東京音理研通信 第2号

THE SOCIETY FOR MUSIC THEORY OF JAPAN,TOKYO
音楽理論研究会東京支部会報
News Letter No.2
東京音理研通信 第2号
Web Site: http://www.geocities.jp/dolcecanto2003jp/MTSJ/tokyo/index.htm
2008 年 3 月 17 日発行 17.March.2008
目
次 contents
研究会ご案内
第 1 回東京例会 レポート
第 2 回東京例会
事務局より
第 2 回東京例会 発表概要
第 12 回 2008 年春期例会
研究会ご案内
■◇
NEW!
音楽理論研究会第 2 回東京例会
日時: 2008 年 3 月 30 日(日)午後 12 時 40 分開始
会場: 国立音楽大学AI(アイ)スタジオ
〒186-0004 東京都 国立市中 1-8-25
TEL 042-573-5633
(国立音楽大学付属幼稚園地下)
http://www.kunitachi-gakki.co.jp/shop/ai.html
参加費:
一般 2000 円/学生 1000 円(学生証提示)
JR中央線国立駅南口から
線路沿いに立川方向へ徒歩3分
内容:
第1部
調性に関する研究発表
1.見上潤:
【旋法理論
再構成の試み】5
教会旋法と調性
――調のコンステレイションとその意味論――
2.生塩曜:
ドビュッシー 《牧神の午後への前奏曲》に見られる調性拡張の試み
3.齊藤 紀子:
ショパン《練習曲集》作品 10 及び作品 25 にみられる調の統合性について
会からの報告と休憩(20 分)
第2部
和音に関する研究発表
4.今野哲也:
ヴァーグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲の分析
――導7の和音の「ひびき」を視点の中心とした――
5.大高誠二:
※
音階の構造と機能理論の関係
~和音を分解的に捉える試み
研究会終了後、懇親会を予定しています。こちらへも奮ってご参加を!
では大分の小川伊作先生によるプチ講義「瀧廉太郎
れる予定になっています。乞うご期待!!!
■◇
第 2 回東京例会
発表概要
1
なお、今回の懇親会
組歌《四季》より第 2 曲《納涼》の分析」も行わ
1.見上潤:
【旋法理論
再構成の試み】5
教会旋法と調性
――調のコンステレイションとその意味論――
調性の絶対的性格ではなく、その相対的性格を明らかにするために、各教会旋法の固有和音調を加味
しながら、ある主調に対する 23 種の内部調各々がどのような関係があり、どのような意味を持ってい
るかを明らかにすることが本発表の目的である。ここでは、主調を地球に、内部調を恒星にたとえて、
この関係を、"constellation"(星座)と呼ぶ。
昨年 5 月発表の、
「【旋法理論
再構成の試み】 3 教会旋法の巻
~今日からあなたも教会旋法の達
人!~」では、教会旋法の構造分析、特に主音を同一にする各教会旋法の比較分析によってその性格を
明らかにし、各教会旋法の固有和音とその内部調についても触れた。その研究過程で、教会旋法は中世・
ルネサンスではなく、むしろ古典的調性が確立することによってその性格が顕在化したという結論を得
た。今回はその続きであり、その具体化を目指している。
意味論についてのアプローチは、島岡譲『総合和声』(1998 年)に多くを負うている。特に重要なの
は準固有和音調についての言及(p.339)であり、これを基にして音楽における”翳りと陽転の美学”
を構築しうる可能性も示唆したい。
以上の仮説に基づき、シューベルトの歌曲、ヴァーグナー《イゾルデの愛の死》などの実作品の分析
を歌詩との関連において行う。
2.生塩曜:
ドビュッシー 《牧神の午後への前奏曲》に見られる調性拡張の試み
「現代詩がボードレールの詩にしっかりと根ざしているのとまったく同じように、現代音楽は《牧神
の午後への前奏曲》によって目覚めたといってもよいだろう。」ピエール・ブーレーズの有名な言葉に
象徴されるように、
《牧神の午後への前奏曲》
(以下《牧神》)はその斬新さゆえに、まさに「20 世紀現
代音楽への前奏曲」として語られてきた。しかし、疑いのない傑作とされてきたこの作品の何が真に革
新的であったかについては、音楽学者の間でも必ずしも一致を見ていない。本発表では、これまで特に
物議をかもしてきた調性の問題について扱う。
ドビュッシー自身は《牧神》に関して、
「それは調を尊重していません。それはむしろ、あらゆるニ
ュアンスを包合しようと努める世界にあるもので、そのことは論理的に証明できます。」と語っている
ことから、《牧神》において意識的に調性の明言を避ける試みが見られると考えられる。その特徴はま
ず、冒頭の和音にあらわれる。ここに見られる特徴を「特殊な進行をする多義的和音」「半音階的牽引
力をもつ和声」という 2 点に集約して「《牧神》の和声的主題」とした。これを軸にして《牧神》にお
ける調性の論理を考察する。
しかし、《牧神》を分析するにあたって、ことさらにその前衛性を強調するだけでは不十分である。
このような革新的側面は、伝統的な要素の中に位置づけることで初めてその真価が引き出されているの
である。その点において、ドビュッシーは伝統を破壊したのではなく、一般に確立されている美的概念
を乗り越え、作り替えることによって、伝統的調性を著しく敷衍した作曲家であると言えよう。本発表
では、伝統に立脚した要素と革新を試みた要素の双方を明らかにすることで、その事実を明らかにした
いと考えている。
3.齊藤 紀子:
ショパン《練習曲集》作品 10 及び作品 25 にみられる調の統合性について
大学の卒業研究で、ショパンの《練習曲集》作品 10 と作品 25 を楽曲分析した。この 2 つの作品は、
作品番号が離れているが、創作の時期が連続していることがわかっている。また、曲集内の個々の曲の
配列が創作の順番と一致しない。従って、これらの曲集は、単なる曲の寄せ集めではなく、全体の構想
2
のもとに創作された可能性が考えられる。そこで、全体の構想を「統合性」という言葉で表し、これら
の曲集にどのような「統合性」がみられるのかを考察した。卒業論文では、調、テクスチュア、音型、
形式、和声、テンポと拍子、ディナーミク、音域の 8 つの観点を設けて分析をし、これらの観点ごとに
①各曲、②各曲集、③2 つの曲集を貫くもの
として記述した。今回は、調の観点からの考察を中心に
発表する。
研究対象は合わせて 24 曲あるが、その調は、同じく 24 曲からなる《前奏曲集》作品 28 のように、
24 の長短調すべてが網羅されているわけではない。また、調の配列が一貫性を欠いたものであること
が既に言及されている。そこで、曲集全体が演奏された際に響く実際の音の並びに着眼し、調の配列の
分析を行った。つまり、調の統合性を、主調の関係に求めるのではなく、各曲内部の転調も含めること
により、曲集全体を演奏した際の調性の変化に求めた。そこから、調の配列における一貫性の欠如は、
曲集全体の構想と深い関連があるのではないかという考えに至った。
ショパンは、なぜ、24 の長短調すべてを網羅しなかったのだろうか。そして、なぜ、一貫性に欠い
た配列で曲集をまとめたのだろうか。その答えは、
《エチュード》というタイトルにあると考えている。
本発表では、具体的な例を提示しながら、このように考えるに至った経緯を発表したい。
4.今野哲也:
ヴァーグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲の分析
――導7の和音の「ひびき」を中心とした――
ロマン派音楽の語法を研究する上で、ヴァーグナー《トリスタンとイゾルデ》は大変興味深い作品で
ある。その前奏曲は古今多くの議論が成されてきた「トリスタン和音」を含み、構造上ある程度の独立
性を持つ楽曲であるという理由から分析の対象として選んだ。
今回の視点に置いた「導7の和音」はこの作品にとって構造上の仕掛けにも関わる重要な要素である
が、その考察にあたり和音の「かたち」と「ひびき」という整理概念を用いる事とした。
「かたち」と
は、和音の音度や機能を譜面上の五線や和音記号などで表わされた形象、
「ひびき」とは、和音のピッ
チを耳で捉らえた場合の実際の感覚である(これは前回の発表テーマである「クリスタル和音」を整理
した概念とも共通のものである)。
本来の「導7の和音」という名称は、長調の属9の和音の根音省略形体についてその性質を表した、
言わば「ニック・ネーム」である。しかし、本発表では「ひびき」の名称として「導7の和音」という
言葉を用いてみたい。それは以下のように考察される。
この和音の「ひびき」だけを抽象して捉えた場合に、長調Ⅴ9だけでなく他の様々な和音と共通して
いることが分かる。例えば、短調のⅡ7、短調の+Ⅳ9、短調のⅣ+6 等の独立和音、或いは「トリスタ
ン和音」を含む様々な偶成形態である。つまり、同じ「ひびき」
(
「導7の和音」
)に対して多義的な「か
たち」があり得るということである。この導7の和音における「多義性」は、後期ロマン派以降の和声
語法を発展させた要因のひとつでもあり、この前奏曲にも多くの用例が見出される。本発表はこの特性
を分類・整理しながら、和声を中心に分析をしてゆくものである。
5.大高誠二:
音階の構造と機能理論の関係
~和音を分解的に捉える試み
一般的に機能和声理論における主要 3 機能とは、根音の 5 度関係によって定義されるが、この発表で
は機能を音階の構造と関係付けて定義する方法を提案する。この方法では、音の関係の根本を 5 度関係
に置く点では同じであるが、それを根音としてすぐさま和音を導くのではなく、一旦 5 度圏という図式
を経由したうえで、音階の構造と機能の根源をそこから導くことになる。このように考えることの利点
は、和音を根音のみによって代表される 1 つの塊として捉えるのではなく、ある程度の独立した意味を
3
持った音の重なりとして理解することが可能になる点である。このような特性は、フーガなど対位法的
な楽曲が声部を積み重ねて和声を作っていく様子の分析や、和音の構成音の細かな変化の理解、そして
旋律的な要素の分析に威力を発揮する。
■◇第1回音楽理論研究会東京例会レポート
1.今野哲也:
クリスタル和音
理論化への試み
――古典から近代まで――
島岡譲氏のネーミングによる「クリスタル和音」
、即ち、和声における減七の和音から派生した偶成
形態を概念化しようという試みの発表であった。全体の流れは、最初に、広く和音を概念として整理し
てからクリスタル和音を概念化し、その後、このような和音が実際に響く作品を挙げた。
和音の概念化では、まず、和音を①「かたち」と「ひびき」②「和音」と「非和音」③「独立和音」
と「偶成形態」④「機能的」と「非機能的」⑤「種別の名称」と「ひびきの名称」として整理した。
続いて、クリスタル和音を「減七の和音(短9の和音の根音省略形)の構成音が長2度上方転位した
場合に生じる偶成形態」とし、また、このようなクリスタル和音を生じさせる上方転位音を「クリスタ
ル和音」と定義した。クリスタル和音は①クリスタル音が1音であると高い緊張感を持ち、②借用調で
使用することもあり、③「かたち」の上では非和音で「ひびき」の上でも同じ和音が無く、偶成非和音
である。
また、この和音の機能としては、①原和音が独立和音である場合は、ドミナントの機能を持つ場合に
は、転位音を解決させて正規の限定進行をするが、偶成解決により他の調へ進む場合もあり、②原和音
が偶成和音である場合は、その機能は第1次原和音に準じ、「偶成の偶成」として存在することが挙げ
られた。
次に、クリスタル和音そのものの分析に入った。①減七の和音の第9音の上方転位としてのクリスタ
ル音=短調の固有の第7音。しかし、この音の構成音類は第9音であり、譜面上には真の導音(第7音)
と並置される。②減七の和音の第7音の上方転位としてのクリスタル音=根音。しかし、この音の構成
音類は第7音であり、譜面上には真の根音の下に置かれ、長7度を作る。③4声体書法ではクリスタル
音の解決音を他の声部に置けないが、実際の作品では内声に解決音が現れたり、保続音上に響いたりす
る。
以上のようなクリスタル和音の効果は、調性を曖昧にさせることによる多調的なニュアンスである。
その特質は前部転位音による倚音ないしは掛留音であり、時に後部転位音として弱拍で響く。そして、
倚音の音価が長いほど効果を発するが、際立つ箇所の使用に関してはその音価は問題とならない。
また、減七の和音が長2度上方転位した偶成形態をクリスタル和音としたが、減七の和音の短2度上
方転位したひびきについても考察が成された。上方転位する音が長2度か短2度だけであるために、両
者セットで使われることが多い。尚、後者のひびきは結果として「導七の和音」と一致するが、その使
い方は異なる。
最後に、クリスタル和音が実際に響く作品を挙げた。ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ 作品 109》
の第 1 楽章、リストの《ピアノ・ソナタ》
、ヴァーグナーの《マイスター・ジンガー》前奏曲、ヴェル
ディの《運命の力》序曲、ブラームスの《交響曲 第 1 番》の第 2 楽章と《交響曲 第 3 番》の第 1 楽章、
フランクの《ヴァイオリン・ソナタ》の第 1 楽章と《交響曲》の第 1 楽章、ドビュッシーの《前奏曲集
第 2 巻》の第 4 曲目<妖精たちはあでやかな踊り子>、ラヴェルの《水の戯れ》と《ソナチネ》の第 3
楽章、《鏡》の第 4 曲目<道化師の朝の歌>、ベルクの《ヴォツェック》等である。
発表は以上であった。音楽は、真の意味での理論には翻訳できない面をもち、本来は言葉によらなく
ても存立できるために、論じる際には、含意することを伝えるための適切な用語を選ぶ難しさがある。
今回の発表では、導入で広く和音を概念として整理する際に、「非和音」という用語を用いていたが、
4
音楽の実際の響きの上では、複数の音はいかなる場合にも和音を構成する。しかし、それが理論上に設
定した諸和音にあてはまらない時に、「非和音」と思われるのではないかと思う。また、音楽の流れの
中で、ある瞬間に響く音をとり出した際に、その響きを幾つかの和音の種類で捉えられる場合がある。
そのため、クリスタル和音がどのような位置づけで響いているのか、その前後の響きとの関連も考慮し
て熟考することが大切であると思う。その意味で、ドビュッシーの《前奏曲集 第 2 巻》の第 4 曲目<
妖精たちはあでやかな踊り子>の曲例は興味深いものっであった。ここでは、クリスタル和音が「だま
し絵」のように用いられており、クリスタル和音と一口にいえども、実際の作品におけるその扱いが各々
の作曲家や作品の様式、曲種といったコンテクストと共に多様に異なることにふれられていたと思う。
そして、このような実際の作品における用法は、それらを総括的に理論化するにあたって、各々の作曲
家の手法を個別に考察することも大切であると思う。そうすることにより、それらの作品各々が時折、
それに先立つ作品や創作当時の音楽上の「規範」から意図的に逸脱、乖離していることをも考慮した考
察が行えるであろう。
レポーター:齊藤紀子
2.大野聡:
シューベルト《ピアノソナタ変ロ長調》D. 960 第1楽章の分析
――ロマン期のソナタ形式の一例として――
主として、シューベルトの《ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D. 960》の第 1 楽章における調の構想の分析
に関する発表であった。
この楽章の流れに沿って調の構想を追った後、「古典的なソナタ形式の基本的な調性のパターン」と
比較し、シューベルトの転調の特徴を挙げた。
規範的(古典的)なソナタ形式の調性構造に比べ、シューベルトのソナタ楽章では、提示部にも展開
部に匹敵するような転調の侵入が起こる。更に、そのような提示部の転調は、再現部でほぼ忠実に移調
再現される。その転調は、①一時的な転調、②次の部分へと接続するための転調、③(前述の2つの転
調の間にしばしば見られる)2つの調の間をさまようもの、に分類できる。
しかし、ここで特筆すべきは、そのような楽章全体に見られる転調にもかかわらず、基本的な調の構
想は規範的なソナタ形式のそれに則っていることである。即ち、このソナタ楽章にみられるような調の
構想は、シューベルトが規範的な調の構想を発展させたものと言える。例えば、第2主題は提示部では
嬰ヘ短調、再現部ではロ短調で書かれている。このような調は各々、規範的なソナタ形式の調の構成に
則った場合に本来経るべき調、即ち、ヘ長調及び変ロ長調の半音高い調、嬰へ長調とロ長調の同主短調
にあたる。以上のようなことを考えると、このピアノ・ソナタは規範的なソナタ楽章とは異なる外見で
ありながら、その構想の基盤はそこからそれほど逸脱しているものではないことがわかる。
また、このソナタ楽章は、3つの主題(第2主題は第49小節~、第3主題は第80小節~)を持つ
が、主題労作よりも、主題の変容による叙情的旋律の継続により成り立つと言える。そして、そのよう
な手法は同じくシューベルトの《ピアノ・ソナタ イ長調 D.959》や《ピアノ・ソナタ ト長調 D. 894》、
《ピアノ・トリオ 第2番 変ホ長調》、《弦楽五重奏曲 ハ長調》に通じるものがある。
発表は以上であったが、配布された資料が提示部と再現部を紙面上の左右で比較できるよう分割譜に
工夫されており、調の構想をたどりやすいものに感じられた。ソナタ形式が規範化されたのは19世紀
前半であるため、ここでモデルとなっているものは、それ以前のソナタ作品であると考えられる。そう
すると、ロマン派以降のソナタ作品が多様な外見を有している理由の1つとして、規範化された「ソナ
タ形式」の何れかの面に即しながら、自己の特性を発揮すべく、逸脱、乖離する面を模索していること
が挙げられるだろう。従って、今日に数多く伝わるソナタ作品からは、各々の作曲家が自分なりに捉え
た「ソナタ形式」観が、その作品で遵守されているものを通して伝わってくると考えられる。
レポーター:齊藤紀子
5
3.岡﨑登代子: J. S. バッハ《平均律クラヴィア曲集第 2 巻》第 13 番 Fis-dur フーガをめぐって
「ちょっとびっくり! あら どこへ行くのかしら? なるほど」
・・・岡崎氏によれば、このフーガは
演奏にあたり、こんな驚きを以って迎えられるのだという。どのような成り立ちによってこのような印
象を受けるのかを分析・発表された。
1.
主唱と対唱
1)主唱 (A
0 – 4 小節)
トリルによるアウフタクトの導音から主音への解決で始まる(モチーフ a1)
。実はこのモチーフは前
奏曲の終止部の尻取りなのだが、フーガだけを取り出して弾くとかなり大胆な始まり方である(ちょ
っとびっくり!)。それを受けて上行する 3 音 Cis – Dis – E(モチーフ a2)が主調のミクソリディア
という以外にも、移動ドでレミファ(H-dur)
、ラシド(E-dur)とも聴こえる。つまり調性感が弱いと
考えられ、これは一方いろいろな調に捉えることが可能であることを示す(あら
どこへ行くのかし
ら?)。しかし続く Fis-dur の上行する音階(モチーフ a3)
、跳躍・倚音(モチーフ a4)、終止定型(モ
チーフ a5)により Fis-dur の調性感が明確に打ち出される(なるほど)。
2)対唱(2つの対唱)
4 – 8 小節目アルトの、短 2 度下行する音型(モチーフ b1)を対唱 1。この半音のモチーフはいろい
ろな調へ行ける可能性を持っている。8 – 12 小節目アルトの旋律を対唱2(※注 1)。これは登場す
るたびに変奏をくりかえす。2つの対唱は、3声部で奏されるテーマに彩りを与える役割を担ってい
る。(注 1: 対唱 2 について島岡、小河原両先生より、質疑応答の場で疑問視するご指摘があった)
テーマを 3 人の主要登場人物、対唱を 2 人の盛り立て役に見立て、この5人がどんなドラマを展開させ
ていくのかを探っていった。
2.
構造
以下が岡崎氏の分析した構造区分による説明である。
第1部
提示部
A1
(0 – 12 小節) テーマの提示 アルト → ソプラノ → バス
3 声部にテーマと 2 つの対唱、つまり全ての登場人物が現れる。
移行部
B1
(12 – 20 小節) Ⅵ調 – Ⅱ調 – Ⅴ調 – Ⅰ調 D2°下型反復進行
モチーフ a3 がバスからソプラノへ引き継がれ、その後 a2 を軸に a3、a4 が絡み合って 3
声の楽しい会話が進む。
提示部
A2
(20 – 24 小節) テーマの提示はソプラノのみ
ここでは対唱 1 と、変奏された対唱 2 が顔を出すだけで、おすましの様相。
移行部
C1
(24 – 32 小節) Ⅵ調 – Ⅱ調 – 変位Ⅶ調 – Ⅲ調
D2°上型反復進行
モチーフ a4 と b1 がソプラノとアルトの交互に現れる。バスには拍頭の音を選び出すとジ
プシー音階が見えてくる(※注 2)。この上行するジプシー音階には上下に飾りのヒラヒラ
音が付いている。ガヴォットの雰囲気のする曲想で、例えばジプシー音階はヴィオラ・ダ・
ガンバ、ヒラヒラ音階はチェンバロ、交差する上 2 声は 2 本のバロックフルート、そこに踊
りが加わっても楽しい。
6
尚、当日配布の資料にはこの部分を「移行部」としているが、「間奏」とした方がよりふ
さわしいのではないかとの考えを述べられた。それはガヴォットが挿入されている、と捉え
るとのことで、これは後に出てくる第 2 部移行部 C2 でも同様だとしている。
(注 2: 質疑応
答の項参照)
第2部
提示部
A3 (32 – 44 小節) テーマの提示 バス → アルト → ソプラノ
何の前ぶれもなく、パッとテーマが現れる。直前の ais-moll でのガヴォットの曲想から
一転、バス声部 Cis-dur での提示である。この「パッと変わる」ことこそが構造区分の鍵
であるとの理由から、32 小節目からを第 2 部とした。
バス → アルト → ソプラノと引き継がれていくテーマに、2 つの対唱が絡んでいく。対唱
1 は転調の手段となり、対唱 2 は変奏を繰り返すことで、この部分は玉虫色のごとく変化し
ていき、あたかも 5 人の話が白熱しているかのよう。
移行部
B2 (44 – 52 小節)
Ⅱ調 – Ⅴ調 – Ⅰ調 – Ⅳ調
D2°下型反復進行
音域は次第に高くなり、最高音 H まで到達する。その後、白熱した話がⅣ調へと、すっと
別の広がりのある世界へと抜け出る。落ち着きを取り戻した 5 人の心が一つになったような
印象。
提示部
A4
(52 – 56 小節) テーマの出現はアルトのみ
Ⅳ調のままアルトで提示がなされる。
「よかったね」と一段落。
移行部
C2
(56 – 64 小節) Ⅱ調 – ∘Ⅴ調 – Ⅲ調 – Ⅵ調
D2°上型反復進行
第3部
提示部
A5 (64 – 80 小節)
テーマの提示
バス → アルト → ソプラノ
ここでも何の予告もなしにバスに主調でテーマが現れる。バス → アルト →
ソプラノとテーマが引き継がれるが、初め 3 声で奏されていたのが、2 声と
なっていくことでエネルギーが減少し、そろそろ終わりに近づいていることを
示唆。しかし 76 小節目から再び 3 声で高らかに歌い、結尾へと向かう。
結尾
(80 – 84 小節)
3.まとめ
「ちょっとびっくり! あら
どこへ行くのかしら? なるほど」
・・・分析を進めるうち、このフー
ガ全体がこのようなドラマを奏でている、としている。
曲に彩りを添える手だてとして、対唱 1 は半音階進行により和音をどんどん変化させ、対唱 2 はミク
ソリディアを使うことで翳りの和音を作り、モチーフを変奏させてテーマを華やかに飾っている。
曲中、4 分音符2つのアウフタクトで始まるガヴォットのリズムは、ウィットに富んだテーマの性格
をより際立たせている。そして Fis-dur という調性は、すっきりとした上品さを醸し出し、玉虫色に
変化する和声も洗練されて感じられる。
バッハは、わずかな素材で、同じ手法は使わず、たいへんなエネルギーを費やして作曲しているのだ
ということが、分析を通じてより明確になったと締めくくっている。
[質疑応答から]
※1) 対唱2について。対唱の原則から言えば、毎回そのままの同じ形で出てこなくてはならないが、
7
このフーガでは途中でだいぶ変形しており、また転回カノンにならないといった理由からも、対唱とは
認めがたいとのご指摘があった。
※2)
ジプシー音階ではなく東洋のテトラコルドであるとのご指摘が見上氏よりあった。
また島岡先生からは、調性の中の音のある部分だけを取り出して“・・・音階”とするのは危険であろ
うとのご意見を頂戴した。
岡崎氏の分析は、演奏家としての目線で楽曲を捉え、繊細な感性をたいへん身近な言葉で伝えようと
している点で、我々により深く興味を与え岡崎ワールドに引き込んで行く。このフーガもまさに 3 人の
主役と、その周りを自在に飛び回り色づけしていく脇役たちとのドラマが、目の前で生き生きと繰り広
げられていく様子が見てとれるようだ。
来年 3 月に予定されている東京例会においても、新たな楽曲での研究発表が為されるという。大いに
待たれるところである。
レポーター:長島 史枝
4.見上潤: 【旋法理論
再構成の試み】4
見上潤氏による本発表は、
「旋法理論
――5音音階のトリコルド分析とその応用諸形態――
再構成の試み」シリーズの4回目である。2003 年、音楽理論
研究会第2回例会において、氏は、楽曲中の音素材を、12 平均律の音のあらゆる順列組合せを記した
「音素材分析表」から抽出し、120 の「オトゲノム」に分類、淘汰するという画期的な理論を発表した。
「音素材分析表」には、音高の異なる2音から 10 音までの音素材が示されているのだが、このうちの
「5音」から成る音の並び、すなわち5音音階に焦点を当てたのが、今回の発表である。
5音音階の仕組みを把握するために、まずは、教会旋法のアナロジーを用いた説明から始められた。
完全4度の各々とその間に入り得る音のうちの 1 音によって形成され得るトリコルドは、全部で4種
類ある。これら4種類のトリコルドを組み合わせて、5音音階を作る。4種類のトリコルドを、両端が
完全8度になるような形でそれぞれディスジャンクト(正格)した場合、16 種類のディスジャンクト
5音音階を作ることができる。また、トリコルドの第1音目を中心に、4種類のトリコルドを、それぞ
れコンジャンクト(変格)した場合、16 種類のコンジャクト5音音階を作ることができる。
それらのうちには、これまでに特定の名称で識別されてきたものがある。例えば、小泉文夫は、短2
度と長3度を堆積させた3音を、両端が完全8度になるようにディスジャンクトした5音音階を「都節
音階」と名づけている。同じく小泉氏によって命名された「琉球音階」や「陰音階上行形」といった名
称をもつような音階は、その音程関係にとりわけ特徴的な響きをもっていると捉えられてきた。しかし、
当然のことながら、これら 32 種類の中でこれまでに特定の名称で枠付けられてこなかった5音音階も、
実際の楽曲の中ではしばしば登場する。見上氏は、こうした格差を取り除き、ある楽曲の中のある5音
音階が、あらゆる順列組み合わせによる5音音階のどの位置に属するかを分析することを、このテーマ
における最終目的としている。
しかしながら、このような分析法に慣れていない場合、5音音階の体系的な位置付けの把握に先立ち、
ある旋律からその一部を切り取り、4種類のトリコルドのいずれかの型に振り分ける作業に、戸惑いを
覚えるだろう。そこで、見上氏は、聴衆の理解に合わせ、今回は、楽曲の中からトリコルドを掬い取る
ことに主軸を置いた。実際、「ある楽曲の中の5音音階が、あらゆる順列組み合わせによる5音音階の
どの位置に属するか」を探す作業は、「音素材分析表」を見ればすぐにわかる。問題は、その5音音階
を形成するトリコルドを、楽曲の中から敏感に掬い取ってゆく作業の方にある。この作業こそが、分析
者によって異なる結果を導き出すことに成り得る重要なプロセスなのである。
発表では、具体的な例として、最初に、わらべうたの《とおりゃんせ》が挙げられた。この旋律は、
最低音 E 音と最高音 D 音の間に含まれる3つのトリコルド(そのうちの2つは、両端が同じ音)が骨格
8
となっている。この骨格の両端に、長2度音程の広がりをもった「ゆれ」の音が付加されている。これ
らが、《とおりゃんせ》に使われている音階構造として抽出された。よく知られたわらべうたの構造を
把握したところで、この音階構造の中の一部に含まれたある音の並び(骨格となっているトリコルドの
うちの1つに「ゆれ」を足した4音)が、実は、ラヴェルの《弦楽四重奏曲》の主要主題と同じ音程関
係であるということが提示された。続けて、その中の一節に含まれるトリコルドは、《君が代》の一節
に含まれるトリコルド、グレゴリオ聖歌《Victimae Paschali Laudes》に含まれるトリコルドと同じで
あるという分析がなされた。同じように、宮沢和史の《島唄》に含まれるトリコルドは、ベートーヴェ
ンの交響曲の一節との類似性から語られた。ここまでで、先述した4種類のトリコルドが明らかとなっ
たわけである。
以下、発表内に含まれた全ての曲例について細かく触れないが、ドビュッシー、フォーレ、ショパン、
ストラヴィンスキーの作品(ここには、12 音技法作品も含まれた)についても同様に、どのトリコル
ドがどのように使用されているかという分析がなされた。時に日本の歌などの事例も織り交ぜながらの
わかりやすい説明によって、聴衆は、トリコルドを聴き取ってゆく作業に、50 分でだいぶ慣れたので
はないかと思われた。
さて、こうした分析作業を行った場合、従来の研究では、その結果をもとに、作品の生まれた背景な
どと照らし合わせて、意味論的に解釈するという方向に結論を求めがちである。しかし、見上氏は、そ
のような解釈は意図していないということを、ドビュッシーの《ゴリーヴォーグのケークウォーク》の
分析の際に強調していた。氏は、この曲に含まれる日本の音階が、しばしば、万国博覧会におけるジャ
ポニズムの影響としてみなされる傾向を挙げながらも、そのような因果関係は問うていないと述べた。
氏の目指すところは、あくまでも、作品自体がどのような構造を持っているかということの把握そのも
のであろう。すなわちそれは、全く異なる文化形態の中で息づいてきた音楽を、文化的脈絡から切り離
し、音程関係の抽出作業という同じ地平に還元させて把握することの試みである。このような把握が、
今後、どのような展開を見せるのか、音楽研究史においても興味深いところであろう。
ハイ・レベルな発表であったが、1つだけ指摘したいことがある。それは、発表全体を通して何度も
語られたが、はっきりとした定義付けがなされなかった「ゆれ」の概念についてである。「ゆれ」は、
島岡譲の『総合和声』における重要な概念であるとはいえ、この「ゆれ」の設定の仕方によっては分析
結果が変わり得るからである。今回の分析対象は、基本的に、水平的な旋律線であった。その場合、
「ゆ
れ」であるという決定は、何によって行われたのだろうか。水平的な旋律線に関する分析には、その旋
律線のどこからどこまでを一つの素材とみなすかというところに、大きな比重が置かれるのではないだ
ろうか。そのあたりの根拠が示されていれば、より納得のゆく分析であったと思われる。
レポーター:稲崎 舞
■◇事務局より
「東京音理研通信」第 2 号をお届けします。内容は、第 2 回東京例会開催をお知らせとその発表概要、
および昨年 7 月 29 日に開催された第1回東京例会のレポートです。
今回、第 2 回の発表者は、オトゲノム理論の構築を目指している見上、慶應義塾大学環境情報学部を
今春卒業する生塩曜君、御茶ノ水女子大学大学院在学中の齊藤紀子さん、国立音楽大学大学院在学中の
今野哲也君、インターネット応募の大高誠二氏の 5 人で、調性と和音に関する研究発表を行います。
次回第 3 回の東京例会は 2008 年 7 月 27 日(日)を予定しています。以下のスケジュールで準備しま
すので、志あるかたはぜひ発表者に名乗りを上げてください。
1.公募締め切り: 4 月 30 日(水)タイトルと 400~800 字程度の発表概要を下記東京支部宛にメ
ールで送付。郵送も可。
9
2.審査、発表者決定:
3.発表リハーサル:
5 月 18 日(日)音楽理論研究会第 12 回例会までに発表者を決定します。
5 月 19 日(月)~6 月 22 日(日)
希望者のみ、この期間中の都合の良い
日程で行います。
4.「東京音理研通信第 3 号」送付:
5.発表当日:
6 月 23 日(予定)
7 月 27 日
最後に、音楽理論研究会第 12 回例会のお知らせです。今回のテーマは「ソルフェージュ教育」です。
内容は古曽志洋子先生とローラン・テシュネ先生の最新の研究発表!!
こちらへもぜひ多くの方が奮って参加されることを願っております。
(見上)
■◇音楽理論研究会第 12 回例会(春期)
日時: 2007 年 5 月 18 日(日)午後1時 50 分開始
会場: 国立音楽大学AI(アイ)スタジオ
〒186-0004 東京都 国立市中 1-8-25
TEL 042-573-5633
(国立音楽大学付属幼稚園地下)
http://www.kunitachi-gakki.co.jp/shop/ai.html
参加費:
一般 2000 円/学生 1000 円(学生証提示)
JR中央線国立駅南口から
線路沿いに立川方向へ徒歩3分
内容:研究発表
1.古曽志洋子: 和声学をはじめる前に ――島岡譲『和声のしくみ・楽曲のしくみ』
(2006 年)
を心地よく読み、納得できる耳を育てるソルフェージュとは?――
2.ローラン・テシュネ: 明日のためのソルフェージュ教育
(Laurent Teycheney: Pour l’enseignement du solfège de demain)
【お問い合わせ】
音楽理論研究会東京支部
ホームページ:http://www.geocities.jp/dolcecanto2003jp/MTSJ/tokyo/index.htm
〒208-0011 東京都武蔵村山市学園 4-11-3-3
見上潤
TEL 090-4932-5949
Email:[email protected]
音楽理論研究会事務局(本部)
ホームページ:http://sound.jp/mtsj/
〒870-0833 大分市上野丘東 1-11 大分県立芸術文化短期大学音楽科 小川研究室気付
TEL & FAX 097-545-4429
Email:[email protected]
10