455 洪水 の住家性鼠類 に及ぽ した影響 平 皆 馨 邦 ・三 宅 貞 祥 ・南 学 内 田 照 章 ・澄 川 精 吾 ・吉 田博 一 Effectsofthefloodonthehabitationofdomesticrats YoshiKuniHiraiwa,SadayoshiMiyake, SatoruMinami,TeruakiUchida, SeigoSumikawaand HiroichiYoshida 緒 昭 和28年6/j25日 言 よ り数 日間降 り続 いた 豪雨 の為,北 九 州特 に福 岡 ・熊 本両 県下 に於 け る遠 賀 川 ・筑 後 川 ・矢 部 川 ・菊 池 川 ・白川 の 諸7可川 は 氾 濫 し,そ の流 域 地 方 は未 曾 有 の 大 洪 水 に 襲 わ れ 各 方 面に 甚 大 な災 害 を蒙 つ た. そ の直 後 九 州大 学 に 於 い ては そ の 災害 の綜 合調 査 を企 画 し,学 専 門 分 野 の調 査 研 究 に従 つ た.わ 内 の 関係 諸 教 室 は夫 々の れ わ れ は 動 物 に 関係 す る部 門 を分 担 し,8月 の初 旬 及び 中 旬 に福 岡 県 下 の主 と して遠 賀 川 ・筑 後 川 の流 域 に 於 け る水 害 現 場 に赴 い て調 査 を行 つ た が,そ の 内洪 水 の住 家 性 鼠 類 に 及 ぼ した影 響 に 関 す る もの を こ こ に報 告 す る. 今 回 の調 査 に 際 し乗 用 トラ ッ クの提 供 そ の他 種 々の便 宜 を与 え られ た 西 田農 学 部 長 ・渡 辺 農 学 部事 務長 に深 く感 謝 し,叉 調 査 に 同行 し助 力 され た 福 岡 女子 大 学 生 松下 愛子 ・飯 田 和子 ・田 島 幸 子 の 諸 嬢 に 謝 意 を表 す る. 調 査 の対 象 及 び 方 法 普 通 人家 内 叉 は そ の附 近 に 棲 息 す る ネズ ミを住 家 性 鼠 類 と云 い,都 が 国 で の主 な もの は クマ ネズ ミRattUSrattUSと 会 及 び 農村 を通 じわ ドブ ネズ ミRattasnorvegiCUSと 種 で あ る.ク マ ネズ ミは 一一 般 に 家 屋 内 の 天井 裏 とか押 入 内 とか に 棲 み,ド 附 近 の溝 の傍 や 出 畑 に孔 を穿 つ て棲 む.農 の二 ブ ネ ズ ミは家 屋 作 物 に 大 きな 害 を与 え,伝 染 病 の仲 介 を なす の は ドブネ ズ ミの 方 が甚 しい.今 回 の 調査 で は この 二種 の ネズ ミを対 象 と した. 普 通 或 る地 域 に於 け る棲 息 鼠 の種 類 及び 棲 息状 態 を調査 す る に は そ の地 域 に数 十 個 の捕 鼠 器 を前 夜 配 布 し翌 朝 検 す る の で あ るが,一 般 に 通常 の棲 息 状 態 なれ ば獲 られ る鼠 の数 は, 用 いた 捕 鼠 器 の数 の10%内 外 に 過 ぎ な い の で,正 確 を期 す る には 数 夜 連 続 して 捕 鼠 作業 を 行 うの で あ る. わ れ わ れ の調 査 に於 い て は,捕 鼠 器 と して は パ チ ン コ・トラ ソ プ(擬 条 式 捕 鼠 器)及 び金 *九 州大 学 災害 調 査 ・ 生物 研究 班 第1報;九 学会 九 州支 部 会(昭 和28年10月22H於 州 大・ 膿 学 部 動物 学 教 室 業 績 第208号 鹿 兄 島)に て要 旨 を講i演. 日本衛生動 物 456 網 製 捕 鼠器 を 用 い た.前 者 は主 として 家 屋 の 周 囲 ・台 所 ・納 屋,後 者 は主 と して屋 内に 於 い て 用 い られ たが,捕 鼠 能 率 に於 い て 両者 の 間 に著 しい差 は 認 め られ なか つ た.毎 回 両 者 を 半 数 つ つ,計100個 の 捕 鼠 器 を 目的地 域 の 諸 農家 に配 布 し捕 鼠 を依 頼 し翌 日収 納 して 廻 つ た もの で あ るが,限 られ た事 情 の為 ・ 地 域 … 回 の み に止 まつた 故,結果 が 不 充分 で あ る こ とは 免 れ な か つ た. 調 査 の 経 過 及0ご結 果 わ れ わ れ が 調 査 に 赴 い た の は福 岡 県下 に於 け る次 の諸 地 域 で あ る・ 福 岡 県下 水 害 調 査 地(斜 線 の 部分 は 浸 水地 域 を 示 す). 1.遠 賀 郡 遠 賀 村 木 守 部 落,2.同 5.粕 屋 郡 仲 原 村,6.朝 老 良 部 落,3.同 倉郡 蜷 城 村 長 田 部落,7.三 遠 賀 都 遠 賀 村(8月3日 ∼4日) 宗 像 郡 東 郷 町(8月4日 ∼5日) 粕 屋 郡 仲 原 村(8月5日 ∼6日) 朝 倉 郡 蜷 城 村(8月18日 ∼19日) 三 井 郡 善 導 寺 町(8月19日 ∼20日) 鬼津 部落,4。 宗像 君1嬢郷 町, 井 郡 鞍 導 寺 町古北 部 落. 以 下 各 地 に 於 け る水 害 の状 況 と調 査 の結 果 とを合 わ せ て記 述 す る. 457 遠 賀郡 遠 賀村 は遠 賀川 の下 流 の 左 岸 に あ り,大 部 分 は平 坦 な平 野 に位 してい る.ヒ 植 木附 近 の堤 防 が 決 潰 して の ち約6時 間後 に 浸 水 した の で,そ 台 に避 難 した た め 人畜 の 被1}チ は皆 無 で あ つ た.遠 個 の捕 鼠 器 を略 流の の間 に村 民 や 家 畜 は 概 ね 高 賀村 で木 守 ・老良 ・鬼 津 等 の諸 部 落 に100 戸 数 に応 じて配 布 した. 木守 部 落 は 平 野 の た だ 中の 農村 で 戸 数 約100,各 戸 共軒 近 く(5∼6尺)ま で浸 水 した.こ の 部 落 で は クマ ネズ ミが2匹 獲 られ た. 老 良 部 落 は 遠 賀 川 の堤 防 沿 い に集合 した 戸数 約50の 低 い 所 で 床 ヒ4∼5尺 農村.他 方 は水 田 に 囲 まれ て い る. の 浸 水,高 い 所 で も若 干 床上 に浸 水 が あ つた.こ こ で も クマ ネ ズ ミ の み2匹 が 獲 られ た. 鬼 津 部 落 は 遠 賀 村 の北 端 に あ り戸 『数 約80.農 に階 段 状 に分 布 して い る.従 家 は高 さ40m位 の 丘 の麓 や 中腹 ・頂 上 つ て部 落 の侵 水 は 丘 の麓 の農 家 に 限 られ,浸 水 度 は 土 地 の高 低 に よつ て大 体床上 す れ す れ か それ 以 下 で あつ た.こ こで獲 れ た の は クマ ネズ ミ1匹 に過 ぎ な かつ た.尚鬼 津 部 落 の村 民 の語 る所 に よれ ば,浸 水 時 に 多 数 の ネ ズ ミや モ グ ラが,或 は泳 ぎ な が ら或 は死 体 とな つ て部 落 の先 端 の麓 に あ る公 民 館 に 流 れ つ い た との 事 で あ る. 結 局 遠 賀村 全 体 で獲 られ た5匹 は全 部 クマ ネ ズ ミで あつ て,ド ブ ネズ ミは1匹 も獲 られ な か つ た.尚 餌 だ け と られ て鼠 の か か らな か つた 捕 鼠 器 が 若 干 あつ た. 宗 像 郡 東 郷 町 は 全 然 水 害 を蒙 らなか つ た 土 地 で あ るが,比 較 の た め 調査 を 行 つ た.主 力 を 人 口稠 密 の 中心 街 に そ そ ぎ,附 近 の 久原 ・平 清 水 両 部 落 に も若 干 捕 鼠 器 を配 つ た.東 郷 町 では クマ ネズ ミ5匹 の ほ か ドブ ネ ズ ミ2匹 が獲 られ,平 清 水 部 落 で クマ ネズ ミが1匹 獲 られ た. 粕 屋 郡 仲 原 村 では 古 賀 園 ・河 原 ・四軒屋 等 の諸 部 落 にわ た つ て捕 鼠 器 を配 置 した が,如 何 な る理 由か 捕 鼠 成 績 は 頗 る悪 か つ た.恐 ら くは この 場 合,広 い 区 域 に わ た りまば らに捕 鼠器 を散 布 した こ とに よ る もの か と思 わ れ る. 古 賀 園 部 落 は 駕与 丁 池 附 近 の高 台 か ら平坦 部 にわ た る部 落 で,高 浸 水 は 見 られ な か つ た が,低 い 土 地 の 農 家 は床上2尺 台 に あ る農 家 に は 全 然 位 の 浸 水 が あ りこの村 で は最 も水 害 の大 き な地 域 で あ る.そ の 高地 の 部 か ら ドブネ ズ ミが1匹 の み獲 られ た. 河 原 部 落 は仲 原 村役 場 の 画方 約100mの も床 下 乃 至 床 ヒ浸 水 で あつ た.こ 農 家 約15戸 位 か らな る小 さ な部 落 で,い ずれ こか ら は1匹 も とれ な か つ た. 四 軒 渥 部 落 は 飯 塚 に通 ず る国 道 に沿 つ た 平坦 地 で約25戸 る.浸 水 は 床上 す れ す れ 程 度 であ つ た.こ の,農 家 を主 と す る部 落 で あ こで も クマ ネズ ミが1匹 とれ た に過 ぎ な か つ た. 朝 倉 郡 蜷 城 村 は甘木町 の 南 に あた り筑 後 川 沿 い の 農 村 で 筑後 川 に よつ て 浮 羽郡 と境 を接 す る.村 に は 筑後 川 の 支流 で あ る佐田 川 及 び桂 川 が溜己れ て い て,過 般 の水 害 時 の豪 雨 に よ つ て 筑後 川 の 水 位 が 高 くな つ た た め に 佐 田川 及 び桂 川 が氾 濫 し部 落 は浸 水 した .そ の上 隣 村 大福 村 田 中 部 落 附 近 で6月26日 ノi:後1時頃 筑後 川 の堤 防 が 決 潰 した た め約2時 の 影 響 を うけ て 夏iに浸 水 の 度 を加 え た ・ 水 深 は所 に よつ て異 るが8尺 すれ か,二 階 の上2尺 位 まで水 が来 た家 も あ つた.こ 間後 に そ ∼1丈 位 で 天井 す れ の地 方 は毎 年 川 の氾 濫 に よ り度 々水 害 を受 け る の で あ るが,今 年 ほ どの事 は あ ま り経 験 しない との 事 で あ つ た. 浸 水 の最 も激 しか つ た長 旧 と云 う部 落 を選 ん で 調 査 した.長 田 は桂 川 に沿 つ た戸 数41の, 農家 を主 と した 部 落 で あ る.水 は 一 昼夜 停 滞 して い た と云 う. 458 前 日捕 鼠器100個 を この 部落 の29戸 に 依 頼 して か け て も らい,翌 ミ7匹 が とれ て い た.叉 あ つ た.ド 捕 鼠 器 に か か つ て逃 げ た の が2例,餌 ブ ネ ズ ミは1匹 日集 め た所 クマ ネズ を と られ た 捕 鼠 器 が7例 も獲 られ ず,棲 息 す る形 跡 も見 られ なか つ た.こ 相 当 の 浸 水 が 見 られ た に も拘 らず,こ も れ らの事 か ら, の部 落 に は術 多数 の クマ ネズ ミが 健 在 して い る事 が わ か る. 三 井 郡 善 導 寺 町 は 久 留 米 市 郊外 筑後 川王 流 に あ る 町 で あ る.こ の町 の字 古北 部 落 を選 ん で 調 査 した ・ 古 北 部 落 は 筑後 川堤 防 よ り数 百 米 離 れ た 戸 数50-60位 の,農 家のみの部落 で あ つ て 部 落 の 北 方 の堤 防 は2ケ 所 に わ た り決 潰 し そ のた め 瞬 時 に して 浸 水 した の で あ る. これ は6月26日 午 前9時 時 で 二 階 の上2∼3尺 頃 で あ つ て そ の後4日 ∼5日 間 浸 水 は 続 い た.浸 水 の最 もひ どい 位 で あ つ た と云 う.こ の部 落 も毎 年 一 度 位 は 庭 が 冠 水 す る位 まで 出 水 す る事 が あ るが,今 度 の よ うな 事 は 珍 しい との 事 で あ る. この 古 北 部 落 で も捕 鼠器100個 を か け たが,翌 日 とれ た の は クマ ネ ズ ミ2匹 のみ で あ つ た.餌 を と られ た 場 合 は2例 で あ つ た. 狭 い 地 域 に 捕 鼠 器 を集 中 した に も拘 らず,捕 鼠 数 や餌 を とつ て 逃 げ た例 の非 常 に 少 い事 は ・ この調 査地 に於 い て は浸 水 が急 激 に来 た こ とや 長 期 間 冠 水 して いた=i拝 な どに よ り,ネ ズ ミの数 が 著 し く減 少 した 事 を示 す もの の よ うに 考 え られ る. 結 論 と 考 察 以 上 の 結 果 を綜 合 して 考 察 して み る と,水 警 地 に於 い て は クマ ネ ズ ミは 握 内 の天 井 裏 そ の他 の高 所 に 逃 れ て 難 を 免 れ た が,ド ブ ネ ズ ミは洪 水 の為 に そ の棲 息 場 所 を襲 わ れ ,流 され た り溺 れ た りす る もの 多 く,著 し く数 を減 じた もの と思 わ れ る.前 に記 した,遠 賀 村 鬼 津 部 落 の 山麓 地 点 に 流 れ つ い た 漂 流 鼠 は恐 ら くは大 部分 ドブ ネ ズ ミで あ ろ うと想 像 され る. 叉他 方 に は,浸 水 の屡 ζ あ る蜷 城 村 ・善導 寺 町 の如 き筑 後 川 沿 娼 の地 域 に は屋 外 に棲 む ド ブ ネ ズ ミは 生 態 的 に生 活 し難 く,平 常 よ り全 く居 ない か或 は そ の 数 が 少 い と云 う事 も考 え られ るが,こ の点 の検 討 は 今 後 に 残 され た 問 題 で あ る. Résumé Northern their Kyushu catchment In August in which rivers the rat Rattus Norway higher and mentioned in heavy were most Prefecture, of the domestic rattus, and rains, rivers around overflowed and flood in the end of June, 1953. we went to Onga Village, damages in Fukuoka the habitations was caught areas met unparalleled Hinashiro tremendous, investigated rats, Norway Village along the the and effects rat Rattus Zend6ji Onga and of the norvegicus Town , Chikugo flood on , and house in those areas. rats were captured dried part of Nakabaru in Togo Town of unflooded Village of flooded area villages and town in which water came over several rats were got, Norway rats being never met. Therefore area and in the but in the above metres, only house it seems that in the flooded 459 areas the Norway or drowned, the house rafters rats decreased as the water rats survived., of the ceiling. Hinashiro Village invaded being in number, their dwelling escaping The peasants were d.rifted and. arrived., down the Onga river. exceedingly to the alive or d.ead., to the and. Zend.6ji Town in summer, level, are thought to be very few in number habitually level, though individuals foot of the rats, river living or to be lacking as of rats hill situated to be Norway so the Norway drifted in the house such along the Chikugo annually cause they can not dwell places that abundant Most of them are considered be flooded almost been places of ground higher observed having rats. are used to in ground absolutely, in such area. Zoological Laboratory, Faculty of Agriculture, Kyushu University be-
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