生物学 第4回 二人はめぐり逢わなかった 和田 勝 皆さんは「めぐり逢い」というと、福山雅 治と常盤貴子のTVドラマか、Chage & Askaの歌を思いだすのでしょうね。こ のタイトルの映画(1957)があります。 この映画を念頭に作られた「めぐり逢 えたら」(1993)という映画もあります。 2つの映画では結局、二人はめぐり逢 うのですが、この二人はめぐり逢えま せんでした。 この二人とは、ダーウィンとメンデルで す。 ダーウィン(1809-1882) メンデル(1822-1884) ダーウィンのお話は前回しましたので 今回は、メンデルを中心に遺伝のお話 をしましょう。 メンデルの出番 実はダーウィンと同時代にイギリス から遠く離れた(当時の感覚では) チェコのブルノの修道院でメンデル が遺伝の研究をしていたのです。 ここでメンデルに登場してもらわなく てはなりません。 でもその前に、遺伝について少しお 話をしておかなければなりません。 遺伝学とメンデル 変異があり遺伝するとはどういうこ とかを、メンデルはエンドウを使っ た実験で明らかにしました。 子が親に似ることはわかっていま したが、メンデル(1822-1884)以 前にはこれを説明することはでき ませんでした。メンデルは粒子的 な要素を仮定して見事に遺伝の 法則を説明することに成功しまし た。 遺伝 子が親に似る遺伝(heredity)という ことは、昔から認識されていました。 Kirk Douglas (father) and Michael Douglas (son) with Jack Nicholson 遺伝 佐田啓二 (father) と中井貴一 (son)、中井貴恵(daughter) 遺伝 三國連太郎 (father) と佐藤浩市(son) 遺伝 有名な例はHapsburg lips and jaw Ferdinand II Hapsburg’s pedigree Hapsburg lips and jaw Charles II (在位1665-1700) Philip IV (在位1621-1665) Alfonso XIII (在位1886-1931) By D. Velazquez 遺伝 ダーウィンのところで述べたように、す でに品種改良がおこなわれていて、 有用な形質を選び出して交配すること がおこなわれていました。 多くの人は、交配すると形質は、ペン キのように混ざってしまうと考えてい たので、遺伝現象をうまく説明できま せんでした(例:隔世遺伝)。 雑種の研究 このころまでに、花が生殖器官であ ることがわかったので、交配して雑 種を作ることが盛んにおこなわれて いました。 Joseph G. KoelreuterやF. Carl Gaertnerは、たくさんの雑種をつくり ました。 メンデルの実験 メンデルの発表した論文のタイトルも “Versuche uber Pflanzen-Hybriden” (1865)といいます(これはフランツ・ヨ ーゼフⅠの治世です)。 メンデルは予備的な観察によって、 形質がペンキのように混ざってしまう のではないことを確信して、実験を開 始しました。 メンデルの実験 メンデルはエンドウを選ん で実験をおこないました。 ●簡単に見分けられる安定した形質を持つこと ●他の花からの受粉の影響がないこと ●世代を経ても安定した繁殖力を有すること エンドウが遺伝の研究に適した性質をもっていたか らです。さらにメンデルは何代にもわたって自家受 粉を繰り返し、純系を得ました。 メンデルの選んだ形質 こうして34の中から、次の7つの形質を 選びました。 1)種子が丸いかしわがあるか(seed shape) 2)種子の色が黄色か緑色か(seed color) 3)花の色が紫色か白色か(flower color) 4)さやが膨らむかくびれがあるか(pod shape) 5)さやが緑色か黄色か(pod color) 6)花が茎全体につくか茎の頂端につくか (flower position on stem) 7)背丈が高いか低いか(stem length) 論文では3)は種皮の色となっている。 メンデルの選んだ形質 形質とは 形質とは、表現型として観察できる 遺伝的な性質を言います。たとえば 3)の「花の色」がこれに当たります。 花の色には紫と白があり、これらを対 立形質と言います。 純系というのは、たとえば花の色に 関して、自家受粉をすると紫の花あ るいは白い花しかつかない系統を言 います。 交配実験 最初に、メンデルは紫色の花をつけ る純系のエンドウと白い花をつける 純系のエンドウを交配しました。 人工交配 雑種第一代を得る 実験をおこなってみると、次のような 結果となりました。 すべてが紫の花をつけたのです。 優劣の法則 他の6つの形質についても、すべて 対立形質の一方(上の図の左側)の みが現れ、他方は現れません。 そこで、紫色の方を優性(dominant)、 白色を劣性(recessive)と名づけまし た。 純系同士の雑種第一代では優性の 形質しか現れないことを「優劣の法 則」と言います。 雑種第二代を得る そこで、こうして得られて雑種第一代 を自家受粉して雑種第二代を得まし た。 その結果は、紫の花は705、白い花が 224でした。 雑種第二代を得る 紫の花:白い花=705:224=3.15:1と なり、これは整数でほぼ3:1です。 このほかの6つの形質でも、、 雑種第二代を得る いずれも整数にすると3:1に近い値でした。 分離の法則 明らかに、劣性の形質はペンキのよ うに混ざってしまったのでもなく、なく なってしまったわけでもありません。 劣性の形質は覆い隠され、次の代で 分離して再び現れたのです。これを 「分離の法則」と言います。 メンデルによる結果の説明 これらの結果を説明するために、メン デルは粒子的な「要素」を仮定し、こ れが1つの形質に対してペアで存在 すると考えました。 たとえば、花の色をFとすると、純系 の紫の花はFFとなり、白い花はffと表 すことができます。大文字が優性、小 文字が劣性を示します。 メンデルによる結果の説明 純系の親 FFxff F F f Ff Ff f Ff Ff 雑種第一代 雑種第一代はすべて紫色の花となるこ とが説明できます。 メンデルによる結果の説明 雑種第一代 FfxFf F f F FF Ff f Ff ff 雑種第二代 雑種第二代は紫色と白色が3:1になり、 白色の形質が再び現れます。 二つの形質の場合 これまでは一つの形質に注目してき ましたが、二つの形質の雑種の場合 はどうなるでしょうか。花の色に加え て種子の形をRとします。 FFRR x ffrrとすれば、 雑種第一代はすべて、FfRrとなりま す。 雑種第二代は FfRr x FfRrで、FR、Fr、fR、frと いう組み合わせの、花粉と卵が生 じます。これを掛け合わせると、 FR Fr fR fr FR FFRR FFRr FfRR FfRr Fr FFRr FFrr FfRr Ffrr fR FfRR FfRr ffRR ffRr fr FfRr ffRr ffrr Ffrr 雑種第二代では (FFRR、2FFRr、2FfRR、4FfRr)、 (FFrr、2Ffrr)、(ffRR、2ffRr)、(ffrr) となり優劣の法則を適用すれば、そ れぞれの表現型の組み合わせの比 率は、9:3:3:1となります。 メンデルは豆の形と色を組み合わせ た交配実験で、315:101:108:32 (9.84:3.16:3.38:1)という結果を得て います。 独立の法則 それぞれの形質に注目すれば、いず れも3:1になり、二つの形質はお互い に干渉することなく、独立に分離の法 則が成り立っています。 これは、それぞれの要素が独立して 花粉と卵に分配されたことに対応して いると考えることができます。これを 「独立の法則」と言います。 メンデルが明らかにしたこと 1)一つの形質に対応する、独立した 「要素」という概念を導入する 2)「要素」は一つの形質に対してペア で存在し、花粉と卵が作られるとき に二つに分かれて分配される 3)「要素」には優性と劣性の性質が ある こう考えれば、実験結果をうまく説明することが できることを明らかにしました。 メンデルの法則は、、 1)遺伝の実験に適したエンドウを使っ たこと、実験準備を周到にしたこと、 実験技術が確かだった 2)多数の資料を収集し、数量的に取 り扱い、粒子的な要素を仮定して実 験結果を数量的に解釈した ために、実験結果をうまく説明するこ とができたのです。 メンデルの法則は、、 しかしながら、メンデルのこの発表は まったく理解されませんでした。 ヨーロッパの田舎の小さな学会での 発表だった、別刷りもほとんど読まれ なかったなどと言われていますが、数 量的な取り扱いや粒子的な要素など を理解することが、当時の植物学者 たちには難しかったのだろうと思いま す。 顕微鏡と細胞説で 顕微鏡の改良と細胞説に後押しされ て、細胞の観察が行われました。 染色体の発見、体細胞分裂、減数分 裂の発見が続きます。 細胞は、数を増やすために2つに分 裂します(体細胞分裂)。このとき、染 色体という紐状の構造が現れます。 ヒトの染色体 22対の常染色体と2本の性染色体があり、一 対のうち片方は父親から、もう片方は母親から もらい、ペアになっています。 メンデルの法則は、、 メンデルの法則は、1900年、彼の死後 16年(発表から35年後)に、3人の研 究者によって独立に再発見されます。 他の生物でも成立するこ と、また1902年のSuttonと Boveriによる遺伝の染色 体説により、メンデルの法 則は広く受け入れられる ようになります。 仮想的な要素から実体へ 植物では花粉や卵、動物では精子や 卵を作るときには、体細胞分裂とは 異なる様式の減数分裂をします。 減数分裂の過程は、ペアになった相 同染色体を二つの生殖細胞に分配 することでした。 つまり、メンデルの仮定した「要素」が 染色体に乗っていると考えることがで きます。 仮想的な要素から実体へ こうして、メンデルの考えた粒子状の 要素は、染色体という構造と結びつ いて、実体だと認識されるようになり ます。 それでは、染色体のどのような構造 が、遺伝を担う実体なのかが次の課 題になります。これについては、あと でお話しします。しばし、待て。 メンデルの法則が あてはまらない場合 二つの遺伝子が同じ染色体に載って いる場合は、メンデルの独立の法則 は当然、当てはまりません。 このような時、二つの遺伝子座は連 鎖(linkage)していると言います。 連鎖している場合 二つの遺伝子が染色体上で隣あい、 常に一緒に行動するなら、両者を一 つの遺伝子のような考えることができ ます。 このような完全連鎖が上の例でもしも 起こっていたとすると、紫の花で丸い 種子:白い花でしわの種子が3:1にな るでしょう。 連鎖している場合 染色体は長さがあるので、二つの遺 伝子座は一定の距離をおく場合がほ とんどです。 その結果、9:3:3:1とは異なる比率 となり、当然のことながら、独立の法 則はあてはまりません。 後にこれを利用して連鎖地図(染色 体地図)が作られます。 伴性遺伝 エンドウでは、性による違いは考えなく ても良かったのですが、動物ではそう はいきません。遺伝子が性染色体上 にあると、性とリンクした遺伝となり、3 :1ではなくなります(伴性遺伝、sexlinked heredity)。 ヒトの性染色体は、男がXYで、 女が XXです。 伴性遺伝 血友病が伴性遺伝 XAXaxXAY XA Xa XA XA XA XA X a Y XA Y Xa Y 保因者の母と健常者の父の場合、男 の子の半数は発病します。 血友病 血友病(hemophilia)というのは出血 しても血が固まらなくなる病気です。 ヨーロッパ王室の悲劇が有名です。 ビクトリア女王が保因者でした。その ため、第八王子レオポルドは発病し て31歳で死にます。 保因者の皇女達がヨーロッパ王室に 嫁ぎます。 ビクトリア朝 ビクトリア女王(在位1837-1901)の治 世はイギリス帝国の絶頂期で、シャ ーロック・ホームズが活躍し、絵画で はターナーやミレーが、音楽ではエル ガーが活躍した時代です。 そうそう、ダーウィンの「種の起源」が 刊行されたのもこの時代です。 ビクトリア朝 ミレーの「オフィーリア」 ターナーの「戦艦テメレール号」 ビクトリア女王 ビクトリア女王の家系図 ロマノフ王朝の悲劇 ニコライ二世に嫁いだヴィクトリア女 王の孫のアレクサンドラは保因者だ ったので、その子のアレクセイ皇太子 に血友病が発症します。 ロマノフ王朝の悲劇 皇女が四人続き、五番目にやっと生 まれた皇位継承者である男の子アレ クセイが血友病だったのです。 ロマノフ王朝の悲劇 これを気にした皇帝一家が宗教に走 り、宮廷に怪僧ラスプーチンの暗躍を 許し、ロシア革命の遠因になったとい われています。 1917年のロシア革命の後、一家はソ 連政府に拘束され、1918年に消息を 絶ちます。虐殺されたのです。遺骨の DNA鑑定で確認されました。 遺伝子の本体 メンデルの想定した要素は、後に「遺 伝子(gene)」と名づけられ、複数の遺 伝子が染色体に線状に配列している ことが明らかになっていきます。 さらに、遺伝子の本体はDNAあるこ とが、1953年に明らかになります。こ れについては後でまた話します。 今の知識で優劣の法則は たとえば種子の形 優性が「丸い種子」で、劣性が「しわ になる」です。 しわになるのは、種子中に蓄えられ 過ぎた水が失われるからです。 でんぷん貯蔵の過程で グルコースからでんぷんが作られて 種子に蓄えられます(これが発芽の 栄養になる)。 ところがグルコースをつなぎ合わせて でんぷんにする酵素(タンパク質)が 劣性では欠陥品になるため、グルコ ースが余ってしまいます。 そのため、種子中に(浸透圧のため) 水が蓄えられ過ぎてしまうのです。 今の知識で血友病は 血液凝固のメカニズム(カスケード反応) 血友病 第8因子(タンパク質)の遺伝 子はX染色体の長い腕の 末端近くにあります。 第8因子(タンパク質)が欠陥品にな ると、カスケード反応が起こらなくなっ てしまいます。 そのため、血液凝固がおこらなくなっ てしまいます。 血友病 男子の場合、Y染色体は X染色体に比べてとても 小さいので、YにはXの末 端に対応する部位があり ません。 そのため、男子ではXが劣性だと、そ のまま劣性が表現型に出てしまうの です。 つまり 目に見える表現型は、遺伝子型によ って規定されている 表現型(生物の形やはたらき)はタン パク質によって実現されており、その タンパク質を作る設計図は遺伝子の 本体であるDNAである 遺伝という現象の捉え方 遺伝子型 (genotype) DNA → 表現型 (phenotype) → タンパク質 遺伝という現象の捉え方 タンパク質が欠陥品になるのは、遺 伝子が異常になるからです。 遺伝子が異常になることを、「突然変 異(mutation)」と言います。遺伝子す なわちDNAにおこる突然変異とは? 待てしばし!
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