エトルリアの神々(4) ~ メンルファ

エトルリアの神々(4) ~ メンルファ
メンルファは、ティニア、ユニと共にエトルリア神話における主要な三柱神であり、稲妻を操る力を
与えられた九柱神の一人とされていました。
(メンルファは神話によれば主神ティニアの頭から生まれ出
たとされており、ユニはティニアの妻ですので、一家で主要三柱神を独占していたと言えそうです。
)親
子で稲妻は神々の武器であると同時に、様々な吉兆を示す前触れを人間に示す意味もあると考えられ、
エトルリア宗教においては鳥卜や臓卜と並んで雷卜が重視されていましたので、このように人間に直接
神意を語りかけてくるメンルファはエトルリア人にとって重要な神だったわけです。
メンルファは、ギリシャ神話におけるアテナ、ローマ神話におけるミネルヴァに対応しますが、ミネ
ルヴァの名前は明らかにエトルリアのメンルファに起源を持ちます。
(実際、エトルリアのメンルファは
メネルヴァ、メンルヴァなどと綴られることもありますので、ローマ化に際してもほとんど名前は変わ
っていないと言えます。
)
メンルファは知恵と技芸を司る女神で、手工芸者、芸術家、製織者、商人、詩人、学業の守護神でも
ありました。また、音楽、戦争、医学などもメンルファが司っていたと考えられています。戦争という
分野はアテナの影響を受けて後のことかもしれませんが(アテナは女神としては珍しく甲冑をまとった
姿で描かれます。ギリシャの影響を受けた後のメンルファも、しばしば甲冑、槍、盾、ゴルゴン等と一
緒に描かれます)
、医術を司るという役割はギリシャのアテナにはなく、メンルファおよびミネルヴァの
特徴です。ティニアの頭から生まれ出たときから既に、メンルファは甲冑を身に纏っていたと言われて
いますが、これなどはギリシャ神話のアテネの出生伝説の焼き直しでしょう。また、天候と関連づけら
れている点も、ギリシャのアテナとは異なります。このように、ギリシャのアテナの影響を強く受けて
はいるものの、メンルファはエトルリア固有の女神であり、言語学的にも(ギリシャ語説、ファリスク
語説等の若干の異論はありますが)エトルリア語の名前だと考えられています。
左図:エトルリア版パリスの審判。左から二番目の立っているのがメンルファ。
右図:前 6 世紀頃のメンルファ像。ブロンズ製。甲冑を被り、恐らく右手には槍を持っていた。
紀元前 396 年に激戦ののちローマに滅ぼされたエトルリア都市・ウェイイで発掘されたポルトナッチ
ョ遺跡は複合的な神殿地区で、大規模なエトルリア建築としては最初期のもののひとつであり、特にメ
ンルファの神殿があったことで有名です。ポルトナッチョの神域の大部分はローマ併合後に廃れました
が、メンルファ信仰だけはローマ時代にも続き、メンルファの神殿も栄えたことが記録されています。
恐らくこれは、メンルファの医療の女神としての側面が、病気平癒を願う人々を惹きつけたと考えられ
ます。ポルトナッチョからは人体を模したテラコッタ製の奉納品が多数出土していますが、これらも快
癒祈願と関係があるのかも知れません。
メンルファは、エトルリアで一番人気のあった神であるヘラクレスの妻であるとされ、マリスと呼ば
れる農業の豊穣の神を息子に持ちました。このマリスは、ローマ神話で戦争の神として知られるマース
と対応します。このあたりの婚姻関係はギリシャ神話とは大きく異なります。また、他のエトルリアの
神々と同様、メンルファもしばしば有翼の姿で描かれます。