13 子どもの貧困の実態と解決に向けて

データでみる現代社会
子どもの貧困の実態と解決に向けて
千葉大学法政経学部 教授 大石 亜希子
はじめに
には,等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯
厚生労働省の「国民生活基礎調査」によると,
員数の平方根で割ったもの)の中央値の50%を貧困
日本の子どもの貧困率は2012年に16.3%に達し,
線とし,それに満たない人々が全体に占める割合を
1986年に同調査が始まって以来の最悪記録を更新
「貧困率」としている。貧困線は社会全体の所得の
した。国際的にみると,日本の子どもの貧困率は
動きを反映して年々変動するため,このようにして
OECD加盟国の平均(13.3%)を上まわっており,
計算された貧困率を「相対的貧困率」とよんでいる。
9番目に高い(2010年時点)
。1990年代半ばから
ちなみに2012年の貧困線は122万円である。
の上昇幅でみても日本はOECD平均以上に大きく,
世帯の可処分所得とは,世帯所得(公的な給付
OECDは対日審査報告のなかで子どもの貧困への
は除く)から税・社会保険料などの公的負担を差
対応を日本政府に求めている。こうした国内外か
し引いたものに公的給付(公的年金や失業給付,
らの関心の高まりを受けて,2013年には「子ども
児童手当などの現金給付)を加えた金額である。
の貧困対策法」が制定され,教育面を含めて「貧
したがって,拠出以上に給付があれば,政府によ
困の状況にある子どもが健やかに育成される環境
る再分配後の所得は当初の世帯所得を上まわるが,
を整備する」ことが明記された。そこで本稿では,
反対に拠出よりも給付が少なければ,再分配後の
日本の子どもの貧困の実態とその背景を指摘した
所得は当初の世帯所得を下まわることになる。
うえで,子どもの貧困解消に向けた施策のあり方
なお,世帯の可処分所得を世帯員数ではなくそ
を展望することとする。
の平方根で割る理由は,
「規模の経済」を考慮し
ているためである。例えば一人住まいの独身者同
「貧困」
とは
士が結婚しても「規模の経済」が働くので,家賃
本論に入る前に,
「貧困」の定義を明らかにして
や食費,光熱費をはじめとした生計費は単純に2
おこう。ここでの「貧困率」は,国際比較でよく用
倍になるわけではない。そこで「規模の経済」を
いられるOECDの作成方法を踏襲している。具体的
反映する簡便な方法として世帯員数の平方根が国
(%)
60
(OECD Family Database(2014 年 1 月版)
)
二親世帯
一人親世帯
50
子どものいる世帯全体
40
30
20
10
イスラエル
トルコ
メキシコ
チリ
スペイン
アメリカ
イタリア
ギリシャ
日本
ポルトガル
オーストラリア
ポーランド
OECD平均
カナダ
エストニア
スロバキア
ベルギー
ニュージーランド
ルクセンブルク
アイルランド
2015年度1学期号
イギリス
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現代社会へのとびら
ハンガリー
図1 子どものいる世帯の貧困率(2010年)
スイス
フランス
スロベニア
オランダ
チェコ
ドイツ
スウェーデン
オーストリア
アイスランド
ノルウェー
フィンランド
デンマーク
0
際比較では用いられている。
子どもの貧困の実態
る所得保障が児童手当と生活保護以外にはほとん
どないという,セーフティネットの不備がある。
例えば再分配前の所得にもとづく貧困率と再分
日本の子どもの貧困に関して重要なポイントは
配後の貧困率とを比較すると,日本の子どものい
以下の3点にまとめられる。
る世帯では後者のほうが高い。OECD加盟国のな
第1に,一人親世帯の貧困率がOECD加盟国中
かで子どものいる世帯の貧困率が再分配後に上昇
で最も高い(図1)。多くの先進諸国では,親の
するのは日本だけであり,日本の税制や社会保障
失業や不就労が一人親世帯の貧困の原因となって
制度に重大な問題があることがわかる。事実,日
おり,親が就労している場合の貧困率は平均して
本の税には再分配効果がほとんどないことが知ら
20%程度にとどまっている。しかし日本では,一
れている。社会保障を通じた再分配も,その内実
人親の8割以上が就労しているにもかかわらず貧
は現役世代から高齢世代への所得移転であるため,
困率が高い。つまり,仕事から得られる収入があ
同一世代のなかでの所得格差を縮小する効果は小
まりに少ないために貧困から脱出することができ
さい。定額の国民年金保険料や,標準報酬の最下
ないのである。
限を設定している被用者保険は,低所得層ほど負
ところで,就労収入が少ないのは労働時間が短
担が大きくなる逆進的な体系になっている。その
いためではない。母子世帯の母親の5割以上は週
一方で,子どものいる世帯への現金給付としては,
40時間以上働いており,ほぼ1割以上は週49時間
児童手当,一人親世帯が対象の児童扶養手当,障
以上働いている。幼い子どもがいるはずの25 ∼
がいのある子が対象の特別児童扶養手当があるだ
34歳の母親に限定しても,この割合に大きな違い
けであり,それらの規模は国際的にみても小さい。
はみられない。すなわち,二親世帯の母親とは異
第3に,子ども期の貧困が教育機会の格差など
なり,母子世帯の母親の労働時間は子どもの年齢
を通じて貧困の再生産につながる傾向がみられる。
に関係なく長い。それでも低収入なのは,男女間
今日では,高校生の2人に1人が大学に行く時代
賃金格差,そして正規・非正規雇用者間の賃金格
になった。しかし,都道府県別にみれば大学等進
差によるところが大きい。先進主要国のなかで日
学率が最も高い東京が66.1%であるのに対して最
本は男女間賃金格差が顕著に大きい国として知ら
低の沖縄は37.7%にとどまり,大きな格差がある
れている。男性一般労働者の時間あたり所定内賃
(図2)。総じて一人あたり県民所得の高い県ほど
金を100とすると,女性の一般労働者の賃金は72
大学進学率も高い傾向にあり,進学機会が所得と
にすぎない。女性のパートタイム労働者の場合は
密接な関係にあることを示唆している。
50である。こうした格差のために,母子世帯の母
さらに,文部科学省の全国学力調査のデータを
親が一般男性なみに働いても,低収入しか得られ
用いた研究によると,世帯所得などの社会経済的
ないという構造的な問題がある。
背景が低い家庭の児童生徒が3時間以上勉強して
第2に,一人親世帯の貧困は深刻な問題ではあ
獲得する学力の平均値は,社会経済的背景が高い
るものの,子どものいる世帯の貧困率上昇は,主
家庭でまったく勉強しない児童生徒の学力の平均
として二親世帯の貧困化によってもたらされてい
値よりも低いことが明らかにされている(耳塚・
る。1990年代半ば以降,二親世帯は共働きをして
中西 2014)
。つまり,子ども自身の努力で社会経
減収を補おうとしてきたが,それでも世帯の実質
済的格差に由来する学力格差を埋めるのも非常に
所得は低下し続けている。リーマン・ショック直
困難となっているのである。
後の2009年には,それまで10 ∼ 11%の間を上下
していた二親世帯の貧困率が12.7%へとはね上
がった。この背景には,子どものいる世帯に対す
子どもの貧困の解消に向けて
それでは,子どもの貧困を解消するうえでどの
現代社会へのとびら
2015年度1学期号
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ような施策が求められるであろうか。
家族関係支出をしており,なかでも出生率の高い
まず,現行の社会保障制度の負担と給付のあり
フランス,イギリス,スウェーデンはGDP比で
方を見直すことが必要である。日本の社会保障給
3%をこえる規模を保っているが,日本は1.35%
付の8割以上は年金や医療で占められ,それらは
(2011年度)に過ぎない。経済変動から子どもを
現役世代が拠出する税や社会保険料によってまか
守り,安定的な生育環境を確保するためには,児
なわれている。しかし,現役世代の実質所得は,
童手当の拡充や給付つきの税額控除の導入,そし
1990年代半ばから低下し続けており,経済的に脆
て保護者が子育てと仕事を両立するための保育
弱な世帯が増加している。したがって,現役世代
サービスの拡充が求められる。
から高齢世代への社会保障を通じた再分配にたよ
第3に,貧困の再生産を防ぐためには,低所得
るだけではなく,年金課税や資産課税を通じて高
層の子どもたちが高等教育を受ける機会を広げる
齢世代内部での再分配を強化し,少しでも現役世
必要がある。日本の教育費に占める公的負担の割
代の負担増加を抑制することが求められる。
合はOECD加盟国でも最も低いグループに入る。
第2に,子どものいる世帯への給付を拡充する
日本では返済義務のない奨学金は少なく,高等教
必要がある。現状では子どものいる世帯に対する
育を受けられるかどうかは,親の経済力次第とい
社会手当が手薄いため,失業や疾病,離婚,減収
うのが現状である。高校については高等学校等就
などを契機に容易に貧困におちいってしまう。日
学支援金制度で保護者の負担軽減がはかられてい
本では「1.57ショック」
(1989年の合計特殊出生
るが,部活や塾など学校外の活動・学習にまつわ
率が戦後最低記録を更新したこと)を契機に1990
る費用は低所得世帯にとって大きな負担である。
年代から少子化対策が講じられてきたが,政府が
義務教育段階の教育費でさえも負担困難な家庭は
実際に児童・家族関係の社会支出を増やし始めた
多く,2012年度には全国では155万人の小中学生
のは2000年代に入ってからである(大石 2014)
。
が就学援助を受けている。
OECD加盟国は平均してGDP比で2.3%の児童・
子どもの貧困の影響は教育面にとどまらない。
近年の研究では,幼少期の貧困が成人後の就労状
態や所得水準,健康,さらには幸福感などにも結
大学等進学率
60%以上
50%~60%
40%~50%
40%未満
びついていることが明らかにされている(小塩
2014;阿部 2014 )
。少子化が進む日本において,
次世代を担う子どもは,一人一人が貴重な存在な
はずである。子どもたちが心身ともに健康に生育
できる環境をつくることは,われわれが果たすべ
き次世代に対する責任といえるであろう。
東京都 66.1%
沖縄県 37.7%
(文部科学省
「学校基本調査」2014年)
図2 高等学校(全日制・定時制)卒業後の大学等進学率
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現代社会へのとびら❖2015年度1学期号
≪参考文献≫
・阿部 彩『子どもの貧困Ⅱ』岩波新書 2014年
・大石亜希子「児童福祉:ウェルフェアからウェルビーイ
ングへ」『季刊社会保障研究』50⑴p.18-29 2014年
・小塩隆士『「幸せ」の決まり方 主観的厚生の経済学』
日本経済新聞出版社 2014年
・耳塚寛明・中西啓喜「家庭の社会経済的背景による不利
の克服」『平成25年度 全国学力・学習状況調査(きめ細
かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分
析に関する調査研究』国立大学法人お茶の水女子大学
2014年