日本語 IIB: 聴解 (平成 19 年度 後学期) 第 7 回 (11 月 16 日) 縄文時代 (じょうもんじだい) 始まり: 1,3000 年前 ~ 1,0000 年前 終わり: 紀元前 (きげんぜん) 5 世紀 (せいき) 頃 (ご ろ) 石器 (せっき), 土器 (どき), 貝塚 (かいづか) 旧 (きゅう) 石器時代 > 中 (ちゅう) 石器時代 > 新 (し ん) 石器時代 縄文式土器: 縄 (なわ) を使って作った文様 (もんよう) のある土器 採集 (さいしゅう), 狩猟 (しゅりょう) が中心の生活 紀元前 (きげんぜん) 500 年 (500 B.C.) 西暦 500 年 (500 A.D.) 考古学 (こうこがく) 弥生時代 (やよいじだい) 紀元前 5 世紀 (せいき) 中頃 (なかごろ) から 3 世紀中頃まで 弥生式土器: 19世紀に東京の弥生町という場所で見つけられ た土器. 縄文式土器と比べて、表面がなめらかなものが多い. 水田 (すいでん) を使った稲作 (いなさく) が行 (おこな) われて いた. 鉄 (てつ)・青銅 (せいどう) などの金属 (きんぞく) も使われてい た. 大きな集落 (しゅうらく) ができ、やがて “クニ” に成長した. かめ (瓶), つぼ (壺), はち (鉢), など Part 1: オープニング (0:00-4:33) 九州の福岡空港 「貴重な発見 (きちょうなはっけん)」 2000 年前の人骨が発見された 弥生時代の渡来人 (とらいじん) (cf. 移民 いみん) 縄文人と渡来人 オープニングに登場した人々 シベリア, 南の島, 中国大陸 前回までのまとめ アジアの北や南から来た人々が混じり合った 稲作は、考えられていたよりも、ずっと早く行われてい た (陸稲 りくとう) 二千数百年前の大きな変化 水田の稲作が広まる “クニ” が生まれる “新たな人々” Part 2: 新たな人々 (4:33-9:05) 福岡で発見された遺跡 (remains, prehistoric site) 板付遺跡 (いたづけいせき); 2,400年前のもの 環濠集落: 濠 (ほり; moat, ditch) に囲まれた集落 10 戸 (こ) ほど (cf. 一戸建て いっこだて) 本格的な水田, 炭化米 板付遺跡が縄文人のものでないことを裏付 (うら づ) ける証拠 (しょうこ) 福岡空港で発見された 2,300 年前の人骨 発見 (はっけん) された人骨と、縄文人の骨との 比較 (ひかく) 板付遺跡の人骨: 面長 (おもなが), 扁平 (へんぺい) 縄文人の骨: 四角い, エラが張っている 一重 (ひとえ) まぶた, 二重 (ふたえ) まぶた 断絶 (だんぜつ) と言っていい違い; 別の遺伝的 特徴 (いでんてきとくちょう) を持った集団が流れ 込んできた。 Part 3: 土井ヶ浜遺跡の人骨 (9:06-20:16) 山口県土井ヶ浜 (どいがはま) 遺跡 350 体 (たい) の人骨; 2,200年前のもの; 福岡のもの と同じタイプ 埋葬方法に特徴があった 中国 (山東省など) で発見された人骨 人類学者の松下さんの調査; 「ほとんど見分けがつか ないくらい似ている」 海を越えてきた; その理由は? 春秋戦国時代 (しゅんじゅうせんごくじだい) 紀元前 770 年から紀元前 221 年まで 戦乱 (せんらん) を逃れるために、海を渡った人たち がいた?; 新天地 (しんてんち) 血液 (けつえき) の中の『渡来の記憶 (きおく)』 人類遺伝学者の徳永さん; 血液中の成分 (せいぶん) (HLA と呼ばれるタンパク質) を調べて, 日本人の起 源を探 (さぐ) っている 『いくつかの先祖集団が, いろいろな地域から, 何回 かに分かれてやってきた』 ということが分かってきた。 Part 4: 大阪平野の縄文系と渡来系 / 戦い (20:16-29:23) 人口増加; 東に広がっていく 渡来系の人と, 縄文系の人との遭遇 (そうぐう) 日系 (にっけい), 韓国系 (かんこくけい), … 大阪平野 (おおさかへいや), 河内湖 (かわちこ) 縄文系の人: 未開 (みかい) の森, 豊 (ゆた) かな自然, 狩猟 (しゅりょう)・採集 (さいしゅう) の生活, 貝塚 (か いづか) 渡来系の人: 水田稲作, 強力な石の鏃 (やじり) 『深刻な事態』 渡来系の人によって、大陸から 『戦い』 が持ち 込まれた。 考古学者の松木さん 「トラブルを武力で解決するという行動様式・思想」 強力な武器 香川県でとれる, サヌカイトという石でつかった鏃 (や じり); 大きさは倍以上 渡来系の人はさらに東に拡大するが, 濃尾平野 (東海地方) で止まる 深い森 (水田をつくるのが難しい) 縄文人は, 東日本に多く住んでいた 渡来系の人は, 東日本にはなかなか入りこめなかっ た (200年間) Part 5: 西日本に来た東の縄文系 (29:2434:13) 新たな動き 兵庫県 (ひょうごけん) で発見された珍しい土器 考古学者の小林さん; 兵庫県の土器は、長野県の縄 文式土器に文様 (もんよう) が似ていた. その一方 (いっぽう), 土は地元のものだった 縄文人が来て、作った; 視察 (しさつ) のために人を送 り込んだ 渡来人と縄文人の交流 Part 6: 中里遺跡 / 中里集落の稲作風 景 (34:13-40:11) 渡来系の人々が、東日本に姿を現す (今から 2100 年 前) 関東平野, 神奈川県小田原, 中里遺跡 (なかざといせ き) 広大な集落 (6万平米、東京ドーム 2 個分); 200人; 神殿 (しん でん) 渡来系の土器, 縄文系の土器 渡来人の水田稲作技術, 縄文人の開墾 (かいこん) 技術 衝突 (しょうとつ) > 交流 (こうりゅう) > 協力 (きょうりょく) > 融和 (ゆうわ) 「一方がもう一方を徹底的 (てっていてき) に滅ぼしてしまうこと はなかった」 Part 7: 日本人の誕生 (40:11-49:00) 岩手県の洞窟 (どうくつ) から発見された人骨 2000年前の子供の人骨 縄文系と渡来系の両方の特徴 (とくちょう) を持ってい た 人類学者の鈴木さん: 「渡来系と土着系 (どちゃくけ い) の混血 (こんけつ)」 (cf. ハーフ) 人類学者の松村さん: 歯を調べる; 「混血の度合いは 地域 (ちいき) によって違 (ちが) う」 西: 渡来系, 東: 縄文系 (土着系) 古代国家 (こだいこっか) 奈良県の大和盆地, 広い地域から持ち込まれた 土器 「徹底的な争いを避け、ゆるやかにまとまる」 「数々の試練 (しれん) を乗り越え (のりこえ), 新 たな未来を切り開く」
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