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教材研究(芥川龍之介)
小澤, 保博
琉球大学教育学部教育実践総合センター紀要(18): 39-62
2011-03
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/123456789/19028
教育実践総合 セ ンター紀要
第 1
8号
2
01
1年 3月
教材研究 (
芥川龍之介)
小棒
保博 *
TheSt
udyofTe
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ngMat
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sonA.
Ak
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agawa'
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WaYas
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えん ぎん そ す い
Ⅰ「
奇怪な再開」
水(
「
内藤湖南著。明
char
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C
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s
t
i
c
s
'
■
の邦訳。」)、
燕 山疏
そ せ つ し 上 うか ん
的三十三年刊」
)、妹新 小 観 (
「
速山東直、大谷藤治郎
序
「宙怪 な再 開」く
「
大阪軽口新聞」大正十年一一
月)は,
「
仁礼敬之著。明
筒こ
,明治三十六年刊。」)、北清見聞録 (
支那視察旅行 に行 く直前 に心 の準 備 を兼 ねて昔 か
治二十一年刊。高潮敏徳著cu
j
]
治三十七年刊。」)、長江
れ た、支 那 を舞台 に し支那 人 を登場 人物 に した作
「
株輪三乳 .
大正六年刊O
」)、観光紀瀞 (
欄等c
t
・
)
7
十年 (
せ い ぢん ろ く
1
,
ぽら
署。
」
)
、征 塵 録 (
「
未詳」
)、満州 (
暢常。大正二
はし上く
年刊。」)、巴 萄 (「山川早水著。」)、湖南 (
「
安井正太郎
も うけいれ ん
品
であ る。ちなみ に登場 人物 は孟 恋 蓮 とその恋 人
ゐ か いゑ い
金 であ る。二 人の生活空 間 は、支那 の威 海 衛 で時
代 は 日清戦争時 で 、彼女 は金 の共振 後 に 日本名お
れん
蓮 となって本所 に生 活 を営 む。この ように紹 介す
る とす か さず 自ず と作 品典拠 は、森 鴎外 「鼠坂」で
け
.
,
と
り
「
服部
」
)
、港 口 (
「
水野幸吉著。明治四十
著。明約三十八年刊O
」
年刊C」)、支 那風 韻記 (
「
未詳」
) 「それか ら支 那 人の
たいし
んいちとうし
書 いた本で は、大酒 一統志 (
「
酒の乾隆年間、陳徳ら
「奇怪 な再 会」
)題材 か ら云 って、鴎
が 、「これ は (
の軌撰。十八省に分ち、省ごとに図、表、分野、建置、沿
え
んとゆ)
ら
んt
_
」
)
,蕪都遊覧志
革、形勢などについて叙述。凡そ五百巻。
外 の F鼠 坂 』と鏡花 の ・
F三 尺 角iとを思 わせ る.」
(
「
未詳J
)
、長安客話 「明の蒋一葵撰、一巻C」)、帝京-
什芥川龍之介」十九)と指摘 して い る 「寄怪 な再会」
突正椀の 『
帝京放物略j ?」
)
」(
「
奇遇」
)
(
「
明の劉伺,f一
は芥川龍之介が従 来踏襲 した創作 のニ
ー
二
程 を踏 んだ
「寄怪 な再会」は、支那視 察旅行 を成す にお いて
あ る と類推 が 及ぶ。これ に就 いて は、夙 に普 圧]
精一
ねす み さか
さん しや く か く
。
(
作 品 で、鴎外作 品 を百家薬絶 中の もの に した創作
その心構 え と して従来 の方法論 を駆使 して成 した
行為 の一端 であ る 。 数 カ月後 に支 那 現 地 を踏 む上
芥川龍 之介作 品の典 型 であ る。心情 を支那世 界 に
で 、現実 の支 那 に対す る見聞 を踏 まえて創作 され
接近 させ るべ く払 った努 力 の-端 が 「奇怪 な再会」
た 「鼠坂」を学 習 し直 した紋であ る。支那 渡航 直前
の執筆 であ ったOその執筆動 機 は、
支那世情 の一瞥
「中央公論」大正十年四月)で は、目
の作 品 「奇遇 」(
か ら 「天鷲賊 の夢 」 (
「
大阪毎 日新聞」大正八年十一月
頭 で視察旅行 の準 備が 出来てい ない と噴 く場 面が
-1二 f
l)の幻 想葦 を創作 した谷崎潤 一郎 と軌 を一
あ るが 、これ は先 人の支那見 聞記 の読了 が未 だ成
に してい る。鴎外 「鼠坂」を典拠 に 「
奇怪 な再会」
されていない とい う意味であ る。日本 人、支那 人、
を創作 した行為 は 、谷崎 「秦涯 の夜 」(
「
南京野望
西 洋 人の書 いた支 那見聞記 を どれ も読了 していな
街」
)の衣装 を借 りて フロベー ル 「
聖 ジュ リア ン」を
い 、準備不足 の健 に出か けな くて ほな らない とい
典拠 に した 「
南京 の基 督 」(
「中央公論」大正九年七月)
び ろ う ど
Lん わ い
上
う 「小説家」(
芥 川龍 之介 )の懐 きを記 載 してい る。
と同 じ創作工程 であ る。後年 、西湖散策の折 に芥川
「日本 人が書 い たので は、七 十 八 日進 記 (
「
徳嵩蘇
龍之介 は、 自分 の支那 に対す る感傷 が誤 りであ っ
」
)
、支那 文 明記 (
「
宇野哲人著。
峰著。明治三十九年刊O
た事 に気付 いた。
な な じ ゆ うI
1ち に ち ゆ r
)き
ぴ ろ う ど
明治凶十五・
J
r
F刊O」
)
、支 那 漫遊記 (
「
徳富蘇峰著c
J
大正七
私 は とて もこの分で は、「天鳶賊 の夢 」(
「
谷崎
」
)
、支 那 仏 教 遺 物 (
「
桧本文三郎著。大正八年
軒 FU。
潤一郎の小説。同 じく西湖のほとりで美人にあい、そ
刊。
」)
、支那風 俗 (
「
井上紅梅著。大正十年刊。」)、支那
の秘密をさぐる主過。」)の作者のやうに、ロマンティ
人気 質
(
「イギ リス人アーサー ・ス ミス著◆
一
Chi
ne
s
e
ー3
9-
。(
「
江南源記」五)
ックにはなれないと思った
谷崎潤一郎 も二度 日の支 那滞在 、.
卜海での支
う
のいっはく
卯- l
i
l(
「
卯年生れの一日。-J
ut
_
六年 (
安政三・
1
1
=
)
.
J
那
文人 との個 別的な接触で支那 を舞 台 に した幻想的
作品 を書か な くなる。彼 の関心 は、昭和前期 の模索
碧 ・四線 ・五哉 ・六日 ・七赤 ・八仁い 九紫】に方位を
の時代 を経 て 日本古典 を介 して過去 の世 界に向か
急速漢 籍類 に依拠 す る創作 を避 ける ようになった
L
l
.
年に当て、吉凶を占うO
」
)にな ります 。
」(
中
配 し、
てきけんi
l
く
略)「私 の 占 ひ は櫛 銭 卜 什銭貨を投げて占う占
かん りいはう
術。
」
)と云 ひますo榔銭 卜は昔漢の京房 (
「中国漠
同時期 、芥川龍之介 も又典拠 に依拠 した創作行為
代の人U字は・
11
,
'
I
l
j
l
c梁人進延寿について易を修め、観
か ら離 れ ようと葛藤 し始め る。「寄怪 な印 会」は、支
那視 察旅行直前の作 晶「寄遇 」と同 じく典拠 に依拠
邦人`
:
j
:
などの官吏にもなったが、のち投獄頚椎せられ
せい
た.『
京氏易伝』を著わした。
」
)が、始めて笠 (
「め
した従来の創作方法 を駆 使 した創作作品である。
どぎによるIl
)
.
いこ
,めどぎはめどはぎの茎、のち竹を用
本論
れん l
ま
んじ上 上ニ
J
5
み
i横綱 町 。
本所は
お蓮が本所の横綱 (
「
東京都坦捌r
いたこ
,
」
)
に代へ て行った とあ る。御承知で もあ ら
ぜ'
.
.
い・
>か 与
う が、笠 と云 ふ物 は、- 交 (
「易の卦を組みたてる
多かった,
」)に囲 ほれ たの は、明治二 十八 年 の
ものO-卦は六糞から成るC」) に三 変の次第が あ
いつけ
り、-卦 (「占いで算木にあらわれる形象Oこれによ
う事 になる。谷崎潤一郎が 、支那の現実 を知 る事 で
はつふゆ
の判断をするO八つ
って天地間の変化をあらわし剖 東l
初冬 だっ たO (
「
奇怪な再会」-)
日清峨争 の結果小 国 日本 を侮 っていた老大 国支
いかいよい
那 は敗北 し、威海衛 に進駐 した E
]本軍 人に勝利 品
の韮本を八封 といい更に六四の変化をf
r
:
I
.
ずるO」) に
と して奪取 され異国 に暮 らす支那女の浮華 な人生
いO其処 はこの榔銭 卜の長所でな、- - -
十八変 の法が あ るか ら、容易 に吉凶 を判断 じ難
」
の始 ま りであ る。少年 時代 の記憶 に残 る生誕 の地
(
「舟怪な再会」三)
を舞台 に据 えるにおいては、幼時の類似 な記憶 を
書出精一脚注 「筑摩全集類衆芥川龍之介全集」の
遡 及させ る行為 と重 なる0人生敗残 の者が 、
密かに
補注 は、全て本論文では′
ト文字で記載 しているが
生活 を営 む描写 には鴎外 「雁」を摂取 した痕跡があ
その知識其糠 は広範脚に及び富 田精一周辺の当時
る。異 国に俺 しい生 を営 む、支 那女 の横 顔 を描 くの
l
帽巨之介が 「
易経」
の学級 を窺 わせ るO 上記 は、芥J
に作者 は、多方面 の作 品か らの部分的な摂取 を行
等 の知識 を披 露 している訣であ る。そ して、これ等
っている。
に就 いての害 r
t
l
精一脚注 は、今 日の視点か ら見て
「
婆 や、あれは何 の声 だ らう ?」
「あれで ござい ま
ごゐきぎ
r
l
l
,
型のサギで森や1
・
,
'
J
・
林にすみ
すか ?あれは五位 尊 く
も優 れてい る と思 う。
,
」
)で ござい ます よO
」(
「
7
,
i
収飛びながらギヤギヤ鳴 く,
来てl
=
1本宰l
お連 なる女 に変貌 して東京下 町で 「
易
怪な再会」-)
経 」 に依 る占いに よ り支那 で馴染 んでいた男の運
威海 衛 で生 活 していた支那女孟意蓮が、 日本 に
この二 人の俺 しいや り取 りは、
志 賀直哉 「
好 人物
命 を訊ね る。 彼女が こう した行為 に走 ったのは彼
」(
「新潮 」大正六年八l
l)か らの芥川龍之介の
女 を東京 に非合法で茂 致 して きた男 との会話か ら
の夫婦
ス タデ ィを窺 わせ る。さらに 「六の官 の姫 君 」(
「表
な かん づ く
であ るC
.
rおれの国の人間は、みんな焼 くよO就 中
現」大正十一年八月)で再度作 品中に構成 されたC最
おれ なんぞは、-」(
r
剖 重な再会」二.
)
、この男の発
終的 には、堀 辰雄 口焼野 」(
「改造 」拝
桝口
十六年十二月)
言 は 自分 の愛 人であ る支那女 を独 占 し、 日本に連
に収赦 され る技巧的 な会話場面 であ るO 日本で生
行す る為 に邪魔 になる彼女の馴染みの支那人であ
活 してい るお蓮 、本名孟普通 と して威海衛で支那
る金 を殺害 してい る串 を事前 に告 白 している。そ
^J
L
V
)
女 と して生活 していた時期 、彼女 には金 とい う愛
の夜彼女 は、玄 界灘 を越 えて見知 らぬ他国 口本 に
人がいた。彼 は事情 に拠 り、突如 と して彼女 の 目前
渡航す る苦難の船 旅 を夢 の中で追体験す るC 夢 中
か ら消 えて しまい、消息が知 れない。寂審感 に堪 え
の渡航 の船旅 は、硯体験 よ りも寂客感 に満 ちたそ
られ ない彼女 はあ る 日、銭湯の帰 りに愛 人金の行
1
Tん しや うだ う じん
うらな
方 を玄 象道人 (
「
神仙の道 を会得 した者 の称 」
)に占
れであった。船 窓か ら垣 間見た太陽 は、力 な く揺れ
って もらうO
のない彼女 に付 き添 うかの ように一 人の男が寄 り
「御 生 れ 年 も御 存 知 か な ?い や 、 よろ しい 、
ていて彼女の前途 を象徴 している。その時寄 る辺
添 う場 面 を作者 は、夢 中の彼女 に見 させ ている。
-E
!
X-
う
しろ
け ん しや うだ う じん
彼女 は思 はず振 り向いた。す ると後 には別れた
お蓮は、玄 象通人に導かれて一室 に招 き入れ ら
男が、
悲 しさうな微笑 を浮べ なが ら、ぢつ と彼女 を
れる。そこで 「
易経」による占いの儀式が執 り行わ
きん
・r金 さん。
」(
「
剖 敦な阿
れるが、細部 に及ぶ この記述 は芥川龍之介の東京
異国の 口本で彼女が、心中で心 の支 えに してい
下町での実体験 を窺 わせ る。
かのうは
軸 は狩野派 什室町時代に狩野元信が大成した日本
見下 してゐる。-
・-
会 」二)
る金は、悲 しそ うな微笑 を浮べて彼女の渡航の同
軍人によ り殺害 された自己の運命の無念である と
画の一派0日二
戸時代に探幽、明治初期に芳崖が出て画楠
か
の三
i
三流 を な し た 。」) が 描 い た ら し い 、
ふ ( ぎぷ ん わ う し う こ うこ う し
伏義文王周公孔子 (
「
中国古代の凶人の偉人.伏童は
同時に、異国に一人坊摸 う流浪の恋 人の力 に成れ
け個 古代の伝説上の帝王の名O型綾あり、農漁業を教
伴者 となっている。彼の 「
悪 しきうな微笑」は 日本
二
l
1
で
ない事の悔恨 の意味で もある。彼女は、
夢 中の l
え、八卦を担i
L、譜炎を造ったというO文.
i
'
.
は周の枇
の恋人の 「
悲 しさうな微笑」の意味 を解 く為 に 「
易
武王の父、儒家の模範とされる。周公は周代の政治家。
経」による占いで真実 に迫 ろうとす る。彼女の追及
文王の子で武士の弟C孔子は春秋時代の思想家。儒家
する真実は、幸運に も彼女の発狂 に よ り作品内部
の札っ
」
)
の凹大聖 人の画像 だった。「
惟皇たる (
「皇
これ く わ う
じや うて い
は大いなる r
惟畠上帝j(
協諮)
」
)たる上帝、宇宙の
ねが
わ
はうかう
神聖、この宝香 を聞いて、願 くは降臨 を賜へ 。 いう上
たゞ
猶予末 だ決せず、疑1、
所 は神霊 に質す。請ふ、
く わ うぴ ん
す みやか
「
大きいあわれみ」)を垂れて、速 に吉凶を示
畠懸(
に隠蔽 され、
暗示のみで啓示 されるC異国 日本に渡
航 し、病 む精神 の追随者 として寄 り添 う影の よう
な一 人の男の存在、これ らを作品内郭 に走着 させ
る芥川龍之介の精神 には同伴者希求の揺れる彼の
情緒があ り、心霊学 に心寄せ る作者の心理的な傾
し給へC
」(
「
奇怪な再会」四)
向 も見 られる。晩年 には、虚構化 された作品内部で
こう した占いの儀式 を経 ての結論 は、お蓮 は威
はな くて 自己告 白の形でこう した心情が吐露 され
海衛で馴 致んだ男である金には再会出来ない とい
る事 になる。
う悲観的な予想である。万が一 に も再会の可能性
南部修太郎 は、芥川龍之介の一連の心霊学 に依
はないのか と問い詰めるお蓮 に対す る玄象通人の
して ん の う
出来 なかった。女 に手の早 い この慶応 ボ ーイは、師
答えは、
可能性 の骨・
!
.
z
t
.
C
であるとい う返答であるOこ
さう さ う
の時の玄象道人の宣託言 うなれば宣言 は、「
拾桑の
へん
変(
「
桑畑が変 じて海洋となるような大変化。予想もされ
の愛 人 を寝取 る事で芥川龍之介に名作 「
薮の中」を
ぬ世のうつ りかわりのことC」)と云ふ事 もあるOこの
書 かせたが、
怪寄、
心霊 に寄せ た創作 に秘 した師の
東京が森や林 にで もなった ら、御遇 ひになれぬ事
拠 した作 品 を全J
l
1
1
定 したが.「
龍門の四天 王」の一
人である彼 には師の揺 れる精神の在 りようが掌握
繊細 、優美の神経 を理解で きなかったO この責め
もあ ります まい。
」(
「
寄怪な再会」四)
, この玄象道
は、日頃の芥川龍之介 自身の言動、行いに も安佐の
人の宣託が シェ イクス ピア「マ クベ ス」の魔女の預
一端があるo
」
無論、「
捨子 「
南京の基督
」
言の借用である とい う指摘 は、
菊地弘「
芥川龍之介
」
「
妖婆」
「影」
「
妙
事典」
(
「
奇怪な再会」
)が夙 に明 らかに しているC威
な話 「舟 隆な再会」の如 き作 品に到っては、氏
海衛での愛 人 との再会は、不可●
能である とい う宣
の怪奇 に対す る悪趣味 に出発 した、露骨過 ぎる
託 を受 けて以後のお蓮 は、作品中において客観的
柿へ ものである。(
「
新潮」大正十年六月)
に見れば精神の変調 を来たすのである。
東京丁 町でお蓮 と して生 きてい なが らも彼女
これは南部修太郎 「全体的 な体現 を芥川龍之介
氏」か らの抜粋であるが、「
龍 門の四天王」は師の
は、
威 海衛で馴染 んだ生活 を忘れ られない。
彼女の
本質 を理解出来 なか った訣である,
精神の変調の兆 しは最初愛 人の支那 人の名前 を無
。
きん
お蓮が、東京下町で恋人金の行方 を探索す る為
意識 に灰 に害 く行為 に顕 れる 「
金、金、金 、
」(
「
奇
に訪れ る 「易経」による易者の占いは、作者の実体
怪な朽会」了
T
.
)
、この彼女 の無意識裡の行為 は現在の
験 を偲ばせ るC
.
支那視察中の芥川龍之介 は、
至ると
東京での生活の惨 く、や るせ ない ものである事 を
ころで 占い師 による興行 を目撃 したであろ うが 、
窺 わせ るo
俺 しい彼女の生活にこの頃白い犬が、
生
男である彼が 自己の運命 を占った事 は考 え られな
活のF
Pに入 り込む。威海衛で孟恋蓮 として支那人
い。
の愛人 との生活に馴菓 んでいた噴、彼女の生活 に
ー4
1-
は白い飼い犬がいた0 日本名お蓮 として生 きる彼
身寄 りか ら精神の安定 を失ったのである。威海衛
女に過去の生活の断片が、入 り込む。現在の不如意
で生 き別れたと認識 していた愛人金 との再会が、
な生活の間隙 を縫 って過去 の生活が 、俊 食 して く
不可能であるとい う見通 しで異国での生活を支 え
る。偶然に拾いあげた白犬 は、
彼女の過去の生活の
る安'
f
J
E感 を喪失 したのであるo
断片である。 陸軍の軍人である旦那 も妾宅の婆や
占い師か ら愛 人 との再会は、不可能であるとい
も犬 を嫌 うが、その堺由の一端はお蓮の犬に対す
う宣託 を受けた直後に彼女 は自宅に迷い込んだ白
る溺愛である。客観的には、
彼女の溺愛で 白犬はお
犬 を飼い始める。威海衛で自大 を飼い、
愛人と馴染
んだ頃の生活の断片の復元 を目論 んだ訣である。
進 との生活 を・
一体化 させ、白犬はお蓮の睡眠中に
は番犬以上の役 目を果た し、旦 那との寛 ぎの時間
白犬は、やがてお蓮が 自分の気持 ちを率直に語 り
には二人の寝室 に入 り込む。
かける愛 人金の分 身 と化す。 お蓮が全身全霊の寵
お蓮は何 だかその眼つ きが、人のや うな気が
愛の対象である白犬は、やがて毒殺 されて彼女の
「
身性な再会」六)
してならなかった。(
生活か ら消 える。作品中で既 に幻聴、
幻覚の兆 しを
彼女 を番犬 と して護衛す る自大は、彼女の過去
見せ始めているお蓮の証言ではな くて、部外者で
の生活断片 を想起 させ る軍で無意織裡 に彼女の倍
ある婆 さんの証言 として作 中で語 らせ る創作上の
頼すべ き故郷の象徴である支那人の愛人の存在に
工夫 を作者は している。
たみや
「あの Fl
犬が病みついたのは、- さうさう、田宮
近づ く。旦那は、これに気付 き白犬 を殺害 したと憶
あ
の旦那が御見えになった、丁度その明 くる日です
測 される。
こう した荒涼たる精神状態 に置かれたお蓮は、
」(
「
奇怪な再会」十)
よ。
田宮 とい うのはお蓮の旦那である陸軍の一等主
ある日旦那 と日清戦争の幻燈 を見る経験 をす る。
てい ゑん
「
具体的には、それは 『
走遠』(
「
清剛 ヒ
洋艦隊第-の
計の命でお蓮、中国名孟意蓮 を威海衛の妓館か ら
甲鉄砲塔艦。黄海大海戦で活躍、u
J
J
治二十八年二月撃沈
ニユ
-チヤン
されたC
」
)の沈没 「牛荘 (r申I
司の遼東半良の町C
」
)の
る。お蓮が、
愛人金の分 身 として白犬 を愛玩す る事
激戦」などである。生死 を分 けた峨烈なる戦闘 も勝
で不快の念 を持 った旦那の牧野の命で白犬 を毒殺
利後の物語世 界では、
単純明瞭 な筋蓄 きである。陸
した と思われる。おそ らくこの犯行は、
二度 目の毒
軍軍人である当事者の軍人は、「
戦争 もあの通 りだ
らく
-」(「寄怪な再会」七)と素朴 な
と、楽な もんだが、
殺で安易 な行為であった と思われる。最初の毒殺
」
日本 に連行 す る役 目を担 った悪事 の実行犯であ
は、威海衛の妓館で女の愛人である支那入金を牧
感想 を漏 らす。自宅-の帰路で心情的に懐 旧の地、
野の憩 を受けて毒殺 した ものと思われる。 愛 人金
威海衛周辺の街並みを目撃 したお蓮 は、威海 衛 で
の分身である白犬 を喪失す る事で、この頃か らお
死んだ愛人金の幻聴 を聴 く。威海衛 に残 して きた
越の精神は、破綻 を見せ る。具体的には、死んだ白
愛 人の幻聴 を聴 く事で愛人 との再会 を期待す る気
さうさう
特が募 り、やがて彼女 は占い師の言 う 「槍桑の変」
犬の重みを夜具 に感 じた事、自大の三度鏡に横切
を夢 中で経験す るO 東京が-愛 して森 に変貌する
呼 び掛 けの声、幻聴 を聴 く。最終的には彼女は、寝
夢である。
味に横たわる旦那牧野の等身大 を愛 人である金の
わ た し ね ん りき
る幻影 を目撃するのである。 さらに金 さんか らの
「とうとう私の念力が届いた。束京は もう見渡す
ひとけ
きん
限 り、人気のない森 に変ってゐる。きつ と今に金 さ
それ と見間違 えるのであるO
」(
「
奇怪な
んに も、遇ふ事が出来 るのに違 ひない。
牧野 に対す る愛情 の欠如が理由ではな く、愛人金
再会」八)
に対する執着が強かったか らで もない。
彼女の精神が破綻 して行ったのは、旦那である
この決定的 な幻夢 を体験 させ るの に与 ったの
彼女は威海衛での妓館 にいた時にある程度の納
は、威海衛で金 さん と馴染 んでいた時に飼 ってい
得 を して興国 日本に秘密裏に渡航 したのであるC
たの と同 じ白犬の存在が大 きい。傍観者か ら眺望
彼女の精神が破綻 を来た したのは、異国での精神
すればお蓮 は、 この頃か ら発狂の兆 しを見せ始め
の支えを失 ったか らである。 第-にそれは支那語
た とい う事である。 お蓮が精神の破綻 を来た した
であ り、第二 にそれは食物である。第三に衣食住 を
のは、異国の地で言葉の壁 に遮 られ寄 る辺のない
含む支那 、威海衛で積み上げて来た人間関係の消
-L
1
21
減である。「
寄怪 な再会」で創造 した支那女孟惹蓮
今 日で も特殊政治集団に属する者 は、他者 との協
こと日本名お蓮には、 異国に生 を終 わらざるを得
調 などあ り得ない。周囲は狂人の振舞 に満 ちてい
か らゆ
ない当時の 日本女「
唐行 きさん」の而影が移 されて
いるようである。
る し、自らの政治結社 の規約 に背 く者は磯城すべ
き悪の巣窟である。独 自の色彩 を持つ大学では、
卒
以後の精神 の安定 を失 ったお蓮 に狂気 の発作
業生 は死に至 るまでに不変の秘密結社の一員であ
が、訪れる。部外者である婆 さんにより目撃 され、
る。人間が、いかに過去の生活信条に縛 られ生 きる
精神病の臨床例 として精神科の医師に報告 される
か、自分の生活圏を離脱す る事のいかに困牲であ
きつ もん
事例 となるのである。妾宅に牧野の奏が、
詰問に来
るか、
他者の理解がいかに敵船に満ちているか、人
襲する場面である。本案か らの罵声の声 を柳 に風
が 自己の意識下で認識する他者が真実の他者の等
と受け流 しなが ら、
平静 を装 っているのではな く、
身大の姿 とかけ離れた ものであるかを洞察 してい
事態 を正確 に認識する能力 を喪失 している状況で
る。
具体的に断定すれば、
支那女孟意蓮の発狂の兆
ある。婆 さんの 目撃状況は以下のようなものであ
しは、水、食物、空気、さらに付随する生活環境 に
もた ら
より蘭 された ものだ。
愛人金は、
失われた過去の生
る。
こちらの御新造は御玄関先へ、ぼんや りと唯
にら
坐ってい らっ しゃる、- それを眼鏡越 しに呪み
あが
なが ら、 あちらの御新造 は又上 らうともな きら
活の象徴であ り、金に対する執着が彼女 を狂わせ
た。
ず、悪丁寧 な嫌味のあ りったけを並べて御出で
1
.
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ま
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なさる始末なんです 。(
「
奇怪 な再会」十三)
密症のお蓮 を見舞 う為 に古馴染みの田宮が見舞い
旦那の本妻か らの詰問は、お蓮の認識では以下
ある脱胎獣 を話題 に過去の隠蔽 された秘密が暴か
の ような ものである。近 々米京は森 に変貌す るが、
れる。 官 を退いて民間業者 になった と思 しき牧野
わるでいね い
本所松井町の手広い二階屋の妾宅にある日、気
いやふ
を つ とせ い
に来る。手土産は艦的獣の缶詰であるが、
強勢薬で
その時は夫である牧野 と同伴で 自分 もこの妾宅に
に対 して田宮 は、ぞんざいな言葉で報酬するが、二
身 を寄せ たいがそれで もいいか とい う懇願 であ
人の立場が同等 になった事が窺える。過去の悪事
る。お蓮の この認識が、
彼女の胸の内に認識 として
が,瞬間的に暴露 されるのは、
威海衛で 日本帝国の
とどまる場合 は、好人物の妾の瀬舞いである.
,しか
陛群一等主計の地位 にあった牧野の権威が、民間
し、お蓮 は自己のこの認識 を旦那である牧野に披
業者である田宮の前で脆 くも崩れて しまっている
露す る事で 自己の精神的な破綻の状況 を露呈 させ
事が分かる。戦地で陸軍の権威に屈 して悪事の共
る。彼女 は、
妾宅に来た牧野に対 して本妻である滝
犯者 となった民間委託業者である田宮は、嘗ての
が、夫に準別
される事
を恐れていると告げるO「あ
=
・
しJ
.つ
ご しん ぞ
なた、後生ですか ら、
御新造 を捨てないで下 さい。
」
棟威 に対 して同等 、或は賎分の優越の地位に立っ
(
「奇怪 な再会」十三)
、とい うお蓮の発言で旦那であ
平穏 な東京下町の生活に威海衛での生活の断片、
る牧野は、お蓮の精神の狂気 に気付 くのである。牧
異常生活を共有 した田宮の暴露話が閑人する。
て過去の悪事の片鱗 を覗かせ る。牧野 とお蓮 との
「
(
前文省略)お蓮 さんとは世 を忍ぶ仮の名 さ。
野の取 った手段 は、妾宅 を本所横綱町か ら同 じ本
てぜ ま
1
,
とほや
ひらや
所松井町に移 し、住居 を 「
手狭 な平屋 ト・
)か ら「手
此処は一番音羽屋 (
「
音羽屋は歌舞伎俳優尾上家の
広い二階屋」 (
十四)に変えた事である。
屋号,ここでは前代日尾上菊五郎をさすa明治元年襲
「
寄怪 な再会」(
十二、十三)で取 り交わ されたお
名、世話物に名声を博 した女形。身分をかくして変名
蓮 と本妻滝のや り取 りを狂人 と正常 な者 との噛み
したり、別人に化けているF
r
人の娘が、後に本名をあ
合わない会話でその後の認識が、離齢 していると
らわしたりする芝居のさわりの場術をいう。」)で行
い う読みは安易である。「
寄怪 な再会」に滑稽感は
きたいねoお蓮 さんとは-」(
「
奇怪な再会」十四)
ない、あるのは我 々に忍び込む狂気の振舞である。
嘗ての上役である牧野の面前での関宮の この暴
狂人の母 を身近に 目撃 して成人 した芥川龍之介な
言は、日清戦争後平穏 な日常生活に 日々を送 る牧
らではの忍び込む狂気の怖 さである。 この作品執
野 とお蓮 との二人の男女にいやが上 にも威海衛で
筆の数年後に日本人は、 E
l
本教徒の信徒 としで 世
の戦地での乱雑 な生活 を想超 させる。 陸軍の権威
界中に展開 しで惨敗 を決す事 になるか らである。
を失った救野の面前で昔の出入 り葉者である関宮
‥E
!
堅-
は、お蓮に向い支那服 に衣装替 え して威海衛の妓
』・・・・- (
「
奇怪な再会」十六)
ったんだねえ。
館での乱暴狼籍の振舞 を強制するのである。 こう
縁 日で偶然 見つけた白犬 を懐か しい金 さんの分
した空気の中でお蓮の両 前 で田宮 は、決定的な暴
身 として認識 したお蓮 は、子犬 を抱 き抱 えて金 さ
言 を漏 らすのである。お蓮が馴染 んだ支那人の愛
んの分身 との再会 を喜 び自宅に連行 される。二階
人である金 は、 日本陸軍の軍人であった牧野の手
に居住す るお適は、すでに完全に精神は破綻 して
で秘密裏に処分 されているらしい事である。
(
「
歌舞伎の F
金看板侠客本店』【
河竹黙阿弥作、明治 卜六
いて 自分 の部屋 を威海衛 の妓館 と見聞違 えてい
l
lつ
る。部屋 の碓灯 は、
妓館のそれである。「
すると何時
る り とう
「
瑠璃製の燈器
か大井か らは、火 をともした瑠璃燈 く
つりさが
を川いか l
咽 のランプ。
」
)が一つ、彼女の真上に吊下
年】で有名な、江戸で名を売ったバクチ打ちの侠客甚九
ってゐた。
」(
「
奇怪な再会」十七)
、 さらに窓の外の
「
(
前文省略)君のや うに暗打 ちなんぞは食はせ
き ん く き ん くき ん か ん ば ん
じん く ら う
ないCいや、こ りゃ失礼,
3禁句禁句金看板の甚九郎
郎 【
明治二年投】の名を使ってのしゃれ。ゴロを合わせ
木 々に見 とれなが ら東京中が森 になった事 を認識
たもの。」)だつけO- お蓮 さん。一つ、献 じませ う。
」
す るお蓮の見る欄干 は、支那風 のそれになってい
あ じ ら ん
るo「
成程二階の雅字欄 (
「
縁側の欄が亜の字の組合わ
(
「
舟怪な再会」十I
L
g)
こうして威海衛で密封 された秘密 は、ふ とした
せの形に作られているものO中国建築の様式の一。」)の
外 には」 (
「
奇怪な再会」・
トヒ)
0
弾みでお蓮の知る所になったのである。
お蓮、支那女 と しての本名孟悲蓮の恋人金を抹
こうした状況の中でお蓮は、 自分の居住の二階
殺 したのは威海衛 占領1
=
F
.
であった F
l
本陸軍の軍人
を威海衛の姓館 と認識 し、白い子犬のいる生活空
牧野の仕業であったことが、判明す る。
間を愛 人金 との同棲の場所 と錯覚する。彼女の視
愛 人金を謀殺 したのは、 自分の旦那牧野である
な が じゆF
lん
線の向こうでは、子犬 の傍で金 さんは微笑を浮べ
かみ そ り
事 を知 ったお蓮は、二階の居 間で長稲梓の儲剃ノ
J
てお蓮 となって見知 らぬ異国で生 を営 む昔の愛人
を手 に して旦那である牧野 に対す る殺意 を募 らせ
支 那 女の行末を見つめているのである。 こうして
る。しか し、
一方で時計の振子は規則正 しく威海衛
読み続ける と数 カ月後に政情不安 な支那への数か
の妓館時代の朋輩の声 で彼女の殺意 を押 しとどめ
月の視察旅行 に出なければならない芥川龍之介の
るのである。この辺の記述の妙は、
幼時か ら狂人の
不安が、
「
奇怪 な再会」を生んだと言えそ うである。
母親 を見て育 った芥川龍之介の観察の冴えを感 じ
狂死 した実 馴 ま、他国を紡得す る自分 を見守 って
させ るC
くれるだろ うか、とい う心中の不安がお蓮 を造形
お蓮の理性 は、部分的には正常 に機能 していて
した と言 える,J
ある個所が狂いを生 じているのである。
お蓮、支那名孟窓蓮のその後は精神病院に生 を
「
弥軌 等橋 (
「
墨[
別夏桂川町にあった小楯O横綱E
l
l
r
終 えた らしい。作者 らしい分身は,精神嫡院の院
から約-キロ。」)へね。夜来 るo来るとき。
」(
r舟
長か ら寂 しい容貌の美貌の支那服の女の古写真
怪な再会」十五)
を見せ られる、 とい う設定である。
これがお蓮が、柱時計の規則正 しい振子の音か
結
ら聞 き取 った最 後の呼 び掛 けである。 お蓮の理性
「
舟 降な再会」は、作者が育った墨田区本所 を舞
は、病 んでいなが ら全て狂 っているのではな くて
台に している。この本所 に就いては、「
江戸二百年
時 と場所によって理性 に曇 りが生 じるO
の文明に疲 れた生活上の落伍者が比較的大勢住 ん
ら くこしゃ
お おぜ い
振子の音 に威海衛時代の朋輩か らの助言 と忠告
でゐた町である。
」(
「
本所両国」貰;
H
f
t
)と作者は後年
を聞 き取るのである。部外者 には聞 き取れないこ
の呼びかけは、精神 を病んだ者の特殊な波長であ
回想 を寄せているO作品中には、田宮が気彰症にな
を つ とせ い
ったお蓮に肥胴獣の缶詰 を手土産に本所松井町の
り、時 としてそれは預言的な神託 にな り、天才的な
妾宅 を訪れる場面があるが 「
奇怪 な再会」(
十四)
、
詩人の閃 きの言辞に もなるのである,
,弥軌 寺橋の
芥川龍之介 は「
本所両国」
(
「回向院」
)
に鼠小僧の墓
辺の縁 日の植木群 を見てのお蓮の発言は、完全な
の隣に艦肋獣供養塔のある事 を記述 しているO
狂人の発言である。
作 品上 に登場す る本所の地名は、全て幼児の芥
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森 になったんだねえOとうとう束京 も森にな
川龍之介に馴染みの町名であ り、創 作上の工夫の
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辺 に 住 ま っ た 支 那 女 の 伝 日日を幼 児
ん ぐはやめ に致 し候 」 と言 ってい るが 、ロバ ー ト、プ ラ
の 芥 川 龍 之 介 は 、記 憶 して い た 筈 で あ る 。ち な み に
ウニ ン '
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)の 「劇 的 1
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之 介 に 匹大 な彬轡 を与 えたO代 表作 「鼓の l
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」は、プ ラ
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「奇怪 な摘 会」は、i
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潮社」大正
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に心酔 した者の発想 で あ る。以下 「起鵜燈
」(
「鼠坂 」
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十年 三 月)に収 録 されたO収録 作品 には漢薫
別こ依拠 す る
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男 、深淵 とい う人物 が文 京区小 日向か ら音羽 にか けての
が あ る。料 I
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鼠坂 に壌邸 を新築す る前であ る。彼 は壌 邸 の新築祝 いに
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文を寄せ てい る。
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坂 に豪邸 を新築す る深 淵 は、「大 きい官 1には ないC実業
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家 には まだ開 か ないL
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略 )戦争 の時満州 で金 を繍 けた
人」 とい うのが 世問の 見方 で ある。戦 地で犯非の共犯者
であ る支 那誹 の辿訳で あ る平 山は、その 才能の発揮 場所
が限定 されイく
本.
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なが ら も相 変 わ らず外 地 、支那での生
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の通訳平 山の別れの言葉 を別離の ように感 じた事で分
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かる。「戸の搬みに手 を掛 けて、rさや うならJ と去った
活を余儀 な くされている。作 中での彼 自身の言紫で現在
の状況 を把捉す る とそれは以 r
lの ような ものであるo
り 上 う上 う
「これか ら又避陽へ締って、昏社 のお役 人を遡 らな くて
平 山の啓が小川 にはひどく不愛想 に聞えた。」 とい う感
な ん しん
はならない。智はそんな事はよ して南晴の方へ行 きたい
触である。
のだが、人生意の如 くな らずだ。
」、支那語の通訳である
こう して作 為の照明で泥酔か ら覚醒 させ られた小 川
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こ うぞ
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は、紅唐紙 (
「もと中国産で、新竹 と棺の皮をまぜて漉い
平山は生活の為 に外地に去 る事 を余儀 な くされていて、
成金 と して鼠坂 で安穏 な生活 を営 む探淵 にとって何等
た紙O脊I
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執繁用 として用いる。赤色は毛辺 と称 し、上
脅威ではないO戦時 と同 じく不本意な支那での生活を余
等o
」
)に 「▲
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春大 吉
儀 な くされてい る串 か ら彼の深淵 とは鵜 なる平凡 な生
〇セ ンチの紙片 に この四字 を番 き寺院や堂の入Ll
の左
き方が、窺える。
右にはる札。立春早朝 に吉事 を祈る もの。」
)の紙片を日
」(
「禅宗、主 として曹洞宗で長 さ二
りっ し0 ん
深淵 に とって問題 なの は内地での生活 を して行 く新
解 し、白分が殺害 した支那少女の週休 を目撃 して意識 を
聞記者小川の存在であるO彼の職業的特権 を行使 して枇
失 う、とい う設定である.強姦 され絞殺避体になった少
時での常輪 とそれに伴 う殺 人を暴露 された場合、深淵は
女の遺骸 は、小川か ら犯行の一部始終 を打 ち明け られて
財産だけでな くて社会的に抹殺 される可能性がある。こ
神都に至 るまで知織 を有 していた深淵の横 山であるo 演
う して深淵に よ り鼠坂 に新築 した豪邸の新築祝 いを北
じたのは、深淵 の恵 を汲 んだ彼の女 中の可能性が大 き
ねた新聞記者小川の謀殺の衡俵 は実行 される。実は、小
く、「
小締盟 な顔 を した、刑余出らしい女中」の容貌は殺
こ ぎれ い
ゐなか
川には密閉 しな くてはな らない犯罪歴があったC
.戟時記
害 された 「
すぼ らしい別品」の支那少女 との類似 を感 じ
者 と して従軍 した折 に宿舎の隣家 に潜 んでいた支那の
させ るり しか し、この場合探淵は新たな敵 を内包す る危
十代の少女 を強姦 し、犯罪 を隠蔽す る為 に事後の被害者
険がある。 淵の女房が一役買ったと考えるのが妥当だ
を殺害 している.車
引時下のF
.
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I
J
で彼は、F
ヨらの犯罪
が、彼女は 「色の貴い、髪の薄い、E
)
が好 く働いて、 し
の精神的 な負担 を軽 減す る為 に犯罪の先行者である探
か も不愛想な年増で」演技者 としては少々難がある。
深
あお
と しま
「
語間梢一一
は、「
合性 な再会」の創作には 鼠坂」と 「三
淵に事の頗朱を告 白 しているのである。F
lらの秘密盤の
強姦殺 人の犯罪歴 を細 部に至 るまでに深淵に告 白 して、
角J
・
i」か らの暗示があったと断言 して良い と言ったが、
精神 的な背痛 を逃れ よ うと した所 に新 聞記者小川の小
具体的にその暗示 は何かU「
鼠坂」に就いて言えば、戦時
心 さと、深淵に付 け入 られる余地があったL
,深淵は、豪
邸の二階の一・
賓 を支那での強姦殺 人が行 われた現場 と
卜の支那の生活 と人間関係 を平和神の東京 に持 ち込む
餌で生 じた乳樺 を主溝に据えた事であろう。
同 じ装 いに設 えて泥酔 した新 聞記者小川 を誘 い込むの
「奇怪な再会」で芥川龍之介が 「
鼠坂」か ら摂取 したの
は 、日本文化の基層に関わる主題であった.「
鼠坂」の深
であるO
そ こには小心 な新聞記者小川の精神的な外 傷 を十分
淵が、危険な外地での徳輪で財 を成 した串や犯罪 を健闘
に掌握 し、用意J
i
.
]
到に仕組んで深淵の幽策があったC
.第
す る為に協ノ
Jした支那人 を殺害 した事や新聞記者の小
- に新築祝 いの n程 を七年前 の犯罪 の行 われた 日程に
川が、強姦の犯罪 を抹殺する為に被害者 を殺害 した行為
合わせた弔、第二 に泥酔の小川の横たわった二階の小郡
に就いて、当事者 は事の重大 さを十分認識 して轍かった
かん
腿 を強姦殺人の実行 された支那の坑 (
「
k'
a
r
l
g(
中国語)刺
可音
別生がある。戦時下で しか も被害者が、支那人であっ
ゆか し た
鮮 または中国北方で行われる一棟の暖房。床下に火気 を
た事が戦地の雰 脚気の中で彼等の 日本的な感性 を抹殺
通 して室内をあたためるo オ ン ドル。
」
)のある部屋 を思
した(
.成海街の妓館で馴牡んだ支那女 との関係 を清算せ
わせ る作 りに した事 、第三に泥酔の小川 を犯罪の実行 さ
ずに自l
事I
に持 ち込んで、平穏な家庭生活 を営む串 を実行
れた時刻 に問題の支那風の部屋 に案内 した事等である。
した帝国軍人牧野の行為 を脳病院の医師は、同情 してい
深淵は、小川に七年前の犯非の記憶が蘇るべ く細心の細
奇怪 な再会」十
る。「考へれば牧野 も可哀 さうな男 さ。 「
。
」
(
工 を凝 らしている 「さつ きの話は旧暦の除夜 だった と
七)
く
:「鼠坂」は人間関係の監視度の高い日本か ら解 き放
君は云ったか ら、丁度今 日が七 回忌だ。」とい うのが深淵
たれた三人が、支那で密輸や殺人を犯 した後に平和 な日
が小川 を支那風の那伝圭に送 り込 む前 にか けた鍛 接の言
本で再会す る事で引 き起 こされた故意の殺人である。外
葉であるo小川が、深淵の第に落 ちて心理的に邪地に追
地で野放図に行われた犯罪の当事者同士が、母国で戦後
い込 まれている事 は二階で別の部屋 に宿泊す る支那譜
付会する串で悲劇は引 き起 こされた決で,彼等は平静は
-4
6-
監視密度の高い 日本社会で良識ある†
f
J
'
民 と して俳 性.
娘
麟 」と面会 した 叫で あ る。「上 海 済記 」(
「卜一群柄賎
の演技 をしていた とい う叫である。
・
く
きんじ小くさ
「
三尺角」の 「奇怪 な再会」に対する示唆 とは、八体的
民」
)の記 述 内容 は 、他 の二 人の 会見記 「上海 旋 記 」
(
「十三邸孝行氏」
)と 「上 海 併記」(
「
十八李人傑氏」
)に
」(
] 「新′
J
、
説」明i
f
l
t
三
三1・
二
には どの ような ものか(
,r三J
Uf
比 べ て遜 色が あ る。これ は、芥 川龍 之介 との会 見 を
年一月)は、深川木城の矧 和に現われた怪奇沸教を.
r
i
:
_
過
I
)P
I
.
s
i
に嫡気で伏せっているお柳 とい う
に据えている。豆 腐)
成 した 後の 三 人の 人物 の 出所 進 退 が 見叫 にそれ を
裏付 けてい る と,
I
i
l
.うOはか らず も芥 川触 之 介 は 、触
女性には、思いを'
.
i
l
l
:
せる学1.
の恋人がいるが掛 よ‥l
の手
意識 裡 の執 筆 文 にお い て三 人の その 後の行動 を予
で小石川に居住 しているt
,
お柳は、この恋人からr
深川のこ
言 的 に記 述 した と言 え る 。 終 始 一貫 鼓勢 な会 見 に
の木場の材木に紫が繁ったら、夫婦になって泊る」という手
き ぴ
さ,
紙を1
1
'
fう。木挽 きの少年よう
!
,
I
は、福音として 「
′
ト)
_
i
壬
の材木に
終 わ り、その記 述 は好 感 に満 ちて い る季 人傑 は 、会
葉が茂った、大変だ」とf
l
'
綿i
を伝える.その知 らせ を受け
第- 回全 国 代表大 会 十 三 人の一 人に なる。邸孝 行
t
い匝けら産党
見数 カ月後 に 自宅 を会場 に開催 され たI
くナ の さ
た夜、学士の恋 人はお榊に紫の繁った樺 を見せ られ、抱
'
l
E
.
・
i
i
l
f
・
俵 と行
は 、芥 川龍 之 介 との 会 見数 年 後 に宣統 ;
き耕せるとお柳のI
A
S
は消えている0校がr
f
J
]
けて知が.
つく
I
JI
J
h
'
・
と豆塔屋の前に立っていたoそ して、豆腐良三
で横臥 して
州 司の 国務 総理 の道 を歩 む. 邸孝
動 を共 に して 満・
いるお柳の妃を知るとい う筋,
_
I
i
:
さであるく
二数和後、「
三J
;
i
帝 樽儀 を裏 切 る封 に な るの は E
I
本 陸軍 の柵 暴 に よ
背が 満 州 国紙 製I
i
の地位 を中途 で退 き、結 果 的 に皇
こだ 王
l
f
J
」の終結部を独_
;
I
l
させL・
短軸として 「
本鞘」
(
「
小)
ミ
地」
明
る。章刑麟 との 会 見記 は 、多分 に滑 稽 なそ ぐわ ない
治三十四年六月)を糾作 し、木挽 きの少年輿吉が、「
材木が
筆 致 で終 始 して い る。 章柄 鱗 の最 後の政 治 的 な行
j
i
J
さながらお柳は、
微笑を浮べて{
E
R
:
'
人と
化けた」と叫ぶ'
)
'
L
了
をI
動 は 、貯 左・
叫 件i
J
I
i
I
.
一
拍に侵攻 す る E
l
本 に対
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i
)
r
ii
.
)合う。数年後
「
三)
・
l
J
l
J
拾遺」(
「
木精」
)と改過 した。両
作占
ほ も日清戦争後、川掛純争までの問の探川に住まう雑
す い えん し 上 う
抗す る為
に中 桓
供 政党 に按 遠 省 を与 えて共 に共 闘せ よ との
蒋 介石 替 純 で あ る 。.
章柄麟 の上 i
・
E
J
f
・
の 自宅 で寒 さに震 え なが ら芥 川龍
能之介の個人的な趣r
F
'
,
li
こあったと思われるo
之 介が ,記 録 した対 談 相手 の 発言 内容 は極 め て示
「
制 重な再会」の時代1
.
投I
j
Eは、t
]清戦争直後の本所 を舞
唆 に富 んで い る,
,
相 手 の 発言 を、順 次 箇条音 さで記
子T
に しているが作.
I
.
(
'
l
内部に定着 されている時 I
n
l
は、目指
載 す れ ば以 下の よ うな もの で あ る。 第一 に中華 民
i
i
京 卜町
戦争後の束京である ,糸材になった清国 女性のr
国 の社 会 的 な混乱 、無 秩 序 、堕 落 ぶ りは清朝 末期 よ
での生活の)
'
T
・
鱗 を少1
1
:
・
f
時代の芥川龍之介は、
本所 非隈で
り甚 だ しい もの が あ る。第二 、しか しなが ら現 在 の
小耳に挟んだのであろう,
Jそ して少年時代か ら愛読 して
学 生 、若者 の心 を捉 えてい る赤化 思想 が 、支 那 社 会
いた泉投花 「三J
1
-1
t
J
」仁二
・
:
J
く角胎避」の怪奇現 象に示唆 さ
を席 巻 す る剃
れて一編の会心 の作I
L
"
'
)
をt
l
∴とげたのであるc r
r
l
'
!
.
'
;
・
'
'
・
時代
支 那 国民性 と光 庭革 命 は馴 染 まないか らで あ る。
には、泉鏡花の ものに没流 して、それを悉 く綿んだ.
二
、撫
章柄 鱗 の忠 恕 は 、科 迅 、毛 沢東 に対 す る彬呼 が大 き
詩 も可也 i
J綿んだ,棉いて定日さんの もの、振さんの も
い とされ るが 、数年 後 に国革 命軍 、
北 伐 群 を組織 し
よ断 じて あ り得 ない。中庸を愛 す る
のを大抵皆謂んでゐる。r
r
l
学の五年の時に r
義仲晶jとい
て北 上 す る蒋 介 石へ の 影響 が あ る よ うだ 。 第三 の
日
.
した。
_
・
(
r
小説を符 きI
t
l
'
.
Lたのは友
ふ論文を校友昏雑誌に1
主 張 と して輩柄鱗 は 、現 状 支 那 を正確 に把 握 す る
,
i
L
l
逃
人の煽動に負ぶ所が多い」大正八年一月)
、と回想文でL
事 で適 t
J
)な る政 治 的 決 断 を成す と断言 す るO こ う
した ように芥川触之介創作の源泉は、明 らかに●
駐 日淑
石、森鴎外であるが作I
l
掴J
作の過程で多 く那 削仁の怪奇
した柔 軟 な思 考 が 、最 晩 年 の共 産党 との誹 歩 に よ
たいじ
り日本 陸群 と対 時 せ よ とい う国民 党 の蒋 介石 委 員
的な硯象を捉えた側[
r
J
了を授用 しているo
長宛 酋 簡 とな った の で あ ろ う。 短 い対談 時 制 で あ
I「桃太郎」
た章柄 鱗 の 節三 の 主張 は、相 手 の 今後の進 退 を予
は しが き
古 人 も時 務 を知 る もの
言 的 に正 確 に掴 ん で い る 「
りなが ら、寒 気 に藁 え なが ら芥 川龍 之 介が記述 し
。
「
サン
ト 毎日」大正十三年七月)の執筆 動
「桃 太 郎 」(
「
三国封支」先生伝注に 「司.
A
.
F
u
徳操日、儒
は俊 傑な り (
機 は 、 よ く知 られ て い る よ うに支 那 視 察旅 行 中 に
L
J
'
:
沌1
1
3
'
:
務、織時務者在俊傑」の旬があるO) と
生俗士 ,i
うF
*
道破 した。一 つ の三
】
三
張 か ら演樺 せ ず に、無 数 の事 実
」
「
孫文」
「
哉 輿 「章柄麟 」
)の一 人 「草柄
「革 命三 尊」(
だ
-E
I
h‥
か ら帰納す る、- それが時務 を知 るのである。
」
ない。 (
「
僻言」二)
(
「
上 海静記 」十一)
、とい うのが対談時に芥川龍之介
章柄麟 発言 に対す る芥川龍之介の称賛は、潜在
的な民族の記憶 に対す る批判、 日本民族の深層心
が、記録に残 した章柄麟の言動である。
」(
「
女性改造」
- きけ ん
帰国三年後に芥川龍之介は、「
僻言
理 を突いた問題提起 に対する同調 として堺解 し得
大正十三年三月∼九月)で付随的な断章 として この
る。芥川龍之介の章柄鱗 に対する人物評価、「
先鎮
章柄鱗 の発言 を記述 した。「
予の最 も嫌悪する日本
はまことに賢人である。
」は、以上の前提 を相談相
人は鬼が島を征伐 した桃太郎である。桃 太郎 を愛
手芥川龍之介が了解 した事 を意味 している。 こう
す る 日本国民 に も多 少の反感 を胞 か ざるを得 な
した事 を踏 まえて芥川龍之介は、昔話 「
桃太郎」誕
い。
」(
「
僻言」二)
、この章柄鱗の発言 を紹介 した芥
生秘話が民族生誕 に始 まる事 を明記す るのであ
川龍之介は、虚構の人物桃太郎に対 して嫌悪 を示
る。
したこの稀代の博学 を最大 限の 日本通であると称
何でも天地開聞の頃はひ、伊井許の尊は黄最津平阪
や一
つ い か づ ちし りぞ
み
つ ぶて
に八つの雷を却ける為、桃 の実 を磯 に打ったといふ
か いび や く こ ろ
賛 した訣である
い ざな ぎ
みこと
上 もつ ひ ら さ か
(
「桃太郎 」-〕この民族的、象徴的な行為は芥川龍
1「
起」(
「
-」「
二」
)
上海の仏蘭酉租 界で章柄鱗か ら聞いた昔話 「
桃
之介の記述 に拠れば 一万年以前であるO この時閥
太郎」は、
虚構 の人物がある民族 にもた らす同定 し
的な認識 はどうであろ うか。皇孫避逝去 命の直系
た印象、民族の記憶 に対す る反感であるo支那は、
の子孫 神 武天皇が、大和の橿原神官で即位 したの
現皇帝 に対す る反感か ら烏合の衆が イナゴの群れ
は紀元前六六〇年である。有名な皇紀二千六I
E
1
年
の ように反乱 を興 して新王朝 を建設する。 独立戦
桃太郎」執筆時一九
は、昭和十五年であるか ら、「
争で、武力で国家建設 を成 した米国は、
今で も国家
二 四 年 は 、皇 紀 二 千 茄.
百 八 十 凶年 で あ る。
い ざ な ぎの み こ と
伊邪 那岐命の時代 を歴 史的に一万年以前 と設定 し
としての武力行使 をため らわない。敗戦直前の [
1
に に ぎ の み こと
本では、
民衆 は無意識 な群れを成 して皇居、明治神
た芥川龍之介の認識は、
誤 りではない筈である。桃
官等皇統 に連なる人達の旧跡 の清掃の為の勤労奉
太郎の誕生 は、神話時代が終わ り、日本民族の歴 史
仕に遁進 した。文字の無い時代に民衆が、天皇陵、
が始 まる瞬間にその萌芽が芽生えたと設定 されて
古墳建設の為 に粉骨砕身 した民族の記憶が蘇 った
断によ り、
現実の もの となったO敗戦後平和の訪れ
神 武天皇 を大和盆地に引率 し
いる。
桃太郎誕生は、
ついば
た八僅鳩の桃の実 を啄 ばみ落 とした偶然 によ りも
たらされたo
の中で人々は、戦争末期の 自らの天皇陵への勤労
Lか し或寂 しい朝、避命は-羽の八樫鳩にな
l
l
.
を
奉仕 を耳いに笑い合 った と竹 山道雄 は、想い1
り、さっ とその枝へおろ して来た。と思ふ ともう
記録 している。支 那 も米国 もさらには日本 も自己
赤みの さした、小 さい実 を一つ啄み落 した。(
「
桃
の民族的な記憶 を消す事は、
容易ではない 。上海で
太郎」-)
訣である。
結果的には、民族の祈 りは昭和天皇の聖
や た か らす
の仏蘭西租 界での牽柄鱗の芥川龍之介に対する助
ついF
:
I
2 「承」 (
「
三」
)も も た ら う
おに
しま
せ いばつ
言、
批判は民族固有の行動規範に対す る根底的、
総
「
桃か ら生れた桃太郎 は鬼が 島の征伐 を思 ひ立
体的な批判であった。 云 うならば民族の無意識裡
,
」ド.
.
上 芥川龍之介の認識では神武東征の頃
った.
に潜在す る記憶 に対す る勇猛果敢 な挑 戦 であ っ
に大和の岡に生誕 した桃太郎は、 日々の過酷 な労
たC民族の記憶 を消す為には、長期 に亘 る国家的な
働 に厭いて隣国である鬼が島への侵略で生活の充
教化が必要であ り、場合 によれば民族 自体の消滅
実 を図る事 を思い付 く。鬼が島はどんな所か、
芥川
を必要 とする。こうした前提 に立 って、
芥川龍之介
龍之介の認識では以下のような場所である。
こた う
の章柄麟発言の記録 を読 む必要がある。
たび
, 僕 は度たび外国
先生はまことに賢人である.
鬼が島は絶海の孤 島だった。が、
世問の思って
わけ
ゐるや うに岩山ばか りだった訣ではない。 実 は
人の山県公路 を噺笑 し、
葛飾北斎 を賞揚 し、
渋沢
種子の聾えた り、
極楽鳥の噸った りする、美 しい
や
し
て んね ん
子爵 を罵倒す るのを開いたc Lか しまだ如何 な
つう
る日本通 もわが帝大炎先生のや うに、桃か ら生
いつし
まれた桃太郎へ一矢 を加へ るの を聞いたことは
そぴ
ご く ら く て う さへ づ
ら くど
天然の楽土だった。 (
≡)
「
桃太郎」仁三
)の後半部分で年老いた鬼の老婆
は、孫たちに隣 国に住 む人間の恐 ろ しさに就いて
-`
1
8-
とは、普段か ら情報交換の可能 な隣国同士の よう
武将。功をもって称せられ、酒紙童子征伐の伝説 ・士蜘
L
て
人わう
「
渡辺綱 ・坂田金時 ・碓 井
妹伝説で有名,
,
J
)や四天王 (
である。鬼が島の位置は、人間の鳥 よ り遥かに南下
貞光 ・卜部季武。四天王とは瀬 も秀れた四人の家来の
した熱帯地方の ようである。
桃太郎誕生が、
神武東
」
)の行為 を乾 して見せたのである。
称,
詳細 な情報 を語 って聞かせ る。 人間の島 と鬼が島
征直後である事か ら考え得 るに、 さらに鬼が島が
3 「転 」
(
「
四」
)
絶海の孤 島であ る事か ら憶測す るに大和の国か ら
「
桃太郎」創作意図が、二年前の上海仏蘭西租界
離れた遠方であるO天孫降臨の聖地である高千穂
での章柄麟 自宅での示唆によ り成 されたのである
ではない、それ以前 の生活空問、強いて言 うなj
tば
な ら、この作 品構 図 「
桃太郎」(
四)の場面は、後
高天原である 「
桃太郎」(
≡)の記述 に拠 れば、高
年の 円本陸軍の支那本土への侵攻作戦 を先取 りし
天原の地理的 な認識は南方諸抱の孤 島であ る.芥
ている。
「
:
J
lの最 も嫌悪す る日本人は鬼が島を征伐
川龍之介は、民俗的な専 門知識か らではな くで E
]
」(
「
僻言」二)の章柄蛾の発言趣
した桃太郎である。
本人の生活感覚で民族のル ーツに就いては南方で
旨に沿 う形で芥川龍之介 「
桃太郎」が、物語展開を
あるとい う漠然 たる感覚 を抱 いていた ようだ。
していると読解す るならば、「
桃太郎」(
四)の意味
。
」
)とい う短評があ
た」(
苫四精一 「
芥川亀之介 (
三十)
す るのは数年後の満州事変 、十年後の 日華事変で
もt
>
たらう
ある(
,
「
桃太郎 はか ういふ罪のない鬼 に建国以来の
「
得 意の機知 と常誰 を働かせ て この-篇 をな し
るが、鬼が島に住 む鬼 自体 だけではな くて鬼の概
」(
「
桃太郎」凹)、この視点 は、当
恐 ろ しさを与へ た。
念に対 して も芥川龍之介は、作 中でその表象 を引
時の 日本知識人の平均 的な支那認識である。辛亥
っ くり返 している。この辺の才知 は、
芥川龍之介天
革命以後の支 那 が、無秩序、混沌、動乱の支那でな
件 の ものであって民俗学の分野での河童の概念 を
かった ら野放図な 日本陸軍 も事変の拡大 を 目論 む
あいぎよ う
。
転倒 させて、
愛敬のある河童、
場合 によれば苦悩 し
J
J
l
来なかった筈 である 「人間が来たぞ」 (E
T
V)
事はi
煩 悶 し悶える河童 を創作 しているC 鬼 に関 して も
とい う鬼の叫 び声 は、「
優麗が来たぞ 」
(
「
日本人が来
常識の転倒 を企んでいるのは、以下の文章の如 く
たぞ」) とい う当時の支那民衆の叫 び声 に重 なる。
であるO
鬼が島の住民鬼 は平和 な生活 を絶海の孤島で営
こぷ
痛取 りの話 (
「
宇治拾避物語巻一・
の中の r
鬼に噛収
んでいたが、人間の理不尽な侵攻で生活 を破壊 さ
」
)に出て来る鬼は一晩中
らる ゝ判 が戚古の所収.
れる とい う、逆転 の構 図は二年後 「
河童」で再度繰
をど
い つ す ん ぼ うふ し
踊 りを踊ってゐるC一寸法師の話 (
「
室町時代に成
り返 される.「
河童」世界の逆転構図は、愛読のス
立 したお伽草紙に出てくる。桃太郎 もこの頃成立した
ものま・
)
話。
」
)に川て来る鬼 も一身の危険 を顧みず 、 物詣
ウイフ ト「ガ リバー 旅行記」等の影響、示唆 に拠 る
で の姫君 に見 とれ てゐた ら しい。成程大江 山
-ル、ブール「クワイ河の橋 」
(
「
戦場にかける檎」
)
「
強
(
「
京都府与謝野都にある
。滑跡束子が住んだとい
の惑星」は、仏領 イン ドシナ在住の著者が猿 と同等
うo
」
)
の酒折恭子 (
「
鬼の婆をして財をかすめ取 り、
婦
と思 っていた 口本 人に捕獲 され使役に使 われた体
女子をさらった施賊。
」
)や羅生門 什京都の朱雀大路
猿の惑星」に
験が反映 しているそ うである。 映画 「
I
Lる は どお ほ え や ま
山
しゆ て ん ど う じ
もので知恵の遊 びの域 を出ない側面があるC ピェ
ら しや う I
L
.ん
いば ら ぎ ど うじ
仲 央の大通 り)の南端にあった門。
」
)の茨木童子
は、主人公は銃 を背 に して騎 馬で人間狩 りを行 う
(
「
酒厩童子の部下C羅生門で頼光凹天王_
の一人渡辺綱
野蛮な猿の群れ に息 をのむ場面がある。仏領 イン
のために片腕を斬落され、綱の伯母に化けて、唐概に
ドシナ住民 に神の如 くに君臨 していた一人の仏蘭
おさめられたその腕を奪いかえし、鬼神の本性を現わ
さだい
。
」) は稀代の悪 人のや うに思
して逃走 したという.
西人が、ゼ ロ式艦上戦樹機 で襲いかかる l
j本人の
横観 を垣間見た時の驚 きが反映 しているようであ
ほれてゐる。 (
≡)
る。
この辺の記述 は、鬼の常識的表象 を引 っ くり返
鬼が島での生活基盤 を破壊 された鬼は、 自分た
す意図以外 に も芥川龍之介 自らが説話 に就いての
ちを殺致 し、平和 の島を焦土 と化 した桃太郎 に対
街学 的知識 を披露 した場面である。続 いて敵役で
してその理 由を問 う、何か鬼が畠の住民 は人間に
につ ぽ ん い ち
対 して無礼 な行為があ ったので しょうか。「日本一
かか
の桃 太郎 は犬猿雑 の三 匹の忠 義者 を召 し抱へ た
あ る酒顕豊子や茨木童子の悪行 をr
i
l
和 させ る意味
らい く わ う
で、正義派の頼光 (
「
源頼光 (?-1
0
2
1
)
。平安後期の
-L
1
9-
せ いばつ
きよお か たか ゆ き
故、鬼が島へ征伐に来たのだ.
」(
凹)と云 うのが桃
「
桃太郎」の予見は外れた決であるC清岡単行 「ア
太郎の言いわけである.
3 この相手の意向に関係 な
カシアの大連 」(
「
群像」昭利四十四年十二月)には、遼
く自分たちの独 自の都合で侵攻作戦 を展開 し、武
東半島か ら引 き揚 げて来た主人公が植民地アルジ
力で相手の不平、不満 をね じ伏せ る桃太郎の主張
リアに固着す る仏蘭酉人に対 して祖国に帰 るべ き
は、数年後の支那大陸で 日本陸軍の論理 を先駆 け
だ と岐 く場面があった。.
しているO数か月の支那視察旅行で芥川龍之介は、
むすぴ
我髄顔で傍若無 人に振舞 う支那在住 日本人に対す
「この木 は世 界の夜明以来、一万年に一度花 を開
る認識か ら類推、連想 したのであろ う 「では格別
れんぴん
きL
t
=9:
ゆち
の憐懸 によ り、
費梯たちの命 は赦 してやる。その代
き、一万年 に一度実 をつけてゐた。(
中略)その実
あか ご
さね
は核のある処 に美 しい赤鬼 を一人づつ、おのづか
1
1ら
」(
-)
ら学 んでゐたことであるC
O
た か ら もの
け ん じヤ う
りに鬼が島の宝物 は一つ も残 らず献 上す るのだ
」(
也)
、この会話は どうであろ うか。後年の 日
ぞO
本の満州国建設 に就 いては多少は当ては まるが、
最後の作者の感想 らしい断章は、「
桃太郎」(
-)
も
た
ら
太郎
これ もE
1
本か らの持 ち出 し赤字経営であったO支
の この一文 を受けているが、その意味する所 は何
も う はら
か。「勿論桃
を争 んでゐた実だけは とうに谷 川
那本土に対す る侵攻 は完全に赤字経営であった。
を流れ去って しまった。 しか し未来の天才は まだ
二
l
本の
人民中国の周恩来総羊
剛ま中国全土 に対する l
」
それ らの実 の中に何 人 とも知 らず眠ってゐる。
再侵攻 を危倶 していたが、評論家 はそれを受 けて
(
六)、隣国鬼が由 を侵略 して母国に対す る報復攻
生活水準の低い国への侵攻 な ど頼 まれて もや らな
撃 をもた らした稀代の英雄 を芥川龍之介は、天才
い よとたわごと戯言 を弄 していたO郭末若の義弟
として認識 している。これは 「
桃太郎」(
-∼T
L
)の
で有名な作家陶晶孫 「日本は、や らずぶ っ くりだ
作品構造 を離れて、章柄鱗の助言に立ち戻 った作
よ。くれたのは 日本精神だけさ。米英 人は、ギブア
者芥川龍之介の個 人的な感想 として理解すべ き個
」(
武田泰淳 「▲
日毎の蛍」
)とい う発言
ン ドテイクだ。
所の ようである。
と う し よ うそ ん
か い ぴや く
があるそ うであるが、 日本の立場で 言えば批前の
神武東征の時 、 日本民族歴史開閥以来民族の脳
日本は貧 しくて 日本精神 (
大和魂)しか輸山で きな
裏に無意織 に刻み込 まれたイメー ジ桃太郎、鯉 目
かった訣であるO
的に隣国に侵攻 して金銀財宝 を分捕 って くる民族
4「
結」 (
五)
的英雄、脱胎の頃か ら脳嚢 に植 えつけられた本能
童話 「
桃太郎」は、桃太郎が鬼が烏か ら祖国に凱
を一個の天才の具象 として把握 している。「ああ、
桃太郎」
旋 して話は終 わるo Lか し、芥川龍之介 「
未来の天才 はまだそれ らの実の中に何人 とも知 ら
は後 日談が付 け加え られているC それによれば人
ず眠ってゐるO
・・・-
・」(
ノ
(
)、この最後の一
質 と して連行 された鬼の子供は、警備の雑 を殺害
文の意味する所 は、前後の文脈か ら判断するに民
して生 まれ故郷の鬼が島に逃走す る。 さらに植民
族的英雄桃太郎 によ り太古以来、 口本民族の脳袈
地 と化 した鬼が島の鬼たちは、満 を持 して人間の
に植 え込 まれ民族の行動規範になった桃太郎伝説
島に強攻上陸 して桃太郎 に対す るテ ロ攻撃 を敢行
を覆す,桃太郎 を反措定 とする新たな英雄の山現
す るようになる。遂 には猿が桃太郎の身代 りにテ
でなければならないO「
確言」(
二)で紹介 された帝
ロ攻撃の犠牲 になって しまう.
)
「
やつ と命 を助 けて
柄麟の助言の延長で「
桃太郎」が創作 されたと現解
だい お ん
け
頂いた御主 人の大恩 さ-忘れるとは怪 しか らぬ奴
するなら、「
未来の天才」とは桃太郎の民族の記憶
(
.
r
l
l
'
.
)、生 き残 りの犬の発言に対
を打破す る別個の英雄の誕生で なければな らな
等で ござい ます。」
。
して桃太郎 もまた呆然 として披 く事 になる 「どう
しふ ね ん
い。
も鬼 といぶ ものの執 念の深 いの には困っ た もの
」(
五)
、このや り取 りは戦後の植民地の処遇を
だ。
Ⅲ 「
馬の脚」
巡る旧宗主国の悩み を先取 りしているか も知れな
は しがき
い。
「
新潮」大正十四年一月∼二月)には、こ
「
燭の脚 」(
r
ヨ本は、幸か不幸か大東亜峨争敗戦で全ての植
の時期の芥川龍之介の関心事であった二つの要素
民地 を喪失 していて、これに就いては芥川龍之介
が明瞭な形で内屯 されているO 自身の死後の世界
-i
j
X-
I
lた F
lで
に対する関心であ り、社会一般に対する寓意性で
桁外れの物語展開を際立たせ る為に奇想天外の運
あるO前者は 「沼地」(
「
新潮」大正八年.
:
I
L
.
.
月)で既に
命を甘受する事 になる主人公の人物の造形は、風
扱 っている問題であ り、後者 に就いては 「
河童」
乗か ら家庭生活、 日常生活に至るまで全てが余 り
(
「
改造」昭和二年三月)で拡大 させて展開 される事 に
に平凡である。特殊 な人間に訪れた稀な事例では
シュ-・ル レア リス ム
なる。作品全体 に漂 っている超現実主義は、
実験的
な くて、万人の普遍的な避命である死 との遭遇を
な文学手法で当時いち早 く愛読 していたカフカの
際立たせ る為の作者 による配慮である。 先に紹介
影響 を感 じさせる。後年の作品 「
屠気楼」(
「
婦人公
した松本清張 「
流人騒 ぎ」の例では、戸籍のない下
論 」昭和二年三月)について三島由紀夫は 「
私は ダリ
層社会の人間に官僚機構の末端がいかに冷酷か と
」(
「
南京の基衡」解説)と感想 を述
の絵 を想起す る。
べた。 ダリの野放図な絵画構成の先駆性 と寓意性
い う問題である。松本清張 には、
下層の下人の冷酷
を「
馬の脚」は、
持 っていると言えるか も知れない。
く訪れ る逓命 の過酷 な事 を主題 に した作品 も多
作品全体 は-篇の-筆書 きで、従来の芥川龍之介
な運命だけではな くて権力の中枢の人間にも等 し
い
。
ほ ん だ ま さの ぷ
徳川政権樹立に尽力 した本多正信は、外様大名
作品の ような明瞭 な章立てを持 っていないが、作
品内容の筋展開に即 して以下考察する。
は撫諭親藩譜代大名の改易に敏腕 を奮い権勢 をほ
1(
「
起」
)
しい ままに したが、息子本多正純は時勢に乗 り遅
は ん だ ま さす み
「
馬の脚」は、作品展開の奇想天外である事 を際
れて改易の憂 き目を見ているO 権力機構の中枢 に
立たせ る為に周到 な作者による工夫が施 されてい
位置する者たちに訪れる過酷な遊命にも目配 りを
る。作品冒頭 に登場す る本編主人公の性格 、人物、
している。
さらには私生活 に際立って特徴 のない事が、語 り
2(
「
承」
)
北京在住三菱勤務の 日本人忍野半三郎に突如訪
手である私の視点か ら紹介 される。 この辺の設定
に も野放図な寓意性 を持ったカフカ作品 との類似
れた死の衝撃は、本人の意識外の ものである.閤 魔
性 を感 じさせ る。平凡極 ま りない一人の男に突然
帳 を手に して本人稚認 をする閥髄大王末端の二人
非 日常の最たるもの死が訪れる。しか もそれは、
明
の官吏は、機会的に相手に自己確認 をする。「アア
ル ・ユ ウ ・ミスタア ・ヘ ンリイ ・パ レッ ト・アア
らかに人違いの死の訪れであった。一人の人間に
とって最大限の重大事件であるはずの死は、予期
せぬ形で官僚組織の末端の役人の手違いによって
もた らされる。
も
「
Ar
ey
o
uMr
.
He
n
r
yBa
r
r
e
一
,
a
r
e
n
'
t
ン ト ユ ウ ?」(
あなたはヘ ンリイ ・パ レッ トさんです
y
o
u?(英)
これ に .
?ぽ ん み つ ぴ し こ う L
を しの は ん さぶ ろ う
か。
」
)「
我 は是 日本三菱公司の忍野半三郎」完全 に
わけ
しか し彼等の生活 も運命の支配に漏れる決に
人違いで閣魔大王の二 人の末端官吏の前で 自らの
は行かない。運命は戎真昼の午後、この平 々凡々
死 を自党する忍野半三郎、 しか しうろたえるのは
た る家庭 生活の単調 を一撃 の もとに うち砕 い
本人より手違い を指摘 され組織上の誤 りを認め さ
珍
くだ
みつぴ L
を LU
)は ん さぶ ら う
な い つ けつ
とん し
た。三菱会社員忍野半三郎は脳溢血の為に頓死
せ られかねない二 人の方である。 直ちに末端組織
したのである。(
「
馬の脚」起)
の役人特有の知恵が働 き、隠蔽工作が成 される。死
当人に とって人生最大の問題 は、生死 を掌 る官
後三 日を経て二つの脚の腐敗が進行 して、簡単な
僚機構の役人にとっては、平凡な日常の業務処I
I
P
_
蘇生が無理 とわかると死後間のない馬の脚を補充
の一環である。 この世 に生 を得て生 きる者に人生
させて生還 させ られる。 人の生死を掌握する閣魔
の終 わ りを宣言する閤魔庁の役 人の野放図なや り
大王の官吏は、組織 内の 自己保身に汲 々としてい
取 りその ものが 、
一種のアイロニーに成っている。
る。二人の関心 は、
徹頭徹尾組織での自己の保身だ
かん上 う
芥川龍之介文学 によ り文学的な滴番 を成 した松本
けであ り、この辺にはカフカ 「
審判」に通 じる一面
「
流 人騒 ぎ」
)で官僚機
清張 は、後年 「鯉摘 人別帳 」(
がある。閣魔手帳に記載 された人物名 と実物が、
異
構 の残酷 さを作品化 した。戦時下、
教練不参加 を理
なる事 を知 った組織末端の二人の老練な役人の会
由に懲罰の為の徴兵召集を受けた自身の経験が反
話は、寓意性 に満 ちている 「どうしませ う ?人達
かくめい
ひですが。
」「困る。実 に困る。第一革 命 以来一度
映 している。
「
馬の脚」(
起)は、後半の作品展開で記述 される
。
もないことだ。
」冥界に送 り込 まれた当の本人を差
ー5
1-
し置 いて 自己保 身 に明 け暮 れ る二 人の婆 は、官僚
であ る。本 人の意思 を一方的 に無視 して遂行 され
組織 の 象徴 的 な姿であ る。作 品 L
l
)
での この種 の描
る妓 非の・
'
d
f問官 の一連 の動 作が 、官僚機構の末端
写 は、その 後の実存 :
・
i
・
'
.
義文学特 有の筆致 であ り、芥
の糾織 的 な轍直 を余す こ とな く描写 しているC 冥
川龍 之介文学 の先駆性 を如何 な く蒐榔 して い る と
界に在住の/
F
三人公 は、
冥 界機構 の1
3
.
'
史 とは、明 々な
る諭 P
:
J
!
_
と明晰 な理仕 で意思疎通 をl
・
X
)
ってい るc L
言 える。
カ ミュ r異邦 人」で は、愛 す る母親 の葬送 の 口に
か し、冥 リ
朗姐H
J後 にこの1
.
I
i
・
に生過 した後 には冥 界
無 目的 な殺 人 を犯 した主 人公 に対 して敏腕弁護士
が 、形 勢不利 を奪 回す る為 に被 告 人の存 在 を軽視
での や り耽 りは記憶 の 断片 と して脳嚢 に残 され る
生ぼ ろ し
と かく
のみ で あ る。 「兎 に角彼 は えたい の知 れ ない幻 の
i
l
,
1
,
1
に向 って必 死 に語 りか け る有 名な場
して陪 審 L
中を音
別皇した後や つ と正気 を恢 子
生した」 (「
馬の抑」
ほ 1
)く J>t
)
しや うき
のち
梶)、こ う して主 人公忍野半三郎 は鵬の脚 を装填 さ
ね わ ん
弁 を繰 り返 して形勢逆転 が 、成 らぬ子
J
ほ 見越 して
i
i
l
業者が 、そ
疲労 肘燈 で刷れ こむ弁護士 に向 って I
界か らL
I
I
.
迎す るの であ る0
の奮 闘ぶ りを称 賛 し、被 告 人 に対 して賛 同 を求め
3 (
「
転」
)
t
nであ るO全 てが被 告・
人 とは別個 に国
る有名 な場 L
家の名1
1
7
i
j
で遂1
:
J
'
・
して行 き、主 人公 の恵 仙 こ関 係な
偶然 か ら死 後世 界 を去就 に迷 うこ とな く離脱 し
て従 来辿 りの社 会生 活 に復帰 した彼 は、以後宿命
的 な隠蔽すべ き肉体的弱点 を抱 いて 日々を生 きな
でが 、組織 の国家の体制保持 の為 に制度 化 されて
ければ な らない。忍野半 三郎が 、冥府か ら生還 した
。俄梅 を求 め る司 祭 に対 しての_
二
i
二人公の殻 後
い る.
串は
、「
順大時報 (
「
北京 で発行 されていた地方新
の罵声 は、l
革l
家 と社 会 との秩序 に対 す る反抗 であ
聞誹
摘
l
f
I
'
:
.
一・
の存在 、母親 の
る。彼 を社 会 に繋 ぎ止 めて い るl
掲 載 され たが 、同時掲 載 の記事 に本命の死亡者で
死 に直面 した時 に彼 は、生 に対 す る執 着 を尭 失 し
あ る米国 人の死亡記事 が載 ってい る とい うのが作
た と言 えるか も知 れ ない。裁 判長 の発言 「フラ ンス
品語 り手の談で あ る。
ぴくわ
「基 準(
「美 はア メ リカ、華 は 中岡。米 中の こと。
」
)
人民 の名 にお い て広場 で斬 首刑 を受 け るの だ」 に
じ ■ ん て ん じl
まう
J
時代 に北 京 の こ とを順 天府 とい った 。
」)に
さん し ゆ
心 の安 らぎを覚 えるの はこの 為であ る。 「却けl
;
人」
1
1い か ん
禁酒 会長へ ン リイ ・パ レッ ト氏 は京漢鉄 道の汽車
とん し
くナ りぴ ん
には、後年 人 Il
に胎 爽 され た名文句が散 在す る。
.
戟
中に疎 托 した り,
)同氏 は薬根 を手 に死 しゐた る よ
人の動 機 に就 いて追及 を受 けた主 人公が思 わず洩
り
らす,
言葉 、「それ は太陽のせ い だo」とい う言辞 は、
」汀馬の脚」後
果 、ア ル コオル類 と判明 したる よ し。
実存主義 の介言葉 にな り一 世 を風噺 したo さらに
日談)
、
r
I
殺 の疑 ひを生ぜ Lが 、掛 l
1
の水薬 は分析 の結
ナ ゐヤ く
ぷ んせ き
母親 の葬儀 に悲 嘆 の涙 を見せ なか った:
i
三
人公が 、
作I
I
J
人物 の冥府 か らの奇跡 的 な!
l
:
_
遠 は、「馬 の
その矧 l
二
r
を問 い ただ されて思 わず胸 L
f
)
を吐露す る
:i
.
1
'
性 を持 ってい
脚 」l
句部で は首 尾照応 していて-
言葉 、「陣地 な ひ とは誰 で も、多少 とも、愛 す る者
る訣 であ る誹1
1
題 は、
冥府 の係1
9
,
'
の・
手続 き上の錯誤
」とい う言 い訳 も有名 な台
の死 を期待 す る もの だ。
で 人違 いが 数 n後 に判明 した精米 、腐敗 した両足
を補填 す る為 に馬 の脚 が 、緊急処 即 と して取 り付
詞であ る,
,
「馬 の脚 」で芥川龍 之介が 記 述 した もの は、運命
f
:
.
還 した忍野 半三
け られた叫 であ る。冥府 か らの !
の過酷 な・
i
J
tさらにその過酷 な迎 命が本 人に与 り知
:
らぬ世 非の恵.
むで襲 い かか って来 る現 実 であ る.
郎は、この時期 の作者 が抱 えていた 切実 な問題 を
u越 、節二 に死の間
内包 してい るが 第- に狂気 のl
その迎 命の過W.
故 に本 人に は、その I
'
I
I
覚 が 全 くな
;
迫であ る.
】
忍野 半三
い事 が襲 いか か って きた運 命 を際 立 させ て い る。
.
.
+
.
、
)
+つ
第一
・
に彼は死 んで ゐる。 第二 に死 後三 日も経
気か とい うのは本 人の作 中での意識の流 れで 判 断
郎の意識が 、正常かあ るいは狂
す る叫 は不可能 で あ る 。 総 体 と して この問題 の判
「
鵬の脚」承)
てゐるO 約三 に脚 は腐 っ てゐ る。(
l
E
'
l
の語 り手 に委ね られてい るoこ うす る事
断 は、作 l
主 人公が遭 遇 した思 いが け ない迎 命は 、本 人に
で作品 内部の均 衡が保 たれてい る訣であ る。狂 人
関係 な くその場 の冥 界の審 問 官の取 り繕 いの思 い
の行為 と意識 とが 、終始- fi
'
朴 人に よって語 れて
つ きで鵬 の脚 を装填 されて冥 界 を追放 され る こと
'
l
t
'
l
が、
破綻 して しまうo死者 か らt
J
1
.
着へ の
いて は作 1
-5
2-
復帰、冥府か らの生還の過程はおぼろで理路整然
の時の表現上の苦心が蘇 った訣である。 この箇所
とは していない。忍野半三郎の意識の正常 に疑問
で際立っているのは、変形 した肉体に精神が引 き
を抱かせるのに十分 な設定であるO
ず られる恐怖 を吐露 しているところである。主人
なん
何だか二人の支那人と喧嘩 したや うに も覚 え
けわ
1
1し ご だ ん
ころけ
公が、自己の馬の脚 を妻の視線か ら隠蔽 し日常生
あい き上 う
てゐる。又険 しい梯子段 を転げ落 ちたや うにも
活で苦労する場面は、・
一種の愛敬である。問題は、
覚えてゐる。が、どちらも確かではない。(
「
馬の
変形 し異形 となった肉体 に精神が侵食されてい く
脚 」虹 )
場面の衝撃である。一個の人間は、超然 として主
忍野半三郎が、冥府の小役 人とのい ざこざを経
義、主張の内部に安住する串は許 されない。肉体の
て生還するまでの瞬時は、死者になるべ き本命の
変・
J
l
引こより精神 もそれに引 きず られて変形 し、そ
米 国人が死 の世界 に誘 われ る背痛 の瞬 間で もあ
の肉体 は周 囲の環境 の影響 を受 けやす いのであ
る。「
馬の脚」の作品全編で忍野半三郎は,自らの
る。
ぎ 上 しや
t
Pち
駁者は鞭 を鳴 らせなが ら、「スオ、スオ」と声
あと
をかけた。「スオ、スオ」は馬を後にやる時に支
精神内部 の狂気 の世 界 を妨裡す る幻 覚患者 であ
る。精神の破綻 した狂気 を生 きる一 人の精神史を
本人が、部分的には部外者が これを臨床報告す る
那人の使ふ言葉である。馬車はこの言葉の終 ら
あと さが
ぬ うちにがたがた後へ下 り出 した。 と同時に驚
設完である。「
馬の脚」の典拠 は、支那の古典で見
られる冥界か ら現世への復帰の古鐸であるが、こ
くまい こ とか !俺 も古本屋 を前 に見た まま、
ひ とあ し
の作品は一・
読 して中島敦 「
山月記」の創作構想に甚
あと
さが
一足づつ後へ下 り出 した。(
「
馬の脚」承)
大 な影響 を与 えている。
この時の忍野半三郎は、異形の肉体に精神が引
人違いで一気 に冥界に落ちた忍野半三郎は,そ
きず られて行 く事の胸中を畏怖 、恐怖あるいは驚
の主張は入れ られて生還 を許 されるも三 日を経て
情で表現 している。冥府の役人か ら補充 として、い
いて両足は腐敗 して使い物 にならない。 これを自
わば臨機応変の処置 として馬の脚を補填 した時に
覚 した彼は、自らの肉体に降 りかかった悲劇 を納
彼は、事の重大 さを十分認識 していなかった可能
得出来ない。
性がある。 肉体に精神が引 きず られる可能性 に就
しろ ぐつ
祈 り目の正 しい自ズボ ンに自靴 をはいた彼の
なび
脚は窓か らはひる風の為めに二つ とも斜めに磨
ほとん
いてゐる !彼 はか う言ふ光景 を見た時、殆 ど彼
の1
二
l
を信 じなかった。(
「
塙の脚」承)
自分は初め眼 を信 じなかった。次に、之は夢 に
違ひない と考へた。夢の中で、之は夢 だぞ と知っ
それ まで
いてである。臨機応変の臨時の対処療法が、やがて
時の侵食 を受ける可能性 に就いてである。
「馬 の脚」の作品展開は、明 らかに中島敦
「山月
おL
t
.
記」に換骨奪胎 されているC「今少 した経てば、己
の巾の人間の心 は、獣 としての習慣の中にすっか
うも
り埋れて消 えて了ふだらうC
」(
「山月記」
)というの
てゐるや うな夢 を、自分は迄 に見たことがあっ
が、
李徴の苦悩であるC忍野半三郎に補填 された馬
「
山日記」)
たか ら。 (
の脚は、蒙古産の馬の脚だった為に生地蒙古の空
両作品は共に自己の内部の声 に導かれて出奔 して
気に敏感に反応 して行動する。彼、
忍野半三郎は理
行方知れず となるのである。中島敦 は芥川龍之介
性 を制御 して遠い先祖の記憶、本能に基づいて行
全集 を破棄 した こ とが友人の回想で記録 された
動するのを彼の本能は抑 えられない。「
馬の脚」に
が、
一面意識的に破棄、
唾棄す るほ どに愛読 したと
就いて同時代批評は、この作品の創作余話のよう
い う事で もある。
な作品 「
死語」(
「
改造」大正十四年九月)に就いてフ
冥府か ら辛 う じて生還 した忍野半三郎は、両足
ロイ ト心坪学であると断定 した広津和郎 「
新潮合
が馬の脚である事 を隠醗す る為 に一方 ならぬ 日常
評会」の発言が、有効である。個人、民族は理性 よ
の苦労 をする 「
属の脚 」(
「
転」
)は、彼の心 1
1
l
の苦
りも遠い先祖の記憶が、
行動 を支配する。人問の個
。
痛 を吐露す る手記 とそれ を一般読者 に紹 介す る
人の理性は、本能の記憶 に敗北するC 芥川龍之介
「わた し」の説明文か らなる重層構造である。この
「
鵬の脚」は,忍野半三郎が遠い先祖の記憶 に侵食
辺の表現技法 は、単調 な見聞記 になる事 を避ける
され人間である事 を止めて、蒙古の馬の本能に支
ために芥川龍之介が、技巧 を凝 らした 「
支那併記」
配 され属伏 して行 く状況 を写実に描写するC
ー5
3-
と く しよ う もん が い
うまい ち
然 る に半 三郎 の馬 の脚 は徳 勝 門外 の馬市 の
の#1
を論 じたものO唐代すでに伯楽 【
周代に尊く馬を見
鞄馬 (
「
妃んだ馬」
)についてゐた脚 ぐあいであ り、
分けた人C孫 腸】の撰として伝わっていたものかC撰者
その又兜馬は明 らか に張家 U (
「中国河北省の北部
」
)等 の諸杏 に従 ひ、彼の脚 の興奮 したのはか
不明。
にある都市。人l
二
に 十方。
」
)
、錦州 (
「中国遼寧省西部、
馬の脚」晦)
う言ふ為 だった と確信 してゐる。- (「
。人
播I
L
l
鉄道(
洛陽一山海関)のほほL
r
J
央にある省略 rli
もうこ
ク・
-t
l
ン
外蒙
口約・
卜.
茄.
刀.」)を通って来 た蒙古 産の庫倫 「
来ず に黄塵舞 う戸外 に出奔するこの設定 も明 らか
- ttぱ
- いば
ち や うか こ う
きん し う
(
「馬の脚」で忍野半三郎が、理性 で 自己 を制御出
「
。
古土謝図汗申旗の汗山の北.図枚恰舵二河の問。外果
に 山月記」に採取 された形跡がある 「戸外で誰
r
l
l
d
。張
市の中心.ソ連との交通の要所、蒙古第-の郡-
かが我が 名 を呼 んでゐる。野 に艦 じて外 に出て見
縄鉄道が張家口からここに通ずる。
」
)馬である。(
「
馬
ると、聾 は間の 中か ら頻 りに自分 を招 く。覚 えず 、
の脚」転)
」(
「山月記」
)
、中島敦
自分 は聾 を追 うて走 り出 した。
遠い祖先 の血の記憶 に理性が庄倒 され る、 自分
の分身 も自己の制御 し難い内部の声 に導かj
tて野
では制御不可能 な内 なる 自己の声 を抑 え込むため
外 に、そ して異類 の世 界に強制的に誘われ る。
に忍野半三郎 は,野外 の遠 い蒙古 か らの呼 びかけ
4 「
結」
)
(
に自分の肉体 を縛 り上 げて対抗 す るOその様 は、発
この章 は失掠 した忍野 半三郎 の不在時の世 間の
狂の発作 を鎮 める為 に暴力 で患者 を抑 え込む精神
評判 を記述 し、 さらに半年の空 白期 問を経 ての帰
病院の-風 景 を思 わせ る。宴 の常子 は、同仁病 院長
宅 を述べ ている。謎 の失院 を遂 げて行方知れず と
山井博士 の診断 を希望す る も本人は これ を拒否す
なった忍野 半三郎の不在での評判 は、冥府か らの
る。山井博士 は彼 の冥府か らの生還 に就 いて、ルル
「
順
奇跡 的 な復活があ ったので再度評判 になった。
ドの泉の聖母 の奇跡 を体験 し実 見 して医学 を捨 て
天時報」は、同時期 に二つの場所 を失綜す る忍野半
てカ トリックに改宗 したア レッキ ス ・カ レーの よ
三郎 ら しき人物 の 目撃談 を掲載 している。「
万里の
て うゑ つ
ばん り
ち や う じや う
はっ たっれ いか
うに「医学 を超越 す る 自然 の神秘 を力説 した」事 で
長 城 を見 るの に名高 い八達嶺下 (
「
察恰爾省延慶
既 に この時点で忍野半三郎 の信頼 を失 っているの
県のJ
f
l
庸関外にある山C甲種鉄路の随道が通ずるO
J
)へ
である。
の鉄道線 路 を走 っ て行 っ た こ とを報 じてゐる。」
うる は
結局 、彼忍野半三郎 は北京 の街に押 し寄せ る蒙
「黄塵 を清 した繭 の中に帽子 をかぶ らぬ男が一人、
せ き じん せ き r
I
.
古 か らの黄塵 に誘 われて、 自己の本然の内 なる声
石 人石馬 (
「
乳 L・栽側あるいは墓迫の左1
=
1
日こ置く石彫
に導 かれ、 自己の本能 を理性 が抑 え込 む事が 出来
の文人 ・武F
;
i
.・獣類の像O春秋時代、猿が屍をあぱくの
ず に吹 き荒れ る黄塵の中 に消 えて行 く。 彼 を生 誕
」
)の列 を
を防ぐため石虎をおいたのに始まるという,
の地 、蒙古 の地 に誘 った彼 の本能 に就 いて語 り手
な した十三陵 (
「
明が北京に遷都 した後の歴代の帝を河
は、尤 もらしく学術書 の羅列 で読者 を合理 的な判
北省昌平県の北の天寿山に葬ったものC成祖の長陵以下
断 に導 くかの ように体裁 を整 えてい る。 この辺 の
十三ある.
。
」)の大道 を走って行った ことを報 じてゐ
創作技 術は、アナ トー ル ・フランス 「舞姫 タイス」
る1
.
)
」
」
じふ さ ん り 上 う
だい だ う
同 じ新 聞に同時掲載の二つの記事 は、世評 の当
「
パ ル タザ ール」の影響下で 「鼻 「芋粥」等初期作
品 を創作 した芥川龍之介の独 断場 である。語 り手
て にな らない事 を批 判 して いる訣であ る。「馬 の
に拠 れば、忍野半三郎の蒙古 の黄塵 に誘 われて集
脚 」全編 は皮 肉 と反語 に満 ちているが、「馬の脚」
綜 したのは生誕の地 に誘 われたのであ る。それは、
)は取 り分 けて寓意 に満 ちている。 冥帝か ら
(
「
結」
「
順天
以下 の専 門的学術背の閲覧 、通読 か ら十分 に納得
の生還 に特 集記事 を掲 載 して詳細 に報 じた
出来る事である とい うのが 、語 り手の言である。
時報」は、今度は主筆の牟 多口 (
「
無駄口の酒落を意
ば せ い き
L・だ ぐ ち
わた しは馬政紀 (
「
十二巻。明の楊時喬撰.
_
,明の洪武
味 している」
)氏 の特大 の社説で忍野半三郎 の失綜
から万歴に至る馬政 【
馬匹の改良 ・蕃殖に関する行政】
「試み に天下の夫 に して発i
_
l
三
.
す
問題 を論 じている。
r
l き
を詳記 したものo」) 馬記 (
「
一巻。R
J
l
の郁子章撰C」)、
ことごとく
あと
る権利 を得 た りとせ よ。彼等 は悉家族 を後に,
或は
I
fん き や う りれ う ぎ うば だ しふ
だ うと
元亨療牛馬批集 (
「
酒の峨本元 ・喰本草北署,
,馬 ・
遺塗 什道路。」)に行吟 (
「
あるきながらうたう。」) し、 戎
牛 ・らくだの体の部分 とその病気の治療法について記
はL
U沢 に避適 し、或 は又精神病 院裡 に飽食暖衣す
は く ら く さ うば き や う
したもの。
」
)
、伯楽相馬経 (
「
古今の名馬について記 し馬
さんた く
か う ぎん
せ うえ つ
ほ うL tくだん い
」(
「馬の脚」結)、この箇所 は「河
るの幸福 を得べ し。
‥J
g
E
l
-
亜」で拡大記述 され る恥 になる社会批判、家族や
神変
くとも 「馬の脚」 を客観小説 と して読んだ場合 に
に対す る寓意 に満 ちている。 平凡 なる勤 め人であ
は、語 り手 も含めて三人は狂気 を共有 している。
る三
i
三人公が発i
:
・
l
三
、あ るいは主観的 には 自己の内的
「馬の脚」を一株寓意小説 と して成立せ しめている
発条で出奔す るi
if
・
に対す る暫告であるが、「
或 は道
作者の創作上の二
1
二
大 を解 き明かすのに、
前記「
批評
l
l
J
;
I
鞄に行吟 し、戒 はI
.
L
)
i
・
)
'
tに避適 し」の文脈 は ,rl
どうと さと・
l
)
記」(
「
今後 とも辺地 に飢凍す ることのないや うに
学
計 らって戴 けるな らば、l
ヨ分 に とって、恩伴 、之 に
(
i
」 に通 じる。
過 ぎたるは莫 い。
t
u
s
」
)に変 身 した悲魔 の化 身 メフィス トフェ レス
おん こ ・
l
)
半年 後に肉体 の一郎、馬の脚 を露 に した忍野:
i
:
'
・
」(
「隙棚の言瀬」
)の修辞学的 な説得 は,参考 にな
l
・(
「
1
)
O
c
t
orFa
u
s
る.大学 の緋義 で フ ァウス ト幡 J
(
「
Me
pl
l
i
s
t
o
ph
e
l
e
s
」
)が 、文学作品の批評学 を講義す
る場面である。悪魔 の化 身は、ファウス トI
酔士 に変
三郎 は懐 か しい 自宅の喪の前 に現 れ るが ,婆の .
i
貌 して敦機 の上か ら文芸上の批評学 は、「半背走論
!」と呼 びかけるが、三度 とも
「より悪い半ば」
「より善い半ば」
)でなければな
法 」(
排性を感情、感覚が1
B切 って し
た じろいで しまう。
らない と説 く。悲魔 の説 く 「半骨先論法」は、「よ
まう場面である。「彼女が≡度 目にか う言った時 、
り恋 い半ば」を.
:
j
i
粧 して 「が 、解党それだけだ」と
夫 は くる りと背 を向けた と思ふ と、静 かに玄側 を
結論付 けるにあるO芥川龍之介が示 した悲魔の化
」(「.
I
.
時の脚」結)
、この場面 は車中後
お りて行っ たC
身の教壇 で説いた 「半肯定論法」の模範例 は、友 人
「改造 」大正十r
糾・
'
.
九月)では、 よ り切実 に
「死 後」 (
「
金星堂」大正十三年十一月)
佐佐木茂嚢 「春の外 套」(
' F .A
子 は、三 度 「あ なた
痛切 に記述 され るC「
馬の脚」では、半中の集院 は
ひ つ きや う
についてであ る。 「正 に器用には沓 いてゐる。が、
ひ.
?さ 上う
夫婦 間の感情 に剛 節 を来 して修 復 が不 可 能 で あ
畢寛それだけだo
」(
「
件偏の言#
・
」批評学)Oこれは、
るo Lか し、「死 譜」では夫の死が残 された斐子の
龍門の凹天ヨ三
位佐ホ茂索 を例に文学作品の批評家
して ん の ・
)
上 に修復不可能 な下降を もた ら し、生前 に l
当分が
を皮 肉った一文であ る。芥 川龍之介 自身が「件偶 の
作 った家庭 が敵機 さJ
t卑屈 な雰囲気 に寮 乱されて
(
「
俄倍」
)で弁抑す るように佐低木淡紫 「春の
青 紫」
い る。
外套」の評価 に側係 ない批評文であるが、
今 日客観
敦下明博 「馬の脚
」什芥川龍之介第二号」坪々祉)
的 に見 ると的 を射た批評である。芥川触之介 は、文
は、「
馬 の脚」全編 が、反語や寓意 に満 ちている事
学作 品を批評す る者の立場 を抑稔す る「
批評学」な
を指摘 し、傍証 と して 「
批評学一 位佐木茂作 潜 に
る一文の帰結 と して友人の文学 的な能力に就いて
-」(「件儒の官報 」)を引用 して 「馬の脚」分析 に援
膏凹*
'
T
.
i
-脚注 「日本近代
率直 な感想 を述べ ているo (
_
l
i
非 した
用 してい るO開祖は、
馬の脚 を捕捉 されて t
文学大系芥川触之介」の佐佐木茂索 「
番の外炎」の祁桂
桃
忍野半三郎 をあ る椀 強迫観念 、狂 人 と希倣すか と
には、この約一創作鵜に寄せた芥川馳之介の 源文を引
い う問題 である。客観小説 として狂 人を描いた場
用 している。芥川批之介 「
春の外食」序文は戊文である
「
J
l
i
に群用には沓いてゐるCが、畢蒐そ
細 部の 日
合、
馬の脚 は滑稽 な物語 に堕 して しまう。
が.その安旨は
常生活の記述か ら、幻想的 な雰 囲気 を背親 に寓意
れだけだ。
」という趣旨の推薦文である。佐佐木淡紫が、
的な作 品展開 に 「馬の脚」の現 代性 がある と言 え
芥川龍之介没後糾作の道を捨て文蛮春秋社則 二転身 し
る。「馬の脚」の拡大版 「
河童 」 (
「
序」)で は 「これ
て行 く行末を暗示 している。また 「
Me
pl
l
i
s
t
o
p
h
e
l
e
s脚注
は戎精神病院の.
敗者 、一 第二十三号が誰 にで も し
「新潮 」大正八咋十一
を祁足 した棚桃で 「
襲術その他」(
ゃべ る話 である。」 とあって形式的 には客 観小説、
月)のl
三
1
本に米たメフィス トプレスの蒐雷を引用 してい
'
1
'
・
(
)
でも、悲l
二
l
をまって京へないと・
i
J
.
・
ふ作品
る。「どんな作t
写実小説 を装 っている。
えて馴染 め な くなったか らだ と納 得 してい る。 本
はない。賢明な批評家のなすべ き串は、唯その悲l
二
l
が一
とら
般に承認されさうな機会を碇へる串だCさうしてその機
.
J
L
_
(み4
)
ち
会を利用 して、その作家の前途まで巧に呪ってしまふ串
さ
だCかう云ふ悦は二兎に利き百がある。他州に対 してもC
人の先鋒 後 に残 された手記 を読 んだ宴 は、夫が 鵬
その作家F
;
l
l
身に対 してもO
」この意見は、後年松本晴張
の脚 を装填 されて央綜 したことを納得 している。
r
i
E太郎の市」)創作の源泉となった。
)
「
文楽」(
泰 も狂人であ る夫の典犯者 とい う串 になる、少な
5(
「
後 日談」
)
周辺 人物 は、忍野半三郎の失蹄 を・
'
J
r
h迫観念か ら
来 る一種 の神経 嚢弱の結果 と肴倣 している。本 人
は、馬の脚 を補足 されたか ら人間界に違和感 を覚
-S
iL
「
馬の脚」本文巾の記述 に拠れば、忍野半三郎の
示唆 を与 えている と云 う。前掲、
薮下明博 「
馬の脚」
馬の脚 を妾の常 子は明瞭に 目撃 している。作品中
)を 「皆朱伝寄集」(
「岩
論考では 「
玄怪録」(
「
斉鎗州」
の人物で この非現実 を認識 しているのは、当事者
波文雄」 今村与志雄訳)か ら引用 して典拠 としで臆
である忍野半三郎 とその妻 、 さらに作品の語 り手
測 している。単授朝は、蒲松齢 「
脚斎志異」(
「
巻一、
であるわた しである。
三十六 」
)の
ほ しJ
:うれ い
り 上 う さ い しい
お うらん
「
王蘭」の転生譜 を典拠に挙げている
里は 「国訳漢文大成」(
「
晋 唐小説」
)収
し、頂けけ・
夫は破れたズボ ンの下 に毛だ らけの蟻の脚 を
あ ら.
は
うす あ か
くりげ
露 してゐるO薄明 りの中に も毛色の見える栗毛
あらは
の馬の脚 を露 してゐる。 (
「
馬の脚 」結 )
録「
再生記 」(
「
士 人 甲」)を指摘 しているが、この場
語 り手であるわた しは、妻の常子の 目撃談 を信
唐代叢蓄」共に 「
芥川龍之介文庫」に
「
太平広記 「
頼 している訣である。自分の信頼は、忍野半三郎の
合の根拠 は典拠である 「
士人甲」を収録 している
」
保管 されている事であるC
自己告 白の l
j記、 自分の脚が馬の脚 に変貌 して し
まった とい う菖 l
]に対す る信頼である。 さらに忍
Ⅳ 「湖南の扇 」
野半三郎 の失綜後 に夫 の残 した手記 を読 んだ妾
は しが き
この作品に就いては、松本清張 「芥川龍之介の
が、その手記の内容 を信頼す るに至 った事実 と帰
死」(
「
昭和史蒐据」二)に簡単であるが印象深い概略
宅 した夫の脚 に馬の脚 を目撃 した 目撃談である。
語 り手はこれ らを全て是認 して、「
馬の脚」全体
の説明がある。「日本人の旅人が長抄の妓樺 に登
を終結 させ ようとする。しか し、自分の忍野夫婦の
り、情熱的 な一夜 を送る。しか し、翌 る日、船に戻
遭遇 した災難 を認める態度は、誰か らも信頼 され
った旅人は、 うす暗い船室の電燈の下に滞在費 を
ていない として作家岡田三郎 もわた しに昏簡を寄
湖
計算 しは じめた」といった要領の ものである 「
せて夫婦 に寄せた私の信頼 を否認 した。実在の作
南の扇」自体が、四年泊
1
J
の支那視察旅行の再構成の
「1
8
9
0-1
95
4小説家。人正十年フランスに
家岡出三郎 (
意味あいがある。その意味では、支 那 見聞記 を帰国
_
,
」) を登場 させた意
渡り、かえってコントを提唱した.
後にまとめ上げた「
支那遊記」と成立事情 を同 じく
。
「
博文館」)編集者 として芥
味は何か、「
文章世 界」 (
している。従来 この作品の典拠 に就いては、二つの
川龍之介 と親交があ った他 に彼が、放蕩無頼の牡
事例が指摘 されている.魯迅「
薬」と中国関連の「
手
活で幾分か行方不明になった作中の忍野半三郎造
帳 」 である。
OE=削 Eも船の傍、中 日銀行の敷地及税関 とl
二
]
清
形に関係 していたか らではないか 。
むすぴ
汽船の問に死刑 を行ふ。刀 にて首 を斬る。
支那
人鰻頭 を血 にひた し食ふ。一佐野氏。(
「
手帳」
「
馬の脚」の典拠 に就いては、富田精一 「芥川龍
六)
「
新潮文庫」昭和三十三年一月)の指摘、「ゴ
之介」(
」が速い.
。
ウゴリ 『
鼻』か らヒン トを持たのだろう。
支那視察旅行 中の聞書 き、多分 に怪奇的な要素
「
馬の脚」全体の幻想的な筋書 き、雰囲気 はそ うで
におい
あろ う。国末泰平は「
彼 は蕃彼の葉の旬のする懐疑
を帯 びた談話 を後年創作 に仕立てあげたのであろ
主義 を枕 に しなが ら、アナ トオル ・フランスの本を
記」に記録 された見聞、体験の再構成であるか らで
は ん しん F
まん は しん
、
支那 併
う。それは 「
湖南の扇」作品構造 自体が 「
革んでゐたOがいつかその枕の I
l
'
J
に も半 身半F
.
I
;
神
ある(
,「
湖南の扇」典拠 に就いては、魯迅 「
薬」と
(
「ギ リシア神 話のケ ンダウロス
の比較考察は中国人留学生によ り成 されている。
【
Ke
nt
au
r
o
s
】
。馬
関 目安義 「
特派員芥川龍之介」(
第九章)に拠れば、
神で腰か ら上が人問の姿 になっている怪物。人問
しし
の手 とともに馬の凹肢 をもっている。ホ メロスで
彰春陽 「
芥川龍之介 と魯迅
は単に野獣 と呼ばれ、山野 に住み、野蛮で乱暴な種
を中心 として-」(
r
安川滝男先生古稀記念近代日本文
族。」)のゐることに気づかなかった。
」(
「
戎阿呆の
学の諸相』明治沓院、一 九〇三) と施小煩 「【人山組頭 】
一生」十六)や芥川龍之介 自身が、室生犀星 と一緒
と 【
人血 ビス ケ ッ ト】- r
T
湖尚の刷
-F湖南の扇』と 丁薬i
につ い
て-」(
早
にいた時に実見 した幻覚体験 「
大正十三・
年・
の夏、
僕
大r
凶文学研究j一一七範、一九九1
1
二・一〇)の二つの
は室生犀星 と軽井沢の小道 を歩いてゐた。 (
中略)
研究業績である。他に も単接剖 「
芥川龍之介 F
湖南
枝の問に人の脚が二本ぶ ら下ってゐた。
」(
「凶」
)が
の扇』の虚 と英一魯迅 『
薬』も視野に入れて」川l
二
l
-部3
-
本研究凶際日本文化センター紀要'
T第二十四号、二〇〇
」(
「
経信一
一束」七)とい う記録か らの大
学校 を参観 。
二年)が知 られ る。いずれ も芥川龍之介 「
湖南の扇」
胆 な仮説である。芥川龍之介長沙訪問時 (
「
五月三十
の構想 に魯迅「
薬」が示唆 を与 えた可胎 性に就 いて
l
三
卜 六朴 一日」) に長抄の師範学校附属高等小学校
言及 した ものである。
校良に一歳i
F
・
下の毛沢東が陳独秀の推挽で就任 し
チ エ ン ツ ク- シ ウ
、
魯迅 「
薬」(
一九一九年四月)は 「
湖南の扇」(
一
ていた事 である。芥 川龍之介の長沙訪問時、
二番 目
ヤ ンカ イホ イ
九二六年一月)の創作七年以前の作品 なので影響関
の宴楊 開慧 と教員宿舎で同棲 中であった。二人は、
係 を考察す るのは、
無理ではない。魯迅は人民 中国
相手の存在 を互 いに認識す る事 な く瞬時面談 して
では国民作家であ り、その作 品 「
薬」は、蒙味 な民
いた可能性がある。
衆 を啓蒙す る為の作品で よ く知 られているO魯迅
短時間の長沙滞在で面談 した無名の支那青年の
の著述 は、自身解説す るように 『
正人君子』の連
存在が、芥川龍之介の脳裏 に何か しらを残 した椴
中に深 く憎 まれ る文字」(
「
藤野先牲_一九二六年 H]
跡 は無いoLか し、この憶測には多少の確信が保障
「
十二日)である。f
j本留学の中国人留学生が、芥川
されるのである。長抄 を離れた芥川龍之介は北上
龍之介作品 と りわけ支那 に題材 を得た作品 に興味
を続行 し、二週間後に北京 に到着 し約-か月程滞
を抱 き、「
湖南 の扇」を一読 し魯迅 「
薬」を連想す
在。北京での-か月 を京劇鑑賞 と著 名人 との短時
るのは、極めて 自然 である。事実、私が芥川龍之介
(
「人血ビスケット」)を話題 に した時 に研
「
湖南の扇」
間の而談 に費や したのである。 面談の相手には当
フ-シ時の進歩派の第一 人者胡適の存在がある。 記録 に
修 中の中国の 日本文学研究者の女教師は、たち ど
拠れば 日本人通訳 を介 して芥川龍之介の胡適面談
ころに魯迅「
薬」を話題 に してその類似性 に就いて
は、
数回で これはあ くまで公的 な会談である。日本
言及 したO菜
酎丙の特効薬 として珍重 される「人血 ビ
側か らの連絡 を受 けた胡適 は、最初気軽 に芥川龍
スケ ッ ト」の ような無I
f
l
.
蒙昧 な風習 を打破す る為
之介滞在の束単牌楼 (
「
北京の東長安街にある門。その
とI
)た ん ば い ろ う
ふ そ うか ん
に魯迅の懸命な著作活動があ った訣であるC 芥 川
付近。
」
)
の扶桑館 に芥川龍之介 を訪問 している (
「
六
龍之介 自身、当時支那 に流布 していた この寄怪 な
月二十四口」)、翌 日芥川龍之介の方か ら胡適 を訪問
風習 に対 して個 人的 な興味 を抱 いて創作手帳 に聞
し面談 している (
「
六月二十五日」
)
。初対面の この面
書 きを残 したのである。
談は、扶桑館 に残 された胡適の英文の番簡によ り
幕末時、在住 の西洋 人を閉口 させた公開処刑の
もた らされた もので場所 は、北京大学の胡適の研
類 は文明 開化 の時代 以 降影 を潜 め て しまってい
究室ではないか と思 う。対談は当然の事 として英
たOそれ故 に芥川龍之介は、
友人葦永年の口を借 り
語 を媒 介 と して成 された筈 であ る 「
今 日の午前
て 「斬罪だけは 日本 ぢや見 る決 に行かない。」 (
「湖
中.芥川龍之介氏が談話 に くるO(
中略)この人は
南の扇」
)と語 らせ たのである。
日本の悪い習性が ない ら しく、談話 (
英語を使って)
たん えい ね ん
わけ
ゆ
。
「
湖南の扇」は、前掲 の中国人留学生が典拠 とし
も相当見識のある ものである」(
「
胡適日記」六月二十
て指摘 した魯迅 「
薬」と同 じく内容的、構造的に起
_
z
T
'
.
日)とい う記録が、この間の事情 を語 っているC
承転結 の四部構成 になっている。そ して作 品細部
二l
ヨ後に胡適は、芥川龍之介か ら招待 されて食事
は、「
支 那瀞記」に記述 された芥)
什龍之介 自身見開
を共 に している。「八時、芥川氏か ら食事 に招かれ
した出来事 を再構成 した ものだ。作 品 「
湖南の扇」
て扶桑館 に着 く。
」(
「
胡適日記」六月二十七 日)、芥川
を完成 させたの は彼生来の怪奇的な現 象に惹かれ
龍之介が胡適 を相手 に京劇改良に就 いての意見具
る性癖 である。「
湖南の扇」の舞台になった長沙滞
申を したのはこの折 である。「
件儒の言葉」には、
在は数 日であ り、作品中の 目付 は虚構化 されたそ
「わた しは 『
四進士』を除 きさへすれば、全京劇の
れであ り、「
支那併記」での長抄に就いての記載は、
」(
=
r
kq嵐 齢 を見て)という胡適
価値 を否定 したいC
断片的な ものである 「支那瀞記」(
「
経信一光
」
)で
の発言が、か ろ うじて記録 された。「
胡適 E
l
記」(
「
六
の記録 は、真聾 な記録の羅列 とは思われない類の
月二十七日」
)には、扶桑館で芥川龍之介が披露 した
C
Lし
ん し
ものである。しか し、これか ら 「
湖南の扇」の構造
京劇改良の四項 目の主張が、詳細 に記録 され残 さ
解析 を成す上 で私 的 には一つ の大胆 な仮説 があ
二
l
安義 「
特派員芥川龍之介」の記戦 に拠れ
れた。問l
る.「長抄の天心第一女子師範学校服 に附械高等小
ば、
扶桑館での胡適一行の接待 は、
大阪毎 日新聞の
-莞
7-
招 待で賄 われた との事であ るO 二 日間の親密 な会
記」十-・
)「
鄭孝 腎」(
「
上海併記」十三)「
李人傑」(
「L
見後に芥川龍之介の北京滞在は、二過l
馴 こ及んだ
粕併記」十八)
、これ らの三人の 人物 との会見記 は、
のあ るか ら胡過 との気軽 な雑談 は多岐 に及んだ と
色合いを異 に している。国民革命軍の理論的な支
思 われる。
柱であった と思 える章柄鱗 との会見記述は、抑旅
この二年前 に湖南省の急進派指導者 と しての毛
リー タ・
-チ ヤ オ・
沢東は、北京で胡適 、李大別 との両紙 を得ている。
と失笑 に満 ちたそれであ る。腹蹄 を求め る邸孝 背
芥川龍之介が、北京で商談 した著名人で明 らかに
こ うい ,
)が ん
との会見は、好意 に満 ちた筆致であるが真撃 な会
見記 には程遠 い ものであ る。しか し、「
若 き支那」の
こ こ うめ い
なっている相 手は、
胡過 、嵩一滴 、草鴻銘等 の人々
代表たる李 人傑 との会見は、精彩 に富む もので芥
であ る。胡適 とは、
記録 に残 らない数回の雑談があ
川龍之介の支 那に対す る予 見は先見性があった と
った ような気がす る。芥川龍之介の側 に胡適 に関
言 える。「
種子 は手 にあ り。唯万里の荒蕪 (
「ひろぴ
す る記述が稀 なのは、当時胡適が思想的に左翼陣
ろとした荒廃地o
」
)
、或 は力の及ぼ ざらんを憤 るO吾
F
Jん り
く わ うぶ
おる
営 に位置 していたか らであ る。 毛沢東が上海で陳
人の肉体 、この労 に堪ふ るや否や、
憂 ひなきを得 ざ
独秀 と面識 を得たのは、北京での胡過 との面談の
る所以 な り」(
「
上海旋記」十八)と言 って芥川龍之介
帰途である。 おそ ら くは胡適の紹 介 による と思 わ
の面前で眉 を轡 める革命家の発言 を記録 した。李
ゆ えん
さい げ ん ぼ い
れ るが,胡適 、李大 別 、陳触秀 は察元培学長 に よ り
人傑 は、芥川龍之介死後数 カ月で 自身の危供 した
北京大学 に招碑 された開明派の教授 陣である。胡
通 りの悲劇 的な最期 を迎 える事 になる。 李 人傑 に
適教授 は、長抄の師範附械小学校 を参観 して来た
抱 いた予見的な思いの反映が、「
湖南の扇」に反映
芥川龍之介の三週間前の感想 に、湖南省代表の急
している。あるいは無意識裡 に執筆 した作品「
湖南
進的 な指導者毛沢東の断片の記憶 を語 らなか った
の扇」の主題 をなぞ る形で李 人傑 は、自ら予 見 した
ろ うかo私 は北京大学の同僚であ った陳独秀の紹
最悪の終末 を迎 える事 になった と言える。 支 那革
介、ひさで長抄の師範附属小学校校長の職 を得た
命の 巾途 で倒 れ た湖南 出身の物 故者 の 名 を列挙
湖南省出身の急進的な若者、芥川龍之介 と同年齢
し、彼等の悲劇 的な運命は自ら引寄せ た性格悲劇
の毛沢東の話題が、胡適 に よ り語 られた ような気
である と断言 している。
がす る。
「
湖南 の民 自身の負けぬ気の強い こと」(
「
湖南の
-か月に及ぶ北京滞在中の芥川龍之介の聞背 き
扇」起)とい う作者 自身の予言的な言辞 を先那 けに
を背景 に して、支那帰 国後数年後すでに潤筆 され
して芥川龍之介好みの怪宙的な小編が展開する。
ていた 「
支那瀞記」の記述 の断J
J
l
・
を再構成 して 「
湖
2(
「
起」
)
南の扇」創作はな された と思 える。以下、推定 によ
大正十年:
・
J
u
二
月十六 日の午後四時頃、僕の乗っ
玩江丸は長抄の桟橋へ横 着けになった
けんか ,
)生 る
ちゃ うさ
るこの種の結論 を立証すべ く考証、実証 を進めて
てゐた
見たい。
(
「
湖南の肩」起)
そん いつせ ん ら
シナ
広東 に生れた孫逸仙等 を除 けば 、 巨
=苦しい支那
くわ う こ ) さい が く そ うけ う じん ら
の革命家は、一黄興 、葬鍔、宋数仁等 はいづれ も
こな ん
そ う こ くは ん ちや う し ど う
。
は うよ う ま る
九」とい う船名は どうであろうか.
鳳階丸 (
「
上海」
な ん よ う去 る
湖南 に生れて ゐる。 これは勿論 曾岡津や張之洞
よ こづ
こと
この 日付が虚構 である事 は確 かであるが、「
玩江
(
1 「
序」
)
カ ン トン
さ ん ばし
だいあんまる
「
蕪湖」
)南楊丸 (
「
蕪湖」-「
九江」
)大宴九 (
「
九江」「
漢l
一
り)
、以上は 「長江瀞記 」 (
二)に記載事実であ
の感化 に もよったのであ らう。
,(
「
湖南の扇」起)
l
-洞庭湖 一長沙 一漢口の船旅の汽船名
るが,漢 L
作品冒頭 に登場す る人物 は、すで に物放 した革
は詳 らかではない。芥川龍之介の長沙同伴は、「
宇
命家であ り同時 に 日本 にな じみの人達であるO芥
都宮 さん」(
「
離口の武林洋行の宇都宮五郎」
)の筈であ
川龍之介視察時の支那 は、辛亥革命九年 ヒ
l
であ り、
る(
,
長沙の埠頭で出迎 えの社員 を探す行為は、むな
ぶつ こ
「
湖南の扇」執筆時 は国民革命軍 (
北 伐軍)の北上
しく空 回りをす る。長抄の滞在六年の経歴の社員
数年前 である。 支那 は軍閥が列挙す る動乱期であ
は、
病床 に伏せ っていて出迎 える事が J
l
_
l
来ない、と
り、安定 した統一政権樹立 にはほ ど遠い状況であ
い う設定である。これは、
蕪湖で芥川龍之介 を埠頭
支那併記」(
「
上海併記」
)には、三人の人物
った。「
に出迎 えた旧友西村 貞吉の存在、蕪湖滞在 を長抄
との会見記が記載 されてい る。「
章柄麟」 (
「
上海淋
の滞在六年 に虚構化 した設定である。 出迎 えたの
ー5
8-
メ イ クイ
は第-高等学校 での寄宿舎で生活 を共 に した支那
たん え いね ん
人留学生 、長抄で開業 してい る昔の同級生評永年
女性 は髪に赤 い玖魂の花 を挿 していた (
「
江南併記」
二十四)、あの場面 であ る.第一高等学校以来の友
であ る。 この虚構 の人物そ してその後の彼 の振舞
人、評永年 の説明 に拠ればポオ トの触先で風 に吹
「
十五」「
十六」「
十七」
)に登場す る
は、「上海港記」(
かれている支那女性 は、芸者玉蘭で斬首 された匪
「神州 日報の社長余拘氏」の横顔 を映 しているC神
賊の愛 人であ る。湘江 を往 くポオ トの上で旧友縛
州E
J
報 (
「
上梅で薙刊 されていた日刊新開O神州はr
r
個
永年は、殺 された土匪の数 々の武勇伝 に就いて語
「
穀民は余絢の号。」)につい
の別称」)の社長余拘氏 (
り続 ける。相手の僕 は、匪賊の行 った数 々の武勇伝
ては「筑摩全集頻繁芥川龍之介全集」
脚 注 に説明は
ない。 しか し、「
氏の 日本語の達者 な事 は、嘗 て El
に 閉 EJLなが ら も相 槌 を打 っ て い る 。 黄 六 一
く
わ
う
ら
う
ヤ
「
費老爺」)の悪行、残酷 な行為 は何 れ も反体制的な
支両同語の串 上演脱か何かやって、お客の徳富蘇
黄老爺 」(
「
老爺は中国語
意味 を持 ったそれであ る 「
」(
「
上海併記」
峰氏 を感服 させ た とか云ふ位であ る。
で種々の称に用いられるが、ここでは尊貴の人に対する
卜E.
)とい う芥川龍之介 の説明でおぼろな輪 郭 を
だんな」のそれに
敬称、又は日本語で俗にいう 『
親分 F
しん し ゆ うに っ1
1う
上 じゆん
くわ う り く い ち
(
。
」
」
)の悪事 に就 いて評永年 は、以下の ように具
当る。
摺 む事が 出来 る。
物語の発端 は、作者の分 身 と思 しき 「
僕」が長抄
体的 な内容 を語 ってい る。
しや うた ん
の埠頭 に接岸 の折 に誰 か を迎 えに出た と思 しい一
又湘 滞 (
「
湖南省の省略市。長抄の南にあり、湘江と
i
t
ん・
r
い
あ きん ど
漣水との合流点で水陸交通の地方的巽地。
」
)の或商人
人の支那の少女 を一瞥す る ところか ら始 まる。
べに わ
づ
紅 の濃い口 もとに微笑 を浮かべ 、誰 か に合 ひ問
は ん ぴ らき
が うだ つ
もも
か ら三千元 を強奪 した話 、又腿 に弾丸 を受 けた
あ うぎ
は ん あ しち
で もす るや うに半 開 きの扇 をか ざ してゐた。
ろ りん た ん
焚阿七 と言ふ副頭 目を肩 に蕊林滑 を泳 ぎ越 した
う
がくし
話 、又岳 州 (
「
湖南省の北部、洞庭湖の北東岸の都市
さんだ う
い た j.
及びその地区。
」
)の戎 山道 に十二人の歩兵 を射倒
「
湖南の磁」起)
・・ ・(
作 品全体 の物語展開 を象徴す る発端 も芥川龍之
介 自身が 、自ら経験 した実体験 の換骨奪胎 であ る。
した請 (
「
湘南の扇」承)
「
二十一・
」
)で上海埠頭 を離 れる鳳陽丸
「
上海併記 」(
旧友鐸永年の語 る匪賊 の武勇談 に対 して作 中の
の甲板 で上海の茶館 で接 した少女 の象徴である一
僕 、作者の分 身が それほ どの真実味 を持 って聞い
バ レ レイ ホ オ
片の花弁 を投 げ捨 てるあの場面であ る。「自蘭花 、
ていない事 は明 らかである。友 人の荒唐無稽 な前
自蘭花」 とい う花売 りの声が惨 く遠 く消 え去 る印
時代的な悪事の数 々の噂話 を退屈 を覚 えた と書 い
象的なあの場面である。
ているか らである。匪賊 に関す る悪事 の情報は、す
3(
「
承」
)
べ て体制側 の情報 に拠 る。作者 は さ りげな く「彼の
長沙到着数 日後 に芥川龍之介は、埠頭で 見かけ
」(
「
湖
話 は大部分新聞記事 の受 け売 りら しかった。
た支那の少女 を河下 りの途 中で偶然再度一瞥す る
南の扇」承)と書 き添 えている。玉蘭の愛 人であ っ
事 になる。
た黄六一の身辺 に関す るこうした状況設定 は , 長
ぎ 上 く らん
せ っか く
たん
すす
がん ほ う
僕 は翌 々十八 日の午後 、折 角の欝の勧 めに従
しや う こ か う へ だ
抄の埠頭で何者 か に扇で合図 を送 っていた合労の
が くろ く
ひ、湘 江 を隔てた縁 故 (
「
長抄の西にある鱗山の北
ろ くざん じ
あい ばんて い
行為 と相 まって「
湖南の扇」の作品解明の鍵 を与 え
濃をさす。
」
)へ 放 山寺 や愛娩事 を見物 に出か け
ている。体制側に よ り、
具体 的には新聞情報 によ り
「
湖南の扇」承)
た。(
悲徳の限 りを報道 されている芸者玉蘭の愛 人黄六
湘江 をモ オ タア ・ボオ トで軽快 に走行 している
がんほ う
時 に数 日前 に長抄の埠頭で偶然 目撃 した女 、 合芳
ぎよ くらん
一の正体 を自ず と明 らか に してい る。冒頭、
作者 に
よって栢介 されてい る湖南 出身の革命家黄興 、察
とい う芸者 以外 の別の本小編の重要人物、玉蘭 と
鍔 、宋教仁 の人物 像 に重 なるべ く作者 に よ り用意
水上で擦 れ違 う事 になる。 この印象深 い一場面 も
J
周到 に配置 されてい る訣 である,
人民 中国 を建国 した中国共産党 は、中国国民党
作者 に よる空想 の賜物ではない。「江南併記」什二
十四」)で揚 州市内観光の為 に水路 を航行す るあの
政府か ら共産赤舵 と罵声 を浴 びて きた。
場面の借用である。
中国共産党が、時の支那政権か ら対等の政治的
画版 で水路 を行 く日本 人一行は、支那美人 を遊
な立場 を持つ政党 と認知 されたのは「
西安事件」以
覧 させ る もうー槽 の画肪 とすれ違 い、一 人の支那
降である。 国民党委員長 を幽閉 して周恩来 との交
ー5
9-
渉 に導 き「
l
l
国共産党 に活路 を見川 した立役 肴張学
上r
.
)こじ▲う
良、糊虎城 を蒋介石 は許 さなか った(
.
前者 は終 身的
来 され 、後者 は韮慶撤 退 時 に惨 殺 されたC「
湖l
封o)
穀民 と梅通 番 との 関係 を再構 成 した ものであ る,
,
けいてう
'
劇 (
中国の旧劇。歌劇の一一
・
純】の楽劇.
L
・
,流
「京調 (
「l
i
・
.
た1
)ば
日本の艮I
牲
卜i
i
'
f
元にあたる。
)の党 蛸 (
「
戯批 '
I
二
・
.
'
A
t
j
i
が卜
F
'
j
'
'
;
」 でI
k 人譜 永年 に よ り語 られ る匪賊 の 税目胡六
人名の大,
;
F
%を護送 してゆ く途中で!
仙牧を起 し、!
J
f
'
1
.
にとわ
一が 、作 品目頭 の非業 の最期 を遂 げ た比 族 的 な炎
れる.
3
'
.
r
l
・
(
,
」
)や西皮 調 (
「
京劇の射 I
n。調子i
F
'
,
・
jく凄諸
掛,I;
・
:
I
翫 ミなが
雄 の像 に歪 なってい る談 で あ る。 偶 然 のL
調とともに古 くか らあ り、明代以後北京で盛んに行われ
ら芥川龍之介 は、「上海瀞記 」(
「
十八」
)で登場 させ
た.
i
,l
i
三
食楽器は胡弓。
」
)粉河 湾 (
「
戯U
J
l
。遠征 した朋が十八
げた と言 えるか も知 れ ない。「
種子 は手 にあ りこ
:畔
.
i
f
.
・
,
」
)
の伴奏 と して胡 弓が演奏 され る。この場i
f
7
l
'
を
刀:
I
f
!
.
の荒蕪 、戒 は力 の 及ぼ ざ らん をお そ似 るD
」と
芥川能之 介 は、鳥才
丁帽子 を被 った数 人の男が 胡弓
臥
せ い ひて う
が くさ ⊥ く
ふん かわわん
隼ぷ E
・
)に・
J
j
I
;
・
郷するが敵の怨霊のたたりによりわが/
・
を殺す
こ うぷ
語り、芥川龍之 介 との面談 後 、対 談 した L
'
=
l
宅 で 第・
を構 えていた と記述 してい る.
,これが 「
上漸 b
1
'
・
記」
こ L
* ゆ t
)'
J
たい てい
I
F
)
川)
阿共産党 全国 代表大 会 を主 催 した李 人傑 は、
(
「明l
Ll
JS
!
i
呈
さの男はどうi
l
ふ訣か、大枚胡弓を弾きながら
「湖南 の扇」発表 後に数年 後 に上海 の街流 で 公 開銃
ち,殺賦与
;
i
.
・
を極めた鳥打帽や1
1
1
研和をかぶってゐる.
_
.
」1
・
た ん ろ び
殺の憂 日に遭 う。最 近 の研究謹聴 美 「
中国共産党 を
六) とい う嘗 ての記述 の再利 桐であ る朝 は
作 った十三 人」(
丁
新潮新乱 平成二 f
二 年・
)の記述 に
あ る.
:
,
l
'
l
上
=明で
そ
'
j
t
i
に終 結 した十三 人の 中国 共産党創 設者 で 人は lr1
僕 は、 こ う した周辺 の京劇の演 奏を余所 に 自分
/
J
l
_
I
の 傍 に侍 った一 人の 芸 者 に注 意 を惹 きつ け られ
拠 れ ば、芥川龍之介帰 国 後数 カ月後に李 人傑の
回建 国 の 日に天 安 門楼 上 に立 っ た の は 毛沢東 、
る:
.
含芳 とい う名前 の この若 い女 は、僕が 良抄 の埠
煎必武の二 人であ る。
t
i
'
(
に到 荊 した時 に扇 を緊 して誰 か を待 ち続 けた少
4(
「
転」
)
女で あ る(
,この事 を友 人諦 永年 に告 げ ようと して
と うひ つぷ
友 人謂永年 の勧 めで湘江 をポ オ トで観 光 したそ
僕 は 、言 い淀 んで しま う。僕 は、この少女 含芳の 振
ぎ くわ ん
の夜 、僕 は彼 の誘導 で戎 妓館 (
「妓楼n遊女鼠 ,
」
)に
一時 を過 ごす。長抄 の湘江 の畔 の抜錨 が 、す で に芥
.
」
川龍之 介が執筆 、発 表 した 「上 海 港記」什 [
・
1
)
IH・
舞に秘密 めい た何 か を喚 ぎ耽 ったか らであ る、そ
して単 純 素 朴 で行動 的 な友 人滞永年 にそれ を打 ち
明 け る串 に跨掃 い を感 じたか らで ある。僕が 、含芳
に惹 かれ たの は彼女 の支 那語が 、長抄の方 言で は
し 上 うゆ う て ん
者 は、上海 小 有 天 (
「
上海漠日輪の料・
,
;
I
:
」)で神川日
な くて北 京語 で美 しい響 きを持 っていたか らであ
報社 長 余l
i
'
穀民 に よって接 待 され て・一
夜 の饗:
i
i
'
・
(
二
る.
上 くん こ く み ん
与 った場所 を長抄の妓館 に移 し変 え、 さらに 神州
きi
t
い
ブランス
「この 人の言葉は椅箆だね,Rの音 などは仏軌 J
L
一
日報社 長の豪放轟 落 な気風 を旧友 謬 永年 に差 し替
人のや うだc
J
「うん、その人は北京生 まれだか ら.
,
」
えて作 l
r
l
l
T
を構 想 してい るので あ る。
く
「
湖南の扇」転 )
ベ キ ン
さ上く-ラ
それか ら彼女 の運 んで来 た活版刷 の局票の上
ちゃ う Lや うが わ }
)か ・
l
J うん
へ芸者 の名前 を背 きは じめ た.。張 湘蛾 、王巧崇 、
がんは ・
'
Jナ ゐ ぎ 上 く ろ うh い ふ ん ゑ ん
作品構 成 上か ら言 えば、彼女が北京か ら火沙 に
来て芸 者 と して接 客業 を営 むには、何 か しら政治
含芳 、酔 玉 楼 、愛媛 媛 、- そ れ等 はいづ れ も旅行
'
i
r
l
身の毛沢 火は 、)
L
.
'
・
的 な埋山が あ るCちなみ に長沙 [
者の伐 には支 那小 説 の女 主 人公 にふ さは しい 名
姐:
;
I
.
)
I
;
・
U
)
北 方.
r
i
語 か らほ ど遠 い発音 で聴衆 を悩 ませ た
1
t
J
I
J
'
ばか りだっ た。 (
「
湖南の扇」転)
そ うであ る:
-
ぢ 上 し ゆ じん こ う
「
湖南 の 扇」は、この時期 の芥川龍之介の作 l
L
J
l
l
J
の
が 、上 i
l
J
j
:
の小石 天で芥川龍 之 介 に侍 った芸者連 の
多 くが そ うであ る よ うに多分 に暗示 的 、示唆 的で
宝
全体的 に 隠臆 に満 ちた調 子 で謎 に満 ちた余湖で終
前詩
等
名 北
⋮.
が 椎 川
これ ら湘江 の畔の妓館 に集 合 した芸者連 の名前
はは >
JLゆ んりん た い ぎ 上 く あ い し ゆ ん じ こ う
らく.
が
でん ぢ く
、梅通番 (
林 黛玉 )、愛春 、時洩 、洛蛾 、天竺 、
の什者 に依 る手摘 己
の作 り替 えであ る。
「湖南
わ ってい る。以下 の作品展 開は、全体 的 に謎 に満 ち
の転
i
」で は、妓館 で寛 ぐ僕の前 で評 永 年が馴 染みの
た未解 決の問題 を残 して終結 してい るが 、その机
がJ
.
f
lJ
J
筋 を辿 って見たい。問題 になっているのは、
含芳 と
r
Jん
- だい .
+
;▲ 7
)
シイ ラ シ イ ラ
芸者 林 大 橋 を柵手 に 「是 了是 了 (
「はいはい」「
そう
t
=
)
そ うだ」
「
,川手の言をF
'
i
'
'
;
Eする語。
)な どと此 れ る域
面が あ るが 、これ も 「上海茄記 」(
r
十ノ,
_
)での 余子I
,
-
りん だ い さ ∫ う
林大橋 との敵意 に満 ちたや り取 りの一端 に収敵 さ
れてい る.
)
-3
E-
杏
「君はいつ長抄へ来たと尋 くか らね、をととひ
「
湖南の崩」転)
や うに した。 (
来たばか りだと返事 をすると、その人もをとと
ふとう
ひは誰かの出迎 ひに埠頭 まで行った と言ってゐ
愛 人関係 にある役者 の名前 を呼称 したのではな
るんだ。
」(
「
湖南の扇」転)
い。芸者である含芳 にとって妓館でお客に侍る事
芸者 を取 り締 まる立場 にある林大橋は、含労 と
長沙湘江 の畔の妓館での会話 を逐 次解説す れ
は仕事であ り、
特定の固定 した人物、
愛人関係の役
ば、北末出身の含芳が謹永年に向って 日本人旅行
者の名前 を人前 で出 されて怯 む事 は考 え られ な
者である作者の分身僕は、何時長抄に到着 したの
い。林大橋 の噛 り、そ して含芳が怯 んだのは、
か と問 う場面である。讃永年が、日本人の友 人は一
「×××」(
支那人の男性名)とい う役者 との関係 を
昨 日長抄の埠頭 に汽船で接岸 した と答 えると、含
取 り沙汰 されることが政治的に危険な要素がある
芳 も又同 じ汽船で長抄に到着 した誰か を迎 えた事
か ら怯 んだと考 えられるo作品構想上、
含芳が長抄
を発言するO葦永年は、含労の埠頭に迎 えた相手の
の埠頭 に出迎えたのは、玉 蘭 の相手で惨死 した黄
名前 を問いただすが、彼女はその相手の誰である
六一 と同一種類の人物でなければならない。
か を明 らかに しようとしない。埠頭 に川迎 えた相
即 ち含芳の相手は、作品冒頭に登場 した湖南出
手の誰であるか を執掬 に問い質す滞永年に対 して
身の革命家、黄興、輩鍔、宋教仁 に連なる人物 とし
含芳は、強硬 にそれを否認す る。その場面が 「もう
て耶解 しな くてはな らない。これ等の人物は、
湖南
ほはゑ
一度含芳へ話 しかけた。が、彼女は頬笑んだ ぎり、
出身で非業の最期 を遂げた人物 とい うだけではな
子供のや うにいやいやを してゐたO
」とい う場面で
くて 日本在住経験 を有 している。これが 「×××」
ある。しか し、問題はとい うよ り「
湖南の扇」の作
とい う役者名 (
非合法の革命家の名前)が取 り沙汰
品中境大の山場 、即 ち作品構造 を解明する鍵 は次
されたE
I
封こ妓館の女運の 日本人旅行者である僕の
の滞永年の発言箇所である。
横顔 を時々盗み見た理由である。
かあ
「その人は誰の出迎 ひで もない、お母 さんの出迎
ひに行ったんだと言ふんだ。何、今 ここにゐる先
ちや・
)さ
生がJ
a、 ××Xと言ふ長抄の役者のl
L
_
t
J
r
迎 ひか何
陽気な気質の護永年が、愛人を斬罪 された玉蘭
を見かけた事や 日本 人である僕が、斬罪 とい う処
刑その ものに対 して外国人 として興味 を抱いてい
8)い に く
かだ らうと言った もんだか ら。
」(
僕 は生憎その
わけ い
名前 だけは ノオ トに とる訣 に行 かなかった。)
命とを思いや り戦懐 を覚 えた訣である。それが、以
(
「
湖南の扇」転)
卜のような一文に要約 されているO
る事 を告げた時に合方 は、 自分の愛人と自己の運
み みわ
ふる
作品構造上のベー ルに覆われた部分の多 くは、
彼女は耳環 を霧はせなが ら、テエブルのかげ
私の支那語に半可通である事 に通 じているC 芥 川
になった膝の上 に手巾を結 んだ り解いた りして
龍之介は、僕が支那語に理解の及ばない事 を鍵 に
ゐた.
。 什湖南の扇」転)
して作 品課題 を秘密 に覆っている、創作上の一つ
こうして「
湖南の扇」最高潮の場面に導かj
tて行
ハ ンケチ
の技巧である。諦永年 は、
含芳 を問い詰める林大橋
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J
J
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した讃永年は妓館に
くO人血 ビスケッ トを取 りl
の発言 を 「今ここにゐる先生 」 の発言 と言い換 え
集 う芸者連に試食 を促す事 になるC 含薯がた じろ
た。葦永年の視線か ら見て同 じ妓館の芸者であ り
いで蒔路 して座 を立 とうとするのは、自分 と愛人
なが ら、林大橋 は含男 よりもその妓館 での地位の
との将来の運命 を予感 してのそれである。兼蘭は、
高い事 を窺わせ る。
作 中の僕は、支那 語に理解 を及
愛人黄六一の血の敢み付 いたビスケッ トを前 に心
ぼす事 はないが、作品中では林大橋が追求 した含
情 を吐露するが、その言葉 は 「(
前文省略)わた し
芳の相手、役者の名前 を聞 き取 ったが筆記出来な
は喜んでわた しの愛する ・-
い と設定 した。以上の状況 を把握 した上で、
林大橋
を味はひます。・-
の自分の支配下 にあると思える合芳に対する敵意
うものであった。
に坪解 を及ぼ さな くてはならない。
5(
「
結」
)
くわ うろ ら うや
りん た い け う
がんは う
-
-
・黄老爺の血
・」(
「
湖南の扇」転)とい
予定通 り三泊 した僕は、客船で湘江の長沙埠頭
すると突然林大橋は持ってゐた巻煙草 に合方 を
あざけ
指 さし、咽 るや うに何か言 ひ放った。含労は確か
を離れる(
⊃
夕闇の迫 る中で僕は、長抄の街並みに不
にはつ とした と見え、い きな り僕の膝 を抑 へる
安 を覚 える。それを僕は、「次第に迫って来る暮色
ひざ
せま
おき
-6
1
-
ぼ し▲く
の影響 に違 ひなかった,」と説明 している.しか し、
を愛人玉蘭に見せつけた場面である。
部外者である僕 は、支那の旧社会を破壊する予
支那社会を根底か ら転倒 させ るある棟の暴力的:
A;
置が起動 し始めた予感に対す る不安である。それ
感、
躍動 を予感 させ る長抄 を立 ち去 るが、
船室には
は 日本人である僕の近い将来に対 して も甚大 な影
含芳 とその愛人 (×××)の存在 を誇示するかの よ
響 を与 えずにはおか ない不気味なそれである。「
欝
うに一本の扇が 、間 き忘れ られていた。斬死 した黄
は何 の為か、
僕の見送 りには立たなかった。
」
「
彼の
六一・
に代 り、
含芳 とその愛人は、旧弊 な支那社会 を
玉蘭 を苦 しめた理由ははっ きりとは僕 に もわか ら
破壊す る為 に立ち上る可能性がある。船室に置 き
なかった。」とい う僕 の抱 く疑問は、前者は 日本留
忘れ られた扇は、北京か ら長抄にある種の 目的を
学で支那社会の上流 に位置 した彼 と日本 人である
持 って流 れて きた含 芳の存在 を僕 に誇示 してい
僕 との親交の終 りを意味 している し、後者 は長沙
る。僕は、
長沙滞在の三 日間の滞在費を船室で計算
社会の上流階層に生活する評永年が、自分の快適
する事で即物的に僕の心情 にけ りをつけ ようとす
な生活空間を破壊す る事 を目論 んだ黄六一の粒期
る.
)
なん
ぎよ く らん
-3
1
匡-