空手 のはじまり 沖縄を発祥とした空手 中国拳法の影響を受けて 中国(冊封使) 沖縄在来武術「手(ティ)」 融 合 大航海時代が始まる 首里那覇港は交易繁栄 首里城へ向かう中国冊封使行列 • • • • 按司(あじ)領主の登場 城(グスク)を築く(世界遺産指定) 北山・中山・南山 三大勢力圏ができる 三山とも海外交易で繁栄 12世紀頃・・・ 沖縄各地に支配者 三山を統一し琉球国王に 中山(あじ) 尚巴志王位に • 第一尚氏政権約64年 • 第二尚氏政権(尚円~)約410年王朝 二度の禁武政策 • 尚巴志王が武器を禁止 • 日常刀剣の携帯禁止した程度 薩摩島津藩に征服 武器を取り上げ、厳しい弾圧 秘技・門外不出の武術 徒手空拳の修練 空手 首里手・那覇手・泊手 • 首里手は、首里城の武士を中心に発達 • 武士松村こと松村宗棍 弟子に糸洲安恒 (1809-1896) • 那覇手は、商業都市を中心に発達 • 新垣世璋(1840-1920)東恩納寛量(1853-1915) • 泊手は、両者の中間にあった泊村で発達 • 松村良興作(1829-1898) 本土で普及指導 沖縄に影響を与えた人 首 里 手 の 系 統 図 本土で普及指導 沖縄に影響を与えた人 那 覇 手 の 系 統 図 本土で普及指導 沖縄に影響を与えた人 泊 手 の 系 統 図 本土で普及指導 沖縄に影響を与えた人 上 地 流 の 系 統 図 沖縄の流派は • • • • • • • 剛柔流 小林流 上地流 松林流 少林流 劉衛流 本部流 宮城 長順 知花 朝信 上地 完文 長嶺 将真 喜屋武朝徳 仲井間憲里 本部 朝勇 (1888ー1953) (1885ー1969) (1877ー1946) (1907ー1997) (1870-1948) (1819-1879) (1857-1927) • 少林流松村正統・一心流・その他(100)こえる流会派がある。 • 現在、431道場がある。(沖縄県空手交流推進事業報告書より) 「唐手」から「空手」へ • • • • • • • • 花城長茂 (1904-5)頃 沖縄県立第一中学校 「空手」と書き指導 城間真繁 (1890-1954) 拳法をカラテと読み(武器を使わない)「空手」 宮城長順 (1937年)に 全日本武徳会で「唐手」から「空手」に統一 船越義珍(1916-17)に 京都武徳会で古来武術として空手を紹介 流派の形成 • 空手に対する理念・形(型)・型の分解 • 鍛錬法・教習体系等の相違で分類・技法系統 先達者の写真(1937年) 空手道基本型制定記念撮影 城間真繁 真栄城朝亮 喜屋武朝徳 花城朝信 屋部憲忠 仲宗根源和 花城長茂 宮城長順 先達者の写真(1913年) 宮城長順 許田重発 東恩納寛量 先達者の写真(1917年) 赤嶺嘉栄 友寄隆優 上地完文 玉城進 集団演武(指揮者=城間真繁) 首里市第一小学校(城南小学校) 1937年 集団演武(指揮者=許田重発) 沖縄県立第二中学校(那覇高校) 1937年 空手・古武道顕彰碑及び跡地 日本本土への上陸 • 松濤館流 船越 義珍 (1868-1957) • 剛柔流 宮城 長順 • 糸東流 摩文仁 賢和(1890-1952) • 和道流 大塚 博紀 (1888-1953) (1892-1982) • 日本本土では、四大流派と呼ばれている 先達者の写真 當山寛賢 大塚博紀 船越義珍 本部朝基 摩文仁憲和 「空手の日」1963年10月25日 • • • • • • 空手には、「空手に先手なし」の哲理 心技両面において先手非道 空手の形は、受け技から始まる 「ヌチドゥ宝」(命こそ宝)生命尊重の思想 「空手は義の輔け」実利的性格を秘めた 「実践的武術」一撃必殺・完全防御 • 技法修得は実践即応的な状況を想定している。 • 空手を暴力手段として使わない(強靱な精神力) 「空手」から「空手道」へ • 空手道を通して「技」・「心」を修練する姿 「礼」と「節」の精神 「礼」とは、人を尊重し、感謝する理念 「節」とは、善悪の判断・自己を律する態度 精神を規範が心身バランスを保つ 空手は、人間形成を養う理念が「道」へ 学校での空手道の授業 身近な空手・地域の空手
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