洪水の住家性鼠類に及ぽした影響 - Kyushu University Library - 九州大学

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洪水 の住家性鼠類 に及ぽ した影響
平 皆 馨 邦 ・三 宅 貞 祥 ・南
学
内 田 照 章 ・澄 川 精 吾 ・吉 田博 一
Effectsofthefloodonthehabitationofdomesticrats
YoshiKuniHiraiwa,SadayoshiMiyake,
SatoruMinami,TeruakiUchida,
SeigoSumikawaand
HiroichiYoshida
緒
昭 和28年6/j25日
言
よ り数 日間降 り続 いた 豪雨 の為,北
九 州特 に福 岡 ・熊 本両 県下 に於
け る遠 賀 川 ・筑 後 川 ・矢 部 川 ・菊 池 川 ・白川 の 諸7可川 は 氾 濫 し,そ
の流 域 地 方 は未 曾 有 の
大 洪 水 に 襲 わ れ 各 方 面に 甚 大 な災 害 を蒙 つ た.
そ の直 後 九 州大 学 に 於 い ては そ の 災害 の綜 合調 査 を企 画 し,学
専 門 分 野 の調 査 研 究 に従 つ た.わ
内 の 関係 諸 教 室 は夫 々の
れ わ れ は 動 物 に 関係 す る部 門 を分 担 し,8月
の初 旬 及び
中 旬 に福 岡 県 下 の主 と して遠 賀 川 ・筑 後 川 の流 域 に 於 け る水 害 現 場 に赴 い て調 査 を行 つ た
が,そ
の 内洪 水 の住 家 性 鼠 類 に 及 ぼ した影 響 に 関 す る もの を こ こ に報 告 す る.
今 回 の調 査 に 際 し乗 用 トラ ッ クの提 供 そ の他 種 々の便 宜 を与 え られ た 西 田農 学 部 長 ・渡
辺 農 学 部事 務長 に深 く感 謝 し,叉 調 査 に 同行 し助 力 され た 福 岡 女子 大 学 生 松下 愛子 ・飯 田
和子 ・田 島 幸 子 の 諸 嬢 に 謝 意 を表 す る.
調 査 の対 象 及 び 方 法
普 通 人家 内 叉 は そ の附 近 に 棲 息 す る ネズ ミを住 家 性 鼠 類 と云 い,都
が 国 で の主 な もの は クマ ネズ ミRattUSrattUSと
会 及 び 農村 を通 じわ
ドブ ネズ ミRattasnorvegiCUSと
種 で あ る.ク マ ネズ ミは 一一
般 に 家 屋 内 の 天井 裏 とか押 入 内 とか に 棲 み,ド
附 近 の溝 の傍 や 出 畑 に孔 を穿 つ て棲 む.農
の二
ブ ネ ズ ミは家 屋
作 物 に 大 きな 害 を与 え,伝 染 病 の仲 介 を なす の
は ドブネ ズ ミの 方 が甚 しい.今 回 の 調査 で は この 二種 の ネズ ミを対 象 と した.
普 通 或 る地 域 に於 け る棲 息 鼠 の種 類 及び 棲 息状 態 を調査 す る に は そ の地 域 に数 十 個 の捕
鼠 器 を前 夜 配 布 し翌 朝 検 す る の で あ るが,一 般 に 通常 の棲 息 状 態 なれ ば獲 られ る鼠 の数 は,
用 いた 捕 鼠 器 の数 の10%内
外 に 過 ぎ な い の で,正 確 を期 す る には 数 夜 連 続 して 捕 鼠 作業 を
行 うの で あ る.
わ れ わ れ の調 査 に於 い て は,捕 鼠 器 と して は パ チ ン コ・トラ ソ プ(擬 条 式 捕 鼠 器)及 び金
*九 州大 学 災害 調 査 ・ 生物 研究 班 第1報;九
学会 九 州支 部 会(昭 和28年10月22H於
州 大・
膿
学 部 動物 学 教 室 業 績 第208号
鹿 兄 島)に て要 旨 を講i演.
日本衛生動 物
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網 製 捕 鼠器 を 用 い た.前
者 は主 として 家 屋 の 周 囲 ・台 所 ・納 屋,後 者 は主 と して屋 内に 於
い て 用 い られ たが,捕
鼠 能 率 に於 い て 両者 の 間 に著 しい差 は 認 め られ なか つ た.毎 回 両 者
を 半 数 つ つ,計100個
の 捕 鼠 器 を 目的地 域 の 諸 農家 に配 布 し捕 鼠 を依 頼 し翌 日収 納 して 廻
つ た もの で あ るが,限
られ た事 情 の為
・
地 域 … 回 の み に止 まつた 故,結果
が 不 充分 で あ る
こ とは 免 れ な か つ た.
調 査 の 経 過 及0ご結 果
わ れ わ れ が 調 査 に 赴 い た の は福 岡 県下 に於 け る次 の諸 地 域 で あ る・
福 岡 県下 水 害 調 査 地(斜 線 の 部分 は 浸 水地 域 を 示 す).
1.遠
賀 郡 遠 賀 村 木 守 部 落,2.同
5.粕
屋 郡 仲 原 村,6.朝
老 良 部 落,3.同
倉郡 蜷 城 村 長 田 部落,7.三
遠 賀 都 遠 賀 村(8月3日
∼4日)
宗 像 郡 東 郷 町(8月4日
∼5日)
粕 屋 郡 仲 原 村(8月5日
∼6日)
朝 倉 郡 蜷 城 村(8月18日
∼19日)
三 井 郡 善 導 寺 町(8月19日
∼20日)
鬼津 部落,4。
宗像 君1嬢郷 町,
井 郡 鞍 導 寺 町古北 部 落.
以 下 各 地 に 於 け る水 害 の状 況 と調 査 の結 果 とを合 わ せ て記 述 す る.
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遠 賀郡 遠 賀村 は遠 賀川 の下 流 の 左 岸 に あ り,大 部 分 は平 坦 な平 野 に位 してい る.ヒ
植 木附 近 の堤 防 が 決 潰 して の ち約6時
間後 に 浸 水 した の で,そ
台 に避 難 した た め 人畜 の 被1}チ
は皆 無 で あ つ た.遠
個 の捕 鼠 器 を略
流の
の間 に村 民 や 家 畜 は 概 ね 高
賀村 で木 守 ・老良 ・鬼 津 等 の諸 部 落 に100
戸 数 に応 じて配 布 した.
木守 部 落 は 平 野 の た だ 中の 農村 で 戸 数 約100,各
戸 共軒 近 く(5∼6尺)ま
で浸 水 した.こ
の 部 落 で は クマ ネズ ミが2匹 獲 られ た.
老 良 部 落 は 遠 賀 川 の堤 防 沿 い に集合 した 戸数 約50の
低 い 所 で 床 ヒ4∼5尺
農村.他
方 は水 田 に 囲 まれ て い る.
の 浸 水,高 い 所 で も若 干 床上 に浸 水 が あ つた.こ
こ で も クマ ネ ズ ミ
の み2匹 が 獲 られ た.
鬼 津 部 落 は 遠 賀 村 の北 端 に あ り戸 『数
約80.農
に階 段 状 に分 布 して い る.従
家 は高 さ40m位
の 丘 の麓 や 中腹 ・頂 上
つ て部 落 の侵 水 は 丘 の麓 の農 家 に 限 られ,浸 水 度 は 土 地 の高
低 に よつ て大 体床上 す れ す れ か それ 以 下 で あつ た.こ
こで獲 れ た の は クマ ネズ ミ1匹 に過
ぎ な かつ た.尚鬼 津 部 落 の村 民 の語 る所 に よれ ば,浸 水 時 に 多 数 の ネ ズ ミや モ グ ラが,或
は泳 ぎ な が ら或 は死 体 とな つ て部 落 の先 端 の麓 に あ る公 民 館 に 流 れ つ い た との 事 で あ る.
結 局 遠 賀村 全 体 で獲 られ た5匹 は全 部 クマ ネ ズ ミで あつ て,ド
ブ ネズ ミは1匹
も獲 られ
な か つ た.尚 餌 だ け と られ て鼠 の か か らな か つた 捕 鼠 器 が 若 干 あつ た.
宗 像 郡 東 郷 町 は 全 然 水 害 を蒙 らなか つ た 土 地 で あ るが,比
較 の た め 調査 を 行 つ た.主 力
を 人 口稠 密 の 中心 街 に そ そ ぎ,附 近 の 久原 ・平 清 水 両 部 落 に も若 干 捕 鼠 器 を配 つ た.東
郷
町 では クマ ネズ ミ5匹 の ほ か ドブ ネ ズ ミ2匹 が獲 られ,平 清 水 部 落 で クマ ネズ ミが1匹 獲
られ た.
粕 屋 郡 仲 原 村 では 古 賀 園 ・河 原 ・四軒屋 等 の諸 部 落 にわ た つ て捕 鼠 器 を配 置 した が,如
何 な る理 由か 捕 鼠 成 績 は 頗 る悪 か つ た.恐
ら くは この 場 合,広 い 区 域 に わ た りまば らに捕
鼠器 を散 布 した こ とに よ る もの か と思 わ れ る.
古 賀 園 部 落 は 駕与 丁 池 附 近 の高 台 か ら平坦 部 にわ た る部 落 で,高
浸 水 は 見 られ な か つ た が,低
い 土 地 の 農 家 は床上2尺
台 に あ る農 家 に は 全 然
位 の 浸 水 が あ りこの村 で は最 も水 害
の大 き な地 域 で あ る.そ の 高地 の 部 か ら ドブネ ズ ミが1匹 の み獲 られ た.
河 原 部 落 は仲 原 村役 場 の 画方 約100mの
も床 下 乃 至 床 ヒ浸 水 で あつ た.こ
農 家 約15戸 位 か らな る小 さ な部 落 で,い
ずれ
こか ら は1匹 も とれ な か つ た.
四 軒 渥 部 落 は 飯 塚 に通 ず る国 道 に沿 つ た 平坦 地 で約25戸
る.浸 水 は 床上 す れ す れ 程 度 であ つ た.こ
の,農
家 を主 と す る部 落 で あ
こで も クマ ネズ ミが1匹
とれ た に過 ぎ な か つ た.
朝 倉 郡 蜷 城 村 は甘木町 の 南 に あた り筑 後 川 沿 い の 農 村 で 筑後 川 に よつ て 浮 羽郡 と境 を接
す る.村 に は 筑後 川 の 支流 で あ る佐田 川 及 び桂 川 が溜己れ て い て,過 般 の水 害 時 の豪 雨 に よ
つ て 筑後 川 の 水 位 が 高 くな つ た た め に 佐 田川 及 び桂 川 が氾 濫 し部 落 は浸 水 した .そ の上 隣
村 大福 村 田 中 部 落 附 近 で6月26日
ノi:後1時頃 筑後 川 の堤 防 が 決 潰 した た め約2時
の 影 響 を うけ て 夏iに浸 水 の 度 を加 え た ・ 水 深 は所 に よつ て異 るが8尺
すれ か,二 階 の上2尺 位 まで水 が来 た家 も あ つた.こ
間後 に そ
∼1丈 位 で 天井 す れ
の地 方 は毎 年 川 の氾 濫 に よ り度 々水
害 を受 け る の で あ るが,今 年 ほ どの事 は あ ま り経 験 しない との 事 で あ つ た.
浸 水 の最 も激 しか つ た長 旧 と云 う部 落 を選 ん で 調 査 した.長 田 は桂 川 に沿 つ た戸 数41の,
農家 を主 と した 部 落 で あ る.水 は 一 昼夜 停 滞 して い た と云 う.
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前 日捕 鼠器100個
を この 部落 の29戸 に 依 頼 して か け て も らい,翌
ミ7匹 が とれ て い た.叉
あ つ た.ド
捕 鼠 器 に か か つ て逃 げ た の が2例,餌
ブ ネ ズ ミは1匹
日集 め た所 クマ ネズ
を と られ た 捕 鼠 器 が7例
も獲 られ ず,棲 息 す る形 跡 も見 られ なか つ た.こ
相 当 の 浸 水 が 見 られ た に も拘 らず,こ
も
れ らの事 か ら,
の部 落 に は術 多数 の クマ ネズ ミが 健 在 して い る事 が
わ か る.
三 井 郡 善 導 寺 町 は 久 留 米 市 郊外 筑後 川王 流 に あ る 町 で あ る.こ
の町 の字 古北 部 落 を選 ん
で 調 査 した ・ 古 北 部 落 は 筑後 川堤 防 よ り数 百 米 離 れ た 戸 数50-60位
の,農
家のみの部落
で あ つ て 部 落 の 北 方 の堤 防 は2ケ 所 に わ た り決 潰 し そ のた め 瞬 時 に して 浸 水 した の で あ る.
これ は6月26日
午 前9時
時 で 二 階 の上2∼3尺
頃 で あ つ て そ の後4日
∼5日 間 浸 水 は 続 い た.浸 水 の最 もひ どい
位 で あ つ た と云 う.こ の部 落 も毎 年 一 度 位 は 庭 が 冠 水 す る位 まで 出
水 す る事 が あ るが,今 度 の よ うな 事 は 珍 しい との 事 で あ る.
この 古 北 部 落 で も捕 鼠器100個
を か け たが,翌
日 とれ た の は クマ ネ ズ ミ2匹 のみ で あ つ
た.餌 を と られ た 場 合 は2例 で あ つ た.
狭 い 地 域 に 捕 鼠 器 を集 中 した に も拘 らず,捕
鼠 数 や餌 を とつ て 逃 げ た例 の非 常 に 少 い事
は ・ この調 査地 に於 い て は浸 水 が急 激 に来 た こ とや 長 期 間 冠 水 して いた=i拝
な どに よ り,ネ
ズ ミの数 が 著 し く減 少 した 事 を示 す もの の よ うに 考 え られ る.
結 論
と 考
察
以 上 の 結 果 を綜 合 して 考 察 して み る と,水 警 地 に於 い て は クマ ネ ズ ミは 握 内 の天 井 裏 そ
の他 の高 所 に 逃 れ て 難 を 免 れ た が,ド ブ ネ ズ ミは洪 水 の為 に そ の棲 息 場 所 を襲 わ れ ,流 され
た り溺 れ た りす る もの 多 く,著 し く数 を減 じた もの と思 わ れ る.前 に記 した,遠 賀 村 鬼 津
部 落 の 山麓 地 点 に 流 れ つ い た 漂 流 鼠 は恐 ら くは大 部分 ドブ ネ ズ ミで あ ろ うと想 像 され る.
叉他 方 に は,浸
水 の屡 ζ あ る蜷 城 村 ・善導 寺 町 の如 き筑 後 川 沿 娼 の地 域 に は屋 外 に棲 む ド
ブ ネ ズ ミは 生 態 的 に生 活 し難 く,平 常 よ り全 く居 ない か或 は そ の 数 が 少 い と云 う事 も考 え
られ るが,こ
の点 の検 討 は 今 後 に 残 され た 問 題 で あ る.
Résumé
Northern
their
Kyushu
catchment
In August
in which
rivers
the
rat Rattus
Norway
higher
and
mentioned
in heavy
were
most
Prefecture,
of the domestic
rattus,
and
rains,
rivers
around
overflowed
and
flood in the end of June, 1953.
we went to Onga Village,
damages
in Fukuoka
the habitations
was caught
areas met unparalleled
Hinashiro
tremendous,
investigated
rats, Norway
Village
along
the
the
and
effects
rat Rattus
Zend6ji
Onga and
of the
norvegicus
Town ,
Chikugo
flood
on
, and house
in those areas.
rats
were
captured
dried
part
of Nakabaru
in Togo
Town
of unflooded
Village of flooded area
villages and town in which water came over several
rats were got, Norway
rats being never met.
Therefore
area
and
in the
but in the above
metres, only house
it seems that in the flooded
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areas the
Norway
or drowned,
the
house
rafters
rats decreased
as the water
rats
survived.,
of the ceiling.
Hinashiro
Village
invaded
being
in number,
their dwelling
escaping
The peasants
were d.rifted and. arrived.,
down the Onga river.
exceedingly
to the
alive or d.ead., to the
and. Zend.6ji Town
in summer,
level, are thought
to be very few in number
habitually
level, though
individuals
foot of the
rats,
river
living
or to be lacking
as
of rats
hill situated
to be Norway
so the Norway
drifted
in the house such
along the Chikugo
annually
cause they can not dwell
places
that abundant
Most of them are considered
be flooded almost
been
places of ground
higher
observed
having
rats.
are
used to
in ground
absolutely,
in such area.
Zoological Laboratory, Faculty of Agriculture,
Kyushu University
be-