何がエア・ドゥを破綻に追い込ん だか 2004年度企業論講義 航空輸送産業:補足説明 以下の文献によりまとめた 日本経済新聞社編『エア・ドゥ 夢はなぜ破れたか』日本経済 新聞社、2002年。 エア・ドゥ参入の背景と経緯 1996年6月、規制緩和策として「幅運賃制度」 導入 – 正規運賃の±25%の価格設定が自由に 大手3社は新千歳-羽田線の往復割引を廃止 – 往復43000円→48500円(ANA、JAL) 48000円(JAS) 北海道国際航空(エア・ドゥ)の設立 浜田輝男を中心として、北海道中小企業家同 友会の異業種交流会が母体に – 「北海道は外国なのか」「これでは企業も人も来な い」 草の根運動による資本金集め – 1口50万円の個人出資 – 1口5万円からの北海道国際航空支援持ち株会 1998年12月、運航開始 – 新千歳-羽田片道16000円(JAL25000円) 参入障壁は低くなかった CRSを持てなかった – 古典的予約システムで、予約管理が困難に リース料、 JALに委託した機体整備料が高価 – リース料26億円/年(2機) – 委託料24億円/年(整備、荷物積み下ろし) – 着陸料・税20億円/年 ↓↑ – 売上高100億円/年 行政は当初、新規参入企業を支援しな かった 発着枠の割り当て – 羽田発着枠3枠(申請12枠) 空港施設 – ボーディングブリッジ使用できず – 空港カウンターの面積・位置の不便さ 大手の対抗値下げを規制せず – JALの対抗値下げ(エア・ドゥ就航2日前発表) スーパー特売り 片道17000円(エア・ドゥ16000円) ANA、JASも追随 – 1999年公取委調査:「独禁法には抵触しない」 エア・ドゥの経営には弱点が多かった ノウハウ不足 – 路線免許申請の遅れ→就航遅れ→リース料11億 円の無駄払い – 低価格のみに依拠した営業戦略のなさ – M資金詐欺未遂事件 責任を持つトップの不在 – 2000年7月、浜田社長急逝 – 北海道庁に社長推薦を依頼し、迷走 北海道と道内経済界の支援は中途半 端だった 一見、大規模な支援 – 北海道は低利融資18億円、補助金20億円で支援 – 経済界は役員派遣、融資、出資 深入りしたくないが、破綻の引き金は引きたくな い – 浜田社長急逝後の社長探しでの混乱 – 道、経済界、エア・ドゥ役員のいずれも、財務面での 建て直しに責任をもとうとしない – 再建には不十分な支援を続ける 浜田輝男氏手記より 従来の北海道では新しいムーブメントを起こそうとして も、三段階、つまり 1 面白い話だね 2 できたらいいね 3 だれかやってくれたらいいね で終わっていた(中略)だれかではない自分がやるん だ。そう思ったときに、北海道をしばっている呪縛の正 体のようなものが見えてきた。その正体は「他力本願」 だ。いつも中央に依存していたから、自分でリスクを 取って意思決定ができなくなってしまった。
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