21 世紀高齢社会の生き方を考える ∼学んで実践 役立てよう 世代交流へ

21 世紀高齢社会の生き方を考える
∼学んで実践 役立てよう 世代交流への架け橋を!∼
物流 LOGISTICS 平成 12 (2000 )年 1 月号
株式会社ロジタント 代表取締役 吉田祐起
新年明けましておめでとうございます。本稿が読者の目にとまるのは 1 月中旬で
すので、かの「Y2Kバッグ(Year 2000 bug:2000 年問題)」が一段落(?)した頃
ではないか、と思います。ある程度のコンピューターの誤作動はいたし方ないとして
も、サイバー・テロリズムの発生だけはあってほしくないものと願います。
さて、世紀の変わり目という人生にとって滅多とない貴重な転換期に便乗して、私
事で恐縮ですが、本誌と姉妹紙「物流ニッポン新聞」への拙著寄稿実績をこの際、総
決算させてみてください。新会社設立で経営コンサルタントに転身したのが平成 5 年
10 月でした。「物流ニッポン新聞」に「個人トラック制度導入への提言」8 回シリー
ズの第1回掲載を見届けて米国へ単身取材旅行に出掛けました。爾来、同紙では異例
と思えるほど 、毎回全面ぶち抜きの形で「個トラ関連論文」が掲載され、その回数は
実に 33 回に及びました。わたしの提言論文に対する反論論文の寄稿が出てこないま
まに、拙著だけが掲載され続けられましたが、あまりに大きい(?)インパクトゆえか、
平成 7 年 1 月号の本誌(当時・物流ダイジェスト)に転じました。それから今日ま
での 5 年間、わずか4回号の空白があったのみで、通算 56 回(号)の長きにわたっ
て本誌のページを提供していただいてきました。字数からすれば、5、6 冊の単行本
のボリュームに匹敵します。よくもまあ沢山書いてきたもの、と誰やらさんではあり
ませんが自身の頭を撫でてやりたい心境です。
念願のホームページも昨年末に立ち上げました。物流ニッポン新聞社のホームペー
ジにもリンクさせていただいております。ウエッブ・サイトと本誌を通して読者の皆
さんと接することを大変感謝します。
ところで、本誌はトラック運送業界の専門誌ですので、この業界に無縁なテーマの
寄稿文は遠慮すべきと心得ています。21 世紀幕開けの本誌の本稿にご覧のような
「21
世紀云々」って標題を掲げますと、それ自体は恰好のテーマ足り得るし、まんざら的
外れではないようですが、サブタイトルをみて「ン?」 ってな印象を受けられるので
ないかと思 います。これには思惑があるのです。まずはご一見お願いします。
未曾有とも言うべき経済社会の大変革が進行しつつある昨今、しかも世界一早いス
ピードで高齢社会に突入してきた日本ですので、21 世紀の生き方を巡る論議は老若
男女、立場の別なく、すべての日本人にとって大事なことです。全力投入の中距離ラ
ンナーがゴール直前になって、急きょマラソンに切り替えだ!と宣言されて困惑して
いる感じです。無理もありません、定年後の残り少ない人生をゆったりした気持で過
ごそうと思っていたのにおっとどっこい、まだ 20 年間の「余生」が待ち構えている
のです。20 年間という人生のスパンは余生どころか、レッキとしたもう一つの人生
です。それをどうして過ごしていくかは個人にとって重大な問題です。脇目もふらず
全力投球してきただけに、戸惑いを感じる人も少なくありません。とりわけ現役時代
にそれ相応な肩書を持っていた人たちは、定年後の長い人生をノンステイタスで過ご
すことに物足りなさを感じることも少なくありません。21 世紀高齢社会の生き方を
巡る論議が活発である訳です。
県も認めた
この副題
サブタイトルの『学んで実践役立てよう 世代交流への架け橋を!』は他ならぬ標
語募集への拙作受賞作品です。高齢社会のキーワードの一つである「生涯学習」に関
連する「第 11 回全国生涯学習フェスティバル東広島市大会(第 6 回東広島市生涯学
習フェスティバル)
」の実行委員会(委員長・上田博之東広島市長)が募集した「大会
テーマ」への応募作品です。残念ながら「最優秀賞」は逸しましたが、それなりに満
足できる拙作だと自負しています。ちなみに、最優秀賞作品は「今日の学びは明日へ
の生きがい」でした。ついでにご披露しますが、昨年の生涯学習フェスティバル全国
大会主催県であった広島県が提唱したテーマは「まなびが創る 新たなかけ橋」でし
た。拙作と似てる!?って、声が聞えてきそうですが、盗作類似作品では断じてありま
せん!広島県知事が次年度(2000 年度)開催県である三重県の副知事さんに大会旗
をバトンタッチする地元新聞の写真記事で始めて知ったのです。思わず、ガッツ!し
たものです。
ところで、脱線して恐縮ですが、
「みえけん」と言えば、わたしにとって実に心地よ
い響きがあるのです。大方の読者はご存知のように、三重県トラック協会はこのわた
しに、個トラ(個人トラック制度)講演を2度にわたって依頼された数多くない協会
です。かの反対ムードが台頭した前後にかけてでした。その三重県トラック協会が昨
年 11 月に津支部と南勢支部で開催された経営者・管理者向けの研修会「安全運行の
ためのドライバー教育」で講演機会を与えてくださいました。本誌の 1999 年 11 月
号、12 月号にその詳細を書きました。ことのついでですが、今月 24 日には同県ト
協「鈴鹿支部」でも同じテーマの講演依頼が舞い込んできました。「ドライバー教育」
はわたしの得意とするジャンルだけに大喜びって心境です。と、蛇足の情報で恐縮で
す。
さて、高齢社会を巡る提言活動、なかんずく「生涯学習」と「ボランティア活動」
に関しては、わが人生体験を通して一家言を持つに至ってきたわたしは、
「健康・生き
がいづくりアドバイザー」という立場もあって、生涯学習の理念には独自のものを構
築しています。手前ミソですが、そうした人生ビヘイビアがこんにちの経営コンサル
タント活動や講演・執筆活動を可能とさしていることは紛れもない事実です。
この拙作テーマの応募に際して、その「理由」を明記することが求められたのです
が、この際それを再現してご参考に供します。
『生涯学習の原点を「学びて思わざるは、すなわち暗し。学問の本意は実践にあり」
(米沢藩主・上杉鷹山)とするわたしは、生涯学習の実践の場こそがボランティア活
動であり、かつボランティア活動をすることにより新たな未知の分野に遭遇すること
から、更なる学習意欲を持つことになる、といった「双方向性」を強調する。故に、
「生涯学習とボランティア活動は“1本のあざなえる縄の如し”」を持論とする。
ときあたかも、文部省は小中学校を中心に子供たちとお年寄りの交流の場として整
備していく方針を決定された。生涯学習を単なる自己中心的なものにとどめず、あら
ゆる機会を通して広く社会に役立てることこそが肝要と考える。とりわけ、核家族化
でお年寄りとふれあう機会が少ない現代っ子、それゆえに古き良き時代の日本人の心
を大切にする国民性が忘れがちとなった若者たちとの交流の場を持つことが、高齢者
の生きがい対策にも通じると考えてこのテーマを選んだ。』
上掲の「理由」が本稿の趣旨を的確に言い当ててはいるのですが、
「学んで実践 役
立てよう 世代交流への架け橋を!」の理念を企業と地域と家庭の中で実践すること
の価値を以下に提言してみます。
責任企画で
シンポジュウム
「21 世紀高齢社会の生き方を考えるシンポジュウム∼学んで実践役立てよう 世
代交流への架け橋を!∼」
という名称のイベントを今年 3 月に広島市内で仕掛けます。
本稿のテーマは実は、此処に発します。わたしが会長を務める「ひろしま健康・生き
がいづくりアドバイザー協議会」と「財団法人広島市ひと・まちネットワーク」との
共催によるものです。厚生省の支援を背景に、
「健康・生きがいづくりアドバイザー」
の資格認定機関であり、われわれの母体組織である「財団法人健康生きがい開発財団」
(東京都文京区)との「業務受託契約」に基づく公開シンポジュウムです。
くだんのサブタイトルを演題に、わたしが基調講演をして、その後に4名のパネリ
ストによるパネルディスカッションを持ちます。その後に5つの「相談コーナー」の
ブースを開設して参加者との接点を持ちます。パネルディスカッションのコーディネ
ーターもわたしが兼務して意見や問題提起を誘導するのですが、でしゃばった役割を
果たすのは他でもありません。限られた応募締め切り期間を前に、協議会役員会で協
議する時間がなく、やむなくわたしが単独でこのテーマをもとに急きょ企画して応募
したのです。企画者の責任で引き受けざるを得なかった、というのが正直な話です。
前出の財団法人健康生きがい開発財団と「業務委託契約」を締結し、財団法人広島市
ひと・まちネットワークからも正式に「共催受諾」されたものであるだけに、このシ
ンポジュウムで提起する「理念」の提唱者としての責任を自覚した次第です。企画策
定だけはわたしがして、後は他の人にヨロシク!では恰好がつかないから、というの
がホンネでもあるのです。
ところで、「企業理念の構築(CI活動)」もわたしの経営コンサルティングのジャ
ンルですので、この種のシンポジュウムに伴う基調講演やパネルディスカッションの
コーディネーター役を演じるにも、ついついその「理念」を全面に押し出す内容や手
法になりました。何事によらず、理念の構築は大事と心得るからです。
変化への備え
高齢化社会
さて、21 世紀高齢社会の生き方を考えるには、これからの新しい世紀を高齢者だ
けがどう生きるかでなく、いずれ高齢者に仲間入りする若者たちも一緒になって考え
る必要がある、と先ず強調したいのです。高齢者とその予備軍とそのまた予備軍でも
ある、すべての人たちに向けたメッセージです。
21 世紀の日本と日本人のあり方を論ずるには、日本経済社会をグローバルな視点
で眺めながら考えることが求められます。その一つは、日本特有の労使慣行であった
年功序列給や終身雇用制が幕を閉じ、好むと好まざるを問わず、能力・実力主義への
移行を余儀なくされる時代に突入したことへの心構えや対応です。
高齢社会は様々の社会問題を孕みつつあります。介護保険制度の去就はその最たる
ものでしょう。先の経済審議会答申にあった「2010 年ごろを目標とした新しい経済
計画『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』
」を今一度吟味する必要がありま
す。本誌昨年 8 月号と 9 月号に書いた『経済審「高失業率・所得格差」是認 個トラ
制起業家精神で喝!』と、
『経済白書・労働白書・経団連提言 個トラ起業家精神との
一致』でも私見を述べました。
未だかつて政府や民間機関・団体などが口にしたことのない、否、タブー視さえし
てきたことが堂々と主張され始めました。その一つは「失業者の慢性化」の是認です。
具体的には 2010 年ごろの失業率は3%台後半から4%台前半と予測しています。こ
れからの 10 年間を精一杯努力した上での結果数字です。個人の能力格差が生む所得
格差も「是認」するって物騒な宣言です。みんなで渡れば怖くない、みんなで分かち
合っていけば安心だ、みんなで痛みを分かち合っていけば無難だ、って感じの生き方
を美徳としてきたこの国のシキタリが大きく変化しようとしています。
現下の史上空前と言える経済再生政策ですが、失業率の上昇をある程度抑える手段
ではあっても、昔の完全雇用を目指す気配は毛頭見られません。欧米諸国の失業率か
らみても当然です。所得格差に至っては同じ会社内、同業種、同職種でもシカリでし
ょうが、異業種との格差は必然です。
「他産業並みの賃金を」云々はナンセンスだ、は
わたしの持論です。
考えてみれば、超完全雇用と右肩上がりの経済社会にドップリとつかってきたわれ
ら日本の企業労使でした。働く場って何処にも転がっているさ、よりイイ労働条件の
職場を!とばかり強気なサラリーマンがあった一方で、経営者は人手不足を意識して、
よりイイ労働条件を整備して、どうかわが社へ!といった風潮でした。欧米先進諸国
の経営者に見られる「雇用の場の創出」という名の社会的使命感や評価基準は、どち
らかというと日本の企業労使の自意識に欠けていました。
現在は様変わりであることはご承知の通りです。雇用の場を提供してくれる経営者
様さまって感じです。当然の傾向と言えばトウゼンではあるのですが、この辺りの自
意識が経営者側にもっとあって然るべきではあるのです。そういった意味では経営者
の時代が到来したと言えるでしょう。
雇用対策問題と言えば、わたしの地元広島県で、県の呼びかけによる「県・経営者・
労働団体」のトップによる「雇用安定・創出三者会議」が開かれました。雇用確保や
新産業創出などの事業を盛り込んだプランを策定すると新聞は報じています。その成
果のほどは如何であれ、雇用創出の主人公である経営者側の優越感に満ちた顔が想像
されます。
インフレからデフレ経済への移行に伴う労使の力関係に逆転劇が垣間見れるのです。
同じ苦労をするなら、起業家精神を発揮して独立を目指そう!といった国民的ムード
の台頭や、それへの誘導も、21 世紀の生き方の一つでもあり得るでしょう。と、こ
れは個トラ提言者としての弁でもあるのです。
ところで、われら日本人が追求してきた「結果の平等」が失敗に終わり、代わって、
「機会の平等」が主張され始めました。一生懸命に頑張る者と、そうでない者の所得
格差を余り大きくつけないで置こう、という結果の平等を目指したのが今までの日本
人と日本の経済社会でした。みんなで分かち合う精神もここに至って不平等というこ
とになりました。
「機会の平等」に関しては、個トラ提言者のわたしにも論理があります。
「5両」の
最低保有車両台数規制という「(起業)機会の不平等」をもって、
「5両以上業者」と
いう結果の平等を策してきたのが規制政策です。
「1両の個トラ営業開始機会」という
名の「機会の平等」こそが、大事と思うのです。手前ミソでご免なさい。
リタイア組よ
後輩を気遣え
際どい話ですが、お年寄りの大学や、高齢者の団体などでお話する時によく触れる
ことがあります。現在年金でリタイア生活を送っておられる方々のほとんどは、前述
した「良き時代」を経てこられた人たちだということです。時折、耳にすることに、
「俺達はイイ時代に定年を迎えたものだ」と、あたかも傍観者の気取りでリスト旋風
や能力主義の渦中で苦労している現在の若者たちを観る人たちがあることです。正義
感の強いわたしは、正直言って窘(たしな)めたい心境になります。『「イイ時代に」
というのは胸におさめて、現役の人たちは大変だな∼あ!頑張りなさいよ!と励ます
心配りが大事ではないかと思うのです』と。
かく言うわたしとて、半世紀に及ぶ経営者人生体験者の立場にあって、それ(良き
時代)を味わってきた一人ではあるのです。クライアンツ会社の社員研修などでレク
チャーする立場にある現在のわたしは、そうした心配りをもって臨んでいます。この
辺りも「世代交流への架け橋」を演じているツモリです。
それにしてもですが、「サラリーマンって気楽な稼業」ってな流行歌や、
「釣りバカ
日記」って映画の企業労使主人公のユーモア的描写が、そうしたかつての日本の企業
風土を物語ります。21 世紀の企業社会では、残念ながらこんな光景は見られないで
しょう。というより期待してはいけないのかも知れません。寂しいことではあり、多
少のギクシャクは避けられないことですが、
「21 世紀高齢社会の生き方を考える」の
原点はこの辺りにもありそうです。
とにかく自力で
自分の人生
おりしも、1999 年度国民生活白書が発表されました。その内容をひと口に言いま
すと、
「国民に広がる最大の不安要素である雇用問題を全面に据え、個人の働きがいと
経済社会全体で一人ひとりの能力を生かすために、リストラに脅えるだけでなく、積
極的に自らの技能や能力を高めて、自己に適した仕事を自由に選ぶ(転職する)とい
う能動的かつ、前向きの人生を目指す発想を持ちなさい」ということのようです。
同白書の日本経済新聞社説評によりますと、
「従来の終身雇用慣行は生活の安定を保
障してくれたが、人生の選択の余地を狭めてもきた。この慣行が崩れつつある今、不
安は大きいが、これからは能力向上に務めさえすれば好みの職場を選べる『選職社会』
だと前向きにとらえ、力強く生きていこうではないか。これが国民生活白書の呼びか
けだ」と。
この種の白書では、とかく批判(のための批判?)をする学者・評論家がいらっし
ゃいます。この場合、どうやら共通した弁は、
「自己啓発の必要性は確かだが、その手
段の説明や、その結果についての情報がない・・・」といった類のものと見受けます。
意識改革が求められている働く人たちに、手取り足取りの指導を期待してのことかも
しれません。しかし、この辺りのことは自己責任でやるしかないと思います。現実の
社会はそれを求めているとしか言いようがないと思うのですが、どうでしょう?
働く人たち自身が起業家精神を旺盛にして、今までのぬるま湯的職場慣行から脱却
する決意と努力が求められているのです。他力本願であってはならないのです。経営
者はそれを期待して、情け容赦なくリストラを断行しています。
わたしが主張してやまない個トラ独立営業への機会の平等こそが、日本人にとって
急務とされるそうした国民的な意識革命を啓発するのですがね、と我田引水ですが主
張します。それにしても、この辺りのことも「21 世紀の生き方」で考えねばならな
い一つの課題ではあります。
これぞ日本人
心の充足
「前世紀」と言ったらドエライ大昔のようですが、20 世紀後半のわれら日本人の
生き方は、文字通り物質文明の追求に明け暮れました。今年で満 69 になるわたしは
戦前・戦中から戦後にかけた教育を受けましたので、その異常な進展ぶりに危機感を
募らせたひとりです。昔の「修身教育」を振りかざす気はありませんが、さりとてそ
れに類する教育が欠落したために生じてきたのが現在の日本人の心の荒廃ではないか
と考えています。
戦後の日本占領軍はGHQのマッカーサー元帥が仕組んだ、日本人を「骨抜き国民」
にする政策にまんまと日本人が嵌まったって見方もあります。責任を彼らに被せるの
はヒガミであって、反省すべきはわれら日本人です。
ま、その真実のほどや責任の所在の云々は別にしてですが、戦後の日本人は心より
モノを大事にしてきたことは疑う余地はありません。何としても取り戻さなくてはな
らないものは、日本人本来の良き国民性です。問題はそのことを自覚し反省さすもの
は何であるか、ということです。教育政策はその一つであるかも知れません。
しかしわたしは、それ(心の大事さへの自覚)を最も効果的に招来さすものは「足
ることを知る経済環境」だと言いたいのです。裏を返せば、物質的欲求に振り回され
る成長経済環境でなく、鈍化した経済環境ではあっても、精神的満足感や価値観で真
の幸せを求める生活姿勢に転換することではないか、ということです。直言すれば、
そうした経済環境を甘んじて良し、と受けとめる心と姿勢を持つことが不可欠ではな
いかと思うのです。
幸か不幸か、21 世紀の日本経済環境がそうした日本人本来の良さを取り戻す機会
を与えようとしている、と思うのです。前述の通り、失業者は相当深刻な率や数で慢
性化します。所得格差も拡大やむなしです。それが避けられない現実であると考えま
しょう。運悪く失業や低所得に甘んじなければならないセクトが台頭するとしましょ
う。
そのような人たちにとって生きる手段は一つしかありません。かつての物質的欲求
への生活態度をガラっと、変えるしかないことです。モノから心を大事にする生活へ
の大転換と、それへの意識革命です。物質的生活レベルの引き下げへの決断です。軽
自動車の売れ行きが普通車のそれを横目に増大しているのはその端的な現象です。食
卓を囲んで夫婦親子が互いに分かち合う心の会話をする家族交流は「精神的生活レベ
ルの向上」を招来します。それこそが 21 世紀の生き方の一つです。
少年時代のわたしは、英語が好きなことから、よくアメリカ映画を観ました。当時
のわたしたち日本人は心を大切にしていました。過度の物質的欲求の追求は端たない
行為とすら考えた時代がありました。米国映画で「暴力教室」って、のがありました。
黒の皮ジャンを着た若者軍団がモーターバイクで暴走する映画です。世間知らずの若
者のわたしでしたが、
「なんて、アメリカ人は野蛮な国民なんだろう!彼らには心を大
切にするものがないんだろうか!? ボクたち日本人は貧しくても心は豊かだ!」ってな
ことを思ったものでした。
どうでしょう、現在の日本がその後追いをしているのです。物質文明の開花には日
本人よりはるかに先んじた彼らの半世紀前の姿です。あの若者たちの姿は物質文明の
落とし子的産物です。その「後追い」の結果が現代の日本人社会の有り様です。
彼ら米国人は年々増え続ける膨大な数の難民移民を迎える中で、治安の不安は増大
するものの、一方では心の幸せの大事さを自覚しています。物質的欲求の追求の弊害
をわれわれより早く気付いて、今日に至ってそれを改めようとしているのです。キリ
スト教文明が背景にあることがその支えの一つでもあるかも知れません。
かのビル・ゲイツさんは晩年人生で、資産の 95 パーセントを寄付するとか。資本
主義経済はベンチャー企業経営者の申し子的人物をしてあの「心」です。単一民族で、
難民の受け入れには程遠い日本でありながら、現代の荒廃した家庭や学級崩壊の実態
を考えると、そのプロセスは数十年遅れの後追い現象ではないかと言わざるを得ない
でしょう。
こんなことを考えてきますと、バブル崩壊から現在に至る 10 年間と、経済審議会
が答申した 2010 年に向けた日本経済社会の姿を含め、通算 20 年間こそが日本人の
本来の良き国民性を取り戻す唯一、絶好、そして最期の機会だと言いたいのです。生
半可な期間における経済の再生は、ひょっとして日本人を根っからの骨抜き民族にし
てしまう危険性すらあると思います。
多少の痛みや苦しみがあっても、物質的欲求への飽くなき追求のみが人生でなく、
むしろ、それより心豊かで、より深みのある価値観に支えられた精神的幸せへの追求
機会とすることに意義があると思うのです。この辺りの提言こそが、そうした人生を
体験してきた高齢者の役割でもあると思います。若い世代の人たちへの 21 世紀の生
き方メッセージ足り得ると思うのです。
身の丈人生
意志ある選択
モノから心を重視する人生への転換には日本人特有の「横並び意識」からの脱却が
必要です。戦後アメリカから民主主義という名の平等主義を(誤って)導入した日本
は、逆に、それぞれの子供に見合った教育が出来なくなっているのではないかと思い
ます。
「お受験」事件はその結果の一つです。
週間ポスト誌の「世界の読み方」で竹村健一さんとドイツ在住の評論家・クライン
孝子さんとの対談記事が興味です。ドイツは「教育哲学」を持っている、と。ドイツ
では小学4年を終えると、大きく3つのコースに分類されるそうです。第1はギムナ
ジュームと呼ばれるエリートコース。第2はリアルシューレという中間管理職コース。
そして第3は職人コースのハウプトシューレです。
自分の能力に適した職業選択肢が窺われます。勉強することは嫌いだが、職人仕事
は好きでたまらないという人は、高校や大学へ進学することをあっさり断念して技術
屋人生を選択するのです。かの職人技術を讃える「マイスター称号」はそうした人た
ちの目標や誇りでもあるのです。自分に適した未来を自身で見つけてその道を喜んで
選ぶから、日本でいう「落ちこぼれ」といった発想はないようです。
おりしも、98 年度文部省調査報告を新聞記事でみました。「高校中退率の上昇が止
まらない」とあります。過去最高だった前年を 0.07 ポイント上回り、1年生の中退
率が 4.3 パーセントと高く、1学級で 2 人弱の中退者があるそうです。理由は就職な
どの「進路変更」が 38.5 パーセント、
「学校生活や学業への不適応」が 35.8 パーセ
ントなどです。前者の中退理由には2つの理由が背景にあると思います。1つは、父
親の失業などに伴う経済的理由。2つは勉強嫌いが窺がえます。後者の理由は言うま
でもなく勉強嫌いです。
この統計資料をみて思うのです。かねてよりのわたしの持論ではあるのですが、ド
ダイ勉強が嫌いな子供まで無理して進学さすことはないと思うのです。進学を強要す
ることはその子にとって不幸なことです。国民の教育水準が高くなることは良いこと
ではあるのですが、丸暗記や○×教育で、独自の想像性や創造性に欠けたり、人を傷
付けて何とも思わない人間を作って何がトクになる!と言いたいです。そんな薄っぺ
らな人間性だからヘンな世の中になるんだ、と言いたいのです。進学(勉学)は人生
の手段であって、目的ではありません!
かく言うわたしは幼年時代から勉強したかったが、家庭の事情(実父の死)で進学
を断念して職人自営業人生を選択したのです。得意の英語力を駆使して米国から2つ
の新技術の導入に成功し、独自で開発した実用新案商品の販売も兼ねて、二十歳時代
から全国を講演・実演旅行してお金を稼いだことは何時か本誌で書きました。こうし
て書いたり喋ったりが出来るのも、あの青春時代の職人人生体験のお陰です。勉学の
場は学校だけではありません。自身の心の中にあるのです。生き証人の弁だから説得
力はあると思います。
先日、ある経営者会合で、イタリアで靴職人修業をして広島市で開業している女性
の話が出ました。例会でスピーチをお願いするのと、わたしが両足にギプスを装備し
ているため、既製品の靴ではジャイアントサイズでないと駄目なことから、その職人
さんにオーダーメードをお願いしてみたところ、大忙しで両方とも断られた始末です。
どうですか!?
靴職人は希少価値の存在です。儲かって笑いが止まらないかどうかは別として、仕
事は山ほど控えているのです。一方、ネコも杓子も高学歴社会をイイことに、われも
われもと進学したのです。入学は難しいが、卒業はトコロテンってな調子で、デス。
「諸君は苦労して本学に入学した。これからは大学生活をエンジョイして欲しい」と、
入学式で真顔で挨拶をする学長さんすらいるのです。学歴はあっても学力のない学卒
者の挙げ句の果ては失業です。
トラック運送会社をクライアンツに持つわたしは、ドライバー教育の一環にこんな
時代の変化を語り伝えることにしています。リストラされたホワイトカラー族がタク
シー業界やトラック業界に流れてきつつある現状を前に、ドライバーたちも「ライバ
ル意識を燃やせ」というのがわたしの特訓です。本誌 1999 年 11 月号と 12 月号に
書いたドライバー教育の拙論は読者のご存知のことです。21 世紀の一つの生き方を
示唆するに十分なものがあると思うのです。
「人生貴適意」
わが道をゆく
21 世紀の産業界は予想のつかない変革を重ねていくでしょう。それにつれて人間
の生き方や処し方の変革も求められるようになるでしょう。そうした目まぐるしい世
相の中で、一番幸せな生き方は、何と言っても「自分自身が好きなことを好きなよう
にやって生活できること」だと思います。たとえ収入が少なくても、です。前述した
「精神的生活レベルの向上」がそれを補ってくれるからです。この辺りのことはドラ
イバー教育の場でよく口にすることです。
こうした人生観を裏付ける名句に接しました。
「人生貴適意」
(人生意に適うを尊ぶ:
人生は思いのままに快適に過ごせることが大切である)がそれです。
実力・能力主義の世界に身を置き、ハイテク頭脳を駆使して猛烈な企業戦士ぶりを
発揮するサラリーマンが高額所得で内部留保し、時期を見てスピンアウトして自身が
納得できる新たな仕事に転職するというタイプのエリートたちの究極の人生選択肢に
も、そのことが窺われるのです。好きな職業を選ぶ「選職社会」は 21 世紀のキーワ
ードです。
リニア(直線)型人生からサイクリック(循環)型人生へ「循環型経済社会」の構
築が提唱されています。この場合の「循環型」は産業資源のリサイクル(再生利用)
構造を意味します。高齢社会におけるサイクリック型人生は、文字通り「循環の」
「周
期的な」人生パターンを意味します。具体的には、従来型の直線的人生は、特定の学
科を専攻した大学を卒業し、特定の会社に入社した後は定年まで勤めあげ、定年後は
特定の趣味か何かをやって人生を終える、といった人生パターンです。従来型と言え
るでしょう。
一方のサイクリック型は特定の学科に拘らず、複数の学科にも手を出したり、会社
勤めは複数企業を相手に転職することを辞さず、場合によってはスピンアウトすると
か、趣味に至っては幾つものものに手を出すなど、しかも配偶者と離別したら再婚す
るか、その勇気がなければ恋をして云々、といった人生パターンです。
実は、この後者のライフスタイルを提唱した人物は米国でベストセラーになった「エ
イジ・ウエイヴ(Age Wave)」の著者です。どうやら 21 世紀の生き方のヒントはこ
の辺りにもありそうです。かく言うわたしはその一人であることは、今まで本誌に書
いてきたことをご存知の読者の知られるところです。時代の最先端(?)を歩むヨシダの
証言でもあるのです。
このような 2 つの人生パターンを下手ですが、手作りの図表で表してみました。左
図は従来型の「リニア・タイプ」で、右図がくだんの「サイクリック・タイプ」です。
両者の人生パターンの解説は紙面の都合で省略して、読者のご想像に任せますが、一
つだけ補足します。
リニア型は人生の「軸足」が特定企業にベッタリと張り付いた恰好です。サイクリ
ック型の「軸足」は一点に位置し、一見不安定のようですが、おっとどっこい、80
年人生の輪の内側を必要に応じてグルグルと回転(転職)する機能性を持っているこ
とを意味します。在職中に職場以外の「出べそ」と、どれだけ広く関わりを持ちなが
ら定年期を迎えるか、が定年後人生の有り様を創り出すと言えるでしょう。
リニア・タイプの人生図
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(別紙)
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サイクリック・タイプの人生図
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(別紙)
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世代交流
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語り継ごう
現代の若者たちは現代の高齢者に比べ、比較にならない苦労をしている面は否定で
きません。コンピューターやIT(情報技術)など高度の機器や技術を駆使して生き
る生産活動の密度の度合いは加速されます。それだけに精神的で心の豊かさを必要と
します。2世代間で互いが補完しあうことが 21 世紀に求められると思うのです。
ヒロシマ原爆で被曝体験したわたしは九死に一生を得た者として、
「原爆語り部」の
役割を日本語と英語で演じる時期がいずれ到来することを心に秘めています。人類が
人類たるのゆえんは、先祖が築いたものの上に子孫が築き重ねることにある、という
ことを想うとき、われら高齢者の役割は極めて大きいと考えます。親が子にそれをす
る場合、得てして自慢話の繰り返しになりかねません。
「また、あの話だよ」とうんざ
りさすこともあるでしょう。語り部は技術を要するのです。
そんなとき、ワープロを駆使して文書に記したものをさりげなく子供たちの部屋に、
デスクに置いておくのも一考です。本誌 199 年 10 月 号 の拙著「レタックス営業
のすすめ文章力は営業力」が示唆する文章力の効果です。
経営者が社員に対する教育をする場合にも、以上鏤々述べたことがらを胸に語るこ
とが必要だと考えます。社員教育は生産性向上といった狭隘な目的でなく、人間・社
会人教育そのものであるからです。21 世紀高齢社会を踏まえたトラック運送事業経
営者に限って言いますと、
「後継者づくり」という見地から経営トップの座を息子さん
にバトンタッチするタイミングを逸してはなりません。
加えてご自身の身の処し方も大事です。オーナー経営者は終身会社から役員報酬を
とれると自負するゆえに、後継者づくりが立ち遅れることがあります。挙げ句の果て
に、自身の生きがい観が会社に固定されてしまい、周囲が困惑するケースも散見され
ます。世に言う老害ってヤツです。
蛇足ですが、わたしの提案は、高齢社長さんが退職金の一部でわたしみたいに「コ
ンサルタント会社」を設立して、息子さんが継承した会社の「経営顧問契約」を締結
して顧問料を取ることも一考です。
「俺が今の会社を育て上げたんだから、売り上げの
1%を手数料に寄越せ」と息子さん社長に要求するのも一つの手です。
本誌が業界専門誌であることを意識しての末尾のこのような生臭い話題ですが、つ
いでずっこけた話を加えます。許認可事業では業者団体と所轄大臣表彰制度がありま
す。この業界ではトラック協会と運輸大臣表彰、更には藍綬褒章 Etc.です。これらは
すべて連動していますので、会社を引退したらその糸がプッツンってのが実態です。
このことが経営者をして爽やかな後継者へのバトンタッチを遅らせていることは否定
できない事実です。
チョッピリ次元の低いことを書きましたので、カッコイイことで締め括ります。21
世紀の日本と日本人が、以上述べてきたことを意識して健闘すれば、世界に誇れる国
であり国民となれるであろう、ということです。21 世紀高齢社会の生き方を「日本
人文化」として世界に発信していくことにわれら日本人のグローバルな誇りと存在感
があると確信します。平均寿命世界一の記録を達成しているわれら日本人が、モノか
ら心の幸せを勝ち取り、高い精神文化の長寿社会国をかくして達成した!と世界の人
たちに発信していきたいものです。
(1999 年 12 月 17 日記)