるのが印象深い。
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