イメージと実態からみる「サラリーマンの街」新橋の 特性把握に関する

2-2
新橋のイメージ
ここでは、
「新橋」を最も多く形容する「サラリーマンが多
い」
「飲食店街」
「オフィス・ビル街」に関する記事を、記事内
容を精読することで広く抽出し、
その描写内容を詳細に調査し
イメージと実態からみる「サラリーマンの街」新橋の
た。尚、記事は全部で 284 件に上った。
特性把握に関する研究
「サラリーマンの街」という語句は 1994 年に初めて記載さ
れ、2000 年代後半から記事件数が徐々に増加する(図 1)。描
Study of Analysis on the characterization of Shinbashi being
写内容は、
「いかにも男が好みそうな路地裏が残る」など猥雑
"town of salaryman" from the image and reality
とした雰囲気を表現しているものが多数見られる。
公共システムプログラム
一方、
「飲食店街」に関する記事の多くは、
「東京・新橋界隈
11-23360 真部恵伍 Keigo Manabe
(かいわい)の、昔からある大衆酒場」や、
「~が営む定食屋
指導教員 中井検祐 Adviser Norihiro Nakai
は、シジミのみそ汁が目玉商品だ。一杯二百円。」など、大衆
12
向けの酒場や定
1 はじめに
食屋に関する食
10
1-1 研究の背景と目的
事に関する情景
8
近年、マスメディアの急激な発達により人々は自ら訪れ、経
が描写されてい
サラリーマンの街
6
験したことのない街についても街の雰囲気やイメージを獲得
サラリーマンが多い
る。
飲食店街
することができるようになった。特に「サラリーマンの街」新
4
オフィス街、ビル街
「オフィス街」
橋など、簡潔な表現で示される街はメディアによって強く印象
2
については、臨海
付けられており、再開発などにおいても意識されはじめている。 0
部の高層オフィ
「サラリーマンの街」から示唆されるイメージのみで開発が
スについての記
進行すれば、新橋の歴史や実態によって形成された特性が失わ
図 1 記事件数と描写内容
事が 1990 年代に
れる可能性が存在する。
現れ、その後 2000 年初頭から、汐留の高層オフィス街に関す
そこで、本研究では、メディアの描写から、
「サラリーマン
る記事へと移り変わる。しかし、2005 年を境にこれらの開発
の街」と呼ばれる街において関係が深い描写を把握し、それら
に関する記事内容はみられなくなり、この代わりに古くから存
の記述から新橋がどのようにとらえられてきたかを調査する。
在する新橋西地区を指し示す「昔ながらのオフィス街」といっ
その上で、
「サラリーマンの街」の実態を調査し、記事の描写
た記事や、ニュー新橋ビル、新橋駅前ビルに関する記事件数が
と比較する。その後、新橋近辺の背景から「サラリーマンの街」
増加する。これらの記事では、新橋の猥雑としたオフィス街の
のイメージと実態の中に示される特性を考察し、開発における
風景を描写するものが多い。実際、2007 年には「サラリーマ
留意点を示唆することを目的とする。
ンの町・新橋から数分歩くと、~「汐留イタリアン」と名付け
1-2 本研究の位置づけ
られ~」と、記事内において汐留エリアがサラリーマンの街か
都市のイメージや個性に関する研究は、建造物の特性や来訪 ら切り離されはじめている。
者に対するアンケート調査から分析したものなど多数存在す
2-3 まとめ
る。この中で、メディアの描写する都市のイメージを研究した
1)
「サラリーマンの街」と関係がある描写として、
「サラリ
ものは、店舗情報に着目したものi、都市間の関係の変化につ
ーマンが多い」
「オフィス街」
「飲食店街」がある。
いて研究したものなど複数存在する。しかし、メディアの記述
2) 「サラリーマンの街」は 1994 年に初めて出現し、2000
と統計から分析した実態を比較し、都市の特性に言及したもの
年代後半に記事件数が増加する。また、猥雑とした雰囲
はない。
気を表すものが多く見られた。
1-3
論文の構成
2章では、新聞記事の経年調査から「サラリーマンの街」と
関係の深い描写を抽出する。3章では、2章で抽出された描写
に関する統計分析を行い、実態とメディアによるイメージとの
差異を明らかとする。最後に、4章では、歴史的背景や開発動
向から、3章で明らかとなった差異に着目した、新橋の特性を
考察する。
2
「サラリーマンの街」新橋の記事内容の変遷
1985 年から 2014 年までの朝日新聞の記事において、
「サラ
リーマンの街」を表現する描写を抽出し、分析を行った。
3
「サラリーマンの街」新橋の実態
本章では、2 章で抽出した「サラリーマンの街」と関係の深
い「サラリーマンの多い街」
「オフィス街」
「飲み屋街」という
描写に関する表2で示す統計量に着目して、主成分分析、クラ
スター分析などの統計分析から、
「サラリーマンの街」のイメ
ージの説明を試みる。
表2
調査項目の説明
調査項目
関係する描写
サラリーマン就業者数
サラリーマンが多い
通勤利用量
オフィス数
夜間人口
飲食店舗数
サラリーマンが多い
オフィス街
オフィス街
飲食店街
用いた統計の説明
各地域で働く就業者から明らかにスーツを着ない職種を
除いたもの(事務職業、販売職業など)
勤務・通勤目的で利用した回数
事業所数から飲食サービス業、小売業店舗を除いたもの
夜間人口
宿泊・飲食サービス業の事業所数
出典
国勢調査
パーソントリップ調査
経済センサス
国勢調査
経済センサス
2-1 「サラリーマンの街」に関係のある街の描写
3-1
表1 新橋にかかる形容語
まず、同じ文節内に「新橋」
小項目
新橋
神田
16
9
と「サラリーマン」の二つの単 サラリーマンの多い街
ビル街
12
3
語が含まれる記事を抽出し、
「新 飲食店街
7
4
若い女性でにぎわう
2橋」を形容する単語の分類を行 外国人観光客も多い
22った。この結果、54 件の記事が 親しみやすい
オヤジの街
2朝人通りが少ない
1抽出され、表1に示す「サラリ 学校が多い街
1
問屋街
4
ーマンが多い街」
「オフィス・ビ 本の街
1
若者の街
4
ル街」
「飲食店街」の 3 つの形容
詞が新橋の説明に頻繁に用いられていることが分かった。同様
の分析を、新橋と並び「サラリーマンの街」と描写される、神
田について行った場合も、上記の 3 形容詞が最も多く用いられ
ていたため、この 3 つの描写が「サラリーマンの街」と呼ばれ
る地域に深く関わるものだと推測できる。
新橋が属する港区と隣接する千代田区、中央区の全 29 地区
に関して、表3に示す統計量を、主に経済センサスを用いて調
査した。
表3
統計量からみた実態
調査項目の統計量
サラリーマン就業者
地区名
永田町
新橋
銀座
神田
勝どき
日本橋
[人/㎢(順位)]
514(28)
1187(24)
1080(26)
1767(22)
9068(1)
341(29)
通勤利用量
オフィス数 夜間人口 飲食店舗数
[トリップ数/㎢(順位)] [数/㎢(順位)] [人/㎢(順位)]
44721(20)
119582(2)
107520(3)
105887(4)
10748(28)
168007(2)
1276(21)
4258(4)
5363(1)
4435(3)
615(25)
4790(2)
1917(28)
3956(24)
4184(23)
5402(21)
25201(2)
1410(29)
[数/㎢(順位)]
171(24)
1545(2)
3452(1)
727(5)
189(23)
996(3)
まず、各統計量の他地区との比較から、統計量から説明さ
れる新橋の実態を明らかとする。新橋は、
「サラリーマンの街」
と描写されるものの、サラリーマン就業者数は全 29 地区中 24
番目と他地区に比べて多くはない。一方で、新橋には中小規模
のビルが多数存在しており、就業者数に比べてオフィス数は全
地区中 4 位と非常に多い。また、夜間人口は少ないが、飲食店
舗数、通勤利用量は相対的に高く、新橋の歓楽街的性格が強い
ことが読み取れる。
ラリーマンの街」のイメージに与えた影響を考察する。新橋は
戦後すぐに駅の西側に都内最大級の闇市ができる。やがて闇市
は、テキ屋集団により組織化され、露天商からバラック小屋が
並ぶマーケットへ変貌していった。1947 年に料飲店の営業が
禁止されると、隠れて営業を行う飲み屋がこのマーケットの中
3-2 「サラリーマンの街」新橋の実態
本節では、3-1 で用いた 5 つの統計量に対して、主成分分析 心となり、以後の飲み屋街の形態が確立する。その後、1960
を行い
(表4)
、
この結果得られた上位 2 成分
(累積寄与率 89%) 年代に入り市街地改造法が成立し、都市整備が行われる過程で、
1966 年に「新橋駅前ビル」
、1971 年に「ニュー新橋ビル」がそ
を用いてクラスター分析を行う(図2)
。
まず各変量の主成分負荷量に着目する。主成分 1 は(表 5)
、 れぞれ竣工することとなる。この際、西口に位置する「ニュー
「通勤利用量」
「飲食店舗数」
「オフィス数」が正に、「人口」 新橋ビル」の設計は、当時
「サラリーマン就業者数」が負に強い相関を示しており、居住 のマーケットの営業者たち
表4 主成分の固有値と寄与率
が組織した「市街地改造法 交通網の整備
者、就業者以外の「来
主成分
固有値
寄与率
累積寄与率
対策同盟」が、
「メインの通 新橋近辺の開発
街者」に関わる指標で
1
3.295
65.90%
65.90%
りを狭くする」など、バラ
あると考えられる。一
2
1.177
23.54%
89.44%
ック時の飲み屋街の雰囲気
方、主成分 2 は、
「通
3
0.422
8.44%
97.88%
4
0.084
1.68%
99.56%
が残るような開発を提案し
勤集中量」以外の 4 つ
5
0.022
0.44%
100.00%
たことで、闇市の名残が残 図3 新橋周辺の開発背景
の 変 数が 正に 高 い相
表5 主成分の固有値と寄与率
るものとなった。
関を示しており、昼夜
変 数
主成分1 主成分2
このように、これら一連の飲み屋街の形成は、
「来街者向け」
を問わずに人が集まる サラリーマン就業者
-0.7797
0.6099
0.8866
0.2281
の「にぎわい」がある街の骨格をなすものであり、特に闇市の
「にぎやかさ」を表す 通勤利用量
オフィス数
0.8358
0.4786
性格を色濃く残した飲食店街の性格は、現在まで残る「猥雑さ」
指標であるといえる。 夜間人口
-0.8198
0.5610
「大衆的」という描写に深く結びつくものだと考察される。
この主成分を用いて 飲食店舗数
0.7282
0.4574
クラスター分析を行い、結果を散布図上に表わしたものが図2 4-2 新橋を中心とする交通網の発達
である。それぞれのクラスターの性格を見てみると、例えば麻
新橋の交通網の変遷は、1872 年の新橋-横浜間における日
布、高輪、白金が属するクラスター⑦は、
「職住近接ゾーン」
、 本初の鉄道開業まで遡ることができる。その後、1934 年に、
赤坂や浜松町など港区東部地区が属するクラスター④は「複合 東京地下鉄道の新橋-浅草間、1939 年に新橋-渋谷間、1963
市街地ゾーン」と東京都の将来像で示される地区と一致する。 年に新橋-東銀座間が開通し、1995 年には、ゆりかもめが新
こ の中 で、 新橋 は特 に 橋駅を起点に営業を開始する。このように、新橋は、新たな交
主成分1 × 主成分2
「来街者向け」の指標が 通体系形成時に始終点駅として機能しており、サラリーマンの
⑤
①
⑥
高く、「にぎわい」のあ 乗降、通勤利用量が常に高い地区であった。現在のサラリーマ
るクラスター②に属し、 ン就業者数は確かに少ないが、このように交通結節点としてサ
③
「都心等拠点地区」と都 ラリーマンの利用に新橋駅が歴史的に供していることが、サラ
②
の 将来 像で 描か れて い リーマンが行き交うイメージの創出に繋がっていると考えら
にぎわい
る地区にあたる。このク れる。
⑦
ラスター②には、新橋の 4-3 まとめ
他に、神田や日本橋が属 1) 新橋のサラリーマンの街を形容する飲み屋街は、闇市に
④
しており、共通してサラ
起源をもち、「猥雑さ」「大衆的」という描写に深く結び
リ ーマ ン就 業者 数は 高
ついていると考えられる。
くないが、オフィス数が 2) 新橋は、都心の交通網の接続部としての役割を持つこと
高く、また飲食店舗数が
で、サラリーマンが行き交うイメージを持つ街となった
多い街であった。新橋と
と考えられる。
来街者向け
図2 主成分得点のプロット図
同様に、神田が新聞記事 5 結論
でサラリーマンの街と描写されていることを踏まえると、サラ
5-1 本研究のまとめ
リーマン就業者数の多少によりサラリーマンの街というイメ
1) 新聞記事で描写される「サラリーマンの街」のイメージ
ージが形成されるというよりも、クラスター②に表出される
は「サラリーマンが多いこと」「オフィス街であること」
「来街者向け」かつ「にぎわい」があることに関わる統計量こ
「飲食店街であること」であった。
そ、サラリーマンの街としてのイメージと深く関わっていると 2) 統計分析との比較からは、オフィス街、飲食店街という
考察できる。
点に関しては、一致が見られたが、サラリーマンが多い
1872 1934 1939
新
橋
駅
開
業
東
急
地
下
鉄
道
開
通
1963
東
京
高
速
鉄
道
開
通
1945 1946 1949
都
内
最
大
規
模
の
闇
市
が
形
成
1995 2002
都
営
浅
草
線
開
業
飲
料
関
係
が
中
心
に
駅
前
広
場
の
バ
ラ
ッ
ク
小
屋
整
理
ゆ
り
か
も
め
開
通
1966 1971 1982
新
橋
駅
前
ビ
ル
竣
工
ニ
ュ
ー
新
橋
ビ
ル
竣
工
第
三
次
広
場
事
業
整
備
汐
留
駅
開
業
2002
2014
汐
留
シ
オ
サ
イ
ト
誕
生
環
状
二
号
線
一
帯
の
開
発
計
画
2.5
人形町
銀座
2
勝どき
新富
1.5
八丁堀
1
主成分2
三田
-5
東日本橋
0.5
新橋
秋葉原
神田
日本橋
岩本町
-4
-3
麻布
-2高輪 -1
0四谷
0
1神保町 2
3
4
5
飯田橋
白金
-0.5
六本木
お台場
御茶ノ水
青山 赤坂
三越前
-1
浜松町
港南
築地
-1.5
-2
永田町
-2.5
主成分1
3-3
新聞記事の描写と統計量の比較
このように統計分析からは、新橋はサラリーマン就業者が他
地区に比べて少ないが、オフィス数、飲食店舗数などが多いこ
とがわかった。
この結果は、新聞記事の分析から明らかとなった「飲食店街」
「オフィス街」という描写とは一致するが、
「サラリーマンが
多い」という描写とは異なるものであった。
4
「サラリーマンの街」の個性
これまでの調査から明らかとなった新橋の「サラリーマンの
街」としてのメディアによるイメージと実態との差異に着目し、
本章では歴史的な背景や開発の取り組み(図3)からイメージ
形成要因を考察する。
4-1
飲食店街に関する歴史的背景
まず、
「飲食店街」に関する描写の歴史的背景と、新橋の「サ
3)
という点では乖離が見られた。
記事と実態の関係について、歴史的な背景や開発の取り
組みから考察した。
5-2
今後の課題
・来街者に対するヒアリング調査により新橋のイメージをより
詳細に調査すること。
・各時期の統計分析により新橋の実態の変遷を捉えること。
i 鈴木宏紀(2007) 「情報メディアが構築する街のイメージに関する研究」
【参考文献】
東京都(2009) 「東京の都市づくりビジョン」
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kanko/mnk/vi_00.pdf
経済産業省(2012) 「平成 24 年 経済センサス」
http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/census/
総務省(2010) 「平成 22 年 国勢調査」
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/